令和コロナ禍天皇誕生日スキー

梅は咲いたか桜はまだかいな。みたいな気分になってきた。うちの会社の前にある長屋の梅の蕾が開花間近だ。2月28日日曜日。大阪では明日から緊急事態宣言が解除されるらしい。だからと言って急に開放的な気分になって騒ぐわけにもいかず。今年も社員と職人さんとのお花見の宴は自粛せざる負えないだろう。

協力会社の精親会では、総会や旅行やゴルフ会は、昨年は一度も実施出来ず、今年も危うい状況。なので、全員参加によるzoomミーティングを、なんとか開催しようと提案し、最初は役員だけのミーティングでスタートしたが、今週は参加可能な協力会社によるお試しzoomミーティングを開催したところ、約三分の一の10社が集まった。これが多いのか少ないのか。現場からそれぞれの事務所に戻ってこられる時間帯の夕方5時半から30分ほど、短時間だったが、最低限必要な情報交換はできて、ひょっとして、コロナ禍が過ぎてからようやく活性化されるのが、建築関係の協力会社とのzoomミーティングかもしれない。設計者が職人さん達とzoomでミーティングできるのは案外便利だとおもう。

令和になって2月23日は天皇誕生日になった。確か平成は12月23日だった。23に縁があるのだな。平成は、年末の押し迫った時期でクリスマスも絡み、建築の仕事に携わる立場では、年末の引渡しとも絡んでくるので、祝日として現場を稼働させることができない時もあって、祝福しつつも微妙にブツクサ呟いていたものだった。令和になっても、2月が28日までしかなく、月末の職人さんへの支払いやその他月末仕事に追われるので、この2月23日の祝日は微妙に仕事の邪魔をするのだが、今年のように雪のある年は、スキーをするには絶好な祝日だと気づいた。

その天皇誕生日。マゴを連れて、スキーに行くことになった。親は付いて来ないという……。一瞬えっ!と思ったが、一週間ほど前に、マゴに軽くつぶやいた、スキーに行こかぁという一言に、想定外の喜びを表現され、前日からテンションマックスだった。2人っきりは不安なので奥方に同行を懇願する。日本で最も新しいスキー場だという峰山高原スキー場に向かう。2時間ほど。もちろん初めて。スキーデビューの初心者向けのスキー場らしい。シニアは6時間で2,500円だった。安い。5歳のマゴをスキースクールにほり込む。4,000円也。3つのコースの中のウエストコースだけをスクール終了待ちの間に滑る。あっっという間に平な斜面になるコースだが、最近のスキー板を使ったカービングターンの練習には手頃か。いやでも短すぎる。ま、そんなのはどうでも良くて、こんなスキー場が流行るのかどうかに興味があったが、ちょっとリフト待ちになるぐらい、家族連れで混雑していた。凄い。こんなところにビジネスチャンスを見つけるなんて、オモロイですな。

 

マゴのスクール終了後、一緒に食事をすると、家族連れか、ジィジィバァバァ連れ家族かで、和やかなムード。これはこれで良いのだとおもう。新しいスキー場だから、もう少し食事スペースが優雅になって欲しいが、食堂の域を脱しないのは致し方ないのかね。ムービングウォークなるものを使って、マゴとスキーの練習をする。こういうのが意外と楽しいのだ。我が息子の時より、丁寧に優しく我慢強くなれるのはなんでなんだろうかね…不思議だ。隣接する温泉に入って、家に帰り着いても夕方5時だった。また連れていって、ここを卒業したら、岐阜や信州や北海道へ一緒に行こう。なんていう気分になった。さて、こんな需要は増えるのだろうか…。

森と木と製材所

春だ。2月なのにそんな日曜日。家にじっとしていられない、外に出たくなる陽気だったので、午前中自転車に乗って、昼から銭湯に行って、夜は家のアウトドア薪ストーブで肉を焼いてソトメシで過ごす。頭をまったく使いたくない、体を動かしたい気分の日曜日だった。こんなに春が迫ってくると、あっという間に2月が逃げていきそうだな。

