猛暑日

猛暑日が連続する週。気温35℃が基準だとおもっていたら、もはや40℃を越えたかどうかがニュースの話題になる昨今。朝から30℃近くになると木村工務店の職人さんたちは早朝から事務所でクーラをガンガンかけて体を冷やしてから現場に出て行く。職人さんの多くが空調服を身にまとい仕事しているので、人の気配というよりロボットの気配のようにファンがブワーンブワーンと回転する音とともに近づいてくる感じが、近未来映画的な感覚だなとおもう。

それと近未来小説的感覚になったのが、「エネルギーが安定的に供給されない」という事態。火力発電所が停止していたのだと知る。「安定的に」「安いコストで」「環境に負荷をかけず」「安全に」電力を供給するというのが、カンタンなコトではない課題らしい。供給側と需要側のエネルギーバランスについてようやく真剣に考えるきっかけになった今年の猛暑日。

住宅の省エネの課題は、これまで「断熱等性能等級4」が最高だったのが、ZEH相当といわれる「断熱等性能等級5」というのが新設される。平成28年度基準の家より30%ほど冷暖房エネルギーが省エネになるらしい。化石燃料、原子力燃料、水力・太陽光など自然から得られるエネルギーを一次エネルギーというが、住宅で消費するエネルギーを、この一次エネルギー消費量に換算した「一次エネルギー消費量」という単位があって、基準より10%低い「一次エネルギー消費量等級5」から20%低い「一次エネルギー消費量等級6」が新設される。冷暖房機などの設備機器や家電の消費エネルギーを20%削減する新築が政府の目標値になる。この夏の電力消費を15%削減目標としましょうというのは節約する節電だが、一次エネルギー消費量等級5の家を新築すると、意識的な節約節電せずとも、フツウに快適な日常生活を営むなかで20%節電されているということになり、そういう家づくりに現実感が伴ってきた感じがする。

「まちのえんがわ」の近くに住んでいたデザイナーの通称サッチーが若くして病気で亡くなって一年近くになる。まちのえんがわワークショップにも多大な貢献をしてくれた女性で、そのお母さんがうちの家に尋ねてこられた。あれやこれやと想い出話をする。といってもおもにうちの奥方がサッチーを病院に送ったりしたことがあって、女性同士の会話の中にワタシが少し割り込んで入った感じ。亡くなってから実家のある金沢で開いた個展は反響をよんで全国から多くの人が見に来られて想定以上にポストカードを買って頂いたという。猛暑日のお昼、テーブルの上にポストカードを並べる。その中に、亡くなるほんの数ヶ月前に書いた「妄想春パフェ」という作品があって、観た瞬間、あっ〜食べたい〜爽やかになりたい〜という気分になって舌に涎が湧いてきそうな感覚に陥る。それとともに「はかなさ」「あはれ」みたいな日本的感覚も湧いてきて、お母さんが目の前に座っておられたからだろうポストカードの中にサッチーが生きてるような感覚になった。

あっそうそう「妄」って「亡」+「女」なんだと気付いた。妄想を誘ううだるような猛暑日だった。

人柄

6月なのに夏日が続く今週。クーラーなしではツラい日々。電力需給がひっ迫しているらしい。なので省エネが求められ、原子力発電を再稼働させる必要があるのではと報道で知る。密集市街地のなかで、気温が30度を簡単に何度も超えてくると、パッシブで風通しの良い家でクーラーなしで我慢して暮らすと、熱中症になる確率の方が高くなってきたこの温暖化。やっぱりクーラーを付けざるを得ないのが現状。工務店的には、1台のクーラーで家全体が適温になる断熱気密性能の高い家を造って、快適性も担保しながら1軒あたりの電力消費量を極力少なくする省エネな家づくりが、フツウに目指す方向ではないのかとあらためておもう。そういう省エネな家は、春秋の冷暖房機を付けない時には窓の配置の工夫で風通しの良い快適な家にもなる。

絵本作家の谷口智則さんのワークショップを開催した日曜日。2012年から10年間、年に1回欠かさずワークショップを続けて、コロナ禍のこの3年間も奇跡的に日程調整がうまくいって開催できた。この間、絵本作家として、アーティストとして、イベント開催者として、ワークショップ講師として、カフェ経営者として、セレクトショップ経営者として、ビジネス的にも成功しているのが凄いコトだなとおもう。ひとつの敷地のなかに両親の家を新築しアトリエをリノベーションし家族のために古民家をリフォームして暮らすそのライフスタイルもカッコエエし、こういうバランス感覚を保ち続ける秘訣ってなんなのだろうかとおもう。

