山形県川西町吉島地区との交流会

山形県に川西町吉島地区という地域があるそうで、そこの「NPO法人きらりよしじまネットワーク」という団体のメンバー11人と「ものづくりセッション」メンバー10人ほどが、木村工務店の加工場に集結し、会合を催した金曜日の夜だった。「世界一受けたい授業」に出演していた中村先生が、ふらっと、ものづくりセッションに参加するようになって、その数回目のある日、山形県からある団体が大阪に視察にくるので、ここ木村工務店の加工場で、何か、会合を開いて欲しい…..という、軽る〜い話だった。

「ものづくりセッション」は、行政マンのタケダさんと建築マンのワタシの二人で開催する「遊び」で、タケダさんは、行政マンとしてでなく、プライベートの立ち位置で開催し、タケダフィルターを通過した参加者が招待され、ワタシは、その会合にマッチするような「環境」を創造する役目で、生野区のものづくり企業を中心とした、ものづくりに興味のある人達が、集まって、その日のプレゼンターが、自分のおかれている現状や考えや悩みを皆とシェアーし、それに対して、コメンテーターや参加者が、無責任ながらも愛あるコメントをやりとりして終わる。けっしてこの場でプロジェクトを扱わず、その後の結びつきや成果は、それぞれの責任において、勝手に行われる。時として、そのフィードバックが発表されることもあるが、ま、軽いトークイベントだともいえる。セッション後の懇親会は必須で、その日のプレゼンを酒のアテにして開催されるのだけれど、なんだかんだ云っても、結局は、それぞれの抱えている課題を、いったんリセットする場であるとおもう。

早朝に山形県を出発し、新幹線を乗り継ぐと、お昼過ぎに新大阪に到着するそうで、案外、遠いようで近い。とっても多くのインバウンドがやってくるようになって、YouTube上での、そのインバウンドの方々へのインタビューが面白く、視聴すると、日本人の親切と丁寧を褒めるとともに、鉄道交通網の素晴らしさを賞賛する方々が多い。新大阪駅に到着してからマイクロバスに乗って、生野区の代表企業のひとつ、「リゲッタ」さんを見学し、その後、この木村工務店の加工場にやってきて、タケダさんのプレゼンと「電研」の桐島くんのプレゼンのあと、きらりよしじまネットワーク事務局長高橋さんのプレゼンで終えた。

日本のなかの東北と近畿。山形と大阪。農業を産業とする山形の吉島地区。小さなものづくりを産業とする大阪の生野区。お互いの共通点は、住民人口の減少とその産業人口の大幅減少であると知るし、その危機感に対して、どちらも一部の若い世代が立ち上がり、良いまちづくりを模索することを通じて、人のエネルギーの活性化を通じて、ブレークスルーを目指そうとしているところに共通点があるのかもしれない…..なんて薄々気付くものの、限られた時間が、それ以上の深淵を模索することを許さず、それが、ある意味、時間の持つ容赦ない良さであるとおもえる年齢にもなってきたが、ま、それはそれとして、山形県から送られてきた、とっても美味しい地酒と漬けもんの試飲と試食をし、粉もん文化大阪、小路の、じゃんぼ総本店で、懇親会をすることで、そんな課題は一端リセットする夜になった。

懇親会には生野区長も参加し、流石に「長」たるものの使命は「成果」だと気付くのだけれど、2月頃には山形県吉島地区に訪問する約束をとりつけて、とっても楽しい交流の半日が過ぎ去っていった…..で、この日のコトは終わっておくところだけれど、とってもとっても蛇足ながら、こういう地方の方々が訪問される機会があると「大阪」という出来事を客観的に眺めようとする機会になって有り難い。その時に、もっとも参考になる本のひとつに、中沢新一の「大阪アースダイバー」があって、そのなかの生野区に関係する目次を列挙したスライドを作って、紹介した。

右からひとつ目の段落「女神の原像」は「大阪のおばちゃん」の成立に関してで、小さい頃から、たこ焼き屋さんやお好み焼き屋さんや駄菓子屋さんや友達の家に行って「おばちゃん!」と発するコトバは、とっても親しみを込めた大阪弁で発音し、そのことで愛とエネルギーを貰えるようなコトバだったようにおもう。右から二つ目の段落「コリア世界の古層と中層」は、ものづくり大阪の土台の成立の話で、五世紀の頃、伽耶から大陸の技術もった多くの移住者が生野区と平野区に住み着いて「融合」した話であり、それがものづくり大阪の土台としての古層を作ったという。

おそらく、木村工務店が、この生野区のこの場所を拠点として「ものづくりの工務店」として存続していきたい…..というその想いの一端は、この地にある、ものづくりのDNA、それを、ものづくりのミームと読んだほうが良いかもしれないが、とにかく、ここで、そういう「ものづくりのパワースポット」的エネルギーを享受しながら「ものづくりとしての工務店」を想起し続けたいからだとおもう。

