自転車な連休。

「VIVANT」が終わって、ちょっとVIVANTロスで寂しい日曜日。それにしても面白い日曜ドラマだったなぁ…..。途中から見て、見逃し配信で後を追っ掛け、久しぶりに楽しみな日曜ドラマだった。そういえば、淀川長治の日曜洋画劇場は、中学生、高校生ぐらいから、ほとんど視聴していた。ワタシの祖父は、木村工務店の創業者なんだけど、こよなく阪神タイガースと時代劇を愛していた。その祖父に愛されて育ったワタシは、その影響で時代劇をよく視聴したが、ある日、淀川長治の日曜洋画劇場を視聴して、こんな面白い「映画」があるのだと驚いて、それからほとんど視聴するようになった。基本的な洋画は淀川長治さんから学んだ。そうそうテレビの野球放映は、全く視聴しないので、「アレ」を知ったのは優勝前日の朝のNHKラジオだった。NHKのアナウンサーが「アレ、アレ」って言っていたが最初は意味が理解できなかった。阪神が優勝して、ようやくその意味を理解したが、それよりも真っ先に思い浮かんだのは、今は亡き祖父が阪神優勝に歓喜している姿だった。

今日の日曜日。早朝に起きて、自転車に乗って、葡萄坂をヒルクライムし、朝護孫子寺を参拝する。好きなお寺のひとつ。それから三郷に向けてダウンヒルし、王子をかすめて、飛鳥川沿いを走り、今井町を経由して明日香に行く。お決まりの石舞台を眺める丘で休憩し、それから棚田を眺めながら男綱の横を通過して案山子がいっぱいの丘を登る。シニアの見学者とシニアのカメラマンが多いことに驚いた。それから高松塚古墳を経由するつもりだったのが、道を間違えた。ほんとうは鬼の雪隠とか亀石とか明日香の石は何度見ても面白いので立ち寄るつもりだったけど、今回の一番の目的地は御所だった。

それで明日香をショートカットし御所に向かう。11時30分には「御所宝湯」に到着して、目的の銭湯に入った。人も少なく、サウナと水風呂と熱湯で心地良い時間を過ごす。午後1時過ぎ、以前にも訪れた近くのモリソンカフェで、カレーを食べて、JR御所で輪行の支度をする。サウナの後は、自転車に乗る気など全くなれないなぁ。御所発14時の電車に乗って、王子駅で乗り替え、大和路線の久宝寺で、おおさか東線に乗り換える。ガラガラだが、最後尾に自転車を立て掛け補助席に座ったワタシの隣の補助席に座ったおっちゃんが、缶ビールの大をプッシューと音をたて美味しそうに飲みだした。エエな。JR俊徳駅に到着したのが15時過ぎ。そこで自転車を組み立て、家に帰り着いたのは15時30分頃だった。自転車&サウナ&輪行の日曜日。またやるとおもう。


そういえば今週は自転車週間だった。17日18日と、しまなみ海道で自転車に乗る。東京の友人のハタさんが東京から新幹線で輪行して新大阪に着いて、そこから自転車に乗ってうちの家まで来て宿泊する。うちの家で食事をした後、夜はBarソケットで飲んで、翌日の早朝に自転車を積み込んで、二人で、しまなみ海道の宿、輪空に向かった。朝から輪空のオーナーイチムラさんと米子から駆けつけたシミズさんと4人で、ゆめしま海道を走り、因島の大出でお好み焼きを食べ、生口島のドルチェでジエラートを食べ、伊豆里峠を越えて輪空に戻って輪空泊。夜は輪空前で、海辺のBarを皆で楽しんだ。


18日は、生口島の輪空から自転車とフェリーで岩城島に渡り、そこから別のフェリーで今治へ。この航路がとってもエエのです。それにしても連休なのに今治の商店街は、お店も閉まって閑散としていた。そうそう今日の日曜日の御所のまちの商店街も閑散としていたが、銭湯とチャリンコの宿泊施設とレストランで活気を取り戻そうと努力している姿に共感したりする。それで、今治で焼き豚卵飯を食べて、今治から生口島の輪空までノンストップ40km弱のライド。久しぶりにエネルギーを使い果たしたが、それよりも大阪までの帰りの自動車が、事故渋滞も含めてとっても渋滞し、3時間ちょっとの距離が5時間かかって、へとへとで帰宅した。コロナ以来皆が外に出たがっているのだろうね。

