「交換」するというコト

天気も良い。気候も良い。5月らしい穏やかな日曜日。「まちのえんがわ」でクローズドな植物交換会というstaffのアオキさんが主催するイベントを催す。知り合いばかりが数人、植物を持って集まって、クリスマスのプレゼント交換のように植物を交換し、飲んだり食べたりしながら穏やかな日曜日をまったりと過ごす。

コロナ禍で、集まるっていうことに違和感があって、自邸で過ごすのがあたりまえな感じだったが、ここ最近、昼間にバーベキュー施設で過ごすっていうスタイルが、若い人のライフスタイルのひとつになってきて、ワタシも長男家族に誘われて、堺の「まとい」というモダンなバーベキュー施設でバーベキューを楽しんだ。太陽があるアウトドアーな空気のなかで、食事とお酒をま昼間っから堂々と楽しめる雰囲気が楽しいのだとあらためて思う。

そんな昼間から飲んだり食べたりするバーベキュー的な遊びに、それぞれが持参した植物を交換することによって、見ず知らずの家庭に私の植物が旅をし、その家庭で育てられることで、新たなコミュニケーションと繋がりが生まれるという、バーベキュー的昼間の飲食とクリスマスプレゼント交換会的植物交換会が合体した「まちのえんがわイベント」として、もっと多様な方々と楽しんでみようかなと思う。

土曜日。クローズドな「ものづくりセッション」を催す。メインの主催者は行政マンのタケダさんで、ワタシはそれをしっかりとサポートする立ち位置。この日は、生野区でサンダルのイノベーションを推し進めている「リゲッタ」のタカモト社長がプレゼンターになり、このコロナ禍の影響による2年間の今のリゲッタをプレゼンして頂いた。コロナ禍による経営的なネカティブな状況を「つぶやく」ように吐露することによって、それがポジティブな方向に転換されて欲しいという願いのような気持ちは、同じ経営者としてのワタシにもあって、タカモトくんの敢えてネガティブなことをプレゼンする姿に経営者的な共感をした。

↑主催者のタケダさんから写真をお借りしたのだが、大阪商工会議所のハヤシさんから「デザイン経営」のプレゼンがあった。コロナ前に個人的にハヤシさんからこのプレゼンをしてもらい、デザイン経営というのは「企業のブランド価値を高めるために、お客さまから共感を得る、新しい価値を創造することで、一貫性があり共感できるデザインであることが大切だ」と教わる。それを参加の皆さんと共有出来る機会が、ようやく2年越しにやってきたが、「デザイン経営」というある問題定義を一緒にあーだこーだと考え、自分の思いや感覚を「交換」する時間を共有することによって、コミュニティーが育まれていくのかもしれない…..とおもえた土曜日だった。

そうそう日曜日の夜になるとNHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を視聴するようになった。平安時代から鎌倉時代に移り変わる出来事は歴史で習ったが、源頼朝のことや義経や政子や北条氏や平泉氏のメンタリティ的なコトって、まったく理解していなかったなぁ…..とあらためておもう。読後感のように視聴後感のような言い方があるとするなら、いままでの歴史ものとはちょっと違う視聴後感がやってくる。この感覚って何だろうかなぁ…..とおもう。

こんな「交換」を考えてみる週末だった。

「凧揚げ」

淀川河川敷で凧揚げをする。「まちのえんがわ」木工ワークショップの講師ヤグラさんのお誘いで、淀川河川公園西中島地区で凧揚げとストリートオルガンをやっているので時間があれば…..というお誘いだった。マゴ二人とそのお母さんと奥方と私の5人で出向く。

河川敷の無料駐車場に10時30分に到着すると満車になる一歩手間だった。大規模なバーベキュー広場があってそこを目当てに多くの若い人達がやってくるらしい。コロナ禍による新しいライフスタイルがバーベキューなのだろう。ほんとうにこんなに人が来るのだろうかと疑っていたら、お昼には満杯になって周辺には風にそよいで焼肉の匂いがたちこめていた。そのバーベキュー広場を横切ってテント広場で凧揚げとストリートオルガンを催していた。

