中秋の名月と微笑み

中秋の名月だった土曜日。その日開催された「ものづくりセッション」が午後8時過ぎに終わって、片付けも終わり、家に帰って中庭からふと空を見上げる。SNS上に中秋の名月の写真がアップされていたからなんだけど、中庭の開口部の隙間から満月が光りを放っていた。ちょっとした疲労感が、充実感の光りに転換され満たされた感じになって微笑みがこぼれた。満月を眺める日本の風習があって良かったなとおもう。

「ものづくりセッション」というのは、行政マンのタケダさんがお声がけをする生野区のものづくり企業の面々が中心となって、デザイナーやコンサルタントや中小企業支援機関、学校関係者や行政の方々などなど、ものづくりに興味がある多種多様な人々が集まって、自ら手を挙げてプレゼンターとなり共有された話題に、選出されたコメンテーターが口火を切りながらも、皆で共感したり、違和感となえたり、あーだこーだとコメントしながら楽しむ会合で、なんだかんだいいながら午後4時から4時間ほど続くが、案外退屈もせず飽きない。今回は3人のプレゼンターだった。

製造業でもクリエーターでもないフツウの女性が、生野区のものづくりの技術とデザインを繋げたいという。娘さんが服飾デザイナーを目指す専門学校に通いものづくりを学んでいるそうで、そのクリエイティブな姿に触発されているのだろうか。アルマイトの技術に魅せられて、それを何かのデザインに結びつけたいというプレゼンだった。まずはやってみよう!という身軽な行動力。「やってみなはれ!」という大阪人の精神文化をこれから受け継ぐのは、大阪のおばちゃん的若い女性なのかもしれないとおもえた。

絵本作家の女性が、創作活動と社会貢献と収入との狭間で揺れ動く自分自身のメンタリティーを、自らデザインしたキャラクターを登場させながら物語化し、その語り部として、プレゼンターとして自分のコトを客観的に参加者に伝えようとしたその姿が、いかにも絵本作家的な魅力にあふれ楽しかったが、これひょっとしてある種のセラピーのような時間だったような気もする。プレゼンのひとつにあった閉じられた店舗のシャッターに描かれたキャラクターが、その店のことや店主のことやまちのことを物語っている。そんなシャッターがあるまちも確かに楽しそうだ。

紙芝居屋のガンちゃんという方のプレゼンには独特の魅力があった。それはオトナの紙芝居だった。SDGsを意識する内容もあったし、オトナ的にモノを大切にしようという気分にさせられる内容もあり、常に笑いを誘うシーンがあった。ある企業の商品を販売員の方に知ってもらう販促のための紙芝居や企業研修や教育、社会問題の啓発を促す紙芝居など、可能性を秘めていた。パワポで説明するセミナー講師と一線を画する魅力があり、それはひとつの話芸としての職人技術を修練しているからだとおもえた。紙芝居の内容をお客さんに繋ぐ役目が「紙芝居の人」の大切な役目だと公言する姿勢に、紙芝居の新鮮な魅力を感じた。

お客さんに木村工務店の家づくりを知ってもらうための紙芝居とか。うちの社員や職人さんや協力会社に工務店としての建築というものづくりの姿勢を共有するための紙芝居とか。そんなのをガンちゃんに笑いも交えて語ってもらうことで、伝わり共有できるのなら、何時か依頼したいなという気分にさせられる、落語のようなプレゼンテーションだった。

そんなこんなで、その夜の中秋の満月に微笑みがこぼれたのは、3人の魅力的なプレゼンテーションの余韻と会場の参加者の暖かい眼差しの余韻があったからだとおもう。あっそれと、この加工場で、この催しを開催できるように早朝から片付けや設営に協力してくれた社員や手伝いさんのお陰があってこその微笑みでもあった。

