(たまご)

台風10号サンサンとなる(たまご)が発生し、熱帯低気圧から台風に成長して、日本列島に近づいてくるのに伴い、8月27日、その進路予想が発表されると、工務店の社内は、ザワザワしてきた。大阪直撃やん!現場の台風養生をどうするのか。が一番の問題なのだけれど、2018年の関空台風が、大阪を直撃した時の、あの突風のすさまじさと、通過した次の日の、異常な数の電話問い合わせが、社員の脳裏をよぎるのだとおもう。

結果的には、大阪の気象状況からすると「台風進路予想」というものに翻弄された台風10号サンサンだったように感じるが、それにしても、今まで以上に進路予想というものに興味が湧いてきた台風で、⽶軍合同台⾵警報センター(JTWC)や欧州中期予報センター(ECMWF)などの海外機関の台風予想があるのを知ったし、日経新聞には…..

「発⽣当初には、おおむね真っすぐ北上する予測をしていた気象庁やJTWCに対し、ECMWFは⼀度⻄に反れて四国の南まで進んでから、東に向きを変えて⽇本列島に上陸する可能性を⽰していた。結果的にこの予想が台⾵10号の実際のルートに近くなった。」

「各国はほぼ同様の仕組みで進路を予想するが、分析に利⽤する①気象データ②計算⼿法③スーパーコンピューターの性能が機関によって異なる。そのため、同じ現象の予想でも⼤きく結果が変わってくる」

「台⾵予想は接近すると精度が⾼まる。気象庁の情報をマメに確認するのが⼤事だ」

と書かれてあって、台風予想の難しさをあらためて知るのだけれど、テレビ報道では、その規模の大きさと全国での被害の大きいところが強調され、それゆえに心配が増幅されるので、台風準備を怠らない気持ちも増幅されて、それはそれで有り難いが、実際の大阪での空模様は、台風接近による突風や豪雨のイメージとは、全く違って、穏やかな土曜日、日曜日だった。

大阪直撃の台風予想を考慮すると、8月31日土曜日は、現場での仕事は全て中止で、会社での打ち合わせもキャンセルになり、緊急対応のための電話番以外、全休な土曜日だった。夕方、空を見上げると雨が降る気配がなく、天気予報も曇り。きっと台風で人出が少ないから、大阪駅すぐ近にできた、KITTE大阪を見て、バルチカ03で食事しょっ!ガラガラやでぇ!と出掛けた。

予想通り電車はガラガラだったが、KITTEに着くと、それなりの人出に驚いた。だいたい、皆、同じような感覚なんだなっ。予想は外れ、どこもかしこも食事の場所は行列が出来ていて、バルチカ03のヒロカワテーラーの立ち飲みカウンターの隅っこに無理矢理入れてもらってなんとか食事にありつけた。イタリアンバール ラ・ピニャータとSAMBOA Osaka Terminalをハシゴして、環状線と地下鉄乗り継いで小路に帰り着いた、そんな台風接近の夜だった。

ある意味、印象に残る(たまご)ちゃんだったなぁ…..

 

「窓越し」

夏休み休暇、前々日に、泉佐野で、新築平屋建て住宅の写真撮影があって、ちょっと見学にいく。38度を超す猛暑日のなか、床下には、床下空調機が設置されていて、夏は床がヒンヤリし、サーキュレーターとのコンビネーションで、とっても快適だった。冬の床下暖房機設置の空間体験はあるが、夏の生活している場での床下空調機の体験は初めて。玄関土間から入ると、いきなりオープンキッチンがあることが特徴的な住宅なのだけれど、リビングダイニングと寝室で、L字型に囲われた庭があり、木製建具を使って、囲い込んだオープンスペースの、その窓越しの眺めも特徴的。

夏休み休暇の旅、隠岐の島で、夜光虫を船から見るイベントに参加した。出航して、ホテルの部屋の明かりが、黄色く光って、波の上に、その光がゆらゆらゆらいで幻想的な感じ。空には月明かりがあって、ルナティックな怪しげな光がUFOのように光って、この全体が、ひとつの照明器具のようにおもえた。それに、窓を、覗くっていうのが、なんとも如何わしい感じがするし、なんとなくエロティックな感じもして、船にゆらゆらゆられているゆらぎも加わって、独特の印象として記憶に残る夜だった。

