「タコパー」

梅雨。それなりの雨が降り続いた今週。庭の排水ってムツカシイな。とおもう。庭の土の中に浸透性のパイプが入っていて、植木屋さんが見えないところで努力してくれているお陰なんだけど、それでも土が排水に流れこんでタイヘンだったりする。そうそううちの庭の紫陽花の開花がようやく始まった。

↑ 東大阪の池嶋の水田越しに生駒山とこれから登る十三峠を望む。

↑柏原の葡萄畑超しに奈良盆地を望む。

↑ 朝護孫子寺にある生け花を眺める。


↑ 河内堅上で電車の通過を眺める。

土曜日と日曜日に雨が止んで、久しぶりに自転車に乗ったら、里山は春から初夏に変化していた。田は水田になり周辺の景色が映り込んで美しい。葡萄畑はシートに覆われ養生されて、それがちょっとした芸術作品だなとおもう。稲も葡萄も丁寧に育てようと努力している人の姿を想起できて、ちょっと嬉しい気分になる。朝護孫子寺に立ち寄ると、本堂の手前の陳列にいつも生け花が飾ってある。この朝護孫子寺という環境のなかで育まれたその生けた人の心のようなものを感じて、毎回楽しみにしているワタシ。自転車に乗るようになって、思わぬところで眺める鉄道が面白い。わざわざ自転車駐めて鉄道の通過を待って鉄道の通過を喜ぶワタシ。撮り鉄の気分が理解出来るようになったなぁ。

十三峠・フラワーロード・朝護孫子寺・龍田古道・河内堅上・大和川と49kmほど走って、昼前には家に帰って、ビールでも飲んで、ひとりでゆっくりしていると、マゴの襲撃にあった。嬉しいような嬉しくないような。5歳と7歳の男子マゴとマリオカートを3人で遊ぶ。ゲーム中に思わず発せられる何気ないコトバが面白い。今の子供達の心の有り様を垣間見る感じ。それにしても、だいたい負ける。ワタシも真剣なのだ。時折大きな声も発する。たまに1位になると、おっ!なかなか上手いなっ!横でどんなやり方してるか研究させてっ!といって横に座りにくる。完全にマウントとって上から目線のマゴたち。

そうそうこの土日、スティーブジョブズのテレビ番組を録画で視聴した。日本文化の「洗練されるとシンプルになっていく」なんていうコトバは建築の世界でも語られてきたコトバで、確かにな。とおもう。ワタシ、工務店として、シンプルさとはほど遠いし、真逆で複雑で判りにくいままのような気がする。それと上岡龍太郎の追悼番組としてNHK+の日本の話芸上岡流講談「浜辺にて」を視聴する。顛末がユニークでおもわず唸る。米朝さんとか花紀京さんとか上岡龍太郎さんとか、おもわず唸るようなタイプの新しい関西芸人は育ってくるのだろうか…..。

そんなこんなの週末の出来事をアテにして、夜は皆でタコパーを楽しんだ。

ブリコラージュ

うちの会社の駐車場の道路を挟んだ前に、大林縫製さんという会社があって、その工場を見学する。私が幼稚園の時、いやきっと小学生の時だとおもう。通称、長細公園という水路を公園にしたところがあって、そこに接しているその大林縫製さんの工場の窓が開いていると、その窓の面格子の向に、いろいろな色の糸巻きがクルクル回っている光景があって、それが面白く、背伸びをして窓から覗いたものだった。その窓が写真の左の面格子付き窓で、50年以上たって、その内部を見学する機会に遭遇し、もはや糸巻きは回っていなかったけれど、窓の向こうに小学生の頃のワタシの姿を見たような気がした。

「ものづくりセッション」という3ヶ月に1回ほど開催される会合が土曜日の夕刻にあって、うちの加工場に、行政のタケダさんチョイスの方々が集まってくるのだけれど、今回のプレゼンテーターが、その大林縫製のオオバヤシさんだった。85年続く、もはや数少ない日本の縫製工場だそうで、等身大のハートフルな語りによって、その変遷を拝聴する。縫製工場として存続するために、その時代背景に即した、さまざまなチャレンジが繰り返えされてきた、その苦労を、参加者皆で共感し、組織が持続するためには、その時代に応じたなんらかの新しいチャレンジを続けて、変化していく必要があるのだ!とあらためて気付かされた。

