DX化と企業文化・風土

コロナ感染拡大の影響が木村工務店にも襲ってきた今週。油断していたわけではないが、唐突に、社員とその家族が陽性者や濃厚接触者になって、自宅待機者が3名になり、流石におもうように仕事がはかどらない状況。日本の会社のどこにでも起こっている現象のようだし、フェリーとかバスも一部運休しているようなので、陽性者の自宅待機の期間設定をもっと短く設定してもエエのではないかとおもう。重症者以外もうPCR検査は必要ないような気もする。

皆で助け合ってこの状況を乗り越えていくしかないが、こういう状況の時に、業務の助けになっているひとつにDX化があるとおもう。DXとはデジタルトランスフォーメーションの略らしい。経済産業省の定義では「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。」となっている。

木村工務店ではサイボウズというスケジュールや掲示板を共有出来るソフトを1998年8月から運用してかれこれ24年近くなる。現場の報告などは掲示板を使って共有しているので、それなりのDX化の歴史はあり、社外からスケジュールや現場報告を共有できることが、会社ではあたりまえのコトとして定着しているが、請求書は、いまだに紙で、DX化にはほど遠い感覚だった。

それが電子帳簿保存法とやらが2024年から本格的に施行されることになって、その対応を今年の春から数ヶ月模索し、先月からデジタル化による請求書を回覧する仕組みを社内で構築して試験的に運用を開始したばかりだった。それまでは画板に現場ごとの紙の請求書をバインドし印鑑を押して回覧していく昭和的な仕組みで、机に積み上げられた請求書の画板が月末の社内の伝統的な光景だったが、先月からパソコン上のデジタルな回覧になってプロセスが大きく変化した。それによって出勤できなくても社外から請求書を査定できる仕組みになり、働き方改革としてコロナ自宅待機者に少々の貢献ができたのかもしれない。

zoomによる打ち合わせがフツウな感覚になって、遠く離れた人と移動しなくても時間だけ共有すればどこででも打ち合わせが可能になったのは素晴らしい進化だとおもう。その経験を通じて最近社内で取り組んでいるDX化に、現場監督や設計担当者が現場の状況を携帯電話の動画でリアルタイムの報告をする仕組みで、その時はzoomでなく⁨wherebyというソフトで現場の定例報告を実施している。社内の誰もが経理の担当者でも現場の状況をリアルタイムで一緒に共有することで、なによりも、ものづくりの「感覚の共有」をできることが大切な感じがしてくるし、社内に建築という「ものづくりの一体感」のようなものがうまれてくるような気がする。

たしかにDX化が企業文化・風土の変革に繋がれば…..とおもう。

ツール・ド・フランス

日曜日の朝一番。蟬の甲高い叫び声のような大合唱が響き、子供たちがどたばたと廊下を駆け抜け、庭に置いたプールに飛び込んで、蟬以上の奇声が響く庭。えっっもう夏休みになったのかとおもう。子供達はとっても嬉しそうな笑顔だが、親たちは困惑気味の笑顔で、このコントラストこそが夏休みなんだなと、両方の気持ちが理解できる年頃になったワタシ。

金曜日。京都東山の古川町商店街で、堀賢太建築設計事務所さん設計で木村工務店で施工したギャラリーと事務所のオープニングがあって、商店街に面した建物前の小さな広場で関係者が集まって飲食を共にした。1階のギャラリーには、商店街から出た廃材を使って大工さんが製作したオブジェが展示されてあった。無類工務店という名前でアートと建築の仕事に携わりながら大工の仕事をしているという。アートを活かした建築と精神的豊かさを得られる空間作りを心がけています。と書かれてあって、京都という「場」ならではの若い大工さんの感性だった。

副業を良しとする大企業が増えてきた昨今。大谷の二刀流もテレビやネットで毎日のように話題になっているし、大工さんも大工仕事とアートという「稼ぐ」だけでない「心」のバランスをとりながら大工としてのより良いライフスタイルを模索しているのだろう。

そうそう今日で3週間に及んだツール・ド・フランスが終わろうとしている。グッとくる場面がいくつもあったとってもドラマチックな大会で、ステージ優勝したほとんどの若者が感極まって涙を流すインタビューを視聴すると、100年以上続くフランスの国技なんだとあらためておもう。ロードレースの世界でも、トップ争いをするヴィンゲゴー、ポガチャル、ワウトなど、平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージと専門職的でなくバランス良く全てをハイレベルでアグレッシブにこなし視聴者を魅了する若い世代の姿は、大谷的な若者の出現が、あちらこちらに同時代性として出現している現象なんだろう。

