自転車と町の関係

台風が接近する土曜日。ある縁で、石川県鯖江市にある、白崎サイクルさんを訪問する。3代100年続く自転車屋さんだそうだ。大阪にもそんな自転車屋さんってあるのかね。たしかに町と自転車屋さんの繋がりって古いよね。って改めて考えてみるきっかけになった。

門前)(門前Ⅱ)の続き…

(門前Ⅲ)

三十三間堂交差点から北東の清水寺の裏山の峠を越えることにした。三条や四条の街のど真ん中を通過するのも街的でエエが、京都市内の外周部を回りヒルクライム的な要素がちょっとある方がなんとなくロードバイク的な気がするからだ。あ〜しんどと思うぐらいで峠に着いて、左の道路を進んで将軍塚から京都のを眺めてみたい気持ちもあったが、ここで30分ほど費やす余裕がなくなっていて、先を急いで、右の道を選択し、南禅寺方面へ下る。

煉瓦造りの隧道を潜ると京都的な景色感がグッと増し、南禅寺の門前で記念撮影。コロナ禍の影響で、着物姿の外人でなく、着物姿の日本人が、日本を楽しむ姿が、世の中の流れの変化の不思議を感じさせる。このあたりを走ると奈良ではない京都感というのをあらためて感じるし、それは一体何がそうさせるのだろうか。

哲学の道をゆっくり散策的に走るには、時間的余裕がなく、鹿が谷通りを北上し、銀閣寺門前に着く。金閣寺にしても龍安寺にしても、「門なき門」感が強いとおもう。奈良のようにデーンとして、さぁ心して入れ!みたいな門ではなく、一見柔らかそうだが、実は、心整えて繊細に入らせる雰囲気。みたいな感じが京都的なのか、なんていう考えがハイスピードで脳をかすめていった。

今出川通りを走り鴨川を北上する。家族連れやカップルが陽気に誘われてエエ感じで寛いでいる。こんな雰囲気って、日本でも京都の鴨川のこのあたりにしかないような気がするが、立ち止まって、写真を撮影するのも面倒くさくなって、もはやソワソワしながら完走を願うだけのワタシ。

北大路通りを西に進みながら、大徳寺やちょっと好きな高桐院の門前まで行く余裕もなく、気分だけそこに置いて通過する。金閣寺前は多くの人出で驚いたが、只今、足場があって、改装中です。と大きな声のアナウンスを聞きながら通過した。龍安寺前も通過しながら、禅と門なき門を想起してみた。仁和寺の門前で記念写真。いつもなんとなく立ち止まってしまう。南禅寺のドシッとした門とはまったく違う様式美で軒がビヨォーンとした感じ。コンビニで休憩したあと、ちょっとした登りから下り基調の道を走りながら広沢池が見えてくると、とっても気持ちのエエ雰囲気で、毎回笑顔になる、日本的のどかさ….。

大覚寺門跡という門がなくなった門前を通過し、嵐山のメインストリートを人混みを避けながら走る。日本人観光客が日本を楽しんでいる感じ。ストリートに面した天龍寺の門前は、ほんとに門がないのがカッコエエが、大本山天龍寺というデーンとした石碑だけあって、そこにある種の威厳を感じとって、奈良と京都の「門前巡り」が終わった。嵐山から大阪までの淀川沿いを45kmほど辛抱強く走り続けて帰宅すると、左膝がちょと痛い。お尻もちょっと。なんて疲れたが、ちょっとした達成感。

(終わり)

 

コロナ禍になって、ヨーロッパでは自転車が売れているそうだ。補助金もでるらしい。それで、自転車の供給が滞っているとか。そうそう、幕末に自転車が日本に入って、明治から昭和初期にかけて日本人の生活の中に自転車が入ってきたそうだ。大正時代に一般大衆でも手に入るようになったが、自転車を持っていることがステータスであったらしい。そんな時代から100年経過する。10kmほど走る町乗りの電動ママチャリも好きだが、旅するための自転車とか競輪とかスポーツ競技とかの自転車とはまったく縁がないワタシ。ロードバイクをやってみると100kmぐらいそれなりに移動できて、人と町と移動の関係性が変化する。町と自転車屋さんの関係も変化しているようだ。

「十五夜お月さん」と「門前Ⅱ」

久しぶりに、じっくり、「十五夜お月さん」を見たような気がする。お月見団子を食べ、庭に出て、マゴ達と一緒に椅子に座って眺める満月の夜。

 

先週の「門前」の続き…..

