「笑い」

「年末」が忍び寄っているが、なんだか、ヘン。コロナ禍では、もはや当然のコトのように、木村工務店の忘年会は中止になった。その他の忘年会も全くないので、「年末」の感覚がワタシに纏わり付いてこない。ジングルベルの音も聞こえてこない。そうか、それは繁華街に出歩かないからだな。こんな時期だからこそのZOOMによる忘年会が、12月23日の夜に、二つも重なってしまうという偶然の不思議。それでも、毎年欠かさず届く丹沢の堀山の家からのリースが扉に掲げられ、家にはクリスマスツリーが飾られて、なんとなくのクリスマス感が、少し寂しげに点滅している。

 

今週、大阪市では、全区で、夜の飲食店の時短営業になった。先週末に伺った生野区のBarソケットさんも、午後5時から午後9時までの営業にするそうだ。うちの会社は、大阪市の東の端っこに位置する生野区小路東にあって、東大阪市の布施に近く、さきほどのソケットさんに行くより布施の飲食店に行く方が歩いて近い。その東大阪市は飲食店の時短営業がない。だから、東大阪の飲食店の人は喜んでいるのかとおもっていたら、木村工務店のホームページを長年手伝ってくれているアシダさんが曰く、彼は、かなりの「飲んべい」で、そういう筋の情報通でもあって、曰く、このコロナ禍、忘年会もクリスマスムードもないし、お客さんは、メチャクチャ減っているので、時短営業して75万円の助成金が出る大阪市が羨ましい。って、ひとりで営業している飲食店の人が語っているらしい。

なんていう微妙な年末感だが、先ほど「M1決勝」を見終わって、ようやくちょっとした年末感を感じるようになった。今年の「笑い」は微妙だ。なんだかちょっとしたストレスが残る。まるでこのコロナ禍の微妙なストレス感を象徴しているかのようだ。「意外性」というのか「違和感」があって笑うのだが、ワタシにとっての「共感性」に乏しいネタが多かったからだろうか。昨年の「M1」の日曜日はこんなふうに感じていたようだ。

今年は、想像もしてみなかったコロナ禍で、全ての人の感情と感覚と思考のありようが「変化」しはじめているからだろう。こんな時期の年末だからこその共感性のある「笑い」のネタの編集力が必要とされているように思えたが、そうそう、BSテレビの養老孟司さんが出ているドキュメンタリーな番組を見ていたら、サンドイッチマンが好きで、その漫才の録画を見ているシーンがとっても印象的だった。なんだかんだ、それでも、やっぱり、「笑い」は楽しいし、必要とされているよね。

太陽の塔のメッセージ

12月12日土曜日昼過ぎ。事故渋滞でのろのろ運転の外環状線を、車の後部座席に座って、太陽の塔の横を通過する。助手席の設計のハヤカワくんが、夜に通過すると、赤く点灯している太陽の塔が見られますよね!という。たしかに。大阪モデルはレッドステージに移行し、通天閣と太陽の塔は赤色に点灯されているらしい。とおもったら、12日からは医療関係者に感謝の気持ちを伝えようと青色のライトアップになったという。ちょっと縄文的で異彩なメッセージを放っていた太陽の塔が、ここ最近は、カメレオンのようになって、さまざまに変身しながらコロナ禍のメッセージを放っているらしい。夜になって、往復の道すがら、木々に隠れて、そのライトアップの姿を見逃した。

12月12日土曜日の夕方。植木屋さんのイエタニさんからメッセージが来て、今日は、生野区のBarソケットさんの、10周年記念日やから、一緒にどう…..。と、お誘いを受ける。大阪は、レッドステージに突入し、北区と中央区の夜のお店は、時短営業を求められているが、生野区は許されているらしい。会社の立ち位置とか家族の立場を考えて、躊躇する気持ちも大いにあったが、電球のソケットを製作する工場を改修したBarで、密閉密集度合いが低く、自転車で往復するし、リフォームするお施主さんを紹介してもらったり、その他いろいろお世話にもなっているので、「ちょっとだけ」の気分で、お祝いがてら駆けつける。太陽の塔的に、ボウモア25が異彩なメッセージを放っていた。

お店に入ると、検温があって、手洗いしての入場だったが、うちの会社も、「今日の体調」という事で、社員は毎朝会社に出勤すると、検温することにした。玄関に、自撮りふうの検温器も設置し、打ち合わせに、わざわざお起こしになったお客様にも、検温してもらえる機器を導入した。そうそう、家庭内感染も増加しているという。家に帰ると、すぐに手洗いし、まずお風呂に入ってから、寝るとか食べるとか寛ぐとか。なんていう気遣いも必要な、ちょっと特別な冬になってきた。

