「地名」

今週水曜日の朝。庭で蝉の初鳴きを聞く。ミーンミーン、ミーンミーンとツーフレーズ鳴いて静かになった。夏がやってくる宣言のファンファーレのようだった。正午。お昼を食べるため会社向かいにある自宅で寛いでいると突然の雷。しかも光って直ぐゴロゴロドーンだった。何度も何度も繰り返し雷が響く。大粒の雨。暫くするとフツウの雨音じゃない。バチバチバチバチと音がする。よーく見ると、「ヒョウ」だ。えっとおもうほどの大粒のヒョウがバチバチ音を立てながら降り注ぐ。屋根は大丈夫なのかとおもうほどの大きさの氷の塊が空から投げつけるような強さで降り注いでいる。初めてみたなぁ。

玄関の扉を開けて外に出ると。道路が冠水していた。40cmほどの深さ。長靴がないと向かいの会社に渡れないほどの深さだ。親父が、かつて長屋だったこの家を建て替える時に、一番大事に考えていたことが、この場所は冠水するので、基壇を造って床下の高さを上げることだったらしい。そのお陰で床下浸水は免れた。

古い「地名」というのは、その場所の「土地」の形態、地形を表していることが多い。会社の住所は「小路東」という地名だが、小道(こみち)がいっぱいある場所として「小路」という名前は相応しいとおもうが。それは近年の事で、大昔からの大地があって、ある時人が住みだし、集落ができ、田畑ができ、人口が増えてくると、田畑を耕地整理して住宅地になって小道に家が立ち並び路地もいっぱいできた。そんな時代は、会社のある場所の地名は「大瀬」だった。きっと大昔、このあたりに「瀬」があったのだ。うちの家は大きな瀬の上に建っているのかもしれない。

すぐ隣町は「腹見」という地名で、天武天皇が飛鳥宮から難波宮まで興行した時に、通過地点のその辺りは、こんもりしたお腹のように盛り上がっていたという。天皇に娘さんがお腹を見せて踊り喜ばしたという逸話もあるが、まそれはそれとして、確かにうちの家から東の生駒さんの方角に100mほど向かうと微妙に土地が高くなっていく。水曜日の雨では、冠水はしていなかったようだ。近くにある地名には「深江」とか「片江」とか「中川」とか「猪飼野」とか「鶴橋」とか、その場所がどんな大地でどんな形態だったのかを次の世代のための記憶として留めておこうとするのが「地名」でもあるようにおもう。

西成の崩落したLIVE映像を見ると「崖地」に住むのは注意が必要だなとおもう。熱海の土石流の事故をLIVE映像で見ると「谷筋」に住むのは怖いな。「尾根筋」の方が良いよね。なんておもう。東京の地名を見ると「渋谷」とか「代官山」とか「下北沢」とかかつての土地の姿を想像させる地名が残っているが、数十年前に、大阪のうちの家の周辺は「腹見町」と「大瀬町」が「小路東」に町名変更になった。反対運動もあったらしい。ワタシはその場所の大昔の大地の形態が表現されている地名が好きだなぁ。

そうそう、中沢新一の「アースダイバー」という本のシリーズが面白く、大阪編も良かったが、最近読んだその神社編は圧巻だった。その巻末に「アースダイバーの試みをとおして、私は土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物とが、たがいに独立系をなしているのではなく、相互嵌入しあうことによって、複雑な統一体をつくっている様子を、あきらかにしようとしてきた。」と書かれてあった。

大瀬町だった頃のワタシの小さい時の記憶の中に、長屋だった家の玄関が冠水し、靴やスリッパがプカプカ浮いている記憶がある。一度だけでなく数度。その靴が浮いている姿を不思議そうに眺めている後ろで大人たちが騒めきあっている音の記憶が残る。おそらく親父のその時のその騒めきが建物の基礎を上げて基壇を作る設計と施工に繋がったのだな。

「Live」

断続的にたっぷりと雨が降り続いた今週。そして久しぶりの快晴の日曜日。なんだか夏がやってきた気配。こんなエエ天気なのにアウトドアーにでるタイミングを逃し朝寝坊した。なのでサウナ行って、コメダでブランチして、ホームセンターに立ち寄ると、入ってすぐの入り口が、室内に置くグリーンが並べられたコーナーに変わっていた。それだけ緑を買う人が多いのだな。

そんな流れに乗っかってうちの中庭のグリーンもバージョンアップした。以前は土の純和風の中庭で、モミジが植って、つくばいが鎮座していたが、リフォームの時に、防水をして、床と同じ高さのコンクリート版にし、鉢植えの木を置くことにした。既に家の西側にオープンスペースと森を目指した庭があるので、中庭は違う趣向がエエように感じていた。今までの和風ではない植物のある中庭。植景研究所の家谷さんが、基壇と鉢だけを置いて、あとは自分たちで植物を工夫したらどおっという。植物を植えない植木屋さんなのだ。ところが、どんな植物を投げ込むのが良いのか試行錯誤が続いて、いまいちの状態が続いていたが、コロナ禍の中で、まちのえんがわの園芸店化をきっかけに、インスピレーションを得て、こんな感じに進化した。

