祖父から父へそして私に引き継がれ参加している「生野防火協力会」の新年の会合があった金曜日。おもに、ガソリンスタンド屋さんや塗料屋さんやお風呂屋さんなどなど危険物を取り扱うお店や倉庫などを有する会社の代表者の方々が集まって、生野区の消防行政を間接的にサポートする団体で、年に2度ほど会合がある。今回は能登地方の地震が発生し、その日のうちに輪島まで救助活動に出向いた生野消防署の担当の方のお話しを聴く機会を得た。
消防自動車で車中泊し、後方部隊の支援によるテントで寝泊まりし、2日間ほどかかってようやく現地に到着して、救助活動をしたそうだ。生の現場でのお話を拝聴すると、被災者の方々への感情の高ぶりと共に、救助活動に赴く消防署職員の方々のメンタリティーを知る機会になって、ちょっと目頭が熱くなるおもいだった。工務店の立ち位置を鑑みても、倒壊から免れる建物、大規模な火災から免れる街づくり、日本の木造の密集市街地の課題がまだまだ沢山あることにあらためて気付かされた。
そんな刺激もあって、なんとなく、「私」と「能登」との「縁」を振り返って、その訪問地の地図を眺め、ホームページにアクセスしてみた…..。
①の「千里浜なぎさドライブウェー」は、学生の頃、車に乗るようになって、砂浜の海岸線を車で走り抜ける爽快な映像に憧れて、奥方とドライブし、その海岸で泳いだ。それ以来、何度かいろいろなシチュエーションで走っているが、ネットで調べてみると通行止めになっているし、進入路が崩壊して復旧の目処がたっていないという。
②の「能登半島国定公園内の大島キャンプ場」夏休みには、子供達やその友達も連れて、おそらく5回以上、宿泊日数15日以上は、海水浴キャンプを楽しんだ。今振り返れば、小中学生頃の多感な時期の子供達だったなぁとおもう。もう30代の後半になって、それぞれ、どうしているのだろうか。
波のない日は沖の島まで遠泳したり、波のある日はボディーボードしたり、自転車で海岸や自転車道路を走ったり、夕日を眺めたり、焼肉食べ焼きそば食べ、松林の中に張ったタープの下で昼寝をした。台風が通過する暴風雨の夜を過ごしたこともあった。ある時、最終日はちょっとエエホテルに泊まろうと、海岸沿いを北上し、輪島の朝市に寄って、③の「白米千枚田」を眺めた。人の手によって丹念に作られた棚田と海の光景は、記憶に残る映像だなとおもう。
その「③白米千枚田」を眺めた後、④の「ランプの宿」に宿泊した。キャンプ生活で真っ黒な爪、焚き火の匂いが染みついた髪と服、そんな状況からの宿泊だったので、こぢんまりしたリゾートホテルはとっても心地良いなぁ…..としみじみ思った。それ以降、奥方の強い願いがあって、キャンプの最終日はこぢんまりした良いホテルに泊まることになった。それから十年後にもう一度「ランプの宿」に宿泊したが、どんどんリゾートホテルとしての風格がついていく姿を垣間見た。そういえば2022年にサイクリングの途中で、駐車場の上から眺めたら、日本3代パワースポットというのぼりがたなびいていた。震災で休業をしているが、そんなに大きな被害がなかったらしい。震源地に近い場所なのに地形とは、とっても不思議だなとおもう。
⑧の「真脇遺跡」には、列柱が円形に林立する姿を見たいがために「②大島キャンプ場」の帰りなどに何度か見学に行った。その駐車場で車中泊をしたこともある。縄文遺跡は山の幸が豊かなところだけでなく、海の幸が豊かなこんな場所もあるのだと知った。当時は、まだまだシンプルな遺跡公園だった。数年前に竪穴式住居も復元されたそうだが、地震では無事だったようだ。
⑤⑥⑦⑨は2022年の10月にサイクリング仲間と一緒に能登の北部を自転車で巡った。自転車で走った道路は寸断されガタガタのようだ。その時に珠洲で宿泊した⑥の「田崎荘と近くの見附島」はグーグルの地図をクリックすると臨時休業と表示されてあり楽天トラベルのホームページには口コミで被災を悲しみ応援するメッセージが書かれたあった。なによりも軍艦島ともよばれる見附島は崩落して無残な姿になっているそうだ。その看板の前で自転車を置いて撮影した写真を以前ブログに掲載した。もはや観光地でなくなってしまうのだろうか…..いつかワタシ、地震の威力を垣間見るために、以前の写真と見比べながら訪れるかもしれない…..。
「⑨の能登島」も自転車でぐるっと周回したが、震災による断水の報道をみると、同じ島の中でも「県水エリア」と「自己水エリア」に別れているとあった。あの日、海岸沿いを一周する予定だったのに、道を間違えて島の真ん中のアップダウンのある小高い丘の尾根沿いをヒイヒイいいながら自転車を漕いだ。どうもそのあたりが、水道の分岐線のようだ。下の写真は能登島にある、建築家・毛綱毅曠による能登島ガラス美術館。美術品に被害があるそうだが、建物はどうなんだろうか…..。そういえば金沢21世紀美術館も被害で休館とのこと。
⑤は同級生と宿泊した「湯宿さか本」で、ホームページには「特別普通に。もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。そう、いたらない、つくせない宿なんです。」ある意味とんがった宿だし、料理にも建築にもコダワリが強く、それゆえ記憶に残る宿だった。あらためてホームページを覗くと…..
⑦は「宗玄酒造」でその「⑤湯宿さか本」で宿泊した帰りに立ち寄って日本酒を3本買った。海岸近くで立派な趣のある酒蔵だった。被害がかなりあったそうで、ホームページには →
そうそう、⑤の近くに能登燃焼器工業というのがあって、そこで製造される七輪を七輪本舗というサイトから買って、とっても重宝している → 秋刀魚を焼いている写真はそこの七輪で、一年に何度かは、串刺しの焼き鳥を買って、この七輪で焼き鳥を焼いて皆で楽しむ。そこのホームページを覗くと…..
冒頭の「生野防火協力会」での挨拶のなかで、生野区の銭湯の60%ほどは石川県出身の方々だそうだ。珠洲や七尾では、井戸水などを使っている銭湯が、再開し、無料で開放しているところが数軒あるという。あらためて震災の被害の大きさと、その苦悩を知るし、ワタシ、それなりに能登との縁が深かったなぁ…..とおもう。