ニンテンドーとマキタ

M1グランプリ2022決勝とFIFAワールドカップカタール2022決勝がある日曜日。それにしても寒い!

M1のトップバッターに出てきたカベポスターがポケットモンスターというコトバを発した途端、昨日の土曜日のコトを思い出した。クリスマスと誕生日が重なる木村家の12月。マゴ2人を連れて奥方と4人で百貨店のおもちゃ売り場に行く。ポーネルンドでおもちゃを買うつもりなのは両親とGジィBァバァだけなんだろう。マゴ二人はポーネルンド売り場には見向きもせず隣にあるポケモン売り場に一目散に走り込んで興奮気味。海外のお客さんを含めて行列が出来る人気ぶりに驚いてアタフタしているGとB。

ポケモンメザスタというゲームがあるらしくそこに手を繋いで引っ張られていく。やったことあるのぉ。と聞くと、YouTubeで勉強してるから大丈夫だという。初めてらしいがゆーちゅーぶでイメトレしてたらしい。恐るべし今の子供達。友達からもらったというメダル数枚を置いて早く100円頂戴という。最近ほとんどカードやペイペイ支払になって現金の持ち合わせが少ないので財布に小銭があるかどうかアタフタ心配しながら探しだして100円渡す。対戦ゲームらしいがよぉーわからんのだ。とにかくエータイミングでゲームがまた100円を要求してくるのだ。あるぅと聞いてくる。あと3枚あるでぇと返す。早く入れてぇという。こんなのが何回も続き500円硬貨も両替し、あっっという間に何枚ものワタシの100円が吸い込まれていった。恐るべしニンテンドー。

そんなこと書きながらテレビを見ているうちにM1の優勝者が決まった。何度もM1を見ていると審査員の立場になって点数を付けてそれぞれの審査員の点数と比べてみたりするワタシがいて、フツウに笑って楽しめるだけでエエような気もするが、笑いに点数を付けるというのがムツカシイし、三択というのもムツカシイし、ファイナルはワタシは「さや香」でした。男性ブランコの音符運びのネタもワタシの印象に残ったが、笑いより審査というのを楽しむ傾向が増してきたように感じる。なんだかんだ言っても「笑い」とか「ユーモア」は生きるためにも大切な要素だと感じながら歳を積み重ねてきたような気がする。

寒さが増して落ち葉の掃除も徐々に終わりに近づいてきたが、今年の落ち葉掃除に新しい道具を導入した。「マキタの送風機」で、木村工務店の植木屋さんの海平造園のウミヒラくんは、古くさ〜い植木屋さんの最近の道具の進化は、アルミの脚立とこの送風機だという。ウミヒラくんの奨めで使うことになった。プロは柄の短いヤツを付けているがアマチュアのワタシは腰を屈めるのが少なくてすむ柄の長いヤツ。掃除のやり方に変化がうまれる。箒を持つ前に、まず葉っぱを吹き飛ばすのだ。その作業が何となくゲーム感覚に近いとおもう。ニンテンドーのスプラトゥーンというゲームが流行っているらしくインクを塗って縄張り争いをするらしい。やったことはないが、そういう単純なゲームが面白そうにおもう。送風機を使って落ち葉を吹き飛ばしどこかの角に上手く寄せるゲームみたいで、葉っぱを吹き飛ばすのを邪魔する木の根っことか枝の集まったところなど障害と闘いながら楽しむ感覚なのだ。スプラトゥーンのような落ち葉飛ばし。

あっそうそう。布施のなにわ健康ランド湯ートピアのサウナに入ると熱波師がそのマキタの送付機を使って熱風を操っていた。最初はえっって驚いたが、タオルを優雅に振り回すタオルさばきのカッコ良さもあるが、これはこれで現代的でオモロイ。新しい漫才のようだな。ついでに会社事務所の掃除はマキタの掃除機にサイクロンのアタッチメントを取り付けて掃除している。大工のベッショくんが、数年前のある日シャチョウこれ付けた方が良いですよとサイクロンを奨めてくれてそれ以来使っている。木屑などは掃除しないので、事務所掃除ならこれはとっても便利。ゲームも掃除も熱波も革命的ではないものの微妙な進化があり、道具によって掃除もゲーム感覚になってきたように思うし、子供の学びを兼ねた遊び道具もとっても変化していることに気付かされた土曜日だった。

さてこれからFIFAワールドカップカタール2022決勝フランス対アルゼンチンが始まる。どんな試合になるのかちょっと楽しみだな。

自然と人間の関係性

「まちのえんがわ」で「カレーと珈琲とケーキと古本」を販売した日曜日。来年の3月からそういうお店として定期的にオープンしながら、町の縁側としてのコミュニケーションを誘発し、新たな繋がりが生まれることを願って準備段階の営業をやってみた。穏やかな気温だったので、顔見知りの方々や初めての方々と外で食事をし珈琲飲んでコミュニケーションをするのは楽しいことだなとあらためておもう。

そうそう加工場で「ものづくりセッション」が開催された土曜日。毎回、行政のタケダさんと共に司会進行のお手伝いをしているのだけれど、今回はワタシも発表者としてエントリーすることになった。↓タケダさんから拝借した写真。

