「ウッドショック」らしい。

コロナ禍のゴールデンウィークが終わり、木村工務店では通常通りの仕事が始まった。問い合わせや新規打ち合わせは通常通りにあるが、何だか、現場のムードが微妙。猛烈な職人不足だった大工さん達も余り気味だ。何より「ウッドショック」と叫ばれている、外国製の木材の供給が滞っているのだ。プレカット工場は稼働をストップしているという。それで、木村工務店では、この状況に応じて、新築木造住宅の構造材加工を大工さんによる手加工で、2棟続けて行うことにした。

ウッドショックが発生した原因は一般に、米国内での新築住宅需要の増加や木材相場の変動、中国の経済回復などに伴う木材需要増、コンテナ不足といった国外の事情で、日本向けの輸入材と原木の供給量が大きく減ったことにあると説明されている。

木造住宅の木材加工を昔のようなやり方で、棟梁が、柱や梁に、墨付けという木材に印を付ける作業をし、その指示に基づいて、大工さんが一本づつ鑿(のみ)鋸(のこぎり)金槌(かなづち)鉋(かんな)を使って手作業で加工することを手加工と呼んで、若い大工さんの中にはその作業に憧れて入社してくる職人さんもいる。プレカット加工という大型機械による加工が主流になったいま、手間と金額が余計にかかる手加工をわざわざすることが、ほとんどなくなった。それに職人不足だったここ数年は、手加工に何週間も時間を取られるより、現場が進む事を優先せざる負えないのが現状だった。

このコロナ禍によるウッドショックによって、徐々に徐々に材料不足の影響が表面化してきているが、それとは裏腹に、米松材にその供給量も価格の安さもその主役を奪われていた国産木材の杉や檜材に再び脚光が浴びるようになってきて、それがなんとなく嬉しい。大工さん達も久しぶりに手加工をして嬉しそうだった。木材を加工する心地良い「音」が加工場に流れているのが、会社に活気も与えてくれた。さて、この「ウッドショック」はどうなっていくのだろうか…。

本日は、住宅相談会があった日曜日だった。土地を購入して新築を考えている若い世代のAさんご家族は、土地の値段が想定以上に高い事にひるみ気味だが、その場で一緒にプランニングをし、それでもなんとか希望を繋ぎながら、新築住宅を計画していこうとなった。中年世代のBさん家族は、親から受け継いだ今住んでいる3階建住宅を全面改修する計画で、冬寒い夏暑い湿気る間取りが古い居心地良くない子供達が大きくなってますます住みづらいなどなど。家を快適にしてライフスタイルを楽しみたいという気持ちが伝わってきた。断熱気密も重視しながら、コスパの良いリフォームができればと即興で計画してみた。大阪都心のシニア世代のCさんご夫妻は、今のビルを壊して、木造2階建の終の住処の計画だった。大手ハウスメーカーの賃貸住宅+最上階に住む。っていうプランも残っているらしい。こんな時期だからこそ、ビルではなく、緑があり縁側があり国産材の木組みがある木造2階建住宅の街角があっても良さそうだ。

そうそう、ワタシたちもこのゴールデンウィークは、家を楽しむコトをいろいろ工夫した。昨年同様、半屋外に設置した薪ストーブにピザオーブンを乗せて、カプート社の生地から練ったピザを焼いた。今年は長男奥方がホームベーカリー機でこねてくれたので楽ちんだった。薪ストーブの上に厚鉄板を乗せて、極厚ステーキ肉も焼いた。ユーチューブを視聴するとさまざまな焼き方があることを知って、試してみたが、ワタシは、頻繁に裏返すパターンが好みだな。4日の晴天の日にテントサウナも試みた。今年は、大きいプールを設置し、快適さが向上し気分爽快になったが、水を入れるのに2時間ほどかかり、5日が雨予報で、夕方にはプールを撤収し、水を抜くにも2時間。テントも撤収し、薪の準備もそれなりにタイヘンだし、とにかく楽しむためには、面倒くさいを乗り越えんとアキマヘンな。

それにしてもあちらこちらで勃発する「面倒くさい」問題をいろいろ乗り越えなアカン世の中ですね。

コロナ禍2度目のゴールデンウィーク

大阪は緊急事態宣言下のゴールデンウィーク休暇に入り、木村工務店では、5月1日土曜日から5月5日水曜日までを休日としたが、この週は、平日や祝日に雨が降り続いたりし、おもうように現場が捗らず、土曜日は現場によっては、大工さんや職人さん達が仕事をし、それに伴う現場監督も出勤したりで、これは建築という現場仕事故の宿命なんだろう。

