「良い建築を造るためのコミュニケーションの土壌」

初午祭を催した土曜日。木村工務店には精親会という1957年から68年間続く協力会社の親睦会があって、毎年2月の「初午の日」の前後に、会社のお稲荷さんに参拝し、安全祈願と商売繁盛を願う慣わしが続いている。コロナ禍の3年間は、参拝祈願のあとの懇親会を催すコトができなかったが、今年は4年ぶりに皆で宴会し、あーだこーだと親睦を深めた。

ワタシ、パワポを使ってちょっとしたプレゼンをし、「工務店が造る住宅にとって施主から共感を得る新しい価値の住宅とは…」なんていうのを一緒に考えながら、どのようなお施主さんに、どんな立ち位置で家づくりをし、どんな価値を提供しているのかを確認して、「この家が大切に造られていると届くような現場」を一緒に造っていきたいものだなぁ…と共有した。とはいっても、プロフェッショナルとして「日々の仕事に淡々と力を尽くす」というのが最も大切な事だし、こういう職人さんの集まりでの最後の決まり文句のようにおもう。だたその力を尽くす方向性が、一緒の方向を向きたい!というワタシの願いのような、少々長めの挨拶だったようにおもう。

それはそれとして、工務店という立場での楽しみのひとつは、今回はどんな会場レイアウトにし、どんな食事を皆に提供し、協力会社の面々を、どうやっておもてなししようかと考えながら、一緒に会場を作り上げることで。今年は既存の4×8のテーブルを2分割にし、幅600mm長さ2400mm高さ630mmのテーブルとしてレイアウトした。食事や加工Barに関しては、それぞれの社員が「現場ブログ」に書いてくれるとおもう…

そうそう、百年企業が精親会会員のなかに4社あって「祝百年企業」ということで、それぞれの代表者の方々に表彰の時計付き盾を寄贈した。

株式会社岡房商店     since 1912
瓦寅工業株式会社     since 1917
株式会社浅田鉄筋工業所    since 1921
有限会社米田建材店    since 1923

精親会会長の岡房商店の岡本さんは、この初午祭が、協力業者の集まりの精親会のなかで、忘年会や新年会や研修旅行より、一番重要な会合だと語る。おそらくそれは、「考え方」を共有し、「良い建築を造るためのコミュニケーションの土壌」を68年の歳月をかけながら、徐々に育んできているからかもしれない。

「工務店ブルース」

もう2月。寒い日々。いやそんなに寒い日々でもなかったようにもおもう。どちらかといえば寒いのか寒くないのか微妙な日々が入り交じった感じ。庭のピンクの侘助がひっそり咲いて、春に向かう兆しを感じた朝。若い頃は全く気にしなかったのに、歳を取るごとに「一月往ぬる二月逃げる三月去る」そんな三ヶ月をしみじみ感じるようになった。特に1月1日夕刻にあんな大規模な地震があって、特異な1月が往ぬる。とおもう。

1月を振り返ると、4年ぶりに「お餅つき」をやって、131名の多くの方々に参加頂いて、お互いのエネルギーを交換したように感じ、今年も頑張るぞ!感が湧いてきた。新年会も復活して、5つほど参加し、そのうちの2つは、うちの家の食卓のテーブルを囲んだ新年会だった。「MOKスクール」という「まっとうな木造建築を普及させるための勉強の場」というフレーズが使われているが、そのスタッフのの方々と河豚鍋を囲んだ新年会を催した。工務店は、木又工務店の木又さん、大塚工務店の大塚さん、そして私。設計事務所のスゥイングの小泉さん。材木屋さんの橘商店の橘さん。という建築関係トントントンの組み合わせだった。それぞれ以前から何らかの関わりがあったのだけれど、今回、大工工務店として名を馳せている棟梁の木又さんは、うちの家に来たのが初めてだったので、木村工務店を案内したり、うちの先々代が関わって造作した数寄屋の和室の実物見学で、あーだこーだと大工目線で盛りあがった。下の写真は橘さんが撮影したその時のフェースブックに投稿された写真。(橘さん勝手に拝借ゴメン&Thanks)

それで、もうひとつ、ちょっと多くの方々に知って、使ってほしいけれど、なんだかんだ紹介する機会を失っていたひとつに、槍鉋仕上げの手摺があって、大道さんという槍鉋の面白さを伝えようと奮闘している大工さんが東成に住んでいて、その大道さんに依頼して、製作取り付けしてもらったのが、「吉野桧槍鉋仕上げ手摺」。ここ数年、magosが、その手摺を頼りにして、階段を上り下りし、より艶感が増してきたようにおもうのだけれど、その独特の手触りと質感の良さを体験してもらった。

