この猛暑日をどう過ごすのか。

とにかく暑い日々。

その1。週末になると庭のプールに水を入れ、magosが家プールを楽しむ夏休み。オトナたちはクーラーで涼む。気が付いたらワタシ、小さなBluetoothスピーカーを木からぶら下げ音楽かけて、ジョッキいっぱいに氷をいれたレモンサワーを片手に、ラッシュガードの水着を着てサングラス。これまるでプールの監視員。有り難くmagosの母からアルバイト料を頂戴した。レモンサワー缶2本也 Thanks!

その2。7月に入ってまったく運動をすることなくなって、そうするとすぐに体重が増える。レモンサワーはカロリー高そう。熱中症警戒警報なんてでると、アウトドアーにでるのを躊躇してしまうし。それでも1ヶ月に1度だけは!と意を決して日曜日の早朝5時過ぎに起きて、自転車に乗る準備をすると、それだけでジワッと汗がでてきた。十三峠を往復だけして、午前8時前には帰宅。それにしても早くからそこそこ多くの人がヒルクライムしているし。トレランの人が増えたよね。トレランのカップルに駐車場で記念撮影を頼まれた。そういえば、マイルストーンの竣工パーティーで、トレランの有名人の土井さんに会った。顔が小さくて余分な筋肉なくてスリムで凄いよね。そうそうカーリング女子のムキムキ藤沢さんも凄いね。

その3。家のすぐ近くに「三国屋」さんというお店があって、小さい頃からアイスモナカとか、冷やしあめとか、いか焼きとか。母親が店先で買って家で食べるというのがほとんどのパターンだった。懐かしい味でもある。ちょくちょくテレビにも紹介されて有名人の色紙がいっぱい飾ってある。日曜日の今日、自転車乗ってお風呂やさんでサウナ入って昼過ぎ、magosだけがうちの家でNetflixを視聴して大笑いしていた。自分達の家ではテレビをあまり見せてもらえないので、うちの家で爆発する。いまやどこの家庭でもあるあるだとおもう。奥方は出掛けていない。両親達も姿が消えていた。オトコ3。アニメの音を長時間聴いてちょっと辛いワタシ。外は灼熱。そうだかき氷を食べよう!と叫ぶ。そんなわけで、すぐにテレビを消したmagosとぼちぼち歩いて三国屋へ。mago1かき氷のソフト宇治金時。mago2かき氷ソフトレモン。あたし昔からかき氷はミルク金時。久しぶりに店舗内で食べたけど、「マーブル柄のテーブル・レンガタイルの床・プリント合板の木目の壁・いっぱいの張り紙」The昭和だな。


その4。庭の掃除道具を置く場所があって、それがぐちゃぐちゃしていた。いつかなんとかキレイにしたいと考えていたら、うちの大工さんの空き時間ができた。ベッショ大工とヒラボシ大工が、格子を即席で作ってくれて、完成。向こうに4方磨りガラス鏡面仕上げで囲まれたお風呂があって、一部を格子の目隠し件、道具掛けにしたかった。暑い日の掃除のモチベーションをあげるためなのかも。暑い日こそ整理整頓は現場の心得でもあるとおもう。

戦いと配慮と空撮の文化

ツール・ド・フランス第20ステージを視聴していると、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂の空撮が写った。おもわず「うわーっ」と小声が漏れた。解説者は緊張感が連続するこの日のレースの話で盛りあがっていたが、あの白い礼拝堂の右横の芝生のマウンドから眺めたロンシャンの教会(下の写真)と、その海外研修旅行の想い出が猛烈なスピードでフラッシュバックした。

そのロンシャンの教会の映像より、空撮をこの角度から眺めると、レンゾ・ピアノが設計した受付と聖クララ修道院が風景に溶け込んで、あらためて素晴らしいとおもった。この上の写真の左手マウンドのさらに下方に、ほとんど丘に埋まったコンクリート建築があり、空撮映像ではファサードのガラスが望めるだけなのだが、コルビジェの建築をリスペクトし、このランドスケープに配慮した奥ゆかしさが、きっとエエのだな。同じレンゾ・ピアノのパリのポンピドーセンターは街並に際立った建築で、これと真逆だが、違う配慮を感じて好きだな。レンゾ・ピアノ設計の関西国際空港は飛行機の機内からエアポートを眺めた時、なるほどなとおもえた。

↓(レンゾ・ピアノ牛深ハイヤ大橋と内藤廣うしぶか海彩館)

