白い気分。

冬期オリンピックの白ぽい週。さまざまなドラマが展開されてやっぱり面白い。オリンピックのスポンサー的権力の強い開催が必要かどうかの議論も理解出来るし、もはやど派手で趣向を凝らした開会式より厳粛で儀式的な小さな開会式で良さそうにおもうし、施設に費やすお金が都市にとってムダなお金の使い方だという意見もそうだな。とおもうものの、「人類史上最高難度のルティーン」というコトバを聞くと、身体の極限の可能性を追求するスポーツの特別な祭典として、やっぱりワクワクしてしまう。

日本人のメダルを取った人も取れなかった人も、ギラギラした闘争心むき出しや悔しさが噴出する態度でなく、なんだかやさしい言葉遣いと心のありように、エエなぁとおもうし、死力を尽くした敗者の美しさも感じたりした。ドレッドヘヤーに穏やかな語り口の組み合わせが現代的な感じがし、あの夏の東京オリンピックで「真夏の大冒険」も印象的なコトバだったが、それぞれがそれぞれなりに真冬の大冒険に挑戦している姿に感動しているような気がした。

そういえば、確か小学生の頃に開催された札幌オリンピックの「日の丸飛行隊」というコトバに象徴されるスキージャンプ競技で、日本人がメダルを独占する姿を見たあと、同級生達と一緒に、かつて祖父母が寝ていた座敷の畳に布団を敷いて、その布団の上に向かってあのジャンプ姿勢をしながらスキージャンプごっこで飛行隊気分になって遊んだのを想い出した。祖父母も両親も亡くなり、その座敷は私たちの寝室とクローゼットにリフォームしたが、何かの瞬間に、この場所で、スキージャンプごっこやプロレスごっこをした姿がふっとよぎる時がある。オリンピックは子供心に何かしらのインパクトを残すのものだな。

木村工務店内は、相変わらずオミクロン株の家庭内からの陽性者や濃厚接触者発生で、社内的には混沌としている状況があって、この週末は3連休とする社員がほとんどだった。ワタシも土曜日は、ひとりスキーに行く。今年3回目。そういえば、長男家族がこの三連休を利用してキャンプに行くと、回りのほとんどが、ひとりキャンプのオトコたちばかりで、子供の走り回る声が響いて、気を使ったわ!といっていた。ワタシは、コロナ禍の影響で、昨年から、ひとりスキーにいくようになった。それまで家族とか友達とか社員協力会社の仲間達とか、とにかく数人でしかスキーに行ったことがなかったが、高速道路の発達と、車に搭載されているレベル1か2程度の自動運転機能のお陰で高速道路での緊張感と疲労感が半分以下に減少した。4駆スタッドレスの安心感もある。

早朝起きて車を運転し、朝8時過ぎからぶっ続けで4時間ちょっと滑り続けて、午後1時頃には滑るのを止めて着替え、おにぎりやパンを軽く食べながら車で帰宅すると夕方5時前には到着し、家でゆっっくり風呂入って、ゆったり食事をするっていう、どうみてもシニアなパターンだな。スキー場のあのザワザワした食堂でお昼の休憩がてらビールを飲んでしまうと問題ありだし、落ち着かないあの雰囲気と密集も避けたい状況もあって、それに自転車に乗るようになってから、ひとりの持続的な時間感覚を楽しめるようになったのが大きいし、シニア料金がガツガツ感を和らげているようにおもう。

2月10日金曜日が今年の初午で、最も運気が上がる日だという風習に従って、会社のお稲荷さんに祭礼するのが、伝統的な木村工務店ルーティンで、協力会社の精親会メンバーと飲んだり食べたりするのが通年だったが、今年はオンライン開催とした。とにかく白い気分が漂う週だった…..。

共有したり共感したり

木村工務店内のオミクロン株感染が落ち着くのかと思っていたら、家庭内感染からの濃厚接触者や感染者が発生し、自宅待機になって、こういう状況に遭遇すると、復帰してきた感染者が、なんというか余裕がある表情で笑顔で仕事をしていて、もはや集団免疫状況ではないのかとおもえてきて、無症状の感染者に早くなるほうが緊張感無くホットした安心な気持ちで社会生活をおくれるのではないかという微妙な気分になる。

冬期北京オリンピックが開催されて、政治とオリンピックの関係性を揶揄する気持ちも理解出来るし、開会式のセレモニーがカッコエエのかどうかの必要性はもはや微妙で、あのわざとらしい小さな聖火台の演出もどうでもエエような気持ちにもなるが、それにもかかわらず、同じ人間としての肉体なのに、こんな肉体的なスピードと演技の可能性があるのかと視聴し、出来もしないのにワタシも挑戦してみたいと夢見たりするところにオリンピックの面白さを感じる。

