地球温暖化とか税金とか

庭のサクラはすっかり落葉し、ヤマボウシは只今紅葉中。階段前のモミジはまだ緑。いつも紅葉と落葉は年末になる。会社前のエゴの木は11月中に落葉していたのにここ数年は12月中頃まで落葉しなくなって、イルミネーションを取り付ける時期を逃し続けている。会社の南の道路から東を向いて見える生駒山の紅葉もどんどんズレて遅れているようにおもう。そういえばここ数年クリスマス感がなくなりだした。それもこれも地球温暖化と関連しているのだろうか。

小学生高学年向けの租税教室というのがあって、生野納税協会の関わりで何度かその講師として担当するようになり、今週は卒業した地元の小学校だった。学び舎の教室に入るなんて何十年ぶりなんだろ。教えるにあたってはシナリオがあって、それに従うだけなんだけど。税金って知ってますか!とか。あった方が良いですかなくても良いですか!みたいな質問もあり。15分ほどの税金がある時ない時のアニメのビデオ上映をする。そのシナリオのなかで、教育関係の税金の使い道で、小学校を建てるのに平均15億円がかかるというクイズ形式があり、模造の1億円ジュラルミンケースを開け、その重さと高さを体感する。1千万円の札束がおよそ10cmあるって、ワタシも知らなかったし、映画の強盗犯人が1億円のジュラルミンケースを持ち逃げするシーンがあるけど、早く走れないほど1億円が重いってことを体感して驚く。ワタシが、この1億円の「ほんまもん」を実際に手にする機会って、この先、全く想像できないですわ。

教育費に小学生は1人あたり約88万5千円、中学生は約104万3千円、高校生は約98万8千円かかり小学校入学してから高校を卒業するまで12年間で1人あたり約1,140万3千円、税金でまかなわれているらしい。ワタシも心のなかで、ほぉーっと呟いているのだけど、そういえば「税金」って案外、今まで、学校で学ぶ機会がなかったよね。ここ数日、あの大学の学校関係者が、家の中や学校のなかに1億円以上隠していた。というニュースに接すると、あの時右手に持ったジュラルミンケースの重さを筋肉が記憶していて、ぴくぴくっと筋肉が反応するのだった。税としての1億円の重み。

そうそう本日は住宅相談会があった日曜日で、まだベビーカーに乗るお子さんを抱えた若いご夫妻が中古住宅を探してリフォームをするご相談にお見えになった。設計担当のカワモトくんと一緒に、ある特定地域で検索したSUUMOの中古住宅情報を大きなテレビ画面に映し出しながら、グーグル上で丹念にその場所を探し当てストリートビューで表示させると、ちょっとした現地訪問で、付属の簡単な図面と簡単な内部写真をもとに現況を想像し、こんなリフォームの可能性があることを伝え、そんな一連の作業を一緒に共有するのが楽しかったりする。

どんな小学校の地域であるのかが重要なファクターであるとともに、水害ハザードマップを気にされる方も増えてきたし、家に駐車スペースを必要としない車を持たない都会でのライフスタイルを好む若い世代も増えてきた。水害ハザードマップは地球温暖化による影響と関連しているのだろうし、良い小学校区の雰囲気の良い住みたい街をつくるのは誰なのか問題。高齢者にとっての車と若い世代にとっての車をどう考えるかはこれからの都市交通とライフスタイルをどうするか問題でもあるし。それらの問題の背後には、税金の取り方と使い方があるようにも感じ。なんてコトをつらつら考えてみた今週だった。

ちょっと送り火的気分。

冬が急速に迫っていると実感する晩秋。秋晴れなのにちょっと寒さを感じる朝だったので、布団の中に潜り込んでぐっすり寝てしまい、アウトドアーに出るタイミングを逃した。なので朝風呂朝サウナ朝コメダで過ごす。水風呂で体の周りに膜がはるような感覚を楽しむために高温のサウナに入っているようなものだが、塩サウナも好きで肌がスベスベになるのが嬉しい。サウナより低温でじわっと体温があがり肌の上に載っかっている塩が汗と共にじわっと滑り落ちていく感覚が好きだ。それに炭酸泉で体が気泡に包まれる感覚も好きだなぁ。