ここ1ヶ月左肩がこっている。ほとんど肩こりの経験がないので、先週にインフルエンザの予防接種に行った時に、心筋梗塞かなにかの兆候を心配し、血液の検査をしてもらうと、まったく異常がなかった。で、今日の日曜日、ま、ワタシの肩のコトもあったので、奥方が、一緒に整体マッサージに行こうという。もともとはササキ大工に紹介してもらった、雑居ビルの2階にある、ヘンな整体マッサージ店で、入り口はパーマ屋さんで、その中にカーテンレールの治療台があって、親子で施術をしている。なんか、階段を上がる時から、呪術的で独特な気分になる。夫婦並んでの整体マッサージも初体験。施術中もずっと喋り続けている奥方に驚いたり笑ったり。

施術が始まって暫くすると、椅子に座った時に、正面に向きながら、左向いて作業してませんか。といわれた。あっ、確かに。いままでは、ノートパソコンを正面に置いて、そのキーボードを打ちながら、左右に大きなモニターを置いた3画面作業をしていたが、今年の春頃から、机の左と正面に大きなモニターを設置し、右はノートパソコンのモニターを置いて、ブルートゥース接続のキーボードを使いながら3画面で作業をするようになった。なので、ノートパソコンの小さな画面は、付属的に使うので、どうしても正面に向きながらキーボードを打ちつつ、体を左に向けてモニターを眺めていることが多い。事務作業で、腰はまっすぐ座りながらも、左か右に体を向けて作業して、肩こりになる人が、ちょくちょくいるらしい。

ま、そんなこんなで、さまざまな「新しい生活様式」を模索している昨今だな。

ことだま

秋から冬へ。日差しが暖かく、二組のお客さんと打ち合わせをした住宅相談会の日曜日だったが、もはや冬を感じる日差しだな。

土曜日。唐突に届いた、レターパック便を開けると、奥村まこと「吉村先生に学んで」という冊子だった。ベージュ色の装丁がとってもタイプな色合い。左手にとってページをめくる。建築家吉村順三さんによって設計された愛知芸術大の建て替えに際して、卒業生の篠田望さんが開設されたインターネットサイト「愛知県立芸術大学 建て替えについて」の中に掲載された『奥村まことのブログ 吉村先生に学んで』(2011年1月~2015年9月)をまとめたものです。と書いてあった。

奥村まことさんは、吉村順三設計事務所に勤めておられた女性で、同じく吉村順三事務所の奥村昭雄さんのパートナーで、その奥村昭雄さんはOMソーラーの考案者で、愛知県立芸大の実施設計を担当された方なのだそうだ。建築家として著名な方々なので、知ってはいるが、面識はまったくない。そんなワタシをこの本に繋いで頂いたのが、建築家の秋山東一さんで、東京芸大で吉村順三さんに学んだ方で、OMソーラーのフォルクス1を開発された方で、昨年、木村工務店の加工場で、秋山東一さんの「メルクリン&メカノ」というイベントを催した。ヨーロッパ建築視察旅行にもご一緒したし、今年6月は、八ヶ岳のアイランドプロファイルの工場と社長の石原さんの別荘に秋山さんと一緒に泊まらせていただいた。そんなご縁で、この冊子が、左手に載っかっている。この場をかりてお礼を申し上げておきたい。

土曜日の夜。読み出すと、引き込まれて、一気に読んでしまう。最近、「本を読む」という過ごし方が、めっきり減った。夜はBSのドキュメンタリーを見てダラダラしていることが多い。コロナ禍になって、ますます本屋に行かなくなり「Kindle」で読むようになった。それはそれで、ラインマーカーが引けたりで便利だし、ipadを持っていれば、何時でも何処でも読みたい本が読めるのだ、が、いまいち、ipadを持つ「左手」の重みとその感触になっとくできない。

というより、「吉村先生に学んで」が装丁された本の左手に伝わる感触が、とっても気持ち良いのだ。ipadを左手でKindle読みした時に、左手にちょっとした違和感を持っていたのに気付かされた。昔は、岩波文庫のカバーをとって読むと、色合いと肌触りが良いので、カバーをとっぱらって読んでいたが、それ以上に、この本の装丁の、紙の質感とデザインがとっても良いのだ。左手が心地良かったので、ずっと触っていたくて一気に読み切った。本の装丁の質感も「吉村先生に学んで」になっているのだろう。