今週木曜日。寒波到来のなか、久しぶりに吉野へ行くと屋根には雪が薄っすら残っていた。昔は大阪から吉野まで車で2時間以上かかっていたが、今や木村工務店から吉野の阪口製材所まで1時間15分ほどで行けるようになって、吉野材がより身近な存在になってきた。S邸新築工事の構造材で化粧になる梁を阪口製材所の吉野杉で取り揃えることになって、その材料の検品と木取りのためにお伺いする。お施主さんも現地で待ち合わせをした。木村工務店の若い設計者や現場監督も吉野未体験なので、私を含めた6人で見学を兼ねてお伺いすることになった。

木造のダイナミズムのひとつに、「森」の「木」が伐採されて製材所に運ばれ、「木」が製材されて「木材」という材料になり、その「木材」を「大工」が加工し、家を支える「構造材」として、建築の中に組み込まれ、家族の安全や居心地の良さを育む。そういう国産材の家が街並みを形成することで、お客さんの支払ったお金が、製材所に還元され、山師に還元され、木を育てることに、森を育てることに還元される。森を育てることが、美しい川を育て美しい海を育てることにもつながる。そういう「自然」と「人間」と「暮らし」のダイナミズムのような図式を15年ほど前に教わった。吉野の製材所に行く体験が、そういうダイナミズムを感じる機会になれば嬉しい。というのが今回の最大の目的であったようにおもう。

現実は、価格の問題で、国産材だけを使う機会がとっても少ないのが現状でもあるが、コロナ禍で家づくりの流れが一旦静止させられ、見直す機会がやってきた感もあり、いまこそ再び、若い人たちが、そういう国産材の家づくりが持つ、自然と人間と暮らしの良き関係性を目指しても良さそうにおもえた。

吉野の阪口製材見学のあと、すぐ近くの坂本林業さんに見学に行く。阪口さんはスギの構造材が得意で坂本さんはヒノキが得意な製材所だ。モダンなスギの家も魅力的だが、モダンなヒノキの家も魅力的だとおもう。お昼をまわり、吉野山に柿の葉寿司の昼食に行くと、ほとんどのお店が閉まっていた。テークアウトしか出来ず、それを買って、金峯山寺をサッと見学し、吉野川のほとりで皆で食べた。その後、坂本さんのご好意で、長谷川豪さん設計による吉野杉の家を見学した。写真で見る以上に素敵な空間だった。そういえば一階がスギによる空間で二階はヒノキによる空間だった。

 

 

こうなったらついでに、大阪に帰る前に、杉の床材を仕入れている吉野の丸岡木材さんにも立ち寄ることになった。MC機械も導入され、どんどん加工が多彩になってきた感じ。杉や桧という植林された木々が、山と川に囲まれた製材所で、どのようにして加工され、木材として家づくりの構造材や床材になっていくのか。その過程を見ると、何回見ても、なんだか嬉しい気分になる。暫く忘れていた感覚だと気づいた。「すでに起こった未来」なんていうコトバがあるが、家づくりもいま一度、いろいろなコトを見直していく時期なんだろう。

いのちを生き生きと生きる。

もはや春なのか。そんな穏やかな2月の祝日と日曜日。11日の建国記念日祝日の朝。2ヶ月ぶりに運動がてら自転車に乗る。十三峠をヒルクライムしフラワーロードから朝護孫子寺に行くと、2月は寅祭りだった。黄色い虎がびっしりと飾られている姿が、カワイイ。コロナで行事は中止だとか。寅の年寅の月寅の刻に聖徳太子が信貴山で戦勝祈願し毘沙門天が現れ秘法を授けられたとか。寅がキーワードで独特な空気感。

2月10日夕方。初午祭をささやかに催す。木村工務店では、毎年、初午祭として、会社にお祭りしているお稲荷さんに祝詞を捧げ、商売繁盛と安全祈願をした後、職人さんを交えた協力会社の方々と共に宴会を催すのが伝統的行事だった。昨年は、緊急事態宣言前で滞りなく催せたが、流石に今年は無理なので中止する予定だった。ところが社員の中から、宮司さんに来て頂いて、祈る神事だけはやろう!という意見が出て、社員と協力会社の精親会の役員4名だけが参加しての初午祭となった。2月最初の午の日に稲荷大神が稲荷山に鎮座した日らしい。午がキーワードで狐が鎮座するやっぱり独特の空気感。

 