ま、そんなこんなで、久しぶりに自転車三昧の9月の連休にだった。

花と昆虫

うち家の庭も夏から秋へ。とおもっていたが、また夏に戻ったんじゃない。とおもうぐらいの暑い日が続く。数日前、突然、2輪のピンクの花が咲いた。植えた覚えがない。秋を告げる使者だな。毎朝その娘の姿を楽しんでいたら、3日ほどで、姿が消えた。ちょっと寂しい。

庭のヤマボウシの実がなって、大量に落ちた。いつもなら実を食べにムクドリとかやってくるのに、今年は訪問者が少ない。暑いからなのか。ネットで調べるとヤマボウシの実は食べられるらしい。早速食べてみたら、意外に甘い。ジャムとか果実酒を作れるという、この連休にやってみようとおもう。

そういえば、この時期に庭で「アオスジアゲハ」がゆらゆら舞っていた。季節外れの訪問者だが、蝶々の舞いは好きだな…..。この夏、西表島の由布島に行くと「オオコマダラ」を繁殖させていた。羽根を広げると大きくて綺麗な姿と舞いだった。上がその写真。うちの庭の訪問者のひとり、小さくてカワイイ、シジミ蝶も好きだな。小さい頃はこの小路近辺にも空き地とか道端に雑草があって、シジミ蝶が舞って、よく眺めた。そうそう30年以上前にキャンピングカーで訪れた屋久島で、「ツバベニ」という蝶々の舞いを見た瞬間、同乗していた友人のセツが声を発し、車を駐めて降り、「志賀昆虫の折りたためる網」をさっと取り出して、それを受け取った長男タカノリが、まるで剣さばきのような見事な所作で蝶を捕獲した。蝶々を見ると、たまにその残像を想い出す。

今年の夏はうるさいぐらいの大合唱だったクマゼミも静かになった。庭の掃除をしているとたまにその抜け殻に出会う。もの悲しさも感じるが、それとは違うなぜか不思議な気分になる。

最近、NHKのオンデマンドで、「超進化論 生物多様性の驚異」を視聴した。太古、水から上陸した植物が、花を咲かせ、花粉とさまざまな花の色で、昆虫を誘う、らしい。昆虫は食料としてのムシを得るためや、花の密に立ち寄るために、羽根を進化させたという。トンボは直線的に飛ぶための羽根の形状らしい、きっと肉食だからだな。ハチは小さな羽根に進化し、密集した花の周りをホバークラフトするように飛べることを可能にしたという。カブトムシは甲で羽根を覆う。生息場所が森なので、固い甲で覆わないと哺乳類に食べられるからなのか。蝶の羽根の話はなかったが、トンボのように肉食でもないし、ハチのように近場の密を探すのでなく、広範囲を飛んで、食物を探す、そんな羽根なのかとおもう。

それで、昆虫は、完全変態をし、オトナとコドモが全く違う場所で生きることを可能にしたという。たまごから幼虫になり、さなぎになって、成虫となる。チョウとかハチとかカブトムシとか。そうそうセミは不完全変態らしい。この写真の抜け殻は幼虫が脱皮した殻で、チョウの「さなぎ」とは別ものという。そういうところに不思議さを感じていたのかもしれない。そんなことより、企業経営の立場で考えると、日経新聞にこんな記事があった。

変態は、究極の成功戦略だ。幼虫と成虫は異なるものを食べる。たとえばチョウは、幼虫の時にすべての発育変化を成し遂げるため、栄養豊富な葉を大量に食べるのに対し、成虫は花の蜜(本質的には砂糖水)を少し飲むだけでいい。

このように成長にしたがって異なる形態を持つ種は、「競合のない場を作り出したのです」と米アリゾナ州ツーソンにあるアリゾナ大学の昆虫学者ケイティー・プルディック氏は話す。親と子が資源を奪い合うことなく、双方のライフステージを独立して送ることができる。