今回のツールは、誰かと一緒にあーだこーだと語りたくなる衝動にかられる大会だったが、それはそれとして、ワタシ、昔から、ツールへの憧れがひとつあって、それは、キャンピングカーで、フランス国内をキャンプしながらツールのステージを一緒に移動し、山岳ステージで、映像のような人の通路を作って激しく応援する一員になってみたいという楽しみ方。もちろん建築好きなので、フランスの田舎町の集落を巡って食事したいというのも半分。そんな憧れをますます強くさせる今大会だった。

2019年に名古屋のコスモホームさんの企画でヨーロッパ建築ツアーに参加したのはとっても楽しかった経験で、その時フランスで初めてコルビジェのサボア邸を見学できた。ツール・ド・フランスで持続的に放映される空撮によるフランスのまちの映像を眺め続けていると、三角屋根に縦長の窓が等間隔で繰り返される石造りの建物の集落がエエ雰囲気なのだが、それとともにワタシの脳裏ではパリ近郊のサボア邸で見たあの建築のフォルムがフラッシュバックする。ピロティと水平連続窓とフラットルーフの屋上庭園がある白いコンクリート建築。現代の日本人からすればフツウの住宅に見えるというのだけれど、1930年代のフランスで、いや今でも、コルビジェは革新的な建築家だったのだ。とそんな気分でフランスの空撮映像を楽しんでいる。

それはそうとツール・ド・フランスで日本人がステージ優勝する日はやってくるのだろうか。

定期講習

セミが大合唱する季節。そういえば、うちの庭では一週間前の土曜日の朝、一匹のセミが静かにソロ演奏を始めたのが夏を告げる一報だった。前日の金曜日に元総理が銃撃されて亡くなるという衝撃的な事件があった翌朝だったので、もの悲しいファンファーレのように聞こえるのが不思議な感覚だったが、でもなんというか、妙にエモーショナルになりすぎるのも良くないよねぇっていう一喝の鳴き声のようにもおもう。一週間たつと何十匹もの蟬でハーモニックでちょっとうるさく感じる合唱が庭に響いている。

家で過ごす海の記念日。振り返ると2013年の海の記念日から昨年2021年の海の記念日までの9年間連続で、しまなみ海道の生口島にある輪空という宿に泊まって、そこで出会った友人達と自転車で島々を巡るというのがルーティンになっていたが、今年は行けなかった。一ヶ月ちょっと前の日曜日に奈良で自転車に乗っていて、川沿いの自転車道車なんだけど、道路を横断する時に、車との交通事故にあって、左肩甲骨を損傷し、三角巾の生活を余儀なくされた。幸い右利きなので生活と仕事はなんとかフツウっぽくこなせたが、服を着替えたりするのは奥方の多大なるお世話になった。ほんの少しエモーショナルになる時もあったが、淡々と日々のルーティンを守って過ごすコトにした。いまはそれなりに回復基調で、リハビリが始まって、今日は朝から銭湯に通ってリハビリをしながらゆったりと過ごす日曜日となった。

そんなこんなの理由もあるので、先週は一級建築士の3年ごとの定期講習をオンラインで受講することにした。コロナ禍になって、オンラインによるセミナーや講習がフツウのコトになり定着してきたのが進化だなとおもう。郵送されてきたテキストを見ながらパソコン上で講義を視聴するのは気楽で良いし講義時間を小分けに視聴できるのも良いが、試験をどうするのかが、ちょっと不安だった。

事前にこんなスタイルでしますという説明もなく、いきなり定刻にzoomで入り、試験官の方のzoom画面上からの監視のもと、パソコン上に別画面を立ち上げ別サイトから試験用紙を開いて設問に一問ずつ答えていく。紙なら迷う問題は飛ばして後回しに簡単にできるが、パソコン画面上は次へ次への画面移動が基本なので、そういう融通が利かない。配布されたテキストを閲覧することが許されているので、あっちこっち本をめくるのだが、会社でリラックスしすぎているからなのか、歳のせいなのか、なかなか目的のページに辿り着かないワタシ。講習試験会場で一日缶詰で集中した方が良かったような気もする…..。