お正月の神社参拝では、コロナ感染を危惧して神酒拝戴を躊躇したが、今回は、お神酒による乾杯だけは執行った。慎重をきしながら、宮司さんからお神酒を注いでもらって、乾杯(イヤサカ)と皆で唱和しお神酒を飲み干した。なんでこんなちょっとくだらないような話を書くかと言うと、「乾杯」という所作が、あるのとないのとでは、エネルギーの発露が全く違うコトに気づくのだった。祈って内面化されたエネルギーが、乾杯(イヤサカ)という発声と共にお神酒を飲み干す所作によって、そのエネルギーが外へ向かうのだな。なんて感じたニュアンスを皆でつぶやきあった。

清見原神社の宮司さんが、「祈り」とは、「イ」=「生きる」で、「ノリ」=宣りで、いのちの宣言であり、いのちを生き生きと生きる宣言である。なんて仰って。コロナ禍の印象に残るコトバと初午祭となった。お供物として稲荷寿司を奉納するのがうちの決まりで、それをお下がりとして、11日祝日に美味しく食べて、うららかな春のような祝日のお昼を過ごした。

今日、2月14日日曜日は、バレンタインデーで、いつもの好きなチョコレートを奥方から貰って食べる時、包装紙の裏のクレジットを何気なくみると、生野区巽北で製造されていると知って、ちょっとビックリ。何年も食べ続けていても、味とかデザインだけ気になって、誰が何処でどのようにして作っているのか、そんなの気にしていないのだな。その誰がどのようにしてもの造りをするのか。というより、大工は木という材料をどのように道具を使って木組みするのかを教えてくれた、沖棟梁のお通夜が、今晩あった。90歳の大往生だった。自ら造った自宅で亡くなり自宅での神式のお通夜だった。入院を拒否したらしい。亡くなる前まで図面を書いていたらしい。85歳でも時折現場で作業をしていたらしい。うちの初午祭にも何度か参加してくれて遅くまで語り合った。新年会に参加してくれた時は、大工の皆が、棟梁の周りを取り囲んで正座しながらその話しを聞いていた姿が印象的だった。ウクライナに茶室を造りに行く時はベレボーに法被を着てサスペンダーに雪駄で飛行機に乗って日本人の大工として外国に出向かうのだと言い放ったそうだ。エピソードには事欠かない。

沖棟梁は、清見原神社の増築工事の時、うちの加工場で、1年かけて手加工をし、1年かけて現場で造り上げた。その加工場での一年間でうちの大工も社員も多くのコトを学んだ。何よりも、大工は道具から作るのだと、時には鍛冶屋のように溶接をしていた。6角形の柱を丸太に加工するための道具造りを加工場で始めた時の姿は鮮烈な印象として残る。昨年自転車で門前ライドをした時は、唐招提寺の丸太を見ながら、沖棟梁がうちの加工場で丸太を手加工していた姿が蘇った。古の大工さんたちも、その当時の道具を使いながら手作業で木を削っていたのだ。吉兆の事件で女将がつぶやく姿をテレビで見た翌日は、吉兆の座敷を造作した時のエピソードを面白おかしくかつ哲学的に語ってくれた。

ありし日の動画が残る。その日時間が空いていたらしい。81歳。運動がてらフツウの家のフツウのテラスのフツウのパーゴラを手加工してくれた。その佇まいと静けさに心うたれた。合掌。

 

 

月明かりと照明器具

春のような陽気だった今週の夜。居間の電気を消して、寝るために寝室に向かおうとすると、床にほのかな明かりがあって、不思議におもう。電灯消したはずなのに。振り返って、中庭の窓越しに空を見上げると、お月さん。久しぶりにお月さん見たかも。お月さんの光ってなぜ気分を独特な静けさにさせるのだろうか。なんとなく月明かりに照らされた自撮り写真を撮影した。稲垣足穂的に、月が屋根をコロコロ転がって、うちの家に飛び込んできたような気分だった。お月さまに背中を押されているワタシ。

 

土曜日午後。大阪市立デザイン教育研究所。通称デ研の学生さん男女8名が2人の先生に引率されて「まちのえんがわ」へお越しになった。3日ほど前に、唐突に、生徒さん連れて遊びに行きますわ。っていうメッセージを頂戴し、丁度、予定が空いていたので、気軽にエエですよ!とお答えしたものの。当日、照明デザインを学ぶ授業で、「まちのえんがわ」のコトや「工務店」のコトも生徒さんに説明してやって下さいと、無茶振りされて、全く準備してなかったので戸惑う。即興的に、うちの家の照明器具でも見てもらって間を持たそうと思いついた。