ヤグラさんと他二人のストリートオルガン製作者が演奏し、どれも手造りのストリートオルガンで、独特の音色と和音を奏で、とにかく良く出来ているので感心するばかりだった。道ゆく数人が興味深く立ち寄り滑車をぐるぐるまわして演奏を楽しんで、毎回ささやかな拍手につつまれ、ノスタルジックで穏やかな公園風景を醸し出していた。その演奏している背後のシロツメ草が生えている広場で凧揚げをしている「日本の凧の会」の狭川さんを紹介してもらう。なんでも大阪で唯一の手造りこんにゃくを作る83歳になる職人さんだそうだ。

和凧の背面を見せてもらうと、あまりにも骨の作り方が良く出来ている凧なのでいろいろ質問すると丁寧に教えてくれた。手漉きの和紙でてきていて強度があるという。骨になっている竹をみると細くてしなやかそうなので、聞くと、エジソンが使ったのと同じ「真竹」だという。いろいろな竹があるが、真竹がもっともしなやかで強いのだという。凧糸をみるとフツウの凧糸より細くて軽くて強い上質な凧糸だった。全ての部材を軽量化して製作しているという。

今日は生憎、風が吹かない淀川河川敷だったが、時折吹く弱い風を捉えて、快く笑顔でマゴ達に凧糸を持たせてくれる。弱い風でも揚がる和凧なのだそうだ。マゴ達が飽きると、ワタシも30分間ほど凧を揚げる。久しぶりだ。しなやかな竹のお陰で、右人差し指に絡む凧糸を通じて、凧に伝わる風の力が心地良く感じる。微妙に変化する風の力を凧糸を通じて指に感じる、その風の感覚が楽しいし好きだなぁ。

木村工務店の3階建社屋に屋上があり、お正月に、その屋上から何度か凧揚げをした。ゲリラカイトといわれる西洋凧が多かったが時には奴凧といわれる和凧も新聞紙で足を付けて揚げた。親父もお袋も兄弟3人一緒になって楽しんだ記憶が残る。長男が生まれて小学生頃までお正月の楽しみのひとつだった。大阪湾からの安定した西風が吹いて、東の生駒山に向かって凧が天高く揚がるが、時には凧糸が切れて、どこかに飛んでいってしまい、自転車で追いかけて電線にひっかかった凧を何度か回収した。今から振り返れば大胆なことだったが、まだ大らかな時代だったのだろう。もはやそんなリスクのある遊び方ができる時代ではない。そういえば、凧揚げはお正月でなく4月5月6月が良いのだと狭川さんが仰っていた。

それにしても淀川河川敷から梅田方面のビル群を眺める風景もエエなぁとおもう。この光景のなかに梅田スカイビルの存在は際立っていて、もしこの建築がなかったら、もっと味気ない光景だったのかもしれないとおもう。シロツメ草の上でお昼ご飯を食べて、ゴロッと仰向けに寝っ転がりながら「風の力」と「建築の力」というのを考えてみた。

「斜張橋」

2022年のGW後半も終わり木村工務店では5月6日金曜日から通常営業です。

5月4日5日と小学校からの同級生4人でしまなみ海道を自転車で走る。生口島にある輪空という宿に泊まって、輪空の親父さんも交えて、一緒に自転車に乗って島々を巡るのが、数年の恒例になっていたが、コロナ禍で休止せざるおえなかった。今年は久しぶりに世間の雰囲気が旅気分な連休になって、晴天と穏やかな気候に恵まれ、人出も多く、世の中全体が「ゴールデンウィーク」という皆で一緒に休日を楽しむむムードが漂い、ちょっとウキウキした気持ちになった。ただ人出が多すぎて渋滞に巻き込まれ、3時間のところが5時間かかったのはツラかったが、簡易な自動運転の進化のおかげで渋滞の疲労感は半分に減った。

ゆめしま海道を走り、この3月に開通した岩城橋を自転車で渡る。斜張橋だが、ちょっと今までの斜張橋よりシンプルな構造美を感じフワッとしてカッコエエのだ。建築出身なので、土木のことはまったく理解していなかったが、「混合斜張橋」というらしい。なにが混合かというと、橋桁がコンクリート桁と鋼桁が組み合わさっているという。その鋼桁の下部にテーパーが取ってあり細く見え曲線的な勾配もあってコンクリート桁より鋼桁の方が長いのでフワッとした印象を与える。斜材のケーブルの取り付け方がコンクリート部分と鋼材部分ではデザインが違って、鋼桁部分の取り付け方はいかにも鉄っぽいメカニカルな取り付け方でゴツゴツ感があるが、それはそれでエエ感じ。