ヒッチコックの「裏窓」という映画があって、数年に一度、視聴したくなる。というか、ヒッチコックの映画をたまに見たくなるのだけれど、その映画の候補のひとつに、裏窓がある。主人公が脚を骨折し歩けなくなって、中庭に囲われたアパートメントの一室の窓から、それぞれの窓を望遠鏡で覗き込み…..さまざまなドラマがうまれる。高校生の時に、淀川長治の日曜洋画劇場で視聴して、いや、ひょっとして記憶が違っているのかもしれないが、それ以来何度も視聴している…..。で、その船の中から、ホテルの窓を見て、裏窓のいちシーンが蘇って、私の脳裏には、その映像がゆらゆらゆらいでいた。

石見銀山にまったく興味はなかったが、島根県文化センターグラントワの建築を観てみたいという衝動が、前からあって、山陰を巡るついでに、絶対立ち寄る場所としてインプットしていた。出雲からグラントアのある益田市までの道中に、石見銀山があると知って、立ち寄ってみることにした。滞在時間を長く取れなかったので、銀山に行かず、古い街並だけを歩くことにしたら、そのなかに1軒、とってもおしゃれに改修した施設があって、服や雑貨、カリーなど、で、そこでパフェを食べる。その2階にギャラリースペースがあり、その窓から中庭をみると、オールドな窓のデザインから入る光の、石州瓦の「赤」と木々の「緑」が幻想的な感じだった。山陰を旅すると、家々の赤の石州瓦がとってもエエ雰囲気で、緑の山々とのマッチングもエエ感じ。この窓越しの光景は、山陰だけの「色合い」におもう。

石見銀山のなかの古民家を改修したパブリックスペースのなかに、水盤のある中庭があって、灼熱の太陽が照りつけるなか、井戸の水をくみ上げて、楽しんでいる、とっても涼しげの様子を、窓越しに眺める。石州瓦の赤い釉薬の瓦とブルーのタイルとの組み合わせは、島根県文化センターグラントワの赤い中庭があって、それを意識するが故に、これが存在するのだな、と想像してみた。

石見銀山という、その当時、お金があるというか、経済が発展した場所の、民家は、こんな山間なのに、とっても豊かな感じがした。それと、いまや、都会のあちこちで、インバウンドの方々に遭遇するが、島根での遭遇は、数えるほどだけだった。出雲大社も、インバウンドの方々には、そんなに知れ渡っていないのだろうし、いや、日本人にとっても、島根は、辺境の地のような気分だが、今回、「島根を旅する」っていう感覚が、とっても良かった。また、また、行きたい。

内藤廣さん設計による、益田市にある島根県文化センターグラントワの駐車場から、施設内に入っていくと、いままで体験したことのないような、艶めかしくて柔らかな「赤」の世界に引き込まれる。窓越しから、建築写真で眺めていた、石州瓦の赤い釉薬で囲まれた、水盤のある中庭を眺め、屋外空間にでて、うわっ、凄い!と感激した。灼熱の太陽のもと、汗流しながら、中庭をゆっくりと一周回って、それだけでも満足する建築空間体験だった。

窓越しの世界って、建築にとって、あらためて面白い世界だな…..とおもう。

 

隠岐の島とか。築地松とか。

隠岐の島に行ってみた。

その動機がなんだったのか…..そうそう、なぜか、今年は山陰を巡ろうとおもった。じゃぁ隠岐の島でも行ってみるか…..それに「Ento」というホテルにも興味があるし…..そんな感覚だった。海と島々を眺められるホテルはいろいろあるが、目の前をフェリーが行き交い、フェリーから覗かれるホテルは珍しい。島は、島前(ドウゼン)と島後(ドウゴ)に別れていて、そのホテルはカルデラ火山の外輪山にあたり、3島からなる、島前の中ノ島にあって…..。なんていう島の成り立ちや、島までどうやって行くか、島の中をどうやって移動するか、それを事前に理解するだけで、ちょっとした時間を費やした。

島流しとか。後鳥羽天皇とか。どことなく、もの悲しい気配が漂うのがエエような…..。おもいのほか多くの神社で祈願し、ジオパークとしてのランドスケープの奇岩に美意識が発動され、岩牡蠣があり、隠岐牛があり、隠岐誉れがあって、味しい食材を楽しんだ。なによりホテルにはTVがなく、海と島とフェリーを眺めて過ごす時間を楽しみ、焚き火と夜空の星々と夜光虫を眺める夜だった。