コメダでたっぷり珈琲と味噌カツサンドを好んで食べる。おっさん好みの喫茶店かとおもっていたら、最近お若いひとも多い。今日は、私たち夫婦の席の四方は若い人達ばかりで、ほとんど全員がipadかパソコンを持って寛いでいる姿がいかにも今風で印象的だった。そのうちのひとりの男子はipadにワイヤレスイヤホンでZOOM会議をしていた。自己紹介のところで、やたらに声が大きく、周りも聞き耳をたてるほどだったが、そのうち落ち着いたトーンになった。新聞を読む高齢者。雑誌を読むおばさん。あらゆる年代層を許容するところってエエよね。

今週、久しぶりに施工した「コトバノイエ」にお邪魔する。木村家本舗や「まちのえんがわ」ワークショップに参加してくれていた女性の訃報があって、その偲ぶ会のようなコトが身内で催されていた。本があるところ。本があるホーム。って少なくなってきたのでコトバノイエは稀少だとおもうし、オープンハウスでなくオープンホームっていうスタイルがカッコエエのだとおもう。そこに定期的に人が集まるのはカトウさん夫妻の持つカルチャーと人徳の由縁なのだろう。コトバノイエを設計した建築家のヤベさんやハヤシさんそれに建築家不動産のクヤマさんともお会いし、あれこれ近況を語り合う。家を出るタイミングを逃し夜な夜な車で訪問したので、帰りはへべれけに酔っ払っているヤベさんを送り、東京でNuiという有名なホステルを共同経営するオーナー女性を送る。そんな車の道中で一緒に交わす何気ない会話が心地良かったりする。

そういえば、知り合いの訃報が相次ぐここ二週間だった。そのお三方とも心筋梗塞のようなかたちであっという間に亡くなったらしい。そのうちのお二人は、建築家のハヤシさん設計で木村工務店で施工したノモトさんが、葬儀屋さんとして、適切な対応と葬儀を執り行ったときいた。こんな訃報な週に遭遇すると、ワタシとして、どんな「死」を迎えるかを考えてしまうが、そのためには「いま目覚めていまをリラックスしながら一生懸命生きる」なんていうどこかで聞いたことのある当たり前のコトバしか浮かばず具体的な行動など全く浮かんでこない週末だった。


そうそう生野区の「みんなの文化祭」が、廃校になった鶴橋中学校で開催されていた日曜日で、多くの知り合いが関わっているので、ちらっと激励に訪れる。高校や大学の文化祭的なノリの素朴なマルシェで、もう少しスタイリッシュなほうがワタシ好みだが、飲み食い買いもの以上に教室で催されている多種多様なワークショップに魅力を感じるイベントだった。生野区のこの地域は鶴橋中学校と御幸森小学校が廃校になり、大阪市内の限界集落的廃村的町内会なのだが、寂れているのかというと「コーリアンタウン」が全国から訪れる人がいて、不思議な活気に満ちあふれていたりする。

ただ、生野区は職住一体的零細企業的町で、次世代の仕事を担う若い子育て世代が住みたくなる住居のある街。になるように目を向けなかったコトで、小中学校が廃校になるイマの現状になってしまった。という分析を「空き家カフェ」の活動を通じて知って、確かにある大手ハウスメーカーの周辺分析には、1Kや2DKの賃貸住宅が多く、子育て世代が住む2LDK以上の賃貸が極端に少ない。という分析があるのにハウスメーカーには2LDKの商品がなく1DKを誘導するという矛盾で。若い子育て世代が住みたくなる街を目指すコトが、限界集落を乗り越える当たり前の共通概念かもしれない。と廃校でおこなわれていた「みんなの文化祭」を眺めながらおもった。

夜。アウトドアー薪ストーブの炎を眺めながら食事をしたが、今思えば、送り火的な気分もあったのだろうか。

化学変化

いまいち寒くならない穏やかな秋晴れの日曜日。「まちのえんがわ」珈琲ワークショップがあった日曜日なのだが、唐突に、堺市立堺高校建築インテリア創造科の生徒さんが、先生と一緒に木村工務店の見学にお越しになった日曜日でもある。

先週、堺高校の女性の先生2名と男子生徒1名が「まちのえんがわ」と「木村工務店」への突然の訪問があって、その日の朝、運動がてら自転車に乗って、早々に「まちのえんがわ」に帰り着いたワタシが、そのお三人と偶然遭遇し、ピチピチのレーパンとピチピチのジャージにヘルメットにサングラス姿で自転車にまたがったままのワタシと立ち話をすることになり、なんとなく気恥ずかしい気分を内面に宿しながらあれやこれやと話しているうちに、今日日曜日のワークショップ前の午前中に生徒さんを引率して工務店見学にお越しになることになった。

