都市と森

この土曜日夕方。

ものづくりセッション」があって、そこで先日の心斎橋商店街で施工した木組みの木造建築を紹介することになり、「森と木と木材そして都市」というテーマでお話しをする機会を頂戴した。森と隔絶してしまったように感じる都市が、というか「まち」が、森を破壊する都市でなく、森を育む都市として機能していくために「国産材を使う」というのが、参加者の皆さんに受け入れられるのかどうか…..。「まぁ俺の話を聞いてくれ」的ビール片手に話をするトークだったようにおもう。

それが、その前のプレゼンターの商工会議所に勤める林さんが、3回目になる「デザイン経営」の話をプレゼンしてくれて、そのなかで、「新商品のアイデア」というのは「自社の強み」と「市場」との「新しい関係性」のことである。なんていう話があり、昔に製造した商品に現代的な新しい価値を見出し表現することで新商品として市場に支持され売れたこんな商品がある…..というプレゼンだった。

で。工務店業界的には、私達の一世代前の先輩方の尽力で、地域の山の木を使う地産地消を含めた自然素材を活かす家づくりが見直されたが、30年以上を経て、それを現代的な新しい関係性に再構築することで、古くて新しい価値観として表現し直すことが必要な時期に感じ、今回プレゼンしてみると、「木を使って持続可能な循環型社会を造る」なんていう林野庁にある表現が、あらためて、いまのフツウの人の心に、理解されそうな空気感があることを感じたし、「豊かな森が豊かな海を造る」だけでなく「豊かな森が豊かな都市も造る」そんな「木遣い」が共感をよぶ感じがした。

ま、それはそうと、その後の懇親会であれやこれやと話題が尽きなかったが、プレゼンの時に西表島のピナイサーラの滝を見に行ったアクティビティの話を織り込んだ。次の日の朝、ということは今日の朝なんだけど、お風呂屋さんで、前日の余韻をすっきり洗い流していると、それにしても「なぜ人は滝に魅力を感じるのか」とふとおもった。というのは今年のゴールデンウィークの九州の旅で、高千穂に行ってあの高千穂の川に落ち込む滝の光景に神秘性を感じたり、道中で偶然出くわした石橋の放水に、とっても多くの観光客と一緒に歓声をあげて、放水の気持ち良さを共有した。

滝に神秘性や心地良さを感じる理由をChatGPTに質問してみると、それが大した答えではなかった。なぁんだ。なんだか最近ChatGPTが退化しているのではないかとおもえたが。そもそも滝の水は、豊かな山と森のお陰で…..。ここ数週間、「森」という同じような思考と話題ばかりに傾いているワタシにワタシ自身が辟易するが。それにしても土曜日の「ものづくりセッション」を通じて、「都市と森」に、あらためての関係性を築ける工務店でありたいな…..。なんておもう日曜日の朝だった。

「商店街のモデル」


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8月19日付けの産経新聞に、木村工務店で施工を担当した、心斎橋筋商店街に建つ木造建築の記事が掲載された。記事にあるように商店街は防火の基準が厳しく、木造を建築するには、とってもハードルが高い。最終的には「燃えしろ設計と100㎡以下の2階建て」という法規を守ることで、商店街から硝子越しに木組みが見える木造商店建築になった。

木造部分と基礎コンクリート部分を繋ぐための金物以外は、在来工法によるフツウの金物しか使用せず、大工の手加工による「木組み」を目指したのは、商店街のど真ん中で、狭小間口の木造建築を、足場なしで建て方するためには、金物工法による大断面木造より、部材は小さいが木と木でしっかり組み合わすことができる在来木造の方が、木村工務店の大工にとっては、伝統的に慣れ親しんでいたからで。それにもまして現代的な木造建築の「棟梁」は、いわゆる大工さんでなく、「木造の構造設計者」であるとおもう。今回は下山設計室の下山さんが、建て方まで考慮した木造の構造設計を請けてくれたお陰で、成立した、商店街の木造建築だった。


政府広報オンライン

林野庁のホームページにこんな図があって、工務店という「木」を使う立ち位置にいると「木を見て森を見ず」なんていうコトバがあるように、若い頃は山登りや沢登りなど森と川での遊びやアクティビティを通じて「森」に親しんだが「木」のことなど全く何も知らず、材木屋さんや大工さんや木造建築を通じて「木」のことを学んだ。

