正月空間体験

そうそう、お正月休暇に、こんな建築を見た。

東京在住の次男。お正月は大阪の我が家でお屠蘇をしたが、東京に戻るにあたって、新幹線の指定席がいっぱいだという。自由席を廃止し、指定席だけになったらしい。早めに指定席を予約すればエエだけのコトだが、ひとりものの身軽さ故に、気が向いた時間に新幹線の自由席で座って帰りたい。確かにそういう気分も理解出来る。指定席で、へんなひとと横になるのも辛く、自由席で座って帰るっていうのがエエのだというが、お正月の東海道新幹線は、そういう気分の人は排除された。混雑を避けようとする企業側の意図も理解できなくはない。

奥方の福島県の実家に帰省するのがお正月の慣わしになっている長男一家。大阪への帰路の途中で、一泊だけどこかで合流しようということになった。女性どうしで候補地があーだこーだと話し合われ、結局、軽井沢に落ち着いた。アウトレットで買い物をする女性陣とmagos一緒にスキーをする男性陣。という構図になった。で、次男は、大阪から軽井沢に行く私が運転する車に便乗した。軽井沢から新幹線で東京に戻るほうが、まだ座席も取りやすいので…という。

大阪から車で軽井沢に行くのには、諏訪湖のあたりで高速道路を降りて、峠越えをするのが、なんとも面倒くさい感じがするルートなのだ。雪の時はその峠越えがちょっと心配でもある。2年程前に同じルートを経験した時、偶然、小諸で丸山珈琲の店舗を発見し、そこがエエ感じだった。それで、そこで珈琲を飲む事を楽しみに運転することにした。板張りの片流れ天井のゆったりした空間。乱貼りの石の床が空間を特徴付ける。フレンチプレスコーヒーがなによりも特徴的だし、ここにしかない空間と珈琲が、わりと単価が高い珈琲でも、お客さんに満足感を与えるし、そういうビジネスモデルとして、なかなか面白いとおもう。帰りがけには、珈琲豆を買って帰りたい気分にさせるのだ。上手だな。

軽井沢ザ・プリンスホテルの設計者は清家清だという。そこでディナーとモーニングを食べる。2本の柱だけで支えられたスペースフレームとダウンライトの組み合わせが、とってもモダンだが、壁のレンガと程良いスケール感と座席家具の高低差とが相まって、近未来的すぎず、落ち着いた感じがするし、結婚式場の新郎新婦のような気分で階段から降りていく時のスペースフレームとの関係性が楽しい。はめ殺しのガラスとスペースフレームの納まり方と池と樹木と浅間山の景色という建築的な関係性が素敵だなとおもう。唯一無二の独特の高級感だな。


今回の密かな楽しみは、地下の「Bar」に行くコトだった。こんな素敵なBarがあるとは、全く知らなかった。高さ関係が巧みなコンクリートのヴォールト天井とレンガの組み合わせ。壁の鏡が奥行き感を錯覚させる。銅板の照明器具とテーブルとイスの素材感と暖炉の関係性も居心地の良い雰囲気を演出する。また訪問してウィスキーを飲みたい気分にさせられる。そんな空間体験だった。

ちなみに、次男は軽井沢から東京までの新幹線も案外満員で、グリーン席しかなく、予約を入れようかと躊躇した途端に、誰かに先取られ、仕方なくグランクラスの予約になったらしい。それが、とっても快適で貴重な移動空間体験だったという…..。ま、そんな、お正月空間体験だった。

七草粥

「七草粥」を食べる1月7日日曜日。

正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べ物で、あっさりと仕上げたおかゆは、少し濃い味のおせち料理が続いたあとで、とても新鮮な味わい。とインターネットに書かれてあった。確かに。普段よりちょっと上等な食材を買って食べた年末年始の夕食だったので、七草粥を口元に入れた瞬間、味、薄いなぁ…っとおもったが、胃は、今日の食事は優しそうやで…..と語っているコトバが、聞こえてきたような気がした。

いつの時代もどんな土地でも、年頭にあたって豊年を祈願し、「今年も家族みんなが元気で暮らせますように」と願いながらおかゆをいただくその気持ちに差はありません。ともインターネットにかかれてあって。先ほどのNHKのテレビには、能登地方の地震による被災者のために、旅館の料理長が七草粥を作り、それをとっても大切そうに、ありがたく、美味しく食べる年配の方々の映像が映し出されていた。なんで1月1日の夕刻にあんな地震を起こすのかっ。と多くの人が呟いているような気がする。