天草に旅した時に見た、レンゾ・ピアノデザインによる牛深ハイヤ大橋は、橋桁の下部が曲面で覆われて、それが太陽の光と海から照り返す光で独特の輝きを放って、海上に一種独特の景観を作っていたのが、とっても印象的だった。それとその橋に絡むように作られた内藤廣のうしぶか海彩館が、このランドスケープとレンゾピアノに配慮する建築的苦悩のようなものを感じて面白くおもえた。

あのロンシャン礼拝堂の空撮映像が、さらーっと流れたあと、ツール・ド・フランスの緊張感のあるレースを眺めながら、ル・コルビジェとレンゾ・ピアノの建築で、実際この目で見たこんな映像やあんな映像がフラッシュバックしていたが、今年のツールは、連日のように繰り広げられるヴィンゲゴーとポガチャルという二人の若い青年の一騎打ちが面白く、「どうする家康」を視聴したあとにこのブログを書くと、侍の世界のメンタリーと配慮と戦いに似ているようにおもえてくる。このレースで引退をするフランス人のピノーが、力を振り絞りトップでヒルクライムする最後の雄姿に、とっても多くのファンが応援する胸熱くなる映像があって、その場面を作ることに配慮する選手達がいて、その場面が終わると、ピノーを抜き去り、最後は若い二人の一騎打ちが展開されゴールが争われるという、戦国時代の侍の配慮と決戦のように感じながら眺めた。

日本語解説のライブ放送で、毎回登場する日本人女性ライターの現地レポートがあって、そのなかに前日のフランスのレキップ紙の記事を紹介するくだりがある。その文章がちょっと過激で文学的な表現でオモシロイなとおもっていたら、そういう記事を書くことがフランスの「自転車文化」なのだと語っていた。赤穂浪士の敵討ちをとうとうと語る講談師のような感じなのか。そんな「戦いと配慮と空撮の文化」を楽しめたツール・ド・フランスの3週間だった。というか、これから、最終日のパリ・シャンゼリゼのラストランが始まる…….。

もう夏のプール

突然、真夏になった。そんな「海の日」の連休。

金曜日。夕刻より生野産業会の理事会と懇親会があり、終わって2次会3次会と数人でミナミのBarで飲むと、70年代ウエストコーストの音楽がアルテックのスピーカーと真空管アンプから心地良く流れて、気が付いたら丑の刻だった。土曜日の朝は出勤の社員も多く、フツウに起きて仕事をしたが、昼過ぎて夕方になると疲れがどんどんたまって、なのに夕食のあと、ツール・ド・フランスを視聴すると、ウトウトしつつもオモシロイ展開にずるずる引き込まれ、結局最後まで視聴したら午前1時前だった。なので、日曜日の朝は、自転車に乗るどころか、ぐっすり寝込んで、午前10時頃から朝が始まった感じ。庭の外に出ると、猛烈な暑さに驚いて、「もう夏!?」「猛暑!」というコトバが脳裏をかすめていった。

うちの室内は、「PS」という空調システムを導入し、その冷房の仕組みは、ヒートポンプで冷水を作り部屋に設置しているラジエターパイプにその冷水を流す仕組みで、いわゆる空調機の冷風がまったくでないので、ギンギンに冷えている部屋と言うより、ひんやりした部屋感覚。設置一年目の夏は、もっと冷えて欲しいと、もの足りなさを感じたが、徐々に慣れてくると、湿った空気はラジエター表面で結露水となるので除湿もされ、空調機の風が吹く音もなく無音で、うちの奥方は、リフォームして一番良かったのは、このPSによる温熱環境だという。電気代も案外安い。

なので、外に出て汗をかきたくないし、ひんやりした室内でゴロゴロ過ごしていると、mago1 がやってきた。ほとんど夏休み気分で、暇だ!暇だ!という。そして一緒に音楽聴こう!と生意気いうのだった。子供とはオモロイ存在だがコワイともおもう。普段のワタシを観察してるのだな。夜な夜なBarで音楽聴いたので、今日は無音の室内だった。テキトウにウィウオントマイルスを選曲して大きな音で掛けてみた。お気に召すのか召さないのか瞬時に飽きたのだろう。ゴソゴソモゾモゾすり寄ってくる。ワタシ音楽聴きながら庭を眺める。太陽。しゃぁーないなっ!「プール」でもしょうかっ!とおもわずコトバが出てしまった。