「まちのえんがわ」では、5月1日と2日をオープンすると、「植物」を買いに来るお客さんが、想定以上に多くいて、上から吊るしていた雰囲気のエエ植物はほとんど売れてしまった。コロナ禍故に「植物」を求める人が多いのかもしれない。ステイホームに「緑」があると、なぜかしら心和むのだろうし。都会的な生活においては、植物が心のバランスをとるために貢献してくれるのだろう。そんな意味では、都会の中の街角にも「緑」がある家がもう少し増えても良さそうに思えてくる。緑の街角、里山的な都会の街角が増えても良さそうだ。

そうそう、最近のYジェネレーションやZジェネレーションの家づくりを目指す方々と接すると、「土地」の値段がおもいのほか高く、家造りに費やす費用が抑えられて、それぞれ的に拘る家づくりができそうもない悩みで、家づくりを躊躇している人が多いようにおもう。総予算は変わらずとするなら、土地に費やす価格より家に費やす価格が多い方が、これからの街づくりのためにも、家づくりのためにも良さそうなのは共通の認識なんだろう。土地に対する価値や税制から家に対する価値にパラダイムシフトする方が良いように思えてくる。土地に関わる就業者数より家づくりに関わる就業者数の方が多いようにおもうし、土地の価格が抑えられて、家づくりが倍ほど増える方が、街並みも面白くなるし、経済も潤うような気がしてくるのだが、どうなんだろう…。

29日祝日は一日中雨が降り続いた。家にじっとしていると、コロナ禍的気分の落ち込み度もあって、庭の緑を見てバランスをとったり、音楽でも聴いて心のバランスを保とうとしていたのだと、いま振り返るとそうおもう。晴れた日はロック的だが雨降りはジャズ的になるのがワタシのメンタリティーで、Spotifyのマイライブラリーから何気なくチョイスしたのが、マイルスの「サムディ・マイプリンス・ウィルカム」だった。もはやこの歳になると男性的にマイプリンセスの出現を望む気持ちなど薄らいでしまったが、コロナ禍的にマイプリンスのような出現を求めたい気分だったのかもしれない。

その曲でのサックスを吹くコルトレーンがエエので、クレセントの「ワイズワン」が聴きたくなった。コルトレーンのスピリチュアルな感覚と賢者というコトバにちょっと憧れたりする気分の雨だったのか。しとしと、というより、そこそこ激しく降る雨を見ていたのが、そういう気分を助長したのだろう。連想的に、久しぶりにミンガスが聴きたくなって、レアだけれどミンガスプレイズピアノの「Myself When I Am Real」を聴く。もの寂しいピアノソロが、コロナ禍の降りしきる雨の祭日にフィットして、タイトルの意味深なコトバにも惹かれる昼下がりだった。その後も延々と連鎖反応が続いて、祭日の雨の午後をひたすら音楽を聴いて過ごした。

  

5月1日と2日は微妙な天気だった。風も強く庭の木々がゆさゆさと揺れて落ち葉を沢山落とした。肌寒い両日だったが、冒頭のように、「まちのえんがわ」に「植物」を求めにやってきた人たちと触れ合う事で、お互いに癒されたのだろう。5月1日の夜は、夫婦2人で、アウトドアー薪ストーブの鉄板で牛肉を焼いて過ごす。2日の今日の夜は、長男家族が孫ともどもやってきて、長細い七輪の炭火で焼き鳥を焼いて食事を共にした。できるだけ外食しない夜を過ごす予定。そうそう明日3日は「晴れ」の良い天気だそうだ。自転車に乗って体を動かし太陽と自然を味わって気分爽快になれればとおもう。

2度目のコロナ禍ゴールデンウィークですが、それぞれなりに、それなりの素敵な休暇を!

 

「大地から切り離された植物は旅をする」

3度目の緊急事態宣言が発動された大阪。感染者数が急増しているのに、去年ほどの緊張感が薄れているので、感染力が強いとか重症化率が高いとかいう報道で、意識的に自分自身に注意を喚起しようとしているのが、今の大阪府民のメンタリティーなんだろう。

その初日の日曜日の朝。「屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては対象外です。」なんていう指標を頼りに、朝3時間ほど運動がてら、ひとりで自転車に乗ると、朝からランニングや自転車に乗る人が意外に多い。いつも休憩がてら眺める柏原の立田古道里山公園近くの丘の階段に座っていると、軽自動車に乗った若いカップルが車を止め、外に出て、景色に向かって、大声で、ヤッホーとかお〜ぃとか叫んで大声で笑っていた。目に見えないストレスから解放されるために、ソトに出向いて、密集を避けながら、体を動かし声を張り上げたいのだろう。なんとなくその気持ちわかるわかる。

「まちのえんがわ」が「まちのえんげい店」という植木のある場にリニューアルすると、うちの孫たちが、毎日遊びに寄るようになった。「緑の力」の不思議を感じる。確かに古本にはある種の気取りもあるので、近寄り難さもあるのだろうが、このコロナ禍ゆえに、「緑の存在」がよりストレスを癒すのだろうか。古本も30冊共存して、その本も手に取って眺めたりしている。古本ばかりの時は一度も手に取らなかったのに。まちのえんがわの縁台に切り込みを入れて仮設的にテーブルを設えた。そうするとテーブルを中心に会話や作業が起こるようになった。なんで、こんな事、最初から思いつかなかったのかと嘆いてみる。