そのあとが、ワタシ。「ものづくり」としての「マイルス」。というのをプレゼンすることになって、音楽をかけながら、長々と時間を使って資料の半分ほどを語ったのだけれど、ほとんどがジャズにもマイルスにも興味のない方々に、その時代背景に応じて、変化しながら、新しい音楽を創り続けたその姿を、マネージメントとブランディングとマーケティングとイノベーションというコトバを使って「ものづくり」の視点から「ワタシ感覚」を伝えてみたのだけれど、たぶん空回りしていたような気がする…..。ま、そのあと、加工BARで、皆で楽しく食べて飲んで、気分転換してもらえたのが、なによりもの救いだった。

日曜日。前日のワタシのプレゼンと懇親会の余韻を洗い流すために、朝風呂にいった。夕方、なぜか頭の中で、マイルスの音が鳴り出したので、「アガルタ」を聴くことにする。高校生の時に初めて買ったマイルスのレコードで、発売して1年ぐらいなので同時代性があったし、なによりもジャケットのカッコ良さに惹かれた。まったく音楽は理解出来なかったが、サビのマイルスの吹くメロディーだけはずっと記憶に残り続けた。そのメロディーがなぜか頭の中で鳴りだしたのだ。

20歳すぎて、オーソドックスなジャズを聴くようになって、アガルタは、ほとんど聴かなくなったが、CDになってから、ごくごくたまに聴くようになり、Apple Musicで聴けるようになってからの、ここ数年のほうが、よく聴く。レコード2枚組のA面B面に針を落とす作業より、一気に途切れる事無く連続的に1時間30分ほど聴けるのがエエし、現代的メディテーションのようなものだと感じる。まずカタルシスから入る空間性のあるメディテーティブな現代音楽として、より「今性」があるようにおもう。

そんなことより、このジャケットの製作者が横尾忠則で、はじめて「ブリコラージュ」という手法を知るきっかけだった。ワタシの記憶の片隅にこのジャケットのイメージが定着している。建築をやるようになって、26歳の結婚をきっかけに、自邸として空き家をリフォームさせてもらえる機会に恵まれ、その15年後に、その自邸と長屋を繋げてリフォームすることになった。学生の頃に知った、建築家フランク・O・ゲーリーの自邸が、ブリコラージュのような住宅で、建築でもブリコラージュをしてもエエのだと教えられたし、それとこのジャケットと音楽のブリコラージュ的世界感のようなイメージが重なって、その長屋をブリコラージュ的なリフォームをして住む事になった。いま、長男家族が、その家を、それなりに気にいって住んでくれているのが嬉しい。

↑ 木村家本舗というイベントをその自邸で開いた2010年の時の写真。

「BBQ」と「カリー」と「お茶」

雨が降り続いた今週。鶴橋のコーリアンタウンの入り口で、戦前から商売をしている材木屋さんの岡房商店のオカモトさんが、会社前の平野川が、もうほんの5センチほどで決壊するほどの雨量やったわ!とBBQ会場で語ってくれた。その金曜日の一日中降り続いた豪雨が収まり、土曜日は穏やかな気候で青空のもと、3年ぶりに木村工務店の協力会社の代表の方々と大工さんやうちの社員など、50人ちょっとの面々が、Tシャツや短パンなどラフな服装で集まって、BBQで食事を共にし、懇親を深めた土曜日だった。

先週に引き続き今週も一週間のうち4日、さまざまな会合の総会や会食があって、ご多分に漏れず、木村工務店の協力業者の集まりである精親会も、総会を兼ねたBBQ大会を催した。コロナの余韻が残存するこの時期、密室的な宴会場より、アウトドアーの宴会場のほうが、気分良さそうで、幸い、堺に、商店建築にも掲載された建築的にもエエ雰囲気のBBQ会場があって、バス一台をチャーターして、木村工務店からBBQ会場に乗り付け、食材も飲み物も機材も全て現地手配という、ちょっと贅沢なBBQができたのは、コロナ禍の3年間の行事中止による宴会費用が余っていたからで、毎年繰り返してきた行事を2年に一度にし、ちょっと贅沢に楽しむ。っていうのもコロナ以降の行事の在り様だとおもった。