というわけで、真っ昼間、灼熱、あのプールを組み立てはじめる。庭の面白そうな雰囲気が伝わったのか mago2 も合流してきた。mago1 にジー汗びっしょりやなぁ…..と慰めながら完成するやいなや、水着に素早く着替えた magos は水が溜まらないうちからプールに入って遊び始めた。ワタシその様子をみて、すぐに缶ビールをプッシューと開けたものの、暫くして、暑さに我慢出来ず、水着に着替えてプールに飛び込んだ。そんな、もう夏のプールな日曜日だった。

「いのち輝くデザイン」

7月1日土曜日から「ツール・ド・フランス」が始まって、J SPORTSで視聴すると、スペインのビルバオがスタート地で、いきなりフランク・オ・ゲーリーのビルバオ グッゲンハイム美術館の横を自転車の隊列が横切っていった。食と芸術の街といわれているようで、バルをハシゴして、ワインと美味しい食事を堪能して、グッゲンハイムを訪れてみたいものだなとおもう。空撮映像を視聴すると、旧市街と川と橋とグッゲンハイムの関係性が、あっ、こんな関係性なのね。とおもった。全体的なランドスケープのなかでのあの造形なのだな。なんておもう。数年前のフランス建築旅行での、パリのポンピドーセンターも、ロンシャンの教会も、サボア邸も、エッフェル塔だって、あのランドスケープのなかに存在するからこそのあの建築なんだな。と感じ入ったが、ビルバオグッゲンハイムもきっとそうなんだろう。スペインのビルバオに行きたいなぁ…..。

ここ2、3年、ようやくグランツールの面白さが理解できるようになり、毎晩のように視聴する。ちなみに、「グランツールは、ヨーロッパで行われる自転車ロードレースの三大大会の総称。フランスのツール・ド・フランス、イタリアのジロ・デ・イタリア、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャをさし、三大ツールともよばれている。グランgrandは大きい、ツールtourは回遊を意味し、いずれのレースも3週間あまりをかけて3000キロメートル以上を走破する長距離レース」ということらしい。ライブ映像を視聴するとフィニッシュは日本時間午前0時を軽やかに回るので翌日の仕事にこたえる。寝落ちもする。選手は3週間3000km自転車で走って疲れ切るだろうが、日本の視聴者も別の意味で体に堪えるのだ。今年のツール・ド・フランスのこの一週間は、ドラマチックな展開によるフィニッシュが続いて見応え充分だった。

今週の火曜日。生野区役所の武田さんの呼びかけで、grafの服部さんとリゲッタの高本さんと生野区の区長さんと区役所でミーティングをし、そのあと生野区の廃校になった御幸森小学校の新施設、生野パークの校舎屋上にあるプールを再利用したBBQスペースで会食をする。あれやこれやオモロイ話題のなか、大阪・関西万博の話もでた。1970年の大阪万博の開幕日、3月14日は、ワタシ11歳の誕生日で、至極個人的な想い出と重なるのだけれど、2度ほどその万博に行った記憶がある。アメリカ館のドームと月の石。お祭り広場と太陽の塔。噴水のある広場。アメリカンなこげたステーキをご馳走になったなぁ…..などなど。

1970大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、2025大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ということらしい。コンセプトに「People’s Living Lab 未来社会の実験場」とあって、確かにワタシ12歳小学校6年の図工の時間に、未来の建物を描いたような記憶があるし、富士山の麓を走る新幹線の絵を描いて入選したのは小学校2年生の時のようにおもうが、なんとなく誰もが近未来を想像することが出来る時代だったようにおもう。でも、いま、近未来を想像して描くことは、とってもムツカシイ時代になっているし、そういう意味では、「いのち輝く」ってどんなんかな…..と考えるのはエエかも。

ワタシ、建築に関しては、ド派手なデザイン、ビルバオ グッゲンハイムもエエなぁとおもうのです。ちょっと縄文土器的でもあり、エネルギッシュな感じがして。そんな派手なデザインもエエのですが、吉村順三さんのようなシンプルで居心地良いデザインで過ごすライフスタイルも「いのち輝くデザイン」でもあるような気が…..なんて。これを書きながらさまざまな感覚がふっと過って、ま、2025万博をきっしょにして、「いのち輝くデザイン」を一緒に考えるのも面白そうにおもえてきた、そんなBBQ会食だった。

「竣工式」と「ミュージシャン」と「シテ」

巡り合わせというのは不思議だとおもう。数年前の全く違う時期から、二つの店舗の新築プロジェクトを、設計段階からご依頼を頂戴し、片方が2年、片方が1年半と、それぞれの設計と施工の期間を経て、それぞれの竣工式が、この金曜日と土曜日の連続した二日間に催された。