羽根の進化や完全変態や不完全変態をしながら、生息場所に適応する。サナギとして籠もったり、脱皮したりして。たしかに企業も環境に応じて生息場所に適応したり、脱皮して生息場所を変えたりしながら成長し進化していく必要があるよな…..とおもう。「超進化論 生物多様性の驚異」の話は、地下の根に菌糸が関与し、その地下の菌糸ネットワークによって森が育まれている…..私達の祖先は微生物と手を組み進化してきた…..。という話が面白いし、ものづくりセッションに参加してくれている高見さんは、そういう地下のネットワークは、社会関係資本=ソーシャル・キャピタルのようだ。とネットで言っていた。ま、そんな花と昆虫の関係性が森と社会関係資本に繋がる話。

秋刀魚

9月になっても暑い日が続いた今週。晴天の日曜日が、昼過ぎて雨がパラパラ、そして夕立。夏の終わりと秋の気配が漂う。

なぜか音楽聴いているだけで楽しいとおもう日曜日の昼下がり。1960年代の噂に聞くウッドストックとか。その昔、丸山野外音楽堂で聴いたジミークリフとか。ライブアンダーザスカイで聴いたマイルスとか。フジロックには行ったことないが、野外フェスに行きたいな…..とそんなふうに想った。昨晩NHK+で、フジロックのドキュメンタリーを視聴したからだな。

朝風呂にいったら、サウナにあるテレビが、サッカー日本代表がドイツに勝った!という。それで家に帰ってすぐにNHK+で視聴すると、久しぶりに日本チームのとってもエエ試合を観て気分が良かった。それでお昼から音楽聴くだけで気分が良かったのだろう。そうそう前日の夜に、バスケット日本代表の特番を視聴して、ちょっと泣けるぐらい雰囲気が良かった。きっとそんなのが日曜日にまで影響を及ぼしていたのかも。ひとの心理なんてそんなもんだな…..。

夕方になって、magosも一緒に庭で焼肉を食べようということになった。そしたら夕立。なぜか急に秋の気配を感じ、秋刀魚の姿が過る…..。きっと数日前に七輪でサンマを焼くYouTube動画を視聴したからだな。七輪で焼肉とか焼き鳥とかよくやるけど、そういえば今まで七輪でサンマを焼いたことがない。なんだか昭和な感じで楽しそうにおもえた。そんなこんなで、直ぐに秋刀魚を買ってきてもらい、初サンマを焼いて、そのあと網を変えて焼肉。魚料理のあとの肉料理というちょっとしたフルコースみたいで、これはこれで美味しい。



金曜日の夜。何度かお願いしているフレンチの出張シェフに来てもらい、生野区の若きものづくりのメンバーと食事会をする。30代のそのシェフは店を持たず出張料理と食事のコンサルを仕事としているという。今回も創作的で美味しいフルコースだった。若きものづくりのメンバーは、それぞれが、その分野では老舗で、そのアトツギでもあって、自分のポジションを模索しているという。食事後はシェフも交えて、どんな「ポジショニング」でどんな「ものづくり」をするのか、あーだこーだと談議が続き、シェフが帰ったあとも深夜まで及んだ。その余韻が土曜日と日曜日まで続いて、秋刀魚と牛肉のフルコース風BBQに繋がったのだとおもう。

「相席食堂」

9月なのに、とっても暑い日曜日。

「まちのえんがわ」では、コロナ前は、月一回のワークショップを開催していたが、10年が経過すると、流石にネタ切れになって、どうしようかと考えていた。それが、うちの長男であり木村工務店の専務でもあるタカノリの奥さんが料理好きで、あーだこーだと話し合って、月一回の「サヤカリー」というカレー屋さんをオープンすることになった。カレーのレシピと味は、それなりのプロとしての味であるとおもうが、毎回少しずつレシピを変えるのがひとつの特徴で。それにもまして何よりもお客さんとコミュニケーションをし、カレーコミュニティとしてそれぞれの関係性を楽しむカレー屋さん。ま、「相席食堂」いや「相席カリー」みたいな感じ。家づくりをさせて頂いたお客さん、というかお施主さんが、何人かふらっと立ち寄って頂き、コミュニケーションをできるのがとっても有り難いし、毎月、欠かさず食べに来て頂くお客さんもいて、あれやこれやと四方山話を楽しむ休日。