スキーをするワタシとしては、モーグルに一番の緊張感と魅力を感じて好んで視聴する。銀メダルにおわった王者カナダのキングズベリーのスムーズに簡単に滑り降りる姿を見ると、ワタシも出来そうな錯覚にとらわれるのが好きだ。現実的にはコブの上に立つとそんな可能性が全くないワタシであるコトも重々承知。当然勝つつもりだったキングズベリーに対して金メダルのスエーデンのバルベリと銅メダルの日本の堀島の果敢で挑戦的な滑りに興奮したものの、ミスのあるなしが金と銅の勝敗を分けるのが勝負の世界としての厳しさなのだろう。

競技後の堀島選手のインタビューで、「予選1本目からつらかった。このメダルとか、最低限の結果が残らないと、競技がしてられないんじゃないかなとか、ネガティブな気持ちがあった。4年間そうやってやってきて、昨日もつらかったし、今日の朝もつらかった。最後の一本滑りきるまで、安心できなかったが、(2人を残して)1位、メダルが確定した時に、ホッとした。安心な気持ちになれた」素直に辛いという気持ちを表現する姿にグッときて共感し、奥方など心配でLiveで見るコトでけへんわ!と語っていて、今考えると無意識で何人もの日本の視聴者が彼の辛さを共有していたのだろう。選手の喜びと苦しみを共有し共感してしまうところに、オリンピックという4年に1度の特別感があるのだろうか。

そうそう、今日の日曜日は今年最初の住宅相談会があった日曜日で、オミクロン株の危険性があるなか、CO2メータで換気のタイミングを観察し、お茶珈琲を廃してペットボトルだけの打ち合わせにして、できるかぎりの感染リスクを排除した相談会になった。

ひと組めのAさんは、仕事上のお付き合いもあるご夫妻で、マンションリフォームのプランを即興的に一緒に考えながら時間を共有するのが楽しいし、今回の担当者タカノリも一緒に格闘する2時間に、ちょっとした緊張感も共有した。二組目のBさんは、20年前のビフォーアフターに出演した時のことを記憶に留めて頂いて、終の棲家のリフォームのために参加くださった。やはり即興的にプランを考えながら予算のことも含めて、これからのライフスタイルを一緒に悩める時間に共感がうまれたりする。三組目のCさんは建て替え新築工事のプランを持参されてお越しになった。概算見積をどのように進めていくのか、実施設計はどうするのか等々、新築の家づくりをどのようなスタイルで建築するのかは、誰もが悩ましいコトだとおもう。

共有したり共感したり、そんなのをオリンピックでも設計でも感じた今週だった。

濃厚接触者と室内環境

木村工務店でも陽性者や濃厚接触者が発生し、オミクロンな一週間になった。陽性者が肉体的にタイヘンなのが最も憂慮されるべきことだが、濃厚接触者になると無症状でも10日間自宅待機になり、それが最近ようやく7日間になったが、エッセンシャルワーカーのように接種済みなら5日間でも良さそうな気もするが、とにかく肉体的に支障がなくても仕事ができない状況が続き、個人としても会社としても辛い状況下である。明後日からはそれぞれが復帰して通常業務になりそうだ。

そんなこんなで、打ち合わせが中止になったり、オンラインに変更になったり、日曜日の朝のワイドナショーを見ると松本人志が濃厚接触者で休んでいたり、大阪国際女子マラソンを見ると沿道の観客が少なかったり。そういえば、慣れ親しんでいる大阪だが、あらためてマラソンランナーとともに街並が流れる映像をみると、どんな街になればエエのか…..とおもう。

それで、こんな状況に遭遇すると、それぞれが濃厚接触者にならないように気を使うしかなく、濃厚接触者の定義としては、「マスクを外して15分以上の会話」が基本になるようだが、車の同乗者が濃厚接触者になる記述があって、その曖昧さ故に車の同乗者の社員1名が無症状だが濃厚接触者と判断されることになった。ところが昨日、ようやく繋がった保健所からの電話で確認すると、マスクをしての同乗者なら濃厚接触者にならないという判断らしく、建築現場には職人さんたちが車に同乗して行くことがほとんどなので、マスクして会話をしない同乗者を濃厚接触者としないという判断は有り難い。

やはり「マスクと換気」らしい。なので、マスク会話はもちろんだが、来客の打ち合わせ時に、お茶や珈琲をだすことは暫く中止することにして、マスクをとるタイミングを無くすことにした。また換気をビジュアル化するために、社内や打ち合わせ室にCO2測定器を設置した。厚生労働省の資料によると二酸化炭素濃度は通常外気では400ppmぐらいらしいが、室内で1000ppm以下なら大丈夫らしく、室内の二酸化炭素濃度を 1000ppm に維持することは、1人あたりの換気量として毎時約30m3 を確保することに相当するという。来客者との打ち合わせ室では、機械換気がある環境下で、CO2メーターで濃度をビジュアル的に確認チェックしてもらいながら打ち合わせをすることにした。それと資料にはダイソンなどで有名なHEPAフィルタ方式の空気清浄機に、空気中のウイルスを低減させる効果があることは明らかである。なんて書いてあって、機械換気と併用してHEPAフイルタの空気清浄機を設置することがウイルス対策としても効果があるような記述だったので、併用しようとおもう。