テキストのなかで最近の法規の改正や建築の動向などが解説されているのだけれど、そのなかで興味をひいたひとつは「木造」というのが、かなりクローズアップされて解説されているのが興味深かった。木造を扱う工務店の立ち位置としては、専門学校や大学で木造を教える授業がもっと増えれば良いのにとおもう。

もうひとつは、「地球温暖化、生物多様性の減退、破棄物問題、大量生産・大量消費の従来型の社会システムから、持続可能な社会システムへの転換」「スクラップアンドビルド型から建物をきちんと維持管理し、長持ちさせ、愛着を持って使っていくストック型の社会への転換」「建替という選択肢でなく耐震改修や設備の更新など維持保全を前提にした対応」「建物・街並の歴史性の継承という観点」などが建築界に求められている。とあらためて明記されているのが目を引いたし、「空き家」なんていうコトバが重要なキーワードになっているのにも感じ入った。

「いいものを作って、きちんと手入れして、長く大切に使う」というテキストのコトバに接すると、工務店としての今までを、社員と一緒にもう一度見つめ直す機会だな。とおもえた定期講習だった。

 

週末の出来事とテレビとツイッター

金曜日。お昼前。安倍元総理が銃撃されたという一報が衝撃的すぎて、お昼一番の仕事を終えるとテレビの前に座りツイッターを眺めリアルタイムで事態を見守った。心肺停止という報道を聞いていても奇跡が起こるのではないかと願う気持ちがそうさせていたのだな。といま振り返るとそうおもう。それにしてもテレビよりツイッター上でのリアルタイムに流れてくる銃撃の動画や手製の銃の写真にリアリティのある報道性を感じ、その後にテレビ画面でその映像の解説を視聴して、なるほど。なんていうSNS的情報の時代性を感じさせる出来事であった。

7月1日からツール・ド・フランスが始まった。昨年JSPORTSのオンデマンド放映で視聴してから今年も夜な夜な「街を空撮で眺める魅力」に引き込まれリアルタイムで視聴しているが、流石に金曜日の夜はツールより報道番組だった。土曜日のお昼休み、パソコンで前日のツールのステージ放映を視聴する。その画面の向こうの庭でマゴ達がプール遊びに興じていた。テレビでは安倍さんの遺体が東京の自宅に帰ったという報道が流れている。午後3時過ぎからは木村工務店の加工場で2ヶ月に一度の「ものづくりセッション」が始まる。明日日曜日は選挙だ。「時」というのは容赦なく流れていくものだなぁ…..なんておもう。

今年のツールはデンマークスタートだった。コペンハーゲンの街や地方の街を空から眺めると、あらためて美しいなぁとおもう。東京五輪の自転車競技での日本の空撮も美しく感じたが、空撮そのものに魔力があるのだろうか。選手が自転車に乗ってコペンハーゲンの街を高速で走る空撮を眺めながら、2017年の8月に息子二人と一緒にベルリンとデンマークを旅した想い出が高速で蘇った。レンタルサイクルを借りて3人でコペンハーゲンの街をブラブラ巡った同じあの道路を自転車選手が高速で駆け抜けている。なんていうのが単純に楽しかったりする。

3人とも建築関係なので、旅の興味はどうしても建築と街になり、自転車にとってもフレンドリーなコペンハーゲンの街はレンタサイクルで街を眺めながら移動するには最高の街だった。空撮を視聴しながら想いだした光景は、自転車を橋の欄干に駐めて眺めたコペンハーゲンの夜景とクリスチャニアというコミューンを訪れた時に門の前に自転車を駐めた映像。デンマークという先進的でモダンな街とヒッピーな街が共存している姿に面白さを感じた。そんな街をロードバイクが超高速で駆け抜け多くのデンマーク人が沿道沿いで熱烈に応援する映像にデンマーク人のエネルギーを感じながら視聴した。

ちなみに3つ前の写真に写るプール遊びをしているマゴは、この旅の時、ベルリンの街で、日本のラーメン屋さんに入るために、行列に並んでいる間に出産が始まり、テーブルにラーメンが出てきた丁度その時に、無事出産の知らせが入った、その時の長男の子供で、こんなに大きく成長する間に、世の中は、ますます予測不能な経済になり、えっっっとおもうような出来事が頻発する世の中になって、「情報」の21世紀なんていうコトバにリアリティがますます増して、それとともに、それぞれ個人の「心」の問題がそこに深く関与しているコトを痛感させられる、この週末の出来事だった。