そんな、工務店から見た、素材や納まりや工務店あるある話で盛りあがり、翌日には奥方から、何度も大声で笑い合っていたのが響いていたわっ!よっぽど楽しかったんやなっ!とのお言葉。工務店の悲哀というか「工務店ブルース」のようなものを語り合いながら、悲しみや苦悩の感情を一緒に笑い飛ばせたのが良かったのだろう…..。宴を終え帰る時のそれぞれの後ろ姿には、とはいうものの、日々のルーティンをコツコツやっていくしかないよね。みたいな雰囲気が漂っていた。

逃げる2月。そんなこんなの日々のルーティンをコツコツやっていければとおもう。

「能登」

祖父から父へそして私に引き継がれ参加している「生野防火協力会」の新年の会合があった金曜日。おもに、ガソリンスタンド屋さんや塗料屋さんやお風呂屋さんなどなど危険物を取り扱うお店や倉庫などを有する会社の代表者の方々が集まって、生野区の消防行政を間接的にサポートする団体で、年に2度ほど会合がある。今回は能登地方の地震が発生し、その日のうちに輪島まで救助活動に出向いた生野消防署の担当の方のお話しを聴く機会を得た。

消防自動車で車中泊し、後方部隊の支援によるテントで寝泊まりし、2日間ほどかかってようやく現地に到着して、救助活動をしたそうだ。生の現場でのお話を拝聴すると、被災者の方々への感情の高ぶりと共に、救助活動に赴く消防署職員の方々のメンタリティーを知る機会になって、ちょっと目頭が熱くなるおもいだった。工務店の立ち位置を鑑みても、倒壊から免れる建物、大規模な火災から免れる街づくり、日本の木造の密集市街地の課題がまだまだ沢山あることにあらためて気付かされた。

そんな刺激もあって、なんとなく、「私」と「能登」との「縁」を振り返って、その訪問地の地図を眺め、ホームページにアクセスしてみた…..。

①の「千里浜なぎさドライブウェー」は、学生の頃、車に乗るようになって、砂浜の海岸線を車で走り抜ける爽快な映像に憧れて、奥方とドライブし、その海岸で泳いだ。それ以来、何度かいろいろなシチュエーションで走っているが、ネットで調べてみると通行止めになっているし、進入路が崩壊して復旧の目処がたっていないという。

②の「能登半島国定公園内の大島キャンプ場」夏休みには、子供達やその友達も連れて、おそらく5回以上、宿泊日数15日以上は、海水浴キャンプを楽しんだ。今振り返れば、小中学生頃の多感な時期の子供達だったなぁとおもう。もう30代の後半になって、それぞれ、どうしているのだろうか。

波のない日は沖の島まで遠泳したり、波のある日はボディーボードしたり、自転車で海岸や自転車道路を走ったり、夕日を眺めたり、焼肉食べ焼きそば食べ、松林の中に張ったタープの下で昼寝をした。台風が通過する暴風雨の夜を過ごしたこともあった。ある時、最終日はちょっとエエホテルに泊まろうと、海岸沿いを北上し、輪島の朝市に寄って、③の「白米千枚田」を眺めた。人の手によって丹念に作られた棚田と海の光景は、記憶に残る映像だなとおもう。

その「③白米千枚田」を眺めた後、④の「ランプの宿」に宿泊した。キャンプ生活で真っ黒な爪、焚き火の匂いが染みついた髪と服、そんな状況からの宿泊だったので、こぢんまりしたリゾートホテルはとっても心地良いなぁ…..としみじみ思った。それ以降、奥方の強い願いがあって、キャンプの最終日はこぢんまりした良いホテルに泊まることになった。それから十年後にもう一度「ランプの宿」に宿泊したが、どんどんリゾートホテルとしての風格がついていく姿を垣間見た。そういえば2022年にサイクリングの途中で、駐車場の上から眺めたら、日本3代パワースポットというのぼりがたなびいていた。震災で休業をしているが、そんなに大きな被害がなかったらしい。震源地に近い場所なのに地形とは、とっても不思議だなとおもう。

⑧の「真脇遺跡」には、列柱が円形に林立する姿を見たいがために「②大島キャンプ場」の帰りなどに何度か見学に行った。その駐車場で車中泊をしたこともある。縄文遺跡は山の幸が豊かなところだけでなく、海の幸が豊かなこんな場所もあるのだと知った。当時は、まだまだシンプルな遺跡公園だった。数年前に竪穴式住居も復元されたそうだが、地震では無事だったようだ。