緑を五感で感じてその生命力をライブ感として楽しむ。っていうライブ感と違って、最近、「LIVE」という映像によるライブ感を楽しむ機会が増えてきたようにおもう。

昼食時。テレビを付ける。お昼のワイドショーが微妙にいまいちだ。なので、BSに切り替えてみると、エンゼルス対レッドソックス戦(間違っているかも)が流れてきて、「LIVE」と表記されている。あっ、大谷がバッターボックスに立っている。えっ!今!と思った瞬間、芸術的な力みのないスイングで豪快なホームランを打った。美しい!カッコエエ!凄い!気持ちエエ! それが今、アメリカの球場で、リアルに起こっているのだ。ダイジェストと違う緊張感のある魅力が「LIVE」にあるよね。

ワタシが「LIVE」という書体を意識したのは、高校生の時。ボブマレー&ウェイラーズのレコード「LIVE!」を買って衝撃を受けたのが最初だとおもう。ジャケットの「LIEV!」というデザインが印象的だった。あの臨場感と一体感。20歳すぎまでは、リアルのライブコンサートに何十回も行ったが、生のコンサートで感動を得られるコンサートは、ごくごく少数だった。記録された様々なライブ音源に感動した事の方が多かった。その記録されたLIVE!といまのLIVEはちょっと違う感覚。インターネットの発達によって、ある場所での「いまとここ」が、離れた場所の「ここ」で、そこの場所の「いま」が「LIVE」映像として多くの人といま同時に共有されているのがいまのLIVE感覚なんだろう。

zoomによるミーティングも「いま」を共有する「LIVE」だな。先週は、協力業者との精親会総会をオンラインで開催した。コロナ禍によって、リアルの顔合わせがなくなって、オンラインで近況を報告しあった。時間は長くなったが、ダラダラが少々許されるのが、オンラインミーティングなのだろう。それはそれなりにやってみて良かったとおもう。そういえば先週と今週は「空き家カフェ」もオンライン。「A2プロジェクト」もオンライン。「コアリノベ研究会」もオンラインで開催された。双方向「Live」もそれはそれなりに楽しい。いっそのこと、オリンピックも家で応援する観客が参加できる双方向のLive配信になれば良いのに。

なぜか今年のツールドフランスが面白い。ダイジェストを見るよりLIVE配信の方が圧倒的にエエ。特に前半部分でのフランスの街の映像が楽しみ。LIVE映像の中で自転車と共に街が流れていく光景が良いのだろうか。走馬灯のようにそれぞれの心の中に囚われている心情風景を流させる効果があるのだろうか。リラックスして必ず寝落ちするムードの前半の雰囲気から、後半部分のスポーツとして緊張感が高まる雰囲気のバランスが魅力なのか。各地を巡礼することも含めて108年続くイベントとしてよく出来ているよなぁ…。

建築的なLIVE映像として、あの西成区で崖から建物が倒壊したテレビ映像があって、一棟だけ残っていたが、それを解体撤去する作業をYouTubeでLive配信をしていた。凄い時代だなぁ。水圧で土を削っていたよな。工務店の立ち位置としておもうのは、現場監督やその作業員になった人たちは、一挙手一投足が配信されるので緊張するだろうな。スポーツの配信だけでなく、大工の上棟も配信される時代になるのだろうか。

「LIVE」な映像の時代なのだ。

映像

ジトジトと雨が降り続く今週。熱海の土石流の被害映像をツイッターでみると自然の脅威を感じるが、その背後に、土地開発という企業と人間が関与する問題が潜んでいるのかもしれず、工務店というものづくりの立ち位置にいると、「身につまされる想い」という感覚がやってくる。

先週は西成区の住宅倒壊現場の映像が流れた。数年前、木津川辺りの名村造船所でイベントがあった時。生野区の自宅から奥方と自転車でブラブラ出かけて、天王寺から飛田新地を抜けあの倒壊現場のすぐ横の道を抜けて天下茶屋から名村造船所までサイクリングしたが、あの天王寺と飛田の間に存在する断層はいつも不思議に感じていた。坂道というより断層的なのだ。そういえばその時、飛田新地に中国人観光客が沢山いてとっても驚いたのが幻のように感じるコロナ禍の今。

うちの庭に、そんなに好きでもなかったアジサイを今年育ててみると、梅雨のジトジト感を解毒してくれるような花の色合いに、心和ませてもらっているが、降水量の多い雨が降り続くと、こんな平地な庭の土でもとっても小規模な「土石流」になって、排水溝が土で埋まって、浸水状態になることがある。それを防ぐために、植木屋さんが、土中に排水パイプを埋め込んで、それなりの対策を講じていても、「排水」という問題はムツカシイ。植木屋さんの海平造園のオヤジさんが、この庭の下には、コークスが埋めてあるんやで、シャチョウのお祖父さんが、排水の事を考えて埋めたとおもう。と教えられた。そういえば、昔、親父から埋め戻しの土の値段が高い時は、この辺りはコークスガラを埋めて田んぼを宅地にしたそうや。と聞いた事がある。「土地」と「雨」と「排水」は侮れない。と、熱海と西成の映像から「工務店」という立ち位置を鑑みる機会でもある。