そういえばその資料によると機械換気がある部屋の室内温度は17度以上28度以下で相対湿度40%〜70%となっていたのが、いまさらながら印象的に感じたので、あらためて調べる。2020年11月頃の厚生省の資料で、確か一部を読んだ記憶があるがその時はリアリティが薄かった。2年ちかく経過し、このオミクロン株になってようやく室内環境を科学的に考える現実感がでてきたワタシ。呼吸器系と循環器系疾患は低室温との関連があり、健康影響を防止するため、一般的な商業施設等においては、室内温度を18°C以上に維持することが推奨される。とあり、相対湿度が40%以下になるとウィルスの生存率が高いらしい。ここ最近の寒い日々が続く休日あけの月曜日の朝の会社の室内温度は12度ぐらいの時があって、18度近くになるまでに2時間以上必要な時がある。室温 24.2°Cの実験室で一晩過ごした者の血圧は、室温 13.9°Cの者と比較して有意に血圧が低かった。とあり、ヒートショックのことを考えても冬の室温の大切さをあらためておもう。

室内環境に気配りをするのが、濃厚接触者のコトを含めて、お客さんや社員のために大切な事だな。住宅の室内環境を冬でも18度以上湿度40%以上に保つコトが大切だな。そのための断熱気密や窓の性能値や換気も大切だな。室内環境による居心地良さを科学的に考える時代だな。とあらためておもう今週だった。

人流抑制と人数制限

コロナ、オミクロン株の猛威の影響が、あちらこちらで出てきて、家庭内の家族が発症すると、濃厚接触者になり、まずは自宅待機になるので、出勤できなくなったり、現場の作業に行けなくなったり、そんなのが現実的に発生している。「人流抑制より人数制限」らしいが、わかるようなわからないようないまいちピンとこず。「検査せず症状のみで診断する」とかは、もはや普通の風邪とちゃうのぉ!みたいな気分になる。いつ発症してもおかしくない状況がワタシの周辺にもあることは確かだ。家庭内でもマスクするのか。

なので、1月第三土曜日恒例の「お餅つき」は、お施っさんを含めたお客さんが大人数集まる楽しいイベントなのだが、流石に今年も開催しようとする気になれない。毎年2月初旬に実施していた、協力業者の職人さんが大人数集まって、会社の方針や現場での心構えなどを伝え、皆で飲んだり食べたりしつつ、コミュニケーションがスムーズにいく関係性をつくりながら、商売繁盛と安全祈願祭を願う「初午祭」もその「人数制限」にひっかかるイベントなので開催を中止にしようとおもう。

そういえば、1月10日前後の商売繁盛を願う「戎っさん」は、会社から歩いていける布施の戎っさんでお参りするのが毎年の事で、整然と一列に並びながらの参拝になって、鐘や太鼓のリズムに乗っかって、押し合いへし合いしながら押しくらまんじゅう的に活気をもらう楽しみは、遠い過去の出来事のような気がしてきた。そうそう、うちの奥方が「戎っさん」の鳥居、金色に塗られてたでぇ!なんか凄いわ。って言ってたので、どんな塗装になったのか楽しみにしていたら、銅板で鳥居が巻かれていた。金ちゃうで、銅やでぇ!と突っ込んでおいたが、笠木だけを銅板で巻くのはありそうだが、柱から鳥居全部を銅板で巻くのは、ちょっと下品のような気もするが、なんか大阪人的で、商売繁盛しそうな鳥居の感じもして、まっエエとしょ。みたいな感覚。

蛇足ながら、10日の日曜日の夕方は、ぎゅっと人が密集して参拝するスタイルから整然と一列に並ぶスタイルになったので、布施の商店街の中に長蛇の列があって、皆さんの根気強く整然と列をなしながら参拝する姿にため息がもれて、ちょっと躊躇して、それで商店街で人気のお寿司屋さんに並ぶことにした。翌日11日の朝のガラガラで空いている時に参拝したが、その直後、唐突に、寿司屋さんに並ぶより、戎っさんの参拝に根気強く並んでいる人に商売繁盛の神さんがやってくるのかも。なんていう気分が心のなかをすっっとかすめていった。