⑤⑥⑦⑨は2022年の10月にサイクリング仲間と一緒に能登の北部を自転車で巡った。自転車で走った道路は寸断されガタガタのようだ。その時に珠洲で宿泊した⑥の「田崎荘と近くの見附島」はグーグルの地図をクリックすると臨時休業と表示されてあり楽天トラベルのホームページには口コミで被災を悲しみ応援するメッセージが書かれたあった。なによりも軍艦島ともよばれる見附島は崩落して無残な姿になっているそうだ。その看板の前で自転車を置いて撮影した写真を以前ブログに掲載した。もはや観光地でなくなってしまうのだろうか…..いつかワタシ、地震の威力を垣間見るために、以前の写真と見比べながら訪れるかもしれない…..。

「⑨の能登島」も自転車でぐるっと周回したが、震災による断水の報道をみると、同じ島の中でも「県水エリア」と「自己水エリア」に別れているとあった。あの日、海岸沿いを一周する予定だったのに、道を間違えて島の真ん中のアップダウンのある小高い丘の尾根沿いをヒイヒイいいながら自転車を漕いだ。どうもそのあたりが、水道の分岐線のようだ。下の写真は能登島にある、建築家・毛綱毅曠による能登島ガラス美術館。美術品に被害があるそうだが、建物はどうなんだろうか…..。そういえば金沢21世紀美術館も被害で休館とのこと。

⑤は同級生と宿泊した「湯宿さか本」で、ホームページには「特別普通に。もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。そう、いたらない、つくせない宿なんです。」ある意味とんがった宿だし、料理にも建築にもコダワリが強く、それゆえ記憶に残る宿だった。あらためてホームページを覗くと…..

⑦は「宗玄酒造」でその「⑤湯宿さか本」で宿泊した帰りに立ち寄って日本酒を3本買った。海岸近くで立派な趣のある酒蔵だった。被害がかなりあったそうで、ホームページには →

そうそう、⑤の近くに能登燃焼器工業というのがあって、そこで製造される七輪を七輪本舗というサイトから買って、とっても重宝している 秋刀魚を焼いている写真はそこの七輪で、一年に何度かは、串刺しの焼き鳥を買って、この七輪で焼き鳥を焼いて皆で楽しむ。そこのホームページを覗くと…..

冒頭の「生野防火協力会」での挨拶のなかで、生野区の銭湯の60%ほどは石川県出身の方々だそうだ。珠洲や七尾では、井戸水などを使っている銭湯が、再開し、無料で開放しているところが数軒あるという。あらためて震災の被害の大きさと、その苦悩を知るし、ワタシ、それなりに能登との縁が深かったなぁ…..とおもう。

「構想」

「お餅つき」の土曜日。

あらためて「お餅つき」って、「協働作業」だなっとおもう。餅をつくひと、餅を返すひと、っていうのは、わかりやすい花形の二人だが、お米を蒸す担当者がいるし、熱湯を常に沸かして、臼を綺麗にし臼の温度を下げないように保つ担当者もいる、うちには、廃材の薪があるので、蒸す用とお湯用の竈を二つ用意して火をくべる。案外タイヘンなのが、餅を丸める作業。つきたての餅を切り分ける担当者がいるし、その餅を丸める作業も忍耐力を伴う作業で数人でないとタイヘンだな。餅米の段取りとか前日のお米とぎとか、なによりも会場での人員配置や道具の設置や片付け保管も含めて、その全体を構想し、サポートするスタッフがあってようやく成立する。

そういうのがとっても面倒くさいが、やってみると面白いし、終わったあとは疲れた感がただようものの、その翌日に、つきたてのお餅を食べて、じわっと美味いなぁ感が溢れてきて、また来年もやろかうかな…っていう気分になる。「工務店」というのは、「ものづくりのチーム」のようなもので、お餅をつくるという協働作業を通じて「ものづくり」の「チーム感覚」を「共有体験」できるところに、社員研修的な要素も宿っているようにおもう。

関西大学の建築学科での講評会に参加した火曜日。3、4人のチームで集合住宅の設計をする課題で、私の立ち位置は、ものづくりとしての建築をサポートする立ち位置なので、プランに言及することはないが、具体的な敷地での集合住宅の課題になってくると、建築を学ぶ学生でも、その敷地での「マーケティング」と「イノベーション」という、そんなコトバを使って、住まい手や建築を構想し、プランニングしても良さそうな時代になってきたようにおもう。それはそれとして、終了後は、講師の矢田さん米谷さん下山さんと共に、それなりの数の学生たちと一緒に居酒屋で飲んで、楽しい時間を過ごした。次の日、エラそうなコトバ使ってヘンなコト言わんかったやろか…..なんて、ふとよぎった朝のワタシ。