↓ コンクリート部分を下から見上げると橋桁部分も塔部分も美しい。

ゆめしま海道の島々をつなぐ生名島から佐島に渡る生名橋も佐島から弓削島に渡る弓削橋も斜張橋だ。小ぶりの斜張橋を3連続で渡る。生名橋は日本で最初の混合斜張橋らしいが、岩城橋に比べ鋼桁部分が短いのでフワッというよりガッシリした印象。弓削橋は鋼桁の斜張橋らしい。斜材のケーブルの取り付け部分が民家やお寺の垂木や母屋の小口が露出するデザインに似た納まりで、リズム感がある。そういえば生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋も複合斜張橋らしいが、PC桁と鋼桁の取り合いは塔部で分かれているので判別しづらく、一体感があり堂々とした風格があって立派な複合斜張橋だなとあらためておもう。

↓生名橋(PC桁も鋼桁もケーブルの取り付け方が母屋の小口っぽいデザイン岩城橋に比べ鋼桁部分が短い)

↓弓削大橋(遠景で鋼桁橋のケーブルの母屋の小口っぽい取り付け部分はみえない)

↓多々羅大橋(橋のケーブルの取り付け部分は見えないデザインで岩城橋のようなゴツゴツ感がなくシュッとしながらも堂々としている)

なんて、斜張橋のコトをつらつら考えてみたのは、今回、岩城橋を自転車で渡った時にいままでにない印象を感じて、家に帰ってから写真を眺めググっているうちに知ったことで、これからは、さまざまな橋を渡りながら、もっと構造的なデザインに意識的になれたらとおもう。ちなみに、今回自転車で渡った来島大橋は吊り橋で、斜張橋と吊り橋の違いにこんなイラストがあった。

↓ 来島海峡(吊り橋)

「昭和」

ぐずついた天候だったゴールデンウィーク前半。4月29日の祭日は朝から雨だったが、何という名の祭日になったのか、すっかり忘れてしまい、かつての天皇誕生日だったことは想い出せるのだが…..あっそうそう、そういえば、「昭和の日」とよばれているのだと、このブログを書きながら再認識した。

「昭和レトロブーム」とか「昭和歌謡ブーム」というのが若い人の間であるらしい。あらためて「昭和」というコトバに接すると、昭和って何だったのかとおもう。今の若者にレトロな魅力を感じさせている昭和のデザインって何なのだろうか。再認識してみたいとおもった。

昭和歌謡の人気ランキングをググると、1位まちぶせ/石川ひとみ、2位木綿のハンカチーフ/太田裕美、3位喝采/ちあきなおみ、4位岬めぐり/山本コウタロー、5位また逢う日まで/尾崎紀世彦、6位勝手にしやがれ/沢田研二、となっていて。確かにどれもこれもなにげに口ずさめたりして。クレジットにある作詞作曲者の氏名をみると、あっあの人とあの人ねぇ。と名前を覚えているし、ザ・ベストテンなんていうテレビ番組を楽しみで視聴していたなぁと想い出す。

「工務店」に関連するコトになると、「昭和住宅資料館」「昭和スポット巡り」というサイトに遭遇して、あらためて建築デザインとかインテリアデザイン、家具デザイン、家電のデザイン、看板のデザインとかの「昭和」って何なのか意識させられる。「昭和中期の生活をリアルに体感できるような空間づくりを心がけている」とそのサイトに書かれてあって、中古物件を手に入れて、自分で昭和の空間を作って生活しているらしい。

「この時代特有の野暮ったさが際立っています。私にとってこの野暮ったさこそが昭和中期の最大の魅力です。」「建築はもとよりファッションや自動車など様々な方面で海外のデザインが急速に取り込まれていったわけですが、それと同時に日本人の未だあか抜け切れていないセンスが浮き彫りになった時代でもあったのではないでしょうか。そして、そのあか抜け切れていない部分こそが当時を生きた人たちの気持ちそのものだと思うのです。」