この1年「町の工務店ネット」に参加し「里山のある町角」を生もうというプロジェクトに参画することになった。町の中に緑を自分達の手で育て維持管理する取り組みでもあるとおもう。里山的であれば、より大地と繋がる感覚が蘇るのだろう。先日のこの「まちのえんげい店」のワークショップで、皆で、土を触って植木鉢に土を入れる作業をしていると、誰もが笑顔で気持ち良さそうだった。そんなことを語ると、手伝いに来てくれた花屋のカマシタさんが、オールドロックをDJしながら、それは大地と繋がるからちゃうか。と呟いたコトバが印象的だった。なるほど。

このワークショップを企画した植景研究所の家谷さんは「大地から切り離された植物は旅をする」というテーマを掲げた。鉢植えされた緑が、「植木屋」さんから「まちのえんがわ」へ、そしてどこかの家に旅をし、その家でその人とその場と共生しながら、面倒も増えるが喜びも増えるのだとおもう。

木村工務店のこのゴールデンウィークは4月29日休み、30日通常営業、5月1日土曜日から5日水曜日まで休みとしました。「まちのえんがわ」は、「緑」が、生活や健康の維持のため、どうしても必要なものかどうか微妙な判断ですが、「5月1日と2日」はオープンし、オープンエアーの店舗で、コロナ対策しながら、「大地から切り離された植物」を販売する予定です。

火と箱から場と緑

4月15日朝。ルーティンとしての会社の掃除を終え、家の庭の掃除をし始めた時。外でざわめきが。えぇっ。何かヘンなコトが起こってるノォ?!。そそくさと庭の木戸から外に出て、会社の方を見ると。会社のシャッター前の道路隔てた長屋の屋根から煙が…。火事だぁ!。走ってその家の前まで行く。火災建物の隣の人が、バケツから水をかけていた。駆けつけたきた木村工務店の社員に消火器持ってきてっ!と叫ぶワタシ。近くに住むとんちゃんが会社のホースを引っ張って水をかける。コジマさんが消火器を持ってきてくれたが、ワタシ実際に消火器のレバーを引いたことがない。ちょっと躊躇しながらレバーを引くと、ホースから白い消火液が噴出した。ホースを持って火が立ちのぼる2階に向けて消火する。家庭用のホースの水では消火しなかった火が、消火器で一瞬静まる。が、また、火柱が。会社から計5台の消火器を持ち出して社員の何人かで消火するが、消防車が来るまでの時間稼ぎに過ぎなかった。

家の中に人がまだ残っている!という誰かの悲鳴のような叫び声に反応し、ヤマモトくんとタカノリが会社の倉庫から梯子を持って消火するワタシの横を駆けつけて行った。通りかかった職人さん風の2人の男性が火災建物の横の空き地になっている所から平屋部分の屋根に登って高齢の女性を助け出したらしい。その女性を梯子に登ったヤマモトくんが抱えて下ろしたという。ワタシの前をススで真っ黒な顔の女性が抱えられながら通過した。

消防車は通報から10分ほどで到着したらしいが、めちゃくちゃ消防車の到着が遅く感じた。火は恐怖を呼ぶが、アドレナリンも噴出する。延焼して火柱が立つ隣の建物にも高齢の女性が残っているらしい。おばちゃん早く出ておいでぇ!と叫ぶと、2階の燃えているその窓から顔を出す。下に降りや!と叫ぶが、暫く時間が経過する。玄関のアルミサッシュの硝子扉を破るための道具を持ってきてぇと叫んで二呼吸ぐらいした時に玄関からその女性が脱出してきた。消防車が何台も到着し、本格的な消火が始まって、1時間ほどで延焼を食い止める消防隊員。ほんまカッコエエわ!とその様子を見ていた奥方が後で呟いた。火柱が立っていたのに2時間ほどで鎮火した。

午前8時前からの出来事だったが、その日。午前9時30分から、「町の工務店ネット」による「A2プロジェクト」の開会式がオンラインで始まることになっていた。アドレナリンで興奮している状況だったが、なんとかオンライン座談会に間にあった。午前9時30分から午後5時30分に及ぶ超長丁場のオンライン会議で、午前中は小池さんと田瀬さんと秋山さんの3人によるオンラインの講義と、昼からは田瀬さんと秋山さんによる設計道場だった。その間に、生野消防署の署長さんをはじめ消防署の方々や新聞社など出入りが頻繁にあり、昼からは、ワタシも関係するお施主さんの打ち合わせもあって、火事とオンライン会議と来訪者と打ち合わせが、混沌とした状況で展開した。とっても記憶に残る1日となった。そうそう、木村工務店は、この1年「町の工務店ネット」に参加し、「箱から場へ」という「A2プロジェクト」を通じて、会社の成長を目指そうとおもう。