それに、うちの奥方が、VUITTONやHERMESの鞄を買ったコトを自慢げに話しをするような感覚で、ルイスポールセンのアーティーチョークを自分のお金で買ったのよぉ!と、ちょっと自慢げに語る姿を見てもらいながら、実物の照明器具を見るシチュエーションが面白そうなので、やってみるとその通りの盛りあがりになって、まずはヨカッタヨカッタ。

それよりも、もっと盛りあがったシチュエーションがあって、うちのダイニングテーブルの椅子は、ハンスウェグナーがデザインした別々の種類を8脚置いているのだけれど、それも、奥方が、30年ぐらいかけながら、ちょっとずつ集めたのよぉ!っというブランド自慢的要素で、ひとつのネタ話的に語るくだりが必ずあって、それでちょっと盛りあがった。同伴していた先生の薦めで、生徒さんがその椅子に座る姿を見ているうちに、思いついた。偶然、8人の生徒に、8脚の椅子。椅子取りゲーム的に、一脚座っては右に移動して、8個の椅子の座り比べをしてみよう!なんていう、学生っぽい遊びをすることになった。はい次移動。はい次移動。なんて8回左回りを繰り返して座り心地の感想を語り合った。全部座り終わってどの椅子が心地良いか聞くと、「ザ・チェアー」が一番人気だった。やっぱりなっとおもう感覚とともに、へぇー若い子でもこの椅子がエエのかぁ。みたいな少々の驚きもあって、なんだか楽しかった。

 

その後木村工務店の3階の会議室で、「まちのえんがわ」と「木村工務店」と「木村家」の説明をし、生徒さんひとりずつの「照明」に関するプレゼンを聞いた。インターネットによる画像取得とパソコンを使いこなす能力が18歳にしてもはや充分出来ている世代なので、なるほどねぇと感心させられたりして。そうそう、いま、これを書いていて、ふとおもったが、照明って、焚き火から生まれた。松明みたいに。っと書かれてあるが、「月明かり」を「家の中に閉じ込めたい」とか。「いつでも月明かりを家の中でオンオフしたい」みたいな感覚もありそうで。ローソクなんて、松明の延長線上でもあるが、月明かりを家の中に閉じ込めたい延長線上でもあるような。そんな感覚。

こんなふうに考えてみたくなるのは、その日の春っぽい陽気と、18歳の若いエネルギーのプレゼンを浴びたからだな。

インスタントドリップのデザイン

1月は行く2月は逃げる3月は去る。らしい。明日からもう2月だ。今年の1月は寒い。50歳を過ぎてから、運動の必要性を感じ、日曜朝ランニングを始め、それがいつしか自転車になって、なのにこの12月1月と朝の運動としての自転車に乗ることがなかった。この冬の寒い朝とコロナ禍と緊急事態宣言を言い訳にするワタシのメンタルくん。それよりもこれだけ雪があると、再びスキー熱がもたげてくる。道具と滑り方の進化で、シニアなスキーしたいなっていう気分になる。新雪パウダーも味わいたい。なんていう今年の冬。

庭の侘助が開花する。「侘び」とはなんぞや!っとその都度考えたりするが、詫びることが侘びに繋がった。なんて本で読んだ。侘しい…なんていうコトバは文章でしか「言った」ことがない。周りの広葉樹の木々が葉っぱを落とし、枝ぶりだけの冬の寂しい世界のなか、緑色の硬い葉っぱと、開花した侘助の薄ピンクの花の色合いと、冬の青空のコントラストが、そこわかとなく寂しい気分にさせるが、それをエエなぁとポジティブに捉える感覚が、侘助の楽しみ方なのだろうか。

唐突だが。木村工務店の社内に、給湯室はないが、給湯コーナーはあって、社員の気分転換のためにも、それはそれなりに大切な場所で、機能的には出来ている居場所だとおもう。ワタシは、毎朝、掃除などの朝のルーティンの後に、その給湯コーナーでドリップ珈琲を淹れるのが日課。それは、リフォーム工事をさせて頂いた、喫茶ルプラさん(最近公開されたYouTube動画をご覧ください)の縁で、毎月、メール便でコーヒー豆を送付してもらうようになって、社員がドリップ珈琲を淹れられるようにしてみたものの、ドリップを淹れる所作が面倒臭いので、使用率はかなり低いが、それでも時として気分転換には最良。