想像力。

先週。木村工務店の加工場でタバタ大工が手加工をしていた。「鑿ノミと金槌カナヅチ」のコンコンとリズム良い音が事務所まで響く。その音感がとっても心地良い。矢部さん設計のRC住宅で、コンクリートの躯体の外にカーテンウォールのような木造の外壁が取り付く。RC造と木造のハイブリッドでどんな住宅になるのか想像してみた。昨年は木造住宅を2棟だけ手加工で上棟したが、木造技術の伝承として、大工の楽しみとして、これからも細々と手加工を継続できれば嬉しいが、作業を見守りながら、大工の手加工が重宝される時代になるのか、これからの時代背景を想像してみた。

↑ 廃校になった生野区の御幸森小学校がNPO法人IKUNO・多文化ふらっとさんと株式会社RETOWNさんとの地元のNPO法人と区外の企業がタッグを組んで、それぞれの持つ強み・ノウハウ・ネットワークを活かし共同事業体として事業を行いながら、多文化共生と地域活性に同時に取り組んで、生野パークとして運営していくという。かつて音楽室だった教室をその多文化フラットさんの事務所としてリノベーションを設計施工させて頂いた。吉野杉の床を貼って一部の壁と家具を造っただけなんですけど。子供達が集まってくる居心地の良い空間として使われればとっても嬉しいし、それより運動場がどんなオープンスペースとしての「いくぱー」生野パークになるのか想像してみた。

↑ そうそうちょっと前の週末。次男に誘われ家族で京都に行くことになって、夕方の1時間、皆と別れ、長男の誘いでマゴと3人で、ブライアン・イーノの美術展に行く。「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです。」と入り口に掲示されてあった。なるほど。店員さんが私達3世代の珍しい観客に気を利かしてくれたのか、記念写真を撮ってくれた。

↓ その京都の夜。皆で「梅の湯」という銭湯に行った。サウナブームなので若い人を中心にいっぱい。久しぶりに京都のまちを歩いたけど、想像力をかきたてられ、やっぱりエエよね。

「旅」っていうのも、「ありきたりの日常を手放し自分の想像力を自由にする機会」なのかな。って考えていると、2022年の夏旅で八戸のまちを歩いた記憶がフラッシュバックしてきた。


↑ 八戸の夜。夕食をもとめて、みろく横丁という小さな店舗が立ち並ぶお店のひとつに入って食事をする。ひとりの常連さんとは明日の日曜日の港で開かれるカオスな朝市の話とか。青森のこと八戸のことなど教えてもらう。あるカップルは結婚を申し込むため両親とお会いしたその日の夕食なのだという。私達夫婦は旅の途中の通りすがりの旅行者。一緒に居合わせた地元の人と、なんてことない会話が記憶に残ったりするし、さまざまな想像力をかきたてられたりするのが面白いのだとおもう。

確かに「ありきたりの日常を手放し、自分の想像力を自由に発揮する」機会っていうのも必要だな。とあらためておもう。

ギアチェンジ

風が肌にあたると夏の終わりと秋の始まりを予感させられて「おどろかれぬる」という俳句のコトバが浮かんできた日曜日。土曜日の夜はマゴ達が花火に興じて閃光とともに夏を静かに見送る姿に、8月が終わるあのなんともいえない寂しさが襲ってくる小学生の頃の気分を想い出した。夏休みのあいだ庭に置いてあったプールを奥方と長男妻が二人で片付けて、女性たちの秋へのギアチェンジだなとおもった。ワタシは夏休みの「旅」で出会った「縄文ランドスケープ」を振り返って秋へのギアチェンジにしようとおもう。

↑ 北海道・北東北縄文遺跡群の岩手県側にある御所野遺跡は山の幸に恵まれた気持ちの良い場所で草屋根に覆われた縦穴住居が特徴的。草屋根って縄文時代からあったのだとあらためて感じ入った。こんなところでキャンプできれば最高だなとおもう。一番最初に穴を掘って住む場所を決めた住居は何れなのか。最初にテント張る場所って迷うよね。

↑ 秋田県側にある伊勢堂岱遺跡に行くと環状列石だった。とっても気持ちの良いランドスケープのなかにある石の円環に佇むと、盆踊りのような祭りの踊りと歌声が聞こえてきそうな気分になった。先祖とか繋がりとか祭りを大切にしたのだろうか。生憎天気が悪く白神山地を望むコトはできなかったが、定住したくなるほど眺めが良いエエキャンプ場なのだろう。