ひとつはこの15年間ほど、工場と事務所のリノベーション、それに社長と専務の家の設計と施工に携わっている、大阪環状線寺田町駅すぐ近くにある富士灯器株式会社さんで、おもに釣り具のライトなど製造販売しながら、最近はアウトドアー用のヘッドライトをマイルストーンといブランド名で製造販売している。そのコンセプトストア「milestone TERADACHO」店新築工事の竣工レセプションパーティーが催されたのが金曜日の夕刻だった。トランスジャパンアルプスレース2022の覇者の土井さんがアンバサダーを務めていることもあり、またマイルストーンの専務自らもトレランをするアスリートで、土井さんをはじめ小顔でムダな筋肉のないスリムな若い人達が沢山集まる活気に溢れたレセプションだった。

木村工務店設計スタッフにより建築の基本設計と実施設計が進められたが、店舗の設計は、施主のデザイナーの川崎さんと、施主である富士灯器の専務自らがプロダクトデザイナーで、木村工務店の社内に何十回も集まり、ひとつの設計チームとして、全体的な設計から部分のデザインまで一緒に進められた。それぞれのイメージや感覚を調整する作業に、BIMを活用し、オープンスペースと吹き抜けを設けるコト、ウチとソトを繋ぐ開口部は木製建具を使うコトなど、法規的な規制を考慮しながら竣工に至った、鉄骨造による新築プロジェクトだった。

レセプションパーティーに、SpinnaB-ILLさんというミュージシャンの方が、ギターを手に熱唱するパフォーマンスがあった。ワタシ、最近の音楽のひと、ぜんぜん知らないのだけれど、「every little thing gonna be all right.」と歌って、皆で合唱していた。その様子を後ろから眺め、ワタシの頭のなかには、その歌声に反応しながら、ボブ・マーリーのエクソダスにあるタイトル「three little bird」の 「Don’t worry about a thing、Cause every little thing gonna be all right.」の歌声が響いていた。「心配しなくていいんだよ。どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。」なんて。そうゆうふうに生きたいものだな。と皆で一緒に口ずさむことになった、エネルギッシュで素敵な竣工のレセプションパーティーだった。

「心斎橋商店街の中に国産材による木組みの木造建築を造る」というご依頼があったのが1年半ほど前のコト。コロナ禍のなか、施主の株式会社岩橋さんと、アドバイザーでデザイナーでもある設計士のナカジマさんと、zoomでミーティングを繰り返しながらの打ち合わせが始まったが、当初は心斎橋商店街の4mの狭小間口で建築をするということに、かなりの躊躇をしていたワタシだが、施主の真摯な想いに突き動かされ、なによりも構造事務所の下山設計室の下山さんが木組みの構造設計を担当して頂けるということになって、プロジェクトが前向きに進み出した。商店街のアーケードがある狭小間口で、木組みの木造を建て方できるように、構造設計者と大工と現場監督と見積者が、設計段階から打ち合わせをすることが、今回のプロジェクトの最大の要だった。

設計の途中段階から下山さんと長年の付き合いがあり、まるで師弟関係のようにも感じる、AR設計事務所の下川さんの参加もかなって、防火地域で木造建築を造るというさまざまな法的な問題をクリアーしながら、木村工務店専務のタカノリも設計チームに参画し、このプロジェクトが進められた。この木組みの構造材としての国産の桧材は、日本の森で育まれたものであり、その森を育て、製材し、プレカットと手加工まで一貫した作業と製作ができる和歌山県田辺市にある山長商店さんは、構造家の下山さんと、かねてから強い結びつきがあり、そのお互いの信頼関係による「力」なくしては成立し得ないプロジェクトでもあった。心斎橋商店街に国産材の木組みの木造建築が建つということは、日本の木組みの文化を伝える場であると同時に、都市と森とが繋がる場でもあるとおもう。

その心斎橋岩橋ビルの竣工式が土曜日の午前に執り行われ、神主さんによる祝詞奏上など竣工の儀式が終了し、御神酒で乾杯をしたあと、その心斎橋商店街の雑踏の音が伝わり漏れるなか、竣工したばかりの店舗のなかで「能」が舞われた。独特のトーンの声で「高砂や…..。…..。」と謡われ、響きわたり、空間がピーンとした緊張感に包まれた。全ての参加者の背筋がピーンとし、身が引き締まる感覚を味わった。それは空間が清められる素晴らしい体験でもあった。