「寸法は比率」とか。「余白」とか。「火と水と緑」とか。「景色」「うれしいこと」「見つけとチリ」とか。「やってみる」くんには「なおそう」さんという友達が必要だ。とか。「気持ちが落ち着く」「現場感覚」「君はどう思う」「迫力は邪魔なことが多い」「佇む」「表情を添えるのが見つけとチリです」「形は歴史」「感じる・考える・生きる・意見を述べる」とか。「目の位置」「地球の上に家を建てるのだ」「庭はみんなの庭である」とか。創ると言うことは芸術である。その第一は「良く見る」「良く聞く」第二は「友達」とか。「溶ける」「残すことはつくること」「維持費」「障子」「椅子」「遠い景色」「影を作る」「見積もり」「住み心地」「感覚」「立場」とか。「メンテナンスは研究(=営業)の最前線」とか。「見える山」「庭を見る家」「マージン」「スケール」「空気の重さ」「茶室」「見抜く力」「ファッション」「窓」「風」「小さな空間」とか。基本設計・実施設計・現場監理・保守管理。建物にとってもっとも大切なのは、実はこの「建てた後のめんどう見」であるとか。

反省したり頷いたり。示唆に富む言霊の数々と出会う週末だった。

CO2ボンベ

コロナ第3波が拡大しいるようだ。陽性になっても無症状の人が多いらしいが、重傷者も増えてきているとか。病床使用率がどんどん増加し、医療崩壊の心配とか。そういえば、一年前の11月の連休は、「建築家秋山東一さんのメルクリン&メカノ」で楽しんだが、見えないウィルスとの共存を模索する時代になるなんて、一年前のあの時には、全く想像できなかった。コロナが終息すれば、もう一度開催したいものだなぁ…..。

そうそう、陽性者の無症状の人は、10日間ほど隔離されて、復帰でき。濃厚接触者の陰性の人は、2週間自宅待機をさせられるという。へぇ…..。コロナウィルスとは、そういうものなのか。だったら、無症状陽性者になったほうが、良さそうだが、後遺症がいろいろ出るらしい。やっぱりそれも辛い。

時短営業とか。GoToトラベルの継続か中止かとか。経済活動とのバランスを模索するらしい。確かに、工務店にとって、ロックダウンになって、家造りのお客さんと、対面で、打ち合わせが出来ないのは辛い。対面の打ち合わせが数度あれば、オンラインでも打ち合わせできそうだが、まずは対面でお会いし、お互いの空気感のようなものを確認しながら、家造りをはじめるのが、工務店的なのだろう。そうそう第一波の時に比べて、恐怖心が、格段に減っているのが、良いのか良くないのかも判断しにくい、ここ最近の世の中。

「メルクリン&メカノ」と書いて、想い出したが、昨日の夜、NHKBSで、「魔改造の夜」という番組をみて、とっても面白かった。床のロボット掃除機を、3社の社員がそれぞれに改造して、走り幅跳びのようにジャンプさせて、何メートル飛べるかを競争する。そのドキュメンタリー番組なのだが、スポーツ競技とか、お笑いのM1とか、だけでなく、こういう、ものづくりの真剣な姿が表現出来る番組が、子供達や皆の興味をひけばエエのにとおもう。

建築で例えれば劇的ビフォーアフターのリフォームのようで、ルンバを魔改造するという企画が、いま的な感じでオモシロイが、その参加社のホンダ技研が、ジャンプさせるために、自転車の空気を充填するための、小さな「CO2ボンベ」を使用して、ジェット噴射させて、改造ルンバを大ジャンプさせた。きっと自転車好きの、ものづくり社員がいるのだな。ワタシも、自転車に乗るときは、常時1本は携行しているし、何度かパンクの時にお世話になった。そのCO2ボンベの形状もなんとなく好きだが、空気を充填する勢いも凄く、その勢いに驚いて、タイヤの充填を失敗したこともある。なんか面白い道具だな。っとおもっていたら、それを使って、飛行機のジェット噴射の技術で、ルンバを遠くに飛ばした。そのアイデアと、技術と、飛んだ姿のカッコ良さ。それを作ったひとたちの、モノを作るための粘り強い姿と、その喜んだ様子に、グッッときた。コロナ禍だからこそ、こういう企画に載っかれる「時間」があったのかもしれない。

秋晴れだったので、そのCO2ボンベを一本携行して、自転車で散策。秋らしい雲を見た。紅葉は終わろうとしていた。東大寺鐘楼の木組みはオモシロイ。稗田と番条の環濠集落をみた。金魚ストリートで美味しい珈琲とカレーを食べた。そんな日曜日。

 

 

 