で、4月18日日曜日の今日。濃厚接触者にならないコロナ対策を工夫しながら、「まちのえんがわ」のワークショップとして、植景研究所の家谷さんによる、「古本屋さん的まちのえんがわ」を「まちのえんげい店」に作り変えるワークショップを開催した。10人限定だったので、以前から参加頂いている常連さんがおもで、落ち着ついた雰囲気の中、朝の10時から始め、お昼はサヤちゃんが作る絶品のキューバサンドと川田くんのおいしい珈琲で寛ぎ、花屋のカマシタさんがDJするオールドロックが流れる中、午後4時頃にお店が完成した。お店造りに手伝って頂いた皆さんに感謝です。

10年目の「まちのえんがわ」は、「古本」がコミュニケーションを誘発する場から、「大地から切り離された旅する植物」がコミュニケーションを誘発する場へと、変化していくことになりました。みなさん、遊びにお越しください。

新緑と自転車と建築

新緑の春だ。最高の天気。とっても気持ち良い気候の日曜日。

なので、久しぶりに自転車に乗ってみる。家から十三峠を登り、駐車場で休憩すると鶯の鳴き声の季節になっていた。今年は自転車で桜を見ることができなかったが、時折ぽっつんと咲く山桜に癒される。フラワーロードを通って信貴山朝護孫子寺へ参拝。「おんべいしらまんだやそわか」という呪文のようなマントラを唱えて拝むように書いてあるのが、不思議で面白い。陳列に飾ってある生花がなんとなく好きだなぁ。

 

柏原に下る立田古道里山公園手前の丘の階段に座って、コンビニで買ったおにぎりでモーニング。青空と大和ののどかな光景と鶯の鳴き声と葡萄畑とコンクリートの階段がお気に入り。国分へ下り南河内グリーンロードを通って竹内街道手前の道の駅近つ飛鳥太子で小休止。そうそう、久しぶりに乗って、坂を漕げなくて、中学生ぐらいの自転車に追い越された。心のなかで、俺も62やしもうすでに十三峠も登ってるし。と言い訳しているワタシに笑える。

さらに富田林方面へ。南河内グリーンロードを通って、南河内のパン屋さん米夢でお昼にしようと思ったら休みだった。ショックで疲れが倍増したが、気を取り直して道の駅かなんに行くと、今度は人が多過ぎてクラクラし退散した。近くのコンビニでパンとコーヒーで我慢。

そこから石川へ下ると新緑!だった。堰堤沿いの桜は散っていたが新芽が芽吹いてショワショワっとした感じがとっても気持ち良い。サイクリングロードから広場に降りて小休止。向こうに見える石のベンチで寝転がると、日焼けしそうな太陽と鳥の鳴き声と川のせせらぎと二上山のパワーに時が静止した感覚になった。建築をやっていると、こういう居心地の良さや気持ち良さを家造りに表現したいなと思う時があるがムツカシイ…。

大和川沿いのサイクリングロードからの帰り道に八尾空港へ。最近このルートの時は、ちょくちょく寄り道し、小さな飛行機の離発着を眺める。町の中に緑の芝生がある広大なオープンスペース的で気持ち良い。前回のブログの冒頭はJALのE190のウイングレットの写真。可愛らしいデザインで、主翼にこれを付けると燃費が向上するらしい。最近大型機にも後から取り付けているという。小型飛行機には付いていないなと思っていたら、最新のホンダの小型ジェット機には付いていた。

家も設備機器で燃費を良くするだけでなく、建築的な工夫で燃費を良くするには、断熱気密なんだろうが、ウィングレット的なのは、太陽光発電とかOMソーラーとか何なのかね。

そうそう、大阪のコロナ感染者数が爆発的に増加し、まんえん防止等重点措置が発動されたので、5月の連休に予定していた同級生との恒例のしまなみ海道自転車旅はキャンセルし延期することになった。また暫く忍耐が続く春だな。

桜と共に特異な一週間

桜が咲いて、散って、さまざまな出来事に遭遇した、特異な春の一週間だった。

月曜日。朝から着工案件の近隣との合意事項に関わる。建築工事と近隣との関係性は永遠のテーマで、真摯に向き合うことの必要性を振り返りながら毎回精進することが重要だと、改めて感じさせられる朝だった。昼から古民家のリノベーションの打ち合わせに参加する。設計者のBIMを映像化したカッコ良いプレゼンを見て、皆で感覚を調整し、基本的な合意形成をしたが、お施主さんの都合により計画が2年間延期になって、ものごとを「為す」ことに対する神の悪戯のような出来事が、あるある的に起こる不思議を感じた月曜日の夕刻だった。