その後の祝宴の席で、能のシテの方より、この高砂の謡いの内容が語られた。「兵庫県の高砂神社にある松とその遙か対岸にある大阪の住吉大社にある松は遠く離れていても夫婦のような松で、高砂から長い旅をして住吉に到着し、それぞれ遠く離ればなれになっていた人達が、この場で心を通わせ、ひとつになることを祝う」みたいな内容だったとおもう。今回のプロジェクトは、さまざまな立ち位置のプロフェッショナルが集まり、それぞれが竣工に向けて尽力し、ひとつのチームとして機能したからこそ、無事竣工に至った、その施主の想いを代弁するかのような「能」でもあったようにおもうし、そのコトを象徴するかのようなクリスタルの記念品を施主から贈呈され、感謝とともに厳粛な気持ちが湧いてくる竣工式だった。

竣工式の中締めの最後の挨拶に設計の下川さんが立ち、お祝いの言葉を述べたあと、サプライズとして、構造の下山さんが、漫才コンビの相方のような雰囲気で舞台に登場した。今回の関係者のエピソードを盛り込んだ、ミルクボーイ風の即興漫才を披露し、大きな笑いを誘って、この祝宴を閉めた。「能と狂言を合わせて「能楽」と呼んでいます。狂言が笑いの面を受持つ、セリフ劇であるのに対して、能は歌と舞で人間の哀しみや怒り、恋慕の想いなどを描きます。」と書かれてあって、それは偶然だったのか必然だったのか、まさしく「能楽」な竣工式を体験することになったのは、狂言力を含めた、設計と構造のこのお二人の「力」によるところであり、あらためて感謝申し上げたい。

輪行

梅雨の合間。曇り空の日曜日。自転車で、生野区小路から放出を抜けて淀川に出る。淀川沿いをひた走って木津川御幸橋のさくら出合館で休憩。そこから宇治川沿いを走って宇治の平等院鳳凰堂の横を通過し、天ヶ瀬ダムから瀬田川沿いを走って琵琶湖に到着。琵琶湖を眺めたあとJR大津駅で自転車を輪行袋に入れて、新快速で新大阪駅へ、おおさか東線に乗り替えて、JR俊徳道駅で降りて、そこで自転車を組み立て、生野区小路の家に帰り着いたのが、午後3時前だった。

自転車の走行距離は80kmほど、昼前には大津に到着したが、自転車を分解し袋に入れたり、着替えたり、わざわざ新快速待ったり、新大阪での乗り替えがよく理解できず電車を3本逃したり、順調にいけば1時間6分ほどの移動に2時間ほどかかって、まったく電車に乗り慣れないワタシ。車、飛行機、フェリーの輪行はあるが、電車の輪行は初めてなんだけど、やってみると案外楽しい。またやるとおもう。宇治のまちとか、大津のまちとか、石山寺とか、ゆっくり楽しめなかったのは、輪行に自信がなかったからで、ゆっくりして夕方の混雑の時間帯に輪行するとちょっとタイヘンだなっなんて躊躇したから。そうそう鉄道オタクの若い男の子が、この輪行袋が倒れないように守りながらその前にたって車掌の所作をずっと眺めていた。なるほど、それはそれで確かに楽しそうだ。それにしても新快速は速いね。時速130km出すらしい。

今週の月曜日の夜。生野区のものづくり企業で、家業を引き継ぐ30代40代の若い方々4人、私と同じ年齢のオッサン2人の計6人と、うちの長男専務と奥方二人が参加して、うちの家にフレンチのシェフを呼んで、お手頃価格の食事会をする。皆、若いのに経営的なコトをしっかり考えて、それなりに凄いなっとおもう。なので、経営者としてのワタシって…..なんておもう。その家業を引き継ぐ若いひとりに、缶のプルタブ。正しくはステインタブというらしいが、輪っかを引っ張っても取れないタイプのその技術を持っている会社の息子さんがいて。