映像繋がりなんだけど。まちの園芸店を作るワークショップに参加してくれた、ドローン操縦士の土林くんが「まちのえんがわ」にドローンを持って遊びに来てくれて、加工場でドローン飛行を体験させてくれた。そんな縁で、10月にドローンのワークショップを開催することになった。ドローンの機械的知識からドローンの体験飛行と購入サポートまで、勿論ドローンからの映像も体験できる。加工場のあの空間はメルクリンという鉄道模型を走らせるために魅力的だと建築家の秋山東一さんから言われたが、ドローンを飛ばすためにもとっても魅力的らしい。シケインなんか梁から吊るして、ドローンの体験飛行で遊んでみようと思う。

建築の世界でも、屋根の調査などドローンを使いたいし、土地の現地調査の時に、ドローン映像を撮れたら、2階の窓からの視点なども体感出来てええだろうな…。この熱海の土石流でもこれからの作業にはドローン映像が役に立ってくるのだろう。それはそれとして、超小型のドローンを入れるツールボックスがプロっぽい道具箱でカッコ良かったのだ。操縦だけでなく、機械的と電気的知識も学べそうな空気感が伝わってくる道具箱で、ワタシもこのセットで欲しいなぁ…。

ワクチンとイベントとリスペクト

先週末ワクチン接種券が届く。同時に手元に届いた奥方が、明日近所のかかりつけ医のところに行くので、一緒に予約をしておくわ!という。第一回ワクチン接種日は7月20日頃になるらしい。遅いけど、ファイザーなので、ま、エエか。みたいに何となくモデルナよりファイザーの方が良さそうな印象を受けるのが不思議だ。今週月曜日の夕刻になって、一ヶ月も待つより、もっと早く打った方が良さそうに思えて、予約券のバーコードからスキャンすると、大阪市のインテックス大阪会場では、64歳以下の誰もが接種券さえ持っていれば接種できると知った。予約サイトを検索すると、翌日火曜日は午後7時以降は空きがあってガラガラだった。

家から車で30分。無料駐車場もあるという。でもモデルナやし。みたいな気分に一瞬なったが、ユーチューブやネットを見て、そんなのどちらでもよくなった。携帯からその場で翌日の午後8時10分に予約する。当日、緊張感みたいな気分もちょっとだけあって、早く出かけ30分ほど前にインテックス大阪に到着し会場に入るとガラガラだった。親切丁寧で迅速な職員の方々の対応で各部署を転々と回りながら、あっという間に注射器が左腕に刺さり、はい終わりました。とあっけなく終了した。15分ほど経過観察を待つのが唯一の待ち時間だった。オリンピック開幕前には2回目の接種が終了している予定だが、2日間ほど左腕に筋肉痛が残り、ちょっと船酔いしそうになる前の兆候のような気分。のような気もしたが過敏症的気のせいだろう。その週は、企業接種のお誘いが2団体からかかってきて、社員や職人さんが望むなら、早めに職場接種を実施しようと思う。

26日土曜日の夜。ツール・ド・フランス開幕の第一ステージをJスポーツで鑑賞すると、沿道には多くの観客がいてほとんどがマスクなしで大声援を送っていた。日本のオリンピック騒ぎが馬鹿げた姿に思えるほどの光景に唖然とした。スポーツ競技として、大規模な2度の落車事故やゴール前登りの圧倒的パワーのアタックなど見どころもあったが、街並みと建築を眺める楽しさが半分を占める。ジロ・デ・イタリアでの街並みが「ベージュ」だったとするとスタート地点のフランス西端のブレストの街並みは「白」かった。

そうそう、沿道の観客が掲げるプラカードに選手が接触して大規模な落車事故が発生したが、そのニュースをみると「選手も沿道の観客へ注意を払わなくていけないが、ファンも選手に注意を向けて欲しい。選手へのリスペクトが必要だ」という選手へのリスペクトという表現が欧州的で興味深かった。

本日日曜日は、谷口智則さんの藍染めTシャツを製作するワークショップを催す。緊急事態宣言が明けて、まんえん防止等……だが、コロナ対策を考慮しながらワークショップを開催することにした。Tシャツに谷口さんがクジラの絵を描き、そこに参加者が自分のデザインで絵を書き加え、藍染をし、完成させる。Tシャツを干す姿は「幸せの藍染めTシャツ」的雰囲気だった。そういえば、谷口さんに対するリスペクトを持った方々がお客さんだったように思う。

オンラインが続くと、人との直接的な接触がなくても良さそうに思えてくるが、谷口さんが発散する創造的なエナジーを受けて、参加者それぞれが応答しエネルギーを発散している姿に接すると、人間は対面でエネルギーを交換しながらお互いに生きる活力を得ているのだ。とおもえた。

里山と集落

梅雨には紫陽花が似合う。うちのアジサイの花びらもどんどん増えてモリモリになってきた。今週は雨が降り続いたが、晴れ間が覗く日曜日になって、里山を自転車で目指す。5月6月は里山が特に素敵だ。うちの長男の奥方は福島県出身で、5月の田植えの時期はお祭りみたいな雰囲気だという。確かに、最近、ようやくその感覚が理解できるようになってきた。