ある日。「木は森から採れる」なんていうコトバに出会うと、日本の森のほとんどは、植林された森であることを知り、森が人の手によって育てられていたことなど、全く理解していなかったことに気付く。森で育てられた木が、伐採され、製材されて木材になり、その木材を材木屋さんが工務店の加工場に運んで、大工さんが手加工し、木造住宅になって、住まい手が、森と繋がって暮らしていた。そういう「循環」が面白いコトに思えたのは、ここ30年ほどのコトだ。

心斎橋商店街をブラブラ歩きウロチョロするのは、今から40年以上前に20歳前後だった大阪の若者にとっては、オシャレな楽しみのひとつでありデートの場所でもあった。憧れの老舗もたくさんあった。それがバブルの崩壊とともにパチンコ屋さんやドラッグストアーなどが増え、どんどんフツウの商店街になって、歩かなくなった。「お洒落な商店街だとおもっていた心斎橋商店街が復活して欲しい」それが同い年でもある施主の岩橋さんと共感した想いであり、そのための現代的キーワードが「循環型社会」と「木組」だった。

夏休み休暇に、カヌーを漕ぎ、急勾配の山道を歩き、辿り着いた、西表島のピナイサーラの滝の滝口から眺めると、森があり、川があり、干潟があり、珊瑚礁の海がある美しい光景に出会う。川によって、森の栄養分が運ばれ、干潟の多様な生物を育て、珊瑚礁を育て、魚を育む。そんな光景でもあるとおもう。いまや手付かずの自然に出会える場所は少ない。あらためて森と川と海の原初的な循環を垣間見たおもい。で、冒頭の「商店街のモデル」というのは、「都市が人の関与によってバランスのとれた森を育むことができるのか」なんていう意味合いもあるとおもう。

政府広報オンライン

西表島

夏休み休暇が始まって、ひょんなことから西表島のピナイサーラの滝を見に行くアクティビティに参加することになった。両岸にマングローブが生い茂る川をカヌーで漕ぎだす。静けさがあたり一体を覆い尽くすちょっとしたジャングルクルーズだった。ゆったりと流れながらカーブするコーナーをまわると滝が視界に入って、あの滝口まで登るという。滝壺のずっと手前のカヌーでいける川の限界でカヌーを停めて上陸する。まず滝の上まで歩くことになった。そこそこの坂道。奥方の後ろ姿を見守りながら登る。ツアー参加の年齢制限があって、参加ギリギリ手前であることを知って、改めて自分達の年齢に愕然としたし、数日前はお互い大丈夫かどうかちょっと緊張もしたが、ま、なんとかフツウに楽しめた。

滝口からの眺めは絶景だったし、50mの落差があるという水飛沫が舞い散る滝壺で泳いだのも印象に残る体験だったが、滝口で食べたフツウの唐揚げ弁当が、この旅で一番美味しい食事だったようにおもう。そんなわけで、西表島のホテルからこのブログを書く、いまとここ。


由布島で水牛車に乗って、全く期待していなかったのに、三線が奏でられる牛車は、それなりにしっとりとした気分になって、一度は経験して良かったと思える観光地なんだろう。似たような気分になったフランスのモンサンミッシェル観光を想い出した。宿泊施設の目の前の海岸で、朝の散歩と夕焼けと満点の星空を楽しめたが、電動ママチャリのレンタサイクルを借りて、珊瑚礁の海岸でシュノーケリングをし、古い寂れた集落に立ち寄って、カレーを食べ、集落を散歩してみた。

島にオンデマンドバスが早朝から夜遅くまで走っていたらエエのになとおもう。宿泊施設と集落と海岸や川を気軽に行き行きし、集落の中の民家をリノベーションした食堂とかレストランとかカフェとかバーとか居酒屋とか雑貨屋とか、住民と観光客が気軽に一緒に食事ができたらエエし、さまざまなアクティビティを通じて手付かずの海と川と山と繋がり、島のいろいろな場所で朝日や夕日や星空を眺め、太陽と月と星と繋がる。山川草木悉皆成仏なんてコトバを想起したが、そんなリゾートを想像してみた…。