自然と人間の関係性をデザインすることをランドスケープデザインというらしい。ランドスケープというコトバが景観や眺望や風景という漢字よりなんとなくカッコエエ響きに感じるのだけれど、そんなことよりワタシはどんなふうに「自然」と「人間」の「関係性」を体験し考えてきたのかと軽やかに自問自答してみることにし、それをプレゼンすることにした。理想的にはそういう経験や想像力をデザインにまで落とし込めるのがエエのだろうがそれはなかなかムツカシイコト。

前々回のブログに書いた京セラ美術館前の広場に行くとパリのポンピドーセンター前の広場での身体的感覚とその時一緒に同行した方々との共有体験としての想い出が蘇って楽しかったなぁと想い出に浸る。それと同時にイタリアのシエナのカンポ広場に世界各国の多くの観光客と一緒に長男と二人で何の目的もなくただただ座わった日のコトと、照りつける太陽の光とが一緒に蘇った。それらの3つの広場は入り口に向かってゆるやかに傾斜するデザインになっていた。この3つには緑はないけれど、建築に囲まれたオープンスペースという場を媒介にして、太陽光や風や匂いなどの自然と人間の五感や記憶やコミュニケーションなどの何かに働きかける魅力があって、自然と人間の関係性と、そういうことを如何にデザインするのかを考えさせられた…..。

なんていう話をしたが、40人ほどのうち建築関係の人はほとんどいないので、先週のブログに登場した石井修さんの一連の建築などは、まさに自然と人間の関係性をデザインする建築なのだろうが、そんな体験を語ることはなかった。それより今年の夏旅で縄文ランドスケープでの体験を通じて、オープンスペースや通路を共有するキャンプ的な感覚は、これからの家づくりとまち並に必要とされるのか、どんなことを共有するのがエエのか問いかけてみることにした。キャンプを通じてテントで体験する気密と断熱の話とか。サウナの水風呂を通じて人の体表面にできる衣を境膜というらしくそこに水流が加わると境膜は破壊され急激に冷たく感じるそんな温熱環境的な体験とか。ウチとソトがつながる縁側的な場所の話とか。そういう自然と人間の関係性による体験をプレゼンすることにした。

木村家の85年ほどにわたる持続的に時間軸を重ねたリフォームによって生み出されたオープンスペースとしての庭。そのスペースをシエアーし皆で共有しようとした2010年から5年間にわたる木村家本舗という試みは、あるいみ自然と人間の関係性を考えてみるイベントでもあったようにおもうし、それが「まちのえんがわ」オープンにつながったわけで、その「まちのえんがわ」を通じて行政との関係性ができ「ものづくりセッション」の開催にも繋がって、それゆえに木村家と木村工務店の変遷をプレゼンする機会にもなった。

サッカーワールドカップを通じて、「組織的なプレス」に共感するところがあって、組織的に相手選手に「まとわりつく」ことによって相手を動きにくくする姿をみて、なぜかふとビックス粒子の「まとわりつく」という話を思い出した。動きにくさが物質に質量・重さを与えているという話しに、へぇーと感じた日のことが蘇ってくるとともに「まとわりつくもの」があり、それと共に歩むがゆえに、重さがあるがゆえに、「生きる」という感覚もあるのだなぁ。とおもえる歳を重ねてきたようにもおもうし、そういうものから「軽やか」になりたい気分の時や軽やかになる必要性に迫られる時もあって、そういう時に「自然」が解毒剤のようになりワタシに「まとわりつく何か」から軽やかにしてくれていたようにおもえた。

ワタシに「まとわりついている何か」を軽やかに考えて、ワタシのつぶやきのようなそのプレゼンに耳を傾けてくれた「ものづくりセッション」参加者の方々に Thanks!

ゲーゲンプレス

毎朝NHKラジオが目覚まし代わりで定時にスイッチオンになる。金曜日の早朝、枕元で、日本勝ちました!と興奮気味の声がアナウンスされる。えっっ!と思い喜びの感情より先に驚きの感情が渦巻いて事態を知ろうとテレビをつけるとワールドカップ日本代表がスペイン戦に勝利した瞬間だった。どんなふうに点数を入れられ、どんなふうに点数を取ったのか理解しないまま森保監督のインタビューに聞きいった。

午前中の仕事の合間にamebaTVの日本VSスペインのダイジェストを視聴して、お昼休みにamebaTV「見逃した試合をフルで楽しもう」で観戦する。本田圭介の解説がオモロイしサッカーが理解しやすくなってエエよね。それよりスタジオ出演した日向坂46の影山優佳というアイドルが「あなたのハートにゲーゲンプレス」と挨拶した。その後の本田圭佑とのやり取りも面白いのだが、「ゲーゲンプレス」って何っ!ておもう。