クッチーナというキッチンを製造販売するモーリーショップの社長さんとそのスタッフ4名の方々と一緒に、うちの家で食事会をした木曜日。ひょんなことから、20年近くモーリーさんとの縁が続いて、それなりの数のクッチーナのキッチンを使っている。現社長さんとは住吉高校出身の先輩後輩の関係性であることが判明し、縁が深まって、スタッフの方々がこの日を段取りしてくれた。食べて飲んでいると、一緒に出来るコトを構想してみたりもするが、東京では、へぇー、あの芸能人の家もクッチーナ、えっ、あの人もっ、この人もっ。なんて芸能ネタで盛りあがるのが、やっぱり楽しい。それより、そのひょんな縁というのは、2002年にビフォーアフターに出演した時に、テレビを視聴していたモーリーショップの役員のお母さんが、あそこの工務店に営業に行ったらどぉ….っていうのがきっかけだったそうだ。今もこんな感じで縁が続いているのは有り難いコトだとおもう。

ま、多種多様な能力と個性をもったひと達と一緒に「チーム」になって「ものづくり」を「構想」していく。なんていうのをあらためて考えてみた今週だった。

正月空間体験

そうそう、お正月休暇に、こんな建築を見た。

東京在住の次男。お正月は大阪の我が家でお屠蘇をしたが、東京に戻るにあたって、新幹線の指定席がいっぱいだという。自由席を廃止し、指定席だけになったらしい。早めに指定席を予約すればエエだけのコトだが、ひとりものの身軽さ故に、気が向いた時間に新幹線の自由席で座って帰りたい。確かにそういう気分も理解出来る。指定席で、へんなひとと横になるのも辛く、自由席で座って帰るっていうのがエエのだというが、お正月の東海道新幹線は、そういう気分の人は排除された。混雑を避けようとする企業側の意図も理解できなくはない。

奥方の福島県の実家に帰省するのがお正月の慣わしになっている長男一家。大阪への帰路の途中で、一泊だけどこかで合流しようということになった。女性どうしで候補地があーだこーだと話し合われ、結局、軽井沢に落ち着いた。アウトレットで買い物をする女性陣とmagos一緒にスキーをする男性陣。という構図になった。で、次男は、大阪から軽井沢に行く私が運転する車に便乗した。軽井沢から新幹線で東京に戻るほうが、まだ座席も取りやすいので…という。

大阪から車で軽井沢に行くのには、諏訪湖のあたりで高速道路を降りて、峠越えをするのが、なんとも面倒くさい感じがするルートなのだ。雪の時はその峠越えがちょっと心配でもある。2年程前に同じルートを経験した時、偶然、小諸で丸山珈琲の店舗を発見し、そこがエエ感じだった。それで、そこで珈琲を飲む事を楽しみに運転することにした。板張りの片流れ天井のゆったりした空間。乱貼りの石の床が空間を特徴付ける。フレンチプレスコーヒーがなによりも特徴的だし、ここにしかない空間と珈琲が、わりと単価が高い珈琲でも、お客さんに満足感を与えるし、そういうビジネスモデルとして、なかなか面白いとおもう。帰りがけには、珈琲豆を買って帰りたい気分にさせるのだ。上手だな。

軽井沢ザ・プリンスホテルの設計者は清家清だという。そこでディナーとモーニングを食べる。2本の柱だけで支えられたスペースフレームとダウンライトの組み合わせが、とってもモダンだが、壁のレンガと程良いスケール感と座席家具の高低差とが相まって、近未来的すぎず、落ち着いた感じがするし、結婚式場の新郎新婦のような気分で階段から降りていく時のスペースフレームとの関係性が楽しい。はめ殺しのガラスとスペースフレームの納まり方と池と樹木と浅間山の景色という建築的な関係性が素敵だなとおもう。唯一無二の独特の高級感だな。


今回の密かな楽しみは、地下の「Bar」に行くコトだった。こんな素敵なBarがあるとは、全く知らなかった。高さ関係が巧みなコンクリートのヴォールト天井とレンガの組み合わせ。壁の鏡が奥行き感を錯覚させる。銅板の照明器具とテーブルとイスの素材感と暖炉の関係性も居心地の良い雰囲気を演出する。また訪問してウィスキーを飲みたい気分にさせられる。そんな空間体験だった。

ちなみに、次男は軽井沢から東京までの新幹線も案外満員で、グリーン席しかなく、予約を入れようかと躊躇した途端に、誰かに先取られ、仕方なくグランクラスの予約になったらしい。それが、とっても快適で貴重な移動空間体験だったという…..。ま、そんな、お正月空間体験だった。

七草粥

「七草粥」を食べる1月7日日曜日。

正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べ物で、あっさりと仕上げたおかゆは、少し濃い味のおせち料理が続いたあとで、とても新鮮な味わい。とインターネットに書かれてあった。確かに。普段よりちょっと上等な食材を買って食べた年末年始の夕食だったので、七草粥を口元に入れた瞬間、味、薄いなぁ…っとおもったが、胃は、今日の食事は優しそうやで…..と語っているコトバが、聞こえてきたような気がした。