毎月の第一日曜日にオープンしている「サヤカリー&kofukubook&ベーク」は、徐々に口コミが広まって、今日はカレーが完売するほど沢山の方々にお越し頂いて、さまざまな出合いの日曜日になった。常連として毎月お越し頂く方々が、数組あって、あれやこれやとコミュニケーションが継続できて嬉しいし、じゃぁ次回、「まちのえんがわ」で個展やってください。とか。近所に在住するアメリカ人でリピートしてくれている方が、イギリス人の建築関係の友人を連れ添って、それぞれがカップルでお越しになって、話が弾んで、じゃぁ今度、一緒にタコパーしましょうよ!とか。何人かのお客さんは、近くにある三国屋さんに足を運んで、アイスモナカをわざわざ買って、お持ち頂いたり、「まち」をブラブラしてもらえるのもちょっと嬉しい。


そうそう、建築の話も少々。今週は宇治の共栄製茶の3年ほどに及んだリノベーションが終わりオープンの週だった。共栄製茶の社員の方々が、お茶の作り方や検品の方法など、寄り添って丁寧に説明頂いて、あらためて「お茶」の奥深さを知るのだけれど、何よりも興味深かった事は、江戸時代から続く数枚の屏風にお茶の歴史のようなものが書かれてあり、その説明を聞くと、取れたての新茶を宇治から江戸にお茶を献上するために、参勤交代のような行列で上京し、途中、静岡でお茶を乾かすために数日間滞在したりするそうで、最後、江戸でお茶を入れる時の水は「御茶ノ水」の水を使って将軍に献上するのだという…..へぇーとおもわず大きな声がでたのは、ワタシが大阪人だからだな。

 

「私を構成する42枚」

GW明けて、コロナが5類になって、さまざまな会合が一気に増えた今週。懇親会、2次会、3次会と続き、翌朝は朝早くからフツウに仕事をするが、昼すぎるとだんだんトーンダウンし、夕方になって、流石にぐったりしてきて、早く寝るつもりなのに、「ジロ・デ・イタリア」の最終週で、ロードレースの楽しみ方がだんだん判ってきて、レースの面白さとともに、イタリア各地の空撮映像を観たい欲望がからむ。なので、夜な夜な視聴するが、たいてい途中で寝落ちしている状態。ピンクの特別列車が自転車の隊列と併走するという、粋な計らいは、日本の緻密な運行システムでも可能なのだろうか…..。

そんな不摂生な夜が続いた日曜日の朝。久しぶりにスーパー銭湯にいって朝風呂朝サウナで、体と心をほぐす。昼頃から音楽聴いて過ごす。というのも「私を構成する42枚」という42枚のジャケット画像を選んでSNSに投稿するのが流行っているらしく、金曜日と土曜日の合間の時間で、なんとなく作ってみた。10代20代でレコードを所有し愛聴して、それにまつわる想い出のようなものがあり、60代になってからも何度か聴いているアルバムをチョイスしたら、こんな感じになって、人に見せると、なんか恥部をのぞかれているよう気分になるので、SNSにはアップしていない状態。こういうのって、自分のコトを振り返るには面白いが、人に見せるとなると、どこかにエエカッコが入って、等身大の私とは違うようにおもうし、ま、でも、それを含めてオモロイ。それぞれが全く違うのを知り、共通性があるのも知り、それぞれの個性の違いを認め合い活かしていくのが、これからの時代性なのか…..なんて。

午後3時頃から散歩がてら自転車に乗って、放出、鶴見緑地、淀川、毛馬こうもん、大川、大阪城とゆっくり漕いで2時間28km。コロナ以降はじめて自転車で淀川を走ったが、BBQとテントがフツウの光景になって、それはそれで楽しげでエエなとおもう。大阪城は相変わらず外人の姿が目立つ。美味しそうにサッポロ黒ラベルの缶ビールを飲んでるサングラス姿の白人二人の姿が視界に入ると、とってもビールを飲みたい衝動にかられ、急いで家に帰って、アサヒ生ビールマルエフをプゥシューと開けて、家でBBQをした。そんな日曜日だった。