明日14日は、大阪に帰る予定だが、台風7号で飛行機は大丈なのか?!
木村工務店は8月17日までお休みで18日から通常営業です。

鰻のエキス。

暑い日が続くと、鰻を食べたくなる。なんでなんだろ。木村工務店で改装工事をした堺の鰻竹うち本店が、コロナ前に閉店し、毎年のように食べていた関西風の蒸さない炭火焼きの鰻丼が食べられなくなった。ワタシ20歳頃の、竹うちの親父さんの時代から慣れ親しんだ鰻の味で、その折詰めが冷めても美味い鰻丼だったので、お店に行けない土用の丑の日は、よく折を頼んだものだ。数個とか数十個とか。寂しい。で、今週ミナミのTOHOシネマで映画を見ることになって、その視聴後、どうしても鰻丼が食べたくなった。それですぐ近くの高島屋の竹葉亭で江戸前鰻を食べる事にした。ほんとうは高島屋だったら福喜鮓のちらし寿しが食べたいのだが、このお店も閉店になって、寂しい。

「映画館」に行くことが減って、コロナ禍はもちろん、その前からほとんど行かなくなった。それは布施の映画館が1軒もなくなったからだとおもう。昔は布施には商店街のなかに映画館が数軒あって、子供の頃はその映画館に自転車で行くのが楽しみだった。ザピーナッツが印象的だったモスラ対ゴジラとか、キングキドラとか、サンダルで行くような庶民的な感じで、寅さんの映画ではヤジが飛んだし、あの渥美清の歌声が始まるとあちこちの席で声をだして合唱していた。いつしか商店街から映画館が消えて映画ビルに建て変わったが、それも数年前にマンションに変わった。最後に見た映画は三谷幸喜の映画だった気がする。

それにしてもIMAXで視聴すると映画館って圧倒的にエエよねっ。座席もゆったりして前の人の頭も邪魔にならないし。とりあえず映画館視聴のオーソドックスなしきたりに従ってポップコーンとコーラーを二人で共有したが、もはやポップコーンはこんな量を食べることができず半分以上残した。コロナ禍があったので、シニア料金で映画を見たのは初めてじゃないかな。予告編からIMAXの音場に圧倒されながら「君たちはどう生きるのか」が始まると、すぐに黒澤明の「夢」を想起した。ワタシ的には「夢」は好きな映画でDVDも持っている。評価は低いらしい。黒澤明も宮崎駿も80歳代に製作した映画になるようで、葛飾北斎は富嶽三十六景を70歳代に製作したらしいが、80歳代に描いた絵をみると、ちょっと幻想的だ。ホクサイもクロサワもミヤザキも80歳になって、評価を気にせず、こんなものづくりが出来るのはエエなっ。とおもう。

えっ、ほぉっ、なんていう映画の視聴後は、なんとなく鰻のエキスを求めたくなった。

 

木村工務店は8月11日から17日までお盆夏休暇を頂戴します。皆さん素敵な夏休みを!

この猛暑日をどう過ごすのか。

とにかく暑い日々。

その1。週末になると庭のプールに水を入れ、magosが家プールを楽しむ夏休み。オトナたちはクーラーで涼む。気が付いたらワタシ、小さなBluetoothスピーカーを木からぶら下げ音楽かけて、ジョッキいっぱいに氷をいれたレモンサワーを片手に、ラッシュガードの水着を着てサングラス。これまるでプールの監視員。有り難くmagosの母からアルバイト料を頂戴した。レモンサワー缶2本也 Thanks!

その2。7月に入ってまったく運動をすることなくなって、そうするとすぐに体重が増える。レモンサワーはカロリー高そう。熱中症警戒警報なんてでると、アウトドアーにでるのを躊躇してしまうし。それでも1ヶ月に1度だけは!と意を決して日曜日の早朝5時過ぎに起きて、自転車に乗る準備をすると、それだけでジワッと汗がでてきた。十三峠を往復だけして、午前8時前には帰宅。それにしても早くからそこそこ多くの人がヒルクライムしているし。トレランの人が増えたよね。トレランのカップルに駐車場で記念撮影を頼まれた。そういえば、マイルストーンの竣工パーティーで、トレランの有名人の土井さんに会った。顔が小さくて余分な筋肉なくてスリムで凄いよね。そうそうカーリング女子のムキムキ藤沢さんも凄いね。