今週、高野山の壇上伽藍のある敷地の道路を隔てた前で、人力車の車庫件ゲストハウスを施工している、その現場を見に行くと、薄らと雪で覆われた高野山全体が、独特のビシッとした空気感のある世界だった。この時期は通常、日本人の観光客がほとんど居ず外国人の観光客がパラパラいる程度らしいが、コロナ禍の人流抑制の影響で、全く観光客が居ない感じだった。人気がない静けさと雪のピリッとした雰囲気が、ワタシの気を引き締めてくれて、このまま一日散歩したい気分になった。

人流抑制され人数制限されて、整然としてビシっとした世界を味わえるのも心地良いが、人流溢れ人数無制限で混沌とした世界が懐かしいなぁ。

木の給水塔

寒い日々が続く。各地の雪かきがタイヘンなのが伝わってくるぐらい雪が多い年だ。スキーにはちょっと嬉しいけど。寒くて自転車は乗る気にならないし。朝からお風呂屋さんで体を温めた日曜日。

コロナ禍になって夜の外出がほとんどなくなり、家で食事とともに飲むことが多くなって、そんなに酒飲みでないワタシも、オーガニックワインを買って楽しむようになった。ラベルもちょっとモダン。で、今まで、寝落ちなんてほとんどしたことがなかったのに、コロナ禍でワインなど飲むようになってから時々居間のソファーで寝落ちする。それが問題なのは中途半端に目覚めた時なのだ。

先週の夜。ワイン飲んでNHK BSを見ながら寝落ちして、夜中にテレビ画面からの観客の歓声と音楽で目が覚めた。サイモン&ガーファンクルのNYセントラルパークのコンサートだった。1981年9月らしい。その時と丁度同じ時期のワタシのことを想いだしながらグッとくる。決して、ファンでもないが、嫌いでもないし、レコードを持っていないのに、ほとんどの曲を知っているのが不思議なくらいだった。このコンサートの存在は知っていたし、大阪でもコンサートがあったはずだ。

で、音楽以上に気になったコトがあった。「ステージのセット」がカッコ良いのだ!その魅力に引き込まれて最後まで見た。そういえば、昨年末の紅白歌合戦を最後まで見たのは、開演と同時にバックで見えた綺麗な花のステージセットが目を引いたからだ。その花のセットがどんなふうに様々に展開されるのかに興味がそそられた。サイモン&ガーファンクルのNYセントラルパークのセットは「木の円筒状の給水塔」だった。

いやいや、先ほどまで、それはセットでなく、実際にセントラルパークのステージのバックに、そんな木の給水塔があるのだとおもっていて、ストリートビューで調べたが、存在しなかった。それでググってみると、NYはいまだに木の給水塔が存在しているのだと知る。ちょっとした驚きでもあった。えっ!とおもいストリートビューで探検すると、確かに、あの摩天楼のビルの上には、未だに木の円筒状のカワイらしい給水塔があるのではないか。とっても残念だなぁNYに行った時に意識して見ておけば良かった!

なぜ木で造るのか不思議におもう。日本の木の樽とは違う感じだ。NYは、夏暑く冬寒いので、木だと夏は水を冷たく冬は水を凍らさずに保てるらしい。プラスチックは経年変化で壊れやすく、コンクリートはひび割れ、鉄は錆びる、木は熱を通しにくく水が傷まず美味しいし50年ほど持つらしい。なんとNYの屋上で「木」の文化を再発見した。

ググっていくうちに、このステージを担当したアートディレクターのサイトに辿り着いた。こんなNYの屋上をイメージしたステージだったのか。かっこいいなぁ…..右のシルバーの煙突の横の三角形の屋上に上がる階段の扉からサイモン&ガーファンクルが出てくる演出がとっても格好良かった。黒い壇上のステージの上にはstuffのドラマーのスティーブガットが鎮座していた。そのstuffのコンサートに行ったのは確か1981年頃のような気がする….。

50万人が無料で集まるコンサートの雰囲気に温かみがあって壮観だった。当時のワタシを想いださせてセンチメンタルにさせる雰囲気すらあった。いや、それ以上に、「木の給水塔」に心奪われたのだ。ま、とにかく、寝落ちして良かったとおもう時がある…..

年頭所感と雪の関係性

木村工務店の初出は1月6日で、毎年、施工もさせて頂いている地元の氏神さまの清見原神社に参拝するのが慣わしで、社員だけでなく職人さんや協力会社の精親会のメンバーも参加し、拝礼と御神酒を頂戴する。その後、新年会をするのが伝統のようなものだったが、流石にコロナ禍なので、昨年と今年は中止することになった。

その新年会の席で、社長が年頭所感を話すのが伝統でもあって、私も社長を引き継いでから年頭所感を話すようになったが、2年も続くこのコロナ禍を経験することで、新年会という宴会よりも、社員と職人さんと協力会社の皆が一堂に会し、新年の賀詞交換をすることに意義があり、その会場で昨年の木村工務店に対するご協力への感謝の意を伝え今年の抱負を語ることに目的意識があるのだと、再認識させられたりして、そんなこんなで、神社参拝のあとは、木村工務店の加工場に集合し、精親会会長の材木屋さんの岡房商店の岡本会長と木村工務店社長の私が年頭所感を述べて、小一時間の賀詞交換会を終えた。