いつの時代もどんな土地でも、年頭にあたって豊年を祈願し、「今年も家族みんなが元気で暮らせますように」と願いながらおかゆをいただくその気持ちに差はありません。ともインターネットにかかれてあって。先ほどのNHKのテレビには、能登地方の地震による被災者のために、旅館の料理長が七草粥を作り、それをとっても大切そうに、ありがたく、美味しく食べる年配の方々の映像が映し出されていた。なんで1月1日の夕刻にあんな地震を起こすのかっ。と多くの人が呟いているような気がする。

小路 K邸

1月1日の朝は、座敷でお屠蘇をする。祖父の代から伝わる「儀式」のようなもので、家族が一緒に集まり、あらためて新年の挨拶を交わし、御神酒を頂戴し、一年の抱負のようなものを語り合い、お年玉を渡し、美味しくお節を頂戴する。そのための空間が家にあるのは、祖父が家族の住まいだった長屋の中に、この数寄屋風の座敷を、数寄屋大工と一緒に考えながら、入れ子のように長屋に埋め込んだ。父がその長屋を切り離して、新築として建て替えをする時に、中庭と応接室に接する座敷として、移築保存した。私はその家をリフォームする機会に恵まれ、中庭を残し、付属する応接間は撤去し玄関土間として減築し、新たに仏間をこの座敷の一部に移設して、再生した。その時代に応じた、家族を見守る空間として、代々伝われば、嬉しい。

1月1日の朝の木村家でのお屠蘇を終えると、氏神さまの清見原神社へ初詣にでかける。数ヶ月前から予約して、拝殿のなかで家族一緒に参拝するようになったのは、祖父祖母父母が亡くなってから新たに生まれた習慣で、「木村家」なんていうTraditionなコトを意識したからかもしれない。神主さんのお祓いをうけ、玉串を奉奠し、宮司さんによる神楽鈴が、頭の上を舞うと、頭の周りに纏わり付こうとしていた思考がヒラヒラ散って、スッキリした気分で一年が始まる…..ような気がする。一昨年は境内にある稲荷社を揚げ家し、補強と補修と洗いの工事をして、今年は周りの玉垣を撤去新設工事の予定になっている。そうそう全員でおみくじを引いて示し合うのが、木村家の初笑いのようなものだな。

1月1日夕方。南大阪にある奥方の実家に集まるのが慣わしになって久しい。15時過ぎ。15人の老若男女が居間に集まって、鍋を囲み、ビールで乾杯し、正月の宴が始まった。あーだこーだーと近況を語り合いながら傍らのテレビ画面に、明石家さんまとキムタクの映像が流れていた16時過ぎ。突然、緊急速報!緊急速報!という音声とフラッシュ。能登地方で震度7の地震が発生。とクレジットされた直後、報道画面に変わった。NHKに切り替えると、津波が襲ってきます急いで避難をしてください!!!という女性アナウンサーの絶叫が印象的だった。震度7の地域の古い民家はかなり倒壊しているやろなっ。なんていう、いまからおもえば無責任な言葉を発しながらも、宴は続いて、皆の笑い声が響いていた。

その緊急速報を眺めながら、Facebookの投稿欄に、上の清見原神社の写真と共に新年の挨拶文を投稿した。その時のいまとここを記憶として残しておきたかったのだとおもう。そうすると、木村工務店の建物の構造設計を担当し、清見原神社の構造設計も依頼した木構造研究所の田原さんから、すかさずこんなメッセージが送られてきた。

田原 賢

木村様、田原です。この写真は清美原神社への初詣ですね。(*^_^*)
良い雰囲気で使われているのがよく分かりますね。
それにしても先ほどの能登半島地震では少しびっくりしましたね。
震度7と言う事なので木造住宅等の倒壊した事例も多くなっているものと思いますので、可能ならば調査に行って見たいと思っています。
また、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

「耐震性」というのは、日本というこの風土で、建物を維持管理するためには、とっても大切な要素だな。とあらためて思い知らされる出来事だとおもう。私達とおなじように1月1日の16時を過ごしていた能登地方の方々が、いらっしゃったはずだし、もし大阪でこの震度7の地震が起こっていたら、奥方の実家の家は旧耐震基準以前の建物で、耐震改修をしていないし、1階の居間の15人の命はどうなっていたのか…..と、いま、振り返ると、怖さが増す。ちなみに現行の耐震基準は…..