ハイカーの集う加工場くん

ハイカーハングアウト」というハイカーが集まるイベントが開催された土曜日と日曜日。木村工務店の加工場をどのように使うか…..を考えた時、何よりも、大工のための手加工ができる作業場として活用しよう…..としたのが、30年ほど前の出来事で、それまで、この空間のほとんどを占領していた木工機器を売却し、空間=スペースとして残すことにした。そのお陰で、地元の清見原神社の増築工事をこの加工場で1年かけて手加工する作業場として活用することが出来たし、木材加工がプレカット加工が主流になった現在でも、手加工が必要な木組みも一定数あって、そのほとんどは、プレカット工場に専属する大工さんによって手加工されるのだけれど、木村工務店では、そんな部分をこの加工場に引き取って、うちの大工さんによって、手加工することにしている。何よりも手加工の技術を後世に伝えるためにも大切の仕事だと考えている。

その手加工する時は、この写真にあるような「馬」を使って、その上に木材を乗せ、大工さんが手加工をする。そのためになくてはならないのが、この「馬」で、高さとか、長さとか、重さとか、その時々の大工さんの好みによって作られて、代々引き継がれたり、新しく作り直したり…..と、大工を抱える工務店の必需品だとおもう。その「馬」が、ハイカーたちの椅子として、とっても重宝された今回のイベントだった。

土曜日は4人のハイカー達によるトークイベントで、アメリカの3大トレイルルートを走破した日本人は10人ほどらしいが、そのうちの5人がこの会場に集結しているらしく、4人のロングトレール経験者のそれぞれから語られるトークは、その経験値を等身大で語るがゆえでもあるのだろうが、とっても興味深く、オモロイトークイベントだった。建築的な関連性からピックアップするのなら、GPSや携帯電話を使わずゴミ砂漠を歩く事を自分自身のルールとして旅する奥村くんは、いま自分が立つ位置関係を、出発した町からの距離と四方に見える山々をスケッチブックにスケッチし、その山々に名前を付け、神話として、物語を作って、そうすることで、自分が戻る方向を記録に残すのだという。

それはまるで、平面計画がされた、もしくは、途中の段階の平面計画で、平面上の自分の立ち位置とその前方の窓や、その建築的関係性をスケッチとして表現するのと似ているし、この旅で、生きて帰るために、出発地点に戻る場所をしっかりと記憶に留めるための作業が、スケッチだそうで、書くことによって記憶に残り、その記憶を喚起するために、たまに見返すことがあるぐらいだそうだ。そして神話として、山々を命名し、その関係性を物語として構築することで、記憶として残るのだという。それゆえ、私の命を繋ぐ山々が、神だとおもえる時がある…..と、その後のBarタイムでの個人的会話で語ってくれた。

全国各地から木村工務店の近くにあるゲストハウスに泊まりながら多くのハイカーが集まってきた「ハイカーハングアウト」なのだけれど、木村工務店の加工場史上、初めての出来事があって、このイベントのスタッフの数名は、この加工場のコンクリートの土間の上に、建築の外壁に使う、透湿防水シートのタイベックを敷いて、寝袋で宿泊をした。ハイカー達って、どこでも気軽に寝れて凄いね!超軽量のキャンプ道具の進化があっての事でもあるが、きっと、加工場くんも、ビックリしているとおもう。

今日の日曜日は、中古グッズの販売をするマーケットとして加工場が活用された。木村工務店の加工場くんにとって、驚きの二日間だったとおもう。

集中豪雨。同級生家族。ハイカー。

土曜日の昼過ぎ、会社の周辺が、突然の豪雨にみまわれる。樋から雨が溢れ出し、あっという間に道路に20センチほどの水が溜まって、道を横断できないほどの水量に。50ミリ以上だったらしい。車が通過すると水飛沫が立ち上がるほど。床下浸水しないか心配なワタシをよそめに、magosの目はキラッと輝き、制止を振り切り、運動靴のまま、水のなかへ、楽しそうだな…..。それで、こういう時は、市役所に連絡し、排水の改善を依頼すれば良いのかね。これぐらいの案件は、きっとたらい回しされるのかぁ…..なんて、この衆議院選挙を前後しての混迷する「政治」を見ていると、そんなふうにおもってしまう。

短時間の集中豪雨だったので、雨の勢いが弱まると、一気に排水口に雨水が吸い込まれていき、フッツウの状態に戻って、ほっとした。夕方から同級生家族の夫婦と息子さん夫婦と男の子三人、うちも夫婦二人に長男夫婦とその男の子二人、そして、同級生家族の家づくりを担当した、シノダくんとツジムラさんも参加して、総勢15人ほどの食事会になった。出張フレンチのシェフ上地くんに頼むと、薪ストーブと炭火を使ったアラカルト料理を作ってくれて、ちょっとグルメな食事になった。集合写真を撮るのを忘れて、それにまともな写真がないぐらい、延々話が続いていくのは、お互いが青春時代の共通の「記憶のこぶ」をもっているからだろうが、それだけでなく、お互いの息子夫婦とmagosたちと一緒に食事を共にする時の、それぞれの会話が奏でる、ワイワイガヤガヤの響きが、とっても心地良かったからだと思う。感謝しかない。