木村工務店にとっては、サヤカリーの開催日は、住宅相談会の開催日でもある。木村工務店の代表を務める「ワタシ」にとっては、「いま」の工務店に求められる家づくりをエンドユーザーから直接聞く機会で、毎回新鮮な気分になる。

本日の幼い子連れでお越しになったAさんご家族は、土地や中古住宅探しから始めたいというご要望だったが、いまという時代に、都市で、土地を購入し新築住宅を建てるのには、価格的に、とってもハードルが高い時代になってきた。土地価格の高止まり。建築費の高騰。そこで中古住宅を購入してリフォームをするのが一般化してきたようにおもうが、いまだに中途半端にキレイなリフォームを施し販売する中古住宅が多く、それならマンションの方が良いわ!というひとが多い。多様性が求められるいまという時代に都市の一戸建て住宅を求める多くの方々は、自分のライフスタイルに応じてカスタマイズが出来る中古住宅を求めているのだとおもう。

SUMOなどインターネットで土地建物を検索できるようになってくると、誰もが楽しみながら物件探しが出来る時代になってきたが、その方法をレクチャーするのが、木村工務店の住宅相談会で、どんな地域地区に、どんな間取りの中古住宅があるのかを、ネット上で楽しみながら検索し見つけ出すのだけれど、何よりも大切なのは、その家族が、これからどんなライフスタイルで生きていこうとするのか。ま、「君たちはどう生きるのか」みたいなことを考えるための、その手助けをする時間が、住宅相談会であるとおもう。例えば、都市に住むか。郊外に住むか。なんていうのも、それぞれの仕事と子育てと予算に大きく関係してくるわけで、即興的なリノベーションの間取り提案も含めて、それぞれの多様なライフスタイルをお互いに再認識するのが大切な作業だとおもう。

夕方、「コトバノイエ」の加藤さんご一行が、サヤカリーを食べにお越しになった。その後、うちの家に移って、皆であーだこーだと話題が尽きなかったが、かつて加藤さんと一緒に催した木村家本舗というイベントを懐かしんだりしながら、その時には学生だった加藤さんの息子さんも、うちの息子も、それぞれがオトナになった。さて「彼らはどう生きるのか」そして「ワタシはどう生きるのか」なんてコトをあらためて考える日曜日でもあった。

都市と森

この土曜日夕方。

ものづくりセッション」があって、そこで先日の心斎橋商店街で施工した木組みの木造建築を紹介することになり、「森と木と木材そして都市」というテーマでお話しをする機会を頂戴した。森と隔絶してしまったように感じる都市が、というか「まち」が、森を破壊する都市でなく、森を育む都市として機能していくために「国産材を使う」というのが、参加者の皆さんに受け入れられるのかどうか…..。「まぁ俺の話を聞いてくれ」的ビール片手に話をするトークだったようにおもう。

それが、その前のプレゼンターの商工会議所に勤める林さんが、3回目になる「デザイン経営」の話をプレゼンしてくれて、そのなかで、「新商品のアイデア」というのは「自社の強み」と「市場」との「新しい関係性」のことである。なんていう話があり、昔に製造した商品に現代的な新しい価値を見出し表現することで新商品として市場に支持され売れたこんな商品がある…..というプレゼンだった。

で。工務店業界的には、私達の一世代前の先輩方の尽力で、地域の山の木を使う地産地消を含めた自然素材を活かす家づくりが見直されたが、30年以上を経て、それを現代的な新しい関係性に再構築することで、古くて新しい価値観として表現し直すことが必要な時期に感じ、今回プレゼンしてみると、「木を使って持続可能な循環型社会を造る」なんていう林野庁にある表現が、あらためて、いまのフツウの人の心に、理解されそうな空気感があることを感じたし、「豊かな森が豊かな海を造る」だけでなく「豊かな森が豊かな都市も造る」そんな「木遣い」が共感をよぶ感じがした。