旧耐震基準では、数十年に一度発生するような震度5程度の中規模の地震には耐えられるものの、それ以上の大地震では倒壊する可能性がありました。一方、1981年に施行された新耐震基準では、震度5程度の中地震では軽微なひび割れ程度にとどまり損壊せず、数百年に一度の震度6強程度の大地震であっても倒壊・崩落して人が押しつぶされることなく、命を守れるだけの耐震性が備えられるようになりました

時として、神は荒ぶるし、神とは無慈悲だな。とおもう。人々が想い繋いでいる物語性のある時空間を容赦なく破壊する時があるし、過去を楽しく振り返ったり、未来に希望をもって語り合ったりしている人達に、地震や津波のコトを考慮してますか!忘れてませんか!と、いまとここの在り様に、気付きをもたらすかのように、荒ぶっているようにさえおもえてくる。

七草粥で心身をケアーして、見つめ直してみようかとおもう…..
木村工務店は1月9日火曜日から通常営業です。

2023 年末

木村工務店の年末は、12月28日の大掃除で終わる。創業以来、87年間ずっと継続しているのかどうか、いまさら確かめる術もないが、その伝統、というか、その習慣的力は、これからも伝えていきたいな。とおもう。午後3時過ぎ、納会として一緒に食事をし、一本締めで終えて、それぞれの社員や職人さんと、良いお年を!っと、一礼で終わるのも、なんとなくの、tradition(しきたり)で、それでも、半分ぐらいは残って、そのまま2次会に突入する。惰性というより、大掃除を終えて、ようやく年末を迎えることが出来た喜びによる「慣性の力」=ウキウキした気分を、2次会で飲んで、ゆっくりと鎮めて、しっとりとした気分で、お正月休暇に突入するための、「儀式」のように、おもう。

そうそう、iphoneで納会を写し取ると、加工場の電球が細かいダストによるハレーションを起こしているのに気付いた。加工場の床は、電動送風機でブローして、電動掃除機で吸い取り、最後は座敷箒で掃いて、細かいチリをチリトリで取る。っていうのが今までで、それでも充分綺麗なのだけれど、その状態から、もう一度電動送風機でブローして、それでも残っている細かいチリを端に寄せて、掃除機や座敷箒でその端に寄せられたチリを掃き取ると、尚一層綺麗になる。ワタシ、今年の加工場の床の最後は、自らブローして…..なので、皆に、とっても嫌がられた。テクノロジーとその作法は、常に変化し進化していく…..なんていう独善は、既存の伝統的なスタイルからは、嫌がられたりするものだな。とおもう。

12月29日金曜日。朝から、magosと、布施のセガのゲームセンターで、「ポケモンメザスタ」をやりにいく。

実は、12月27日の朝。庭の掃除をmagosが手伝ってくれた。そういえばXmasプレゼントを忘れていたことに気付いたワタシは、掃除を手伝ってくれたお駄賃とXmasプレゼントを兼ねて、大丸のポケモン売り場の「メザスタ」に連れていくわ!と声をかけた。

magosの習い事の都合で、夕方6時過ぎを回っていたが、とってもハイテンションで地下鉄に乗るmagos。大丸は終了が午後8時らしく、売り場はガラガラだったが、ポケモン売り場だけは、インバウンドの大人と子供連れでいっぱいだった。驚くワタシとハイテンションマックスのmagos。まずメザスタ用の商品を買うが、行列まちのレジに並んでいる間に時間が過ぎていった。それに1000円札を100円硬貨に両替しようとおもうと、その両替機は両替中止の表示だった。レジで並ぶ奥方に小銭をもらいに行く。最近、ワタシ、小銭をもたないし、現金もほんのちょっとだけ。カードかpaypayの時代なのだ、なのでゲーム機もpaypay支払いにして欲しいぐらいだな。

小銭の用意とかなんだかんだバタバタしながら、目的の「メザスタ」の前にmagosと一緒に並ぶと、まだ、閉店の45分前なのに、店員さんが、今日は終了で〜す。っとポールを立てた。あまりのコトに、あ然とするmagos。mago2からは、しとしと涙が…..大声で泣くのを我慢したのだろう。mago1はふてくされて、その場から小走りですぐ別の場所に去っていく…..。そんなこんなのリベンジが、12月29日朝の布施のゲームセンターだった。

で、昼から、奥方と二人で、鶴橋と黑門へお正月の食材を買いに行く。年末年始、飲食店は営業している時代なので、もはやお節の必要性すら問う時代なのだとおもう。が、年末と年始は、「ちょっと上等の美味しい食材」を買って「家」で、家族一緒に食事するのが、楽しいし面白いし和める。とおもう。鶴橋市場で買うもの、黑門市場で買うもの、それぞれ好みがあるのだけれど、もはや黑門はインバウンドでいっぱいで食材を買う場所ではなくなってきたし、特に河豚は黑門で買わなくなった。路面の駐車場付きの河豚の大型店で買う時代だな。今日31日早朝から大勝へ河豚を買いに行くと、お店の前の道路は大渋滞していた。毎年末、この渋滞を見て、大阪人はふぐ好きやな。とおもう瞬間、なのだ。