そうそう、来週は、加工場で、「まちのえんがわ」Gallery&Barとして「HIKER HANGOUT」 というイベントを開催します。関西を中心としたハイカーのためのイベントなのですが、もともとは、谷町で「谷ノ木舎」を運営する中川くん家族が、「まちのえんがわ」ワークショップに古くから参加してくれていて、数年前に、山道具を販売する「谷ノ木舎」を立ち上げたのを知って、何か一緒にやれることが、あれば、やりましょう!というのがきっかけになった。ワタシも30歳前頃から55歳頃まで、友人が運営に携わっていた、丹沢の「堀山の家」の山小屋に、年に4回ほど通っていた経験もあるので、ハイカーには、それなりの親しみを感じる。

想定以上に、イベント計画がポジティブに進んで、50人以上のハイカーが集まるイベントになる予定だそうで、水曜日の夕方、その関係者が木村工務店の加工場を下見にやってきた。その打ち合わせ後、一緒に、食事を共にしたが、参加者の多くは、山の頂上を目指すピークハンターではなく、ロングトレイルハンターで、登山家というより歩き旅を楽しむハイカーで、大阪人の褒め言葉としての「アホなヤツ」ばかりで、とってもオモロイ時間だった。モンゴルゴビ砂漠を徒歩で何度か横断してるヤツ。に話を聞くと、あのテレビVIVANTの砂漠シーンのあの場所を徒歩で旅しているのだという。メキシコからアメリカの西海岸沿いにカナダまで歩いているヤツ。とか。それぞれが、さまざまな場所を、かなりの日数をかけひとりでロングトレイルの旅をする楽しいヤツらだ…..。興味のある方は是非。

ワールドシリーズ

土曜日のお昼休憩に、会社から道路を隔てた向かいにある自宅に行って、昼食がてらテレビを付けると、ドジャース対ヤンキースのワールドシリーズが放映されていて、大谷くんがバッターボックスに向かう場面だった。スコアーを見ると、10回の裏3対2でドジャースが負けているが、1塁2塁にランナーがいて、ホームランがでれば、サヨナラ逆転スリーランホームランになる。ドラマのような劇的場面への期待が高まるし、こういう演出されたような状況に、ぴったりと大谷くんが登場するのが、ファンを惹きつける由縁なのだろう。

一球目を強打して、ファールフライをスタンドに飛び込みながらキャッチされて、誰もが、あーぁ、っと呟いたとおもう。キャッチしてスタンドに飛び込んだら、ランナーは進塁できるとは、全く知らなかった。で、2塁3塁になって、1塁が空いていたので、ベッツが敬遠され、フリーマンが打席に立って、その一球目を、豪快なサヨナラ逆転満塁ホームランを打った。思わず、漫画のような、ウヮーーというコトバが出たし、凄ぉぉい、やったー、と漫画コトバ3連発だったが、それにしても、いつからオレはドジャーズファンになったのだっけ。と我に返った。気が付けば大谷くんのドジャースを応援する日本国民だな。

その夜、奥方が旅行でいなかったので、ひとりで、ふらっと、自転車に乗って、居酒屋のカウンターで食事をする。テレビには、日本シリーズが放映されていて、満員の球場の映像をみて、野球ファンの多さにあらためて驚くワタシなんだけど、右隣の女性の方と、なんとなく話をすることになって、やっぱり今は、オオタニくんよね。と日本シリーズが放映されている最中に云いながら、マスターも一緒になって、午前中のワールドシリーズの試合の話でひとしきり盛りあがったあと、その女性が言うのには、女性ばっかりが数人集まると、オオタニくんにとってのどういう女性になりたいか…..という話題になることが、よくあるという。それにしても、ほとんどの人がオオタニくんと君付けなのだ。

奥さんになりたい…..というひとも、ま、ま、いるが、タイヘンそうだし…..みたいな感覚で、母親になりたい人が多いという。今という時代、家庭にしても会社にしても「育てる」というのは、社会的問題でもあるのだろうし、優秀な息子を育てた母親はステータスのひとつなのだな。で、その方は、オオタニくんの奥さんのお姉さんになりたいと云う。「私の妹の旦那がオオタニくんなのよぉね」なんていうのは、確かにちょっとカッコエエよね。知らんけど。品行方正でストイックでチャレンジングで笑顔をたやさない、オオタニくんは、いまやキリストやブッダみたいな存在になっていくのか…..。ひとつのビジネスモデルでもあるよね。