水田に稲の苗が植っている景色は、工務店のワタシにとっては木造住宅の上棟みたいなものだと感じる。その水田で苗を植えている人々の働く姿が美しい。上棟式で2階や3階の梁の上で作業する大工さんが目茶苦茶カッコエエのと同じ雰囲気を感じる。その後に祝宴をする上棟式では、皆で安全無事な竣工を祈り上棟を祝福するそのエネルギーがその家に宿って欲しいとさえ思う。そんなようにというか、それ以上に、稲作をする人々は、無事に稲の成長を願いながら、田植えの後に祈り祝福しながら食事を共にするのだろう。よくよく考えてみれば、稲作の文化から上棟式が生まれたのかもしれない。

生野区という超密集市街地に住むワタシにとっては里山との繋がりは薄いし田植えとも無縁であるが、このコロナ禍によって、5月6月の日曜日にこんな余暇が生まれ、里山と接するこんな機会が生まれた年は今までになかったとおもう。それで、半分仕方なしに、自転車に乗ってみると、大阪市内から富田林や河内長野に行くと、まだまだ里山的光景がいっぱい残っている事に改めて気付く。都会の住宅の庭を見て京都の庭園を想起するより、里山を想起する庭の方が今流行りのSDGs的でエエのかも。

車や徒歩と違って、ロードバイクのスピードと距離感は、里山や集落を知るには最適だな。車のスピード感とガタイの大きさでは、里山や集落に停車しにくい。徒歩も電車を使いながらそういう里山や集落を散策できるが、ポイント的で、ディティール的で、全体像が掴み辛い。生野区の街を巡るにはママチャリが最高だし、安全で荷物も置けて便利だ。ワタシも生野区では電動ママチャリを愛用しているが、里山や集落や街道や海道や峠を目指すにはロードバイク的機動力がないとしんどい。ただ、道具とか服装とかちょっとしたハードルも高い。

家から金剛ロープウエーを目指す。途中に富田林や河内長野の里山風景に寄り道しながら到着した。ちょっとヒルクライム的要素があった方がロードバイクは楽しい。下り道、河内長野の集落に入る。川と高低差と集落と山の組み合わせがエエのだろう。こんな集落の古民家にオーガニックなパン屋さんがポツンとあったりするのが今風だし、ネット社会がこんなところまでお客さんを呼ぶのだろう。千早口方面に下る。通称トトロ街道という道があって、今まで行ったことがないので、トライする。確かに里山的でちょっと暗い感じの木々に囲まれた雰囲気がトトロの出現を予感させるのか。

今、街なかの3軒が関係性を持つ住宅地の計画があって、オーソドックスな南向きの分譲地みたいな宅地として計画されようとしていたが、それぞれが宅地を購入するにあたって、賃貸住宅でないのに、里山の集落のように、土地をシェアーしたり共有することによって、その土地の付加価値が上昇する。街なかで、そんな宅地の計画って可能なんだろうか。なんていうのが、ここ2週間ほどのテーマだった。そんな意味でも改めて里山や集落を学んでみたいものだ。

greenと大地と土地価格

紫陽花の季節。今年から我が家も桜の幹の横に紫陽花を植えたら、青色の紫陽花が咲いた。赤色の方が良かったかもっと奥方が呟いた。ネットで調べると、土がアルカリ性なら赤色になるらしい。石灰とかを撒いてアルカリ性にすれば良いのかとおもったらアルカリ性になる肥料があるという。いまだ不要不急の外出制限中なので、家のgreen観て、心安らぐのが、「いまここ」的感覚なのか。

なので、家の中にgreenを置きたい。ベランダにgreenが欲しい。小さな庭でエエので木々や下草を育てたい。家の前にgreenを置いて育て、道行人にも楽しんでもらいたい。なんていう要望が増えてきたようにおもう。今日は葉っぱが元気やよねとか、ちょっと枯れてきたわとか、花綺麗に咲いてますねとか言われて、一喜一憂しながらgreenを通じて、この地球という居場所で、太陽や雨や風や自然環境が織りなす気候となんだかんだ関わっているコトが実感できるのが、今のオモシロイコトのような気がしてきた。

住宅相談会の日曜日だったが、前日の土曜日に相談にお見えになったご家族は、建築条件付きの土地を購入予定だが、どうもその家が、納得できないという相談だった。建築条件付きを外すのに、そこそこの対価を要求されるのはフツウのコトになっている。ま、業者側にとっては当たり前といえば当たり前の事なのだろう。土地だけで経費を出すだけでは不足で、家も売った経費を出して、ようやく利益を生んだという感覚なのだろうが、どうも、家が欲しいお客さんからすれば、最近の売り建ての土地の価格と家の価格とのバランスが悪いと感じているようだ。総予算の中で、土地価格が高過ぎて、家が希望する性能やデザインや居心地の良さではないという…。多くの若い人々が、土地がもっと安いコト。土地価格が高騰しないコトを切に望んでいるようだった。家にもっと予算を掛けたいと。