小路 K邸

1月1日の朝は、座敷でお屠蘇をする。祖父の代から伝わる「儀式」のようなもので、家族が一緒に集まり、あらためて新年の挨拶を交わし、御神酒を頂戴し、一年の抱負のようなものを語り合い、お年玉を渡し、美味しくお節を頂戴する。そのための空間が家にあるのは、祖父が家族の住まいだった長屋の中に、この数寄屋風の座敷を、数寄屋大工と一緒に考えながら、入れ子のように長屋に埋め込んだ。父がその長屋を切り離して、新築として建て替えをする時に、中庭と応接室に接する座敷として、移築保存した。私はその家をリフォームする機会に恵まれ、中庭を残し、付属する応接間は撤去し玄関土間として減築し、新たに仏間をこの座敷の一部に移設して、再生した。その時代に応じた、家族を見守る空間として、代々伝われば、嬉しい。

1月1日の朝の木村家でのお屠蘇を終えると、氏神さまの清見原神社へ初詣にでかける。数ヶ月前から予約して、拝殿のなかで家族一緒に参拝するようになったのは、祖父祖母父母が亡くなってから新たに生まれた習慣で、「木村家」なんていうTraditionなコトを意識したからかもしれない。神主さんのお祓いをうけ、玉串を奉奠し、宮司さんによる神楽鈴が、頭の上を舞うと、頭の周りに纏わり付こうとしていた思考がヒラヒラ散って、スッキリした気分で一年が始まる…..ような気がする。一昨年は境内にある稲荷社を揚げ家し、補強と補修と洗いの工事をして、今年は周りの玉垣を撤去新設工事の予定になっている。そうそう全員でおみくじを引いて示し合うのが、木村家の初笑いのようなものだな。

1月1日夕方。南大阪にある奥方の実家に集まるのが慣わしになって久しい。15時過ぎ。15人の老若男女が居間に集まって、鍋を囲み、ビールで乾杯し、正月の宴が始まった。あーだこーだーと近況を語り合いながら傍らのテレビ画面に、明石家さんまとキムタクの映像が流れていた16時過ぎ。突然、緊急速報!緊急速報!という音声とフラッシュ。能登地方で震度7の地震が発生。とクレジットされた直後、報道画面に変わった。NHKに切り替えると、津波が襲ってきます急いで避難をしてください!!!という女性アナウンサーの絶叫が印象的だった。震度7の地域の古い民家はかなり倒壊しているやろなっ。なんていう、いまからおもえば無責任な言葉を発しながらも、宴は続いて、皆の笑い声が響いていた。

その緊急速報を眺めながら、Facebookの投稿欄に、上の清見原神社の写真と共に新年の挨拶文を投稿した。その時のいまとここを記憶として残しておきたかったのだとおもう。そうすると、木村工務店の建物の構造設計を担当し、清見原神社の構造設計も依頼した木構造研究所の田原さんから、すかさずこんなメッセージが送られてきた。

田原 賢

木村様、田原です。この写真は清美原神社への初詣ですね。(*^_^*)
良い雰囲気で使われているのがよく分かりますね。
それにしても先ほどの能登半島地震では少しびっくりしましたね。
震度7と言う事なので木造住宅等の倒壊した事例も多くなっているものと思いますので、可能ならば調査に行って見たいと思っています。
また、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

「耐震性」というのは、日本というこの風土で、建物を維持管理するためには、とっても大切な要素だな。とあらためて思い知らされる出来事だとおもう。私達とおなじように1月1日の16時を過ごしていた能登地方の方々が、いらっしゃったはずだし、もし大阪でこの震度7の地震が起こっていたら、奥方の実家の家は旧耐震基準以前の建物で、耐震改修をしていないし、1階の居間の15人の命はどうなっていたのか…..と、いま、振り返ると、怖さが増す。ちなみに現行の耐震基準は…..

旧耐震基準では、数十年に一度発生するような震度5程度の中規模の地震には耐えられるものの、それ以上の大地震では倒壊する可能性がありました。一方、1981年に施行された新耐震基準では、震度5程度の中地震では軽微なひび割れ程度にとどまり損壊せず、数百年に一度の震度6強程度の大地震であっても倒壊・崩落して人が押しつぶされることなく、命を守れるだけの耐震性が備えられるようになりました

時として、神は荒ぶるし、神とは無慈悲だな。とおもう。人々が想い繋いでいる物語性のある時空間を容赦なく破壊する時があるし、過去を楽しく振り返ったり、未来に希望をもって語り合ったりしている人達に、地震や津波のコトを考慮してますか!忘れてませんか!と、いまとここの在り様に、気付きをもたらすかのように、荒ぶっているようにさえおもえてくる。

七草粥で心身をケアーして、見つめ直してみようかとおもう…..
木村工務店は1月9日火曜日から通常営業です。

2023 年末

木村工務店の年末は、12月28日の大掃除で終わる。創業以来、87年間ずっと継続しているのかどうか、いまさら確かめる術もないが、その伝統、というか、その習慣的力は、これからも伝えていきたいな。とおもう。午後3時過ぎ、納会として一緒に食事をし、一本締めで終えて、それぞれの社員や職人さんと、良いお年を!っと、一礼で終わるのも、なんとなくの、tradition(しきたり)で、それでも、半分ぐらいは残って、そのまま2次会に突入する。惰性というより、大掃除を終えて、ようやく年末を迎えることが出来た喜びによる「慣性の力」=ウキウキした気分を、2次会で飲んで、ゆっくりと鎮めて、しっとりとした気分で、お正月休暇に突入するための、「儀式」のように、おもう。