東大寺から、正倉院の砂利敷きの門前に佇み、校倉造りに思いを馳せてから、転害門の門前を通過する。この門をみると不思議な気分になる。「てがいもん」という漢字と読みと「しめ縄」と門前の芝生が、独特の呪力を感じさせる。今回は門前の記念写真は撮らなかった。ちょっと先を急いでいる感覚で、ソワソワしていたからだろう。そうそう、カッコエエ二月堂に立ち寄るのも、ソワソワしだしたのでやめた。旧奈良監獄の門前から東大寺を見返したのが、先週「門前」の最後の写真。

 

その旧奈良監獄すぐ近くの植村牧場で、牛乳でも飲んで休憩しようとおもったら、コロナ禍で休んでいた。なので、ひたすら木津川を北上し、「流れ橋」まで走りきることに決める。ようやくロードバイクで快走している気分。流れ橋すぐ近くの「やわた流れ橋交流プラザ四季彩館」で昼食を食べながら、思案する。このまま自宅に戻るか。流れ橋を渡って京都に行くか。120kmか170kmか。天気が快晴だし。明日も休みだし。帰宅が遅くなっても、ま、エエか。なんていう葛藤。

 

流れ橋を渡ると時代劇的気分になれるのが嬉しい。それに流れ橋から宇治川を渡る観月橋までの区間が、突然視界が開けて、常に伏見城から監視されて騎乗している戦国武将の気分になって、ひとりでニヤニヤしたりして。北東方向を見れば伏見城だが、西を向けば、高速道路の久我山ジャンクションがあり、この立体的高速道路の土木工事が好きだ。自転車を駐め、田んぼ越しのジャンクションを眺めて、ほんとはここで、珈琲でも飲みたい気分。

 

宇治川を渡り、そのまま走ればエエものの、寺田屋前を通過する。寄り道するほどの場所でもないが、坂本龍馬を殺害した犯人は誰か。という歴史上の推理はオモシロイ。観光客の何人かが記念写真を撮っていたので、ワタシも、パチリ。商店街をゆっくり抜けようかとおもったら、想像以上の人出。迂回し、伏見城横の住宅街を抜け、一方通行で大渋滞中の伏見稲荷の鳥居の前で、記念写真。外国人観光客がいない日本人観光客だけでいっぱいの雰囲気が珍しく、赤い鳥居と外国人観光客の記念撮影が、懐かしさすら感じさせるこのコロナ禍。

北上して、三十三間堂に向かう。この南大門を自転車でくぐるのが、なんとなく好きだ。門前で記念撮影。南大門と三十三間堂と京都国立博物館平成知新館と道との関係性がオモシロイ。っておもえるようになったのは、前々回の京都ライドの時、三十三間堂前の交差点で、谷口吉生設計の京都国立博物館のシュッとした端正な門を信号待ちで眺めて、その後のある夏の日に訪問し、この南大門との設計的関係性を知ってからのコト。

 

そうそう、この南大門を正面から潜るために、自転車を降りて陸橋を渡るところがあって、そこから眺める鉄道と山と京都タワーと京都駅と街の関係性もなんとなく好きで、ほんとは新幹線が通過するまで待ちたかったけど、完走できるかどうかソワソワし、取り敢えず雑な写真を撮るだけで精一杯。もはや町を楽しむ余裕がどんどんなくなってきているワタシ。

続く…..。

 

住宅相談会があった日曜日で、二組の方が相談にお越しになり、それぞれなりの、ちょっとしたコダワリのある家造りを、このコロナ自粛期間中に、あれやこれやと考えておられたようだった。そうそう、十五夜お月さんは、秋の収穫に感謝をささげるお祭りで、良いことが起こる前から感謝をして、実際に良いことを引き寄せる、日本的な神事のカタチだとか。コロナ禍も含めて、いろいろなコトが、良い方向に向かいたいものですね。