ワタシ、構造家の下山さんからレクチャーを受けた、タブを引っ張った缶の開口部の円が、正円でなく片方が楕円になって、それゆえ構造的にフタが缶の中に落ちず留まる。っていう話をエエカッコして、語ると、それを実際の缶に実現させる技術の話を語ってくれた。口を切らない優しい口当たりの技術とか。今、流行の生ジョッキ缶の開口部の技術とか。ものづくりってオモシロイなっとおもう。で、あの生ジョッキ缶の開口部が大きくなって、「香り」を嗅ぎながら飲めるのが大切なのだという。フツウの缶ビールをそのまま飲むよりコップに移したほうが美味しく感じるのは、飲むと同時に香りを嗅ぐのが大切なのだという。なるほど。確かに。ワインってグラスで味が変わるような気がするしね。それと飲料水が缶からペットボトルに急速に変わっていくのが驚異でもあるらしい。

それで、琵琶湖に到着し、写真の場所にあった自販機で琵琶湖を眺めながらコーラーの小さいペットボトルを飲んだ。少々疲れていたので、おもわず美味いっ!と口にしながら、なぜか月曜日のこの一連の会話が、琵琶湖の前を、高速にスーっとよぎっていった…..。

「タコパー」

梅雨。それなりの雨が降り続いた今週。庭の排水ってムツカシイな。とおもう。庭の土の中に浸透性のパイプが入っていて、植木屋さんが見えないところで努力してくれているお陰なんだけど、それでも土が排水に流れこんでタイヘンだったりする。そうそううちの庭の紫陽花の開花がようやく始まった。

↑ 東大阪の池嶋の水田越しに生駒山とこれから登る十三峠を望む。

↑柏原の葡萄畑超しに奈良盆地を望む。

↑ 朝護孫子寺にある生け花を眺める。


↑ 河内堅上で電車の通過を眺める。

土曜日と日曜日に雨が止んで、久しぶりに自転車に乗ったら、里山は春から初夏に変化していた。田は水田になり周辺の景色が映り込んで美しい。葡萄畑はシートに覆われ養生されて、それがちょっとした芸術作品だなとおもう。稲も葡萄も丁寧に育てようと努力している人の姿を想起できて、ちょっと嬉しい気分になる。朝護孫子寺に立ち寄ると、本堂の手前の陳列にいつも生け花が飾ってある。この朝護孫子寺という環境のなかで育まれたその生けた人の心のようなものを感じて、毎回楽しみにしているワタシ。自転車に乗るようになって、思わぬところで眺める鉄道が面白い。わざわざ自転車駐めて鉄道の通過を待って鉄道の通過を喜ぶワタシ。撮り鉄の気分が理解出来るようになったなぁ。

十三峠・フラワーロード・朝護孫子寺・龍田古道・河内堅上・大和川と49kmほど走って、昼前には家に帰って、ビールでも飲んで、ひとりでゆっくりしていると、マゴの襲撃にあった。嬉しいような嬉しくないような。5歳と7歳の男子マゴとマリオカートを3人で遊ぶ。ゲーム中に思わず発せられる何気ないコトバが面白い。今の子供達の心の有り様を垣間見る感じ。それにしても、だいたい負ける。ワタシも真剣なのだ。時折大きな声も発する。たまに1位になると、おっ!なかなか上手いなっ!横でどんなやり方してるか研究させてっ!といって横に座りにくる。完全にマウントとって上から目線のマゴたち。

そうそうこの土日、スティーブジョブズのテレビ番組を録画で視聴した。日本文化の「洗練されるとシンプルになっていく」なんていうコトバは建築の世界でも語られてきたコトバで、確かにな。とおもう。ワタシ、工務店として、シンプルさとはほど遠いし、真逆で複雑で判りにくいままのような気がする。それと上岡龍太郎の追悼番組としてNHK+の日本の話芸上岡流講談「浜辺にて」を視聴する。顛末がユニークでおもわず唸る。米朝さんとか花紀京さんとか上岡龍太郎さんとか、おもわず唸るようなタイプの新しい関西芸人は育ってくるのだろうか…..。

そんなこんなの週末の出来事をアテにして、夜は皆でタコパーを楽しんだ。

ブリコラージュ

うちの会社の駐車場の道路を挟んだ前に、大林縫製さんという会社があって、その工場を見学する。私が幼稚園の時、いやきっと小学生の時だとおもう。通称、長細公園という水路を公園にしたところがあって、そこに接しているその大林縫製さんの工場の窓が開いていると、その窓の面格子の向に、いろいろな色の糸巻きがクルクル回っている光景があって、それが面白く、背伸びをして窓から覗いたものだった。その窓が写真の左の面格子付き窓で、50年以上たって、その内部を見学する機会に遭遇し、もはや糸巻きは回っていなかったけれど、窓の向こうに小学生の頃のワタシの姿を見たような気がした。