毎回夕方6時を過ぎてもお客さんと対峙しながらワークショップを続けて頂いたが、今回はコロナ禍の影響もあっていつもよりは時短で終了した。なので近くのあそび菜さんで飲食を共にする。この予測不能な経済情勢下で、どうやってうまくバランスをとって生きていくか。あそび菜さんのマスターも会話に入りながら、staffのアオキさんや奥方も交じって、あれやこれやと会話が続いた。

土曜日。ミシンを設置できる空き家を探している娘さんとそのお母さんが来社されて近所の空き家を案内する。学生さんが授業が終わってから数人で一緒に夜遅くまでミシンを使用できる場所を借りて作業をしたいという。娘さんが卒業しても、そういう場所を求めている方々のための居場所として運営できたら良いのにねというお話しだった。これってスタバがいうサードスペースとしてのカフェでパソコンでワークするように、ミシンが置かれているサードスペースとしての居場所にコアーな需要があるかもしれず、空き家をミシンの音が伝わらない防音が施された部屋としてリノベーションできるのかどうかという問題も大きいが、それはそれとしてマイホームではまかないきれないそれぞれの趣味嗜好に応じたシエアーできるサードスペースがある「まち」が求められているように感じた。

そうそう今日の谷口さんのワークショップに川田珈琲店が参加してくれた。そのカワタくんは、会社員として勤めながら、日曜日のワークショップに趣味的感覚とボランティア的感覚を交えて皆さんに美味しいドリップ珈琲を提供してくれて10年近くなる。車を持たず中古住宅を購入し一部分は自分で作業もしてリノベーションした家で暮らす、とっても現代的なライフスタイルで、将来的には、子供が好きなので寮母さん的な立ち位置で子供たちを育てる居場所を提供したいという。やっぱりさまざまなスタイルの居場所をいろいろな人が模索しているような気がした。

大谷的二刀流は使い古されたコトバ感になってきたが、それでも二頭も三頭も追いながら多方面の知識を身に付けてバランス良く生きていこうとすることが予測できない経済を乗り越えていくひとつの方法かもしれず。バランス良く生きるにはやっぱり「人柄」のようなものが大切だよね。なんて、あそび菜さんで飛び交ったコトバだった。

空き家とまちの魅力

紫陽花の季節。梅雨入りになった今週。偶然にも「空き家」に関わることが重なった週だった。

その1 集合住宅の中に賃貸住宅を所有する知り合いの会社社長のオーナーが、今現在、空き部屋になっているその所有する住宅の上階の住戸から水漏れが発生し、その保険金が入ってきて、これを機会に改修して、新たに賃貸するかどうか迷っているというご相談だった。古い集合住宅で3DKという、数値的には広そうに感じるが、今の若い人のライフスタイルには到底受け入れがたい変則的な間取りで、ミニキッチンと並列の位置に冷蔵庫置き場がなく、洗濯機置き場もベランダで、最近の間取りに変更すると2DKか3Kとなる大きさの部屋だった。

コロナ禍やウクライナ問題で不透明で不確実で予測不能な世の中になって、そのうえかなりインフレになってしまった建築費の状況下。それなりのお金を投入し回収出来ることが確実かと問われると、現況の間取りとリフォーム費用と家賃収入を勘案すると自信を持ってお勧めできる状況でもなく、なによりも会社が所有するこういう案件は「投資」という視点が大きく、経済の見通しが立つまで、しばらくこのまま様子をみようか…..なんて雰囲気になる。こんな感じで「空き家」として残っている物件も多い。

その2 都市住宅を研究するある企業の研究所のメンバーの方が知り合いだったことで、「都市の縁辺部、(戦前)戦後スプロール市街地の、賃貸住宅オーナー(主に、二世・素人オーナー)の動向や興味を伺いたい」という「空き家カフェ」を運営している立ち位置で語ってほしいという依頼だった。夜のキタに出向く。といっても飲食が伴わない会合。そうそうフツウに人出が多いキタだった。

空き家カフェには賃貸住宅のオーナーの方も参加頂いているが、そういうオーナーのメンタリティーを賃貸したい方々、特に自分達でリフォームして住みたいとおもっている方々に知ってもらうことは大事なコトで。それと反対に、オーナーの方々に、最近の若い世代は、真新しいクロスでリフォームされた壁に、真新しいユニットバスや洗面台が付いている部屋より、古いままでも、自分たちでDIYできる可能性を含めて「私のライフスタイル」に合致するようにリフォームできる部屋もしくはできた部屋を望んでいて、そんな想いを若い人の生の言葉からを知って欲しい。そういう情報交換の場に、不動産関係や建築関係や行政の方々や大学教授などさまざまな立ち位置で、まちに興味のある人達がひとつのテーブルを囲んでコミニケーションをとることができる場に必要性があるかもしれず、その家やそのまちやその界隈の物語が語られ聞ける場が「空き家カフェ」なんだろう…..という話しをした。