お話しを聞くと「生野区ものづくり百景」と「御幸森小学校廃校跡地利用計画」などで、生野区に関わりができ、「まちのえんがわ」活動を通じてご縁を持つ事になった大阪市立デザイン教育研究所、通称デ研の卒業生で、リゲッタに就職したアカマツくんとその先生がオトモダチで、彼のご紹介で木村工務店を知って訪問されたという。「縁」と「繋がり」は摩訶不思議だといつもおもう。ワタシ、堺高校建築インテリア創造科の存在を知ったのはその自転車にまたがっている時が初めてで、高校生の時から建築に興味を抱いてそれを専攻する生徒さんに少々の興味を抱くことになった。

ワタシなぞ、工務店の長男として生まれ、初代創業者の祖父に可愛がられ、家の前の工務店に出入りする大工さんをはじめとするさまざな建築の職人さんと日常的に接し、当時協力会社の材木屋さんの社長さんなどからは木村工務店にお越しになるたびにお小遣いのようなポチ袋を頂戴してしまった身としては、高校生になってから大学生の後半に至るまで、この工務店の長男に生まれたという現実と、その環境下でそれなりに育てられたコトを、ポジティブに受け入れることができるようになるために、かなりの回り道とちょっと馬鹿みたいな犠牲を払ってしまった。ま、それは今にしておもえば数年間、ある種のウィルスに侵され、その後遺症が何年も続くようなものなんだろう…..。

それはそれとして、先生と生徒さんには、珈琲ワークショップのために用意した加工場の席に座ってもらいながら、そうそう秋山設計道場が木村工務店で開催された時に製作した「木村工務店とまちのえんがわと木村家」のパワポを流用して生徒さんに「工務店という存在」を説明し、会社を案内し、木村家を案内して、生徒の皆さんに感想を語ってもらい、工務店を体験するという会社訪問を終えた。大工になりたい男子生徒。設計を志したい女子生徒。現場監督になりたい女子生徒。将来を決めかねる男子女子生徒。それぞれが建築というものづくりを妄想しながら将来に向かって模索している素直な姿が初々しくて良かったが、何よりもリアルな建築を見学をする体験を通じて内面から発せられるそれぞれのリアルな心情にパッションがあって、その言葉を通じてある種のエネルギーを頂いたようなワタシが生徒さんに感謝したいような気分だった。

その説明時にワタシの口から何気なく出たコトバのひとつに、工務店の「工」という漢字にこめられた工事現場でのものづくりの職人的な意味あい。「務」といいう漢字にこめられた、設計業務や見積業務や事務業務など事務所作業的な意味合い。「店」という漢字にこめられた、建築を造るお客さんとして施主に対してのおもてなしを含めたサービス業的な意味合い。そんなのが工務店でもあるのだと、うちの社員と共有しようとしていたここ数日のコトバが生徒さんの前で発露したようなものだった。

午後の珈琲ワークショップを開催した喫茶ルプラのニシミネさんは、リフォーム工事をさせて頂いたお施主さんでもあるが、工事以前からワークショップを一緒に開催し、コロナ禍の間にアウトドアー珈琲焙煎機を製作するワークショップを開催しようと準備していたが、お互いに納得がいくような製品にならず、「ものづくりセッション」のメンバーとによるコラボレーションでの完成に託すコトになった。同じ豆で同じ挽き具合で同じ道具を使って珈琲を入れても、それぞれの個性と入れ方によって味が全く違う体験が面白く、以前より洗練されたワークショップのスタイルになって、参加者の皆さんと和気藹々と珈琲の味比べを楽しめた時間が心地良かった。

コロナ禍が落ち着き、ネット上の繋がりと違う、人と人のリアルな接触があると、お互いの身体に、ある種の化学変化のようなものが起こるような気がした、日曜日だった。

ランドスケープ

庭の桜の木が落ち葉を撒き散らし始め、これから掃除がタイヘンになる我が家の紅葉シーズン。ウエザーニュースの紅葉情報を見ると京都とか奈良とか来週辺りから見頃になるらしい。こんな情報がフツウに手に入るなんて便利な世の中になったが、お客さんが集中してなお一層混むのかね。

紅葉前の秋晴れを楽しむために奈良へ。

↑ 藤原京のコスモスが満開で、多くの人が写真撮影をしていた。インスタ的撮影風景もあちらこちらで。モデルの女性を撮影している光景があって「いいよぉ!いいよぉ!」って発するカメラマンの声が、日曜日の家族連れがいっぱいのコスモス畑の中で、妙に浮いていたなぁ…


