花見。地鎮。陽気。

社員と職人さんとで、お花見をした今週4月10日水曜日。木村工務店史上一番遅い開催日のお花見だった。当初の開催予定日より一週間ズラした、その開催日二日前の月曜日。それなりの雨が激しく降って、翌朝の地面は、桜吹雪が舞い散る美しい光景だった。昼からの暖かい気候によって一気に緑の葉っぱが芽生え、満開の桜と緑の葉っぱと桜吹雪とチューリップが混在する珍しい光景の下で、焼肉を食べた。

社員全員が楽しみに集まってくれるのが嬉しいが、それだけでなく、大工さんや手伝いさんたちも、現場仕事が終わってから、わざわざ木村工務店前にあるこの庭までやって来て、わいわいガヤガヤ飲んで食べてくれるのが嬉しい。木村工務店的感覚としては、正月明けの1月6日の初出に、打ち上げられたロケットが、2月の初午祭で、1段目のロケットを切り離なし、3月終わりか4月初めのこのお花見で、2段目のロケットを切り離して、ようやく衛星本体だけの飛行となって、宇宙に飛び立ち周回軌道に乗っかろう!さぁ今年も勢い付けて頑張ろう!そんな気分になる、毎年のお花見だとおもう。

新築の地鎮祭があった土曜日と古民家の着工お祓い式の日曜日が連続した珍しい土曜日日曜日。

地鎮祭の準備のなかで、四周の角に立つ、竹を用意する必要があって、昔からそういう竹屋さんがあり、地鎮祭の前日に間に合うように、瑞々しい竹を切り、会社まで配達してくれた。そのおっちゃんが廃業するという。高齢が原因なのか、いや新築の着工数が減ったことが原因なのか、それとも竹が少なくなったことが原因なのか、聞きそびれてしまったが、世の中の移り変わりゆく様を象徴している出来事のひとつであるようにおもう。

大阪市生野区にあるこの敷地は、前面道路が東西方向に走っていて、西を望むと、阿倍野ハルカスが真っ正面に見える。写真の左奥に薄っすらと写っているが、阿倍野ハルカスは空や雲と同じようなガラス色で、遠くからとっても際立つシンボリックな存在には、ならないように、ちょっと控え目にしたのかもしれない。先日の東京旅行で見た東京タワーは日本国旗の赤白で目立つし、スカイツリーはスカイツリーホワイトといわれる目立つ白だし。そういえばフランスでエッフェル塔を見て一番感じた事はお洒落な渋い色だな…..際立ち方が違うなぁ…..だった。ニューヨークで見た槇文彦さん設計の4WTCは周辺に溶け込み存在が消えるガラス色に、このビルが建設される経緯を汲み取ると、どこか日本的奥ゆかしいカッコ良さを感じた。高いビルや塔の配色って、ムツカシイな。とおもう。

今日は春らしい晴天で暑いぐらいの日曜日。昭和初期に建てられた古民家の改装工事は、おうちソムリエ設計事務所の松元さんが、設計当初から木村工務店と一緒にやろう!ということで、お施主さんを交えた三人四脚で、設計と見積が進められて来て、コロナ禍を経ての4年越しの着工となった。で、古民家の着工前のお祓いの義を執り行うことになった。今まで、そういう件数は、意外と少ないが、やってみると案外エエ感じだとおもう。地鎮祭のように祝詞奏上など一連の儀式は同じだが、鍬入れ等の儀式がなく、その代わりにお祓いが行われるのが一般的。

室内外の全ての扉を開け放ち、神主さんとお施主さんが、敷地の隅々、部屋の隅々を回ってお祓いをする。その間、参列者の私達は椅子に腰掛けてその様子、というかその気配を感じて待っている。春の陽気。とっても心地良い青空。古ぼけてしまった古民家。開け放たれている窓。神主さんがお祓をする気配が辺りを覆い尽くす。その光景を見ながらワタシ、千と千尋の神隠しの一場面で、ハクが白い竜になって千尋を乗せて飛び立つシーンが想い浮かんだ。窓から過去の空気のようなものが解き放たれ青空に飛行機雲のような白い線を引きながら飛んで行ったように感じた。きっと陽気な天候のせいだな。