ま、それはそうと、その後の懇親会であれやこれやと話題が尽きなかったが、プレゼンの時に西表島のピナイサーラの滝を見に行ったアクティビティの話を織り込んだ。次の日の朝、ということは今日の朝なんだけど、お風呂屋さんで、前日の余韻をすっきり洗い流していると、それにしても「なぜ人は滝に魅力を感じるのか」とふとおもった。というのは今年のゴールデンウィークの九州の旅で、高千穂に行ってあの高千穂の川に落ち込む滝の光景に神秘性を感じたり、道中で偶然出くわした石橋の放水に、とっても多くの観光客と一緒に歓声をあげて、放水の気持ち良さを共有した。

滝に神秘性や心地良さを感じる理由をChatGPTに質問してみると、それが大した答えではなかった。なぁんだ。なんだか最近ChatGPTが退化しているのではないかとおもえたが。そもそも滝の水は、豊かな山と森のお陰で…..。ここ数週間、「森」という同じような思考と話題ばかりに傾いているワタシにワタシ自身が辟易するが。それにしても土曜日の「ものづくりセッション」を通じて、「都市と森」に、あらためての関係性を築ける工務店でありたいな…..。なんておもう日曜日の朝だった。

「商店街のモデル」


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8月19日付けの産経新聞に、木村工務店で施工を担当した、心斎橋筋商店街に建つ木造建築の記事が掲載された。記事にあるように商店街は防火の基準が厳しく、木造を建築するには、とってもハードルが高い。最終的には「燃えしろ設計と100㎡以下の2階建て」という法規を守ることで、商店街から硝子越しに木組みが見える木造商店建築になった。

木造部分と基礎コンクリート部分を繋ぐための金物以外は、在来工法によるフツウの金物しか使用せず、大工の手加工による「木組み」を目指したのは、商店街のど真ん中で、狭小間口の木造建築を、足場なしで建て方するためには、金物工法による大断面木造より、部材は小さいが木と木でしっかり組み合わすことができる在来木造の方が、木村工務店の大工にとっては、伝統的に慣れ親しんでいたからで。それにもまして現代的な木造建築の「棟梁」は、いわゆる大工さんでなく、「木造の構造設計者」であるとおもう。今回は下山設計室の下山さんが、建て方まで考慮した木造の構造設計を請けてくれたお陰で、成立した、商店街の木造建築だった。


政府広報オンライン

林野庁のホームページにこんな図があって、工務店という「木」を使う立ち位置にいると「木を見て森を見ず」なんていうコトバがあるように、若い頃は山登りや沢登りなど森と川での遊びやアクティビティを通じて「森」に親しんだが「木」のことなど全く何も知らず、材木屋さんや大工さんや木造建築を通じて「木」のことを学んだ。

ある日。「木は森から採れる」なんていうコトバに出会うと、日本の森のほとんどは、植林された森であることを知り、森が人の手によって育てられていたことなど、全く理解していなかったことに気付く。森で育てられた木が、伐採され、製材されて木材になり、その木材を材木屋さんが工務店の加工場に運んで、大工さんが手加工し、木造住宅になって、住まい手が、森と繋がって暮らしていた。そういう「循環」が面白いコトに思えたのは、ここ30年ほどのコトだ。

心斎橋商店街をブラブラ歩きウロチョロするのは、今から40年以上前に20歳前後だった大阪の若者にとっては、オシャレな楽しみのひとつでありデートの場所でもあった。憧れの老舗もたくさんあった。それがバブルの崩壊とともにパチンコ屋さんやドラッグストアーなどが増え、どんどんフツウの商店街になって、歩かなくなった。「お洒落な商店街だとおもっていた心斎橋商店街が復活して欲しい」それが同い年でもある施主の岩橋さんと共感した想いであり、そのための現代的キーワードが「循環型社会」と「木組」だった。