あんな番組みたり、こんな木組みや集落みたりすると、ものづくりしたいなぁ…..なんておもう。

勤労感謝の祝日。

秋晴れの勤労感謝の連休。紅葉も深まってきて、今年は色が鮮やかな感じ。

同級生4人が久しぶりに集まって自転車に乗ろうということになり、早朝から葡萄坂をヒルクライムし、のどか村から朝護孫子寺を参拝して、竜田古道里山公園横を通過し、堅上から国分に抜ける。ワタシは孫の七五三があったので、ここで離脱した。皆は富田林に向かったようだ。ま、あちこちで休憩し、あれやこれやと近況を話ながら、ゆったり時間がすぎていく。おっさん4人で紅葉狩りしても、寺社参拝しても、自転車あってのことなので、違和感なし。と4人のなかでは、おもっているが、傍目には、違和感ありなのか…..。

孫の七五三を地元の清見原神社で参拝する。5歳と3歳の男の子なので、ジャストタイミング。自転車で急いで帰って、お風呂に入って、服着替えて、神社に向かったら、ギリギリのタイミングで、ちょうど、宮司さんが記念写真を撮ってくれているグッドタイミングだった。

地元のこの清見原神社の改修を三代にわたって携わらせて頂いている。今年は、コロナ禍の間に、お稲荷さんを祭っている春高稲荷社を改修させて頂いた。今日の七五三を祝う長男タカノリが担当した。ジャッキアップし、土台や腐った柱を根接ぎし、建物の歪みを修正した。屋根もやり替えた。木造建築の面白さに、時間軸を積み重ねながら、古いものと新しいものが、混じり合っていけるところがあって、それゆえに古めかしさとか伝統のようなものが持続するのだろう。清見原神社では、祖霊殿は新築し本殿は増改築した。神社のなかのそれぞれの建物が時間軸を積み重ねながら共存している。工事中の様子はこちら →

なんて書いてみたら、伊勢神宮は20年ごとに新しく建て替える事が最大の行事で、そのことによって、なにか目に見えない伝統のようなものを継承していくのだから、費用面も含めて、とてつもないシステムだなと、あらためておもえてきた。

そうそう、生野区では廃校になる小中学校が多数あって、伝統が途切れるのだけれど、それは単に住民の高齢化ということだけでなく、子育て世代にとっては、生野区が魅力的でないからだろう。ま、そんな生野区を若い世代にとっても魅力的な町として盛り上げようということで、廃校になった鶴橋中学校で、この土曜日日曜日に、「Creema×いくの みんなの文化祭」という名称で、マルシェというかマーケットが開催された。生野のものづくりのひとたちもブースをだしているので、お邪魔した。

そのなかで、アルマイトの電解研磨の技術を持つ、電研のキリシマくんのブースがあって、アルマイト処理をしたキャンドルを売っていた。ちょうど前日、あるリフォームの打ち合わせで、キッチンの壁に、ステンレスでなく、電解研磨処理をしたアルマイトのパネルを貼れますか…..っていう要望があって、電研のキリシマくんのことが脳裏に浮かんでいたので、グッドタイミングだった。なので、電解研磨処理をしたアルマイトのキャンドルを買って、それを眺めながら、いま、気付いたが、そうか、一度行きたいとおもっていた「すみだ北斎美術館」の外装パネルが電解研磨処理をしたアルマイトパネルなのか…..。ステンレスの光沢とは違う、ちょっと柔らかい光沢が独特なのだろう…..。

そんなこんなで、ひとりで、電解研磨処理したアルマイトのキャンドルナイトを楽しんでいる、勤労感謝の連休の夜。なのだ。

水圧転写というものづくり

「水圧転写」ワークショップがあった日曜日。水圧転写というのは、水槽の上に、デザインを印刷したフイルムを浮かせ、その水槽に「モノ」をつけて、そのフイルムを纏わり付けることで、「モノ」の上に、さまざまなデザインを立体的に施すことができる技術で、もともとは大日本印刷が特許をとったとか。それを生野区にある「ビッグワンズ」という会社が、特殊なフイルムを開発し、汎用的にさまざまなモノの上に、立体的にデザインを転写できるようになったそうだ。

ビックワンズさんの工場にお邪魔すると、建築関係の「モノ」としては、マキタの電動ドライバーが、こんなふうに装飾されていた。現場では、どれがだれの電動ドライバーか迷うことがあるので、こんなのが簡単にできれば、電動ドライバーにも大工の個性が反映し、楽しいだろうが、水槽に浸すので、ドライバーを一度分解してからデザインを施すそうで、タイヘンなのだと…..。