その3 空き家になっている小さな文化住宅が近鉄沿線沿いの古い住宅地にあって、オーナーからその建物をなんとかできれば良いのにね。と2年ほど前からお話しを伺っていた。空き家カフェで、生野区にある大きな文化住宅の改修提案の話題が何度も議論されたが、面積が大きすぎて費用対効果を考えるとオーナーの投資への意向が強くないかぎり実施に踏み込めない状況が続いていた。

その時に参加頂いたある建築家の方と話をしているうちに、その小さな文化住宅を紹介することになって、そうすると昭和レトロでカワイイ文化住宅としての魅力がクローズアップされ、自分の事務所をそこで開設し、歩いて行ける距離に総合大学があって、学生が集まって寝泊まりもでき、私たちの文化を考慮した現代的な文化住宅、インキュベーションハウスとしてリノベーションしよう。学校のインターシップとして学生が参加できるプロジェクトとして進めてみよう。というそんな計画をオーナにプレゼンする日だった。

ちなみに建築関係の打ち合わせで、「インキュベーション」とか「アジェンダ」なんていうちょっと気取ったコトバが打ち合わせに登場するようになった昨今で、インキュベーション=起業や新事業の創出を支援し,その成長を促進させること。アジェンダ=これから話し合うために全体の流れ、要点をまとめたもの。結論の決まっていない相互の話合いの場で主に用いられる。ちなみにレジュメ=話される中身の概要。講演会など既に結論や内容が決まっている一方的な情報伝達の場で用いられることが多い。なんていうコトバらしい。なんかカッコエエコトしているような錯覚に陥るカタカナコトバでもある。

その4 今日の日曜日は毎月19日に開催している「空き家カフェ」の日だった。生野区というまちに興味がある方々12名の参加で、そのうちの2名の方は、開設している障害者施設を移転するための空き家をさがす男性と、学生も集まってミシン仕事ができる空き家を探す女性の初参加の方々だった。借家オーナー、不動産、ファイナンシャルプランナー、工務店、行政書士、行政の方、大学教授、まちの拠り所を開設するオーナー、生野区のまちに戻ってこられた方、生野区のまちに新たに住んで地域貢献をしたい方など、さまざまな立ち位置からの発言が語られ聞けるの面白い日曜日の昼下がりだった。

大阪市で生野区が製造業がもっとも多く、自営業者数や家族従業者数も多い、ものづくりのまちで、長屋や戸建て住宅が多く銭湯が最も多い区であり、空き家が最も多い区でもあるらしい。なので、ものづくりの音や匂いなどと住まいが共存できる関係性が周辺住民の合意であることが大切だったりして、「自営業的なものづくりによる良いモノ」と「銭湯のあるくらしに象徴される楽しい暮らし」と「コリアンタウンのような商店街に特徴がある多様な食文化」が、まちの魅力となって、持続可能な「エエまち」として存続できることが「空き家」をなくす最大のコトに繋がるのだろう…..なんて語られる空き家カフェだった。

空き家とまちの魅力を考える週になった。

スポーツ観戦

梅雨が始まりそうなジメッとした雨降る土曜日だったが、日曜日は春らしくカラッとした良い気候になった。奈良でこんな「コーン」を見た。工事現場で工事中に使うあの赤のコーンは目立つが、工事中でない時に注意を促すために使うコーンとして、ちょっと付加するだけで、さまざまなデザインの可能性がありそうで、へぇーっとおもう発見だった。

テレビでさまざまなスポーツの試合が放映される。スポーツを観戦するのが楽しい時もあれば、なんとなく退屈で面白くないなぁとおもってチャンネルを替える時も多々ある。それこそ人それぞれに千差万別の楽しみを持つのだろう。ワタシは野球をテレビ観戦することはほとんどない。大阪人だが阪神タイガースの試合を最初から最後まで観戦したことが全くない。嫌いというわけでもないが、3時間ほどテレビの前に座ったことがないのは、なぜなのかと自分でもおもう。小さい頃奥の座敷で毎晩のように阪神タイガースの野球中継を観戦していた祖父が、皆が集まっている居間にやってくる時は、たいがい阪神が負けている時だった。そういう仕草が面白かったし、そういう楽しみ方ができるのはそれはそれでエエなとおもう。