その年頭所感に何の話をするのかに、案外悩むのだ。年末に送付されてくる新建ハウジングという工務店の専門誌の「住宅産業大予測」というのが、ネタ元になることが大いにあるので、12月29日、30日、31日の三日間で読むのだけれど、年末のバタバタの合間なので、脳内への定着率が極めて低い。

今回の本の中で、ワタシ的に参考になったコトバが「社会関係資本」だった。「企業の受注の3割は社会関係資本=つながりからもたらされている」と書いてあって、人と人との関係、つながり、関係性、信用、信頼などを社会関係資本というらしい。ということは「まちのえんがわ」は「縁をつなぐ場」としての「社会関係資本」にあたるのだろう。本には「地元のいろんな場に出て行ってつながりをつくり貯金をしておく」なんていうコトバが書いてあったが、それぞれの地域にある会合は、そんな感覚なのだろうが、「まちのえんがわ」は貯金されない流動的な社会関係資本としての人と人の縁をつなぐ縁側であるようにおもった。

その年頭所感を考えるにあたって、1月1日、2日は、正月行事でバタバタし、年頭所感のプレッシャーが微妙に脳裏にはあるものの考える気力もなく過ぎていくし、お正月も3日目になると体を動かしたい衝動を抑えきれなくなり、スキーに行くコトが多い。そういえばかつて1月5日のゴルフコンペは木村工務店の伝統行事であり、祖父と親父がその段取りをし、4組ほどのコンペとして、会社関係を中心に地元地域の人など、つながりのある人が参加していた。それこそある種の社会関係資本だったのだろうが、私の代になってから、これは引き継がなくなり、ひとつの社会関係資本を失ったのかもしれない。

今まで思い起こせば、年頭所感は、ほとんどスキーで宿泊するホテルでの朝に考えていたのではないかとおもう。リフト待ちやリフトに乗っている時にふっと内容がよぎり思考する時もあるのだ。きっとワタシにとっては白い雪の世界が、脳内を真っ白にすると同時に、新鮮なコトバが湧いてくる瞬間でもあるのだとおもう。

そうそう今年は長男家族と合流し孫と一緒に滑れたのが、ちょっと嬉しかったのだ。

命のリレーのバトン

2022年あけましておめでとうございます。

12月28日は大掃除で、伝統的に続いている年末最後の「仕事」でもあり、事務所や倉庫を整理整頓し、一年の「乱雑さ」が増してしまった状況を意識的に反省する機会でもある。机の棚にそのまま残ってまだ手つかずのシゴト、材料置き場に残ってしまった発注ミスした材料などなど、来年はもう一歩カイゼンしたいよね!という想いと願いが生まれたりするのが年末の大掃除であるとおもう。

午後3時過ぎ、社員と大工さんと手伝いさんが集まって、加工場でささやかな打ち上げで終えるのも伝統行事で、コロナ禍なので、桶の寿司を折の寿司に、大ホールのピザを1人用のピザに、日本酒を酌み交わすコトは止めるとか。それなりに工夫しながら1年をリセットし一本締めで終える。良いお年を!と挨拶を交わして、それぞれが一年の仕事を終えて、家路につくのだった。

12月29日30日31日とあっっという間に過ぎていった。29日長男の同級生のユウトが遊びに来て夜の食事を共にする。35歳を過ぎると「仕事」もノリノリになり出す年齢になってきて、「成果」がでた話を聞くと、ワタシもまだまだ頑張ってチャレンジしなアカンなっという気にさせられた。数年前から恒例になっていた次男の同級生とその母親が集まる妙に心温まる雰囲気の宴会は流石にコロナ禍なので中止になった。

30日ワタシの高校の同級生が家族連れでやってきて鍋を囲んだ。年末行きつけの焼き肉屋さんがコロナ禍後も閉まっていて、なんで閉まっているのか、ワタシに聞いてきた。施工したので知ってるやろっというわけだった。理由はわからなかったが、じゃぁ、そこへ行く替わりに、うちの家で鍋しょ!というコトになって取り寄せの「海老蔵」の鍋を囲んだ。遅い結婚だったので、まだ子育て真っ最中。なので、奥方が子育て失敗経験談を雄弁に語り続け、気が付けば深夜を回っていた。

なので31日の午前中は目が覚めなかった。「鶴橋と黑門」の市場に年末の買い出しに行くという木村家の伝統行事は2年連続取り止めた。人混みに揉まれながら、かなり高い値段になっている食材を大阪人的にまけてもらうコミュニケーションを楽しみながら景気づけとして買うのが楽しいのだけれど、いまはコロナ禍的にノリが悪かった。ただ食材だけなら地方の通販で買う方がコスパも最高で、カニやおせちやなんだかんだ通販の食材を楽しむことになったお正月だった。