生野区ものづくり百景」の縁で「ビッグワンズ」のマツイくんと知り合ってから、暫くすると、うちの長男タカノリとマツイくんが親しくなって、「木」を使った水圧転写のワークショップを二人で模索しはじめた。水に浸すので、「木」との相性は余り良くないらしいが、兎に角、挑戦してみようということになって、近くに住むデザイナーのサッチーに依頼し、手で持てる大きさで木の小さなテーブルをデザインしてもらった。当日、参加者それぞれが、その2枚のテーブル板に、あらかじめ用意されたデザインのフイルムを使って、それぞれなりの編集作業をし、テーブルを完成させて、いろいろな角度で組み合わせてみると、こんな感じになった。


水圧転写と建築の若い二人の職人が、模索しながら始めた、初体験のたたき台的なワークショップだったので、こーしたらエエかも。あーしたらエエかも。と次回開催に向けて、課題を模索する姿がエエのだろう。これをきっかけに、さまざまな、ものづくりの職人さんとのワークショップを企画してみたいものだな。

そうそう、「まちのえんがわ」から「ビッグワンズ」さんへ、自転車で移動する道中に「リゲッタ」さんの会社の裏を通過すると、タカモト社長が、ひとりで、木型のものづくりを楽しんでいた。普段は社長業でデザインできる時間がないので、日曜日のこの時が、前の夜からワクワクし、朝からお昼ご飯も食べず一心不乱でものづくりをしていたそうだ。その姿、ちょっとカッコエエ。夕方、帰りに立ち寄ると、まだ、やっていた…..。


ちなみに、今年初め、地元生野区から世界に向けて「楽しく歩く人をふやす」をコンセプトにする、リゲッタ生野本店の店舗造りを、木村工務店の設計施工で協力させて頂いた。

「日本のものづくり」なんていうコトバのイメージが、これから、どんなふうに変化していくのだろうか…..と、ふとかんがえてみた、日曜日のワークショップだった。そうそう、ワークショップ終了後は、家族と共に「まちのえんがわ」のアオキさんも交えて、慰労会をし、先ほど製作したテーブルが、こんな感じで活躍した。


三輪さん

気が付けば、落ち葉の季節になって、庭の桜も紅葉と落葉の日々。

文化の日があった週。その「文化の日」という意味とその印象が薄い祝日。ほんとうは、この日が、日本国憲法が発行された日らしい。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だという。明治天皇の誕生日らしい。なので憲法と天皇を切り離す必要があってこの日を憲法記念日とせず5月3日を憲法記念日にし、この日を文化の日としたらしい。なんてことを深く考えることもなく、休日として過ごす。

それにしても、日本の首相の交代。都構想の住民投票の動向とその結果。アメリカ大統領選挙の動向とその結果。そんなのが、この文化の日の前後に重なって、民主主義とか、議会制民主主義とか、住民投票とか、アメリカの大統領選出方法とか、日本の首相公選制度とか。そんなのを考えてみる機会になったのが、良かった。

文化の日。久しぶりに朝からサウナにいって、「ととのう」。ま、このコトバ、ちょっと気取っているので、よー使わんのですが、そういう心境になるのは確か。昼から中途半端に時間があって、自転車で大阪城にいって、スタバかパン屋のビールで、Kindleで本読みしようとでかけたら、自転車の鍵を忘れて、周辺に駐輪できなくて、困惑してしまう。そうそう、最近うちがリノベーションした、山岡金型製作所の店舗のオープン日だったので、ここから自転車で5分ほど、そこに立ち寄ることにすると、偶然、長男家族が孫達も連れて、お祝いに駆けつけたタイミングで出会した。孫達の戸惑いと喜びの入り交じった表情に和みながら、皆さんと、あーだこーだと会話をする。

 

「大正12年眼鏡用金型の製作に成功して以来、眼鏡金型一筋に研究開発してまいりました。眼鏡フレームは3次元の複雑な自由曲面の集合体である為、変形したパーティングを有する金型の加工技術を長年に渡り蓄積してきました。多くの有名ブランド・メーカーから支持して頂いております。その時代に応じた独自の金型製作の方法により、末永く世界の眼鏡業界に通ずる金型を創造し作って行けることを願っております」

なんていう、眼鏡金型の世界では有名な会社だが、これから先を見据えながら、インテリアショップのような、雑貨屋さんのような、ものづくりのアンテナショップのような、そんな縁側的なお店を運営しながら、眼鏡金型の新しい縁を模索していこうとするらしい。ワタシ、アウトドアーで使える革紐のエプロンを購入しました。