そうそう、iphoneで納会を写し取ると、加工場の電球が細かいダストによるハレーションを起こしているのに気付いた。加工場の床は、電動送風機でブローして、電動掃除機で吸い取り、最後は座敷箒で掃いて、細かいチリをチリトリで取る。っていうのが今までで、それでも充分綺麗なのだけれど、その状態から、もう一度電動送風機でブローして、それでも残っている細かいチリを端に寄せて、掃除機や座敷箒でその端に寄せられたチリを掃き取ると、尚一層綺麗になる。ワタシ、今年の加工場の床の最後は、自らブローして…..なので、皆に、とっても嫌がられた。テクノロジーとその作法は、常に変化し進化していく…..なんていう独善は、既存の伝統的なスタイルからは、嫌がられたりするものだな。とおもう。

12月29日金曜日。朝から、magosと、布施のセガのゲームセンターで、「ポケモンメザスタ」をやりにいく。

実は、12月27日の朝。庭の掃除をmagosが手伝ってくれた。そういえばXmasプレゼントを忘れていたことに気付いたワタシは、掃除を手伝ってくれたお駄賃とXmasプレゼントを兼ねて、大丸のポケモン売り場の「メザスタ」に連れていくわ!と声をかけた。

magosの習い事の都合で、夕方6時過ぎを回っていたが、とってもハイテンションで地下鉄に乗るmagos。大丸は終了が午後8時らしく、売り場はガラガラだったが、ポケモン売り場だけは、インバウンドの大人と子供連れでいっぱいだった。驚くワタシとハイテンションマックスのmagos。まずメザスタ用の商品を買うが、行列まちのレジに並んでいる間に時間が過ぎていった。それに1000円札を100円硬貨に両替しようとおもうと、その両替機は両替中止の表示だった。レジで並ぶ奥方に小銭をもらいに行く。最近、ワタシ、小銭をもたないし、現金もほんのちょっとだけ。カードかpaypayの時代なのだ、なのでゲーム機もpaypay支払いにして欲しいぐらいだな。

小銭の用意とかなんだかんだバタバタしながら、目的の「メザスタ」の前にmagosと一緒に並ぶと、まだ、閉店の45分前なのに、店員さんが、今日は終了で〜す。っとポールを立てた。あまりのコトに、あ然とするmagos。mago2からは、しとしと涙が…..大声で泣くのを我慢したのだろう。mago1はふてくされて、その場から小走りですぐ別の場所に去っていく…..。そんなこんなのリベンジが、12月29日朝の布施のゲームセンターだった。

で、昼から、奥方と二人で、鶴橋と黑門へお正月の食材を買いに行く。年末年始、飲食店は営業している時代なので、もはやお節の必要性すら問う時代なのだとおもう。が、年末と年始は、「ちょっと上等の美味しい食材」を買って「家」で、家族一緒に食事するのが、楽しいし面白いし和める。とおもう。鶴橋市場で買うもの、黑門市場で買うもの、それぞれ好みがあるのだけれど、もはや黑門はインバウンドでいっぱいで食材を買う場所ではなくなってきたし、特に河豚は黑門で買わなくなった。路面の駐車場付きの河豚の大型店で買う時代だな。今日31日早朝から大勝へ河豚を買いに行くと、お店の前の道路は大渋滞していた。毎年末、この渋滞を見て、大阪人はふぐ好きやな。とおもう瞬間、なのだ。

12月30日土曜日。長男と次男の友達が沢山集まって、それぞれの忘年会が催された。次男の友達はそれぞれの母親も一緒に集まった。えっっとおもうし、ワタシは母とこんな親子関係にならなかったが、実は、友達同士集まって、夜に飲み会をする予定だったらしいが、それを聞きつけたmamasが、昼からうちの家に一緒に集まって宴会をし、息子達を夜に送り出す。っていう作戦だったらしい。送り出したあとはmamasだけの宴が遅くまで続いた。

12月31日日曜日のいま。家族だけ集まって、紅白をちょっとだけ視聴し、WBC2023ザ・ファイナルをガッツリ視聴して、河豚を食べながら過ごす大晦日。そんなこんなの2023年の年末だった。2023年の木村工務店とこのブログのご愛顧に感謝すると共に。皆さん、良い2024年をお過ごしください。