なるほど。木村工務店では、そんな昭和レトロな建物を沢山、「モダン」にリフォームしてきたが、確かに昔のままでも良かったのかも。何がモダンなのか、と考えさせられる。そのサイトには「どこかあか抜け切れていない部分に愛おしさ」を感じる。と書いてあって、デザインがちょっと破綻しているところに愛おしさが宿っているのかもしれない。

そういう気持ちはそれなりに理解出来て、モダンデザインとして整ったデザインの模倣や提案が、施主の嗜好や大工をはじめとする職人さんのセンスと思い入れとコストと技術力の問題で、デザイン的破綻になってしまう時があって、その破綻を良しとして施工してしまうところに工務店的な魅力もちょっと存在し、そういう「昭和的工務店」が作った住宅が「昭和住宅」だったのかもしれない….とおもった。

唐突ですが、この写真は、東京、銀座の無印に展示されていたチャールズ&レイ・イームズのテーブルと椅子で、この手前のカフェで珈琲を飲みながら眺めていたら、何人かの若いひとたちが、写真を撮って憧れの風情で眺めていた。こういう1930年代のモダニズムの思想やモダンデザインが日本にも入ってきて、工務店にも模倣されたのが昭和だったのだろうが、その模倣がさまざまな要因でデザイン的破綻をして、でも職人さんが丁寧に一生懸命作ろうとしていたので、どこかに愛おしさが残っていたのかもしれない…..。

そういう愛おしく感じるデザインを受け継げいでいく「昭和的工務店」もエエなぁ…..と「昭和の日」の「昭和」を考えてみた。

雨降りだから美術館

雨降る日曜日。ゴールデンウィークに突入する前の週なのだが、ぐずついた天気の一週間になるらしい。木造住宅の上棟予定があったものの、棟梁が、構造材を雨ざらしにするのがイヤなので、ゴールデンウィーク明けに上棟をズラしたいと申し出た。それで施主に了解を得て上棟をずらすことになった。

昔は、ゴールデンウィークの休日でも仕事をしたい大工さんが多かったが、最近は会社の休みに合わせて休日を取る大工が増えてきたし、土曜日も休む大工が増えた。その分、工期は延びるのだが、時代の変化とともに職人さんへの敬意を含めて、施主の了解も得られるようになってきた。木村工務店では4月29日から5月5日まで会社はお休みを頂戴しますが、一部の現場は暦通り稼働予定です。

天気予報の進化によって今日の日曜日の朝から雨が降る予報だったので、前日の土曜日からアウトドアーに出る予定に諦めがついていたが、いざ日曜日の朝に目覚めると、やっぱり雨かぁ…..と再認識し、さて、どうしようかとおもいながらテレビを付けると、ウクライナ情勢の報道が流れ、憤りを通り越した諦めのようなムードになっているワタシがいて、その感情を跳ね除けるようにベットから跳ね起きて、久しぶりに朝風呂朝サウナに行くことにした。スーパー銭湯も値上げするらしい。1年前に比べ建築費もかなり上昇しているし、もはやインフレの世の中なのか?

雨の日の朝風呂が格別に好きだ。あと「雨降りだから」本でも読もう。とか。音楽でも聴こう。とか。大好きだったが、いつの間にかそんな感覚からどんどん遠ざかってしまったワタシを、いま、ちょっとずつたぐり寄せようとしているところ。なのに、庭を隔てて繋がるマゴ達が、雨だから退屈だぁ退屈だぁと朝から押し寄せてきて、本も音楽も吹っ飛んでしまい、一緒に新しくできた「中之島美術館」に行くコトになった。

現物を見るとフツウに良い美術館なのだとおもう。黒の外壁のテクスチャーが単調なのは「コストを調整したのか」「意図なのか」そこは知りたいとおもった。奥方と長男奥方のお目当てはその美術館内にオープンしたデンマークのインテリアショップ「HAY」を見るコト。コペンハーゲンの百貨店で見た記憶が残っているが、想像以上に日本での価格が高かった。そうそう、それとデンマークで訪れたルイジアナ美術館が最も印象深い体験で、食べたり寛いだりもできて一日過ごせる美術館だった。中之島一帯で、そんなふうになっていこうとしているのだろうか。散策できて寛げる文化的な良い街になれば嬉しい。