そういえば、大谷が投手で出る試合を半分ほど見た時がある。Jリーグは見ないけど日本代表のサッカーは観戦しているがあの先日のブラジル戦はどうかな。ラグビーワールドカップは興奮して録画を2回ほど見直したし、リーグ戦は一度視聴した。バスケットもたまにちょとだけ観戦する。オリンピックでのカーリングの面白さがようやくわかってきたが、心配で見てられない時があった。モーグルやクライミングも楽しめた。お正月の駅伝は親父が好きで毎年最初から最後まで観戦していたが、ワタシはここ10年ほどようやく楽しめるようになった。先日のボクシングは生放送を見逃して残念だった。

こんなことつらつら書いたのは、自転車のロードレースを観戦する面白さをまったく理解出来ていなかったし視聴したいとおもったこともなかったが、昨年からJspotsでジロデイタリアとツールドフランスをオンデマンドで放映するようになり、なんとなく視聴しているうちに4時間ほどのレースの楽しみ方がようやく理解できるようになってきた。が、それよりもイタリアやフランスのまちを駆け抜けるその映像が魅力の半分だとおもう。

ジロデイタリアは先週3週間に及ぶ競技を終えて旅した気分になったが、ジェノバの街を走り抜ける映像では、解説者も語っていたが、神戸の街に似ているなぁとおもった。最終日はベローナで、円形の古代の競技場に入ってくる演出などカッコエエのだが、それより自分の旅の想い出と重なったりするのが面白い。あの競技場の前の広場でビール飲んだよなとか。その時の旅の目的は、カルロ・スカルパが設計したカステルベッキオ博物館を見学することだった。お城を博物館に改装するために最小限の要素だけを付加し古いものと新しいものを一体化するセンスに感心したことを思いだした。

ロードレースを観戦しながら旅気分を味わったり、旅の想い出が走馬灯のようにフラッシュバックするのが楽しいのだと思う。

「チャレンジ」

住宅相談会があった日曜日。赤ちゃんと3歳のお子さん二人連れで来社された若いご夫婦は、大阪市内のある特定の密集市街地で、中古住宅を購入しリフォームをしたいというご希望だった。ライフスタイルとして車は所有するつもりがないので駐車場は必要なく、2階建ての長屋でよいのだと仰る。再建築不可の一戸建て物件にも興味を持たれて、土地を含めた中古住宅の購入価格帯を1000万円以下に絞り快適なリフォームをする予算感覚だった。

現代的なチャレンジだなぁ…..とおもう。都会での土地を購入してからの新築費はますます高騰する世の中になって、子育て世代がファミリーで住める2LDK以上の賃貸住宅の月額もそこそこの金額で物件数もかなり少ない。密集市街地の「空き家」になっている中古住宅を購入しリフォームして、都会で自分たちなりのライフスタイルを楽しみたい世代の、切り捨てるライフスタイルのひとつが車を所有するというコトで、そんな若い世代でないと、お気に入りの密集市街地の「空き家」は再活用されないだろうな。とあらためて考えさせられた。乳母車を押しながら子供の手を引いて、「オンデマンドバス」を行きと帰りに予約して弊社の相談会に参加されたスタイルからしても、「カッコエエ」とおもう。

堀江謙一さんがヨットで太平洋横断を最高齢で達成されたホームページをしげしげと眺める。「カッコエエ」な。若い時は最年少で太平洋を西宮からサンフランシスコにヨットで行き、最高齢でサンフランシスコから西宮に戻る。ホームページには日々のリアルタイムのヨットの位置が更新され、リアルタイムの航海日記にリアリティとハートがあってついつい読んでしまう。「精神と肉体は完全燃焼しましたが、青春まっただ中でこれからも頑張ります」と先ほどテレビで視聴したインタビューで答えておられた。建築家の安藤さんや秋山さんも同じような80歳前後の世代で「チャレンジ」し続ける姿を皆とシエアーする様子に刺激を受ける。

そうそう、堀江さんが日記のなかでアマチュア無線による交信が楽しみのひとつであると仰っていた。ワタシも中学2年生の時に免許を取得して高校生2年生頃まで楽しんで、長期の中断があり、30歳前後に2年ほど復活したが、いまはまったく休止している。堀江さんの航海中に交信できたら楽しかったかも。