↑青森県側の大湯ストーンサークルは30年以上前に訪れて以来だったが驚くほど整備されていた。二つの大きなストーンサークルの中心に建つ石柱は夏至だったか冬至だったかその日没に一直線上に並ぶという。雑誌ムーのオカルト的な話題性のある場所で神々のピラミッドと表現される黒又山がこの黄色の矢印の方角に見えるはずなのだが生憎の天気だった。そういうオカルト的な話は時として旅のアクセントになって楽しめる。

↑ 北海道函館の大船遺跡は太平洋を見下ろす高台にあるとっても居心地の良い敷地だった。こんな敷地で3軒の家をこんな感じで計画できたら面白いなとおもうが、それにしても現代的な住まいとして、この写真のそれぞれの家族のように、庭を共有したり入り口のアプローチを共有したり、いわゆるフリーサイトのキャンプ場のように敷地境界の塀もなく家のなかだけでプライバシーを確保できれば良しとして土地を購入し隣人と敷地を共有しながらゆったり暮らす現代人が増えていく可能性ってあるのだろうか。

そうそうスノーピークのキャンプ場はゴルフ場だったところに本社とミュージアムを建て広大なフリーサイトのキャンプ場になっていた。縄文遺跡と同じような雰囲気がある。というより全国のゴルフ場をキャンプ場にすれば芝生で景色も良く池もあり最高なんだろう。そんなところをフリーサイトのような住宅地として家を建て庭を共有しながらゆったりと暮らす新しい住宅地を想像してみた。↓

夏が過ぎ 風あざみ
だれのあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様

なんて井上陽水の歌詞が唐突に浮かんできたが、木村工務店でも夏模様から秋模様にギアチェンジして精進していこうとおもう。

旅のルート。

夏旅でこんなルートを巡った。

夏休み休暇2ヶ月ほど前。奥方が新潟の三条にあるスノーピークが空いてたから押さえておいたよぉ!という。二人でキャンプをするのかとおもっていたら宿で寝て宿で食事し新しくできたサウナに入るのだという。ここ最近は奥方の方がすっかりサウナ通だ。息子達が高校生になるまでの夏休み休暇は、ほとんど宿泊はキャンプで、最後の一泊だけそこそこの宿をとるというのがひとつのパターンだったが、35年ぶりに夫婦二人だけの夏休みを過ごすことになって、正直、戸惑っているのはワタシだった。

4年前のGW。新潟から信濃川を遡り、火炎土器を巡る旅をしたが、その時は軽井沢で息子家族と合流し、大阪に戻った。20年前のキャンピングカーに乗っていた時は、新潟を通過し山形県の酒田まで北陸道を一気に走って宿泊し、青森の亀ヶ岡や三内丸山など巡って折り返し、乳糖温泉などに入りながら、当時東京で下宿していた息子宅でギュウギュウ詰めで寝て、大阪に辿り着いた。さて大阪からせっかく新潟まで行って、そのまま大阪方面に戻るのか、東北まで目指すのか、あれやこれやと迷ってみた。

ここ数年の1週間ほどの旅は、Google地図によるルートのシュミレーションとナビゲーションができること。インターネットにより宿の予約が取れること。その二つの恩恵にあずかることでワタシの旅が成立しているとおもう。

2015年の息子と二人のイタリア旅行では、iPhoneでGoogle地図を見ながらレンタカーで移動し、前日に次の日の宿をインターネット予約することで、ミラノからベネチア、フィレンツェ、ナポリ、ローマと建築巡礼できたが、それはまったく息子のパワーのお陰だった。夫婦二人でそんな感覚で日本を旅するのもエエが、アクシデントで大喧嘩に発展する可能性も大いにあって、歳も歳なので、まずはGoogle地図上でシュミュレーションをすることにした。

秋田から八戸のルート上に世界遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石、御所野遺跡、是川遺跡があって、この縄文街道ルートは土器以上に土偶と縄文ランドスケープを体験できる楽しみがある。八戸のまちを歩いてみたい衝動もあったので、移動距離は270kmほど、見学の時間を含んでも一日の旅程としてはほどよい感じだった。