大阪を早朝に車で出て、境港近くの七類港から隠岐の島へ出港したが、デッキから港を見返すと、そうだ、これ、高松伸の建築だな。と気付いた。すっかり忘れていたが、建築雑誌でみた記憶が蘇ってきたし、不思議な造形美だなと、おもっていたが、こうやって、国賀海岸の奇岩と見比べると、似てなくもない…..。

隠岐の島からの帰りは、境港から松江で宿泊することにして、灼熱の日差しのなか、街歩きをしながら、松江城を見学したら、城のなかが暑いのなんのぉ、Tシャツの背中から汗が流れ落ちる感覚とともに、急階段を登って、天守閣に上がると、とっても心地良い風が吹き抜けて、ほっとひと息ついた。景色を眺め、観光客の涼む笑顔に共感した。

夜、ホテルすぐ近くの松江の老舗のバーらしい山小舎に立ち寄ると、カウンターで、地元の方々との会話に話が弾んで、出雲、松江、米子のそれぞれのメンタリティーの違いのようなものを教えてもらい、出雲の土地は大社に守られている。というメンタリティーを知った。「出雲」「大国主」「大物主」「ニギハヤヒ」「物部」「三輪山」「国譲り」そんなコトバがワタシの頭をよぎるし、「大和」以前の日本を「出雲」に感じ、刀剣の大量出土した弥生文化だけでなく、縄文にも想いを馳せてみた。


前回ブログの「MOKスクール」で、香川県の菅組の菅社長のプレゼンのなかに、バーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」から引用したランドスケープの写真があって、それが、出雲平野の宍道湖付近の「散居」の写真であることに気付いた。今回の旅で、松江から出西釜を経由して出雲大社に向かう道中に、通過する予定だった場所で、あらためてネットで調べてみると、家を暴風から守る風よけの松のことを「築地松(ついじまつ)」とよぶらしい。


こういうランドスケープを自転車でウロチョロできれば楽しそうだが…..と地図を眺めていると、田んぼに、ぽつんと立つ、チョコレート屋さんがあることを発見して、車から築地松を眺めながら、そこに向かい、チョコレートを買って、チョコレートドリンクをテイクアウトする、その待ち時間に、椅子に腰掛けて、田んぼと、築地松を眺めた。「田園」「散居」「築地松」「宍道湖」「山々」独特にエエ雰囲気だな…..。


テイクアウトのチョコレートドリンクを飲みながらドライブし、荒神谷遺跡に立ち寄り、大量に刀剣を「埋める」というメンタリティーのようなものに想いを巡らせ、ロマン街道を走って、「出西釜」に着いた。これが、2回目。日本を旅すると、有田や出西釜などなど、陶器を製作する土地に立ち寄り、陶器を眺め、買いたくなるメンタリティーが、数年に一度やってくる。おもいのほか価格がすることに、ちょっと躊躇しながら、出西ブルーの皿と白の皿をゲットする奥方。ワタシは珈琲カップをゲットした。

須佐神社から日御碕神社に立ち寄ってから出雲大社に行く予定だったが、前日のバーで、稲佐の浜から海岸線が通行止めで、日御碕神社には行けないですよ。と教えてもらっていたので、大社近くで、出雲蕎を食べる口になっていたのに、教えてもらった有名店は、どこもかしこも満員か売り切れで、出雲蕎麦は食べられなかった…..。そんなこんなの、2024夏休みだった。

木村工務店は、8月19日月曜日から通常営業です。

 

MOKスクール

MOKスクールという、「まっとうな木造建築」を普及させるための勉強の場。という活動があって、Ms設計の三澤さん夫妻が立ち上げた勉強会を、最近若い工務店の代表者の方々が中心になりながら、引き継いで運営している。運営の方々から、工務店の立ち位置で、なにかお話しをして欲しい。という、依頼があって、何を話せば良いのか…..河豚でも食べながら打ち合わせをしましょう…..なんていうのが「工務店ブルース」というブログに書いた新年早々の出来事だった。