↓ 今は残骸のように残るキットで組み立てたミズホのアマチュア無線機

SNSの世の中になって不特定多数の方々と繋がりを持つのにアマチュア無線は前時代的だが、インターネットが繋がらない洋上と繋がる面白さがあり、文字でなく声「voice」で繋がるのが面白いのだとおもう。それに大気の磁気現象などに交信の影響を受けたりするのが面白かったりして、中高生の頃に楽しんだ50MHz帯では、普段は関西圏ぐらいしか通信できないのに、5月から8月頃の夕刻になると時折Eスポ(スポラディックE層)という現象が派生し、突然、北海道と交信できるようになる時間帯が数時間続き、その現象が面白くて、学校から早々に帰り、北海道と繋がる楽しみを追いかけた時期があった。きまぐれな「未知との交信」という感覚が楽しかったのだとおもう。

↑ そういえば、先週。施工した「コトバノイエ」で、施主の加藤さんが主催する、ポエトリーリーディングのイベント「the night of voice 05」が催され、夫婦で参加する。飲食のあと、8人の朗読者による「voice」を聴く。それぞれが題材にした朗読による「voice」に、それぞれの経験や生き様が聞こえてくるような感覚が面白いし、夕刻になって、それぞれの「voice」によって「静けさ」を体感する感覚は、芭蕉の俳句のような世界でもあり、「無」から生ずる「voice」のようでもあって、老子的や禅的な感覚も楽しんだ。コミュニティー的な雰囲気を含めてカトウさんのチャレンジングな「the night 」だった。

明日香の古墳と二上山

5月なのに夏日の日曜日。こんなタイミングで自転車に乗ってしまったことに昼前頃から後悔の念が浮かんできて、昼過ぎてからは暑さでアップアップする。サイクルコンピューターのガーミンの記録を後で確認すると、最高温度は42℃になっていた。どおりで、しんどいはずだ。

帰り道の竹之内街道沿いで脱水症状ぽくなって水分補給をしようと自販機を探す。なんとなくこの自販機ではなくと通り過ごす。また次もスルーする。4つほどの自販機をスルーして、さしたる意図もなくその自販機の前に自転車を止め、サドルに股がったままジュースを買う。何気に前方をみると5mぐらい先にお地蔵さんとポケットパークの木陰があって、買ったジュースをそこでほんとにガブガブ飲んで暫し休憩した。喉も潤い涼しくて助かった感がし、隣のお地蔵さんの案内版をみると、役行者が旅人のために水場を探り当て、街道を往き来する旅人はここでしばし道中の安全を祈り喉を潤した。と書かれてあった。役行者に助けられた気分になった。

明日香には一年に2回ほど自転車で訪問する。何回訪れてもあの周辺のランドスケープと空気感は独特で好きだな。今回は「牽牛子塚古墳」(けんごしづかこふん)と読むらしいが、その完成したばかりの古墳を見たかった。八角形で凝灰岩(昔は二上山産)の切石だという。遠くから見ても「白い」。漆喰の白でもなく、ペンキの白でもなく、いまの時代でもモダンに感じるつや消しの白だ。宇宙船のようだ。当時のひとも、古くさく感じるようになってきた土で覆われた前方後円墳でなく、その当時のモダンな建造物を作って人々を魅了させたかったのだろう。と考えることにした。

↑石舞台と二上山

明日香の古墳で気になることは二上山との関係で、大阪側からみる朝日が登る二上山の雰囲気と奈良側から見る夕日が沈む二上山の雰囲気はまったく違う。古墳と二上山に沈む夕日はとっても良い取り合わせにおもえて、今回訪れたキトラ古墳もこの牽牛子塚古墳も裏山の木々がなかったら二上山が見えて、二上山からの夕日が、この凝灰岩のつや消しの白に吸い込まれ、独特のオレンジ色を発色をする八角形の建造物の姿を想像してみた。

想像力も朦朧とする暑い日曜日だったな…

「交換」するというコト

天気も良い。気候も良い。5月らしい穏やかな日曜日。「まちのえんがわ」でクローズドな植物交換会というstaffのアオキさんが主催するイベントを催す。知り合いばかりが数人、植物を持って集まって、クリスマスのプレゼント交換のように植物を交換し、飲んだり食べたりしながら穏やかな日曜日をまったりと過ごす。

コロナ禍で、集まるっていうことに違和感があって、自邸で過ごすのがあたりまえな感じだったが、ここ最近、昼間にバーベキュー施設で過ごすっていうスタイルが、若い人のライフスタイルのひとつになってきて、ワタシも長男家族に誘われて、堺の「まとい」というモダンなバーベキュー施設でバーベキューを楽しんだ。太陽があるアウトドアーな空気のなかで、食事とお酒をま昼間っから堂々と楽しめる雰囲気が楽しいのだとあらためて思う。