確かドイツの…..とおもいながらググると、「ハイプレスをする日本は、相手にボールを持たれた時に組織的に構えて高い位置で取りに行こうという全体の戦術があります。一方のドイツはゲーゲンプレス、これは「プレスに対抗するプレス」という意味で、取られた瞬間にボールを奪いに行く戦術です。奪われた瞬間にボールを奪い返すプレスです」なるほどそういう戦術なのか。「ハートにゲーゲンプレス」するとは「あなたのハートを奪いに行く積極的な動きを見せますよ」という表現らしい。ま、それはそれとして、ハイプレスもゲーゲンプレスも「組織的にプレスをかける」という部分に共感できるし、ビジネスの世界でも「お客さまのハートを奪う積極的で組織的なプレス(動き)」っていう表現が脳裏をかすめていった…..。

先週の土曜日。兵庫県立美術館で開催されていた石井修生誕100周年記念展に行く。石井修さん最後の建築になった「目神山22」の施工を担当させて頂いたご縁もあって、会場に入ると建築家の竹原さんがいらっしゃたので二言三言会話をし、石井修さんのビデオから流れるお声とぼくとつとした温和な語り口を懐かしみながら見入っていると、突然竹原さんのちょっとしたレクチャーが始まった。所員時代の想い出話などとっても興味深かったが「答えを云わず考えさせる」「粘り強い」「緑」「斜面地」「混構造」などのコトバが脳の片隅でまとわりついた。

とっても良く出来た回帰草庵の模型の向こうに回帰草庵のダイニングテーブルが置いてあって、あのテーブルに座って目神山22の家の請負契約を結んだ日のコトやその時の石井修さんの声と雰囲気を想いだした。あっそれと、緑の草が乗っていない竣工当時の草屋根の模型を見ていたら、石井修さんが亡くなられた後のある日、息子さんの石井良平さんのお誘いで何人かで回帰草庵の草屋根の上で、石井良平さん自ら串を刺し自らが焼いてくれるヤネメシという食事会があって、とっても気分良くヨパラッタ写真家のタダユウコさんが草屋根と屋根のない部分の間にはまり込んで大きな笑いが巻き起こったその日のコトを思い出した。どこに落ちたのだっけ。こんな屋根の構造だったのだな。と眺めた。


竹原さんのレクチャーで、石井修さんが書かれた「花と緑があれば 目神山の四季」という良い文章があるので是非写メを撮って読んでください。というサジェスチョンがあった。歳を重ねてようやく「花と緑」に親近感が湧くようになったワタシ。5月始まりで4月の桜で終わる構成がカッコエエ。随所に心地良い「プレス」がかかった心地良い展覧会だった。

一喜一憂

サッカーワールドカップ初戦ドイツとの前半戦でドイツのペナルティーキックが入ると、あ〜ぁとおもい居間の大画面のテレビをぷぃっと消して寝室の小さなテレビで寝ながら見ることに切り替えた。後半戦が始まるとなんとなく日本チームの雰囲気が変わって、いままで、ながら視聴していたのが徐々に乗り気味になってきた。同点のゴールが入るとグッと画面への集中力が増し、あの逆転ゴールが決まった瞬間布団をはねのけてヤッタァーと叫び声まで出た。ロスタイムは画面にとっても集中して緊張していたワタシ。

前回のブログに書いたヘッドライトのマイルストーンさんの上棟式があって、現場に行く道中の車の中で同乗していた工事部長のトミマスくんが「シャチョウ、祭日に京都の二年坂を歩いてませんでしたか!」と聞いてきた。「えっ!なんで知ってるのぉ!」と驚きを交えて聞き返すと、トミマスくんの息子さんの友達のSNSにシャチョウに似た人の写真が写っていたので、ムスコが「これぇ木村工務店のシャチョウさんと違う!」と写真を見せてきて、「ほんま似てるなぁ!」って話題になっていたのです。という。

確かにその日二年坂近くのイタリアンを予約していて奥方と食べに行く道中だった。本当は朝から京都に出掛けてそれも自転車でブラブラ紅葉散策しながらイタリアンを食べる予定だったのに、生憎、朝から雨模様だったので切り替えて朝風呂行ってお昼過ぎから電車で京都に向かい紅葉散策しながらイタリアンを食べる予定に変更した。初めて京阪電車のプレミアムシートに500円だして乗車したがこんなに快適だと知らなかった。京都からの帰りはいつも満員電車で立つことも多いのでこんな紅葉の時期に電車で京都に行くのは苦痛だったが、プレミアムシートなら電車で京都もありだな。そんなことよりSNSはコワイねぇ!

京都散策の道すがら。改修された京セラ美術館を見たが、既存の建物を残して地下を掘ったらしく、それがイタリアのカンポ広場のようであり、フランスのポンピドーセンター前広場のようでもあり、とっても良い雰囲気の広場ができてエエなぁ…..とおもった。最近、展示を見るためには予約が必要で、軽やかに美術を見て、軽やかに別の場所に移動して、なんて出来にくい。赤い鳥居を挟んで真向かいにある槇文彦さん設計の京都国立近代美術館が寂しげな雰囲気に感じられた。数十年前に開館してしばらくしてから訪れた時、建物内部の窓から眺める赤い鳥居がとってもドラマチックで印象的だったが、その背後にあったうらぶれたオールドなレンガ模様の建物が今や主役になって、若い人がいっぱいで、それが面白い出来事だとおもう。