 

大潮

因島で、お好み焼きを食べる。「いんおこ」ってよぶらしい。そば肉玉。お好み焼きを焼く所作を眺める。鉄板の上に薄らメリケン粉を引くだけでキャベツがたっぷり。ひっくり返すのがムツカシそう。大阪のお好み焼きと全然違う。大阪はメリケン粉でお腹いっぱいになったわ!って感じになるけど、因島はキャベツの食感がシャキシャキしてメリケン粉感が少ないから、体に良さそうな気がしてくるし、上品。大阪も因島もそれぞれ流派が違う感じで、どちらも個性があって美味しくて好きだなぁ…..。

因島大橋を眺める。「トラス桁吊り橋」とよぶそうだ。車道がトラスの上に走って、トラスの間に歩行者と自転車と原付の通路が通っている。それがユニーク。トラスの間の通路は、もともとは工事用の通路で完成後撤去する予定だったらしいが、歩行者も歩けるようにしてほしいという嘆願があって、トラスの間の通路を残すことになったという。それ以降しまなみ海道の橋には歩道がつくことになったそうだ。自転車で島々を渡り、サイクリングの聖地感が漂うのは、橋の技術と橋の上にある歩道のお陰なんだな。サイクリングする沢山の外人の方々とすれ違う。なんとなく嬉しい気分が湧いてくる。Eバイク(電動自転車)が沢山増えて、坂道で白人の子供さんが乗るEバイクに微笑みとともに追い抜かれた。

生口島から岩城島の積善山を眺める。大潮の日だった。干満の差が最も大きくなる時の潮汐(ちょうせき)で、新月と満月の時には太陽,月,地球がほぼ一直線上に並び,太陽と月の引力が合わさるため干満の差が大きくなる。と辞典に書いてあった。潮が引いて湖のような鏡のような雰囲気で、風もなくとっても穏やかな空気感が充満していた。テレビからは、ゼレンスキー大統領が広島に到着しました!と、ものものしいトーンのアナウンスが聞こえてきた。こんな穏やかな景色と静けさが漂うなかで、そのテレビ映像を眺めると、それはドラマでの出来事のような錯覚に囚われ、大潮の潮が引いている眺めのように、現実感が遠のいていた。

自転車に乗って、しまなみ海道のいくつかの海峡を眺める。潮の満ち引きや潮流など、複雑。むかしむかしの北前船とか、大陸からの船による移住者とか、神武東征とか…..いろいろなモノやヒト。水先案内人がいないと通過できなかったとおもうし、この周辺海峡を無事に通過できたことで、奈良や京都の文化が誕生したんじゃない…..。とさえおもえた。広島で大潮をみて、平和の水先案内人になれるかどうかのサミットなんだな。なんていうコトバが、ふと浮かんだ。そんな広島での週末だった。

「好み」

日曜日ごとに雨が降るような感じ。ゴールデンウィークが明けた最初の日曜日で「住宅相談会」と「サヤカレー&kofuku&bake」を開催した日曜日だった。住宅相談会にお越しになった二組のお客さんは、神戸と大阪市内のそれぞれで、新築住宅をご希望され、どちらにも共通する「好み」が、小さな庭というか、オープンスペースがあるライフスタイルを楽しみたい!ということだった。家の面積を小さくしても、緑を眺めたい…..そこで食事をしたい…..。コロナ禍の3年間がそんな気分を助長したのだとおもう。

大した宣伝をしていないのに、しとしと雨降るなか、数名のお客さんがサヤカレーを食べに来て頂いた。顔見知りの方々が多かったので、あれやこれやと会話をし楽しく時間を過ごす。コロナが5月5類になったからだと、今、気付いた。マスクを外してフツウに会話を楽しむ行為が、新鮮に感じ、話が弾んだのかもしれない。あらためておもうのだけれど、それぞれの人が持つ「好み」を聴くのが楽しいし、自分の「好み」をしとやかにシェアーするのも楽しい。