夏休み休暇に、カヌーを漕ぎ、急勾配の山道を歩き、辿り着いた、西表島のピナイサーラの滝の滝口から眺めると、森があり、川があり、干潟があり、珊瑚礁の海がある美しい光景に出会う。川によって、森の栄養分が運ばれ、干潟の多様な生物を育て、珊瑚礁を育て、魚を育む。そんな光景でもあるとおもう。いまや手付かずの自然に出会える場所は少ない。あらためて森と川と海の原初的な循環を垣間見たおもい。で、冒頭の「商店街のモデル」というのは、「都市が人の関与によってバランスのとれた森を育むことができるのか」なんていう意味合いもあるとおもう。

政府広報オンライン

西表島

夏休み休暇が始まって、ひょんなことから西表島のピナイサーラの滝を見に行くアクティビティに参加することになった。両岸にマングローブが生い茂る川をカヌーで漕ぎだす。静けさがあたり一体を覆い尽くすちょっとしたジャングルクルーズだった。ゆったりと流れながらカーブするコーナーをまわると滝が視界に入って、あの滝口まで登るという。滝壺のずっと手前のカヌーでいける川の限界でカヌーを停めて上陸する。まず滝の上まで歩くことになった。そこそこの坂道。奥方の後ろ姿を見守りながら登る。ツアー参加の年齢制限があって、参加ギリギリ手前であることを知って、改めて自分達の年齢に愕然としたし、数日前はお互い大丈夫かどうかちょっと緊張もしたが、ま、なんとかフツウに楽しめた。

滝口からの眺めは絶景だったし、50mの落差があるという水飛沫が舞い散る滝壺で泳いだのも印象に残る体験だったが、滝口で食べたフツウの唐揚げ弁当が、この旅で一番美味しい食事だったようにおもう。そんなわけで、西表島のホテルからこのブログを書く、いまとここ。


由布島で水牛車に乗って、全く期待していなかったのに、三線が奏でられる牛車は、それなりにしっとりとした気分になって、一度は経験して良かったと思える観光地なんだろう。似たような気分になったフランスのモンサンミッシェル観光を想い出した。宿泊施設の目の前の海岸で、朝の散歩と夕焼けと満点の星空を楽しめたが、電動ママチャリのレンタサイクルを借りて、珊瑚礁の海岸でシュノーケリングをし、古い寂れた集落に立ち寄って、カレーを食べ、集落を散歩してみた。

島にオンデマンドバスが早朝から夜遅くまで走っていたらエエのになとおもう。宿泊施設と集落と海岸や川を気軽に行き行きし、集落の中の民家をリノベーションした食堂とかレストランとかカフェとかバーとか居酒屋とか雑貨屋とか、住民と観光客が気軽に一緒に食事ができたらエエし、さまざまなアクティビティを通じて手付かずの海と川と山と繋がり、島のいろいろな場所で朝日や夕日や星空を眺め、太陽と月と星と繋がる。山川草木悉皆成仏なんてコトバを想起したが、そんなリゾートを想像してみた…。

明日14日は、大阪に帰る予定だが、台風7号で飛行機は大丈なのか?!
木村工務店は8月17日までお休みで18日から通常営業です。

鰻のエキス。

暑い日が続くと、鰻を食べたくなる。なんでなんだろ。木村工務店で改装工事をした堺の鰻竹うち本店が、コロナ前に閉店し、毎年のように食べていた関西風の蒸さない炭火焼きの鰻丼が食べられなくなった。ワタシ20歳頃の、竹うちの親父さんの時代から慣れ親しんだ鰻の味で、その折詰めが冷めても美味い鰻丼だったので、お店に行けない土用の丑の日は、よく折を頼んだものだ。数個とか数十個とか。寂しい。で、今週ミナミのTOHOシネマで映画を見ることになって、その視聴後、どうしても鰻丼が食べたくなった。それですぐ近くの高島屋の竹葉亭で江戸前鰻を食べる事にした。ほんとうは高島屋だったら福喜鮓のちらし寿しが食べたいのだが、このお店も閉店になって、寂しい。