そうそうワタシ、還暦を1年ちょっと過ぎてしまったが、奥方もその仲間入りすることになって、長男家族が、うちの家で、夕食を振る舞ってくれるという。なので、ワタシの出番はどうするのか。サプライズで喜ばすのが苦手で好みでもないし、この歳になると、中途半端な贈り物をすると、逆ギレされるかもしれず。今週は、探るような、好みの同意をもとめるような、そんなコミュニケーションを繰り返すうちに、なぜか、「三輪さん」に行こうということになった。正式には「三輪明神 大神神社」おおみわじんじゃ。というらしい。

「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山にまつられることを望んだとあります。」「大国主は国造りの大業を完成されたうえ、天照大神に争わずして、国ゆずりをなされた方で、 その誠に感謝なされた天照大神が全国の諸神に命ぜられて、壮大なる宮殿を造営なされたのが、出雲大社の鎮座の由来です。」「国ゆずりの後は、政事(まつりごと)は天照大神の子孫があたり、目に見えない世界のことは、大国主が司ることになった」「ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。」

なんていうエピソードは面白いし、昔からちょっとした好みで、そんな視点で何度か旅をした。こんな企業経営もどこかにありそうだ。っておもうが、ま、そんなこんなで、有名旅館でもなく、豪華プレゼントでもなく、イタリアンもフレンチも寿司もなく、三輪さんと三輪そーめんで、還暦のお昼を祝うことになった。

マゴ達を交えた夜の還暦家庭ディナーに感激する奥方だったが。このコロナ禍。都構想住民投票。首相交代。大統領交代。世界的な政治経済文化の変化によって、ライフスタイルはどうのように変化するのだろうか。家造りのこと。家族のこと。会社のこと。そんなのが三輪さんで、よぎっていった…..。

住民投票の日曜日。

住宅相談会があった日曜日。コロナ禍になって、3月以降、相談会でフェースtoフェースでの参加者がほとんどなくなって、この先、いったいどうなっていくのだろうかとおもっていたら、シルバーウィーク以降、急に、住宅の相談にお越しになる方々が増えた。

それぞれにとって大切な家造りをどうしようかと悩んでおられるのは、単に、新しい土地を取得して新築するとか、新しいマンションを取得するとか、いや、中古の住宅やマンションを取得してリフォームするとか、そんな相談よりも、受け継いだ土地と建物、いま両親が住んでいる建物、これからシニア世代として住んでいく建物、それらを、これからのライフスタイルを考えて、どのようにリフォームし、どのように新築し、どのように活用していけば良いのかと、悩んでおられる方々が増えているようにおもう。

もちろん、いままでだって、同じ事なのだが、でも何か、少し、ムードが違う。ビフォーアフター的な劇的性を求めているというより、地に足ついて、自分達のライフスタイルと趣味嗜好をより良く反映できる家造りを求めている…..といえば良いのだろうか。

土曜日の午前中にお越しになったAさんは、大阪の町のど真ん中で、昭和初期に建てられた両親が住んでいた家を、若い夫婦二人の住まいとして、耐震性や温熱環境も考慮しながら、快適な住まいにしたいという。ま、こう書くと、いたってフツウだが、ここ数年のこういう依頼の多くは、接道が狭く長いとか、一軒家だが隣家と密接していて施工しにくいとか、なんだかんだ、厳しい条件の案件が多いのが特徴。

日曜日の午前中のBさんは、以前にも内装替えのリフォームをさせて頂いたリピーターのお客さんだが、これからシニア世代に突入するにあたって、快適な住まいを模索しておられるが、快適な寝室と収納と洗面所など、収納に対する要望も多いが、成人したお子さんや孫さん達など人が集まって一緒に食事ができる場所を造るというのが、これからのシニアリフォームの特徴のひとつだろう。また、それだけでなく、いま所有している空き家になった文化住宅をどのように活用するかという相談もあった。

シニア世代の方々のなかに、受け継いだ、空き家になった借家を、どのように活用すれば良いのか悩んでおられる方も多く、ワタシも生野区で「空き家カフェ」という、空き家問題をどのようにしていくかという、行政も交えた、ミーティングを毎月19日に開催しているが、簡単にすぅーっと解決できるような特効薬はなく、いろいろな立場のひと、それは不動産屋、建築家、工務店という建築の専門職だけでなく、ファイナンシャルプランナーや行政書士や借家オーナーや大学の先生や生徒、さまざまな特定非営利法人、などなど、チーム的な協働によって、ようやく解決できるような、複雑な要件が、「纏わりついている」のが現状だ。