猛暑日

猛暑日が連続する週。気温35℃が基準だとおもっていたら、もはや40℃を越えたかどうかがニュースの話題になる昨今。朝から30℃近くになると木村工務店の職人さんたちは早朝から事務所でクーラをガンガンかけて体を冷やしてから現場に出て行く。職人さんの多くが空調服を身にまとい仕事しているので、人の気配というよりロボットの気配のようにファンがブワーンブワーンと回転する音とともに近づいてくる感じが、近未来映画的な感覚だなとおもう。

それと近未来小説的感覚になったのが、「エネルギーが安定的に供給されない」という事態。火力発電所が停止していたのだと知る。「安定的に」「安いコストで」「環境に負荷をかけず」「安全に」電力を供給するというのが、カンタンなコトではない課題らしい。供給側と需要側のエネルギーバランスについてようやく真剣に考えるきっかけになった今年の猛暑日。

住宅の省エネの課題は、これまで「断熱等性能等級4」が最高だったのが、ZEH相当といわれる「断熱等性能等級5」というのが新設される。平成28年度基準の家より30%ほど冷暖房エネルギーが省エネになるらしい。化石燃料、原子力燃料、水力・太陽光など自然から得られるエネルギーを一次エネルギーというが、住宅で消費するエネルギーを、この一次エネルギー消費量に換算した「一次エネルギー消費量」という単位があって、基準より10%低い「一次エネルギー消費量等級5」から20%低い「一次エネルギー消費量等級6」が新設される。冷暖房機などの設備機器や家電の消費エネルギーを20%削減する新築が政府の目標値になる。この夏の電力消費を15%削減目標としましょうというのは節約する節電だが、一次エネルギー消費量等級5の家を新築すると、意識的な節約節電せずとも、フツウに快適な日常生活を営むなかで20%節電されているということになり、そういう家づくりに現実感が伴ってきた感じがする。

「まちのえんがわ」の近くに住んでいたデザイナーの通称サッチーが若くして病気で亡くなって一年近くになる。まちのえんがわワークショップにも多大な貢献をしてくれた女性で、そのお母さんがうちの家に尋ねてこられた。あれやこれやと想い出話をする。といってもおもにうちの奥方がサッチーを病院に送ったりしたことがあって、女性同士の会話の中にワタシが少し割り込んで入った感じ。亡くなってから実家のある金沢で開いた個展は反響をよんで全国から多くの人が見に来られて想定以上にポストカードを買って頂いたという。猛暑日のお昼、テーブルの上にポストカードを並べる。その中に、亡くなるほんの数ヶ月前に書いた「妄想春パフェ」という作品があって、観た瞬間、あっ〜食べたい〜爽やかになりたい〜という気分になって舌に涎が湧いてきそうな感覚に陥る。それとともに「はかなさ」「あはれ」みたいな日本的感覚も湧いてきて、お母さんが目の前に座っておられたからだろうポストカードの中にサッチーが生きてるような感覚になった。

あっそうそう「妄」って「亡」+「女」なんだと気付いた。妄想を誘ううだるような猛暑日だった。

人柄

6月なのに夏日が続く今週。クーラーなしではツラい日々。電力需給がひっ迫しているらしい。なので省エネが求められ、原子力発電を再稼働させる必要があるのではと報道で知る。密集市街地のなかで、気温が30度を簡単に何度も超えてくると、パッシブで風通しの良い家でクーラーなしで我慢して暮らすと、熱中症になる確率の方が高くなってきたこの温暖化。やっぱりクーラーを付けざるを得ないのが現状。工務店的には、1台のクーラーで家全体が適温になる断熱気密性能の高い家を造って、快適性も担保しながら1軒あたりの電力消費量を極力少なくする省エネな家づくりが、フツウに目指す方向ではないのかとあらためておもう。そういう省エネな家は、春秋の冷暖房機を付けない時には窓の配置の工夫で風通しの良い快適な家にもなる。

絵本作家の谷口智則さんのワークショップを開催した日曜日。2012年から10年間、年に1回欠かさずワークショップを続けて、コロナ禍のこの3年間も奇跡的に日程調整がうまくいって開催できた。この間、絵本作家として、アーティストとして、イベント開催者として、ワークショップ講師として、カフェ経営者として、セレクトショップ経営者として、ビジネス的にも成功しているのが凄いコトだなとおもう。ひとつの敷地のなかに両親の家を新築しアトリエをリノベーションし家族のために古民家をリフォームして暮らすそのライフスタイルもカッコエエし、こういうバランス感覚を保ち続ける秘訣ってなんなのだろうかとおもう。