紅葉の時に京都のお寺を訪れたことがない。というよりいままでいろいろな門前は何度も通過しているが、あまり内部に入ったことがない。雨が止んでいたので京セラ美術館から二年坂近くのイタリアンまで歩くコトにしたのは一日雨予報で観光客が少なかったからだとおもう。道中の高台寺の本堂は工事中で観光客がまばらだったので見学することにした。いや、それが、職業柄その「足場」が気になるのだ。お寺の本堂を改修する時に「素屋根」という足場で建物を覆うのだが、それがなかなか技術が必要でムツカシく、そういうのが気になるのだ。綺麗な足場組にワタシの心が惹かれて足場越しの紅葉の写真を何枚も撮っていたら奥方が何を撮ってるのぉ!へん!とツッコミが入った。

このブログを書きながらサッカーワールドカップ第二戦のコスタリカ戦を観戦する。ながら視聴しているワタシにもイヤなストレスかかる試合だった。前半からアノ選手とアノ選手を交代させろ!なんて好き勝手にほざいているワタシがいて、コスタリカに点を許すと、奥方はもぉ見るのんやめた!とテレビを消して呆れて去っていった。試合が終了すると、あ〜ぁ。負けたなぁ。しゃぁないわ!とブツクサ呟きながら戻ってきたが、選手も監督も頑張っているのにワタシも含めて視聴者とはこんなものなのだ。一喜一憂とはこんなことを云うのだな。

「脳に騙されず脳を騙す」

雨降って、落ち葉がいっぱい。美しい。でも掃除がタイヘンな季節だな。

「TJAR2022」は「トランスジャパンアルプスレース2022」の略らしいが、そのレースのドキュメンタリー番組「激走! 日本アルプス大縦断 2022」がNHKBSで2週間に渡って土曜日に放送されたのが先週と先々週のこと。前編を何気に見ると感動的で、長男家族と一緒に食事をした時にその録画を見せると、一緒に感動を共有できて、その後編を皆で一緒に視聴しようということになった。それぐらい小学生からシニア世代までの幅広い年代層を虜にする魅力があったのだろう。

オリンピックとかワールドカップとかそんなのは家族一緒に視聴したことがあったが、番組が始まる前に、うちの家の居間のテレビ前にゾロゾロ集まってきて、それぞれの居場所に座って一緒にトレイルランニングのスペシャル番組を視聴する。なんていう現象はとっても珍しいことだとおもう。そういえば、うちの居間に長男とその家族や次男が集まってくると、奥方や私も含めて、それぞれにとって居心地の良い居場所がなんとなく発生し、それぞれの定位置ができたりするのが、建築の現象としてとっても面白いなぁとおもう。

そのレースで、圧倒的なパフォーマンスでチャンピオンになった土井選手は、ヘッドライトにマイルストーンという製品を使用していて、いまそのマイルストーンの倉庫と事務所とプレゼンテーション的な場所を新築工事中で、土井さんは、そのアドバイザーも兼任しているらしく、そんな「縁」が応援度を強めていたのだとおもう。「一日一アルプス」というコトバが生まれたらしいが、一日で北アルプス、一日で南アルプスを越えたという。

運動能力としての圧倒的パフォーマンスが凄いのだが、彼が発するコトバも示唆に富んでいて、「” 脳に騙されず、脳を騙す “これまで経験してきたウルトラディスタンスで学んだことのひとつ。疲労が重なったとき、脳は防衛反応で身体を止めようと傾く。睡眠はそれをニュートラルに戻す。短時間の睡眠だけでも回復する(気になっている)のはそのせいだ。全て仮説だけど。だからウルトラディスタンスで意識することは、脳と上手く付き合うこと。限界を超える方法の1つと考えている。」なんてとっても魅力的なコトバだな。

「よく「長く動き続けられる動物は人間くらいだ」と言われていますよね。つまり人間はいい意味でも悪い意味でも、日常では脳で行動を制御してしまう。その制御装置を緩めれば、人間にももっと可能性が生まれるのかなと思います。あくまで持論ですが。」面白いコトバ遣いだなぁとおもう。そういえば「痛みが心の起源」というタイトルのNHKBSのヒューマニエンスという番組を視聴したことがあるが、「「痛み」は、もっとも原始的な感覚だ。このシステムこそ、実は「心の起源」なのではないかと研究者は言う。例えば、痛みは意外といい加減。脳の受け止め方次第でその感じ方が変化する。痛みは傷ついた患部ではなく、脳が生み出した、自身の危険を伝える警報信号だからだ。脳が生み出す感覚のため、失恋などで心が傷ついたときも、体が傷ついたときも脳は同じ反応をしていることもわかってきた。痛みと心の不思議な関係を妄想する」なんて番組説明にあったが、双方に共通する何かを感じる。

番組終了後、小学生低学年のマゴが父親に向かって、お父さんも出場したらどぉ!と軽やかにコトバを発し、父親がその言葉に詰まりながら、そんなん絶対無理やわ!と切り返すものの、マゴは腑に落ちず、誰もが挑戦できそうなイメージと憧れを抱かさせる、そんな土井さんの姿と他の参加者の人間の限界を超えていくパフォーマンにワタシも感動したが、それは「身体と脳と心の関係性と付き合い方」の実験を見ているようでもあった。