今話題の「ChatGPT」を使ってこんなふうに質問してみた。

これからの現代社会の傾向として、それぞれの個人が個性的でユニークであり、それぞれのライフスタイルを大切にする社会になっていくのですか
ChatGPT
はい、これからの現代社会では個人の個性とユニークさが重視され、多様性が尊重される傾向があります。以下に、その理由と具体的な要因をいくつか挙げて説明します。
  1. 自己表現の重視: 近年、個人の自己表現やアイデンティティの重要性が高まっています。社会の進化や情報の発達により、人々は自分自身をより多角的に理解し、他者との差別化を求めるようになっています。これにより、個人の個性を尊重し、自分らしいライフスタイルを追求する傾向が生まれました。
  2. インターネットとソーシャルメディアの普及: インターネットとソーシャルメディアの急速な普及により、情報の自由な流通が可能になりました。個人は自分の好みや趣味に関する情報を容易に入手し、同じ志向を持つ他の人々とつながることができます。これにより、多様なライフスタイルや考え方が広まり、個人の選択の幅が拡大しました。
  3. 多様性と包括性の重視: 近年、多様性と包括性が企業や組織、社会全体で重視されるようになっています。個人の多様なバックグラウンドや経験が豊かさとなり、創造的な問題解決やイノベーションにつながると認識されています。そのため、社会は個人の個性やライフスタイルを受け入れ、尊重する方向に進んでいます。

ただし、社会全体が完全に個性的でユニークなライフスタイルを尊重する状態になるかどうかは、地域や文化によって異なる要素が存在することを忘れないでください。また、他の価値観や社会的な制約とのバランスを取る必要がある場合もあります。

続けて「ChatGPT」を使って、こんなふうに質問してみた。

個性=好みとしても良いのか
ChatGPT

個性は、個人の好みや嗜好の一部を表す要素ですので、個性を「好み」として捉えることはできます。個人の好みや趣味は、その人が他の人と異なる独自のスタイルやアプローチを持つことを可能にします。人々は自身の好みに基づいて衣食住やエンターテイメント、趣味活動などを選択し、それを通じて自己表現やアイデンティティの築き方を模索します。

ただし、個性は好みだけに限定されるものではありません。個性には、他人と異なる独自の特徴や思考スタイル、行動パターンなども含まれます。好みは個性を形成する一要素ですが、他の要素も含めて総合的に考える必要があります。

また、個人の好みや個性が尊重される社会においても、他の人々や社会全体との関係性や相互作用も重要です。個々の好みが他者への配慮や社会的な責任と調和することが求められます。

要するに、個性は好みとして理解することができますが、個人の個性は多面的であり、好みだけでなく他の要素も含まれることを認識する必要があります。

それぞれの「好み」はそれぞれの個性の一部がら表出され、それぞれなりのユニークさがあって、そういう「自分好み」を大切にしたライフスタイルで過ごしたい。そんな人が増えている傾向にあるとおもうし、そういうそれぞれの「好き」を分析し、デザインや建築に落とし込んでいくのが、工務店としての大切な仕事だなぁ…..なんて感じた、しとしと雨降る日曜日だった。

GWの旅

ゴールデンウィーク最終日。旅から家に帰り着くと、激しく雨が降り続く大阪。
そうそう「GWの旅」で、こんな景色を見た…..。

↑ 南港からフェリーに乗船し、志布志に向けて出航。振り返ると大阪はこんな景色だった。

↑ フェリーから進行方向の西の空を眺めると、夕焼けのなかに本州と淡路島を繋ぐ明石海峡大橋が見えた。建築出身のワタシだが、土木工事って凄いなぁとおもう。この海峡の間を橋でつなごうと、考え、努力した、設計と施工に関わった人達のことが、ふと過った。

↑ 鹿児島県の知覧特攻平和会館に行くと、予想以上に沢山の人に驚いた。若い人達も多く、皆が神妙な眼差しだった。黒い服を着た年配の方々の姿に目をやると、追悼式典が催されていた。若くして特攻で亡くした、その家族親戚友人の方々は、今もなお現在進行形であることに、あらためて気付かされ、より厳粛な気分になった。イヤホン案内を借りる。この頃、アマゾンのオーディブック、オーディブルが流行っているらしいが、美術館などに行くと必ず借りることにしている。目の情報とともに耳からの情報が合わされると、若い特攻隊員とその兄弟家族友人恋人の物語に、より胸につまらされるものがあった。