そんな昼間から飲んだり食べたりするバーベキュー的な遊びに、それぞれが持参した植物を交換することによって、見ず知らずの家庭に私の植物が旅をし、その家庭で育てられることで、新たなコミュニケーションと繋がりが生まれるという、バーベキュー的昼間の飲食とクリスマスプレゼント交換会的植物交換会が合体した「まちのえんがわイベント」として、もっと多様な方々と楽しんでみようかなと思う。

土曜日。クローズドな「ものづくりセッション」を催す。メインの主催者は行政マンのタケダさんで、ワタシはそれをしっかりとサポートする立ち位置。この日は、生野区でサンダルのイノベーションを推し進めている「リゲッタ」のタカモト社長がプレゼンターになり、このコロナ禍の影響による2年間の今のリゲッタをプレゼンして頂いた。コロナ禍による経営的なネカティブな状況を「つぶやく」ように吐露することによって、それがポジティブな方向に転換されて欲しいという願いのような気持ちは、同じ経営者としてのワタシにもあって、タカモトくんの敢えてネガティブなことをプレゼンする姿に経営者的な共感をした。

↑主催者のタケダさんから写真をお借りしたのだが、大阪商工会議所のハヤシさんから「デザイン経営」のプレゼンがあった。コロナ前に個人的にハヤシさんからこのプレゼンをしてもらい、デザイン経営というのは「企業のブランド価値を高めるために、お客さまから共感を得る、新しい価値を創造することで、一貫性があり共感できるデザインであることが大切だ」と教わる。それを参加の皆さんと共有出来る機会が、ようやく2年越しにやってきたが、「デザイン経営」というある問題定義を一緒にあーだこーだと考え、自分の思いや感覚を「交換」する時間を共有することによって、コミュニティーが育まれていくのかもしれない…..とおもえた土曜日だった。

そうそう日曜日の夜になるとNHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を視聴するようになった。平安時代から鎌倉時代に移り変わる出来事は歴史で習ったが、源頼朝のことや義経や政子や北条氏や平泉氏のメンタリティ的なコトって、まったく理解していなかったなぁ…..とあらためておもう。読後感のように視聴後感のような言い方があるとするなら、いままでの歴史ものとはちょっと違う視聴後感がやってくる。この感覚って何だろうかなぁ…..とおもう。

こんな「交換」を考えてみる週末だった。

「凧揚げ」

淀川河川敷で凧揚げをする。「まちのえんがわ」木工ワークショップの講師ヤグラさんのお誘いで、淀川河川公園西中島地区で凧揚げとストリートオルガンをやっているので時間があれば…..というお誘いだった。マゴ二人とそのお母さんと奥方と私の5人で出向く。

河川敷の無料駐車場に10時30分に到着すると満車になる一歩手間だった。大規模なバーベキュー広場があってそこを目当てに多くの若い人達がやってくるらしい。コロナ禍による新しいライフスタイルがバーベキューなのだろう。ほんとうにこんなに人が来るのだろうかと疑っていたら、お昼には満杯になって周辺には風にそよいで焼肉の匂いがたちこめていた。そのバーベキュー広場を横切ってテント広場で凧揚げとストリートオルガンを催していた。

ヤグラさんと他二人のストリートオルガン製作者が演奏し、どれも手造りのストリートオルガンで、独特の音色と和音を奏で、とにかく良く出来ているので感心するばかりだった。道ゆく数人が興味深く立ち寄り滑車をぐるぐるまわして演奏を楽しんで、毎回ささやかな拍手につつまれ、ノスタルジックで穏やかな公園風景を醸し出していた。その演奏している背後のシロツメ草が生えている広場で凧揚げをしている「日本の凧の会」の狭川さんを紹介してもらう。なんでも大阪で唯一の手造りこんにゃくを作る83歳になる職人さんだそうだ。

和凧の背面を見せてもらうと、あまりにも骨の作り方が良く出来ている凧なのでいろいろ質問すると丁寧に教えてくれた。手漉きの和紙でてきていて強度があるという。骨になっている竹をみると細くてしなやかそうなので、聞くと、エジソンが使ったのと同じ「真竹」だという。いろいろな竹があるが、真竹がもっともしなやかで強いのだという。凧糸をみるとフツウの凧糸より細くて軽くて強い上質な凧糸だった。全ての部材を軽量化して製作しているという。