それから8ヶ月後の今週。大阪仲買会館という、木材卸売市場の買方団体として発足したという協同組合の会館があって、竹中さんの設計施工による木造のとってもエエ雰囲気の会館で、そこで、香川県の菅組さんという工務店の代表をされておられる菅さんとのコンビで、おのおの1時間、その後のトークセッション1時間。そんなイベントだった。ワタシ、「木村工務店とは」ということで、「歴史と今」をお話しすることにしたのだけれど、こういうたぐいのコトを語ると、その次の日、なんかエラソウなことを言ってしまったなぁ…..という自分自身に、恥ずかしさが襲ってきたりするのが、常なのだな。

「SHURE」のマイクを持ったのは初めて。それだけで気分が盛りあがったりするのがブランド力だとおもうが、知らない人にとっては、どうでもエエことで、「ブランドってオモロイ魔法だな」とおもう。いまも、うちの家にあるレコード針は、SHUREの44シリーズ。オルトフォンも好きで使っていたけどね。ちょっとしたイヤホンブームになりだした頃、まだ小さな店舗だった日本橋の「eイヤホン」で、視聴しながら、SHUREにするか、Ultimate Earsにするか、さんざん迷って、Ultimate Earsにした。有線式だが、いまでも家で使っている。そんなことよりMOKスクールの配信システム機材とそのスタッフの凄さに、ちょっとした感動すらおぼえた、講義システムだった。

懇親会、2次会、3次会と、若い、工務店や設計の方々と、楽しく飲んで、深夜、何人かに見送られて、GOして、家まで辿りついた。タクシーを、DiDiからGOに変えて、というか、ちょくちょくGOするようになって、おもいのほか、タクシー料金があがっているのに、最終電車のこと、だんだん頭によぎらなくなって、便利さに負けてしまう、深夜になりがち。MOKスクールのスタッフや参加者の皆さん、ありがとうございました。翌日、生まれて初めての二日酔いを体験してしまいましたが、また、懇親会に参加しますわ。

木村工務店では、今日の8月11日日曜日から8月18日日曜日まで、お盆休暇です。
皆さん、good な夏休みをお過ごしください。

「地車」と「木村工務店」

夏祭りの季節。

地元の清見原神社の夏祭りは7月31日と8月1日で、住吉さんと同じ日程で、大阪の神社の夏祭りとしては、最後の夏祭りらしい…..知らんけど。会社の道路を挟んで自宅もあり、4台の地車が入れ替わり立ち替わりでやってきて、祭り囃子のワクワクするリズムを奏でながら、会社前の道路に停車する。その時間に会社に居てる社員は仕事をとめて、2階事務所から1階の道路にでる。自宅にいてるmagosたちもウキウキした気分で玄関前にでてくる。祝儀を渡し、地車の一番前に乗ってる世話人のひとが、地車から降りて、祭り囃子の音が止まり、ひとときの静寂が訪れる。その精悍な世話人が、木村工務店の事業の発展を祈願し…..と口上を述べて、皆で一緒に大阪締めをする。さぁ打ちましょ! パンパン、もひとつせっ! パンパン、祝って三度! パッパンパン。最後の手拍子は独特のリズム感なので、慣れないと拍子を外しそうになる。パンパンの手拍子に合わせて、鐘の音もチンチンとシンプルに鳴るが、大阪締めが終わったあと、静から動に転換し、祭り囃子が勢いよく活気づき、若い衆が一斉に掛け声を掛け合い、地車を押していく、その時の後ろ姿が好きだな。

地車が会社前にやってきたタイミングで、打ち合わせをしていた、不動産コンサルタントの中塚さんが、一緒に道路まででて、写真におさめてくれた、それを拝借(Thanks!)したのが上の写真。かつては、多くのひとが、家から道路にでて、地車を見送ったものだが、最近は、家に閉じこもったままの家々が多い。この猛暑のせいもあるだろうが、ピンポンと鳴らし、祝儀を取りにこられても、居留守を使うひとも多いのだとおもう。祝儀とか、寄付金とか、何にどう使われて、どんな御利益があるのか、「見える化」されるのが、求められている世の中なんだろう。

木村工務店の塗装工事を担当してくれている山本塗装の山本さんも半日だけは仕事辞めて、清見原神社境内に収納庫がある大友の地車を引いている。先日は清見原神社の稲荷社の玉垣の朱色の塗装を担当してくれたり。会社前で、一緒に大阪締めをし、一緒に自撮りにおさまったりして。