↑ 法隆寺を通過する時は、さまざまな土壁のテクスチャーを眺めることが多い。法隆寺東大門も何気に何度も見ていたが、その日は、朝日に照らされた肘木(ひじき)の小口がシュッと伸びている姿がカッコエエなぁ…と眺めた。何千年前の当時の造作した大工の「どぉやぁ!カッコエエやろ!」と言う控えめな声が聞こえて来そうだった。国宝で三棟造と呼ばれていると習った気もするがあらためて知った。

↑ 安堵町の集落の間をよく通り抜ける。古民家のこんな窓を見て、家の中から見たらどんな感じの部屋なのかを想像してみた。棟梁と施主が一緒になってデザインを考えたのだろうか…。

↑ その集落の中の農道のような道の隠れた所にこんなカフェがあった。まだ営業時間前だったので、道から写真を撮る。道路と駐車場と緑とアプローチと家と庭のこういう関係性も案外好きだ。個人住宅でこんな風にならないのは、緑に予算がかけられない緑を育てるのがタイヘン。だからかね…。

↑ 自転車に乗るようになってからこの場所から何度も石舞台を眺めるようになった。今までは、古墳に興味はあまりないが巨大な石組には興味が湧くって感覚だったが、この場所を知ってからは、ここから眺める道と緑のマウンドと木々と集落と山とが織りなすランドスケープが独特の気持ち良さを感じさせる。なんでなんだろう…

↑ そういえば、定点観測的に竜田古道のこの場所からもよく景色を眺める。葡萄の収穫も終わりビニールシートが取り払われ葡萄の葉っぱが紅葉していた。ここからのランドスケープも心地良い。霞たつ大和の朝の光景に出会えた時は、悠久の時の流れを感じる。近くの三郷でモーニングをやっていたカフェが日曜日の営業をやめてから、コンビニでおにぎり買ってコーヒーを150mlの保温ボトルに入れて、この場所でモーニングすることもある。

↑ そうそう、葡萄畑の後ろの小高い山に登るとこんな不思議な場所がある。一部には縄が張ってあり、ご神域につき立ち入りをご遠慮くださいと書いてあって、独特のランドスケープで確かになんとなく神々しい気配があるのだ。

「ランドスケープ」ってコトバを使って景色を眺めてみると、ちょっと見え方違って面白いよね。

「ものづくりセッション」

「ものづくりセッション」を催した土曜日。生野区のものづくり企業の若手世代が中心で、デザイナーの方々や大阪市立デザイン研究所の面々も主なメンバー。行政のタケダさんが、個人的趣味として呼びかけて催す「セッション」で、ものづくりの立ち位置のそれぞれが、「まぁ俺の話を聞いてくれ」と、自分の想いをパワポでシェアーすることがキッカケになって、それにレスポンスし、それぞれが、あーだこーだと共感したり違和感を表現したりする「セッション」のような会合なのだ。

場所の提供とファシリテーターの役目を私が少々担うものの、ちょっとユニークな行政マンのタケダさんが扇の要になって、その人間力によって人が集まっている。それに同じ住吉高校の同窓生で、楽しく歩く人をふやす!というキャッチフレーズのリゲッタのタカモトくんと同じ同窓生のアパレル業界では陰で有名なジパングのマエヅカくんが、コメンテーターとして協力してくれるお陰でもある。

今回のプレゼンテーターのひとり、キムチの高麗食品のファンさんのプレゼンに、今後の目標というのがあって、①会社を永続させていくためにブランドを確立させたい。②従業員が安心して働ける会社にしたい。③子供が継ぎたくなるような会社にしたい。という。同じ中小企業の経営者で、まだ40歳台なのに、すごく素直で、まっとうな見解だな…って感心した。若い世代の参加者との交流を通じて、初心にかえってあらためて勉強させてもらっている。みたいな感覚だな…。

久しぶりの開催だったこともあるが、3時間近く誰も帰ることなく、ダレることもなく、終わってからも1時間近く立ち話と交流が続いたのが、嬉しい出来事でもあった。そうそう、その後、コロナ禍から久しぶりにオープンした生野区のバーソケットへ行くと、施主でもあるハセバさんが偶然カウンターに座っていて驚いた。一緒に飲んで音楽を聴く。再オープン1ヶ月ほど前に、スピーカーの置き場所とセッティングのサポートにお伺いしたが、ミュージックバーとしてリニューアルオープンしてからは初めて。「音」を楽しめる居場所があるのは有り難い。気がついたら次の日になっていた。