午前中のAさんは、大阪のビル街のど真ん中に3階建ての間口の狭い住宅をお持ちで、それを売るか、そこをリフォームして住まうかをお悩みのようだった。有名建築に「塔の家」というビルの間に挟まれたモダン建築があって、東京の一等地の9坪ほどの敷地にコンクリートの塔のようなモダンな建築が建っている。そのイメージが湧いてきた。それよりもうちょっと土地は広い。低層の密集市街地の生野区に住むワタシにとっては、こういう高層のど街中にひっそりと住むのも憧れる。本日の担当者のタカノリと一緒に、即興でプランした。入り口に、ほんのちょっとしたオープンスペースがあって、ほんのちょっとしたgreenを育てたいという。そんなのが嬉しいし、エエ感じ。

午後からのBさんご家族は、生野区で土地を探して新築住宅を建てたいという相談だが、土曜日のご家族と同じで、建売住宅の土地価格と家の性能とデザインのバランスが納得いかないそうだ。同じような若い家族がほんと多い。中古住宅を購入してリフォームという方法もあるが、生野区には長屋が多く中古住宅一戸建てが極めて少ない。インターネット上のSUUMOで検索し、好みを共有しながら、ある候補の土地を探し出し、それをグーグルのストリートビューで探し当てて、予算で可能な、ちょっとしたgreenがある新築ができるかどうか、木村工務店で施工した今までの建物を参考にしながら、検討した。案外、こういう時間は楽しい。

午後からのCさんは、マンションリフォームのご相談で、築20年近くなると、ユニットバスや便所や洗面を交換したくなるという。キッチンの家電製品も20年ごとに新しくしたくなるのは、うちの奥方も含めて、多くの女性的願望なのかも。何だか天照大神が住まう伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮みたいではないか。そういえば、前日の土曜日に打ち合わせがあったご夫妻も同じようにマンションリフォームで、そろそろお風呂と洗面と便所を交換したくなってきたのが、コトの始まりだった。無印のインテリアコーディネーターの女性とコラボしながら建築的な「棚」の設計を考案中でもある。

庭は、あのかつての庭らしい庭ではなく、自然な樹形の自然な下草のある里山的で小さくてカワイらしい庭を望んでいるような気がするし、greenもちょっと多肉的でいま風のgreenを望んでいるような感じがするし、コロナ禍的で都会的が過多になってくると、大地との繋がり、自然(じねん)との繋がり、地球との繋がりを想起してくれるgreenを強く求めるようになってくるのだろうか。

温泉とランドセルとサングラス

朝からパラパラ雨が降る日曜日の大阪。で、東大阪の大型銭湯に行くことにした。スーパー銭湯と大型銭湯は違うというのをコロナ禍の制限によって初めて知った。スーパー銭湯はその他公衆浴場で利用制限がかかっているが、銭湯の大型の施設は、一般公衆浴場で、銭湯と同じ料金で、利用制限がかかっていないらしい。それにしても、一般の銭湯でもサウナとか露天風呂とか温泉とかあるので、石鹸とかシャンプーが付いていないとか着替えとか洗い場がゆったりしていないとかが大きな違いなのか…。で、スーパー銭湯が土日休業なので朝風呂からやっている銭湯の大きなやつに行くと男湯はいっぱい。密だな…。サウナもちょっぴり気を使う。

「まちのえんがわ」で住宅風呂巡礼を一緒に企画した「温泉ソムリエぐっち」が提唱する「純温泉」という定義があって…

「純温泉」とは新たな言葉です。

なぜ「純温泉」という新たな言葉を作ったのか?
それは「源泉かけ流し」という言葉が、良くも悪くも明確な定義がないため、
「源泉かけ流し」の温泉では、どのような温泉なのか、
もしくは、どのような湯使いをしているか、わからないからです。
また、「源泉かけ流し」であっても天然のままの温泉とは限らないからです。
※湯使いとは「加水・加温・循環ろ過装置・(塩素等や入浴剤等の)添加」の有無です。
また、昨今「100%源泉かけ流し」等様々なキャッチーなフレーズを見かけますが、
これもしかりです。ということもあり「純温泉」は明確な定義を設けました。

純温泉の定義

純温泉を以下のように定義します。
「源泉をそのまま利用している温泉であること」
但し
・源泉が高温の場合、適温にするための加水はOKです。
(但し、源泉の個性を損なわない程度)
・源泉が低温の場合、適温にするための加温はOKです。
・噴気造成泉はOKです。
・溜湯方式(貸切利用でかつ1組毎に換水)はOKです。
・循環ろ過装置を設置していないこと
・浴用の温泉水への塩素系薬剤等の添加による消毒はしていないこと
・浴用の温泉水への入浴剤等の添加はしていないこと
・適正な清掃及び衛生管理を行っていること

純温泉のタイプ別
純温泉A
完全放流式・加水なし・加温なし・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉B
完全放流式・加水あり(源泉の個性を損なわない程度)・加温なし・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉C
完全放流式・加水なし・加温あり・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉D
完全放流式・噴気造成泉・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉E
溜湯方式(貸切利用かつ1組毎に換水)・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし

「源泉掛け流し」といっても、それって、AタイプBタイプなんて、ぐっちの影響で、木村家の家族間では区別するようになってきたが、「消毒なし」ってほんと少ないらしい。今日も「源泉掛け流し」と書かれたその露天風呂に浸かりながら、「湯使い」をあれこれと想像してみた。