↑ ついでに知覧伝統的建造物群保存地区の知覧武家屋敷通りを歩く。あれほど多くの人がいた知覧特攻平和会館すぐ近くなのに、閑散としている。若い人には興味が湧かない場所なんだろう。商人の町に慣れ親しんでいる大阪人のワタシからすると、御堂筋を歩くのも好きだが、こういう武家屋敷通りも、だた歩くだけで、楽しい。

↑ 槇文彦さん設計の岩崎美術館と工芸館を見学する。お客さんは誰もいなかった。建築を見るのと美術を見るのが3対1ぐらいの割合になりがちなのが、建築関係あるあるなんだろう。美術館としてはこぢんまりしていて、豪邸のようなスケール感で、慎ましく自然光が入る美術館ってエエなぁ…..と眺めた。

↑ 指宿の「村之湯」へ。友人の温泉ソムリエグッチのホームページに「こりゃ国宝級だ」と書いてあって、以前から機会があれば是非訪問したいと思っていた。朝風呂に入る。湯に浸かった瞬間に体に効くぅっっていうタイプではなく、柔らかくて優しい湯なのだ。なんてことない湯で、エエ建築のように、すぅーとしていた。写真奥の浴槽のぬるめの湯は何時間でも入れそうだ。お風呂上がり、移動のために車を3時間半ほど運転したが、その間、体がぽかぽかと優しく包まれた状態が続いた。料理でもそうだが後味が大事なのだな。とおもう。

そうそう、温泉マニアのような青年がひとり、地元のオジサンがひとり入浴していた。そのオジサンが話しかけてきた。大阪からフェリーでの旅の途中で、温泉ソムリエグッチのホームページで知って、入浴にきた話をする。源泉掛け流しの熱い湯を加水せずに冷ます工夫とその仕組みや、ヨードが含まれていて少し黄色くなって傷などにも効くことを説明してくれる。指宿は大阪に就職する人が多いし、定年し地元に帰ってきて大阪弁が残ったひともいて….などなどあれやこれや。帰りがけには車に乗る私達に、「気を付けて良い旅を!」と手を振ってくれた。

そんなこんなのゴールデンウィーク九州への旅だった。木村工務店では、5月8日より通常営業です。

場所性と創造性。

ゴールデンウィークが始まった29日と30日の連休。夜に大雨が降り、スカッとしない天気だったが、朝方から雨が止んで雲空。お昼から淀川の河川敷で凧揚げをする。凧名人の狹川さんと凧を製作し、絵本作家の谷口智則さんと、その凧に絵を描いたコラボ企画で製作した、その凧を揚げる日だった。

淀川超しに梅田スカイビルを眺めながら凧を上げれるのがちょっと嬉しい。エエ建築だなといつもおもう。それに、その凧と同じ高さだと錯覚するほどの低空で、伊丹空港に着陸体制に入った飛行機が通過し、その情景に、凧が飛行機にぶつかるぅ!と叫び声を上げながら楽しむ子供。そのはしゃぐ姿に微笑む大人。近くのバーベキュー広場で楽しむ若い人達のエネルギーも伝わってきて、凧と凧糸を通じて「風」を感じ、風の強さに驚く右手。わりと好きな場所だなぁ…..。

そうそう、うちの社員のお父さんのご配慮で、「国立京都国際会館」の見学の機会に恵まれた。こんなエエ建築だとは知らなかったし、心地良い建築空間体験にワクワクする時間だった。見学前にレストランで食事をし、事前の知識を得るためにググると、「設計上の特徴は、日本古来の合掌造り様式と現代的建築様式の融合」と書かれてあった。見学前にレクチャーがあって、その合掌造りというコトバに少々の違和感を持ったので、質問をしてみた。設計者の大谷幸夫研究室の元所員の方から「台形」をモチーフとして設計が進められた…..。というエピソードが語られ、台形の結果として合掌造りだということに、なるほどっ!と感じるのだった。