「モディリアーニ展」が開催中で、偶然マゴとモディリアーニのTVドキュメンタリーを一緒に見たので親近感が湧く。最近この手の展覧会に行くと必ずイヤホンを付けて解説を聞くようにしている。美術史のコトにまったく精通していないので、モディリアーニを中心としながらその当時のパリの美術界の解説が分かり易く、マゴ達もイヤホンを付けるとおとなしく聞いていたので妙な一体感がうまれた。

雨降りで、美術館という共有体験を持てたのが、心地良く感じる日曜日になった。

「摘み菜」

とっても気候の良い4月の休日。「まちのえんがわ」ワークショップを開催した日曜日。昨年は5回ワークショップを開いたが最後は昨年11月。コロナの影響で久しぶりの開催となった。

「摘み菜」というコトバは馴染みのありそうで、初めて聞くコトバだった。平谷(ヒラヤ)けいこさんは摘み菜料理研究家で今回のワークショップを開催した妙齢の女性で、近くにある居酒屋あそび菜さんのご紹介で縁を持つ事になった。ちなみにあそび菜さんは何度か「まちのえんがわ」ワークショップを開催してくれている。雑草とか野草と呼ばれている「草」を摘み取り食す。そんな雑草が食べられるとは思っていなかったので、ワタシにとっては新たな気づきになるワークショップだった。ちなみに「摘み菜」というコトバはヒラヤさんが考えたという。

うちの家の近くに通称「長細公園」というのがあって、かつては運河だったらしいが、そこが埋め立てられ、長細い公園として遊具が置かれていた。そこはこの周辺の子供にとっては刺激的な遊び場だった。「ブランコ」や「うんてい」や「鉄棒」の技術を習得したのも家から歩いて1分のところに長細公園があったからだ。数年前のこと「もしその長細公園の遊具で事故が起こればその責任は町会長が取らなければならないらしい」という責任問題が浮上し、すべての遊具が撤去されることになった。致し方ないが、いかにも現代的な理由だ。ただ遊具がなくなると、ただの土道になって、この道を通る人がほとんどいなくなり雑草が育つ通路と化した。

普段は邪魔者扱いする雑草が「摘み菜」の宝庫だとヒラヤさんが語る。その長細公園を散策しながら、雑草を観察し、食べる雑草をヒラヤさんから教授してもらう。参加者の女性が土道に座り込んで、雑草を観察し採取する姿は、異様な姿でもあるが、あるいみ美しい光景でもあった。長男嫁とその子供達が参加し、楽しそうに雑草を引き抜いては、ヒラヤさんに名前を尋ねる姿が微笑ましかった。採取した雑草を持ち帰り、加工場でそれぞれがスクラップブックにする作業のあとに、木村家の庭で、摘み菜によるお茶会を催した。

ヒラヤさんは洒落た女性で「ななな」三発講座というキャッチーなフレーズのもと、【「な」の発見 ~摘み菜の観察~」】・【「なかま」とナイスな発創 ~摘み菜ノート作り~」】・【 ティータイム ~加菜っ平(カナッペ)&摘み菜茶~「なごみ」の発信 ~各自のお気に入りを話し合う~】というワークショップ構成で、最後にうちの庭で摘み菜によるお茶とゼリーを頂き、ビスケットに摘み菜と自家製ソースのトッピングで食したが、おもわず「香りが良い!」「美味しい!」というコトバが出てしまうほど、オーガニックで身体に良さそうなお茶と食物だった。

ここ数ヶ月、月一回「まちの工務店ネット」で、建築家の秋山さんとランドスケープデザイナーの田瀬さんによるレクチャーがあって、建築家の方々と接する機会は幾度もあったが、ランドスケープの方との接触はほとんどなく、ゆえに田瀬さんから発せられるランドスケープに対するコトバ使いと考え方に刺激を受けている。その刺激と同じような刺激を平谷さんからも感じる。「土」と「植物」というのは身近にありながら、深く考える機会がなかった。人の名前と植物の名称を記憶するのが苦手だと再認識するのだが、それにしても街角にある「摘んだ草がたちまちごちそうになる」という発想と探求に敬意を表したいとおもった。