「映画館」に行くことが減って、コロナ禍はもちろん、その前からほとんど行かなくなった。それは布施の映画館が1軒もなくなったからだとおもう。昔は布施には商店街のなかに映画館が数軒あって、子供の頃はその映画館に自転車で行くのが楽しみだった。ザピーナッツが印象的だったモスラ対ゴジラとか、キングキドラとか、サンダルで行くような庶民的な感じで、寅さんの映画ではヤジが飛んだし、あの渥美清の歌声が始まるとあちこちの席で声をだして合唱していた。いつしか商店街から映画館が消えて映画ビルに建て変わったが、それも数年前にマンションに変わった。最後に見た映画は三谷幸喜の映画だった気がする。

それにしてもIMAXで視聴すると映画館って圧倒的にエエよねっ。座席もゆったりして前の人の頭も邪魔にならないし。とりあえず映画館視聴のオーソドックスなしきたりに従ってポップコーンとコーラーを二人で共有したが、もはやポップコーンはこんな量を食べることができず半分以上残した。コロナ禍があったので、シニア料金で映画を見たのは初めてじゃないかな。予告編からIMAXの音場に圧倒されながら「君たちはどう生きるのか」が始まると、すぐに黒澤明の「夢」を想起した。ワタシ的には「夢」は好きな映画でDVDも持っている。評価は低いらしい。黒澤明も宮崎駿も80歳代に製作した映画になるようで、葛飾北斎は富嶽三十六景を70歳代に製作したらしいが、80歳代に描いた絵をみると、ちょっと幻想的だ。ホクサイもクロサワもミヤザキも80歳になって、評価を気にせず、こんなものづくりが出来るのはエエなっ。とおもう。

えっ、ほぉっ、なんていう映画の視聴後は、なんとなく鰻のエキスを求めたくなった。

 

木村工務店は8月11日から17日までお盆夏休暇を頂戴します。皆さん素敵な夏休みを!

この猛暑日をどう過ごすのか。

とにかく暑い日々。

その1。週末になると庭のプールに水を入れ、magosが家プールを楽しむ夏休み。オトナたちはクーラーで涼む。気が付いたらワタシ、小さなBluetoothスピーカーを木からぶら下げ音楽かけて、ジョッキいっぱいに氷をいれたレモンサワーを片手に、ラッシュガードの水着を着てサングラス。これまるでプールの監視員。有り難くmagosの母からアルバイト料を頂戴した。レモンサワー缶2本也 Thanks!

その2。7月に入ってまったく運動をすることなくなって、そうするとすぐに体重が増える。レモンサワーはカロリー高そう。熱中症警戒警報なんてでると、アウトドアーにでるのを躊躇してしまうし。それでも1ヶ月に1度だけは!と意を決して日曜日の早朝5時過ぎに起きて、自転車に乗る準備をすると、それだけでジワッと汗がでてきた。十三峠を往復だけして、午前8時前には帰宅。それにしても早くからそこそこ多くの人がヒルクライムしているし。トレランの人が増えたよね。トレランのカップルに駐車場で記念撮影を頼まれた。そういえば、マイルストーンの竣工パーティーで、トレランの有名人の土井さんに会った。顔が小さくて余分な筋肉なくてスリムで凄いよね。そうそうカーリング女子のムキムキ藤沢さんも凄いね。

その3。家のすぐ近くに「三国屋」さんというお店があって、小さい頃からアイスモナカとか、冷やしあめとか、いか焼きとか。母親が店先で買って家で食べるというのがほとんどのパターンだった。懐かしい味でもある。ちょくちょくテレビにも紹介されて有名人の色紙がいっぱい飾ってある。日曜日の今日、自転車乗ってお風呂やさんでサウナ入って昼過ぎ、magosだけがうちの家でNetflixを視聴して大笑いしていた。自分達の家ではテレビをあまり見せてもらえないので、うちの家で爆発する。いまやどこの家庭でもあるあるだとおもう。奥方は出掛けていない。両親達も姿が消えていた。オトコ3。アニメの音を長時間聴いてちょっと辛いワタシ。外は灼熱。そうだかき氷を食べよう!と叫ぶ。そんなわけで、すぐにテレビを消したmagosとぼちぼち歩いて三国屋へ。mago1かき氷のソフト宇治金時。mago2かき氷ソフトレモン。あたし昔からかき氷はミルク金時。久しぶりに店舗内で食べたけど、「マーブル柄のテーブル・レンガタイルの床・プリント合板の木目の壁・いっぱいの張り紙」The昭和だな。