玄関土間

自転車のタイヤと靴を新しくした日曜日。年末が迫ってくると、なんとなく掃除とか、なんとなく整理整頓とか、そんな気分が湧いてくる。日本のどこに、こんな習慣的エネルギーが宿っているのか、とおもう。そうだ、年末だ、そろそろ自転車のタイヤを交換しよう!とおもって、ネットでポチ。最近は、VITTORIA CORSA G2.0 CLINCHER TYREを使っている。4度目かな。インナーチューブもVITTORIAで。玄関土間でタイヤ交換の作業をしていたら、インタホーンが鳴って、一昨日、靴がくたびれたので、年始は新しい靴で、とおもって、ネットで注文した靴が届いた。最近、靴は、ダナーのポストマンシューズ、もう5回連続かも。会社でも現場でも会合でも、どこにでも履いて行けて丈夫。レッドウィングのポストマンシューズがマットでエエんですけど、ダナーはちょっとガラス素材みたいに光沢があるのがエエのかどうか…..といつも迷いながらも安さもあってダナーに。

寒かったので、暖房の効いている玄関土間で交換作業をした。玄関土間をもう少し大きく作って、いろいろな作業など、あれやこれや利用できる玄関土間があると便利だな。とあらためておもう。木村工務店の施工例には、こんな感じの玄関土間があって、生野区H邸新築工事の書斎にも使う玄関土間枚方I&U邸リフォーム工事の花屋さんにも使う玄関土間泉S邸新築工事の珈琲焙煎所にも使う玄関土間。それぞれの「好き」を反映できる、さまざまな玄関土間が造れそうで、お客さんと一緒にあーだこーだと考えてみたいとおもう。


そうそう、タイヤの空気を入れるのに、もう何年も前からマキタの電動ポンプを使っている。あの立って足で押さえて手でよいしょよいしょと押すアナログなタイプと比べると、とっても楽でもう手放せない状態。今年一年間、マキタの電動道具で、私がとってもお世話になったのは、掃除機と送風機と空気入れの三つ。特に今年になってから本格的に使い始めた電動送風機が大活躍し、加工場の土間とか、庭の掃除には、なくてはならない存在だと思う。

そういえば掃除機と送風機のリンクは、1年前のM1が開催された日曜日だった。いま、このブログを書く横のテレビでM1がやっている。ますます点数による評価でファイナルを決めるのはムツカシイ気がするし、審査員がもう一度みたい人を選んだらエエようにおもうが、ファイナル出場のメンバーをみると、確かにもう一度見たい人の点数が必然的に高いようにもおもう。私は真空ジェシカとかモグライダーをもう一度見たかったけどね。ファイナルで、こんなネタ、どや審査員、どう評価するんや…..みたいに、お客さんのフツウの笑いより、新しい笑いを求めて審査員にぶつけたネタのようにも感じる、ファイナルのさや香は、好きだけどね。

XmasよりM1が終われば、年末年始へのカウントダウンが始まった感じがする昨今。木村工務店では、営業は2023年12月27日まで、12月28日は大掃除で、2024年1月6日に初出をし、1月9日から通常営業です。

 

しめ縄と忘年会

しめ縄づくりのワークショップに参加した寒い日曜日。

地元の清見原神社で催されるワークショップのお誘いを受けて、magosと散歩がてら、それぞれが自転車に乗って見学に行くと、「まちのえんがわ」のアオキさんと知り合いの女子3名が参加していた。会場に馴染みやすい雰囲気があったのだろう、面白そうなので一緒に作りたい!という。それで急遽参加するコトになった。ペアで作るらしく、magosは、アオキさんとコンビを組んで製作した。パートナーとしめ縄を堅く捻って結び合わせていく所作が、心も合わさっていく感じで楽しいのだとおもう。楽しい!毎年やりたい!そんなしめ縄プロジェクトだった。

で、興味深い事は、講師が、あの「東條英機」のマゴさんだという。レクチャーがとってもエエ感じだったこともあって、magosを家に送り届けたあと、スタッフの方からメッセンジャーを通じて懇親会に誘われたので、もう一度神社に出向いて、一緒に食事を共にした。

ワタシ、工務店を創業した祖父のマゴとして生まれたのは、どんな因果か思し召しか神の謀かいや戯れか、この歳になっても、人の誕生とは不思議な出来事だとおもう。誰もが高校生ぐらいになると、「私は誰」ウィルスのようなものにかかりやすいとおもうが、私の場合は、工務店という家に誕生した偶発的な出来事を受け入れるかどうかが「私は誰」ウィルスへの感染と発症だったようにおもう。しめ縄プロジェクトの講師の東條英利さんは東條英機さんのマゴだという。ちょっと特別な出自なので、自分の出処を受け入れるメンタリティーってタイヘンだったと想像するし、「東條家の歴史と向き合う事」なんていうコトバが印象深く残った。

そうそう社員と職人さんとで、忘年会を催した土曜日。コロナ禍の前から何十年間も、がんこの平野郷で、マイクロバスのお迎え付きで催していた。以前はそこの蔵を貸し切れたが、最近はその場所は閉鎖しているという。コロナ禍以降、いろいろな業態が変化しているのだな。内部的に過剰に人の手間のかかるところを見直しているのだろう。庭の眺めが良い座敷でも充分。飲んで食べてコミュニケーションして。昔から伝わるチームワークが育まれるシンプルなイベントだな。とあらためておもう。2次会は立ち飲みスタイルの加工Bar。半分ぐらい残って、終電が間に合う時間まで続いた。