その3。家のすぐ近くに「三国屋」さんというお店があって、小さい頃からアイスモナカとか、冷やしあめとか、いか焼きとか。母親が店先で買って家で食べるというのがほとんどのパターンだった。懐かしい味でもある。ちょくちょくテレビにも紹介されて有名人の色紙がいっぱい飾ってある。日曜日の今日、自転車乗ってお風呂やさんでサウナ入って昼過ぎ、magosだけがうちの家でNetflixを視聴して大笑いしていた。自分達の家ではテレビをあまり見せてもらえないので、うちの家で爆発する。いまやどこの家庭でもあるあるだとおもう。奥方は出掛けていない。両親達も姿が消えていた。オトコ3。アニメの音を長時間聴いてちょっと辛いワタシ。外は灼熱。そうだかき氷を食べよう!と叫ぶ。そんなわけで、すぐにテレビを消したmagosとぼちぼち歩いて三国屋へ。mago1かき氷のソフト宇治金時。mago2かき氷ソフトレモン。あたし昔からかき氷はミルク金時。久しぶりに店舗内で食べたけど、「マーブル柄のテーブル・レンガタイルの床・プリント合板の木目の壁・いっぱいの張り紙」The昭和だな。


その4。庭の掃除道具を置く場所があって、それがぐちゃぐちゃしていた。いつかなんとかキレイにしたいと考えていたら、うちの大工さんの空き時間ができた。ベッショ大工とヒラボシ大工が、格子を即席で作ってくれて、完成。向こうに4方磨りガラス鏡面仕上げで囲まれたお風呂があって、一部を格子の目隠し件、道具掛けにしたかった。暑い日の掃除のモチベーションをあげるためなのかも。暑い日こそ整理整頓は現場の心得でもあるとおもう。

戦いと配慮と空撮の文化

ツール・ド・フランス第20ステージを視聴していると、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂の空撮が写った。おもわず「うわーっ」と小声が漏れた。解説者は緊張感が連続するこの日のレースの話で盛りあがっていたが、あの白い礼拝堂の右横の芝生のマウンドから眺めたロンシャンの教会(下の写真)と、その海外研修旅行の想い出が猛烈なスピードでフラッシュバックした。

そのロンシャンの教会の映像より、空撮をこの角度から眺めると、レンゾ・ピアノが設計した受付と聖クララ修道院が風景に溶け込んで、あらためて素晴らしいとおもった。この上の写真の左手マウンドのさらに下方に、ほとんど丘に埋まったコンクリート建築があり、空撮映像ではファサードのガラスが望めるだけなのだが、コルビジェの建築をリスペクトし、このランドスケープに配慮した奥ゆかしさが、きっとエエのだな。同じレンゾ・ピアノのパリのポンピドーセンターは街並に際立った建築で、これと真逆だが、違う配慮を感じて好きだな。レンゾ・ピアノ設計の関西国際空港は飛行機の機内からエアポートを眺めた時、なるほどなとおもえた。

↓(レンゾ・ピアノ牛深ハイヤ大橋と内藤廣うしぶか海彩館)

天草に旅した時に見た、レンゾ・ピアノデザインによる牛深ハイヤ大橋は、橋桁の下部が曲面で覆われて、それが太陽の光と海から照り返す光で独特の輝きを放って、海上に一種独特の景観を作っていたのが、とっても印象的だった。それとその橋に絡むように作られた内藤廣のうしぶか海彩館が、このランドスケープとレンゾピアノに配慮する建築的苦悩のようなものを感じて面白くおもえた。

あのロンシャン礼拝堂の空撮映像が、さらーっと流れたあと、ツール・ド・フランスの緊張感のあるレースを眺めながら、ル・コルビジェとレンゾ・ピアノの建築で、実際この目で見たこんな映像やあんな映像がフラッシュバックしていたが、今年のツールは、連日のように繰り広げられるヴィンゲゴーとポガチャルという二人の若い青年の一騎打ちが面白く、「どうする家康」を視聴したあとにこのブログを書くと、侍の世界のメンタリーと配慮と戦いに似ているようにおもえてくる。このレースで引退をするフランス人のピノーが、力を振り絞りトップでヒルクライムする最後の雄姿に、とっても多くのファンが応援する胸熱くなる映像があって、その場面を作ることに配慮する選手達がいて、その場面が終わると、ピノーを抜き去り、最後は若い二人の一騎打ちが展開されゴールが争われるという、戦国時代の侍の配慮と決戦のように感じながら眺めた。