今週、マゴのランドセルを買うために生野区田島にある「生田ランドセル」さんにお伺いする。長男が予約をし、コロナ禍もあって、決められた時間に店舗でランドセルをチョイスした。工房は木村工務店で施工をさせて頂いたが、昨年他界された会長さんとは、生野区のものづくりや商売やホームページに関しての意見交換を交えたご指導ご鞭撻を頂戴し、いつかお返しをしたいと思っていた。

店舗に行くと、若い家族だけでランドセルをチョイスする方もいれば、うちのように祖父母が一緒に付いてチョイスしている家族もあって、小学校入学という子供の成長と将来の希望に満ちた雰囲気が充満していて、こんなハッピーなビジネスもあるのだと感心して眺めていた。偶然居合わせた社長さんにその事を伝えると、以前に別の会社で営業をしていた時は、間近でお客様が喜んでいる姿を実感できなくて、店舗での家族の喜ぶ雰囲気が嬉しくてこの仕事を続けていると仰った。商品を手に取りセレクトし、工房での製作過程を見学し、家に帰ってからその仕様をネットで注文して、年末に手作りのランドセルが送られてくる。ハイブリットで素敵な商売のやり方だな。

帰りがけ、すぐ近くの生野区のものづくり企業で、サングラスのTalexさんのカフェに立ち寄る。何となくランドセル購入の余韻を分かち合いたい気分だったのだろう。飲み終わり併設するサングラスの店舗に入って、オーバーサングラスを手に取って眺めた。目が悪くなってから、学生の頃や40代までは、コンタクトをしていたが、眼鏡に切り替えてからは、サングラスに悩む。ここ最近はカッコ悪さは我慢して、その昔に買ったオーバーサングラスで自転車に乗っていたし、今年のスキーはそのオーバーグラスで滑ると案外快適だった。それにしてもちょっと調子が悪くなってきたので、いつか買い替えようと思ってネットで見ていた。Talexさんのレンズはアウトドアーでは本当に見やすい。

現品をいろいろ手に取って見ていると、店員さんが、ワタシの眼鏡を視て、かなり歪んでいますね。ちょっと時間ありますか。直しますよ。っといって丁寧に直してくれたのだ。確かに、マスクをするようになってから、何度もずり落ちたりし、歪んだままで、修理にいけてなかったのでありがたかったが、ついついその親切な雰囲気に乗っかりたい気分になってしまい、サングラスの購入を決断してしまったワタシ。レンズにあるロゴの文字を消せますかっと伝えると、後日郵送でよかったら消すことできますよっと。対面の実店舗では、あれやこれや相談に乗りながらカスタマイズできるのが魅力だよね。奥方にもどちらが似合うかサジェスチョンもらったり。

ネットでなく実店舗でモノをセレクトして購入するなんて久しぶり。店員さんの対面のエネルギーに触れるのも懐かしい感じ。ほんともうそろそろコロナの終息を願うばかりだな。

水田と橋と街

緊急事態宣言が延長された大阪。なので友人や家族で一緒に出掛けるという予定が消滅し、ワークショップも中止しているので、日曜日の過ごし方のバリエーションが限定されてきた。梅雨に入って、平日に雨が降り、日曜に天気が良くなる、を繰り返すここ2週間。先週日曜日に自転車で走って、気になることが2つあって、確かめるために2週連続自転車に乗ることにした。水田と橋。そうそう、今日はランナーやローディーが少なかったような気がする。奥方はコストコに買い物に行くと、人がいっぱいで入場制限が出ていたとか。緊急事態宣言下の給料日明けの休日で、美味しいものでも買って家で食事する日曜日と違ぅっと奥方が呟いた。

自転車で農道を走ると水田の季節だと気づく。この光景を眺めると、日本的を感じる。何でなのだろう。先週は水が張られていたが、今週は苗が植っていた。ワタシ、農業に関しては、全く無知なので、家に帰ってからネットで調べると、「田んぼに水をはる」「前もって稲の苗を作る」というのが、かつての技術革新だったと、改めて知る。そういうのに近い技術って、建築では何になるのだろうか。前もって苗を作るは、木造で、家を建てる時に、構造材を作業場で前もって手加工しておいて、現場に運んで、家を建てる、いわゆる上棟式がこの水田に苗が植った状態に近いのか。

田んぼに水を張ることで、土の品質が良くなるらしい。建築での似通ったコトは何なのか?「下地」をきっちり丁寧に作るということが、美しい仕上げに繋がる。そんな、ものづくりの心のようなものに受け継がれているのだろうか。木村工務店では、伝統的に、プラスターボードの下地に、「胴縁」というのを使って、下地にひと手間かけてPBを貼る。無駄を省くために、最近は、間柱に直打ちになっている現場がほとんどだが、それによって、クロスの波うちや珪藻土の割れを防ぐことができる。

信貴山のリベット打ちでカンチレバーの赤い橋が、開運橋と呼ばれていて、それが重要文化財になっている素晴らしい橋であるということを、自転車に乗り出して、何十回もその橋を渡っているのに知らなかった。先週、下から写真を撮って家で検索して知った。そこにバンジー台が持ち出しで設置されていて、どうやっているのか、前から気になっていたので、もう一度下から視てみることにした。