「門前」

風が吹いて、木々のざわめきの音が、すでに秋だな。

シルバーウィークのど真ん中。快晴だったので、こんトライをしてみた。自転車で、十三峠から奈良と京都へ。2度めの同じコースなんだけど、自転車をカーボンからクロモリに乗り替えて、乗った感じが違うのかどうか。体に伝わる振動が、カーボンよりクロモリのほうが易しく、それが疲れを少なくしてくれる感じ。足への負担はきっと走り方の問題で、後半は、同じように疲れる疲れる。

奈良も京都も想定以上に観光客がいっぱいで、だれもが陽気で笑顔な感じ。コロナ禍になって以来、そんな雰囲気に触れるのが久しぶりだったので、嬉しそうな人のエネルギーに触れるだけで、こちらも走りながら笑顔になった。

このコースの好きなところは、門前の寺院建築の空気感に触れるのが楽しい。大阪から十三峠を越え、榁木峠を越え、追分の分岐点で、大和棟の住宅をみると、奈良に来たって感じが芽生える。308号線を外れ薬師寺を目指すと、ゆるやかな下り坂で、目の前に東塔と西塔の二つの三重塔の尖塔が飛び込んでくるのが独特な感覚で、ちょっとワクワクする。薬師寺の門前で記念写真。

すぐ近くの唐招提寺にも立ち寄る。やっぱり門前で記念写真を撮るが、薬師寺の垂直感とは違う、水平にシュッと伸びる軒が、門の奥の砂利道の向こうに見える姿がエエ。なぜ、この近しい位置関係に、薬師寺と唐招提寺が建っているのかちょと不思議におもう…..。東にどんどん進み、北に方向を変えて、ならまちを通過しながら猿沢の池に到着すると、スタバが出来ていた。休憩しながら、このまま家に帰ってもエエぐらいの感覚だった。

興福寺は、門前の感覚が薄い。どちらかといえば広場な感覚なので、それはそれで独特だけど、いつも通過してしまう。奈良公園を抜ける途中、奈良国立博物館西館の前でおもわず立ち止まった。あらためて今日は「柱のデザイン」がカッコエエとおもい、吉村順三さんの設計にちょっと魅とれる。あの唐招提寺の門のちょっとエンタシスな丸い柱が残像のように焼き付いていたからだろうか。

奈良公園の中を抜けて、東大寺の南大門に向かう。ガラガラだとおもっていたら、家族連れの日本人観光客でいっぱいだった。鹿も餌をもらって嬉しそう。南大門はいつ見ても魅力的でやっぱり門前で記念写真。自転車で周辺を巡りながら、東大寺のあの瓦屋根をあちらこちらの角度から眺めるのが自転車的な面白さなのだろう。(冒頭の写真も)

続く…..。

そうそうシルバーウィーク最終日は、関西大学の木造設計製図の授業があって、大学に向かうと、門の前も中も電車も学生でいっぱいだった。後期は対面授業をやるらしい。連休も授業をやらないと消化出来ないということだ。大きな製図室が、それぞれの机ごとにアクリル板で仕切られていて、それが、コロナ禍であることをあらためて意識させられた。さて、生徒との講評会はどんなスタイルでするのだろうか…..。

ようやく世の中が少し動き出したような感覚。

お彼岸

シルバーウィークというらしい。秋分の日で、お彼岸でもある。早朝に起きると、曇っていた。自転車に乗る予定もあったが、雨が降りそうな曇り空なので、家に居ることにする。明日も休みだし。明日は晴天のようだし。そんな連休感覚だった。

奥方に、今日どぉするのぉっと聞くと、久しぶりに和歌山の花山温泉に行こうという。あの、ま茶色で鉄分を含んだ源泉が気持ちいい。サウナに入って、水風呂入って、源泉25℃のま茶色の温泉に入ると、25℃の外気浴で寛ぐようなエエ気分になる。そんな感覚を思い浮かべながら、車に乗った。