日本語解説のライブ放送で、毎回登場する日本人女性ライターの現地レポートがあって、そのなかに前日のフランスのレキップ紙の記事を紹介するくだりがある。その文章がちょっと過激で文学的な表現でオモシロイなとおもっていたら、そういう記事を書くことがフランスの「自転車文化」なのだと語っていた。赤穂浪士の敵討ちをとうとうと語る講談師のような感じなのか。そんな「戦いと配慮と空撮の文化」を楽しめたツール・ド・フランスの3週間だった。というか、これから、最終日のパリ・シャンゼリゼのラストランが始まる…….。

もう夏のプール

突然、真夏になった。そんな「海の日」の連休。

金曜日。夕刻より生野産業会の理事会と懇親会があり、終わって2次会3次会と数人でミナミのBarで飲むと、70年代ウエストコーストの音楽がアルテックのスピーカーと真空管アンプから心地良く流れて、気が付いたら丑の刻だった。土曜日の朝は出勤の社員も多く、フツウに起きて仕事をしたが、昼過ぎて夕方になると疲れがどんどんたまって、なのに夕食のあと、ツール・ド・フランスを視聴すると、ウトウトしつつもオモシロイ展開にずるずる引き込まれ、結局最後まで視聴したら午前1時前だった。なので、日曜日の朝は、自転車に乗るどころか、ぐっすり寝込んで、午前10時頃から朝が始まった感じ。庭の外に出ると、猛烈な暑さに驚いて、「もう夏!?」「猛暑!」というコトバが脳裏をかすめていった。

うちの室内は、「PS」という空調システムを導入し、その冷房の仕組みは、ヒートポンプで冷水を作り部屋に設置しているラジエターパイプにその冷水を流す仕組みで、いわゆる空調機の冷風がまったくでないので、ギンギンに冷えている部屋と言うより、ひんやりした部屋感覚。設置一年目の夏は、もっと冷えて欲しいと、もの足りなさを感じたが、徐々に慣れてくると、湿った空気はラジエター表面で結露水となるので除湿もされ、空調機の風が吹く音もなく無音で、うちの奥方は、リフォームして一番良かったのは、このPSによる温熱環境だという。電気代も案外安い。

なので、外に出て汗をかきたくないし、ひんやりした室内でゴロゴロ過ごしていると、mago1 がやってきた。ほとんど夏休み気分で、暇だ!暇だ!という。そして一緒に音楽聴こう!と生意気いうのだった。子供とはオモロイ存在だがコワイともおもう。普段のワタシを観察してるのだな。夜な夜なBarで音楽聴いたので、今日は無音の室内だった。テキトウにウィウオントマイルスを選曲して大きな音で掛けてみた。お気に召すのか召さないのか瞬時に飽きたのだろう。ゴソゴソモゾモゾすり寄ってくる。ワタシ音楽聴きながら庭を眺める。太陽。しゃぁーないなっ!「プール」でもしょうかっ!とおもわずコトバが出てしまった。

というわけで、真っ昼間、灼熱、あのプールを組み立てはじめる。庭の面白そうな雰囲気が伝わったのか mago2 も合流してきた。mago1 にジー汗びっしょりやなぁ…..と慰めながら完成するやいなや、水着に素早く着替えた magos は水が溜まらないうちからプールに入って遊び始めた。ワタシその様子をみて、すぐに缶ビールをプッシューと開けたものの、暫くして、暑さに我慢出来ず、水着に着替えてプールに飛び込んだ。そんな、もう夏のプールな日曜日だった。

「いのち輝くデザイン」

7月1日土曜日から「ツール・ド・フランス」が始まって、J SPORTSで視聴すると、スペインのビルバオがスタート地で、いきなりフランク・オ・ゲーリーのビルバオ グッゲンハイム美術館の横を自転車の隊列が横切っていった。食と芸術の街といわれているようで、バルをハシゴして、ワインと美味しい食事を堪能して、グッゲンハイムを訪れてみたいものだなとおもう。空撮映像を視聴すると、旧市街と川と橋とグッゲンハイムの関係性が、あっ、こんな関係性なのね。とおもった。全体的なランドスケープのなかでのあの造形なのだな。なんておもう。数年前のフランス建築旅行での、パリのポンピドーセンターも、ロンシャンの教会も、サボア邸も、エッフェル塔だって、あのランドスケープのなかに存在するからこそのあの建築なんだな。と感じ入ったが、ビルバオグッゲンハイムもきっとそうなんだろう。スペインのビルバオに行きたいなぁ…..。