毎回夕方6時を過ぎてもお客さんと対峙しながらワークショップを続けて頂いたが、今回はコロナ禍の影響もあっていつもよりは時短で終了した。なので近くのあそび菜さんで飲食を共にする。この予測不能な経済情勢下で、どうやってうまくバランスをとって生きていくか。あそび菜さんのマスターも会話に入りながら、staffのアオキさんや奥方も交じって、あれやこれやと会話が続いた。

土曜日。ミシンを設置できる空き家を探している娘さんとそのお母さんが来社されて近所の空き家を案内する。学生さんが授業が終わってから数人で一緒に夜遅くまでミシンを使用できる場所を借りて作業をしたいという。娘さんが卒業しても、そういう場所を求めている方々のための居場所として運営できたら良いのにねというお話しだった。これってスタバがいうサードスペースとしてのカフェでパソコンでワークするように、ミシンが置かれているサードスペースとしての居場所にコアーな需要があるかもしれず、空き家をミシンの音が伝わらない防音が施された部屋としてリノベーションできるのかどうかという問題も大きいが、それはそれとしてマイホームではまかないきれないそれぞれの趣味嗜好に応じたシエアーできるサードスペースがある「まち」が求められているように感じた。

そうそう今日の谷口さんのワークショップに川田珈琲店が参加してくれた。そのカワタくんは、会社員として勤めながら、日曜日のワークショップに趣味的感覚とボランティア的感覚を交えて皆さんに美味しいドリップ珈琲を提供してくれて10年近くなる。車を持たず中古住宅を購入し一部分は自分で作業もしてリノベーションした家で暮らす、とっても現代的なライフスタイルで、将来的には、子供が好きなので寮母さん的な立ち位置で子供たちを育てる居場所を提供したいという。やっぱりさまざまなスタイルの居場所をいろいろな人が模索しているような気がした。

大谷的二刀流は使い古されたコトバ感になってきたが、それでも二頭も三頭も追いながら多方面の知識を身に付けてバランス良く生きていこうとすることが予測できない経済を乗り越えていくひとつの方法かもしれず。バランス良く生きるにはやっぱり「人柄」のようなものが大切だよね。なんて、あそび菜さんで飛び交ったコトバだった。

空き家とまちの魅力

紫陽花の季節。梅雨入りになった今週。偶然にも「空き家」に関わることが重なった週だった。

その1 集合住宅の中に賃貸住宅を所有する知り合いの会社社長のオーナーが、今現在、空き部屋になっているその所有する住宅の上階の住戸から水漏れが発生し、その保険金が入ってきて、これを機会に改修して、新たに賃貸するかどうか迷っているというご相談だった。古い集合住宅で3DKという、数値的には広そうに感じるが、今の若い人のライフスタイルには到底受け入れがたい変則的な間取りで、ミニキッチンと並列の位置に冷蔵庫置き場がなく、洗濯機置き場もベランダで、最近の間取りに変更すると2DKか3Kとなる大きさの部屋だった。

コロナ禍やウクライナ問題で不透明で不確実で予測不能な世の中になって、そのうえかなりインフレになってしまった建築費の状況下。それなりのお金を投入し回収出来ることが確実かと問われると、現況の間取りとリフォーム費用と家賃収入を勘案すると自信を持ってお勧めできる状況でもなく、なによりも会社が所有するこういう案件は「投資」という視点が大きく、経済の見通しが立つまで、しばらくこのまま様子をみようか…..なんて雰囲気になる。こんな感じで「空き家」として残っている物件も多い。

その2 都市住宅を研究するある企業の研究所のメンバーの方が知り合いだったことで、「都市の縁辺部、(戦前)戦後スプロール市街地の、賃貸住宅オーナー(主に、二世・素人オーナー)の動向や興味を伺いたい」という「空き家カフェ」を運営している立ち位置で語ってほしいという依頼だった。夜のキタに出向く。といっても飲食が伴わない会合。そうそうフツウに人出が多いキタだった。