午後からのCさんは、若い夫婦と幼児を連れだってお越しになられたが、奥さまの実家に移り住んで、母や祖父やお兄さんとの同居を考えておられるとのことだった。同じようなシチュエーションの依頼が他に3件ほどあって、ご主人の実家だったり、さまざまだが、単に住まいとしての2世帯住宅を造るというだけでなく、介護や子育てのためだけでもなく、それぞれのライフスタイルのちょっとした違いを活かすリノベーションを求められているのだろう。

午後からのDさんは、ご夫妻でお越しになられたが、ご主人はヨーロッパ出身の方だった。奥さんのご実家の住宅を耐震リフォームする依頼だったが、敷地の別棟でご両親が住んでおられ、別棟でご商売の工場もある。そういえば、職住をともにした住まいのリノベーション依頼も多い。職のなかには農家のひとも含まれているが、職住一体の住まいに対するアレルギーのようなものが、このコロナ禍のテレワークなどで、薄らいでいるようにおもうし、住む場所と働く場所を移動することによって、オンとオフのような切り替えをする時代ではなくなっていくのだろう…..。

そうそう、大阪都構想の住民投票があった日曜日だった。このブログを書いている現在、結果は判明していないが、はんなりとした柔らかい大阪弁を話した生粋の大阪人の祖母を持つ大阪人のワタシとしては、そういう大阪の文化圏が、大阪商人を生んで、経済的発展があったようにおもい、大阪の文化圏のようなものが分断される寂しさと憤りのようなものも感じる。「まぁやってみなはれ」的な新しいことにチャレンジする精神も大阪の文化にはあり、そういう意味では、ほんまかどうか、よーわからんところあるけど、とりあえずやってみよかぁ。みたいな気分もあって、賛成反対五分五分の気分が投票間際まで拮抗していた。こうなったらサイコロで運命決めて、その決まった方向で頑張ろか。ぐらいエー加減な気持ちもあるわけで、さて、結果がどうなるのか、ちょっと楽しみ。

心の光りとしての照明器具。ライフスタイルの幅を広げるアウトドアー製品。

秋晴れの日曜日。ほんと雲ひとつない青空で、気分爽快。

昨日は「ものづくりセッション」を開催した土曜日で、コロナ禍になって以来、9ヶ月ぶりの開催だった。何人かのひとから早く開催して欲しいという要望もあったが、この催しを取り仕切っている、タケダさんの仕事上の都合も加味し開催を躊躇していたが、ようやくいまの日本のコロナ禍の雰囲気を考慮して、限定30人ということで開催するコトになった。

「ものづくりセッション」というのは、おもに生野区のものづくり企業の若いひとたちが中心となって、デザイナーや商工会議所のひとや学校の先生など、さまざまな職種のひとが参加するなかで、自分の会社のコトや自分自身のコトを皆さんの前でプレゼンしながら、その内容に、皆で、突っ込んだり、共感したり、憧れたりしながら、ものづくりのエネルギーを共有するリラックスしたセッションで、この雰囲気に馴染めるひとたちにとっては、楽しみな時間でもある。

人と人が繋がることで、出会えなかった技術と技術が繋がっていく、そんなプレゼンに遭遇すると、「ものづくりセッション」をやって良かったなぁ…..とおもう。そうそう、照明器具デザイナーのワシズくんのプレゼンで、ルイスポールセンのアーティチョークの話題があって、うちの奥方が、エルメスの鞄を買うのであれば(それ買うのもタイヘンなんですけど)私はこの照明器具を買うわ!っていう男前な発言があって、実際購入し、うちのキッチンの上に鎮座しているのだけれど、「ものづくりセッション」のあと、その実物を実際に見てみたいと言うことで、案内した。内部から見たあと、皆で外から格子越しに眺めてみた。ワシズくんは、心の光りにもなる照明器具を造りたいそうだ。

夜の気温が低くなってきたので、アウトドア薪ストーブで、ピザを焼いた。最近、アウトドアーの面白い製品が沢山あって、新保製作所のロマンチカ薪ストーブの上に乗っかっているのは、尾上製作所のピザオーブンで、購入して、今晩が初挑戦。こんなので上手くピザが焼けるのか不安もあったが、フツウの冷凍ピザでも美味しい。オーブンなので、手羽先も焼いてみたが、美味。ただ、250℃の温度を保つには、そこそこの薪の量が必要で、オーブン付きの薪ストーブの方が効率良いのだろうなぁ。


 

そうそう、プロ仕様!極厚バーベキュー鉄板厚6mmなるものもネットで購入した。肉だって、お好み焼きだって、格段に味が変わる。こういうのが、道具屋筋などに行かなくても、ネットで吟味して買えるのが、あらためて凄いとおもうし、ライフスタイルの楽しみ方に幅ができる時代だなとおもう。