火曜日。朝は月曜日の例の合意事項の再確認。夜の定例会議は社内面談の報告とチャレンジする会社が持続可能な会社となるのだろうか。と社員皆で、なんとなくの合意形成をした。

水曜日。弔事があって、福島県喜多方に、伊丹から新潟まで飛行機E190で向かい、レンタカーを借りて喜多方まで移動する。お昼を過ぎていたので、喜多方名物のラーメンを坂内食堂で食す。スープが透明だ。大阪の高井田系醤油ラーメンの濃い色とは全く違う、あっさりしていて美味しい。奥方が食べるラーメンの後ろにポスターが貼ってあり、その言葉が良かった。なるほどね。

喜多方流おもてなし。
一杯のラーメンに託す
喜多方のおもてなしのこころ。
気取らないからあたたかい。
さり気ないから、うれしい。
今も昔も変わらない。
それが喜多方流。

喜多方のお通夜の一部を経験する。村の多くの人たちが家にひっきりなしにお悔やみに訪れて、翌日葬儀場に出棺され、お通夜は午後にごく近親の村人と親族だけで執り行われ涙ながら御詠歌が詠まれた。最近の夜の大阪のお通夜と全く違って、死を送り出す日本の原型のようなスタイルを側で見守った。

木曜日。前日から熱塩温泉山形屋に宿泊する。「一流の田舎」「二流の上を頑張ってます」なんていうキャッチフレーズが面白かった。600年続くお湯だが行政の指導で塩素を混入せざるおえないことを嘆いておられた。葬儀場までの道中に廃線になった日中鉄道の熱塩駅にちょっとだけ立ち寄る。盆地で残雪の白い雪山に囲まれてゆったりとしてのどかな雰囲気。桜の開花前がちょっと残念だったが、この光景に癒された。葬儀は僧侶の素晴らしいコンサートのような読経とともに粛々と進行するが、今風に故人のスライドが上映された。なんか田舎の方が進んでいるかも。出棺の時の献花は親族だけだった。なるほど、既に弔問客は故人の家でご尊顔しているのだからね。簡略化するのが都会の葬儀のあり方なのだろう。

夕方の5時30分から協力業者の精親会のオンラインミーティングの時間だった。新潟空港の駐車場のレンタカーの中で、iPad Proを使って、開催する。こういうコミュニケーションが違和感なくできる時代になったのが、コロナ禍による社会変化の兆しなんだろう。19時新潟発伊丹行きの飛行機で帰阪。

金曜日。町の工務店ネットの小池さんに木村工務店を訪問して頂いた。「OMソーラー」とか「ちるちんびと」とか「住む」などの代表的な方だ。うちの家も見てもらった。いろいろな話題で話が弾む。生野区に関わる同姓のキムラーさんが生野区を「懐かしい未来」というキャッチフレーズで表現していて、そのことに共感している話をすると、後日、メールで。

懐かしくもあり、
生野の
新しい町角。

確かにそんな建築と街角を時間がかかっても造れたら良いよなぁ…と思わさせられたところが、小池マジックなんだろう…。小池さん75歳と深く関わる建築家の秋山東一さん79歳だそうだ。そうそう、先週、コーポラティブハウスを創設した都住創の安原さんと「まちのえんがわ」でコミュニケーションした82歳だそうだ。その御三方とも行動力が軽やかで凄い!木村さんこれからもっとチャレンジせなアカンで!と叱咤激励されているようだった。

金曜日4月2日は会社の創立記念日で法人組織になって73期、創業して85年になる。うちの庭の枝垂れ桜で社員と大工と手伝いの職人さんとで花見焼肉をするのが慣わしだったが昨年は中止した。今年はそれぞれの帰宅時間に合わせて缶ビール一本だけを縁側に座って飲んで紅白饅頭を持ち帰って解散するというコロナ禍的花見を小1時間だけ粛々とおこなった。

土曜日。建築家案件の打ち合わせを建築家とお施主さんと工事部長のトミマスくんとワタシでコミュニケーションする。午後から孫セイゴの幼稚園入園式の昼食会をおこなった。なんというか、こういうことが、社員やこのブログで呟いて、そんな家庭内の行事に参加することが、とっても大切なことだと、皆で合意できる世論になってきたのが、オモシロイと思う。その食事終了後、遅れて、会社で新築案件のオンライン打ち合わせに参加する。一度顔合わせがあると、次からのオンライン打ち合わせは、それなりにスムーズに進む。小さなお子さんがいらっしゃるご家庭とはオンライン打ち合わせはお互いに有益でもある。夕方には、造園の家谷さんがきて、次回のワークショップの打ち合わせをする。「まちのえんがわ」は古本が商品棚に並んでいたが、10年目として、園芸店的な中に古本も共存している「まちのえんげい店」としてワークショップを通じて衣替えをしようと思う。下はサッチーが描いたイラスト。