50歳ぐらいを過ぎてから紅白をみるようになった。もはや一年に一回しかテレビで音楽番組を見ることはない。ワタシはSpotifyが好みでよく聴いた。Netflixの「エミリーパリに行く」なんていうのも好きだ。建築もんとかドキュメンタリーもんも視聴した一年だった。YouTubeで自転車とかスキーとかキャンプとか、珈琲の入れ方とかピザの造り方とか、前沢さんの宇宙中継とか、なんだかんだそんなのを見た一年でもあった。最低視聴率の紅白だったらしいがそれなりに楽しんだ。福山雅治が、「ここに立たせていただいて歌わせていただけるということは僕の両親・祖父母、ご先祖様から受け継いだ命のリレーのバトンを渡してもらえたからだと思っています」と語った言葉が印象に残った。

2022年1月1日「お屠蘇」をする日本的伝統行事は、木村家でもその伝統を引き継いできたが、今年の「お屠蘇」からストーリーがくっついた。前夜の紅白の影響を受けて「先祖から受け継いだ命のリレーを酌み交わす」ということになって、古いしきたりにのっとって、年少者から注いでいくことにした。もともとそんな意味合いの作法だったのだろう。おせちを食べたあと、清見原神社の拝殿にて家族で初詣参拝するという行事になったのは両親が亡くなってからの事だ。新春の宮司さんからのお言葉は「繋いでいく」という大切さだった。

午後から墓参りをし奥方の実家に集まると、その子供達は身長180センチ以上の男子が6人にうちの男子マゴ2人のオトコばかりの集いになる。お年玉をあげる子供だったのに、順番に社会人になっていく姿に接すると、不思議と命のリレー的意識になり、まだまだ働こうエネルギーをもらう。お正月の集まりは働いた報酬を分かち合うエネルギーをリレーする場でもあるのだろう。

本年も「木村工務店」とともに「現場ブログ」と「Voice of 木村工務店」もご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

一年間の食事に感謝して。

寒い!冷たい!ついに冬到来っていう感じ。これが今年最後のブログになって、木村工務店という組織として成果があがったのかどうか、この一年を振り返ってみる気にさせる寒波でもある。お客さまに喜んで頂いたのだろうか…..いまの社会に必要とされる工務店として行動ができたのだろうか…..一個人として尽力したのだろうか…..等々。ま、それはそれとして、なぜか、ワタシのiphoneに収められた食事の写真で、この2021年を振り返ってみようと、そうおもった。

元日の朝、座敷で、当たり前のように「おせち」を食べるが、ここ数年はどこかで買う。いろいろな味を知って、それはそれで楽しみでもある。白味噌のお雑煮とか黒豆とかごまめとかそんなのは、木村家の伝統的な味が引き継がれていて、それだけで充分なような気がする。さて2022年の元日はどんな感じになるのだろうか。

お正月休みの間にスキーをするのは結婚してからルーティンのようなもので、還暦前頃から、もう筋肉がついていけず体がガクガクで辞めようとおもっていたら、カービングスキー板なる道具ができ、それに合わせた滑り方が主流になってきて、力を使わずとも切れたターンが出来るようになって、というよりヘンに力を入れるよりスキーの真ん中に乗り続けて、板任せにした方が筋肉的にも楽だと体感し、ワタシ的に柔らかくゆったり滑るスキーとしてまた復活しそうな感じ。でも午前中滑ればもう十二分。で、午後からはカニでも食べよう!ていうことで、福井の三国港のカニを一匹食べて大満足したお正月休暇だった。

2月の写真は、なぜか「タコパー」だ。そうそう建国記念日の祝日にマゴ達とたこ焼きパーティーをしたのだ。大阪人あるあるだろうが、昔、うちの家には、ガスホースで接続する座卓のたこ焼き器がありました。家族でワイワイ楽しかった記憶が残る。今、イワタニのカセットコンロ タフまるを買って、いつかアウトドアーでたこ焼きパーティーをしようと思っていたところ、ちょっとしたノリで、タコパーになったのだとおもう。

3月、月ヶ瀬で梅を見て、奈良で鉄板焼きを食べた。低温で肉を長時間焼く事で、肉汁と旨味を閉じ込めるらしい。YouTubeにステーキ肉の焼き方がいろいろ掲載されているけど、そのなかに、そんなやり方の人がいて、この奈良の夜を想い出した。

4月、マゴの入園祝いにフレンチを食べた。イタリアンとかモダンスパニッシュとか、パスタがあるのかないのかぐらいでしか料理の区別ができない。舌にまったく自信がないし、料理の記憶が明晰に残らないのだ。写真に撮るけど、今まで振り返った事がほとんどない。なので、あらためてこの一年の食べた料理を振り返ってみることにした。