そうそう「第8回木質建築空間デザインコンテスト」で、建築家の矢部さん設計で、木村工務店で施工した、「ササハウス」が住宅部門賞を受賞したそうで、そのお祝いという名目で、矢部さんと野田のお店をはしご酒した日曜日の夜だった。

「オープンハウス」と「地車」

秋だな…..。

建築家の矢部さん設計で、木村工務店で施工した「フルハウス」という住宅のオープンハウスがあった日曜日。大阪の生野区から現地まで、自転車でトロトロ走りながら向かう。9km35分也。昨日まで、昼間は暑く、長袖を脱いで、Tシャツで過ごせたのに、今日は、走り始めると、Tシャツでは肌寒く感じて、そそくさとバックから長袖を取り出して、上着を羽織って走る。昨日との気温差が7度もあったそうだ。ゴチャゴチャした街並のなかに、時折出現する商店街が好きだな。ガラガラの商店街をゆっくり自転車で通り抜ける時の感覚が好きだな。目が、映画カメラになったように感じるのだな。到着したら、秋晴れの青空のもとで、連続するサッシュ窓から、矢部さんが出現した。で、挨拶を交わす。

コンクリート打ち放しの壁と天井が、構造体として、内装材として、その存在感がしっかりあって、それを包むように、断熱材がしっかり充填された、木造軸組構造の柔らな外壁がある。コンクリートの構造体に取り付く木造の外壁というハイブリット的な構造。3mの天井高。空中に浮いているような、どーんとしたコンクリートの梁が、空間性を分ける。中心のある家的な、コンクリート壁で囲まれた安心感のある2階部分のダイニングスペースには、コンクリート梁の開口部の外にある、縁側のようなペリメーターゾーンから、南の太陽光、北の柔らかな光、東の朝日、西の夕日が、時間軸を伴って差し込んで、時空間としての独特の居心地良さがうまれていた。縁側のようなペリメーターゾーンにある、北向きの窓際の、マレンコの椅子に座って、コンクリートの壁に取り付いた、わりと至近距離にあるテレビを視聴すると、ひとりでシネマを独占しているようで、写真以上に快適だった。施主の住みこなす力も凄いね。とおもった。

生野祭りがある日曜でもあって、生野区の地車が巽公園に集合するのだけれど、その公園の中の数メートル区間を、大友の地車に車上しませんか!というお誘いがあったので、「オープンハウス」の帰りに巽公園まで自転車で走る。7.8Km32分也。12台の地車が集合する勇壮な雰囲気と、複数の鐘と太鼓の音色が混じり響きわたる空間には、ワクワク感があって、多くの観客と一緒に一体感を感じながら楽しめたのは、先週のブログに書いた、複数の地車の鐘と太鼓のリズムからうまれるビートの繰り返しと、リズムの複雑な混じり具合によって、脳が快感を得て、報酬を得る。それは皆で協力することによってうまれ、「集団の絆」のようなものを育む。なんていうのを頭の中でもう一度リフレインしてみた。

「ヒトはなぜ歌うのか」

ようやく、窓を開け放ち、心地良く過ごせる季節になって嬉しい。もう日本は、夏と冬だけになって、春と秋はなくなってしまうのか…..と心配していたが、秋の気配を感じる穏やかな日曜日。

先日の「生野区ヒートアッププロジェクト」で「お寺deジャズライブ」というのを聞く機会があって、無料のコンサートだったこともあるのだろうが、「大阪のおばちゃん」がいっぱいで、驚いたが、とってもリラックスした楽しいコンサートだった。なんだけど、なんで、こんなに「ヒトは音楽を聴くのだろう…..」というのがあって、ワタシも60歳を超えて、不思議に思春期に聴いた音楽が懐かしく感じられ、脳がそういう刺激を求めているようにも感じて、たまにそういう音楽がかかるミュージックバーに通ったりする。なんでなんだろう…..。そうそう、NHKのフロンティアのシリーズに、5月頃に放映された「ヒトはなぜ歌うのか」というのがあって、見逃していたので、この機会に視聴してみた。

音楽を聴くと、脳は「聴覚野」と快感物質をだす「報酬系」と「記憶」の領域をつなぐネットワークがうまれるらしい。よーわからん話だが、とにかく音楽を聴くと、その時間軸上に、リズムが存在し、その「ビート」が繰り返されると、脳の「予想機能」が働いて「ビート」を予想することで脳が快感を得て「報酬」を得るという。たまに予想のはずれたビートがあると「予想の複雑さ」を喜んで、より大きな「報酬」を感じるという。確かに、そういわれると、とくにJazzには「予想の複雑さ」を求めて、喜んでいるようにもおもう。