「ものづくり」にとっても近い位置で建築を完成させるのが工務店であって、その苦しみや喜びを内包しつつ、お客さまに喜んでもらえる建築を完成させ、持続可能な会社としてブランド力もあり、社員の喜ぶ姿があり、後継者になりたいとおもわせるような会社でもある。なんて、現実はコトバほど簡単ではないよね…。「ものづくり」にとっても近い位置で存続していこうと努力している会社の集まりが「ものづくりセッション」に参加している人たちなんだろう…。

ものづくりの集落

朝から雨がパラパラ降る衆議院議員総選挙の日曜日。たまたま次男24歳が東京から大阪に帰省していたので一緒に選挙に行く。初めての投票だという。地元の小学校に訪れたのも久しぶりらしい。Z世代といわれているこういう若い世代のほとんどが投票すると政治はどのように変化していくのだろうか。とにかく一度皆で試してみようよ!とおもった。

先日、ある縁で福井で自転車に乗ることになった。昨年も、武生で、この建築の裏の道を通過し峠をヒルクライムした時、この建物の後ろ姿を眺めながらなんとなく気になっていた。家に帰ってガーミンで記録された地図を眺めながら、それが「ナイフヴィレッジ」だと知って調べてみると、左の円形の建築は毛綱毅曠(もづなきこう)という建築家だと知った。

ワタシ、20代後半の頃、家族と友人達と北海道のキャンプ旅を数度した時、屈斜路湖畔の弟子屈アイヌ民族資料館の前の芝生広場で2泊ほどキャンプし、湖畔のコタン温泉露天風呂に何度も入浴した楽しい想い出があって、そのテントの目の前でずっと眺めていたアイヌ民族資料館の建築家が毛綱毅曠だった。そんな懐かしさが動機付けのようになって、今年は、朝から、まず、この建物を見てから自転車に乗ろうよっということになった。勿論ナイフにも興味があるあるだった。

右の建物が商品展示と販売になっていて、左の建物が資料館でその奥に工場があって、ほんとうに職人さんが刃物を製作していた。土曜日の朝一番だったが、刃物を打つ音と研ぐ音が工場内に響き心地良いものづくりの波動を発散させていた。ちょっと見学して帰るつもりだったのに1時間以上滞在し、この工場で製作されるナイフの魅力と誘惑に負けて、私はステーキナイフを。同行のキタムラくんは折りたたみのカッコエエナイフを買うことになってしまった。

 

武生のこのナイフビレッジがある刃物の里の近くには、漆の里があり、和紙の里があり、眼鏡の里があって、田畑を隔て、それぞれが集落として点在していた。不思議で魅力的な里山だとおもう。眼鏡ミュージアムには立ち寄れなかったが、もともと農閑期の仕事として大阪から眼鏡フレームの技術を学んだ。と書かれてあって、生野区のうちの会社の裏にあるメガネの3Dの型を製作する山岡製作所のお爺さんがその技術を伝えたひとりだと聞かされていた。ちょっと驚いたのは、その眼鏡フレームの技術を取り入れようとした眼鏡の元祖の人の集落が、生野町というらしい。これは偶然なのか?!

 

地元の白崎サイクルのシラサキさんの予約で「山路」という越前そば屋さんで蕎麦を食べる。今まで食べた蕎麦で一番美味しいのではないかとおもわせる香りと味だった。それを穀物の香りというのだろうか。粘っこい腰があるのに歯応え良く切れる蕎麦という感覚だった。店主は和紙職人で、土曜日と日曜日だけ限定売り切れ御免で蕎麦を打っているという。食事中にマスクを入れるその職人さん手作りの和紙袋が付属していたのがカッコよかった。和紙職人と蕎麦職人という二刀流も今風だな。

漆の里からちょっとしたヒルクライムで峠を越えて一乗谷へ行く。朝倉氏の一乗谷遺跡に憧れを持ったのはNHK BSの「その時歴史は動いた」を視聴したからだろう。集住の場所を、どんな周辺環境下で、どんな規模で、どんなデザインの街並みとして造ったのかを体感してみたかった。原寸大復元模型の町並みを歩きながら、ものづくりの集落との関係性をボランティアの案内の方に聞くと、この一乗谷はたかだか500年前に造られた町で、ものづくりの里は1000年以上前から存在してますよ。ということだった。最盛期は1万人ぐらいだったらしいが、なんとなくコミューン的集落のようなムードが漂っていた。