5月、連休中は緊急事態宣言下だったので、家でバーベキューをした。厚いステーキ肉の焼き方を長男から教わった。カプート社の小麦粉でピザ生地を作ってピザを焼いて食べた。アウトドアーで食べると、なぜか、どんなんでも美味しいと感じるのがエエ。

6月、自転車で金剛ローブウェイまで行った帰り、千早赤阪村の古民家を改修したパン屋さんで無添加のパンと珈琲をひとりで食べた。

7月、しまなみ海道に同級生と自転車を乗りに行って、穴子丼を食べた。小さい頃から鰻丼はよく食べたが、穴子って寿司でしか食べた事がなく、しまなみ海道に行くようになってから、穴子丼を食べるようになった。

8月、お盆に九州に温泉旅行に行くことになって、北九州で途中寄り道し、鰻で有名な田舎庵に行った。美味しかったが、鰻って高級料理になったものの、あんな短時間で食べてしまう高級料理って、なんか、ちょっと寂しい。ワタシ「うな牛」でも満足できるし。なので、ここぞの店では蒲焼きとか白焼きで食べたくなる。

9月、今年2回目のしまなみ海道は宿のLink輪空で知り合った友人と自転車に乗ったが、そのいつも泊まる宿、輪空の魚料理とたこ飯がシンプルで美味しい。満月の夜の海辺のビールも最高。因島のお好み焼き「インオコ」も好きだなぁ…..大阪のお好み焼きより上品で美味しい。が、大阪に帰ってくると、大阪のお好み焼きはお腹いっぱいになってやっぱり美味いな…..なんておもう。

10月、福井にウィリエールのキタムラくんと自転車乗りに行って、三国港でガサ海老丼を食べた。美味しい。でも次は別のん食べるかも。越前の山路というお店で「おろしそば+おろしとろろそば」を食べた。歯ごたえも味も良かったが、香りも良かった。

11月、自転車で大阪から明日香に着いて多武峰をヒルクライムする前に、若い女の子がいっぱい入っているお店にオジサンひとりで入ってローストビーフ丼を食べた。玉子を割った時のあのドロッと垂れる感じと味を今想いだしても涎がでそうになる。

12月、仕事の関係で大阪の本町でイタリアンをご馳走になった。数年間ミラノに勤務していた方のお気に入りのお店だそうだ。美味しい。そこでのミラノのピザとナポリのピザの話が面白かった。ミラノのピザは生地が薄い。ナポリは生地が少しふっくらしている。ナポリのピザを真似したアメリカ人が、あのパンみたいなピザを作ったのだぁ。という話。

と言うわけで、今年最後のブログは、この一年の食事に感謝して締めくくろうとおもう。Thanks!

木村工務店では、12月28日が大掃除で、12月29日から1月5日までお正月休暇を頂戴します。1月6日は初出で、1月7日から通常営業です。皆さま、良いお年をお迎え下さい。

コメンテーター・ファッシリテーター・審査員

「ものづくりセッション」があって、「空き家シンポジウム」があって、「M1選手権」があった週末。

土曜日。生野区のものづくり企業の若手が中心に集まって繰り広げる「ものづくり」を考えるセッションがあって、行政の武田さんが人を集め、私が場所を提供し、二人で司会進行をしながら進めるイベントで、プレゼンターの話題が興味深く面白いというのが最も大切であるものの、テレビを見ててもそうなんだけど、コメンテーターという人の役割が大切だったりし、参加者の共通の想いを代弁したり、新たな視点を提供したり、そういうコメンテーターの役目を、若いものづくりの経営者お二人が担ってくれることで、会場にエエ雰囲気がうまれたりして有り難い。

リサイクルでなく「アップサイクル」なんていうコトバを初めて知ったり、「デザイン経営」という経営手法をアップルなどを題材にして学んだり、The DECKというものづくりの人を受け入れるコワーキングスペースを作っている若い人から学んだり。なんとなく新しい「場」を作りたい若い方が多いのだなと気付いたりするのだった。

日曜日。生野区役所6階大会議室で、「空き家カフェ」の拡大版として、「生野空き家シンポジウム」があって、生野区役所と空き家活用プロジェクトメンバーの合同開催ということで、どんなスタイルで開催するかあれやこれや模索するなか、生野区長と「がもよん」の和田さんによる基調講演とトークセッションの2部構成になり、トークセッションは、若いプレゼンター4人のパワポによるビジュアルを交えた生野区に対する提案を基軸に、コメンテーター3人とファッシリテーター2人で意見を述べ合いながら参加者の方々に問いかけるスタイルで、NHK BSの『COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜』みたいな番組を真似たスタイルだともいえる。