空き家カフェには賃貸住宅のオーナーの方も参加頂いているが、そういうオーナーのメンタリティーを賃貸したい方々、特に自分達でリフォームして住みたいとおもっている方々に知ってもらうことは大事なコトで。それと反対に、オーナーの方々に、最近の若い世代は、真新しいクロスでリフォームされた壁に、真新しいユニットバスや洗面台が付いている部屋より、古いままでも、自分たちでDIYできる可能性を含めて「私のライフスタイル」に合致するようにリフォームできる部屋もしくはできた部屋を望んでいて、そんな想いを若い人の生の言葉からを知って欲しい。そういう情報交換の場に、不動産関係や建築関係や行政の方々や大学教授などさまざまな立ち位置で、まちに興味のある人達がひとつのテーブルを囲んでコミニケーションをとることができる場に必要性があるかもしれず、その家やそのまちやその界隈の物語が語られ聞ける場が「空き家カフェ」なんだろう…..という話しをした。

その3 空き家になっている小さな文化住宅が近鉄沿線沿いの古い住宅地にあって、オーナーからその建物をなんとかできれば良いのにね。と2年ほど前からお話しを伺っていた。空き家カフェで、生野区にある大きな文化住宅の改修提案の話題が何度も議論されたが、面積が大きすぎて費用対効果を考えるとオーナーの投資への意向が強くないかぎり実施に踏み込めない状況が続いていた。

その時に参加頂いたある建築家の方と話をしているうちに、その小さな文化住宅を紹介することになって、そうすると昭和レトロでカワイイ文化住宅としての魅力がクローズアップされ、自分の事務所をそこで開設し、歩いて行ける距離に総合大学があって、学生が集まって寝泊まりもでき、私たちの文化を考慮した現代的な文化住宅、インキュベーションハウスとしてリノベーションしよう。学校のインターシップとして学生が参加できるプロジェクトとして進めてみよう。というそんな計画をオーナにプレゼンする日だった。

ちなみに建築関係の打ち合わせで、「インキュベーション」とか「アジェンダ」なんていうちょっと気取ったコトバが打ち合わせに登場するようになった昨今で、インキュベーション=起業や新事業の創出を支援し,その成長を促進させること。アジェンダ=これから話し合うために全体の流れ、要点をまとめたもの。結論の決まっていない相互の話合いの場で主に用いられる。ちなみにレジュメ=話される中身の概要。講演会など既に結論や内容が決まっている一方的な情報伝達の場で用いられることが多い。なんていうコトバらしい。なんかカッコエエコトしているような錯覚に陥るカタカナコトバでもある。

その4 今日の日曜日は毎月19日に開催している「空き家カフェ」の日だった。生野区というまちに興味がある方々12名の参加で、そのうちの2名の方は、開設している障害者施設を移転するための空き家をさがす男性と、学生も集まってミシン仕事ができる空き家を探す女性の初参加の方々だった。借家オーナー、不動産、ファイナンシャルプランナー、工務店、行政書士、行政の方、大学教授、まちの拠り所を開設するオーナー、生野区のまちに戻ってこられた方、生野区のまちに新たに住んで地域貢献をしたい方など、さまざまな立ち位置からの発言が語られ聞けるの面白い日曜日の昼下がりだった。

大阪市で生野区が製造業がもっとも多く、自営業者数や家族従業者数も多い、ものづくりのまちで、長屋や戸建て住宅が多く銭湯が最も多い区であり、空き家が最も多い区でもあるらしい。なので、ものづくりの音や匂いなどと住まいが共存できる関係性が周辺住民の合意であることが大切だったりして、「自営業的なものづくりによる良いモノ」と「銭湯のあるくらしに象徴される楽しい暮らし」と「コリアンタウンのような商店街に特徴がある多様な食文化」が、まちの魅力となって、持続可能な「エエまち」として存続できることが「空き家」をなくす最大のコトに繋がるのだろう…..なんて語られる空き家カフェだった。

空き家とまちの魅力を考える週になった。

スポーツ観戦

梅雨が始まりそうなジメッとした雨降る土曜日だったが、日曜日は春らしくカラッとした良い気候になった。奈良でこんな「コーン」を見た。工事現場で工事中に使うあの赤のコーンは目立つが、工事中でない時に注意を促すために使うコーンとして、ちょっと付加するだけで、さまざまなデザインの可能性がありそうで、へぇーっとおもう発見だった。