説明は省くとして、橋の幅の端から端まで部材が渡っているので、橋の上のそこに部材の段差があって、それを跨ぐように緩やかな斜路が取り付いている。文化財的オールドな橋の作り方だからこそ、上手く取り付けることが出来たのだろう。それにしても、設計者も施工者も勇気あるチャレンジだな。行政もOK出したのは凄いよね。それより、当時の現場で、このリベットを打っている光景を想像するだけでワクワクする。東京タワーも同じ格好良さだし、細い部材が組み合わさって強度を保っている繊細なプロポーションがエエのだろう。数寄屋の大工だった昨年亡くなった沖棟梁が、ある日ワタシに、木を太い部材でしっかり組み合わせるのは、誰でもできる、細い部材を使って繊細にしっかり木組みするのがカッコエエのや。とワタシに呟いたことを思い出した。

そうそう、今週の夜は、ジロ・デ・イタリアのライブ中継の街並みが面白いので、ついつい視てしまった。その第20ステージが山岳ステージで、イタリアから国境を超えてスイスの山岳に入りイタリアに戻るのだが、イタリアの国境を超えてスイスに入った途端に街並みが劇的に変化するのが面白い。応援する住民の服装も違うしね。これを「文化」の違いっていうのだろうか。国によって趣味嗜好や建築技術や工法や材料が違うからだろう。日本の街並はどうなっていくのだろうか。

↓ イタリアの街並
↓ スイスの街並み

自転車に乗りながら何となく「日本的」光景を探しているのだと気づく。

陽気。

雨が降り続いた週。かなりの量の雨が降った翌朝は、雨漏りの調査依頼の電話がかかってくるのは工務店にとってのあるある的光景なんだろう。もう梅雨入りらしい。鬱陶しい天気が続いた後の梅雨の晴れ間の今日の日曜日は、アウトドアーに出たい気持ちが満々だった。

朝から自転車に乗るとランニングする人やサイクリストが多かった。緊急事態宣言下なので近場にする。十三峠から朝護孫子寺へ。初めて赤い橋を下から眺めるとリベット打ちだった。この橋でバンジージャンプをやっていて、一度やってみたいような。そんな気持ちもあるが、怖いような。歳も歳やしな。みたいな心の中の会話のようなコトバがバンジージャンプの飛び込み台の横を通るたびに行き交う。今朝もしばし準備中のバンジージャンプスタッフを眺めていた。長男がやりたいって言っていたなぁ…なんて心を過った。そしたら、昼過ぎ、午後2時から長男タカノリが、バンジー飛びます。今自転車どこに居てますか。みたいな家族ラインが送られてきたが、すでに家に帰り着いた後だった。みられなくて残念。

竜田古道里山公園横の丘から国分方面に下って竹内峠の道の駅に着くと、2人の人が話しかけてくれた。陽気が良いからだろう。ひとりは同じメーカーの自転車に乗っておられる方で、ワタシの自転車を褒めてくれて、疲れていたが何だか気分が上げ上げになった。もうひと方は70代の方で、ヤマハの電動自転車に乗っておられた。時速24kmでアシストが切れるので、平坦な道はしんどいが、坂道のアシストの魅力には勝てないらしい。持尾展望台まで後を追ったが、坂道なんて全く追い付かない。自力で坂道を越えた満足感もエエが、歳いっても電動でいろいろな峠を気軽に越えられる姿が楽しそうだった。ワタシもきっといつか電動にするだろうな。

帰り道、八尾空港に寄り道していつものベンチに座ると隣のおじさんが声をかけてくれた。何と、飛行機を持っておられて、友人がその飛行機で白浜往復しているので、ここで休憩し、待って、帰ってきたら、その飛行機に乗ってタッチアンドゴーで楽しむらしい。ワタシ、飛行機を持っておられる方と人生初めての接触でした。タッチアンドゴーは飛行機の全ての技術が詰まって楽しいらしい。乳酸菌の健康食品を製造販売されていて、団子のような食べ物をひとつ頂戴し食べた。自転車の携行食として良さそうだな。30分ほどあれやこれや。コロナと梅雨の間の陽気は皆を陽気にするよね。

そうそう、ジロ・デ・イタリアというロードレースが開催されていて、ものすごく興味があるわけでもないのだが、第12ステージがシエナからのスタートだと聞いて、jsportsで視聴した。ダイジェストはレースが主体だが、スタートからフィニッシュまでの動画は、街の紹介が入る。「イタリアの山岳都市」という本を教えてくれたのは、小さなマンションを建てさせて頂いた女性のお施主さんだが、その本に刺激されて、長男とレンタカーでイタリアの山岳都市を巡った。

その旅の中でも宿泊したフィレンツェからサンジミニアーノへシエナへそしてアッシジで宿泊した行程は深く記憶に残る。後日イタリアからスピードオーバーの罰金が来たのも今となってはエエ想い出だ。そのシエナのカンポ広場の雰囲気の良さとその広場に座った時の感覚が体験として身体に残る。また行ってみたい。シエナに宿泊してみたい。なんて。シエナで「広場」っていうものの良さを知った。こんな広場は日本にはないもんね。そのカンポ広場がレースのスタートだったが、自転車の友人が、ジロ・デ・イタリアを視て、なんで、イタリアの街ってエエのかね。広告ないからかね。なんて言っていた。それもそうなのかも。山岳都市は高低差があって統一された集合住宅的雰囲気と道幅とそのうねる街路の建物の高さがその良さのひとつかもしれない。