「ものづくりセッション」という3ヶ月に1回ほど開催される会合が土曜日の夕刻にあって、うちの加工場に、行政のタケダさんチョイスの方々が集まってくるのだけれど、今回のプレゼンテーターが、その大林縫製のオオバヤシさんだった。85年続く、もはや数少ない日本の縫製工場だそうで、等身大のハートフルな語りによって、その変遷を拝聴する。縫製工場として存続するために、その時代背景に即した、さまざまなチャレンジが繰り返えされてきた、その苦労を、参加者皆で共感し、組織が持続するためには、その時代に応じたなんらかの新しいチャレンジを続けて、変化していく必要があるのだ!とあらためて気付かされた。

そのあとが、ワタシ。「ものづくり」としての「マイルス」。というのをプレゼンすることになって、音楽をかけながら、長々と時間を使って資料の半分ほどを語ったのだけれど、ほとんどがジャズにもマイルスにも興味のない方々に、その時代背景に応じて、変化しながら、新しい音楽を創り続けたその姿を、マネージメントとブランディングとマーケティングとイノベーションというコトバを使って「ものづくり」の視点から「ワタシ感覚」を伝えてみたのだけれど、たぶん空回りしていたような気がする…..。ま、そのあと、加工BARで、皆で楽しく食べて飲んで、気分転換してもらえたのが、なによりもの救いだった。

日曜日。前日のワタシのプレゼンと懇親会の余韻を洗い流すために、朝風呂にいった。夕方、なぜか頭の中で、マイルスの音が鳴り出したので、「アガルタ」を聴くことにする。高校生の時に初めて買ったマイルスのレコードで、発売して1年ぐらいなので同時代性があったし、なによりもジャケットのカッコ良さに惹かれた。まったく音楽は理解出来なかったが、サビのマイルスの吹くメロディーだけはずっと記憶に残り続けた。そのメロディーがなぜか頭の中で鳴りだしたのだ。

20歳すぎて、オーソドックスなジャズを聴くようになって、アガルタは、ほとんど聴かなくなったが、CDになってから、ごくごくたまに聴くようになり、Apple Musicで聴けるようになってからの、ここ数年のほうが、よく聴く。レコード2枚組のA面B面に針を落とす作業より、一気に途切れる事無く連続的に1時間30分ほど聴けるのがエエし、現代的メディテーションのようなものだと感じる。まずカタルシスから入る空間性のあるメディテーティブな現代音楽として、より「今性」があるようにおもう。

そんなことより、このジャケットの製作者が横尾忠則で、はじめて「ブリコラージュ」という手法を知るきっかけだった。ワタシの記憶の片隅にこのジャケットのイメージが定着している。建築をやるようになって、26歳の結婚をきっかけに、自邸として空き家をリフォームさせてもらえる機会に恵まれ、その15年後に、その自邸と長屋を繋げてリフォームすることになった。学生の頃に知った、建築家フランク・O・ゲーリーの自邸が、ブリコラージュのような住宅で、建築でもブリコラージュをしてもエエのだと教えられたし、それとこのジャケットと音楽のブリコラージュ的世界感のようなイメージが重なって、その長屋をブリコラージュ的なリフォームをして住む事になった。いま、長男家族が、その家を、それなりに気にいって住んでくれているのが嬉しい。

↑ 木村家本舗というイベントをその自邸で開いた2010年の時の写真。

「BBQ」と「カリー」と「お茶」

雨が降り続いた今週。鶴橋のコーリアンタウンの入り口で、戦前から商売をしている材木屋さんの岡房商店のオカモトさんが、会社前の平野川が、もうほんの5センチほどで決壊するほどの雨量やったわ!とBBQ会場で語ってくれた。その金曜日の一日中降り続いた豪雨が収まり、土曜日は穏やかな気候で青空のもと、3年ぶりに木村工務店の協力会社の代表の方々と大工さんやうちの社員など、50人ちょっとの面々が、Tシャツや短パンなどラフな服装で集まって、BBQで食事を共にし、懇親を深めた土曜日だった。

先週に引き続き今週も一週間のうち4日、さまざまな会合の総会や会食があって、ご多分に漏れず、木村工務店の協力業者の集まりである精親会も、総会を兼ねたBBQ大会を催した。コロナの余韻が残存するこの時期、密室的な宴会場より、アウトドアーの宴会場のほうが、気分良さそうで、幸い、堺に、商店建築にも掲載された建築的にもエエ雰囲気のBBQ会場があって、バス一台をチャーターして、木村工務店からBBQ会場に乗り付け、食材も飲み物も機材も全て現地手配という、ちょっと贅沢なBBQができたのは、コロナ禍の3年間の行事中止による宴会費用が余っていたからで、毎年繰り返してきた行事を2年に一度にし、ちょっと贅沢に楽しむ。っていうのもコロナ以降の行事の在り様だとおもった。