そういえば、7月30日は第五火曜日で、1年に何度かある第五火曜日には、社内勉強会を催している。今回は新建ハウジングに掲載されていた「住宅産業大予測フォーラム2024~三浦祐成講演」をビデオ視聴し、ちょっとした感想を述べあって、そのあと、わいわいがやがやと懇親会を催していたら、この扉の向こうには、前夜祭のために清見原神社に向かう腹見の地車が、コンチキチンコンチキチンと祭り囃子を奏でながら通過していった…..。

道路にでて、世話人のひとと挨拶をかわし、会話しながら、この地に、87年間所在する木村工務店としても、地元の地車に、もう一歩、踏み込んで、関わってみましょうかっ!と、話し合った夏祭りの夜だった。

夏の熱帯夜の電飾

パリ、オリンピックが始まって、心配で見てられない。なんて気分になるのが、オリンピックメンタリティーなんだろう。バレーのドイツ戦は第三セットのデュースになって、接戦の末に負けたところまでみたが、もぉ見るのをやめた。バスケットのドイツ戦も第三セットの途中まで見て、今日はシュート決まらん日やなっとおもって、心配で見るのをやめた。サッカーはマリに勝ったのを知って、再放送を、ビール飲みながら、家プールの監視員しながら、楽しんだ。柔道の男子が「おちた」シーンは、あ然としてみた。女子の巴投げって、あんなに決まるものかと驚いたが、国旗を見て涙するシーンにグッときた。柔道女子の、UTAコールのなかで、大声で泣き叫ぶシーンに「人生」という喜びと悲しみのドラマをプロデュースする神の悪戯を感じた。そのあと一二三の気合いの背負い投げにほっとした。

お洒落にライトアップされたエッフェル塔を背景にした開会式のシーンを録画でみたが、今日の夕方に、BSでエッフェル塔の歴史の放映があって、万博のための建設当時は、伝統的な石造りでない、鉄骨造で、パリの恥だと叩かれていたという。何度も解体される可能性を乗り越え、100年経過し、パリの象徴になっているのが凄いことだな。北斎の富嶽三十六景の富士山のように、エッフェル塔がパリのまちを見守っているというBSのテレビシーンがあって、日本人にとっての富士山のような存在を、建築として新たに創造されたのが、また凄いコトだな。これをきっかけにして、競技場を使わない、オリンピック開会式になっていくのだろうか…..

magosの親たちが、東京に所用で出掛け、1泊2日のお預かりになった土日でもあった。滅多にないことなので、花火&ナイトプールを催すことにした。折角なので、Amazonで、わざわざ電飾を買って、気分を盛り上げることにしのは、小さい頃、祖父母に連れられて旅館に泊まった時、夜のプールにワクワクした想い出があるし、中学生の頃、当時の天王寺にあった、水中エアーステーションがある、あべのプールに、夜に連れてもらったことがあって、その時のワクワク感が残っているからだとおもう。それに、熱帯夜が続くここ数日、夜のプールには丁度エエ気温だし、あと、両親がいない寂しい夜を、疲れさせて、ぐっすり眠れる夜にする「作戦」でもあった。

パリオリンピックのエッフェル塔の電飾とは、雲泥の差だが、夏の熱帯夜の電飾は、案外、気分が盛りあがるのだ。

プール開き。

早朝からセミがミンミンミンミン鳴きだして、夏だ!夏だ!起きろ!起きろ!と叫ぶ朝。ついに梅雨も開けたよね。会社のクーラーが効いた部屋から一歩外へ出ると、ムッとする暑さに、暑つぅ!と口に出すのがフツウになってきた日々。木村工務店のある、生野区小路は、長屋が多く建ち並ぶ密集市街地で、かつては、路地から、心地良い西風が通り抜けたものだが、いまや、路地はクーラーの熱気で、ムンムン。密集市街地は、室外機も密集し、気象庁発表の外気温より、かなり高いのでは…..なんておもう。で、magosたちの夏休みが始まった日の朝でもあって、早朝からセミの鳴き声を聴きながら、奥方が、ついに夏休みがやってきてしまったわ!って呟くコトバに、magosの面倒をみる嬉しさと辛さがにじみ出た朝だった。