   

それはそれとして、この冬の時期は、年末に頂戴したお歳暮の中にコーヒーインスタントドリップが各種あって、午後3時頃の休憩時にそれをたまに楽しむ。で、いろいろなメーカーの製品をフツウのコーヒーカップで使ってみると、湯を注いでいるうちに紙パックが淹れた珈琲に接して、なんとなく気分が良くない。カップの縁に紙パックを支える紙の取手のような仕組みが、メーカーによって様々で、それぞれのデザインを知るのが、この冬のひそかな楽しみになった。

紙パックがカップの中の珈琲に浸るたびに、神輿風に紙パックをカップよりもっと上に持ち上げられないものか!とちょっとだけ不快におもっていたら、先日、頂戴したスターバックスのインスタントドリップを使うと、カップよりパックが上に持ち上がり機能的で、小ぶりで洒落ていて、ちょっと建築的で、小動物のようなデザインでカワイイ。コーヒーを淹れる所作が楽しいのだ。流石だな。

 

ポットから湯を直接注ぎながら、こういう工夫を弛まずする企業風土のようなものを見習いたいものだな。なんていう冬の午後の珈琲タイム。

こんな時期だからこそ。

しとしとと冬の小雨が降り続く金曜土曜日曜。なんだかちょっと寂しい気分。コロナ禍の影響も大いにあるし、訃報がふたつ重なったのもそういう気分にさせるのか。こういう雨も、こんな時節には、時として良い雨に思えてくる。

ひとつは、一昨年のヨーロッパ建築視察旅行で一週間同室だった島根県柿の木村の工務店リンケンの社長、田村さんが急逝したという知らせ。メルクリン&メカノのイベント時にはうちの会社と家まで来ていただいた。今度は近いうちに柿の木村を訪問したいなっとおもっていた矢先だった。こんな時期のこんな訃報。もうひとつは、ご近所で、同級生の母で、うちの親父が生前中は、町内会のお世話を仲良くしていたり、リフォーム工事もさせて頂き、もう高齢だが、毎年年末に配布する木村工務店のカレンダーをお届けすると、お礼がてら、あれやこれやの話題を持って会社にお見えになってお話しするのが、昨年末はお見えにならなくて、どうしてはるんやろ。っと経理のコバヤシくんと話していたところのこんな時期のこんな訃報だった。

そうそう寂しい気分でなんとなく思い出した光景が、先週、久しぶりに、アルファヴィルの竹口さん設計で、うちで施工した、高野山のゲストハウスkokuuにお伺いした。1月12日頃に大阪でも雪が降ったが、その雪がまだ残っていた。お昼なのに、人通りがほとんどない。この時期、日本人はほとんど来ないが外人さんが往来していたけれど流石にコロナでね。だそうだ。メイン通りにも空き家がちらほらあり、なんとなく寂しい光景ともいえるが、それでも凛とした空気感が漂い、独特に心地良いのは、空海さんのエナジーなんだろう。なんでも春にオーナー自ら人力車を運行するつもりなのだとか。空き家を一棟貸しにしてみようかな。とか。こういう時期だからこそ、新しい取り組みをいろいろ模索する姿が、エエよね。

そういえば、生野区でリフォーム工事をさせていただいた、楽しく歩く人を増やすをコンセプトにするリゲッタさんの店舗担当の方からメッセージがあって、こんな時期ですけど、コロナ対応をして、「まちのえんがわ」と木村家で、リゲッタのシューズを履いている撮影をさせてもらえませんかと。快諾し、その撮影に少しお付き合いする。お礼にと頂戴した、2月発売予定のインソールが、すこぶる快適だった。「生野ものづくりセッション」から生まれた製品らしい。たまたま今週うちの家にやってきた奥方の母が、外反母趾で苦労している姿を見て、そのインソールをお渡しすると、快適そうなので、このインソール入れて履いて帰るわ!っと。こういう時期だからこそ、まわり回っていろいろお役に立てたら嬉しい。