毎月の第一日曜日にオープンしている「サヤカリー&kofukubook&ベーク」は、徐々に口コミが広まって、今日はカレーが完売するほど沢山の方々にお越し頂いて、さまざまな出合いの日曜日になった。常連として毎月お越し頂く方々が、数組あって、あれやこれやとコミュニケーションが継続できて嬉しいし、じゃぁ次回、「まちのえんがわ」で個展やってください。とか。近所に在住するアメリカ人でリピートしてくれている方が、イギリス人の建築関係の友人を連れ添って、それぞれがカップルでお越しになって、話が弾んで、じゃぁ今度、一緒にタコパーしましょうよ!とか。何人かのお客さんは、近くにある三国屋さんに足を運んで、アイスモナカをわざわざ買って、お持ち頂いたり、「まち」をブラブラしてもらえるのもちょっと嬉しい。


そうそう、建築の話も少々。今週は宇治の共栄製茶の3年ほどに及んだリノベーションが終わりオープンの週だった。共栄製茶の社員の方々が、お茶の作り方や検品の方法など、寄り添って丁寧に説明頂いて、あらためて「お茶」の奥深さを知るのだけれど、何よりも興味深かった事は、江戸時代から続く数枚の屏風にお茶の歴史のようなものが書かれてあり、その説明を聞くと、取れたての新茶を宇治から江戸にお茶を献上するために、参勤交代のような行列で上京し、途中、静岡でお茶を乾かすために数日間滞在したりするそうで、最後、江戸でお茶を入れる時の水は「御茶ノ水」の水を使って将軍に献上するのだという…..へぇーとおもわず大きな声がでたのは、ワタシが大阪人だからだな。

 

「私を構成する42枚」

GW明けて、コロナが5類になって、さまざまな会合が一気に増えた今週。懇親会、2次会、3次会と続き、翌朝は朝早くからフツウに仕事をするが、昼すぎるとだんだんトーンダウンし、夕方になって、流石にぐったりしてきて、早く寝るつもりなのに、「ジロ・デ・イタリア」の最終週で、ロードレースの楽しみ方がだんだん判ってきて、レースの面白さとともに、イタリア各地の空撮映像を観たい欲望がからむ。なので、夜な夜な視聴するが、たいてい途中で寝落ちしている状態。ピンクの特別列車が自転車の隊列と併走するという、粋な計らいは、日本の緻密な運行システムでも可能なのだろうか…..。

そんな不摂生な夜が続いた日曜日の朝。久しぶりにスーパー銭湯にいって朝風呂朝サウナで、体と心をほぐす。昼頃から音楽聴いて過ごす。というのも「私を構成する42枚」という42枚のジャケット画像を選んでSNSに投稿するのが流行っているらしく、金曜日と土曜日の合間の時間で、なんとなく作ってみた。10代20代でレコードを所有し愛聴して、それにまつわる想い出のようなものがあり、60代になってからも何度か聴いているアルバムをチョイスしたら、こんな感じになって、人に見せると、なんか恥部をのぞかれているよう気分になるので、SNSにはアップしていない状態。こういうのって、自分のコトを振り返るには面白いが、人に見せるとなると、どこかにエエカッコが入って、等身大の私とは違うようにおもうし、ま、でも、それを含めてオモロイ。それぞれが全く違うのを知り、共通性があるのも知り、それぞれの個性の違いを認め合い活かしていくのが、これからの時代性なのか…..なんて。

午後3時頃から散歩がてら自転車に乗って、放出、鶴見緑地、淀川、毛馬こうもん、大川、大阪城とゆっくり漕いで2時間28km。コロナ以降はじめて自転車で淀川を走ったが、BBQとテントがフツウの光景になって、それはそれで楽しげでエエなとおもう。大阪城は相変わらず外人の姿が目立つ。美味しそうにサッポロ黒ラベルの缶ビールを飲んでるサングラス姿の白人二人の姿が視界に入ると、とってもビールを飲みたい衝動にかられ、急いで家に帰って、アサヒ生ビールマルエフをプゥシューと開けて、家でBBQをした。そんな日曜日だった。

 

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