夏休みが始まって、GiGiとしてのワタシの仕事は、まずプールを設営することだった。magosの両親から頼まれたわけでもなく、奥方から命令されたわけでもないが、小さい頃に、空気で膨らます円形の小さいプールで、ピチャピチャ遊んだ想い出が、多くのひとにあるように、わたしにもその楽しかった気分が残っている。いま、空気で膨らまさずに、パイプで組み立てる簡易プールが、手に届く価格で販売されていて、そのプールが、わりと建築的だなとおもう。

デッキがあって、庭の幅が2.5mもあれば、というか駐車場の幅と長ささえあれば、プールとプールサイドを作れてしまうのが、面白い。その気になれば、たいがいの家で、プールのある家に変身できてしまうのが、楽しい。このプールを使い出して3年目になって、コツもつかめてきて、セッティング場所にも熟れてきた。早朝とか夕方にセッティングすれば良いのに、真っ昼間に汗だくでセッティングするのが、案外気分が盛りあがるし、その後のビールが美味いこと、美味いこと。

ホースで水を入れて、プール開きの一番乗りはワタシ。と楽しみにしていたら、設置の様子をどこからともなく嗅ぎつけたmagosが、夏休みの宿題を終えてから入れるはずだったのに、まだ水がたまらないうちから、水着に着替え、プールを占領されて、パシャパシャパシャパシャ、はしゃぐ水音。クーラーの効いた部屋からビールを飲みながらプールの監視員をするワタシ。日が陰ってきて、もうそろそろ、プールからあがって、お風呂に入りなさい!という、号令がでて、慌ててプールからかけあがるmagos。それで、夕方の誰もいなくなったプールに、浮かんで、空を見上げる、プール開き初日の日曜日だった。

ツールな夜。

雨模様の海の日の連休。毎年アウトドアーに出掛ける海の日の連休だったが、スマホで、天気予報を、それなりの正確さで把握出来るようになり、連休期間が雨だと知ると、一気にアウトドアー気分が下がる。いや、若い頃は、雨なんて全く気にせず、雨を楽しむ気分で、遊びに出掛けたが、天気予報を気にしすぎるのも、良くないね。なんておもいながら、家で、ツール・ド・フランスの見逃し配信を見る、雨パラパラの日曜日。

ツール・ド・フランスのロードレースの面白さが理解できるようになって3年ほど。この夏の夜の3週間が楽しい。そうそう、お昼の休憩時間のBSで放映されている、大リーグのオオタニさんの試合を見るのも楽しみだな。前にも書いたが、ロードレース界にもオオタニのようなスーパースターの、ポガチャル、ヴインゲゴーという二人がいて、同じ人間なのに、その肉体的可能性、そのメンタル的可能性を眺め、そのスーパーな姿に感嘆しながら、エネルギーをもらっているのだろう。

空撮で、フランスやイタリアの国土が眺められるのも楽しい。建築人としては、ジロ・デ・イタリアでのイタリア国土の空撮に、より建築的魅力を感じるが、レースは圧倒的にツール・ド・フランスが、エキサイティングだ。キャンピングカーを借りて、キャンプしながらフランスの田舎町を巡り、田舎のフレンチを食べ、山岳ステージで応援する一員になり、最終日はパリ、シャンゼリゼを走る勇士を眺め、パリの夜を楽しむ。なんて、憧れだなぁ…..。そうそう今年はオリンピックがパリで開催されるため、最終日はニースになるそうだ。

そんなツール・ド・フランスが6月29日土曜日に開催されて、5日ほど経過した夜。夕食をすませ、Jsportsで夜9時から放映される日本語LIVE配信を眺めていると、生野区のバーソケットの大熊さんからSNSのメッセージが来て、ハリモトさんが、新らたに製作した「モノ」を持ってこられたので、時間あればどうですか…..というお誘いがあった。今日のツールはスプリンターステージで、ひょっとして、カヴェンディッシュがステージ優勝するかも…..なんて、ちょっと後ろ髪を引かれながら、ソケットへ。

数ヶ月前にも同じようなお誘いがあって、ソケットへいくと、そこには、15年以上前にリフォーム工事をした施主のハリモトさんがいて、なんでも、メーカーの革ジャンパーを縫製する仕事をしているが、自分の「モノ」を製作したいとおもって、ワインを革ジャンパースタイルで包み、保温性もある、革ケースを造ったので、見てもらえませんか…..というコトだった。意見するほどの立ち位置ではないが、とりあえず、胸ポケットも手ポケットもない、シンプルな次の試作を造ったらどうですか…..みたいなことを酔いながらワタシが語ったようだ。