あんなショックこんな刺激を受けて、うちの会社でも、こんな時期だからこそ!の取り組みを模索していこうとおもう。

家を楽しむあれやこれや。

緊急事態宣言が再び発令され。にもかかわらず、正直、前回ほどの危機感が薄らいでいて、それではいけないよ。と政府やメディアが伝えるものの、いまいちピンとこない部分があって、確かに、コロナウィルスに感染したくないのに、この感覚なんなのかね……。交通事故が日常的に様々な形で伝えられているにも関わらず車に乗り続けている私。のような感覚に近づいてきたようにも思う。

そんな2度目の緊急事態宣言下の最初の日曜日。朝から、今年初自転車でも。サウナでも。なんていう気分もあったが、躊躇した。前回のブログに書いた「スキーと恐竜とカニ」の行動に対する罪悪感のようなものも忍び寄ってくる同調圧力的昨今。医療関係者に配慮した自粛という感覚も現実味がどんどん大きくなってきたし、スティホームを楽しむのが、最適な、いまなんだろう。

朝、ゆっくり起きて、珈琲をドリップで淹れることにする。そうするためには道具が必要だし、その道具の置き場所も必要になってくる。道具はインターネットで買えるようになって、外に買い求めに行かなくても、家に届くのが、あらためて凄いコトだとおもう。その道具の置き場所が機能的でちょっとカッコ良く収納できているのが、楽しいし、そういうのに工夫することが「家を楽しむ」コトのひとつなんだろう。

そうやって淹れた珈琲を飲む居場所が、椅子なのか、ソファーなのか、腰掛けるのか、座るのか、食卓のテーブルなのか、カウンターなのか、リビングテーブルなのか、ソト空間なのか、明るい場所なのか、ほの暗い場所なのか、あれやこれや。そんなのを工夫したり、DIYしたり、リフォームしたり、新築したりして、家での居心地の良さを楽しむのが、面白いし、そういうのが好きなゆえに、住宅設計に携わっているのだとおもう。

庭と縁側に繋がる木製建具の開口部があるダイニングテーブルに、奥方の珈琲も置いて、テレビをつけると、松本人志のワイドナショーがやっていた。なんとなく見入ってしまう。窓越しのソトの天気を見ると、晴れていて、そんなに寒くもなく、冬の穏やかな日曜日の日差しを眺める。テレビを見ながら、ワタシの正面よりちょっとズレて座る奥方。コロナ禍的座り方でもあって、お互いに、あれやこれやとツッコミいれあって、珈琲を飲む。なんでもない朝。なんていうのは、このステイホーム的日曜日がなければ、楽しめていなかったかもしれない。

昼から、iPadで、動画を編集する。お正月の家族の様子をiPhoneで動画撮影した。最近、YouTubeを見る時間が圧倒的に増えて、ユーチューバーが、簡単そうに動画編集をしている姿を見ると、写真だけでなく、動画を短く沢山撮影して、動画編集すれば良さそうだと気付かされて、この年末年始に試してみた。iPadの動画編集ソフトで、編集作業をしだす。ダイニングテーブルでの居場所をあちこち変えながら、ソトむいたり、ウチむいたり、そういういろいろ居場所を変える楽しさもある。

そうそう、先週、新築の計画で来社された若いご夫妻が、建築家・阿部勤さんの「中心のある家」が好きだという。ワタシも若い頃、何度も写真と平面図をみたので、打ち合わせ室のモニターで、ホームページ上にある写真や記事や動画をお客さまと一緒に視聴する。あらためて、いろいろな居心地良さそうな居場所があって、素敵だなぁ…とおもった。「リミックス」というのが音楽にあるように、建築にも、名建築のリミックス版があっても良さそうだ…。

午後3時過ぎ、「まちのえんがわ」に、木工家のヤグラさんが、電動ママチャリを1時間ほど漕いで、お見えになって、次回3月のワークショップに向けた打ち合わせをした。今日初めて外に出てみると、道路には、わりと多くの人が、自転車で往来していた。そんなのが、いまの市民感覚なのだな。

夕方、動画の編集にも疲れたので、アウトドアー薪ストーブで焚き火をすることにした。年末に剪定した楠木の枝が、薪としてまだ残っていた。家に残っている冷凍のピザとナンをオーブンで焼いた。長男の奥方のサヤカレーを少しお裾分けしてもらった。残っていた冷凍のタンを3切れだけ鉄板で焼いた。ビールとワイン。薪の炎は和む。漆黒の暗闇の焚き火も良いが、夕方、まだ少し明るいうちから、暗闇になっていく時間帯の焚き火も良い。気がついたら真っ暗で、焚き火の炎の色合いと、夜の冷えてきた身体に炎の暖かさを感じ、あらためて「火の力 」に気づく感覚。