変化の春かな。

夏日の春。桜も散り始めて青葉がでてきた。住宅相談会がある日曜日だったが、気候が良いので、早朝から自転車に乗ることにした。今年初めてなのだ。4ヶ月近くこんなに自転車に乗らなかったのは自転車に乗り出してから初めて。というよりこんなに雪のある冬が久しぶりだったので、日帰りひとりスキーに5回行った。これも初めて。なので自転車がスキーに取って代わった冬のシーズンだった。

十三峠を往復するだけの1時間40分。足がまったく回らなくゆっくり登る。無事到着できて良かった。下り、定点観測的に桜を見ていた場所に駐め、山を眺める。サンシュウの群落の黄色は色あせていたが、ゴジラというか恐竜のような顔に見える山桜はかろうじて残っていた。ぎりぎりの春に間に合った感じ。

金曜日の夜、大学時代のフリスビー同好会のメンバーに誘われて大阪城で食事会。ワタシ、フリスビーのメンバーではないのだが、皆に親しくしてもらって、時折お誘いをうける。大阪城内にあるルーフトップテラスに赴くと、仕事帰りのサラリーマンでいっぱいだった。屋外のこんなスペースの4人席ならコロナ対策的にも安心感がある。大阪城がドーカンと見えて、気持ちの良い夜になった。

木曜日の朝は、庭を隔て同居するマゴの小学校入学式の日だった。6年があっという間に感じる。生まれてから6年間の子供が成長する姿をみていると、「人間」という哺乳類の成長過程の凄さを垣間見る。この6年間、ワタシといえば、日増しに物忘れの退化がはじまり、人の名前なんて、あのぉ…..、そのぉ…..、なんて言いながら皆の助けをかりてしまう状況なのに、子供の脳と感情と体力の進化はめまぐるしいものがある。もう一度ワタシもその6年間をやり直せないものか。とおもう。

日曜日。暖かく気持ちの良い気候での住宅相談会。ひと組目の若いご夫妻は、マンションリフォームのご相談でお見えになったが、ご主人が建築の設計者として勤めておられるという。そういう設計に携わって会社勤めの方のマンションリフォームの案件がそこそこある。先日も一件着工したばかり。うちの設計担当者がフォローしながら見積担当者や現場監督や大工にバトンタッチしていくスタイル。帰りがけ「まちのえんがわ」でお話しを聞くと、矢部さん設計で施工した「ササハウス」の奥さんのインスタフォロワーだそうだ。5万人近くフォロワーがいるとか。凄いね!

二組目の若いご夫妻は、土地探しからの新築のご相談に起こしになった。SUUMOによる土地の探し方やその土地をグーグルの地図で丹念に見つける方法をレクチャーし、中古住宅を購入してリノベーションという方法もレクチャーしながら、インターネット上で一緒に土地を探す。そういう「方法を共有」しているうちに、お客さんの好みに対しても徐々に理解が深まってくる。できるだけ広い土地を手に入れたいという。家は大きくなくても、庭があってバーベキューとか出来たらコロナ禍なので嬉しいと。コロナの影響による嗜好の変化が顕著になってきたとおもう。

社会情勢も住宅情勢も人間の心のありようが変化している兆しなんだろう。

会社として新たな一歩

4月2日は会社の創立記念日で、1949年昭和24年が法人として創立した日だという。いまおもえば、なぜその日が4月1日でなかったのか、祖父や親父から聞いておけば良かったと思う。敢えてちょっと「外す」というところが木村工務店の伝統的な体質のなかにあって、それがこの4月2日というチョイスに表現されているような気がしてきた。工務店としての創業は1937年昭和12年8月で今年で86年。

で、この4月2日前後に社員とともに職人さんを交えて、前社長の親父が植えた枝垂れ桜の下で、焼肉花見の宴をするのが伝統的な行事だが、今年もコロナ禍の規制に従って焼肉宴は中止した。ただ庭にテーブルとベンチを設置して社員がそれぞれの昼食を桜と共にし、夜は食事は止めて軽くビールを飲んで早々に解散することになった。派手でこぼれ落ちるような桜が4月1日的だとすると、うちの枝垂れ桜は4月2日的なしっとりとした2番手的桜だが、これで良しとして皆で愛しんでいる。