12月30日土曜日。長男と次男の友達が沢山集まって、それぞれの忘年会が催された。次男の友達はそれぞれの母親も一緒に集まった。えっっとおもうし、ワタシは母とこんな親子関係にならなかったが、実は、友達同士集まって、夜に飲み会をする予定だったらしいが、それを聞きつけたmamasが、昼からうちの家に一緒に集まって宴会をし、息子達を夜に送り出す。っていう作戦だったらしい。送り出したあとはmamasだけの宴が遅くまで続いた。

12月31日日曜日のいま。家族だけ集まって、紅白をちょっとだけ視聴し、WBC2023ザ・ファイナルをガッツリ視聴して、河豚を食べながら過ごす大晦日。そんなこんなの2023年の年末だった。2023年の木村工務店とこのブログのご愛顧に感謝すると共に。皆さん、良い2024年をお過ごしください。

玄関土間

自転車のタイヤと靴を新しくした日曜日。年末が迫ってくると、なんとなく掃除とか、なんとなく整理整頓とか、そんな気分が湧いてくる。日本のどこに、こんな習慣的エネルギーが宿っているのか、とおもう。そうだ、年末だ、そろそろ自転車のタイヤを交換しよう!とおもって、ネットでポチ。最近は、VITTORIA CORSA G2.0 CLINCHER TYREを使っている。4度目かな。インナーチューブもVITTORIAで。玄関土間でタイヤ交換の作業をしていたら、インタホーンが鳴って、一昨日、靴がくたびれたので、年始は新しい靴で、とおもって、ネットで注文した靴が届いた。最近、靴は、ダナーのポストマンシューズ、もう5回連続かも。会社でも現場でも会合でも、どこにでも履いて行けて丈夫。レッドウィングのポストマンシューズがマットでエエんですけど、ダナーはちょっとガラス素材みたいに光沢があるのがエエのかどうか…..といつも迷いながらも安さもあってダナーに。

寒かったので、暖房の効いている玄関土間で交換作業をした。玄関土間をもう少し大きく作って、いろいろな作業など、あれやこれや利用できる玄関土間があると便利だな。とあらためておもう。木村工務店の施工例には、こんな感じの玄関土間があって、生野区H邸新築工事の書斎にも使う玄関土間枚方I&U邸リフォーム工事の花屋さんにも使う玄関土間泉S邸新築工事の珈琲焙煎所にも使う玄関土間。それぞれの「好き」を反映できる、さまざまな玄関土間が造れそうで、お客さんと一緒にあーだこーだと考えてみたいとおもう。


そうそう、タイヤの空気を入れるのに、もう何年も前からマキタの電動ポンプを使っている。あの立って足で押さえて手でよいしょよいしょと押すアナログなタイプと比べると、とっても楽でもう手放せない状態。今年一年間、マキタの電動道具で、私がとってもお世話になったのは、掃除機と送風機と空気入れの三つ。特に今年になってから本格的に使い始めた電動送風機が大活躍し、加工場の土間とか、庭の掃除には、なくてはならない存在だと思う。

そういえば掃除機と送風機のリンクは、1年前のM1が開催された日曜日だった。いま、このブログを書く横のテレビでM1がやっている。ますます点数による評価でファイナルを決めるのはムツカシイ気がするし、審査員がもう一度みたい人を選んだらエエようにおもうが、ファイナル出場のメンバーをみると、確かにもう一度見たい人の点数が必然的に高いようにもおもう。私は真空ジェシカとかモグライダーをもう一度見たかったけどね。ファイナルで、こんなネタ、どや審査員、どう評価するんや…..みたいに、お客さんのフツウの笑いより、新しい笑いを求めて審査員にぶつけたネタのようにも感じる、ファイナルのさや香は、好きだけどね。

XmasよりM1が終われば、年末年始へのカウントダウンが始まった感じがする昨今。木村工務店では、営業は2023年12月27日まで、12月28日は大掃除で、2024年1月6日に初出をし、1月9日から通常営業です。

 

しめ縄と忘年会

しめ縄づくりのワークショップに参加した寒い日曜日。

地元の清見原神社で催されるワークショップのお誘いを受けて、magosと散歩がてら、それぞれが自転車に乗って見学に行くと、「まちのえんがわ」のアオキさんと知り合いの女子3名が参加していた。会場に馴染みやすい雰囲気があったのだろう、面白そうなので一緒に作りたい!という。それで急遽参加するコトになった。ペアで作るらしく、magosは、アオキさんとコンビを組んで製作した。パートナーとしめ縄を堅く捻って結び合わせていく所作が、心も合わさっていく感じで楽しいのだとおもう。楽しい!毎年やりたい!そんなしめ縄プロジェクトだった。