しめ縄と忘年会と寒波。年末年始がやってくる気配だな。

師走感の変化

12月なのに穏やかな日曜日。暖かくて師走感がますます薄らぐ感じ。というより、12月になっても、クリスマス感とか師走感とかが全く感じられない世の中の雰囲気で、本当に正月がやってくるのかどうか…..なんておもう。御堂筋の樹木にライティングされているのを見て、あらためてクリスマスの存在に気付くワタシ。

12月に入って地鎮祭が続く珍しい年。工務店にとっては、木造住宅の新築工事の場合は、12月中に基礎工事を施工して、お正月の間は養生期間とし、お正月明けから、木造の建て方をする。なんていう工程計画が一般的で、というのは、基礎工事が、コンクリートを打設する前に、お正月休暇がやってくると、基礎の鉄筋や土留めなどがむき出しの状態で1週間ほど風雨にさらし、見守ることもできず、流石に施工的に良くないので、中途半端な基礎の状態でお正月休暇を迎えるのなら、お正月明けから基礎工事を着工しようということになる。なので12月前の地鎮祭が多かった。

かつての工務店の12月というのは、お正月を新しい住まいで過ごしたいという施主の方々のために、お引き渡しでバタバタし、お正月休暇までに基礎工事や建て方やその雨養生を完結させようとしてバタバタし、師走感が満載だったが、ここ数年、様子が変わってきた。工期を急いだ工事によって施工的問題が発生する事を避ける風潮が工務店的にも大きくなって、余裕を持った工期を提示するようになり、施主の方々にも理解して頂けるようになってきた。なので、お正月前ギリギリのお引き渡し、お正月前ギリギリ入居が減ってきたし、12月中に地鎮祭をしておいて、1月お正月明けから慌てずエエ仕事をしてください。なんていう新築工事の方々も増えてきた。

何よりも世界情勢が関与している部分が多いようにおもう。どの案件も10月11月ぐらいに地鎮祭が可能な状況でもあったが、契約前の最終見積調整の段階で、長引く傾向が多い。物価高による建築コストの上昇が、コロナ前に比べて1.5倍以上になって、もはや工務店側の企業努力ではいかんともし難い状況で、施主の方々にとっては、建築工事費に対する決断に、とっても時間を要する、世の中的状況になっているとおもう。

お正月がやってくる前に、いや、お正月中に、家をどうするか、焦らずゆっくり決断し、来年は新しい家で、ゆったり過ごそう…..なんていう方々が多いのだろうか。いや、まだ、世の中の状況が不透明なので、家を建てたりリフォームするのは、まだまだ様子を見ておこう…..なんて云う方々が多いのだろうか。師走感が変化してきたようにおもう。

 

社会関係資本

サヤカリーと「まちのえんがわ」忘年会を催した日曜日。

2011年は、東北の震災があった年で、その年の12月に「まちのえんがわ」をオープンした。スタッフの青木さんと私の二人で運営を始めて、月1回のワークショップを開催することを目標に、二人で運営を続けてきた。2012年4月から2023年までのその間に、延べ3217名の方々が、ワークショップに参加頂いた。改めて振り返ってみると、沢山の方々の参加に、感謝の念が湧いてくる。

コロナ禍があって、ワークショップの開催は、ままならず、徐々にワークショップが開催できにくくなり、それに10年が経過すると、ワークショップの内容と講師もマンネリ化し、講師の方々のモチベーションも低下ぎみだったとおもう。「まちに根ざす、まちのえんがわ」っていうのは、10周年を迎えて、これからが本番のような気がしてくるが、運営をする二人が高齢化し、どうも若い世代のニーズをくみ取れていないように感じ、若い世代の講師との出会いも減って、ワークショップの新鮮さがどんどん低下してきたようにおもう。

そんなこんなで、スタッフの青木さんと私は、「まちのえんがわ」の運営から退くことにして、来年からその運営を木村工務店の専務とサヤカリーのサヤちゃんに引き継いでもらうことになった。といっても「ワタシ」は、木村工務店の代表で、「まちのえんがわ」をバックグランドで支援をする立場でもあって、完全に「退く」わけにもいかない…..。そんな訳で、本日の「まちのえんがわ」忘年会は、スタッフの青木さんの、この11年間の貢献を労う会で、青木さんを知る多くの方々が集まって賑やかな夜を過ごした。