日曜日。住宅相談会がある。午前中のAさんは木村工務店の設計施工で家をリフォームさせて頂いた家の息子さんご夫妻で、お母さんともどもお越しいただいた。ワークショップに何度も参加頂いているお子さんもご一緒だった。土地探し中古住宅探しの案件。午後のBさんご夫妻は、建築家で家を新築させていただいた家の娘さんで、やはり土地探しからの案件。お父さんが孫娘の子守がてら参加頂いて、土地探しのノウハウのようなものを共有した。午後からのCさんは土地が見つかったので新築の相談としてお越しになった。丁度その前に、「まちのえんがわ」ゾロ目ミーティングというのを、前出のキムラーさんと行っていて、4月4日、生野区のアンさんや、大阪大学のAくんの4人で、縁側談義を繰り広げていた。生野区の廃校になる御幸森小学校がテーマになった。そんなこんなで、Cさんの打ち合わせはタナカ部長にお任せしてしまった。

いま、このブログを書く、日曜日の夜。枝垂れ桜は春雨と共に散り、庭が花吹雪で覆われている。美しいので、明日の朝は、庭を掃除するなっと奥方に申しつけられた。ま、そんなこんなで、こんな変化に富んだ桜の一週間は初体験だ。

コロナ禍の春らしい週

2週連続雨の日曜日。桜は各地で満開のようだ。久しぶりに「まちのえんがわ」ワークショプを開催した日曜日だった。

コロナ禍の中、どんなワークショップを、どんなふうに開催しようかと悩む。建築関係の職人さんたちが登壇するワークショプを開催するには、どーも職人さんのムードと盛り上がりに欠けていて、なので、木工作家の矢倉さんにお声がけしてみた。暫く悩んで、「スライドホイッスル」を製作するのはどうか。という。「楽器」という道具を作ってみるのは面白いし、過去には、建築家の林敬一さんによるカホンを製作するワークショプを開催したこともあり、割と簡単に製作できるので、それはそれで良さそうだった。

 

 

何より、丸いプラスチックや木でなく、アルミで角パイプだというのが、ちょっと建築ぽくって良かった。ウィンドウェイの穴を切り込み、斜めに削り出して、木のリードを吹き口に仕込んで、竹棒で音階を調整する。ヒューヒョロヒョロと音が出て、皆で「メリさんの羊」を大合奏した。

そうそう、今週の土曜日にお引き渡ししたマンションのリフォーム工事は、夫婦でスーパゼネコンの設計部に勤める方の自邸だが、キッチンの壁にアルマイトを使って、それが簡素だがどことなく奥行きがあってとっても良かった。アルミというとサッシュだが、サッシュ以外にアルミが面材として室内に存在するのがモダンかも。矢倉さんのスライドホイッスルは、アルミが線材の楽器として、室内にさりげなく置かれているのがモダンかも。

金曜日のお昼。お花見のお誘い。桜の木の下で宴会するには躊躇するコロナ禍のこの状況。昨年、生野区のK邸の蔵を改装工事したが、大きな大きなお庭とお屋敷があって、それをどうやって維持管理していくかと模索中のお施主さんが、まず、この蔵を潰すことは、なんとなく縁起も良くないし、再利用できるかどうかと問われて、大丈夫ですと答えたものの、ジャッキアップして土台から上を持ち上げて水平を調整し直したりで、かなりの時間が掛かって完成した。その庭に桜の木が数本あって、それを眺めて外でお弁当でも食べるのかと思っていたら、その蔵の大きな木組みの登り梁が鎮座するリビングダイニングで、出張シェフを招いてのイタリアンのフルコースだった。

お施主さん家族と、初めてお会いした、ガモヨンのワダさん。出張シェフを手配する「お届けリストランテ」のトウジョウさん。大阪特化の民泊運営会社「グレートステイ」のオオサキさん。地窓を開け放ち天窓へ空気が抜けるコロナ対策をとりながら、食べて飲んでマスクしてという、ちょっと刺激的なメンバーとの食事会だった。モダンダンスを習う娘さんが即興でダンスを披露し、その姿にホロリとするお母さんの姿にも出会い。今まで経験したことのないお花見スタイルだった。

土曜日。「まちのえんがわ」に造園のイエタニさんがワークショップの相談にやってきた。久しぶりに温泉ソムリエグッチも来て、「純温泉」についてのレクチャーをしてくれて、大いに盛り上がった。一気にリアルな出会いが増えてエネルギッシュになってきたら、大阪のコロナの感染状況がまた活性化してきたようだ。春らしい週だったがコロナ対応がまだまだ続く春だな。

スケール

 