で、「記憶のこぶ」という興味深い脳の現象があるらしく、思春期に聞いた音楽がその人にとって特別な曲として記憶に焼き付くという現象で、脳の「報酬系」が最も活動するのが思春期だからだと考えられているらしい。認知症の人達が、そういう思春期の音楽を聞くことによって、「内側前頭前野」というヒトの脳で特に発達した部分が活性化されて、認知症の回復にもつながるという…..。なるほど。そういうコトで、そういう音楽を聴きたくなるのだな。少しずつ忍び寄る自分自身の認知症的な部分を音楽を聴くことで、脳を刺激しようとしているのかもしれない。

「ヒトはなぜ歌うのか」というのが、メインのお題で、アフリカに狩猟民族のバカ族という、いつも歌っている50人ほどの集団があって、皆で集まって歌うことを「ベ」というらしい。「ベ」するって、なんとなくカッコエエコトバだな。女性を中心に何人かで歌う様子をマルチ録音し、楽譜化すると、それが「完全4度のポリリズム」だったそうで、快感を得る音階と複雑なビートで「グルーヴ」感がうまれて、ビートの予想が複雑になり、脳が喜び、報酬系が活性化し、大量の報酬物質が体を動かす「運動野」まで働きかけるという。

ちなみに「完全4度のポリリズム」をChatGPTで調べると…..

「完全4度のポリリズムは、リズムやメロディにおいて、音程関係が完全4度(5つの音の間隔)で構成されている音の組み合わせを基に、異なる拍子を同時に伝える技法です

「ポリリズム」とは、複数の異なる拍子が同時に演奏される状況を許します。例えば、3拍子と4拍子が同時に演奏される場合があります。これに「完全4度」が絡むと、音楽的には特定の音の間完全に四度の関係を眺めながら、リズム的に異なる拍子が重なります。

具体例として、ド(C)とファ(F)という完全四度の関係にある音をベースに、3拍子でファのリズムを、4拍子でドのリズムをような複合的なリズムと音程構造を持ったものが考えられます。

現代音楽やジャズ、プログレッシブロックなどでこのような高度な音楽技法が使われることがありますが、完全4度のポリリズムは独特の響きと複雑なリズム感を繰り返します。

その歌うリーダーのアフリカ人女性へのインタビューが面白く、「一番大切なのは周りの歌をよく聞くことだ」という。テレビの解説では、「きっと彼女らは初めて習得するときから全体の中の一人として参加していて、他の人と違う歌を歌い続ける、ずらしたリズムは、むしろ他の人がやっていないことを自分がやるということで、より緻密で満たされるというあり方が、社会との生き方と繋がるものがある…..」とあった。

報酬系は食欲など生存に不可欠な物で活性化するそうで、報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽はヒトの生存に不可欠だということになり、ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」だったと思います。とあって、動物はグルーミングで「集団の絆」を確認しますが、ヒトはその代わりに「音楽」が生まれたのではないかという。集団が協力し合うためにとっても役立つ発明だったはずだとも。私たちは人とつながるために音楽を手にした。それは誰かとつながっていたいという潜在的なシグナルなのでは。ヒトはなぜ歌うのか「集団の絆」がその答えだとおもう…..と。なるほど。

開け放たれた窓の向こうから、そよ風とともに、清見原神社の秋祭りの地車の鐘と太鼓のリズムが聞こえてくる。「集団の絆」であり「潜在的に誰かと繋がっていたいというシグナル」のような、そんな地車の音色に感じてしまう日曜日の昼下がりだった。

「生野区銭湯いまむかし」

生野区のヒートアッププロジェクトの一環として、「生野区銭湯いまむかし」が、加工場で開催された日曜日。銭湯経営の方々から、生野区は大阪で一番銭湯が多く、ほとんどが、石川県の加賀地方や能登地方から移住してきた人によって銭湯が経営された。と知って、へぇーっと驚くとともに、豆腐屋さんも石川県出身者によって経営されて、豆腐に辛子を入れる文化は石川県から伝わった。と知って、また、へぇーっと驚くのだった。

大正時代や昭和初期に、大阪市生野区の田んぼや畑を持つ地主さんから土地を借りて、そこに長屋を建てた、船場を中心として財をなした商人さんたちがいて、ま、そのことはおいといて、その長屋に住もうとする地方からやってきた、新たな移住者や起業をしようとする人達がいて、その長屋にはお風呂がないのが普通で、その長屋に子供や祖父母もふくめて、4人や6人など大家族で住んでいると、必然的に、遠いお風呂さんに行くより、近くに銭湯が欲しいという需要が高まって、長屋が沢山建ち並ぶ生野区に、銭湯が増えていくのは必然だったようにおもう。

尚かつ、その長屋で起業し、ものづくりをする人達がいて、その最たるビジネスモデルが、松下幸之助さんなのだけれど、そこで働く職人さん達が、汚れ作業のあとに銭湯に入ってから家に帰るという文化もあって、銭湯というものが、なくてはならない存在だった。ところが、お風呂がある鉄筋コンクリートマンションが出現すると、銭湯文化は徐々に衰退し、そのうえ、ホクサンバスのようなユニットバスの出現によって、お風呂のない長屋の裏庭に、家風呂を設置しようとするブームもあって、どんどん銭湯文化の衰退が加速していくという。