うちの現場監督のシノダくんが、この夜に顔をだしてくれて、云うのには…。入社の切っ掛けは、当時、小路に住んでいた、シノダくんの友人のヨネクラくんが、「まちのえんがわ」に出入りしていて、ワタシも一緒に自転車に乗ったりして遊んでいたが、ある日、ヨネクラファミリーは「compi」という雑貨屋さんをオープンするために、和歌山の那智勝浦に引っ越すことになった。そのオープン予定のお店を、アドバイスがてら、車で大阪から遊びに行くことになって、その同乗者にヨネクラくんの友人ということで、シノダくんが、紛れ込んで来た。それが「縁」となって、その後、木村工務店に転職することになった。シノダくんにとっては、「まちのえんがわ」のアオキさんが、その縁を繋いでくれた恩人なので、お礼の言葉を述べに来ました…..と云う。

「まちのえんがわ」オープン当初には、全く知らなかった、「ソーシャルキャピタル(社会関係性資本)」という言葉を知るようになった。これまで、「まちのえんがわ」と「ワークショップ」を通じて、さまざまな人との「縁」が生まれて、そういう縁のお陰さまで、ちょっとしたものづくりの楽しい想い出や、ちょっとした仕事と出会えたように感じる…..。これからの10年を若い二人に託して、「まちのえんがわ」が「木村工務店」にとっての、ちゃんとした「社会関係資本」となればエエなとおもうし、なによりもアオキさん、ご苦労さまでした。

ちなみに 「ソーシャルキャピタル 社会関係資本」をChaatGPTで調べると…..

ソーシャルキャピタル(社会関係資本)は、社会的なネットワークや人間関係において生まれる信頼、協力、情報の共有などの価値のことを指します。この概念は、社会学者ピエール・ブルデューが初めて提唱し、その後、さまざまな研究者や学者によって発展させられました。

ソーシャルキャピタルは、個人やグループが相互に信頼を築き、協力し、共同作業を行う能力を表します。これは、個人や組織が社会的ネットワークを通じて得ることができるリソースやサポートの価値を指します。ソーシャルキャピタルは、ビジネス、教育、健康など、さまざまな領域で影響を与える重要な概念とされています。

ソーシャルキャピタルは大きく、以下の2つの主要な形態に分けられます:

  1. 結びつき型ソーシャルキャピタル(ボンディングソーシャルキャピタル): 同じ社会的な背景や属性を持つ人々の間で形成されるソーシャルキャピタル。この形態では、共通の利益や価値観に基づいた強いつながりが形成されます。
  2. 橋渡し型ソーシャルキャピタル(ブリッジングソーシャルキャピタル): 異なる社会的なグループや背景を持つ人々とのつながりやネットワークを指します。異なるコミュニティ間での情報やリソースの流れを可能にし、社会全体の結束を促進します。

ソーシャルキャピタルは、個人の成功や組織の効果的な機能に寄与するだけでなく、社会全体の発展にも寄与すると考えられています。

 

あっ、そうそう、来年1月20土曜日は、4年ぶりに「お餅つき」ワークショップを開催予定です。

「そうだ京都に行こう!」的。

紅葉の季節。っといっても、うちの庭は、桜は紅葉もせず既に散って、ヤマボウシの紅葉も葉が焼けて縮こまった紅葉で、いまいち微妙な今年の紅葉。

今週の23日勤労感謝の日の祝日は、新嘗祭という穀物の収穫に感謝する儀式の日が、勤労感謝というコトバと意味に取って替わって、祝日になったらしい。いまや、祝日は休日であるコト、仕事をしなくて休めるコト、それだけで嬉しいのは、都市生活型のストレス社会になって、そのストレスを癒やす日が休日の楽しみで、祝日を「感謝」する。なんていう感覚とリンクしにくい世の中の状況になっているのだろう…..。

それはそれとして、最近、秋の庭を掃除すると、上の写真のこういう木の実が落ちている光景に出会う。今まで、全く興味がなかったのに、先日のブログ「土偶」で書いた…..

「土偶は植物の精霊をかたどったフィギュアである」
日本という国家の「大嘗祭」は天皇の即位儀礼と収穫儀礼の新嘗祭が融合したもので、「植物を成長させる精霊」という観念と「それを祭祀する儀礼」という「植物霊祭祀」の慣習と心性が古くからあって、縄文時代の「土偶」は、そういう「植物霊祭祀」の痕跡なのだという

木の実に遭遇すると、このフレーズが想い出されて、この木の実のデザインと、みみずく土偶などのさまざまな土偶デザインの類似性を想起し、植物に霊祭しながら、ひとりほくそ笑んで、庭を箒で掃いているワタシ。

かつては植物霊祭祀であったそうな、その23日の勤労感謝の祝日。いわゆるストレスを癒やそうと、朝からサウナに行った。で、朝食を食べず、昼メシというかサメシというか、奥方とコメダ珈琲で味噌カツサンドを食べて、まったりしていると、天気もエエし、「そうだ京都へ行こう!」ということになった。車は混むし駐車場も大変やし京阪電車のプレミアシートが快適だったので、それかな。いや布施駅から京都駅への直通バスがあるから、それかな。なんて相談しているうちに、今日は暖かいし、それに最近、自転車に乗っていないので、それなら京都でサイクリンでしょ!