テレビでさまざまなスポーツの試合が放映される。スポーツを観戦するのが楽しい時もあれば、なんとなく退屈で面白くないなぁとおもってチャンネルを替える時も多々ある。それこそ人それぞれに千差万別の楽しみを持つのだろう。ワタシは野球をテレビ観戦することはほとんどない。大阪人だが阪神タイガースの試合を最初から最後まで観戦したことが全くない。嫌いというわけでもないが、3時間ほどテレビの前に座ったことがないのは、なぜなのかと自分でもおもう。小さい頃奥の座敷で毎晩のように阪神タイガースの野球中継を観戦していた祖父が、皆が集まっている居間にやってくる時は、たいがい阪神が負けている時だった。そういう仕草が面白かったし、そういう楽しみ方ができるのはそれはそれでエエなとおもう。

そういえば、大谷が投手で出る試合を半分ほど見た時がある。Jリーグは見ないけど日本代表のサッカーは観戦しているがあの先日のブラジル戦はどうかな。ラグビーワールドカップは興奮して録画を2回ほど見直したし、リーグ戦は一度視聴した。バスケットもたまにちょとだけ観戦する。オリンピックでのカーリングの面白さがようやくわかってきたが、心配で見てられない時があった。モーグルやクライミングも楽しめた。お正月の駅伝は親父が好きで毎年最初から最後まで観戦していたが、ワタシはここ10年ほどようやく楽しめるようになった。先日のボクシングは生放送を見逃して残念だった。

こんなことつらつら書いたのは、自転車のロードレースを観戦する面白さをまったく理解出来ていなかったし視聴したいとおもったこともなかったが、昨年からJspotsでジロデイタリアとツールドフランスをオンデマンドで放映するようになり、なんとなく視聴しているうちに4時間ほどのレースの楽しみ方がようやく理解できるようになってきた。が、それよりもイタリアやフランスのまちを駆け抜けるその映像が魅力の半分だとおもう。

ジロデイタリアは先週3週間に及ぶ競技を終えて旅した気分になったが、ジェノバの街を走り抜ける映像では、解説者も語っていたが、神戸の街に似ているなぁとおもった。最終日はベローナで、円形の古代の競技場に入ってくる演出などカッコエエのだが、それより自分の旅の想い出と重なったりするのが面白い。あの競技場の前の広場でビール飲んだよなとか。その時の旅の目的は、カルロ・スカルパが設計したカステルベッキオ博物館を見学することだった。お城を博物館に改装するために最小限の要素だけを付加し古いものと新しいものを一体化するセンスに感心したことを思いだした。

ロードレースを観戦しながら旅気分を味わったり、旅の想い出が走馬灯のようにフラッシュバックするのが楽しいのだと思う。

「チャレンジ」

住宅相談会があった日曜日。赤ちゃんと3歳のお子さん二人連れで来社された若いご夫婦は、大阪市内のある特定の密集市街地で、中古住宅を購入しリフォームをしたいというご希望だった。ライフスタイルとして車は所有するつもりがないので駐車場は必要なく、2階建ての長屋でよいのだと仰る。再建築不可の一戸建て物件にも興味を持たれて、土地を含めた中古住宅の購入価格帯を1000万円以下に絞り快適なリフォームをする予算感覚だった。

現代的なチャレンジだなぁ…..とおもう。都会での土地を購入してからの新築費はますます高騰する世の中になって、子育て世代がファミリーで住める2LDK以上の賃貸住宅の月額もそこそこの金額で物件数もかなり少ない。密集市街地の「空き家」になっている中古住宅を購入しリフォームして、都会で自分たちなりのライフスタイルを楽しみたい世代の、切り捨てるライフスタイルのひとつが車を所有するというコトで、そんな若い世代でないと、お気に入りの密集市街地の「空き家」は再活用されないだろうな。とあらためて考えさせられた。乳母車を押しながら子供の手を引いて、「オンデマンドバス」を行きと帰りに予約して弊社の相談会に参加されたスタイルからしても、「カッコエエ」とおもう。

堀江謙一さんがヨットで太平洋横断を最高齢で達成されたホームページをしげしげと眺める。「カッコエエ」な。若い時は最年少で太平洋を西宮からサンフランシスコにヨットで行き、最高齢でサンフランシスコから西宮に戻る。ホームページには日々のリアルタイムのヨットの位置が更新され、リアルタイムの航海日記にリアリティとハートがあってついつい読んでしまう。「精神と肉体は完全燃焼しましたが、青春まっただ中でこれからも頑張ります」と先ほどテレビで視聴したインタビューで答えておられた。建築家の安藤さんや秋山さんも同じような80歳前後の世代で「チャレンジ」し続ける姿を皆とシエアーする様子に刺激を受ける。