で、興味深い事は、講師が、あの「東條英機」のマゴさんだという。レクチャーがとってもエエ感じだったこともあって、magosを家に送り届けたあと、スタッフの方からメッセンジャーを通じて懇親会に誘われたので、もう一度神社に出向いて、一緒に食事を共にした。

ワタシ、工務店を創業した祖父のマゴとして生まれたのは、どんな因果か思し召しか神の謀かいや戯れか、この歳になっても、人の誕生とは不思議な出来事だとおもう。誰もが高校生ぐらいになると、「私は誰」ウィルスのようなものにかかりやすいとおもうが、私の場合は、工務店という家に誕生した偶発的な出来事を受け入れるかどうかが「私は誰」ウィルスへの感染と発症だったようにおもう。しめ縄プロジェクトの講師の東條英利さんは東條英機さんのマゴだという。ちょっと特別な出自なので、自分の出処を受け入れるメンタリティーってタイヘンだったと想像するし、「東條家の歴史と向き合う事」なんていうコトバが印象深く残った。

そうそう社員と職人さんとで、忘年会を催した土曜日。コロナ禍の前から何十年間も、がんこの平野郷で、マイクロバスのお迎え付きで催していた。以前はそこの蔵を貸し切れたが、最近はその場所は閉鎖しているという。コロナ禍以降、いろいろな業態が変化しているのだな。内部的に過剰に人の手間のかかるところを見直しているのだろう。庭の眺めが良い座敷でも充分。飲んで食べてコミュニケーションして。昔から伝わるチームワークが育まれるシンプルなイベントだな。とあらためておもう。2次会は立ち飲みスタイルの加工Bar。半分ぐらい残って、終電が間に合う時間まで続いた。

しめ縄と忘年会と寒波。年末年始がやってくる気配だな。

師走感の変化

12月なのに穏やかな日曜日。暖かくて師走感がますます薄らぐ感じ。というより、12月になっても、クリスマス感とか師走感とかが全く感じられない世の中の雰囲気で、本当に正月がやってくるのかどうか…..なんておもう。御堂筋の樹木にライティングされているのを見て、あらためてクリスマスの存在に気付くワタシ。

12月に入って地鎮祭が続く珍しい年。工務店にとっては、木造住宅の新築工事の場合は、12月中に基礎工事を施工して、お正月の間は養生期間とし、お正月明けから、木造の建て方をする。なんていう工程計画が一般的で、というのは、基礎工事が、コンクリートを打設する前に、お正月休暇がやってくると、基礎の鉄筋や土留めなどがむき出しの状態で1週間ほど風雨にさらし、見守ることもできず、流石に施工的に良くないので、中途半端な基礎の状態でお正月休暇を迎えるのなら、お正月明けから基礎工事を着工しようということになる。なので12月前の地鎮祭が多かった。

かつての工務店の12月というのは、お正月を新しい住まいで過ごしたいという施主の方々のために、お引き渡しでバタバタし、お正月休暇までに基礎工事や建て方やその雨養生を完結させようとしてバタバタし、師走感が満載だったが、ここ数年、様子が変わってきた。工期を急いだ工事によって施工的問題が発生する事を避ける風潮が工務店的にも大きくなって、余裕を持った工期を提示するようになり、施主の方々にも理解して頂けるようになってきた。なので、お正月前ギリギリのお引き渡し、お正月前ギリギリ入居が減ってきたし、12月中に地鎮祭をしておいて、1月お正月明けから慌てずエエ仕事をしてください。なんていう新築工事の方々も増えてきた。

何よりも世界情勢が関与している部分が多いようにおもう。どの案件も10月11月ぐらいに地鎮祭が可能な状況でもあったが、契約前の最終見積調整の段階で、長引く傾向が多い。物価高による建築コストの上昇が、コロナ前に比べて1.5倍以上になって、もはや工務店側の企業努力ではいかんともし難い状況で、施主の方々にとっては、建築工事費に対する決断に、とっても時間を要する、世の中的状況になっているとおもう。

お正月がやってくる前に、いや、お正月中に、家をどうするか、焦らずゆっくり決断し、来年は新しい家で、ゆったり過ごそう…..なんていう方々が多いのだろうか。いや、まだ、世の中の状況が不透明なので、家を建てたりリフォームするのは、まだまだ様子を見ておこう…..なんて云う方々が多いのだろうか。師走感が変化してきたようにおもう。

 

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