で、オレンジの革ジャンスタイルのボトルケースの試作が出来たのが、その日で、ハリモトさんオオクマさんワタシの3人で、あーだこーだ、「モノ」をアテにして、夜な夜な楽しく飲んでいたが、夜11時を過ぎてくると、急にツールの様子が気になって、iphoneでJsportsを表示させる。カヴェンディッシュというのは、ベテラン選手で、新たにこのスプリンターステージで勝利すると、ツール通算35勝の最高記録を達成することになり、多くのファンが、3年越しに待ち望んでいた。それに、いまアスタナというチームに所属し、そのバイクが、ウィリエールで、ワタシもそのメーカーのバイクを乗っているのだけれど、もとはといえば、東成にあるウィリエール代理店の服部産業のウィリエール営業のキタムラくんが、「まちのえんがわ」に遊びに来たことから付き合いが始まり、その縁で、ロードバイクに乗るようになった。

午前0時前に、慌てて、ソケットをおいとまし、ゴール前の熾烈なせめぎ合いに、なんとか間に合い、家のテレビの前で、その勝利の瞬間を目撃した。とっても多くの選手や観客やスタッフや家族に祝福される感動的なシーンを眺める夜になった。ちなみにキタムラくんはSNS上で、その感動的シーンをリンクしまくっていたし、ハリモトさんは、ツールとは、全く関係性がないが、ワタシにとっては、この黒革スタイルのアードベックとオレンジ革スタイルのグレンモーレンジの姿が、カヴェンディッシュの姿と結びつく、印象的な夜になった。

で、先日開催した「まちのえんがわ」Gallery&Barに、ハリモトさんが、家族連れでおこしになって、例の「接続世界」を見学し、サヤカリーを食べながら生野区のものづくりの仲間達とつながり、「ものづくりの拡張」的な会話が弾んだ。こうやって、かつて家づくりに携わった方と、一緒に飲みながら、あれやこれやと話をする機会に感謝した一日だった。

まちのえんがわ Gallery&Bar 「接続世界」

「まちのえんがわ」Gallery&Barを催した土曜日日曜日。それにしても暑い!むっとした暑さの二日間のなか、「平地エリ」さんによる「接続世界」を開催した。スピーカーがあり音が鳴る物体。基板による配線でなく露出された空中配線。真空管を使っている。自ら撮影した360度写真を球体に、水圧転写の技術で貼り付けている。音に合わせてダイオードが光る。流木を使っている。そんなのが主な特徴の現代芸術で、海外での評価はあるが、日本ではまだまだ評価が薄いという。ワタシは好きだな。

どんな道具を使って、半田付けをし空中配線をしているのか気になるので、彼女の使う道具を展示してもらった。私たち工務店としての立ち位置は、ものづくりというのは、素材と道具があっての職人芸。水圧転写も自宅でどのような方法で製作しているのか気になるので、製作風景の写真でも欲しいね。というと、とうていお見せできるような格好でなく、自宅のお風呂で、裸に近いような状態で、ガスマスクを付けて製作しているという。美しい球体ができるための影の努力を垣間見た。

土曜日の夜に、展示とBarをやるのは、現代芸術をアテにして、お酒を飲みたいというのもあるが、このGalleryスペースは、主に大工さんが、鑿や鉋を使って木材を加工する加工場で、天窓があって自然光が入るようになっている。それが自然光による展示スペースとしての特徴にもなっているが、光を発する作品の良さを殺してしまう反作用もあって、今回のような光を発する作品には、夜の展示は必須だったようにおもう。

夜はオトナの世界でもあり、平地エリさん好みの、ウィスキーのラガヴーリンやアブサンとか、アーティスト好みを反映したお酒で、アーティストとコミュニケーションをする楽しさもあるが、お昼になると子供連れの家族も見学に来て、コドモ達にアートやものづくりに触れる機会になって欲しいともおもう。できれば中学生や高校生や大学生も気軽に見学に来られるアートスペースになれば嬉しい…。平地エリさんも小学校5年生の息子さんを連れてこられた。彼が、コドモ達やオトナにも、母親の作品の説明をしている姿には、微笑ましさがあったし、そのあと、テーブル席で、初対面の子供たち5人ほどで、ゲームを楽しむ姿を、傍目で見守る母親達の姿には「まちのえんがわ」としての役目があったようにもおもう。「まちのえんがわ」では、サヤカリーも同時開催していました。