ここ2、3年、ようやくグランツールの面白さが理解できるようになり、毎晩のように視聴する。ちなみに、「グランツールは、ヨーロッパで行われる自転車ロードレースの三大大会の総称。フランスのツール・ド・フランス、イタリアのジロ・デ・イタリア、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャをさし、三大ツールともよばれている。グランgrandは大きい、ツールtourは回遊を意味し、いずれのレースも3週間あまりをかけて3000キロメートル以上を走破する長距離レース」ということらしい。ライブ映像を視聴するとフィニッシュは日本時間午前0時を軽やかに回るので翌日の仕事にこたえる。寝落ちもする。選手は3週間3000km自転車で走って疲れ切るだろうが、日本の視聴者も別の意味で体に堪えるのだ。今年のツール・ド・フランスのこの一週間は、ドラマチックな展開によるフィニッシュが続いて見応え充分だった。

今週の火曜日。生野区役所の武田さんの呼びかけで、grafの服部さんとリゲッタの高本さんと生野区の区長さんと区役所でミーティングをし、そのあと生野区の廃校になった御幸森小学校の新施設、生野パークの校舎屋上にあるプールを再利用したBBQスペースで会食をする。あれやこれやオモロイ話題のなか、大阪・関西万博の話もでた。1970年の大阪万博の開幕日、3月14日は、ワタシ11歳の誕生日で、至極個人的な想い出と重なるのだけれど、2度ほどその万博に行った記憶がある。アメリカ館のドームと月の石。お祭り広場と太陽の塔。噴水のある広場。アメリカンなこげたステーキをご馳走になったなぁ…..などなど。

1970大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、2025大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ということらしい。コンセプトに「People’s Living Lab 未来社会の実験場」とあって、確かにワタシ12歳小学校6年の図工の時間に、未来の建物を描いたような記憶があるし、富士山の麓を走る新幹線の絵を描いて入選したのは小学校2年生の時のようにおもうが、なんとなく誰もが近未来を想像することが出来る時代だったようにおもう。でも、いま、近未来を想像して描くことは、とってもムツカシイ時代になっているし、そういう意味では、「いのち輝く」ってどんなんかな…..と考えるのはエエかも。

ワタシ、建築に関しては、ド派手なデザイン、ビルバオ グッゲンハイムもエエなぁとおもうのです。ちょっと縄文土器的でもあり、エネルギッシュな感じがして。そんな派手なデザインもエエのですが、吉村順三さんのようなシンプルで居心地良いデザインで過ごすライフスタイルも「いのち輝くデザイン」でもあるような気が…..なんて。これを書きながらさまざまな感覚がふっと過って、ま、2025万博をきっしょにして、「いのち輝くデザイン」を一緒に考えるのも面白そうにおもえてきた、そんなBBQ会食だった。

「竣工式」と「ミュージシャン」と「シテ」

巡り合わせというのは不思議だとおもう。数年前の全く違う時期から、二つの店舗の新築プロジェクトを、設計段階からご依頼を頂戴し、片方が2年、片方が1年半と、それぞれの設計と施工の期間を経て、それぞれの竣工式が、この金曜日と土曜日の連続した二日間に催された。

ひとつはこの15年間ほど、工場と事務所のリノベーション、それに社長と専務の家の設計と施工に携わっている、大阪環状線寺田町駅すぐ近くにある富士灯器株式会社さんで、おもに釣り具のライトなど製造販売しながら、最近はアウトドアー用のヘッドライトをマイルストーンといブランド名で製造販売している。そのコンセプトストア「milestone TERADACHO」店新築工事の竣工レセプションパーティーが催されたのが金曜日の夕刻だった。トランスジャパンアルプスレース2022の覇者の土井さんがアンバサダーを務めていることもあり、またマイルストーンの専務自らもトレランをするアスリートで、土井さんをはじめ小顔でムダな筋肉のないスリムな若い人達が沢山集まる活気に溢れたレセプションだった。