こうなったら、家(スティホーム)を楽しむ、あれやこれやを、あらためて、発見したいものだな…。

2021仕事始め

1月6日が、木村工務店の仕事始めで、伝統的にそうで、ま、あまり深く考えることもなく引き継いできた。この日は、社員だけでなく、大工さんや手伝いさんや協力会社の精親会のメンバーも集まって、地元の清見原神社に参拝し、その後、新年会をするのが慣わしだったが、流石にこのコロナ禍、飲んだり食べたりするのは問題有りで、迷いもなく、新年会は中止することになった。

ただ、新年交礼会まで、中止するのどうか。それは少々迷った。「親しき仲にも礼儀あり」なんていう言葉があるように、やっぱり、新年だけは、正装して、きっちりと挨拶し合うのが、心も改まり気分が良い。普段の挨拶より、お正月効果で、よりピュアーな潤滑油が満ち溢れるような感じがするわけで、幸にも、加工場という大空間があり、50人ほどなら、間隔を開けて座ることで「密」も避けられる。ということで、清見原神社参拝と加工場での交礼会だけは実施することにした。

毎年、清見原神社参拝前に、社員だけで、3階の会議室で、新年の挨拶を兼ねた朝の集会をし、それぞれが年頭所感を語り、お正月の過ごし方を分かち合って、2021年の仕事を始めとする。毎年ワタシは、社員や大工さんや協力会社の方々の前で語るための「ネタ」のひとつとして、新建ハウジングという、工務店向けの専門誌の住宅産業大予想を参考にするのだけれど、2021年は「不易流行」「スモールエクセレント工務店」なんていう言葉が印象的だった。

確かに、「不易流行」というコトバによれば、断熱気密の高性能住宅というトレンドには率先して追従し性能値の高い住宅を造りながらも、工務店として伝統的な建築としての「きっちり」として「スピーディー」な「ものづくり」を継承していくことが、今こそ大切なんだろう。コロナ禍になって、ステイホームとして、家で過ごす時間が長くなり、家に居心地の良さを求め、そこにお金を費やそうという人も増えてきたように思う。「スモールエクセレント工務店」というコトバによると、小さい工務店だからこそ、お客様の要望を細やかに反映することが可能で、それゆえに、木造で、高性能で、自然素材を使った、ウチとソトが繋がる半屋外空間もあって、在宅勤務ができるような小さな居場所がある、そんなクオリティーの高い住宅を、親切丁寧に造る努力を継続していくことが、小さな工務店としての持続可能性に繋がるのだという。ま、社内的には、工務店としての設計力と施工力を精進する。というありきたりのコトバに帰着してしまうのだけれど、そんなこんなの言葉を交えながらの2021年頭所感となった。

 
 

そうそう、1月5日は、孫たちを含めた家族で、スキーをし、恐竜を見て、カニを食べるという、盛りだくさんでちょっとハードなイベントでお正月休暇最後の休日を締めくくり、一気に仕事モードに切り替える事にした。今日の日曜日は、10日戎の「戎っさん」で、大阪の商売人は、商売繁盛を願って笹を買うことで、福を呼び込もうとするのが慣わしで、こんな、あれやこれやの新年の「イノリ」を通して、2021年の木村工務店の仕事が本格的に始まった。

2021謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

コロナ禍で、ステイホームで、静かな2020年の年末が過ぎていった。何十年も木村家の行事として祖父や親父から繋いできた、年末の鶴橋市場と黒門市場に買い物に行くコトを躊躇して辞めた。と言っても、奥方は、フツウに手短くスゥッと鶴橋市場に買い出しにいった。想像以上にそこそこの人出だったという。

フグとかカニとかタイとかツクリとかをクロモンで買わなくても、大型路面店などいろいろな店が出来て、魅力が薄れてきたが、それでも、あの、活気の良い呼び込みの声にエネルギーをもらい、人混みに揉まれながら一年のストレスをリセットし、そこそこのお金を出して、海の幸を「市場」で買う「コト」が楽しいのだと思うし、代々伝えていきたい何かがあったのだろう。