もう既に午後1時30分を回った時刻。試しに奥方の電動ママチャリを無理矢理、車の後部座席に詰め込んでみると、二人がかりならなんとか押し込めた。私の折りたたみ自転車ブロンプトンと2台を車に積んで、第二京阪道路経由で50分ほど、鴨川西ランプを降りて直ぐの円形ランプ道路の中にあるタイムズに駐車する。一日880円也。トランクから自転車を降ろし10分ほどペダル漕いで東福寺へ。「方丈」と「通天橋」を初めて見た。今年はやっぱり鮮やかな紅葉という感じではなく、暖かい日が続いて葉が焼けてくしゃくしゃとした葉っぱが紅葉しているような感じ。それにしても多くの人。3分の1はインバウンドの方々じゃないかな。

東福寺境内にある渡り廊下、通天橋も含めて、木組みがシンプルでエエね。と眺めるが、人が多すぎて、ゆっくり鑑賞するのは別の時期だと早々に退散した。ぼちぼち自転車漕いで、三十三間堂の横を通過し、清水寺三年坂下の交差点まで来たが、人の多さと、もし見るとしてもライトアップだよね。と、六波羅蜜寺や建仁寺や祇園の裏道ばかり、あっ、こんなところにこんなお店があるの…とたらたら走る。河原町も人で溢れ歩道を走れるような状況でないので車道を走るが、バス待ちの人の行列とバスが何台か停車する横をすり抜けるのは安全ではないよね。

人で溢れかえる錦市場を横切るのに、すんませんと頭を下げて通過し、イノダ珈琲本店で、ひと息つこうと自転車停めて中に入ったら満員で待つ状況だった。今日は行列を我慢することにした。初めて奥の洋館のところで珈琲飲んだが、漕ぎ疲れを癒やしながら、ゆっくり休んで会話していると、新京極の「sousou足袋」で足袋を買うのだという。ここでしか買えないし、京都に来たらついでに買って帰ろか。みたいな感覚にさせられるコトと、路地裏を村というか集落のように多店舗で商売するやり方がカコエエな。とおもう。

唐突な京都だったので、夕食の予約がなかった。それなら洋食屋さんで食べようと2、3軒回るが、やっぱりどこもいっぱいだった。ここでようやく気付いたんですけど、この自転車ブラブラ京都、とっても楽しいけど、アルコール飲むことでけへんし、仮に飲んで、自転車押しても、最後は、電車輪行でなく、自家用車で帰るので、夜のアルコールダメがちょっとした問題点。なので大阪に帰ることになった。京都タワーと京都駅の横を通過する。こんな角度から京都駅を見たのは初めて。案外エエ夜景やな。っと残像を想い出しながら、裏道をゆっくり自転車漕いでるうちに午後6時30分に駐車場に到着した。11㎞走行也。午後7時30分には自宅に着いて、ママチャリをよいしょっと降ろし、アルコール付き夕食にありつけた。

勤労感謝の日のそんなこんなの「紅葉京都散輪」だった。

 

持続可能な社会

木村工務店の協力会社の米田建材店さん100周年記念祝賀会があった土曜日。

うちの協力会社さんには、100年を超える、材木屋さんの岡房商店さん、鉄筋屋さんの浅田鉄筋さん、瓦屋さんの瓦寅工業さんがあって、皆さん大正時代に創業している。そんななかにあっては、弊社は、昭和に創業で、まだまだ87年ほどで、100年まで、まだ13年もあるのだと感じるし、それより、そういう100年を超える4社もの老舗の協力会社さんに支えられて建築を造っていることに、ちょっとした気概のようなものを感じる。

関係各社を代表しての挨拶を拝命され、ま、結婚式のような緊張感が漂う祝宴でないので、そんなに緊張することもないが、舞台から眺めてみると、関係各社だけでなく、親族のような方々も多く、日本の現在に於いて、100年続く企業というのは「家」という伝統と文化のようなものがあって、今回であれば、米田家というようなその代々続く「家」があって、その仲の良い親子関係のようなものがあって、そのような企業が「持続」しているのだなとあらためて感じた。

引出物の中にSB食品さんのカレーがあり、奥方が、なんでこんな商品が入っているの!と聞くので、今年同じように100年を迎える大企業にSB食品さんとかサントリーさんがあり、引出物や景品の中にその商品を入れたそうやわ。と答えたが、「株式会社」というような仕組みが主流になってくると、同族を主流としない、これからの100年企業は、同族会社の家族愛でなく、会社愛のようなものがあって、ようやく持続可能な企業となっていく100年なのだろうか…..と疑問形で考えてみた。