阪神高速から阪和道路に入り、岸和田を通り過ぎる。奥方が、車のなかで、唐突に、お彼岸やから、お墓参りどうするぅっと聞くので、つい先日お盆のお墓参り行ったばかりやから、もういかなくてもエエんとちゃぅのぉっというと、それはどうかなぁ。って言いながら、携帯をググって、お彼岸というのは、ご先祖様を偲んで、正しい行いをするよう心がける日らしいから…..。

なんて話をしながら追い越し車線で車を運転していると、数十台先に、右車線を走る遅い車が一台あって、後続の車が、イライラしている感じ。我慢しきれず、左から追い越していく車が数台あって、この場の気が乱れているような感じだった。どんどん、前の車がその車を左から追い越して行き、もう数台前になってきたときに、トンネルに入った。

追従自動運転の機能が作動していて、別に急ぐ理由もないので、高速道路に入ってからずっと、その追従機能に任せて運転していた。トンネルに入って、ほんの数十メートル入った時に、前の車と数台前の車の急ブレーキのランプが光り、ディスプレーに警報音が鳴り、ブレーキ警告の赤いランプが表示される。あっっとおもいながら、ブレーキを踏む。前の車にググッと迫るが、まだ車間距離には少々の余裕があった。前の車に衝突する感覚は全くなかったが、バックミラーをみると、後の軽自動車が、スルスルっと迫ってきて、あっっという瞬間に、そのままワタシの車の後に衝突する。その瞬間、横の座席の奥方が、うわーぶつけられたぁっっと、とっても残念そうに呟いたのが印象的だった。

衝突安全機能があるのか、むち打ちなどのショックはまったくなく、バンパーがちょっと歪んだかなぁっていう衝突感覚で、車を停車する。前の車とその前の車は、無事で、ちょっと停止したあと、そのまま左車線から運転して去っていくと、右車線のワタシの車の前に、追突事故した車3台がハザードランプで停止している事故現場の姿が眼前に表れ、それなりの追突事故なのだと気付いた。幸い怪我人はなさそうだった。車を降りて、うしろの軽自動車に歩いて行くと、ボンネットがグシャっと潰れエアーバックがでていた。運転者は若い男の子で怪我もなく無事だったが、キョトンとした表情だった。少し車は動いたが、もうこれ以上は車は動かないという。ワタシの車のバンパーもそれなりにダメージを受けていた。

 

警察が到着するのに30分ほどかかり、それがとっても長く感じた。警察の現場検証のあと、前の車の人に状況を聞きにいく。数台前に走っていた遅い車の、そのすぐ後に走っていた車が急ブレーキを踏んで、それでその車のうしろの車がブレーキを踏み、その後の車2台が玉突きをしたそうだ。3台の車の運転者も同乗者も、しまったなぁ巻き込まれたなぁっていう表情だった。その後、軽自動車の方と連絡番号を交換しあい、警察の誘導で、左車線の車を止めてもらって、運転を再開した。

フツウに車は動いたので、そのまま温泉にいって、まさしく、気分転換をすることにした。帰りは、当然のように、お彼岸のお墓参りをすることになり、あらためて森羅万象に心がける日として、墓前に手を合わせた。

まちの魅力

朝晩が涼しくなってきて、ようやく秋の気配。空も秋っぽくなって、ちょっと嬉しい。

先週末の北海道、美瑛と上富良野と十勝に行ったその余韻が残る。振り返ってみれば、それなりの回数、北海道に行っている。スキーで、札幌、ルスツ、ニセコ、トマム、キロロ。キャンプで、道東や道北を3回。断熱気密の研修に冬の札幌を5回ほど。なんだかんだ行ってるなぁとおもうが、まさか自転車乗るためだけに行くコトになるとは、想ってもみなかった。20年以上前、小さなキャンピングカーで、行動展示という施設づくりになった旭川旭山動物園に行って、エエなぁとおもい、美瑛富良野を通過しながら釧路に向かったが、いかにも観光地過ぎる富良野は、富田ファームだったか、ちらっと見て記念写真撮る、通過地点だった。