アートプランナーとしての「おかけんた」さんが、ふらっとお越しになって、平地エリさんのアート作品と、このGalleryスペースに触れてもらった。ワタシは初対面だったが、Gallery&Barとしての木村工務店の加工場は、まだまだ認知度も低く、あくまで仕事場としての加工場でもあるので、開催日の制約を含めて、1年で開催できる日は数日だけだが、人と人の繋がり、美の拡張、ものづくりの拡張を、楽しむ機会とスペースになれば….とおもう。そうそう、日曜日の夕方5時30分に閉幕し、平地エリさんが、息子さんと二人で、作品を梱包して、カートを押しながら歩いて帰る姿があった。なんだかとってもエエ感じだったなぁ…..。


     


   


 

「薪焼き料理」と「キュビズム」

京都に行くことになった日曜日。

フレンチのシェフ上地くんとは、自宅に何人かの友人を招いた食事会で、フレンチの出張シェフとしてのお付き合い。6人以上のフレンチを手に届く価格で、それぞれの自宅にて提供してくれる。お店を持たず、出張料理をメインにしながらシェフとして生計が立てられるのは、SNSを中心とした現代的コミュニケーションツールが発達したお陰なのだろう。

で、京都二条上がるにある「CAMPOsuOVEST カンポスゥオーベスト」という薪焼き料理専門店で、14人ほどのお客さんによるコラボ企画をするので、予定が合えば如何ですか…..と、奥方にLINEを通じたお誘いがあった。料理人どうしが「コラボする」なんていうのが現代的在り様なのだろうし、ホームページには「キャンプ料理をプロの料理人が再構築。薪焼き特有の燻された香りや火入れをソムリエ厳選ワインや、フルーツカクテル、クラフトビールとのマリアージュで」とあるように、薪焼き料理とフレンチとカクテルのトリオで、料理を提供する企画だという。

厨房のなかを覗かせてもらうと、自分で造ったという薪焼き台で、火加減を調整しながら調理をしていた。最近は、ウィスキーでも、スモーキーだな。とか、ピート香(しゅう)がエエな。とか、そんなのを楽しめるようになってきた。そんな調理された素材のスモーキーな香ばしさを楽しみ、マリアージュされたカクテルでリフレッシュし、フレンチの上品なソースを楽しみ、新たなカクテルでリフレッシュし、またスモーキーを味わう。ピアノとベースとドラムのピアノトリオのようなコミュニケーションを、若い3人の料理人が格闘しながら楽しんでいる様子が伝わってきて、とってもエエ時間を過ごせた。そうそう、薪にはどんな種類の木を使ってますか?と聞くと、何より乾燥が大事なんですぅ!という。確かに。

   
       

午後3時頃に終了し、ポツポツ雨降るなか、京セラ美術館で開催されている「パリポンピドーセンター キュビズム展 美の革命」に向かう。どうしても会期中に行きたいと思っていたので、この食事会は願ってもない機会だった。この美術館は2度目だが、とってもエエリノベーションだな。とおもう。行列が出来ている様子もなく、当日券でスムーズに入館し、音声案内のヘッドホンを購入して、解説を聴きながら絵画を眺め、写真撮影が許可されていたので、時折iphoneでパシャリ。ピカソ、ブラックから始まって、コルビジェのキュビズム以降で終わった。

学生時代の建築学科の授業に、「キュビズム 美の革命」のような授業があれば、若い頃からもう一歩、ピカソやコルビジエに近づくことが出来ていたようにおもう。先日、生野区のものづくり企業の若い友人たちと食事をともにしたが、興味は、デザインというコトバより、民芸というコトバより、現代美術のゲイジュツというコトバのほうに、より魅力を感じ、そこから吸収し、ものづくりに活かしたいという。「美の革命」とか、「美の拡張」とか、そういう芸術理論を理解し、「ものづくりの拡張」を目指したいのだとおもう。

夕方になって、脳もお腹もいっぱいいっぱいだったので、四条の新京極スタンドで、軽く一杯飲んで、京阪電車のプレミアムカーに乗車し、大阪の生野区の小路に帰り着いた。たまに京都にいくと、やっぱりエエよね。

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