今日は生憎、風が吹かない淀川河川敷だったが、時折吹く弱い風を捉えて、快く笑顔でマゴ達に凧糸を持たせてくれる。弱い風でも揚がる和凧なのだそうだ。マゴ達が飽きると、ワタシも30分間ほど凧を揚げる。久しぶりだ。しなやかな竹のお陰で、右人差し指に絡む凧糸を通じて、凧に伝わる風の力が心地良く感じる。微妙に変化する風の力を凧糸を通じて指に感じる、その風の感覚が楽しいし好きだなぁ。

木村工務店の3階建社屋に屋上があり、お正月に、その屋上から何度か凧揚げをした。ゲリラカイトといわれる西洋凧が多かったが時には奴凧といわれる和凧も新聞紙で足を付けて揚げた。親父もお袋も兄弟3人一緒になって楽しんだ記憶が残る。長男が生まれて小学生頃までお正月の楽しみのひとつだった。大阪湾からの安定した西風が吹いて、東の生駒山に向かって凧が天高く揚がるが、時には凧糸が切れて、どこかに飛んでいってしまい、自転車で追いかけて電線にひっかかった凧を何度か回収した。今から振り返れば大胆なことだったが、まだ大らかな時代だったのだろう。もはやそんなリスクのある遊び方ができる時代ではない。そういえば、凧揚げはお正月でなく4月5月6月が良いのだと狭川さんが仰っていた。

それにしても淀川河川敷から梅田方面のビル群を眺める風景もエエなぁとおもう。この光景のなかに梅田スカイビルの存在は際立っていて、もしこの建築がなかったら、もっと味気ない光景だったのかもしれないとおもう。シロツメ草の上でお昼ご飯を食べて、ゴロッと仰向けに寝っ転がりながら「風の力」と「建築の力」というのを考えてみた。

「斜張橋」

2022年のGW後半も終わり木村工務店では5月6日金曜日から通常営業です。

5月4日5日と小学校からの同級生4人でしまなみ海道を自転車で走る。生口島にある輪空という宿に泊まって、輪空の親父さんも交えて、一緒に自転車に乗って島々を巡るのが、数年の恒例になっていたが、コロナ禍で休止せざるおえなかった。今年は久しぶりに世間の雰囲気が旅気分な連休になって、晴天と穏やかな気候に恵まれ、人出も多く、世の中全体が「ゴールデンウィーク」という皆で一緒に休日を楽しむむムードが漂い、ちょっとウキウキした気持ちになった。ただ人出が多すぎて渋滞に巻き込まれ、3時間のところが5時間かかったのはツラかったが、簡易な自動運転の進化のおかげで渋滞の疲労感は半分に減った。

ゆめしま海道を走り、この3月に開通した岩城橋を自転車で渡る。斜張橋だが、ちょっと今までの斜張橋よりシンプルな構造美を感じフワッとしてカッコエエのだ。建築出身なので、土木のことはまったく理解していなかったが、「混合斜張橋」というらしい。なにが混合かというと、橋桁がコンクリート桁と鋼桁が組み合わさっているという。その鋼桁の下部にテーパーが取ってあり細く見え曲線的な勾配もあってコンクリート桁より鋼桁の方が長いのでフワッとした印象を与える。斜材のケーブルの取り付け方がコンクリート部分と鋼材部分ではデザインが違って、鋼桁部分の取り付け方はいかにも鉄っぽいメカニカルな取り付け方でゴツゴツ感があるが、それはそれでエエ感じ。

↓ コンクリート部分を下から見上げると橋桁部分も塔部分も美しい。

ゆめしま海道の島々をつなぐ生名島から佐島に渡る生名橋も佐島から弓削島に渡る弓削橋も斜張橋だ。小ぶりの斜張橋を3連続で渡る。生名橋は日本で最初の混合斜張橋らしいが、岩城橋に比べ鋼桁部分が短いのでフワッというよりガッシリした印象。弓削橋は鋼桁の斜張橋らしい。斜材のケーブルの取り付け部分が民家やお寺の垂木や母屋の小口が露出するデザインに似た納まりで、リズム感がある。そういえば生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋も複合斜張橋らしいが、PC桁と鋼桁の取り合いは塔部で分かれているので判別しづらく、一体感があり堂々とした風格があって立派な複合斜張橋だなとあらためておもう。

↓生名橋(PC桁も鋼桁もケーブルの取り付け方が母屋の小口っぽいデザイン岩城橋に比べ鋼桁部分が短い)