そうそうテレビ番組上ではなくネット上で知ったことだが、このレースのために荷物を軽量化するための道具と食料のチョイスと工夫にも興味深いところが沢山あった。建築という建物のスピーディーな完成を目指す「現場監督」にとっても参考になるような気がするなぁ。

「カスタマイズ」

雨降る日曜日。たまの雨もエエ感じ。雨降りだから本でも読もう。なんて気分になるのかと想っていたら、そうそう今日は生野祭りがあって、今回から運営者が変更になったようで、いままで何十年も裏方としてステージを作っていたその作業がなくなったが、知り合いの出店や運営のスタッフの方々にお声がけに行こうとおもっていた。そしたら水圧転写ワークショップの「ビッグワンズ」のマツイくんからメッセージが来て「自転車のチェーンカバーの塗装が完成したのでお昼から持って行きます!」ということだった。

自転車の話題が続いてしまうが、「ブロンプトン」を購入すると、乗るという楽しみだけでなく自転車を「カスタマイズ」するというコトに面白さがありそうだった。2段変速、3段変速、6段変速の選択肢があるなかで、ワタシは2段変速をチョイスし自分の脚力にあったギアー比に多段化する楽しみを段階的に楽しんでみようと考えた。純正のフロントのチェーンリングが「54」リアのギアー比が「12」「16」で、何週間か乗ってみると、「54と12」の組み合わせはワタシの今の年齢と脚力では重すぎて踏みきれなかった。それでリアーのギア比を多段化する前にフロントのチェーンリングを「50」に交換することにした。

そのチェーンリングにチェーンカバーというのが付いていて、その色が「黒」だった。販売店の方にうかがうと、これはアルミではなくプラスチック製品で「シルバー」色はないのですという返事で、確かにネットで調べてもなさそうだった。別に大した問題でもないのだが、遊びとして、それならチェーンカバーを外しタイヤのアルミの泥よけカバーも外して、ロードバイクのようなタイヤむき出しの精悍なスタイルにしようかとおもいながら、実物の自転車を夜な夜なしげしげと眺めていたら、ブロンプトンのフレームや純正部品ってブサカワイイ(ちょっとブサイクだけどなんだかカワイイ)デザインでデザイナーだなとおもえてきた。

よくみるとアルミの泥よけカバーのデザインもそれなりのデザインに考慮されているのだ。チェーンカバーのデザインもチェーンリングとの組み合わせでそれなりのデザインになっていてロードバイクなら必要とまったくおもわないチェーンカバーと泥よけカバーだが、ブサカワイイのだ。なら今回はそれを残すというチョイスにすると、やっぱりカバー類はシルバー色に統一した方がエエ感じにおもえた。何度も言い訳がましいのですが、黒のママでも無しのママでもどっちでもエエし、ほんとに個人的な趣味と感覚のお遊びなんですが、そんなカスタマイズ的なことをすると道具に「愛着」が湧いて「友達」のようになるのが楽しいのだとおもうのです。じゃぁチェーンカバーをどこかでシルバー塗装に出来ないものか…..と考えていた時に、偶然、水圧転写のワークショップの日がやってきた。

ワークショップが始まる前の昼食としてB級グルメ布施のサニヤンの焼きそばをテークアウトして一緒に食べながら雑談をしていた時、あっそうそう…..と、マツイくんに話題として持ちかけるため家から折りたたみ自転車を運んできて「このチェーンカバーが黒で、シルバー塗装ってできないものかなぁ。もちろんお金ちゃんと払うので」と尋ねると「一度会社に持ち帰ってどんなタイプのプラスチックか調べて下地処理がうまくいくのならチェーンリングと同じアルミ色にできるかもしれません」という快い返事が返ってきて、おもわず笑みがこぼれまくっていたワタシ。マツイくんとほぼ同じ歳の専務(長男)もワークショップサポートのために同席していたので、手伝ってもらいながらその場でチェーンカバーを外した。

お昼3時過ぎて雨が止んで、マツイくんが巽から自転車に乗ってうちの家まで完成品を持ってきてくれた。その場でチェーンカバーを取り付けて出来具合とか塗装によるひずみがないかお互いに確認する。もとの黒色のチェーンカバーにあったブロンプトンのデザインされたマークも消えずにそのまま残っていて、おもわずニヤニヤしているワタシ。奥方が奥から出てきて、えっ!どこが違うん!どこぉ!ふぅぅん!。もはやこの時のワタシにとっては褒め言葉でした。奥方も交えて珈琲を一緒に飲みながらあれやこれやと雑談をして「こんなのが『仕事』に発展したら良いのにねぇ」「住宅建築もカスタマイズの時代かもね」と語りあいながらこれまでの経歴を聞いたりしているうちに午後4時を回った。

あっそうそう生野祭りに行かねば…..。早くいかないと撤収しているかも…..と言われながら、玄関でマツイくんと別れて、シルバーのチェーンカバーを取り付けたばかりのブロンプトンで生野祭りの会場に向かう。会場の手前から閑散としたムードにあれぇとおもいながらロート製薬本社裏の会場に到着すると、もうすでに業者が来て舞台やテントの撤収作業をしているシチュエーションだった。