生野区の長屋の大家族の人達は、成人になると、生野区を離れ、さまざまな場所で住まう事になり、生野区の長屋の四分の一が空き家になったり、高齢者世帯が、二人や一人しか生活していない状況で、ますます銭湯を使うひとたちが減少してくる状況下に、追い打ちを掛けるように、数年前の大阪を襲った関空台風によって、煙突などに大ダメージを受けた銭湯も多く、生野区の銭湯は、半減を通り越し、どんどん廃業していくのが、現状だという。

1970年代に、銭湯にサウナを併設したのが生野区発祥らしく、それ以降、サウナを併設する銭湯も増えて、それは付加価値としての銭湯経営であったのが、最近のサウナブームで、サウナがあるお陰で、銭湯のサウナに入りにくる若い世代が増えてきてるという。それに、子供達が独立して、高齢者世帯になってくると、家風呂に入ってお風呂を掃除したりするより、銭湯に行くほうが、楽やわ!という人達もそれなりに存在し、銭湯に通う人達は一定数存在するものの、経営的には、もっと入浴者数が必要らしい。

そんな状況のなかで、今回の「生野区銭湯いまむかし」のトークイベントでは「銭湯」が「サードプレース」のような存在として「地域デザイン」というか「地域コミュニティー」の役割を担っていく可能性があるのではないか…..銭湯が多く存在するまちが、まちの魅力のひとつになるのでは…というのが、テーマの中心になりながら、銭湯で「0次回」「衣食湯」をテーマに掲げている銭湯経営者の方もいて、銭湯に入ってから、食事会をするのが一次会で、その後の二次会があるにしても、まず「0次回」を楽しもうよ「湯=遊」でもあるという、提案があり、それは、温泉地の文化でもあるわけだけれど、それを都会でも日常的に楽しめる遊び方があるよ。銭湯行って地元の居酒屋で飲むのも面白いよ!というコトだった。

また、銭湯の掃除をするボランテイアを募集すると、銭湯経営者は懐疑的だったのにも関わらす、それなりの社会貢献をしたいという人達が集まってきて、銭湯の掃除をした後に一番風呂を楽しんだというし、お風呂場でヨガをして、そのあとの一番風呂に入ると、発汗作用も含めて最高だったという。そうそう、それぞれの個性的なアメニティをいれたお風呂セットを見せ合い、新たなデザインを考えよう…とか、厚い今治タオルより薄い泉州タオルのほうが銭湯向きでは…など、銭湯に車で行って洗車してもらっている間に体も洗う仕組みとか、銭湯がシェアーバイクの基地になる仕組み、などなど…..。

都市中心のストレス社会になって、そのストレスをどんな方法で解放していくかは、これからの社会的テーマのひとつで、その一端を担う存在としての「銭湯」で、心地良くなる、その楽しみ方をいろいろ提供し、銭湯に通う「きっかけ」を作っていこうよ!というのが、今回の生野区ヒートアッププロジェクト「生野区銭湯いまむかし」だった。

「まちごと体験」

秋分の日の振替休日になった月曜日。前日の雨の日曜日から、うって変わって、とっても心地良い青空! それに自転車で走るのがようやく快適な気候になって、お昼過ぎ、チャリンコで、大坂城に向かう。大坂城の石垣や城を背景にした笑顔の欧米人が、大阪のまちに混在するこの光景も徐々に見慣れてきたが、日本文化を評価されてる感があって、ちょっとうれしい。今日の目的地は、新しくできた大阪駅北ヤードの公園で、大阪のまちなかをウロチョロしながら向かう。中之島公園で、休憩して、喉を潤し、ビルの谷間を自転車で走り抜けながら、到着したら、ビルとビルで囲まれた都会のど真ん中の広大なオープンスペースの芝生広場に、沢山の人が、ただただ座り、水辺で沢山の子供達がはしゃぐ光景に出会って、とってもエエなぁ…..とおもう。

そのオープンスペースに響く子供達の歓声と、芝生で寛ぐひとの騒めきと、ステージ上の音楽が混ざり合って、聞こえる音色が、とっても平和な音だな…..なんておもった。きっと数日前にヒズボラのポケベルが爆発されたレバノンの市場での爆発音と悲鳴の映像を視聴したからだとおもう。大地の延長線のような3D曲線の大屋根も、ソトとウチの繋がりも含めて、エエ雰囲気だし、なによりもあらためて、梅田スカイビルがカッコ良く見える広場だなとおもう。そうそう、イタリアのシエナのカンポ広場の地面に座った日のコトを想い出した。コーナンのGreenの新店舗覗いて、お初天神の「裏参道」で食事して、夜の御堂筋を自転車で走り抜け、家路に向かう。