都道府県幸福度ランキングでは福井県が一位で「教育」と「仕事」が一位を守り続けているらしい。自転車で集落を走っていても建物が豊かな感じがする。両親との同居世帯も多いらしい。都市だけに目を向ける時代じゃないよね。なんていう気分になった自転車旅だった。

「ドローン」

秋を通り越してもはや冬の始まりだな。ドローンワークショップを催した日曜日。そもそも工務店で、なんでドローンなのかっていうのもあるが、最近、竣工写真を撮ると、ドローンでも撮影しますよっと言ったのは、写真家の多田ゆうこさんで、写真ワークショップを一緒に開催し、木村工務店のホームページに掲載されている写真を撮ってくれいる女性カメラマン。住宅風呂巡礼という企画を一緒に遊んでくれた女性写真家でもある。そうそうそれに屋根の点検なんてますますドローンが必要な時代になってきたとおもう。

ドローンワークショップを一緒に開催した土林くんは、前々回の「まちのえんがわ」グリーン化計画ワークショップに参加してくれた縁で繋がって、その彼がドローンのプロフェッショナルだと知って興味が湧いて、一度遊びに来てほしいと頼むと、気軽にまちのえんがわにドローンを持って来てくれた。そうすると、ただドローンを操縦するプロフェッショナルだけでなく、自作でドローンを制作し、何よりも彼が持っているドローンの道具箱が格好良かった。なんというかものづくりの空気感があったので、まちのえんがわドローンワークショップを開催しようよっ!ということになった。

で、ドローンに興味を示すのはマニアックな若い男の子だとおもっていたら、参加者の多くがオトナの女性で、それも女のお子さんを連れ立っての参加者が多かった。ワタシここ10年ほど関西大学の木造設計製図をサポートしているのだけれど、近年ますます女性の建築を目指す学生が増えてきて、微妙な感覚で申し訳ないが、男の子より好奇心が旺盛なような気がするのだった。

若い頃読んだ本の一節に、食物には、口から入れる食べ物。鼻から入れる呼吸と空気。目と五感から入れる印象。というのがあって、食物を摂取しないと1週間後に死に、呼吸をしないと3分後に死に、印象を持たないと数秒後に死ぬ。みたいな表記があって、微妙にそのコトバの表現は違うのだけれど、ま、そんな意味では、常に好奇心を持ち続けることは、新鮮な印象を食べ続けて、生き生きと生きるために大切なコトで、今回のドローンワークショップの参加者は、そんな好奇心に従って素直に体験してみようとした方々だったのかもしれない。

意外だった事は、小学生以下の子供達が、最も操作しやすい簡単なドローンであれば、それぞれが操作できて楽しめるっという事だった。想定以上に、子供達が楽しんで、本当は、オトナ達がこっそりと楽しむはずだったのに、子供達が楽しそうにしている様子に、じっとオトナ達がドローン操作を我慢している姿が印象的だった。なので、参加者のほとんどが女のお子さんのために、そして自分のためにも、最も安くてプリミティブなドローンを買って帰った。

ちなみにワタシも孫達の喜ぶ姿とその家族が喜ぶ姿にほだされて、小さなドローンを買ってしまうことになったが、小さなおもちゃ的なドローンが浮遊する姿は小さな虫のようで、とってもカワイイのだった。昔の子供達はミニ四駆で遊ぶ時代だったが、これからはドローンで遊ぶ時代になっていくのだろうか。木造のトラスで組まれた加工場が、通り抜ける隙間がいろいろあって、ドローンサーキットとして最適であることを知って、いつか加工場が、ドローンの朝練会場になっているのかもしれない。

家に帰ってからも居間で2台のドローンが浮遊する1日だったが、その「浮遊感」に心地良さを感じストレスも一緒に空間に散逸していくような気分になるドローンワークショップだった。

 

「クレーン」

久しぶりに、鉄骨ALC造の小規模な工場の引き渡しがあった。木村工務店では、40年以上前は沢山の鉄骨ALCの工場を施工していた。生野区や東成区で長屋の中で創業していたものづくりの工場が、商売繁盛と共に手狭になり、大きな工場を建てるために東大阪市や八尾市の田んぼを買い求めて、工場を建てるパターンが多かったという。当時はALCの販売施工部門が木村工務店の内部にあったので、ALCの工場や事務所や住宅を数多く手掛けてきた。もちろん木造の大工も社内に在籍していたので、ALC部門が社内に残っていれば、木造と鉄骨のハイブリットで二刀流の職人集団になっていたのかもしれない。