そんなこんなの雨の日曜日になった。

玄関に折りたたみ自転車という選択肢

自転車でブラブラ散策するのにとっても良い季節。奥方と二人で大阪城まで自転車で散策しどこかでランチしようということになった文化の日。

前回のブログに自転車のコトを書いたが、ワタシ、街乗りは電動ママチャリを愛用していた。奥方は買い物に自転車で5分の布施にその電動ママチャリを借りるわょ!といって使うことはあったが、車大好きなので、自分の愛車で身軽に運転し買い物にでかけていた。結婚以来、自分の車を持ち続け、次にどんな車を買うか車を迷う楽しみを楽しんでいる姿に何度も遭遇した。ワタシは、恥ずかしながら、いままで車のディーラーに行って車を試乗したこともセールスを受けたこともなく、今乗っている車はインターネット上の資料とYouTube上のその車に乗った感想を参考にして、まったく試乗せずに買った。とはいっても車を運転すること、特に長距離を運転することは好きなのだ。

で、そんな奥方が、コロナ以降、健康のため運動のためと称してその電動ママチャリを使う頻度が急激に増えだした。ワタシは生野区役所など近隣を用事で行く時には電動ママチャリを愛用していたが、そんな時と重なって小競り合いが勃発することが増えた。最近は電動ママチャリって、どこまでも行けて楽しいよね!と言い出す始末で、大阪城前にあるキューズモールまで電動ママチャリで行ってトレーニングや買い物をする日々がどんどん増えている。

かなり前のブログでも書いたが、ワタシの書斎だった場所が徐々に侵攻され今は完全に奥方の領土になってしまったが、代わりに食卓のテーブルの端にMacを置くことが容認されて、そこがワタシの居場所になった。それはデザインとしてテーブルに置かれているMacがカワイイと奥方の好みに合ったからだとおもう。この事例を考慮すると、電動ママチャリも奥方に明け渡すことになる日が急速に近づいているのは明白で、さて新しく買うワタシ用の街乗り自転車はどうすれば良いだろうか…..と悩んでみる。

住宅設計で車の駐車スペースを設計するのは案外ムツカシイテーマだとおもうが、自転車置き場も本気で設計するとやっぱりムツカシイテーマだとおもう。ただ自転車はなんとなく駐めることができるので成り行き任せみたいなところもあって、うちの家がある生野区のような密集市街地での自転車置き場は誰もが苦労していて、最近の電動ママチャリはホイルベースが長いので、なお苦労する。仕方なく「道路」を利用しているところも多いとおもう。うちの場合は自宅の道路を隔てた前に会社があってそこに電動自転車置き場がある。ちなみにロードバイクを中心に自転車で通勤している社員が6名ほどいて、自転車置き場もメーいっぱいな状況でもあった。

そんなこんなで「ブロンプトン」という英国生まれの折りたたみ自転車を購入する事になった。これにはあるべつの偶然が作用したのだがその話はまた何時か。うちの家をリフォームした時、玄関にロードバイクを置くためにその置き方のデザインを考慮して自転車を置こうと画策したが、奥方の猛反発に屈し、庭の軒下の隠れた隅っこに置く事になった。今回はちょい乗り的に頻繁に乗る自転車を庭に置くのも不便で家の玄関に置けるのが最良なのだが、玄関の大きさと普通の自転車の大きさのバランスをどう設計的に考えてもうまくいきそうになかった。

以前からインターネット上では気にはなっていた折りたたみ自転車「ブロンプトン」なのだが、ある日曜日の夕方、ロードバイクで散歩している途中、偶然その販売店の近くを通ってふらっと立ち寄る。車は試乗したことないのに、そのブロンプトンという自転車に試乗してみると、よく走るのに驚いた。電動でなくても大丈夫そう。なによりも折りたたみの素早さ快適さが秀逸でその折りたたんだ姿がとってもカワイイかった。でその場で即決することになった。

家に持ち帰り、最初はワタシもけなげに庭の軒下に折りたたんで置いて袋に入れていたが、数日して家の玄関にそぉっっとその自転車を折りたたんで置いてみた。すると帰宅した奥方が、カワイイ!と第一声。これやったらカワイイからここに置いてもエエよぉ!と、めでたく奥方の好みに適合し、玄関に自転車の居場所が生まれた。そんなこんなで電動ママチャリは完全に奥方が私の所有ですと宣言がなされ、ブロンプトンはワタシの自転車として玄関で共存できるようになった。そんなわけで、めでたく二人で自転車散策ができるようになって、ランチにありつけ、自転車でブラブラと帰宅する文化の日だった。

折りたたみ自転車を玄関に置くという設計もありだとおもう。

カモフラージュ柄

秋の霞。霞は春で霧が秋らしい。

自転車に乗るのにもいろいろあるとおもう。ワタシ、電動ママチャリが好きで、親父が残した電動ママチャリを愛用する。生野区や布施あたりをウロウロするのには最高。あのブサイクなスタイルがエエとおもうし、サスベーとよばれる傘が立てられる棒もついて、ちょっとした雨でも乗っていける。体を起こした姿勢が楽だし、周囲がよく見える。ただあの姿勢なのでペダルに力が伝わりにくいが、電動化によって漕ぎだしが圧倒的に良くなって、かなりの金額がするカーボンフレームの漕ぎだしと同じだとおもう。パット入りのレーパンをはかなくても乗り心地は快適だが、スピードはでないよね。近場ウロウロが最適。