関西大学の木造設計製図の講評会と懇親会があった火曜日。今年から、受講する生徒の数が急に増えて、世の中の木造建築への関心度は、若い学生にとっては当たり前のコト。そんな時代感覚になってきた今学期だった。人数が増えるとレベルが低下するのかとおもいきや、通年以上に高いレベルになってきて、3〜4人のグループで設計するという課題は、私達の学生時代では一般的ではなかったが、いまや会社という組織で設計する現代建築の在り様も含めて、サッカーやラグビーのチームのように個々人の能力を活かしながら、チーム力で作る建築を学ぶ機会にもなって、木造建築とコミュニケーション能力という同時代性のようなものをあらためて感じる今年度だった。

生野区のものづくり企業の方のお誘いで、上六でミュシュラン一つ星のお鮨を食べた金曜日。緊張しながら食べる鮨はちょっと…..とおもっていたら、常連のその方と一緒だったので、気さくにあれやこれや会話しながら、コース料理の江戸前鮨を美味しく食べた。インバウンドのアジア人カップルが3組ほどいて、ご主人自ら英語で対応する姿に、今の鮨職人を感じるし、英語で対応していたアルバイトの男子は、医学部の学生だという。そういう人を雇い入れるコトも含めて現代的だし、そのインバウンドの若いカップルの女性に、小さなバースデーケーキをだして、カウンターに座りながら皆でハッピーバースデーを合唱しお祝いをして、そのお裾分けのケーキを美味しく頂戴した。寿司屋さんでバースデーケーキは初めてだが、案外悪くないね…..。

家とか。会社とか。組織とか。チームとか。学生とか。職人とか。インバウンドとか。持続可能な社会とか。現代的な在り様を垣間見た今週だった。

ふるさと納税

どんよりした天候で小雨降る日曜日。ようやく冬の気配を感じる日曜日。そして家に閉じこもった日曜日。だった。奥方から、なんで自転車に乗れへんのぉ!と聞かれたが、さしたる気の利いた答えが見つからなかった。十三峠から朝護孫子寺までヒルクライムして、富田林でモーニングし、河内長野まで自転車を乗るイメージを抱いてみたが、前日の土曜日に自転車の整備とか、乗る準備が出来なかったし、天候がいまいちな予報だった。なので、一日中、テラスで薪ストーブ焚いて過ごす。

そうそう、今週、初めて「ふるさと納税」とやらをやってみた。納税するのなら、ワタシは、やっぱり、地元の生野区に!っとおもっていたが、先日、奥方が、ふるさと納税で、鹿児島のうなぎを手に入れた。実は、今年のゴールデンウィークの旅で、フェリーで志布志に上陸し、早朝、車で走り出したら、「うなぎの駅」という珍しい施設の前を通過した。ワタシ鰻好きなので、おもわずその駐車場に入ったら、営業は11時からだという…..。先を急ぐので、仕方なく断念したが、なんと、ふるさと納税で、その鰻が手に入るらしい…..と、ネットで知った奥方は、なんの躊躇もせず、ふるさと納税の返礼品でそれをゲットした。鰻が高級品になってしまったこの現状には、前々からなんとも納得できないが、それはそれとして、どうせ納税するのだから、そのついでに鰻も食べられるなんて、とってもお得やん!なんで!ふるさと納税をやらへんのぉ!と奥方が云う。

家でアウトドアー感覚で食事出来たら楽しいよね!と、リフォームをした時に、アウトドア薪ストーブを置く計画で、写真のようなテラスを作った。3年後に、協力会社の横井金物さんで、スチールのローテーブルを製作してもらって、ゴロゴロしながらそれなりに楽しんで使っているが、どうにも収納がエエ感じにならなかった。コンテナを買って、あれやこれやと試してみたが、どうにもしっくりこなかった。

スノーピークのシェルフコンテナ25というのがあって、大きさもベンチの下に丁度収まる大きさで、デザインも良いのだが、14,520円もして、高いなぁ…..と躊躇し続けていたが、今年になって試しに一個買ってみた。案外フィットし、なによりもシェルコン25だと薪の置き場所がちょっとカッコエエ。それで、買い足し買い足しで、3個も同じデザインの収納になってくると、雰囲気も良くなって、奥方が、ようやく、デッキにまとまり感が出てきてエエよぉ!という。ついでに、いつか2個買いたそうと考えているけど…..と奥方にいうと、すかさず、燕三条に48,000円をふるさと納税するとシエルコン25が返礼品であるらしいよぉ!。

そんなこんなで、テラスで、ちょっと得したような気分で、シエルコン25を眺めて、ゴロゴロする日曜日のワタシ。燕三条市にスノーピークさんという有名企業があるからだが、我が町生野区の名産品とか名企業ってなんなのだろうか。ロート製薬さんの本社があるので、生野区のふるさと納税の返礼品なら、エイジングケアーのような商品と目薬の詰め合わなどの特別セットとか…..。リゲッタさんのサンダルがエエかも….。ノーベル製菓さんとかフルタチョコレートさんとか鳴門屋パンさんとかダイヤパンさんとか生野区の有名店の特別詰め合わせセットとはどうかな…..。

なんて、ふるさと納税って、案外楽しめて、お得感があるものなんだ。

1 4 5 6 7 8 39