これをメインルートとすると、さてどうやって大阪まで戻るのかに悩む。青森から大阪まで自走するのもたしかに車旅の達成感はあるが、奥方が喜ぶ姿をどうにも想像できなかった。そうそう青森から北海道に渡り苫小牧からフェリーで敦賀に行って大阪に戻るパターンがあることに気付く。お互い函館に行ったことがないので観光気分を満喫できそう。津軽海峡を渡る青森から函館は4時間ほどかかるらしいが、大間から函館は90分ほどだと知ると、脳裏には大間のマグロ丼がちらついて、大間 → 函館、苫小牧 → 敦賀のフェリーの予約状況をインターネットで確認し、その空き日の組み合わせから宿泊地と日程が決まった。

一日目は大阪から580km走行で新潟泊。二日目は新潟から秋田泊の移動は330km。三日目は秋田から八戸泊の270km。四日目は八戸から大間まで走って函館へのフェリーに乗船し北海道へ渡り函館泊の170km走行。五日目は函館から洞爺湖泊の220km。六日目は洞爺湖から苫小牧港への150km走行でフェリー宿泊。7日目の20時30分に敦賀港に到着し175kmの走行で大阪に帰り着く。総距離約1900kmの車旅。最終日として函館から白老町のウポポイに立ち寄って一気に苫小牧港まで行き日程を一日短縮しようとしたが、フェリーの空き状況でこんな旅程になった。

ちなみに旅の宿は奥方が全てネット予約したが、どんな建築でどんな内装の宿か、どんなお風呂でサウナがあるのかないのか、どんな夕食でどんな朝食か、奥方の好みとその日の予算で決まった。それなりのホテルもあり、シティーホテルやフェリーの部屋など、なぜかいわゆる温泉と温泉宿が選択肢に入らなかったが、フェリーの中にもサウナがあって、7日間のうちまる1日以外毎日のようにサウナに入った。

今回の旅の衝動を振り返ってみると、企業活動の興味としてスノーピークの本社とキャンプ場を見てみたかった。燕三条のカトラリーショップを巡ってみたい。秋田のまちを歩いてみたい。八戸の夜のまちを歩きカオスな朝市を体験したい。函館のまちを歩いてあの夜景をみたい。北海道・北東北縄文遺跡群の特に縄文土偶と縄文ランドスケープを実際に見て体験してみたい。アイヌのウポポイの建築とランドスケープを見学したい。大間岬と津軽海峡と大間マグロ丼へのほんのりとした憧憬。フツウの車でホテルを転々と旅をしまちを歩いてその土地の美味しいものを食べてみたい。そんなこんなの気分だったが、でもなんとなく「建築的なるものの何か」が旅の潜在的な興味だったようにおもう。

この夏のとっても不順な天候に翻弄されながらの車旅になったが、それぞれの「土地と建築と食べもの」の印象については、またいつか。

「旅」

津軽海峡を渡る大間から函館へのフェリーのなかでこのブログを書く、いまとここ。夏休み休暇を利用して久しぶりに「旅」をすることになったが、生憎にも東北地方の線状降水帯による大雨土砂災害警報とか台風接近とかに翻弄されながらの「車旅」になった。大阪から新潟三条泊 → 秋田泊 → 八戸泊 → 下北半島の大間へ。もうすぐ北海道に上陸する。

秋田から八戸への道中は「北海道・北東北の縄文遺跡群」を見て回る1日になったが、縄文人は丸木舟で津軽海峡を移動したらしい。八戸の是川遺跡にいくと「行きかう土器とヒト」というタイトルだった。この地方の土器が日本各地で発見され各地を移動した痕跡があるという。大間崎から北海道という島を眺めると確かに渡ってみたい衝動に駆られるが、凄い潮流だな。津軽海峡を目の前にして演歌が流れているなかで食べるいかにも観光客向けの大間のマグロ丼が、本州最北端の大間崎に来たのだぁという気分にさせられた。