そうそう、さきほども話題にだしたが、こういう薪とか炭とか意外に手間がかかるし、効率が悪いところもあって、もっと気軽にできるものがないのかと探していたら、最近のひとりキャンプブームで、面白い製品がいろいろあることを知る。で、こんな、ひとりキャンプ用のストーブと一発着火で二人分ぐらいの肉が焼ける炭を購入した。ちびちび焼いてちびちび食べてちびちび飲むにはとっても便利。それと後片付けが簡単なのが嬉しい。

そうそう、最近のアウトドアーで、いちばん、良いなぁっておもうのは、食べたり飲んだりをロースタイルですることで、つい最近の木工家賀来さんのワークショップでも、ロースタイルのテーブルと椅子を製作した。うちの家をリフォームした時も、アウトドアーのデッキスペースは、庇の下で、薪ストーブを置いて、ローススタイルで楽しみたかった。最初はヘリノックスタイプの椅子や、ワークショップで製作したロースタイルのヤベチェアーを置いていたが、最近は無印のビーズクッション小が定番になった。家庭の庇のあるアウトドアーデッキには最適で、いつか、アウトドアー用の無印ビーズクッションがでないかね。

心の灯火になるような照明器具。ライフスタイルの幅を広げるアウトドアーグッズ。「ものづくりセッション」に参加した、それぞれが、それぞれなりに、そんなことを模索しているのを知って、あらためて、これからの時代のありようを考えてみた。

ものをつくるエネルギー源

天気が回復した日曜日。木工家の賀来さんによる、スギの小幅板を使って、家具を製作する、まちのえんがわワークショップを催した日曜日だった。いままでの木工系のワークショップは、デザインを固定し、材料の寸法切りはこちらで済ましておいて、組み立てだけをするワークショップで、昼からの半日で開催していた。

今回は木工家のカクさんオリジナルのワークショップで、最小限の製作ルールと製作手法を共有し、杉の小幅板を材料として、手鋸で材料切りし、金槌で釘打ちして、椅子や机などの家具を造るという、オールドな手法ながら、それぞれが自分の欲しい家具を、デザインから考えて製作するので、午前10時から午後5時まで、たっぷりと一日を費やすハードなワークショップだったが、完成してみれば、とっても充実したワークショップになった。

オトナの参加者のなかに、小学校4年生の男の子がお母さんと一緒に参加していたが、将来は建築をやりたいという。ワタシなど、工務店の長男に生まれ、建築学科の大学に通いながらも、建築をやる決心というか、家業である建築を継ぐ、なかば諦めような決心がついたのは22歳頃だったようにおもう。そのお子さんのような夢を持てる子は、なんとなく神からのギフトのような気がするし、そのギフトを楽しんで受けとれて持続できればエエよね。なんてそんなコトを考えさせられたワークショップだった。

自分でデザインを思案し、机に棚がついた家具をスケッチして、それを製作することになったが、お母さんは、娘さんを同伴しながら、側で見守っていた。うちの長男タカノリの息子、ワタシにとってはマゴの同級生のお兄さんだということで、その都度、カクさんもタカノリもワタシも、鋸を持って切ったり、金槌で釘を打ったりしながら、サポートをしたが、飽きることも諦めることもせず、独力でやり遂げようとするその姿勢に、私たちが、プリミティブで、清らかなエネルギーを頂戴したような気分だった。

   

製作見本は、アウトドアーやベランダなどで使える、低いテーブルと低い椅子だったが、参加者11名の誰ひとりも、それと同じような椅子とテーブルを作る人がいなくて、それぞれが、それぞれなりの、オリジナルな家具を製作したコトが、少々の驚きで、完成した家具のデザインや施工のクオリティーを眺めながら、それぞれのちょっとしたライフスタイルの違いを丁寧に建築化できる工務店でありたいものだぁ…..なんておもった。

  

そうそう、昨日は雨が降りしきる土曜日だったが、鉄骨造住宅の上棟式があった。コロナ禍なので、皆で上棟の儀式をし、御神酒で乾杯して、職人さんを紹介する、宴席のないショートバージョンの上棟式だが、感謝と祝福のエネルギーを、新しい家の構造体の中に、「転写」できればエエよね。とおもうのが、上棟式での私たち施工者の立ち位置なんだろう。なんて、ワークショップで、フツウのひとたちが、ものづくりに一生懸命になるエネルギーに接すると、プロとしてどうあるべきなのか、考えさせられるなぁ…..。

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