そうそう、堀江さんが日記のなかでアマチュア無線による交信が楽しみのひとつであると仰っていた。ワタシも中学2年生の時に免許を取得して高校生2年生頃まで楽しんで、長期の中断があり、30歳前後に2年ほど復活したが、いまはまったく休止している。堀江さんの航海中に交信できたら楽しかったかも。

↓ 今は残骸のように残るキットで組み立てたミズホのアマチュア無線機

SNSの世の中になって不特定多数の方々と繋がりを持つのにアマチュア無線は前時代的だが、インターネットが繋がらない洋上と繋がる面白さがあり、文字でなく声「voice」で繋がるのが面白いのだとおもう。それに大気の磁気現象などに交信の影響を受けたりするのが面白かったりして、中高生の頃に楽しんだ50MHz帯では、普段は関西圏ぐらいしか通信できないのに、5月から8月頃の夕刻になると時折Eスポ(スポラディックE層)という現象が派生し、突然、北海道と交信できるようになる時間帯が数時間続き、その現象が面白くて、学校から早々に帰り、北海道と繋がる楽しみを追いかけた時期があった。きまぐれな「未知との交信」という感覚が楽しかったのだとおもう。

↑ そういえば、先週。施工した「コトバノイエ」で、施主の加藤さんが主催する、ポエトリーリーディングのイベント「the night of voice 05」が催され、夫婦で参加する。飲食のあと、8人の朗読者による「voice」を聴く。それぞれが題材にした朗読による「voice」に、それぞれの経験や生き様が聞こえてくるような感覚が面白いし、夕刻になって、それぞれの「voice」によって「静けさ」を体感する感覚は、芭蕉の俳句のような世界でもあり、「無」から生ずる「voice」のようでもあって、老子的や禅的な感覚も楽しんだ。コミュニティー的な雰囲気を含めてカトウさんのチャレンジングな「the night 」だった。

明日香の古墳と二上山

5月なのに夏日の日曜日。こんなタイミングで自転車に乗ってしまったことに昼前頃から後悔の念が浮かんできて、昼過ぎてからは暑さでアップアップする。サイクルコンピューターのガーミンの記録を後で確認すると、最高温度は42℃になっていた。どおりで、しんどいはずだ。

帰り道の竹之内街道沿いで脱水症状ぽくなって水分補給をしようと自販機を探す。なんとなくこの自販機ではなくと通り過ごす。また次もスルーする。4つほどの自販機をスルーして、さしたる意図もなくその自販機の前に自転車を止め、サドルに股がったままジュースを買う。何気に前方をみると5mぐらい先にお地蔵さんとポケットパークの木陰があって、買ったジュースをそこでほんとにガブガブ飲んで暫し休憩した。喉も潤い涼しくて助かった感がし、隣のお地蔵さんの案内版をみると、役行者が旅人のために水場を探り当て、街道を往き来する旅人はここでしばし道中の安全を祈り喉を潤した。と書かれてあった。役行者に助けられた気分になった。

明日香には一年に2回ほど自転車で訪問する。何回訪れてもあの周辺のランドスケープと空気感は独特で好きだな。今回は「牽牛子塚古墳」(けんごしづかこふん)と読むらしいが、その完成したばかりの古墳を見たかった。八角形で凝灰岩(昔は二上山産)の切石だという。遠くから見ても「白い」。漆喰の白でもなく、ペンキの白でもなく、いまの時代でもモダンに感じるつや消しの白だ。宇宙船のようだ。当時のひとも、古くさく感じるようになってきた土で覆われた前方後円墳でなく、その当時のモダンな建造物を作って人々を魅了させたかったのだろう。と考えることにした。

↑石舞台と二上山

明日香の古墳で気になることは二上山との関係で、大阪側からみる朝日が登る二上山の雰囲気と奈良側から見る夕日が沈む二上山の雰囲気はまったく違う。古墳と二上山に沈む夕日はとっても良い取り合わせにおもえて、今回訪れたキトラ古墳もこの牽牛子塚古墳も裏山の木々がなかったら二上山が見えて、二上山からの夕日が、この凝灰岩のつや消しの白に吸い込まれ、独特のオレンジ色を発色をする八角形の建造物の姿を想像してみた。

想像力も朦朧とする暑い日曜日だったな…

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