今回、美瑛センチュリーライド60kmのコースをスタンプラリーしながら巡ったが、「丘のまちびえい」というだけあって、適度なアップダウンを繰り返しながら、大地を駆け巡るのが楽しい。車でもなくバイクでもなく歩きでもなく自転車だからこそ楽しい観光というのがあるのだと気付いた。っていうのもあるのだが、ここ数年、生野区のまちづくりと関わってくると、「美瑛のまち」がそういう「丘のまち」として、町民と一緒に取り組んでいるのが、エエな。っておもう。ま、内情はしらんけど。とにかく、丘と道が、綺麗で美しいというだけでも凄い。十勝温泉から美瑛までのダウンヒルの途中に「白銀青い池」に立ち寄ったが、駐車場を含めた整備計画が進んでいて、美瑛からの自転車道路も快適だった。

 

生野区は空き家率20%ちかくあり大阪市内でも空き屋率の高い区のひとつだが、美瑛などの地方都市が15年ほど前から「まちづくり」に危機感をもって真剣に取り組んできたことを考えると、生野区が空き家に危機感を持ちはじめたのは、ここ5年ほどの事。気が付けば徐々に小学校に通う生徒が減少し、今年ついに小学校の統廃合が始まった。それだけ子育て家族にとっては、子育てに躊躇する生野区なのだろう。

ま、それで、「住む、歩く、つくる 生野区の魅力を語ろう! 生野 空き家シンポジウム」というのを、今週末9月19日13時30分から、生野区役所6階会議室で開催します。住む人育てる人歩く人造る人にとって「居場所のあるまち」「居心地の良いまち」をどう取り組んでいけば良いのか、ワタシ、「住む」シンポジウムパネラーとして登壇しますので、よろしければご参加下さい。

生野区の魅力を「物語る場」としての「空き家カフェ」で、不動産情報として広く公開されていない長屋や戸建てなどを「生野区空き家バンク」として一般公開する取り組みがスタートしました。空き家カフェは、オーナーと借り手が、フェースtoフェースの情報交換をする場であり、さまざまな専門家が一緒にまちを見守る場でもあります。「空き家」が「まち家」として再生し、まちの魅力の継承と発展的創造になれれば…..という取り組みです。一緒に生野区のまちづくりに参加しませんか。

GoToキャンペーンで行く北海道自転車旅

7月の海の記念日に、しまなみ海道の生口島の宿、輪空に宿泊すると、宿のご主人から、コロナ禍で、しまなみ海道を自転車に乗るお客さんがめっきり少なくなって、ちなみに東京からのお客さんはほとんどキャンセルになったそうだ。それで、このGoToキャンペーンに乗っかって、北海道の美瑛で、自転車に乗ろうとお誘いを受ける。一緒に宿泊していた、外資系大手企業を早期定年退職し札幌に移住したナベポンも一緒に行くコトになった。それがこの週末のコトだった。

生憎の大型台風が立て続けに2本接近するなか、めまぐるしく天気予報が変化し、当日は、雨にも何度か遭い、どんよりした天候だったり、一転して曇り空から晴れ間が覗いて、暑い夏のような日差しになったりで、決して天候に恵まれたとはいえないが、いかにも北海道らしい観光スポットを自転車でアップダウンを繰り返しながら巡礼する旅だった。

  

なによりも、飛行機に自転車を積む輪行が初体験なので、自転車を輪行袋に梱包するための袋と付属的な道具の準備とその方法に、ひと月ほど前からアタフタする。ま、建築中の「養生」作業のようなものなんだけど、ネットを見たり、知り合いに聞いたりして、特にリアディレイラーが壊れやすいと、いろんなひとから忠告されたので、結構神経を使ったが、こういう準備も含めた作業が、自転車旅の面白さなのだろう。

  

しまなみ海道を巡ると、水平線と、海と、島々と、橋と、集落の織りなす、自然と共生しようとする海のひとたちの姿と海の幸に魅了されるが、美瑛を巡ると、地平線と、うねりながら折り重なる丘と、アップダウンを繰り返しながら真っ直ぐ一直線に伸びる道と、小屋が織りなす、自然と共生しようとする里山のひとたちの姿と山の幸に魅了される。

旭川空港から飛び立った飛行機の窓から大地を眺めると、美瑛の自然と共生しようとする人たちの手が加わったランドスケープが、美しいなぁと魅了されたが、そういうランドスケープに、自転車の足跡を、筆として、大地を痛めずに絵を描けるのが、ちょっと嬉しい!