見学前にオーソドックスなカレーを味わいながら、レストランの天井を眺めると、台形の形状が珍しく、一緒に食事をしながらそのことを話題にしていた直後だったこともあって、「台形」というコトバに新鮮さを感じたし、それより、合掌造りの屋根は、三角形ではなく、台形なのだと、あらためて写真で確認し、再認識するのだった。

ホールの居心地が良く、会議場で会議をしたあと、こういうホールがあると、あちらこちらで、コミュニケーションが継続されるのだろうなぁとおもえたし、そういう居場所を大切にした設計意図の解説もあって、またこのホールを再訪したい気分になった。

メインホールの舞台に立ってみた。この舞台から、こんなふうに客席がみえるのかぁ。こんな大舞台から聴衆に向かって語りかける自分自身の姿を想像することなど、まったくできなかったが、舞台上からそんな気分を経験できたのは貴重だった。あれやこれや。建物だけでなく、なによりも、ランドスケープが素晴らしく、「森呼吸する、国際会議場。」というコピーライトに、なるほど。と頷ける建築だった。こんな良い機会を作って頂いた関係者の方々に感謝申し上げたい。

国立京都国際会館からの帰り道。ギャラリー「四条半」へ。うちの会社のローカル出身のフォトグラファー、徳山さんの作品を見るため立ち寄る。ギャラリーオープン時に案内を頂戴していたが、スケジュールの調整がうまくいかなかった。今日はこの京都という場所性の丁度良い巡り合わせを逃したくない。『「運慶800年大遠忌特別企画展」「四条半一周年記念」浄楽寺 x Munetaka Tokuyama x Kaz Oomori』という企画らしい。

長屋をリノベーションした素敵なギャラリーのなかに、運慶と対峙したフォトグラファーのトクヤマさんとイラストレーターのオオモリさんがいらっしゃって、この作品の「ものづくりの過程」をお聞きする。こういう話が好きだなぁ。それぞれが、どんなメンタリティーで運慶と向き合い。どんなスタイルでこの作品を製作したのか。そういう物語を聴くと、作品への理解度が深まる。

そんなこんな。

ゴールデンウィーク前の京都で、クリエイティブなエネルギーを浴び、連休の日曜日の今日は、風のエネルギーと遊んだ。場所性と創造性。なんとなく創造的に生きたいものだなぁ…..と感じるこの一週間だった。木村工務店では、5月3日より5月7日まで、ゴールデンウィーク休暇です。皆さん、素敵な休暇を!

春の陽気。

5月前の穏やかな気候。青空。こんな日に家に居て、アウトドアーに行かなくて、後悔したことが何度もあって、朝から自転車に乗って葡萄坂を登り、石川沿いを走って、富田林の米夢という米粉のパン屋さんで、ひとりモーニング。奥方はスーパー銭湯らしい。葛城山と金剛山の間の水越峠を眺める。青空のなか太陽が優しく輝き。飛行機雲が青空に白い一直線を引いた。年に数度の気持ち良い日和。別の場所から同じ山並みと峠を眺める。田植え前の里山の景観。もうすぐ水田の季節だな。

65Km走って午前中に帰宅すると、行政のタケダさんから「まちのえんがわ」で小路在住のMさんと打ち合わせしたいので使ってもエエですか。というメッセージがあって、もちろんOKと答える。そのミーティングに少し参加する。そのMさんという女性が、小路駅の裏にある一角に、学生や一度就職して辞めた人達のなかで、ものづくりが好きで、そういうプロフェッショナルになりたいという方々が集まる場所をつくりたいという。もはやワタシも含めた建築系とか都市計画系の方々より主婦の方々が行動的だなぁ。と関心し、三人でその小路の場所に行ってみた。

今週、四つ橋筋と堀江商店街が交わる角にある、キッチンメーカーのモーリーショップ。そのリニューアルオープン前の内覧会のお誘いを受けて、木村工務店設計部の社員数名と参加する。木村工務店のリフォーム時には、モーリーショップのキッチンを採用することが、そこそこ多い。20年ぐらいたっても満足しているお客さんが多く、かつてはミーレの食洗機を入れたいがためにモーリーショップをチョイスしたお客さんも多かった。モノとしての憧れのキッチンは、ヴィトンやエルメスの鞄を欲しいとおもうのと同じ感覚のような気がするし、愛着の持てるキッチンで料理を作る喜びを持ち続けたい。という気持ちは、それなりに共感できるし、もちろん、そんなちょっと高価なキッチンより、素朴なキッチンで素朴でオーガニックで美味しい料理を作りたい心情もエエなぁとおもう。