ロードバイクでちょい街乗りはワタシにとってはツラい。周囲をキョロキョロ見ながら走る感じではないし、地面の凹凸による振動がもろに体に伝わるし、シートも固いのでレーパンを履かないとお尻がツラい。でも、それなりの服装で走り出せば、地面から伝わる振動すら心地良いし、スピードもでて、20kmぐらいの距離を走るのはなんてことないし、峠だってちょっと頑張れば越えられるのが魅力的で、1日の行動範囲が50km圏をはるかに越えて広がる。建築的には峠を越えて集落を眺められるのが楽しい。想わぬところに集落があってこんなところで集まって生きているのかという姿に接するのが楽しい。

電動ママチャリはただの乗り物的だが、ロードバイクは暫く乗っているとスポーツ要素が高いことに気付く。スポーツ的ゆえにちょっとしたチェレンジ精神が毎回必要になってくる。それゆえに楽しかったり辛かったり。なんてぐたぐたこんなことを書きはじめたのは、今日は久しぶりに13時30分から始まるワークショップがある日曜日で、それまでの時間をどう過ごそうかと考えた。朝風呂朝サウナも気持ち良いが、天気も良さそうで気温も自転車に最適な感じ。今月初め能登で数人でイベント感覚で自転車に乗ったが、ワタシ的には10kmランニングするぐらいの感覚の朝を過ごしたい。自転車的には40kmぐらいなのか、スポーツ的に体にちょっと負荷をかけて楽しかったなとおもえる朝になれば… 朝練はキツいイメージ強いし、朝ヨガぐらいな感覚で走れればエエかな。と走り出す。

十三峠をゆっくりゆっくり登って、信貴フラワーロードを走って朝護孫子寺へ。ワタシ、自転車に乗っていてもこのお寺に参拝するのが好きで毎回立ち寄る。今日は12年に1度の秘法結縁とやらで本堂の扉が閉められた中で真言密教最高の儀式がおこなわれていると云う。どんなかな。と気になるが、それより本堂がのぞめず木製の折れ戸でビッシリと閉められている姿に趣を感じる。柏原の葡萄畑の方に降りていく、龍田古道里山公園手前の葡萄畑から大和盆地を望めるところで腰掛けて、コンビニで買ったおにぎりと珈琲を飲む。秋なのに霞立つ感じが、のどかで平和な感じがして、ここまで来て食べて飲んでのどかな景色眺めてようやく朝ヨガ的気分になれたワタシ。冒頭の写真の気分を表現するためにこんなに文章をダラダラ費やしてしまった…..

本日のワークショップは「水圧転写」という技術を使ってクロックスにカモフラージュ柄を転写するワークショップだった。参加者は身内ばかりな感じ。アウトドアー好きがカモフラージュ柄のクロックス履いてお揃えのカモフラージュ柄のアウトドアー用品でキャンプを楽しんでいるという姿を想像してみたが、そんなふうには人が集まらず、コンビニへ行くときに履いていくカモフラージュ柄のクロックスっていうイメージになった。ついでに製作したカモフラージュ柄のスイッチプレートが良かったかなぁ…..

自然、植物や土など同化し、自然に溶け込むような迷彩柄のことをカモフラージュ柄というらしい。ワタシ、庭掃除用シューズとしてカモフラージュ柄クロックス履いて、植物や土と同化しながら庭掃除をしようとおもう。

「新米」

庭のキンモクセイが橙色のカワイイ花を咲かせ冬がやってくる紅葉前の穏やかな秋。日曜日の午後3時過ぎ、大阪城と難波宮跡周辺を自転車で散策すると、それぞれが思い思いに土の上にシートを広げ寛いでいる雰囲気がとってもエエ感じ。女子会が目立つな。男子はどうしているのだろうか。ゴルフとか登山とか釣りなのか。そうそう急に外国人観光客が増えてきた。それも東洋というより西洋な観光客が目立つ秋。

もうひとつ秋の訪れを実感する出来事があって、長男奥方の実家から送られてきた「新米」を食す。甘いそして美味い。おかずと一緒にご飯を食べるのがもったいないとおもえるほどお米そのものの旨味に笑顔がこぼれる。ここ数年、年がら年中ダイエットしていると吹聴するわりにはその効果に落胆を繰り返している奥方だが、こんな美味しいお米やったらお茶碗山盛り一杯食べたくなるわ!我慢せな。と言いながら、きっとこっそりお茶碗いっぱい食べているのだとおもう。それぐらい美味しい。ここ1ヶ月だけがほんとうに美味しいらしい。この歳になってホンマモンの「新米の旨味」をようやく知った大阪生野にしか住んだことのないワタシ。