しっかりと一日中降り続く春雨の日曜日。あっという間に近くの公園の桜が開花した。うちの庭の枝垂れ桜も枝に蕾が並び夕方には一輪が可愛らしく開花した。例年より早く、一気に春にシフトチェンジさせる連休だった。この春雨を家で眺めていると、どことなく憂鬱感も押し寄せる。コロナ禍の影響もあるのだろう。時としてそういう感じがエエ時があって、雨降りだから本でも読もう。音楽でも聴こう。そんな気分にさせてくれる春雨で、本棚に買ったままで全く読んでいなかった本を手に取ってみた。

年末の12月30日にお墓参りに家族で行って、その帰りにお墓近くのスタンダードブックストアーに立ち寄って購入したが、本棚に横積みに置いたままだった。「スケール」(生命、都市、経済をめぐる普遍的法則)とサブタイトルがついていて、読みにくそうなので、本棚の飾りになりそうだったのに、この雨が、この本に手を差し伸べるきっかけを作ってくれた。そうそう今年初めスタンダードブックストアに手加工の自転車ラックを寄贈した。

「スケール=大きさの程度」というコトを時々考える。家の大きさとか会社の大きさとか町の大きさとか。いま住んでいる家は、祖父が造った長屋が手狭になり親父が新築で立て直しそれをワタシがリフォームした。2階建てで50坪近くあった家を受け継ぐにあたって、2階を減築し平家の30坪ほどの住宅にリノベーションした。スケールを縮めて維持管理しやすくしたかったが新築に近い費用が掛かって効率が良かったのかどうか。ただ新築ではできない何かが引き継がれたとおもうが、こういう家の、スケールを大きくしたり小さくしたりする持続的な編集作業のような行為が、持続可能な家として繋がっていくのかどうか。

先週、同じように両親から受け継いだ古民家の改修工事をしようという打ち合わせがあって、初めて現地を観る。お施主さんと設計事務所の松元くんと私の3人で計画段階から打ち合わせを繰り返している変則的スタイルだ。そこそこ大きい庭と土壁の納屋があり、当初は、隣家を購入して道路からのアクセスを良くする計画で、スケールオーバーな感じもしていたが、購入を中止してから打ち合わせがスムーズに動き出した。息子さんの代に引き継げるようなリフォームと運営をしたいと仰っる。持続可能な維持管理をしていくスケールはどれぐらいが最適なのかと一緒に悩む。

工務店の規模もあるクオリティーの建築を造るためにはどれぐらいのスケール=規模がエエのか…とおもうし、生野区の空き家問題に携わっていると、小学校の統廃合が始まって町が更新されていく現状に直面すると、どれくらいのスケールの町が良いのだろうか…とおもう。先週19日久しぶりに空き家カフェを対面で開くことになったら、その廃校になる生野区の御幸森小学校とその地域を題材に卒業設計を製作した大阪大学の建築学科の女生徒が、最優秀賞を受賞したと、報告がてら「みゆきもりくんモノガタリ 小学校の終焉と懐かしい未来」というそのプレゼンをしてくれた。こういう若い人の考え方や気持ちが、古くから住む地元の年長者に勇気を与えることになればとおもう。

先週、生野区の空き家繋がりのハシヅメくんが、嵐山でカフェとゲストハウスをやりたいので、現地を見て欲しいと、タカノリとハヤカワくんの3人で赴く。「ゲストハウスによくあるチープじゃない、洗練されて厚みのある、でもなじみのある空間を創りたいです!」というメッセージ付きだったが、建物のスケールが丁度エエ小ささなので、そういうことが実現出来そうに、なんとなく想えた。あんなふうに、こんなふうに、考える若い世代の人たちと一緒に、仕事を共有していけたらとおもう。

梅と集落

春かも。雨降る土曜日。昼過ぎに奥方と奈良公園近くに行く所要があり、大阪から直接行くのを躊躇って、梅を見るために月ヶ瀬経由で大回りして行く事にした。梅を見るためにドライブしたことがない。梅の花見なんて、なんとなく年寄りくさいって思っていたら、もうすっかりそういう年齢になってしまった。奥方の友達の勧めに従って、雨の中をドライブして目的地の駐車場へ。

公園みたいな所で、梅を観るぐらいの気分でいたら、集落沿いの道を歩いて登りながら、梅が咲き乱れ、その下に月ヶ瀬の川が見えて、絶景。こんなにエエとは知らなかった。丁度雨が止んで、傘をささずにすんで、お客さんも少なく、なんか得した気分。桜のウキウキ感とは違う梅のしっとり感。春間近だなぁ…っていうしみじみ感の梅と、春を皆で祝いたい祝祭的な桜。梅と集落と周辺の景色と季節感と生活感が混在する雰囲気に魅力を感じたのだろう。