9月15日(日曜日)から10月20日(日曜日)まで、生野区で開催している「EXPOいくのヒートアッププロジェクト」というのがあって、その「マンスリーヒートアッププロジェクト100」は下の画像をクリックすると詳しくあるのだけれど。そのなかで、まちのえんがわ木村工務店として9月19日「空き家カフェ」と9月28日区役所6階大会議室での「ものづくり体験ブース」に参加した。

  

ものづくり体験ブースの木村工務店では、板金の施工を担当してもらっている松倉商店さんに、「銅板で作る折り鶴」のワークショップをお願いし、参加してもらった。こういう時は、想定以上に沢山の参加者で、バタバタするのが、案外楽しいのだとおもう。で、このプロジェクト全体のコピーライトには…..

ヒト・モノ・コトがオモロいマチ IKUNO。
まちを歩けば、異文化と出会い、人に触れれば面白さに出会う。
ものづくりに触れれば、人は感動し、すべてがオモロいまち。
そんなまちをまちごと体験し、もちかえろう!

とあって、確かに飲食や買い物の商業施設だけに頼ることなく「まちで遊ぶ」遊び場や遊び方を住民自らが提案し、参加して、楽しいコトをシェアする時代になってきたようにおもう。今日は、同じヒートアッププロジェクトの一環で、木村工務店でちょっとしたメンテナンスを担当させて頂いている、生野区の「安泉寺」さんで、「お寺deジャズライブ」というのがあって、参加した。お寺の本堂で、観客の大多数が大阪のおばちゃんの、ジャズライブ体験は初めて。まちのお寺のエエ環境と、気取らないエエ雰囲気の観客と一緒なら、緊張感ビシバシのジャズではなく、リラックスしたジャズでも、とっても楽しめた。こういうのが「まちごと体験」なんだろう。


「まちごと体験」を、あれやこれやと模索してみたいとおもえた、そんな一週間だった。


追伸

10月6日日曜日午前11時から木村工務店加工場で「生野区の銭湯いまむかし」というイベントを開催します。仕掛け人は、銭湯マニアのアルヒトなのですが、これを切っ掛けにして、これから生野区の銭湯で一緒に遊ぼう!生野区を「まちごと体験」しよう!という呼びかけでもあるようです。

よろしければ…..。

松竹新喜劇的

雨降る連休の日曜日。この時期、毎年のように、しまなみ海道に自転車を乗りに行ってたが、なんだかんだで、今年は行けなかった。で、大谷くんの50−50の偉業のNHKテレビ放映を録画したやつを視聴する。その50−50達成当日の23時すぎに、NHKが緊急でその試合の録画放映をするっていうのは、国営放送ならではの視聴料を払っている国民への気の利いたサービスなのか….とおもいながら視聴するうちに寝落ちしてしまった。で、雨降る昼すぎ、ドジャースの攻撃だけを頭出しして視聴する。まったりと過ごす雨の日曜日に視聴するには、とっても気分が良くなるTVだった。というか、ひとつのドラマだな。

そうそう、NETFILXの「エミリー、パリに行く」のシリーズ4、5が連続的に始まって、一気に視聴した。コロナ禍で、長い間シリーズが止まって、寂しかったなぁ…..。YouTube上にある、「エミリー パリへ行く」 の撮影セットに潜入!を視聴すると、インテリアのコダワリを知れて、なるほど….とおもうし、あんなパリのオフィスを、どこかで造る機会があれば…ともおもう。それと、あのパリのアパートメントの階段をセットとしてあらためて造ったと知って、ドラマのセットを造る職人さん達って凄いなとおもった。コミュニケーションが発生する、あんな集住の階段って、日本では、たぶん、存在しないよね。

エミリーやシルヴィのファッションも楽しみだし、フランス人とアメリカ人との関係性やそのメンタリティーを知るのも面白いし、近作ではイタリア人のメンタルも絡んで、より楽しめる。数パーセントの真実を、誇張とフェイクとコメディのオブラートで包んだドラマとして、というか喜劇として楽しむのが、吉本新喜劇を楽しむ楽しみ方と似ているし、いや藤山寛美の松竹新喜劇の人情喜劇の感覚で、全てを軽やかにニタニタ泣き笑い飛ばす感じで視聴するのが楽しい。

最近では、「地面師たち」がとっても面白かった。建築業界に所属する工務店のワタシとしても、不動産業界とのメンタリティーの違いは大きいが、その不動産的ワナのような仕掛けに、徐々にはまり込んでいく建築的メンタリティーは、とってもよく理解できるし、その怖さを肌で感じとれるだけに、軽やかに笑い飛ばせないのが、アカンよね。というか、そういう空気感を作り出すことこそ、このドラマの本質なんだろう。