多くの社員が早々に解散したものの、酒好きの数名が残ってアウトドアー薪ストーブを囲んみながら、あーだこーだと話題がつきなかった。こういう素直に終わらない宴も、木村工務店を退職した歴代の社員の皆から引き継いでしまった伝統のようなものだが、感染者数のリバウンドが始まりつつあるなか、換気がある場所でのマスク会食なら良しとされるのかどうかと気遣いながらだった。もはや宴会は時代遅れのイベントになってきたが、オンラインだけでは生まれないちょっと深いつながりが発生するような気がするのだが、それもこれも幻想なのかもしれないと疑って確かめてみる時代でもある。

そうそう先週のブログに登場した東京の神田川沿いの桜を見るコトになったのは、宿泊したホテルの近くに丹下健三さんの東京カテドラル聖マリア大聖堂があって、朝の散歩がてらひとりでその建築を見学した時に通過したのが神田川だった。HPシェル構造を実際に目にするのは初体験。見慣れてきた安藤さんの仕上げの美しいコンクリート打ち放しとは違う、荒々しいコンクリート打ち放しがシェル構造としての独特の曲線美を持つ壁となり、その表情のある壁に天窓から柔らかな光りが降り注ぎ、静謐な気分にさせられた。唯一無二の建築のひとつだなと体験してあらためておもう。

それより意外だったのがアプローチ。広場から直接入る西洋的な教会でなく、まず教会の横のシルエットを視覚してから、その建物に沿って歩き、オベリスクのような鐘塔を通過して、奥にルルドが視覚化され、それを拝んでからぐるっと反転して教会の正面と対峙し、階段を登りながらその正面入り口から入る感じは、日本的のようだし、コルビジェのロンシャンの教会も階段こそないがそんな感じのアプローチだったし、ランドスケープ全体が良く出来ているのだと気付かされた。

唯一無二というのは大げさな表現だが、社員、職人、協力会社による、ものづくりのチームで、エエ建築が造れる小さな工務店として存在できるように、新たな一歩を踏み出したいとおもう。

「卒業式」

Tokyoに行く。久しぶり。やっぱり大都会だな。

卒業式に出席するのだと奥方が申すのだが、もうとっくに大人になっている大学院生の次男の卒業式に父として出席するのはとっても照れがあって、任しておくわっ!と言い放ったところ、長男の時から一度も大学に行ってないし、このチャンスを逃したら、一生子供の通った学校を見ることないよねぇ!という。

長男も次男も偶然同じ大学に通うことになった。ちなみに長男貴徳は今、木村工務店の専務として工務店の仕事を一緒に携わっているが、この際少し経歴を紹介しておくと、高校を卒業し、私立W大学の文学部に通うことになったものの、いつ卒業するのか、大学が好きなのか、嫌いなのか、親としては学費を他の人より1.5倍ほどの期間払い続けていることに、えー加減にせぇやぁという言葉が噴出する、その直前に、大学に付属している建築の専門学校に通うわ!と言い出した。そぉか!それはエエなぁ!と、Wスクールというなんか語感がとっても良い言葉の口車に乗っかることになってしまった。なので、「入学」「卒業」というのがとっても曖昧な感覚だったので、長男が通う学校を見に行くことが一度もなかった。

次男は国立志向だったが、なんの因果か長男と同じW大学の建築学科に通うことになった。フツウに大学生活を送り、卒業し、同じ大学の都市計画系の大学院研究室に行くことになったが、その期間がコロナの期間ときっちり重なった。大学の卒業式も大学院の入学式もなくなって、やっぱり「入学」「卒業」というのが観念的で、劇場的ではなかった。で、入学から2年後のこの春もコロナの影響で親が出席できる卒業式はないかもしれないが、その日は私も奥方に連れられてTokyoに宿泊する予定になった。

案の定、コロナで親は式典に出席はできなくなったが、それでも奥方は絶対に行くっと強く言い張って、その勢いに乗っかるかたちで私も東京に宿泊することになった。卒業を喜ぶ袴姿の華やかな女子たちとスーツ姿のシュッとした男子たちが、溢れるように大隈講堂前の広場でスマホによる記念撮影をする姿が現代的でその歓喜の姿にぐぅっとくる雰囲気があった。次男が学校を案内してくれた。一緒に歩きながら奥方がボソっと、この柱一本分ぐらいの学費を長男分と次男分で払ったわっ!と大阪訛りで呟やいたのが印象的だった。その大隈講堂を背景にして、次男を挟んで私と奥方の記念写真を次男の同級生が撮影してくれて、ひとつの劇場的な卒業式として、親子の記憶に残ることになった。