その引き渡し時に岡本電気の岡本くんが、住宅もエエですけど工場の配線好きなんですよ!配管を工夫する楽しさがあるのですっ!という。確かに住宅の住みやすさを追求するように、作業のしやすさを追求する工場を考えるのも楽しい。ま、それはそれとして、そこにオレンジ色に着色されたガータークレーンが設置してあって、ちょっとだけ操作させてもらう。それだけでもちょっとワクワクする。気恥ずかしさもあって、嬉しそうなそぶりを周囲にみせなかったが、心の中では、端から端まで運転して、なんでもエエので何かを吊り上げたいとおもっていた。

「クレーン」というのに、なぜか興味がそそられる。なんでなんだろう。それは「男の子」だけのことなのか。そういえばゲーム機のクレーンゲームというかUFOキャッチャーがいまだに存在しているではないか。心の奥に潜むこの隠された魅力とはなんなのだろうか。クレーン部が上下して吊り上げたり下げたりする所作の魅力なのか。それだけではなく単純なメカニカルな姿がなんだかカワイイのだとおもう。そうおもってググってみると新宿歌舞伎町のセガがリニューアルし1階2階全てが、クレーンゲームコーナーとして生まれ変わったという。いま、なぜなんだ?

旅をした時、特に自転車旅をした時の写真を振り返ってみると、「タワークレーン」を撮影しているワタシに気付く。タワークレーンが林立する姿に不思議な魅力を感じるのだ。鉄骨ラチス梁のメカニカルな姿がなんだかカワイイのだとおもう。しまなみ海道の生口島にあるLINK輪空に宿泊し、大島の亀老山にヒルクライムして、今治までライドしたその帰り道。自転車で往復するのも良いが、芸予汽船に乗って島伝いに岩城島までフェリーで渡って生口島まで戻るコースが船旅気分とともに海から集落を眺められるその光景が楽しい。何よりも造船工場を海から眺めてタワークレーンが林立する姿に不思議な魅力を感じるのだった。

↓ 伯方島の造船所はセガのクレーンゲームコーナーのようにもおもえる…

↓ 岩城島で橋を施行している丁度良いタイミングに出会った。タワークレーンをこんな感じで建てて吊橋を施工するのだと知って、ちょっと施工者の気分になった。

↓ 岩城島のフェリーからみた林立する造船所のタワークレーン。

↓ そういえば、建築家秋山東一さんとメルクリン&メカノというイベントを催した時、あらためて、メカノのクレーンが、モノとして面白いことを認識したイベントでもあった。秋山さんのメカノのホームページ。


 
↑ そのメルクリン&メカノのイベント時のメカノを使った陸橋

 

そうそう、うちの加工場にもオレンジ色のクレーンがあって、大工が手加工をする時に、木材を移動するために使用する。とってもプリミティブなクレーンだけれど、これはこれで楽しい。

とにかく「クレーン」の姿がなんとなく「カワイイ」のだ。

半農。

秋晴れ! 早朝から庭を隔てて同居する長男家族の孫達のウキウキしている声が聞こえてきて、どうやら家族でアウトドアーに行くらしい。よーやく、子供達が、外遊びができるムードが漂ってきて、じょじょにじょじょに、世の中の活気が戻ってきそうな気もする。

ワタシも久しぶりに自転車に乗って金剛ロープウエィまで往復すると、5月に自転車に乗った時は田植えの季節だったのに、10月は稲刈りの季節になっていた。歳のせいもあるのだろうが、なんだか季節の移り変わりが早いように感じる。

↑ 今日10月の稲が刈られた雰囲気。

↓ 5月の田植えの雰囲気。

近くにある古墳の上から田園を眺めるとパースペクティブに農家住宅を眺められるのが新鮮だった。先日、参画している町の工務店ネットで、都会からそれほど遠くない町の農村で、新しくやってくる若いひと向けの「半農ライフ」という課題と取り組みがあった。そういえば、ワタシ、NHKの梅沢富美男と東野幸治の「まんぷく農家メシ」を好きでよく見る。レシピも美味しそうだが、調理をする場所が、農業用倉庫であったり、農家住宅の玄関前の土の道路だったり、そんなシーンが好きだ。あの倉庫をもう少しモダンに、あの家をもうすこしだけモダンに。とおもったりもするが、そのモダンが問題で、その画面に映っている住宅のモダンさとはちょっと違うよね。なんておもう若いひとが住む住宅があったりして。建築ってどのようにあるのがエエのかと考えさせられる時がある。