「コロナ禍」という感覚

突然の安倍首相の辞任があったりし、コロナ禍で、さまざまな出来事が起こる2020年。8月が終わろうとしているが、相変わらず猛暑で残暑。それにしてもセミの鳴き声が聞こえない静かな夏だった。猛暑による庭の木々の落葉もようやく落ち着いてきた。そうそう今週は夕立が何度かあった…..。

小学校の通学路を車で走っていると、夕立に出会す。傘もささずにずぶ濡れで歩く小学校低学年の男の子。何人かのお母さんが傘を持って子供達を迎えに走る姿。NHKの「地球タクシー」の運転手になった気分で眺めてみた…..。たまにNHKの「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」を見る。なんか、あんなふうにピアノが弾けたらカッコエエなっと憧れたりするが、なんでなんだろ。先週、奥方の実家の墓参りに行って、親戚と会って、食事をして、奥方の実家に立ち寄った帰りに、電子ピアノをもらって帰ってきた。奥方は、いつか、駅ピアノで弾くために練習するのだという。ちょっと笑える。唐突に食卓テーブル横にある棚を片付けて、電子ピアノ置き場を作った。星野源のドラえもんが奏でられ、マゴ達が、鍵盤を叩いている。

  うちの家で、研ぎ屋村上のムラカミさんによる「包丁研ぎワークショップ」の特別編を開催した。前回のワークショップに参加できなかった、ごく親しい友人の方々の要望があって、開催するコトになった。3人ほどで開催予定だったのが、なんだかんだ7人ほどになってしまった。仕事の都合で、その場から何度も退出したが、午後1時頃から午後5時頃まで、ワイワイガヤガヤやっていたようだ。ムラカミさんの論理的な「研ぎトーク」が、デパート売り場の実演販売のようで、皆を飽きさせないのだろう。切れ味の良い包丁に、笑顔で喜ぶ女性の姿がとってもエエ感じ。

 
お盆明けて、数件のリフォームと新築の引き渡しがあったが、蔵をリノベーションしたり、民家をリフォームしたり、自宅のガレージを米粉のパン屋さんにしたり、年齢層、家族構成、ライフスタイルも含めて、「多種多様」だと、あらためておもう。それぞれのライフスタイルのちょっとした違いを、建築のなかに、多種多様に反映させていくことを、このコロナ禍が助長するのだろうか…..。

猛暑の落葉とマジックアワー

残暑。今年はセミも鳴けない暑さのようで、これだけ暑いとセミの大合唱が聞こえない朝なのだ。それでも、どことなく、秋が忍び寄ってきているような気配も感じて、庭のヤマボウシが大量に落葉した。自ら散髪するように葉を落とし、身軽になって、この猛暑を乗り越えようとしているのだろう。

そうそう、この猛暑と超晴天のお盆休暇に「マジックアワー」に遭遇し、青とオレンジの光に包まれるほんの数分間を体験した。瀬戸内の島々とのコントラストが美しかったが、こういう時は、ほんの一瞬、いままで体験した、夕日を想い出したりする。子供達とキャンプをして能登の海岸で見た夕日とか。コペンハーゲンでレンタル自転車に乗って橋の上で遭遇したマジックアワーとか。そういう、その当時の時間と空間と心が、タイムトラベルのように、一瞬だけ繋がって、走馬燈のようにワタシの回りに、その時空間がスーッと流れていく感覚がオモシロイ。その時一緒に居た人とその当時のメンタリティーも記憶に残る。

それに、だいたいこういう現象を見た時は、その場では、映画みたい…..なんて非現実感を感じたりし、その一瞬、全ての記憶のようなものを失い、感動的な高揚感というより、静けさと共にある瞑想的な感じがエエのだろう。あとから想い出したり、写真をみたりで、ジワジワ実感が湧いて、感動的な想い出として定着していくような気がする。

活発な動きを抑制されている「withコロナ」の世の中の空気感と、「コロナ」で、乗り越えていく課題のようなものが、いっぱい提示されたような感覚もあって。葉を落とすとか。日が沈むとか。そんな自然現象とそれに付随する美しさが、こういう微妙な心身を癒やしてくれるのかもしれない…..。

「特別な夏」の終わり

今日の日曜日で、「特別な夏」が終わろうとしている。それにしても今日も暑い。しかも猛烈に暑い。そうそう、旅行中、空のブルーが特別に綺麗な青い夏だったようにおもう。空の空気に影響をあたえる何かがあったのだろうか。コロナの影響で人が動かなくなり、工場の稼働が減って、より綺麗な「青空」になったのか…..