卒業式当日土曜日の夜は、ブバイガワラという駅に降りたち、ハッスルという洋食屋で、建築家の秋山東一さんと木製サッシュ製造販売のアイランドプロファイルの石原社長さんと3人で飲むことになった。卒業式当日の夜は息子は友達と祝うという、ま、至極当たり前のことなので、その前日にジビエのフレンチを親子3人で食べた。なので昼からはフリーになった。奥方は、福島県に里帰りしていた長男嫁と孫たちと東京で待ち合わせをして食事をするわっと楽しそうだった。分倍河原と漢字で書くらしく濁点続きの不思議な発音の駅で待ち合わせしているっと皆に話すと、えっそんな都心から離れたレアーな駅まで行くのぉ!と不思議がられたが、建築の話やロシアウクライナの話で楽しい時間になった。帰りはグーグル地図のおかげでなんとか電車を乗り継いで、宿泊した銀座の無印ホテルにたどり着いたが、酔いで何度が寝過ごしそうになった。

今年はTokyoで満開の桜を見ることができた。学生を卒業する喜びと寂しさと社会人になる不安が入り混じった歓声がこだまする広場を体験できたのもよかったが、それは桜の雰囲気と見事にマッチすると改めて感じる週末になった。

今年の桜と花見はどうなるのだろうか。

雨上がり、庭のラッパスイセンが開花した。仙人の姿に似ているから水仙らしい。そう言われてみればそうかも。花言葉は「尊敬」だという。写真のピントズレてますけどね。

ロシアとウクライナの紛争は尊敬に値しない出来事だが、ロシアは世界の約2割の森林を有する森林大国で日本はその木材を輸入している。原木の丸太は既に輸出禁止で、合板もロシア産材はあまり使っていないらしいが、天井下地に使う35mm角の材料の多くがロシア産材らしい。ロシアとベラルーシを起源とする木材を「紛争木材」として解釈するという声明がでたそうだ。ロシアから日本への木材供給がストップすると第二次ウッドショックになる可能性もあるという。世界の国々はお互いにさまざまな「もの」でつながりながら平和な日常生活が維持されてきたのだなとあらためておもう。

 

会社の前の空き家になっている長屋の梅の木が開花した。道行く人も毎年楽しみにしてくれている。昭和初期のレトロな長屋と梅の花と人気のない感じが独特の哀愁を感じさせるが、この梅の時期だけこの長屋に活気が宿る。空き家問題を考える、毎月19日の生野の日の「空き家カフェ」は、この土曜日に久しぶりのリアル開催となった。初参加のお二人を含めて「おっさん」ばかり9人の会合だったが、シニア世代がなんらかのかたちで社会貢献をしながらまちと関わっていきたいと、本気で思っているひとがそこそこいるのだと、あらためて気付かされた座談会のような会合だった。空き家カフェでの空き家を活用し活性化した成果は微々たるものだが、毎回数名の参加者のお陰で5年間コミュニケーションの場が維持されていることが唯一の成果なんだろう。

梅の次は桜。そろそろ桜の開花が始まったそうだが、大阪の「まん防」は3月22日から解除されて、◆会食を行う際は、以下の4ルールを遵守してください。特に、歓送迎会、謝恩会、宴会をともなう花見は、感染リスクが高いため、感染防止対策を徹底してください。同一テーブル4人以内・2時間程度以内での飲食・ゴールドステッカー認証店舗を推奨・マスク会食※の徹底」なんていう要請内容になっていた。4月2日は会社の創立記念日でその前後に社員と職人さんが集まって庭で花見をしていたが、2年間中止した。今年はコロナに加えてあの紛争がニュース報道される日々。多人数で花見の宴で騒ぐ雰囲気が浮いてしまいそうな感じもする。2人、3人、4人で、ひっそりと静かに楽しむ花見が2022年スタイルなのかも。さて今年の桜と花見はどうなるのだろうか。

1 12 13 14 15 16 39