その4。庭の掃除道具を置く場所があって、それがぐちゃぐちゃしていた。いつかなんとかキレイにしたいと考えていたら、うちの大工さんの空き時間ができた。ベッショ大工とヒラボシ大工が、格子を即席で作ってくれて、完成。向こうに4方磨りガラス鏡面仕上げで囲まれたお風呂があって、一部を格子の目隠し件、道具掛けにしたかった。暑い日の掃除のモチベーションをあげるためなのかも。暑い日こそ整理整頓は現場の心得でもあるとおもう。

戦いと配慮と空撮の文化

ツール・ド・フランス第20ステージを視聴していると、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂の空撮が写った。おもわず「うわーっ」と小声が漏れた。解説者は緊張感が連続するこの日のレースの話で盛りあがっていたが、あの白い礼拝堂の右横の芝生のマウンドから眺めたロンシャンの教会(下の写真)と、その海外研修旅行の想い出が猛烈なスピードでフラッシュバックした。

そのロンシャンの教会の映像より、空撮をこの角度から眺めると、レンゾ・ピアノが設計した受付と聖クララ修道院が風景に溶け込んで、あらためて素晴らしいとおもった。この上の写真の左手マウンドのさらに下方に、ほとんど丘に埋まったコンクリート建築があり、空撮映像ではファサードのガラスが望めるだけなのだが、コルビジェの建築をリスペクトし、このランドスケープに配慮した奥ゆかしさが、きっとエエのだな。同じレンゾ・ピアノのパリのポンピドーセンターは街並に際立った建築で、これと真逆だが、違う配慮を感じて好きだな。レンゾ・ピアノ設計の関西国際空港は飛行機の機内からエアポートを眺めた時、なるほどなとおもえた。

↓(レンゾ・ピアノ牛深ハイヤ大橋と内藤廣うしぶか海彩館)

天草に旅した時に見た、レンゾ・ピアノデザインによる牛深ハイヤ大橋は、橋桁の下部が曲面で覆われて、それが太陽の光と海から照り返す光で独特の輝きを放って、海上に一種独特の景観を作っていたのが、とっても印象的だった。それとその橋に絡むように作られた内藤廣のうしぶか海彩館が、このランドスケープとレンゾピアノに配慮する建築的苦悩のようなものを感じて面白くおもえた。

あのロンシャン礼拝堂の空撮映像が、さらーっと流れたあと、ツール・ド・フランスの緊張感のあるレースを眺めながら、ル・コルビジェとレンゾ・ピアノの建築で、実際この目で見たこんな映像やあんな映像がフラッシュバックしていたが、今年のツールは、連日のように繰り広げられるヴィンゲゴーとポガチャルという二人の若い青年の一騎打ちが面白く、「どうする家康」を視聴したあとにこのブログを書くと、侍の世界のメンタリーと配慮と戦いに似ているようにおもえてくる。このレースで引退をするフランス人のピノーが、力を振り絞りトップでヒルクライムする最後の雄姿に、とっても多くのファンが応援する胸熱くなる映像があって、その場面を作ることに配慮する選手達がいて、その場面が終わると、ピノーを抜き去り、最後は若い二人の一騎打ちが展開されゴールが争われるという、戦国時代の侍の配慮と決戦のように感じながら眺めた。

日本語解説のライブ放送で、毎回登場する日本人女性ライターの現地レポートがあって、そのなかに前日のフランスのレキップ紙の記事を紹介するくだりがある。その文章がちょっと過激で文学的な表現でオモシロイなとおもっていたら、そういう記事を書くことがフランスの「自転車文化」なのだと語っていた。赤穂浪士の敵討ちをとうとうと語る講談師のような感じなのか。そんな「戦いと配慮と空撮の文化」を楽しめたツール・ド・フランスの3週間だった。というか、これから、最終日のパリ・シャンゼリゼのラストランが始まる…….。

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