ネット上で、あのオオタニ選手の両親の記事があって、どうやって子育てしたのですか。っていう質問に、特別なことは何もしていないけど、兄弟一緒に食事を共にするようなことは大切にしていました。みたいなニュアンスのインタビュー記事があった。モーリーショップのキッチンを見学したあと、馴染みのモーリーショップの社員の方々と、道頓堀川沿いのテラスで食事を共にしながら、この話がふと浮かんだ。家族一緒に楽しく食事を共にするライフスタイルが、特別なことでなく、フツウのコトとして、モノとして愛着をもてるキッチンを使って、そんな食事を支援する、そんなキッチンであって欲しいような気がした。

 

 

 

「ものづくりセッション」「神社」「ゴルフ」

行政のタケダさんが主催する「ものづくりセッション」を開催した土曜日。

「ものづくり」をする小規模な企業の方々を中心に、そんなのに関わるデザイナーや学生や教授や行政の方々などなど、集まって、プレゼンを聴き、コメンテーターの役目を担う3人が感想や想いを語り、それをきっかけにして、参加者それぞれが自分の立ち位置でコメントする。ものづくりの想いや悩みやアイデアのエネルギーを交換しあう感じかな。そんな繋がりの仲間だとおもう。

デザイン研究所の学生のプレゼンで、オープンソースで作れる「ガチャ」の紹介があって、投入するコインが「ペットボトルのフタ」だった。意外。面白い。例えば…..。会社のゴミ箱に置いて、ペットボトルを捨てる時に、ラベルを剥がし、フタをとって、分別処理して捨てる。フタはこのガチャに投入し、景品は何がエエのだろう。当たりは、近くの食事割引券とか。各家庭のゴミ箱に、このガチャ置いて、子供がペットボトルの分別処理を楽しみにして、景品を両親が工夫する。子供の笑顔と記憶に残るのが面白そう。

コロナが開けた。というには5月5類まで待つ必要がありそうだけれど、マスク外してプレゼン終了後の懇親会を催した。3年ぶりなのか。うちの奥方が、おでんを作ってビールとのシンプルな組み合わせ。参加者の多くが長居してくれて、笑顔の会話と真剣な眼差しのコミュニケーションを、カウンター越しから眺めることができたのが、とっても嬉しい時間だった。一緒に食事をするっていうのは、繋がり感を強めるよね。

そんなこんなで最後は歩いて帰れる距離に住む4人で深夜まで飲んで、日曜日の朝はいつまでも布団から抜け出せず目覚めがすっきりしなかった。昼前から地元、清見原神社の氏子総代会のひとりとして、春の祭典に出席する必要があった。神殿の前に佇み、雅楽と舞いを眺め、神楽鈴がジャラジャラジャラと頭の周りを通過すると、昨日の出来事がすっかり飛んでいって、爽快さが戻ってきた。神社を通じて地域と繋がり神と繋がる。そんなのもエエもんだな。とおもう日曜日の朝だった。

↑ カワモトくんの写真を拝借。開会の挨拶をするワタシ。

そうそう金曜日。協力業者との精親会の第99回ゴルフコンペを開催した。いわゆるゴルフ好き、とは言いがたく、なので、今は精親会のコンペ以外でゴルフをすることがない。一年ぶり。82歳になる中村建機のナカムラ会長と一緒にラウンドすることになって、ワタシよりエエスコアーだった。トップスイングを作らずインパクトとフォロースルーだけで真っ直ぐよく飛ぶしエエゴルフなのだ。そのナカムラさんのゴルフスタイルの影響をうけて、ワタシもインパクトだけに集中し、なんとかゴルフになって、ホッとする程度のスコアーにまとまった。たまにはスポーツを通じて人との繋がりを深めていくのも楽しいな。とおもえる金曜日だった。

金土日「ゴルフ」「ものづくりセッション」「神社」と、さまざまなジャンルで人と繋がる3日間だった。

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