木村工務店設計スタッフにより建築の基本設計と実施設計が進められたが、店舗の設計は、施主のデザイナーの川崎さんと、施主である富士灯器の専務自らがプロダクトデザイナーで、木村工務店の社内に何十回も集まり、ひとつの設計チームとして、全体的な設計から部分のデザインまで一緒に進められた。それぞれのイメージや感覚を調整する作業に、BIMを活用し、オープンスペースと吹き抜けを設けるコト、ウチとソトを繋ぐ開口部は木製建具を使うコトなど、法規的な規制を考慮しながら竣工に至った、鉄骨造による新築プロジェクトだった。

レセプションパーティーに、SpinnaB-ILLさんというミュージシャンの方が、ギターを手に熱唱するパフォーマンスがあった。ワタシ、最近の音楽のひと、ぜんぜん知らないのだけれど、「every little thing gonna be all right.」と歌って、皆で合唱していた。その様子を後ろから眺め、ワタシの頭のなかには、その歌声に反応しながら、ボブ・マーリーのエクソダスにあるタイトル「three little bird」の 「Don’t worry about a thing、Cause every little thing gonna be all right.」の歌声が響いていた。「心配しなくていいんだよ。どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。」なんて。そうゆうふうに生きたいものだな。と皆で一緒に口ずさむことになった、エネルギッシュで素敵な竣工のレセプションパーティーだった。

「心斎橋商店街の中に国産材による木組みの木造建築を造る」というご依頼があったのが1年半ほど前のコト。コロナ禍のなか、施主の株式会社岩橋さんと、アドバイザーでデザイナーでもある設計士のナカジマさんと、zoomでミーティングを繰り返しながらの打ち合わせが始まったが、当初は心斎橋商店街の4mの狭小間口で建築をするということに、かなりの躊躇をしていたワタシだが、施主の真摯な想いに突き動かされ、なによりも構造事務所の下山設計室の下山さんが木組みの構造設計を担当して頂けるということになって、プロジェクトが前向きに進み出した。商店街のアーケードがある狭小間口で、木組みの木造を建て方できるように、構造設計者と大工と現場監督と見積者が、設計段階から打ち合わせをすることが、今回のプロジェクトの最大の要だった。

設計の途中段階から下山さんと長年の付き合いがあり、まるで師弟関係のようにも感じる、AR設計事務所の下川さんの参加もかなって、防火地域で木造建築を造るというさまざまな法的な問題をクリアーしながら、木村工務店専務のタカノリも設計チームに参画し、このプロジェクトが進められた。この木組みの構造材としての国産の桧材は、日本の森で育まれたものであり、その森を育て、製材し、プレカットと手加工まで一貫した作業と製作ができる和歌山県田辺市にある山長商店さんは、構造家の下山さんと、かねてから強い結びつきがあり、そのお互いの信頼関係による「力」なくしては成立し得ないプロジェクトでもあった。心斎橋商店街に国産材の木組みの木造建築が建つということは、日本の木組みの文化を伝える場であると同時に、都市と森とが繋がる場でもあるとおもう。

その心斎橋岩橋ビルの竣工式が土曜日の午前に執り行われ、神主さんによる祝詞奏上など竣工の儀式が終了し、御神酒で乾杯をしたあと、その心斎橋商店街の雑踏の音が伝わり漏れるなか、竣工したばかりの店舗のなかで「能」が舞われた。独特のトーンの声で「高砂や…..。…..。」と謡われ、響きわたり、空間がピーンとした緊張感に包まれた。全ての参加者の背筋がピーンとし、身が引き締まる感覚を味わった。それは空間が清められる素晴らしい体験でもあった。

その後の祝宴の席で、能のシテの方より、この高砂の謡いの内容が語られた。「兵庫県の高砂神社にある松とその遙か対岸にある大阪の住吉大社にある松は遠く離れていても夫婦のような松で、高砂から長い旅をして住吉に到着し、それぞれ遠く離ればなれになっていた人達が、この場で心を通わせ、ひとつになることを祝う」みたいな内容だったとおもう。今回のプロジェクトは、さまざまな立ち位置のプロフェッショナルが集まり、それぞれが竣工に向けて尽力し、ひとつのチームとして機能したからこそ、無事竣工に至った、その施主の想いを代弁するかのような「能」でもあったようにおもうし、そのコトを象徴するかのようなクリスタルの記念品を施主から贈呈され、感謝とともに厳粛な気持ちが湧いてくる竣工式だった。