ファッシリテーターの役目で参加するコトになったが、「ものづくりセッション」でもそうだが、多くの人とのコミュニケーションの場が、どんなスタイルで催せばお客さんが楽しめるのだろうか、会場の椅子の並び方もデザインし、そういう「コミュニケーションの場をランドスケープデザイン的に考えてみる」みたいな楽しみ方を知るようになって、そういうのがちょっとオモシロイ。

「M1選手権」を視聴するっていうのが、年末の行事のようになりだしたのは凄いなぁ。昨年のM1選手権後の漫才かどうか論争などをみていると、ワタシ、隠れジャズファンだったりし、まるで、かつてのフリージャズが…..とか、マイルスのエレトリック化が….とかいうジャズ論争を聞いているかのような気分になって、「評論家」とか「審査員」なんていう存在がある力を持つような状況になり、M1を評価する人を評価してしまう言動がおもわずワタシの口からポロリとこぼれ落ちてしまう瞬間もあって、そんなのがエエのかどうか。昨年は松本人志的感覚で、今年のワタシは上沼恵美子的感覚だった。真空ジェシカなんて初めて知ったし、肉うどんが印象的なフレーズとして残り、一番馬鹿に入れた!っていうコメントも印象的だった。50歳から進化する涙に涙した。

違和感のようなもの

日曜日の朝、起きると、喉が痛くハスキーボイスになっていた。前々日から薄らと喉に違和感があったが、秋から冬への季節の変わり目に起こるアレルギーなのか。平熱だったが、もう一度布団に潜り込んで体を休めることにした。目が覚めてテレビを付けるとワイドナショーの画面から、あの前澤さんが、ロケットからドッキングした宇宙ステーションへ浮遊しながら笑顔で入ってくるシーンだった。

今までは、へぇっ宇宙に行くんやぁ…ぐらいのどーでもエエような感覚だったが、ほんまに宇宙ステーションで浮いている笑顔を見て、ワタシも行ってみたいなぁっという、ちょっとリアリティのある感覚が生まれた。不思議だ。「ほんとに宇宙ステーションがありました」なんていうコメントがその気分を助長したのかもしれない。海外旅行と同じような感覚なのか。いや、エベレスト登山のような体を鍛えて命がけの挑戦的な感覚なのか。宇宙エレベーターも宇宙都市も少々リアルな感覚になってきた。

あのお金をばらまく感覚に微妙な違和感があり、ツイッターだったかフェースブックだったかギフトが当選しました。みたいなメッセージが来ても詐欺のような感じがし、応答もしなかったが、この宇宙に行った時にお金をばらまくらしい。「新築の上棟式のお餅撒き」みたいなもんやな。のコメントに、なるほど。確かにそうかも。私が木村工務店に就職してからは、新築住宅で上棟式の餅蒔きの経験は一度もない。かつては何度かあったらしい。それにしてもお餅撒きにも微妙な違和感がある。「給付金10万円のばら撒きより健全に見えるわ」なんていうコメントがあって、確かに税金の使い方てムツカシイ。あれは宇宙からの餅撒きなのか給付金なのか…..。こんなお金の使い方もあるのだ。それはそれで凄いなとおもってしまうワタシもいた。

TV話題ついでに。長崎県にある「軍艦島」が話題になっていた番組を途中から見る。廃墟建築を一度は見てみたいが、軍艦島に対するちょっとした違和感もある。当時最先端のコンクリート建築で屋上庭園があった。というのは聞いていたが、4つのお風呂があり、炭鉱から上がってきて服を着た状態から入って順番に脱いでいき、最後に綺麗なお風呂に入ったという。そういうお風呂を設計するのも面白そうだ。ま、それより、全ての建物に棟番号があってその第一号棟が神社だ。というのが妙に印象的だった。当時日本一の人工密度のなかで生と死が隣り合わせで暮らす特殊な場所だったんだ。誰もがまず炭鉱作業の無事を祈っていたのだ。とあらためて認識した。

もうひとつTV話題ついでに。名品の来歴という番組が「モディリアーニの横たわる裸婦」の絵画についてだった。孫が偶然私の横に座って、その番組を一緒に眺める。裸婦像なので子供にとってエエのかどうか。ちらっと表情をみて気を使いながらだったが最後まで見てしまった。パリから、とってもオモシロイ来歴を経て、いま、大阪にあるらしい。あの大阪に新しくできた「黒い箱」の新中之島美術館に展示されるという。この番組を見たことで、その絵も見たくなったが、その「ブラックボックス」の建築によって街がどんな印象になり人々がどんな印象を受け取るのかに興味ありだなぁ。一度その建物の横の道を車で駆け抜けたが、一瞬?!な違和感を持った。

 

ちょっとした違和感のようなものも大切だなぁ…とおもう。

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