海の幸を中心とした「自然の恵み」にお金を支払い、皆で笑顔で美味しいと言って食べながら、いろんなヒトやコトに感謝する。そういう「市場」で交換する「支払い」が「お祓い」となって、それが「ご利益」に繋がる。自然素材の家とか木の家なんていうのも、似通ったところがあるのだとおもう。なんていうことを本で読んだりしたのは、外に出ることを制限され、惰性のような外出の連続性が止まる事によって、家族が一緒に家で過ごしながら、テレビのお笑いやゲームなどに興じる笑い声がバックグランドミュージックとして流れるなか、静かに本を読んでだり、ネットをみたり、音楽聴いたり、ドキュメンタリーみたり出来たからだろう。

2021年1月1日の朝は、数寄屋の座敷でお屠蘇をし、その自然の恵みを体に頂戴して、神のゴリヤクを得た。その数寄屋の座敷にリフォーム後に仏壇が鎮座するようになって、「面影」のようなものも一緒に参加するよになった。その後、年末に予約している、地元の清見原神社の拝殿に座って、家族一緒に、新年のお祓いを受けた。昼からは富田林の奥方の実家にいって「身長180cm以上20歳以上の6人の息子達と2人の小さな男の子の孫」という長身の男だらけの親戚に囲まれた年賀を体感すると、ちょっと不思議な感じで、オレもまだまだガンバらなアカンなぁ……みたいな気分にさせてくれる。なんていうのが最近の1月1日のルーティン。

コロナ禍と共存するお正月。
2021年木村工務店をご愛顧賜りますよう、本年もよろしくお願い致します。

コロナ禍な年末。

 

今年最後の日曜日。うちの庭の手入れをしてくれている海平造園のウミヒラくんが、日曜日に関わらず来てくれて、楠木の剪定をしてくれた。今まで、何十年もうちの庭の造園から剪定までしてくれていた海平造園のオヤジは80歳前で、流石にコロナ禍とか、体力的にもいろいろで、それに高いところに登るのも危険。なので今年からは息子のウミヒラくんが担当する事になった。大きくなりすぎるのを如何に大きくしないように、カッコ良く丁寧に剪定するのかが、庭の木々にとってはとっても大切なコトで、塀で囲まれた庭の木が大きくなると「困る」っていうのは、とってもよくできた「漢字」だとおもう。

「商売と屏風(びょうぶ)は広げすぎたら倒れる」というのは京都商人のコトバらしいが、ワタシの祖父も祖母も同じようなコトバを事あるごとに呟いていた。最近のコトバではスモールエクセレントな企業。なんていうのが、おなじようなニュアンスなんだろ。木が大きくならないように、オヤジひとりでうちの庭を手入れしてくれていた、ある日、ムスコさんが、庭師として手伝うようになり、オヤジに厳しく教えられながら、オヤジの手元として働いていた姿が、いまや、オヤジに代わり、夜遅くまで楠木を剪定してくれる立派な職人さんになった。教育とか成長とか世代交代とか繋ぐとか持続可能性とか、そんなのを職人としても企業としても考えてみる2020年最後の日曜日になった。

そうそう23日の夜。コロナ禍ならではのZOOM忘年会が二つも重なり、ひとつは、コアリノベ研究会で、参加者は建築関係の熟女中心。もうひとつは、名古屋のコスモホームの鈴木さんが主催し建築家秋山東一さんを中心とする全国の工務店の社長中心で男だけ。おっさんばかりが集まると、女子には聞かれたくない会話になるのは、必然で、ミュートを使って、話が漏れないように気を使うワタシと、熟女の会話に心和むワタシ。精神分裂状態のようなコロナ禍デュアルZOOM忘年会は、まさしく今年を象徴するような出来事だった。

コロナ禍に始まりコロナ禍に終わる一年だった。というより、コロナ禍と共存するお正月を迎えようとしている。今年は、12月末になっても、落ち葉にならずに枝にくっついたまま紅葉している木々が多く、紅葉したままお正月を迎える木もあり、そんな現象があちらこちらで起こっているという。うちの庭のモミジは、いま紅葉真っ盛りだ。そんなちょっと特異な2020年の暮れ。

 

木村工務店では、12月28日から1月6日までお正月休暇です。コロナ禍と共存しながらも、エエお正月を過ごせるように、工夫したいものですね。今年もこのブログをご愛顧賜りありがとうございまいました。木村工務店ともども、来年もよろしくお願い致します。

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