 

以前より予約していた、徳島県上勝町のゼロ・ウェイストアクションホテル「HOTEL WHY」に、長男家族と次男も含めた家族全員で宿泊する。コロナ第二波で、キャンセルする方が良さそうな気分でもあったが、田舎のホテルなので。いやいや、田舎に帰って、おじいちゃんおばあちゃんにコロナを移さないように。なんて帰省に対するご通達もあるので、どうしたらよいのか、GoToキャンペーンと帰省とコロナ解釈で、躊躇と迷いに翻弄されてしまうが、車でGoToトラベルを体験してみると、ホテルの従業員以外と接触することがほとんどなく、意外とコロナ対応しているホテルは安全のような気がする。

それより、移動中のサービスエリアとか道の駅の方が、接触率が高い。ほぼ全員がマスク姿のサービスエリアは、異様な光景でもあるが、車から降りて、マスクして、を繰り返すものの、帰りのサービスエリアでは、ついついマスクを忘れて、その浮いているワタシの姿に、我に返り、自責の念さえ感じる。いまや、これが、新しい日常なのだから、世の中の価値観の大転換は凄い。

 

上勝町は、2003年に自治体として日本で初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」を行ない、ごみ収集をせずに生ごみなどは各家庭で堆肥化、瓶や缶は住民が「ごみステーション」に持ち寄って分別しリサイクルしている。ゼロ・ウェイストとは、無駄、浪費、ごみをなくすという意味です。出てきた廃棄物をどう処理するかではなく、そもそもごみを生み出さないようにしようという考え方です。上勝町に「ごみ収集車」はありません。町民は自家用車で町内唯一のゴミステーションまで持ち込みます。手間はかかりますが、ゴミステーションは年末年始以外休まないので、どんなごみも自分の都合のいい時に出せるというメリットもあります。

 

チェックアウトの際には、宿泊中にでたワタシたちのゴミを、その「ごみステーション」で、それぞれ分別体験する。ペットボトルのラベルとキャップを外し、それぞれ別々のカゴに入れる。ペットボトル。ラベル。キャップ。それぞれの最終処分地や回収金額が明記されている。ワタシ、恥ずかしながら、こんなふうに3分別したことがない。法定識別マークを意識して見たのも、はじめて。なるほどね。生ゴミは、「バクテリア deキエーロ」なる木箱の土の中に埋めた。これも初体験で、オモシロイ。木村工務店にも造ろうかな。

 

早朝に上勝町の棚田を自転車でヒルクライムしてみた。坂は意外と勾配がきつい。それにしても美しい。こんな急坂の上に集落があり棚田を造る。ひな壇上の造成地の宅地はけっして美しとはいえないが、棚田が美しいのはスケール感がカワイイ大きさで不定形だからエエのだろうか。徐々に朝日が棚田にあたりだし、生命が芽吹きだす雰囲気。人の生活と自然が調和する日々の努力に心動かされるのだろう。棚田の文化がゼロ・ウェイストの文化に引き継がれているのかもしれない。

大阪のゴミ分別と最終処分はどうなっているのだろうか。と奥方に聞くと、ワタシもそれなりにやってるけど、それより朝になったらアルミ缶だけ素早く回収する自転車に乗ったおっちゃんも凄いで。それなりのお金になるんやね。確かに今回の宿泊で、最終処分地と金額が明確でハッキリしているコトが分別する側にとって大切なモチベーションなのだと知った。きっと工務店もゼロ・ウェイスト宣言する時代がやってくるのだろう…..。