ワタシ、梅を観ると、なぜか、必ず想い出す映像があって、特に段々畑のような所に咲く梅を観ると、黒澤明の映画「夢」の、桃畑でのワンシーンがフラッシュバックする。不思議だ。ただ、ずーっとその映像の花を梅だと思っていたが桃らしい。桃と梅と桜は近づくとなんとなく判別するが、遠目には、時々、これ、梅?それとも桜?なんて、何度が奥方と呟きあったりする。そういえば、杉と檜の違いを知るために、親父との車の中で、何度か、この木、杉?それとも檜?なんて聞いて、それは檜。葉っぱの先よく見てみぃ!なんていう車の中の会話を、杉と檜が混在する道沿いをドライブした時々に想い出す。

午後2時から関西大学でお世話になっている江川教授の最終講義があって、現地とズームの二刀流だったので、所用の都合でズームを選択し、猿沢池前のスタバでスマホにイヤホンをして視聴する。その間奥方は目の前で珈琲飲みながらスマホで時間を付き合ってくれた。徒歩移動中もイヤホンで聴き続けた。コロナ禍があったからこそ、成立した、オンライン視聴というスタイルなんだろうが、こういうのは凄く有り難いし、これからもいろんなところで継続してほしいスタイルだな。

江川教授の講義と教え子たち3人の発表があって、そういうバランス感覚が良かったが、「集落」というキーワードが頻繁に登場した。月ヶ瀬の集落を歩いた直後だったので、思い返しながら聞いていたが、確かに、日本のこれからの集落が、観光地的であっても生活感を失わない集落として存続していけるがどうか。若い人たちのエネルギーとともに環境やデザインに対する文化度にも委ねられていくのだろう。そうそう、夜BSで養老孟司さんのテレビを見たら、文化は解毒剤と言っていた。人が、都市が、バランスを取るために、文化が、アートが、解毒剤の役目として必要だそうだ。

リアル対面力

住宅相談会の日曜日。緊急事態宣言が解除されたからといって、その日から劇的に生活が変化がするはずもないが、なんとなく「フツウ」な感じになってきた。問い合わせや住宅の相談にお越しになる方々が増えてきて、っというより、この1年間がフツウでなく、相談会に参加する気分が制限されていたその事実にあらためて気付かされた。徐々にフツウな数の問い合わせに戻ってきた。朝10時から夕方の6時まで、「生身のヒト」と一日中喋り続けた、この一年間では珍しい日曜日だった。

午前中お越しになった若いAさん親子は、以前に新築工事をさせて頂いた家の娘さん夫妻だった。会社でお会いしてその事を聞いてビックリ。建築家の設計で木村工務店で施工した住宅だが、結婚して世帯を持ってからその家の良さに気づいたという。奥さんのご両親の近くで土地を探して新築したい。中古住宅でリフォームでも。っと探しているが、良い物件が出てこないという。自分のこだわりを反映した家に住みたいという若い世代が増えてきているが、想定している以上に土地の価格が高くなって、家そのものの建築費に予算を費やす事が出来ないと嘆く若い相談者が多い。政府が土地価格の上昇を土地の売買税緩和とかで土地価格を抑える方法とかないのかね。

お昼から植栽の家谷さんが「まちのえんがわ」にやってきて、ワークショップの相談を兼ねながら「まちのえんがわ」の商品棚を本屋さん的から園芸店的にバージョンアップし植栽をいっぱい置く計画で、あーだこーだと議論する。ついでに会社前にある、丁度いま桃の木が満開の長屋も園芸店的やカフェ的や飲食店的やギャラリー的やものづくりセッション的に改装し、新たな「縁」が生まれる新たな場がコロナ後に求められるのかどうか。そんなのを語り合うノンストップの2時間だった。

午後からの若いBさん親子も、大阪北部で土地を探しているが、どれも高くて、建築費に費やす予算が出てこないと、Aさんと同じように土地価格の問題で躊躇を繰り返しているようだった。あらためて中古住宅を購入してのリフォームの可能性を説明する。少なくとも1階はスケルトンリフォームをお勧めするのは、床や壁の健全性を確認し耐震性能や断熱性能を高めるためには必要な作業で、そんな意味ではキレイな改装工事がされていない中古住宅の方が今のニーズに合っているのだが、未だに改装工事済み直ぐ入居可。みたいな物件も多い。スーモによる物件の見方というか物件の見立てをレクチャーし、次回は、オンラインでの土地探し相談をすることになった。

夕方5時過ぎ、「摘み菜」の平谷さんが無農薬のお米を生産する女性を連れ立って「まちのえんがわ」にお越しになる。町のそこらへんの雑草は食べられるのだそうだ。妙齢の女性だが、コトバに洒落が混じって面白お可笑しく雑草をレクチャーしてくださった。近くの居酒屋「遊び菜」さんの紹介でお越しになった初めての方だが、話が弾んで、それに長男の奥さんが興味を示して打ち合わせに参加し、あーだこーだと縁側談義しているうちに、雑草を持ち寄りレクチャーをして食するワークショップを5月に開催することになった。

人とリアルな対面で会い。リアルな対面で会話をする。久しぶりにリアルな対面力をあらためて体感した日曜日だった。

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