竣工式の中締めの最後の挨拶に設計の下川さんが立ち、お祝いの言葉を述べたあと、サプライズとして、構造の下山さんが、漫才コンビの相方のような雰囲気で舞台に登場した。今回の関係者のエピソードを盛り込んだ、ミルクボーイ風の即興漫才を披露し、大きな笑いを誘って、この祝宴を閉めた。「能と狂言を合わせて「能楽」と呼んでいます。狂言が笑いの面を受持つ、セリフ劇であるのに対して、能は歌と舞で人間の哀しみや怒り、恋慕の想いなどを描きます。」と書かれてあって、それは偶然だったのか必然だったのか、まさしく「能楽」な竣工式を体験することになったのは、狂言力を含めた、設計と構造のこのお二人の「力」によるところであり、あらためて感謝申し上げたい。

輪行

梅雨の合間。曇り空の日曜日。自転車で、生野区小路から放出を抜けて淀川に出る。淀川沿いをひた走って木津川御幸橋のさくら出合館で休憩。そこから宇治川沿いを走って宇治の平等院鳳凰堂の横を通過し、天ヶ瀬ダムから瀬田川沿いを走って琵琶湖に到着。琵琶湖を眺めたあとJR大津駅で自転車を輪行袋に入れて、新快速で新大阪駅へ、おおさか東線に乗り替えて、JR俊徳道駅で降りて、そこで自転車を組み立て、生野区小路の家に帰り着いたのが、午後3時前だった。

自転車の走行距離は80kmほど、昼前には大津に到着したが、自転車を分解し袋に入れたり、着替えたり、わざわざ新快速待ったり、新大阪での乗り替えがよく理解できず電車を3本逃したり、順調にいけば1時間6分ほどの移動に2時間ほどかかって、まったく電車に乗り慣れないワタシ。車、飛行機、フェリーの輪行はあるが、電車の輪行は初めてなんだけど、やってみると案外楽しい。またやるとおもう。宇治のまちとか、大津のまちとか、石山寺とか、ゆっくり楽しめなかったのは、輪行に自信がなかったからで、ゆっくりして夕方の混雑の時間帯に輪行するとちょっとタイヘンだなっなんて躊躇したから。そうそう鉄道オタクの若い男の子が、この輪行袋が倒れないように守りながらその前にたって車掌の所作をずっと眺めていた。なるほど、それはそれで確かに楽しそうだ。それにしても新快速は速いね。時速130km出すらしい。

今週の月曜日の夜。生野区のものづくり企業で、家業を引き継ぐ30代40代の若い方々4人、私と同じ年齢のオッサン2人の計6人と、うちの長男専務と奥方二人が参加して、うちの家にフレンチのシェフを呼んで、お手頃価格の食事会をする。皆、若いのに経営的なコトをしっかり考えて、それなりに凄いなっとおもう。なので、経営者としてのワタシって…..なんておもう。その家業を引き継ぐ若いひとりに、缶のプルタブ。正しくはステインタブというらしいが、輪っかを引っ張っても取れないタイプのその技術を持っている会社の息子さんがいて。

ワタシ、構造家の下山さんからレクチャーを受けた、タブを引っ張った缶の開口部の円が、正円でなく片方が楕円になって、それゆえ構造的にフタが缶の中に落ちず留まる。っていう話をエエカッコして、語ると、それを実際の缶に実現させる技術の話を語ってくれた。口を切らない優しい口当たりの技術とか。今、流行の生ジョッキ缶の開口部の技術とか。ものづくりってオモシロイなっとおもう。で、あの生ジョッキ缶の開口部が大きくなって、「香り」を嗅ぎながら飲めるのが大切なのだという。フツウの缶ビールをそのまま飲むよりコップに移したほうが美味しく感じるのは、飲むと同時に香りを嗅ぐのが大切なのだという。なるほど。確かに。ワインってグラスで味が変わるような気がするしね。それと飲料水が缶からペットボトルに急速に変わっていくのが驚異でもあるらしい。

それで、琵琶湖に到着し、写真の場所にあった自販機で琵琶湖を眺めながらコーラーの小さいペットボトルを飲んだ。少々疲れていたので、おもわず美味いっ!と口にしながら、なぜか月曜日のこの一連の会話が、琵琶湖の前を、高速にスーっとよぎっていった…..。

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