そういえば秋の味覚のひとつ「松茸」を能登の珠洲で食す。前回のブログで金沢で鮨を食べたその前日は珠洲にある「湯殿さか本」という、かなりコダワリの強い宿に泊まった。その宿に同級生は知人と二家族で宿泊予定だったらしいが、一緒に行く予定だった家族がキャンセルになって私たち夫婦を誘ってくれた。偶然というコトバがあるように、私はたまたまその前日からウィリエールという自転車メーカーのキタムラくんのお誘いで能登の珠洲に宿泊し自転車に乗るコトになっていたのだ。奇遇ともいうのだろうか。

その宿のホームページには「特別普通に。もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。そう、いたらない、つくせない宿なんです。泊楽 さか本はなんにもありません。申し訳ありません。・・・・」と書かれてあって、そのとおりの宿だったが、食事も特別普通な旨味で美味しかった!と表現すれば良いのかもしれない。その朝食に松茸が入った土瓶蒸しがでる。それが朝起きがけの体に染み渡った。いままでで一番印象に残るフツウじゃない朝食で、秋の訪れを感じる朝になった。

そうそう秋晴れの土曜日。こんな峡谷のような一角で地鎮祭があった。テントの奥に見えるのが心斎橋商店街のアーケード。朝9時30分開始だったのに、この写真の裏の雑居ビルからカラオケの漏れる音がそこそこの音量で聞こえ、神主さんの祝詞奏上とシンクロナイズした。流石ミナミ! デザイン監修がナカジマさん、設計はAR設計のシモカワさん、構造設計はシモヤマさん、施工キムコーというこのチームで、ここに木造「木組み」の店舗が建つ予定。

現場監督は最古参のムラカミさんと新人のオオウエくん。と書いた途端に、「新米」は食べると甘くて美味いのに、「新人」は青臭いなんて表現もあるほどまだまだ淡泊な感じがするが、なぜ「新人」のことを「新米」と表現するのか、不思議におもえてきた。ググると『「新前」説「純白お米」説「江戸にお米が集まった」説「前掛」説』などなどに遭遇する。新米のように旨味のある味のことでははなく、新米も新人も取れたて入社したての「フレッシュ」であることが共通点なのか。

なんて。今年の秋はこんな感じの秋なんです。

「右手」

生野区小路のまちに地車の鐘や太鼓の音が一日中鳴り響く秋祭りの日曜日。コロナ禍が明けたファンファーレのようであり、まちの活気を取り戻す音色のようにおもえた。道を挟んだ会社と家の前に地車が停止する。日曜日なので社員は休みだったので、夫婦二人だけで道路にでて「さぁ打ちましょ!」の掛け声とともに皆で一緒に大阪締めをする。昔は近所の沢山の子供やおじいちゃんやおばあちゃんが道に出てきて地車を見送ったものだが、ほとんど人の姿がない昨今。ちょっと寂しい。地車の鐘や太鼓の音色と威勢の良い掛け声が響き皆で大阪締めで安全無事を祈る「まち」として活性化してほしいなとおもう。

↑ そうそう木村工務店の塗装工事を担ってくれている山本塗装のヤマモトさんが日曜日なので大友の地車を曳いて、和やかな笑顔を振りまいてくれた。それにしても大きな右手だなぁ。この手で数々の家や店舗の塗装をしてくれているのだな。

「手」繋がりなんだけど、月曜日の祭日、高校時代の同級生イナモトくんのお誘いで金沢の「小松弥助」で鮨を食す。ほんとうに予約のとれないお店だという。カウンター席越しに90歳を越えたという大将が握るフワッとやわらかいシャリの鮨が右手の手の平にのっかり差し出される。ちょっと緊張して力が入ってシャリを握りつぶしてしまわないかと心配しながら手渡しで受け取とると、大将が右手親指を立ててグッドサインをする。美味いでぇ!というサインかとおもったらありがとう!という感謝のポーズだという。口に入れフワッとした旨味を堪能してワタシも右手親指を立ててありがとう!のグッドサインを返す。

カウンター越しに眺めるネタを切る右手の包丁さばきに絶妙な入射角とリズム感があり左手の柔らかく鮨を握るリズムも加わるとその全身から繰りだされる一定のリズム感に見惚れてしまう。食べ終わって若い板前さんと会話しながらそんな印象を伝えると、おまえリズム感が悪い!とよくおこられるのです。っと笑顔で答えたくれた。その時、2年前に他界した沖棟梁が鋸を挽き鑿を玄翁で打つ時のリズム感を大切していたことを想いだした。沖棟梁が加工場の一角に座り込んでひとりひっそりと「鋸の目立」てをしていたその時の心地良いリズムとその所作がフラッシュバックした。

お店にはピシッとした空気感があるものの緊張感が漂うわけでもなく皆が和やかに会話しながらリラックスした笑顔でお寿司を食べ幸せな気分にさせてくれる、その老齢の域に達した職人仕事の在り様を垣間見た。帰りがけは、板前さんがわざわざカウンターから出てワタシのカメラを持って、大将も加わり板前さんと一緒に皆で「はい弥助」とコトバを発しながら親指を立てて皆で記念撮影をする。そんなちょっとチャラいイベント感も楽しみながらできる高級寿司店にある種の凄みを感じた金沢の昼食だった。そうそう夜は営業せず朝から3交代制の営業で午後5時過ぎに終了するという。営業スタイルも現代的なのだ。

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