ま、そんなわけで、「旅」の途中でもあるので、この旅の印象またいつか。
とにもかくにも、木村工務店では8月18日から通常営業です。

地車とマッキントッシュ

鐘と太鼓が鳴り響き、3年ぶりに地車(だんじり)が、まちなかを駆け巡った今週。木村工務店前に地車が停止し、2階事務所にいた社員が1階の路面に集まって、地車の頭(カシラ)の威勢の良い『打ーちましょ』の掛け声と皆の手拍子「ドンドン」、『も一つせ』「ドンドン」、『祝ぉて三度』「ドドンがドン」と大阪締めで祝う。粛々とした気分を皆で分かち合うのが心地良い。

木村工務店の氏神さんは清見原神社で、この地域には地車が4台あって、それぞれの町の若者が地車を曳いて回りながら、氏神さんの福を町中に撒いてまわるのが、地車のひとつのありようにおもう。祝儀を渡し皆一緒に大阪締めをし福を分かち合う。久しぶりに町のなかに鐘と太鼓と掛け声が響くと、まちの邪気が払われ清らかになったような気がした。

木村工務店では先々代から清見原神社の建物に関わっていることもあり、氏子総代会の一員として木村家のバトンを繋いでいるが、お祭りの前には氏子総代会の数名が神社に集まって町の安全無事を祈願する。町のことを祈っている人達がいる。そんなことが綿々と続いていたとは総代会に参加するまで知らなかった。今年は巫女さんの神楽も奉納された。そういう役目を引き継いでいこうとする若い女性にバトンが渡った姿に接すると不思議な感覚になる。

それはそれとして。その巫女さんが振るう神楽鈴が心地良く雑念が払われ頭がスッキリとした気分になるのは、きっとその音波に科学的な根拠があるのだろう….とググってみると「ソルフェジオ周波数 528Hz 癒やしの音」なんてでてきたが、よーわからず、ほどほどでこのネットサーフィンはプルアウトした。

その「音」ついでに。生野区の「BARソケット」の大熊さんが、マッキントッシュ240という真空管アンプを手に入れたというので、視聴にいく。とにかく真空アンプとしてのデザインがカッコエエ。フツウは背後にあるコネクター類が左サイドにあってそのテーパーの角度やコネクターのデザインがモノ心を刺激する。スピーカーALTEC A7とのマッチングも良くなって音もシュッとして響きすぎるわけでもなく低音もフツウに輪郭のある音がそこにある感じで、良い音のスタートラインというかスタンダードを視聴した感覚。

建築でも良い建物としてのスタートラインに立つようなスタンダードでフツウに良い家が工務店の仕事なのかとおもえるが、今はそんな家造りがハウスメーカーで、工務店はそんなスタンダードで良い家を理解したうえで、それぞれのお客さんの個性を反映させていくのが、これからの工務店のシゴトのような気がする。心地良い「音」と心地良い「家」。どちらも奥深い。

木村工務店では8月11日から17日まで夏休み休暇を頂戴します。皆さん良い「夏」をお過ごし下さい。

DX化と企業文化・風土

コロナ感染拡大の影響が木村工務店にも襲ってきた今週。油断していたわけではないが、唐突に、社員とその家族が陽性者や濃厚接触者になって、自宅待機者が3名になり、流石におもうように仕事がはかどらない状況。日本の会社のどこにでも起こっている現象のようだし、フェリーとかバスも一部運休しているようなので、陽性者の自宅待機の期間設定をもっと短く設定してもエエのではないかとおもう。重症者以外もうPCR検査は必要ないような気もする。

皆で助け合ってこの状況を乗り越えていくしかないが、こういう状況の時に、業務の助けになっているひとつにDX化があるとおもう。DXとはデジタルトランスフォーメーションの略らしい。経済産業省の定義では「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。」となっている。

木村工務店ではサイボウズというスケジュールや掲示板を共有出来るソフトを1998年8月から運用してかれこれ24年近くなる。現場の報告などは掲示板を使って共有しているので、それなりのDX化の歴史はあり、社外からスケジュールや現場報告を共有できることが、会社ではあたりまえのコトとして定着しているが、請求書は、いまだに紙で、DX化にはほど遠い感覚だった。