先日、町の工務店ネットで、日本は「住宅集合」になってバラバラだ。みたいな話題があったが、確かに日本の街並みにも「集合住宅」がもつ、緑を共有するとか、駐車場を共有するとか、屋根や壁の素材感を共有するとか、そんな要素が少し混在した方が良さそうだと思えてくる。ジロ・デ・イタリアを視聴しながら街並みを眺めるのが楽しい。そうそう山岳道路にキャンピングカー泊めて応援する光景も一度やってみたいな。

コロナ禍の雨の日曜日をどう過すのか。

cloudyな日曜日。曇りそして雨そして曇り。そして外出が制限される緊急事態宣言のコロナ禍。こんな日曜日をどう過ごそうかとおもう。皆同じように悩むのだろう。アウトドアーに出ることができない。街にも繰り出せない。そんな状況下を家で過ごすのに、建築的にどのようにサポートするのかっていうテーマに関して、今週、町の工務店ネットの秋山設計道場で、コロナ禍を反映する課題があった。ま、木村工務店の設計スタッフは、そんなことより、フツウの家を造ることに短時間のエネルギーを注いで、全くコロナ禍的を社内で議論しなかった。

25歳から45歳ぐらいの20年間、家族と共に、ハイエースの小さなキャンピングカーで毎週のように車中泊やキャンプをして過ごしたが、晴れは晴れとして、雨の日の楽しみは、しとしと降る雨と、眼前のどんよりした山や川や海や緑を眺め、タープの下で、珈琲を飲んだり、持参した本を読んだり、静かに瞑想的に過ごしたりするのが、案外楽しいし、印象に残る雨のキャンプシーンが数々ある。

そんなのを家づくりに反映しようとして、かつて住んでいて、今、長男家族が住む家では、木組みにポリカボネードの屋根をかけた半屋外空間を造ったが、数年前に母屋をリフォームした家では、ちゃんとした屋根のある庇の長い半屋外空間を造ってアウトドアー薪ストーブを置いた。縁側的な1mぐらいの庇は、パッシブ的で日差しを調整するには快適だが、雨や日差しの中での「居場所」という感覚とはちょっと違う。2m以上のタープ的な庇がないと、楽しく雨の日を過すスタイルにはなれないとおもう。

以前の家のリビングには薪ストーブが唯一の暖房源で、その快適さに心和んだが、薪を準備する面倒くささとか、あと、大阪では、12月1月2月の3ヶ月がメインで、稼働率がそんなに多くないし、調理に使うのも限られてくる。そんなこんなで、アウトドアーの薪ストーブは、半屋外で、3月4月5月9月10月11月と6ヶ月ぐらい稼働できて、半屋外なので調理にも活用できる。今までの炭火で焼肉と違って、薪で厚鉄板で厚ステーキっていうのがスタイルで、薪ストーブの「火」が心も和ませてくれる。って言ったって、単にワタシ好みのスタイルの居場所だし、そういう個人的嗜好がいま的数寄屋なのかね。奥方は、家の中で、居場所を変えながら家事したりゴロゴロしたりするのが楽しそうだ。

以前の半屋外空間は、高さ700mmのテーブルと椅子だったが、今回の半屋外空間は、今風に、ロースタイルの高さ350mmのテーブルに低い椅子か無印のクッションにラグを敷き詰めて、ゴロゴロしながら過すスタイル。ここ数年のキャンプスタイルの変化が、家の屋外空間にも影響を与えたのだおもう。ま、そんな長く過ごせる半屋外の居場所のスタイルより、「緑」「空」「雲」「雨」「風」「太陽」「月」を眺められる居場所であることの方が大切なのかもしれない。特にコロナ禍で内省的な気分にバランスをとるためには、いつも以上に「緑」を眺めたくなるような気がする。「まちのえんがわ」が「まちのえんげい店」になってから、想定以上に多くのお客さんが、訪れるようになったのも「緑」の力なんだろう。

cloudyで雨降る日曜日の半屋外空間で一日中過ごしゴロゴロしながら本を読んだ。と言いたいが、iPadのKindleとか楽天ブックスとかの雑誌みたり、YouTubeみたり、SNS眺めたり、Amazonで購入考えたり、なんていうのが、今のスタイルなんだろうし、キャンプでも小型のバッテリーを持参するのが、必須のスタイルになってきて…。いやいやそんな話の方向ではなかった、コロナ禍故に必要とされる建築とは何なのだろうか…っていうテーマだった。土間があれば、ワタシは自転車の整備に使いたい。アウトドアーの道具も並べたい。小屋があれば男の秘密基地的に「モノ」に囲まれたい。なんていうのはワタクシ的男性的趣味嗜好のような気もするし、なんだかんだ。コロナによって家を楽しもうという人が増えてきて、家を居心地良くしようという人増えてきて、家に自分のライフスタイルを反映して、ちょっとお金をかけても良いかなっと思う人が増えてきたってことが、一番のコトなのかもしれない。ほんとそうなんかな半信半疑。

 

1 17 18 19 20 21 39