地面師、オモロかったわ。という話が、奥方から奥方友人に伝わって、それなら、「新聞記者」を是非見てっ!と云われて視聴した。森友問題ってこんなコトだったのだな。そうそう何気に「深夜食堂」も視聴したりするが、一気に見るコトもなく、まだまだシリーズが残っている。そんな意味では、「居酒屋新幹線」は一気に視聴した。次回シリーズを楽しみに待っている。「忍びの家」も次回シリーズが楽しみだな。「VIVANT」はTVで見て、もう一度Netflixで視聴した。「BLUEGIANTS」は映画を見逃したので視聴したら、magosたちにGeGeは泣いたかどうかと聞かれた。「将軍」も見てみたいが、デイズニープラスに3ヶ月ほど、magosのために入っていたが、まったくそのコンテンツに興味を示さず退会した。YouTubeのヒカキンのほうがオモロイらしい。

子供の頃、土曜日の、吉本新喜劇と藤山寛美の松竹新喜劇を視聴するのが楽しみだった。笑いの質がまったく違った。たまに藤山寛美の人情喜劇を見たい気分になる時があるが、コドモからオトナになって見たことがない。そういや、コドモの頃の、土曜日の、学校帰りの、昼下がりの、藤山寛美の松竹新喜劇な気分を、Netflixで満たしているのかもしれない。

日本的夜の光輝く世界

9月の連休なのに、とっても残暑。朝夕もまだまだ暑い。というかとっても蒸し暑い日々。

ひょんなことで、夜中、自転車で、道頓堀商店街の金竜ラーメンの前を通過することになって、そうそう、これ、TVのニュースでやってた、尻尾を切られた金竜だな。と自転車停めて、iphoneでパチリ。間口の狭い新築工事をやってるのか…..?、確か、細い通路だったはずで、この狭い通路抜けて、神座のラーメン食べたことあったけ。と家に帰って、ストリートビューを眺めたら、こんな通路に、尻尾がニョキッと出てたのだな。

建築やってると、隣の敷地に越境するっていうのが、妙に気になる話で、店舗を造った時は許されていたけれど…..隣地の持ち主が変わったのか…..いや、インバウンド増えて、商機を狙って、通路から店舗に変えるのか…..なんて、あれやこれやと想像してみた。それにしても、こんなことで、ニュースになって、宣伝効果凄いな。それに、あらためて、ストリートビューという機能も、過去が残って、コワイね。とおもうし、こうやって、眺めると、看板をデザインした、ひとが、通路に尻尾が、ニョキッと出るっていう、デザインとして、面白がる気分は、とってもよく理解できるけどね。尻尾が切られたことで、それとか時々あるモダニズムの建築が壊されたりすることで、そのデザインがクローズアップされるという、そういう宿命をもっているデザインって、あるある。だな。

インバウンドの方々が来日して、日本の印象を語るYouTubeが面白いので、たまに視聴する。そのなかで、日本の都市の夜の光り輝く世界の面白さを口々にする人が案外多い。確かに、ヨーロッパの、石造りのほの暗い夜のまちと、控え目な看板のカッコ良さに触れると、日本のこと、チャラいとおもう時もあったが、それでもやっぱり、日本の夜のネオン街っていうのは、独特にわくわくするのも確かで、好きだな。ニューヨークのタイムズスクエアの夜の光にもワクワクしたが、道頓堀も負けてへんな…..なんておもったものだ。

それで、夏休み休暇に、山陰を旅した最終日に、山口県長門市まで足伸ばして、湯本温泉のライトアップを見学することにした。ちょっとだけ知り合いの長町さんが、照明デザイン優秀賞をもらったらしい。温泉街をライトアップすることで、観光客を呼び込めるのか…..みたいなことが、テーマのひとつなのだろうけれど、夜の温泉街の素敵なライトアップを楽しんでいるのは、私たち以外に、ほとんどいなかった。温泉宿で食事するスタイルの温泉街で、そぞろ歩きするのには、立ち寄って、楽しめる何かが必要な気がするし、唯一の立ち寄り温泉と、古民家を改修したバーが一軒あるだけ。素泊まりで、温泉だけ入って、あちこちのレストランや居酒屋やバーに予約する温泉街って、ほとんどないが、そういう時代になってきたようにもおもう。

なので、歩いて温泉宿に戻るだけなのも、面白くなく、なんとなく、二人でそのバーにちょこっと立ち寄ると、バーのマスターは、芦屋からここに移住したらしく、お世話になった建築家の江川さんも関大の生徒さんらと一緒に見学に来てましたよっと、話が、はずんで、長居することになった。奥方は、先に宿に帰って、温泉とサウナに入るわ!と、結果的にはライトアップが旅の想い出にちょっとだけ繋がったのも、確か。

日本的夜の光輝く世界も、インバウンドの到来によって、徐々に変化していくのだとおもう。

 

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