木村工務店では、2020年「特別な夏」が終わり、8月17日から通常営業です。

「特別な夏」の始まり

夏期休暇が始まった。っといっても木村工務店では、春のコロナ自粛に応じ、5月連休を急遽4月29日から5月6日まで8連休にしたので、出勤予定だった3日間を8月のお盆休暇に割り振ることにした。

当初、例年通り今日の8月9日から8月16日までの7日間の夏休み休暇の予定だったが、それを8月9日と10日を暦通りの2連休とし、11日12日13日を出勤日にして、14日15日16日の3連休にする予定だった。というのも、工務店にとっては、職人さんが働く日数を確保すること、それは現場を稼働することが、最も大切な仕事のひとつなので、職人さんが働けなくなった5月の3日間分を8月に充当することにした。

ところが、梅雨が明けると、とっても高温な夏になり、そのうえコロナ第二波がやってきて不安感が漂う夏。確かに今年は「特別な夏」だといえる。職人さん達も、8月13日は、仕事より休みたいというのが全員の意見だった。なので、8月9日10日の2連休に、11日12日の出勤日、13日14日15日16日の4連休にすることになった。なかには、11日12日も休暇を取る社員や職人さんもいて、木村工務店にとっても、創業以来、お盆休暇としては、それぞれがバラバラな休暇状況での夏休みとなり、こんな意味でも今年は「特別な夏」になりそうだ。

その「特別な夏」の連休初日がやってきた。曇り空。とっても蒸し暑い。この特別な夏休みの過ごし方に悩む。っというか、家でクーラーかけて、ゴロゴロするのが安全で快適なのかもしれない。誰もがそうなら、家庭での夏の電気消費量が過去最大の夏になるのかどうか。結果を知りたいものだな…..。朝からスーパー銭湯に行くが、多くの人が銭湯に行くのにも勇気がいるのだろう。夏休みにしてはとっても空いている。あとは、家でゴロゴロ。夕方に、お墓参りに行くことにした。

木村工務店では、昔から、8月のお盆休暇は、5日間の連続休暇をとる習慣があって、ワタシも、働きだしてから、夏のお盆休暇が最も楽しみな休暇だった。子供が小さい頃は、ハイエースのキャンピングカーで、道東道北・東北・佐渡・能登・信州・飛騨・四万十川・阿蘇・屋久島・ 沖縄などなど、旅館に泊まるのがもったいなく、宿に到着する時間や朝食時間など、時間的に縛られるより、自由度をもとめて、キャンピングカー旅行を20年ほど続けた。このブログにもその記録が2004年頃から残っている。

子供達が成人してから、キャンピングカーは売り払い、キャンプ休暇をやめ、1週間の海外建築旅行をしたり、国内の有名なホテルや旅館にも宿泊するようになった。家をリフォームしてからのここ2年は、夏休みを家で過ごしている。温熱環境が改善され、輻射冷房で居心地が良くなったことが最大の原因なのだろう。それにワタシの父母が共に亡くなったことで、ようやくお盆にお墓参りをするようになった。それまで、ワタシたちが家を留守にするお盆休暇を両親たちがお盆を勤めてくれたのだな。なんて、最近理解出来るようになった。

で、今日は、夕方、谷町筋六万体にあるお墓に参る。かつて、大坂夏の陣で、真田幸村に追われて命からがら逃げ込んできた徳川家康を、この寺の住職が助けたとか…..。そんな伝説をお墓参りの度に想い出す。歴史感覚がちょっと麻痺する感覚が好きだ。まだまだ蒸し暑い。お墓を掃除して拝んだあと、奥方が暑いのでカレーでも食べたいという…..。カレーといえば、インデアンカレーが二人の共通認識で、それも法善寺横町近くの本店に、二十歳頃の付き合い始めたころから、たまに食べに行く。

ところが、そのインディアンカレーのあるミナミ周辺はコロナ規制なのだ。お互いにそこに行くコトに躊躇するこの感覚が「特別な夏」なんだろう。長堀通りの地下街にあるインデアンカレー店で、玉子入りを頼んで食べたのが想い出になりそうなのが摩訶不思議な夏で、「コロナとお墓参りとインデアンカレー」が「特別な夏」の始まりになった。

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