八尾でリフォーム工事をさせていただいた家は、広い前庭を畑にして楽しんでいる様子が、時折フェースブックにアップされて楽しそうだったりするし、知り合いも生野区で、長屋2軒分を壊して、庭にするのではなく、畑にして、楽しそうに生活している。趣味的で遊び的な半農ライフというのも現代的だし、この上の写真と反対側の方角には、プロの農業をしている人と、家庭菜園的に、都会から通っている人がいて、その光景を自転車から眺めるのが楽しみだったりする。

働き出した24歳ぐらいから、毎朝NHKのラジオを聴いている。今朝もサンデーエッセイで半農半何もの?という若い人が、半農ライフをお誘いするメッセージを発していた。ズームの打ち合わせが、「フツウ」になってきて、半農ライフと在宅勤務が共存できる世の中になって、農地に、そういう小規模の住宅地ができてくる世の中になるのかもしれないよね。

 

緊急事態宣言が解除された秋晴れの週末。

雲ひとつない秋晴れ。最高の気候。土曜日日曜日とも、仕事の都合で、アウトドアーで遊ぶタイミングを逃す。知り合いの多くが、この気候を楽しんだフェースブック投稿されて、羨ましい気持ちもあるが、それはそれなりに嬉しい気分。それに、ようやくコロナ緊急事態宣言が解除された週末で、町に活気が戻りそうな気配があり、世の中の空気感に、じわっとした喜び感があるようにおもう。

相談会があった土曜日と日曜日の週末。「まちのえんがわ」の「green」に共感して頂いた女性の方が2名いらっしゃって、ひとりの方は、「まちのえんがわ」と同じように3階建ての1階が車庫だった場所に置いてある車を別の場所に預けて、そこの一部に少しの「green」を置いて、身体をケアーする仕事場として拡充したいそうだ。町を歩く人が、ちょっと足を止めて休憩できる場所になって、ちょっとした些細なコミュニケーションができる場所になり、小さな街角を作れたら嬉しいという。建築関係や街づくり関係でもない、いわばフツウの女性から、大真面目に発せられたそんなコトバが新鮮だし、なんだか嬉しい。

実家の横に建てられていた、ものづくりの工場を受け継いで、女性ひとり住まいの工房兼自分の居場所に改修したいが、その時に、かつて増築された部分を解体撤去して庭にしたいという。里山的な自然の庭があるスペースを作り出したいし、コロナ禍で経験した在宅勤務がこれからも続くので、どこか環境のいいところに移住して在宅勤務でも…ともおもったが、折角受け継いだこの場所とこの建物があるので、ごちゃごやしたこの街でも、居心地の良いリノベーションをし、時にどこかに出かけるスタイルが良さそうに思えてきたと仰る。

生野区のものづくり百景というプロジェクトに少し関わっていると、いろいろな事を教わる。あのロート製薬の本社は生野区にあって、昭和30年代にこの場所に、働く社員のユートピアをつくろうという想いで、池にボートを浮かべることができる工場と研究所を造ったそうだ、グーグルで眺めると、学校の校庭のような場所に池があり桜の木が植っていたという、今はオープンスペースとしての駐車場のようになっているが、そういう明治時代生まれの企業家の方々の先見性というか想いのようなものが、生誕100年ぐらいを経て、現代的になってきたような気がする。

うちの祖父も明治生まれだったが、わざわざ長屋2軒分を解体撤去し、庭を作って、半分は植木だが、残りはオープンスペースとしておけ!このごじゃごじゃした町に何もない場所があるのがエエんや!と言い残していた。知り合いの建築家矢部達也さんはグーグルでうちの家と庭を見て小路のセントラルパークと面白おかしく揶揄していたが、それを聞いて、オープンスペースの大切さや有難さをおもうようになった。ロートさんだってオープンスペースがある社屋が人の創造力を生み出すのに必要だとおもっていたような気がする…。建築家の吉村順三さんも明治生まれの建築家で、ようやく私たち工務店がリスペクトする時代になってきて、そういう建築を造れる工務店でありたという気風も高まりつつあるようにおもう。

いや、明治生まれの人を強調したかったわけでもなく、文章の流れ的にそうなっただけだが、街の中で、家のちょっとした場所に、それぞれの規模にとってのほんの小さな場所を、オープンスペースとして造るコトが、心のオープンスペースにも繋がる。なんてコロナ禍で、それぞれが感じはじめているような気がする。そんな秋の陽気な日曜日だった。

 

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