ま、そんなこんなの、花見。地鎮。陽気。の一週間だった。

神社マルシェと屋台製作ワークショップ

「神社マルシェ」という、5月12日日曜日に、地元の清見原神社の境内で催す予定のマルシェがあって、その屋台を製作するワークショップを開催した日曜日。そうそう、今年のうちの枝垂れ桜の開花はとっても遅く、今日の日曜日で、ようやく8分咲きの状態だった。なのに一部葉桜になって緑の葉っぱがチラホラ。それはうちの家だけの現象だとおもっていたら、清見原神社前の桜も満開と緑の葉っぱの葉桜が共存している状態だった。今年はちょっと特異な桜の季節だな。で、朝9時からワークショップの準備をする予定だったので、朝食として、庭のデッキに出て、ドリップ珈琲に食パン専用の網焼きでパンを焼こうとしたら、火力強すぎて、焦げ焦げになった。桜と焦げた食パンのモーニング。

古くから木村工務店で増改築を施工している清見原神社の境内で、マルシェをする機会がある時には、木工家の賀来さんがデザインし国産杉材を使用した屋台を使って、「空間構成」をしたいと考えていた。というより、木村工務店内でワタシがデザインした国産杉材による屋台があって、それはそれなりの屋台になっているのだけれど、製作のし易さや組み立てのし易さなどを考慮すると、賀来さんデザインの屋台の方が、コストバランスも含めて、とっても良く出来ていた。で、賀来さんにデザインと講師をお願いし、20台の屋台を製作する、ちょっとハードなワークショップの日曜日になった。

なによりもこのワークショップは、マルシェに出店する人たちが集まって、自分たちが使う屋台を製作する共有体験を通じて、チームワークのようなものが醸造できればエエよねぇ…..という目的意識もあったが、皆で製作した屋台を神社に奉納するコトで、神社マルシェを通じた地域貢献をしたいという願いが、一番のコトだったように思う。あっ、それと、なによりもワタシが心配だったことは、20台の屋台が、清見原神社の境内に設置できるのかどうか、バックヤードが確保できるのかどうか、その検証も兼ねていた。

木村工務店の加工場で製作された屋台のうち7台を清見原神社境内に搬入し、皆であーだこーだと話し合いながら設置のシミュレーションをする。境内から西側の遙か向こうにある大阪湾の方角を眺めると、もう既に鳥居の間から夕日が沈む時間帯になっていた。空を見上げると青空。飛行機が、鳥居の真上を通過して、東側の生駒山の方角に、白い一直線の飛行機雲を引いた。「ワークショップでのハードワーク、皆さん、ご苦労さまでした」と労ってくれたような気がした。

それはそれとして、何よりもハードなシゴトをしてくれたのが木工家賀来さんで、朝の9時前から二人で、20台分の材料を切り分けるための「木取り」をする。最大長さは、杉角材の30mm×40mm長さ1720mmで、スキーケースかスノボケースに一台分の全ての材料を入れ込んで、持ち運べる「木取り」に気遣った。木材からの「木取り」を考えすぎると「気取りすぎ」になるし、「木使い」にいつも「気遣う」のが、工務店だなとおもう。二人で神経質になりながら80本の30mm×40mmの杉角材で、20台分の屋台の材料が、キッチリ取れた時は、二人で、ニタニタしあった。

工務店では、大工さんをサポートする仕事の事を大工さんの「手元」をするって言う。magoがふらっと私達の様子を見に来て、賀来さんの手元をかってでた。その姿を眺めながら、前日の夜は、現場から帰ってきた平星大工に残業をお願いして、杉板材の木取りをしてもらったし、今日は賀来さんに朝から杉角材の木取りをしてもらって、ワタシはその手元をして、大工さんのサポートを数十年ぶりに体験した。そういや、高校生の頃、父から手元のアルバイトを命じられて、5000円もらったけど、あれ、きっと父のポケットマネーだったのだな…..。なんて、とってもハードだったけど、エエ日曜日だった。

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