↓弓削大橋(遠景で鋼桁橋のケーブルの母屋の小口っぽい取り付け部分はみえない)

↓多々羅大橋(橋のケーブルの取り付け部分は見えないデザインで岩城橋のようなゴツゴツ感がなくシュッとしながらも堂々としている)

なんて、斜張橋のコトをつらつら考えてみたのは、今回、岩城橋を自転車で渡った時にいままでにない印象を感じて、家に帰ってから写真を眺めググっているうちに知ったことで、これからは、さまざまな橋を渡りながら、もっと構造的なデザインに意識的になれたらとおもう。ちなみに、今回自転車で渡った来島大橋は吊り橋で、斜張橋と吊り橋の違いにこんなイラストがあった。

↓ 来島海峡(吊り橋)

「昭和」

ぐずついた天候だったゴールデンウィーク前半。4月29日の祭日は朝から雨だったが、何という名の祭日になったのか、すっかり忘れてしまい、かつての天皇誕生日だったことは想い出せるのだが…..あっそうそう、そういえば、「昭和の日」とよばれているのだと、このブログを書きながら再認識した。

「昭和レトロブーム」とか「昭和歌謡ブーム」というのが若い人の間であるらしい。あらためて「昭和」というコトバに接すると、昭和って何だったのかとおもう。今の若者にレトロな魅力を感じさせている昭和のデザインって何なのだろうか。再認識してみたいとおもった。

昭和歌謡の人気ランキングをググると、1位まちぶせ/石川ひとみ、2位木綿のハンカチーフ/太田裕美、3位喝采/ちあきなおみ、4位岬めぐり/山本コウタロー、5位また逢う日まで/尾崎紀世彦、6位勝手にしやがれ/沢田研二、となっていて。確かにどれもこれもなにげに口ずさめたりして。クレジットにある作詞作曲者の氏名をみると、あっあの人とあの人ねぇ。と名前を覚えているし、ザ・ベストテンなんていうテレビ番組を楽しみで視聴していたなぁと想い出す。

「工務店」に関連するコトになると、「昭和住宅資料館」「昭和スポット巡り」というサイトに遭遇して、あらためて建築デザインとかインテリアデザイン、家具デザイン、家電のデザイン、看板のデザインとかの「昭和」って何なのか意識させられる。「昭和中期の生活をリアルに体感できるような空間づくりを心がけている」とそのサイトに書かれてあって、中古物件を手に入れて、自分で昭和の空間を作って生活しているらしい。

「この時代特有の野暮ったさが際立っています。私にとってこの野暮ったさこそが昭和中期の最大の魅力です。」「建築はもとよりファッションや自動車など様々な方面で海外のデザインが急速に取り込まれていったわけですが、それと同時に日本人の未だあか抜け切れていないセンスが浮き彫りになった時代でもあったのではないでしょうか。そして、そのあか抜け切れていない部分こそが当時を生きた人たちの気持ちそのものだと思うのです。」

なるほど。木村工務店では、そんな昭和レトロな建物を沢山、「モダン」にリフォームしてきたが、確かに昔のままでも良かったのかも。何がモダンなのか、と考えさせられる。そのサイトには「どこかあか抜け切れていない部分に愛おしさ」を感じる。と書いてあって、デザインがちょっと破綻しているところに愛おしさが宿っているのかもしれない。

そういう気持ちはそれなりに理解出来て、モダンデザインとして整ったデザインの模倣や提案が、施主の嗜好や大工をはじめとする職人さんのセンスと思い入れとコストと技術力の問題で、デザイン的破綻になってしまう時があって、その破綻を良しとして施工してしまうところに工務店的な魅力もちょっと存在し、そういう「昭和的工務店」が作った住宅が「昭和住宅」だったのかもしれない….とおもった。

唐突ですが、この写真は、東京、銀座の無印に展示されていたチャールズ&レイ・イームズのテーブルと椅子で、この手前のカフェで珈琲を飲みながら眺めていたら、何人かの若いひとたちが、写真を撮って憧れの風情で眺めていた。こういう1930年代のモダニズムの思想やモダンデザインが日本にも入ってきて、工務店にも模倣されたのが昭和だったのだろうが、その模倣がさまざまな要因でデザイン的破綻をして、でも職人さんが丁寧に一生懸命作ろうとしていたので、どこかに愛おしさが残っていたのかもしれない…..。

そういう愛おしく感じるデザインを受け継げいでいく「昭和的工務店」もエエなぁ…..と「昭和の日」の「昭和」を考えてみた。

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