それが電子帳簿保存法とやらが2024年から本格的に施行されることになって、その対応を今年の春から数ヶ月模索し、先月からデジタル化による請求書を回覧する仕組みを社内で構築して試験的に運用を開始したばかりだった。それまでは画板に現場ごとの紙の請求書をバインドし印鑑を押して回覧していく昭和的な仕組みで、机に積み上げられた請求書の画板が月末の社内の伝統的な光景だったが、先月からパソコン上のデジタルな回覧になってプロセスが大きく変化した。それによって出勤できなくても社外から請求書を査定できる仕組みになり、働き方改革としてコロナ自宅待機者に少々の貢献ができたのかもしれない。

zoomによる打ち合わせがフツウな感覚になって、遠く離れた人と移動しなくても時間だけ共有すればどこででも打ち合わせが可能になったのは素晴らしい進化だとおもう。その経験を通じて最近社内で取り組んでいるDX化に、現場監督や設計担当者が現場の状況を携帯電話の動画でリアルタイムの報告をする仕組みで、その時はzoomでなく⁨wherebyというソフトで現場の定例報告を実施している。社内の誰もが経理の担当者でも現場の状況をリアルタイムで一緒に共有することで、なによりも、ものづくりの「感覚の共有」をできることが大切な感じがしてくるし、社内に建築という「ものづくりの一体感」のようなものがうまれてくるような気がする。

たしかにDX化が企業文化・風土の変革に繋がれば…..とおもう。

ツール・ド・フランス

日曜日の朝一番。蟬の甲高い叫び声のような大合唱が響き、子供たちがどたばたと廊下を駆け抜け、庭に置いたプールに飛び込んで、蟬以上の奇声が響く庭。えっっもう夏休みになったのかとおもう。子供達はとっても嬉しそうな笑顔だが、親たちは困惑気味の笑顔で、このコントラストこそが夏休みなんだなと、両方の気持ちが理解できる年頃になったワタシ。

金曜日。京都東山の古川町商店街で、堀賢太建築設計事務所さん設計で木村工務店で施工したギャラリーと事務所のオープニングがあって、商店街に面した建物前の小さな広場で関係者が集まって飲食を共にした。1階のギャラリーには、商店街から出た廃材を使って大工さんが製作したオブジェが展示されてあった。無類工務店という名前でアートと建築の仕事に携わりながら大工の仕事をしているという。アートを活かした建築と精神的豊かさを得られる空間作りを心がけています。と書かれてあって、京都という「場」ならではの若い大工さんの感性だった。

副業を良しとする大企業が増えてきた昨今。大谷の二刀流もテレビやネットで毎日のように話題になっているし、大工さんも大工仕事とアートという「稼ぐ」だけでない「心」のバランスをとりながら大工としてのより良いライフスタイルを模索しているのだろう。

そうそう今日で3週間に及んだツール・ド・フランスが終わろうとしている。グッとくる場面がいくつもあったとってもドラマチックな大会で、ステージ優勝したほとんどの若者が感極まって涙を流すインタビューを視聴すると、100年以上続くフランスの国技なんだとあらためておもう。ロードレースの世界でも、トップ争いをするヴィンゲゴー、ポガチャル、ワウトなど、平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージと専門職的でなくバランス良く全てをハイレベルでアグレッシブにこなし視聴者を魅了する若い世代の姿は、大谷的な若者の出現が、あちらこちらに同時代性として出現している現象なんだろう。

今回のツールは、誰かと一緒にあーだこーだと語りたくなる衝動にかられる大会だったが、それはそれとして、ワタシ、昔から、ツールへの憧れがひとつあって、それは、キャンピングカーで、フランス国内をキャンプしながらツールのステージを一緒に移動し、山岳ステージで、映像のような人の通路を作って激しく応援する一員になってみたいという楽しみ方。もちろん建築好きなので、フランスの田舎町の集落を巡って食事したいというのも半分。そんな憧れをますます強くさせる今大会だった。

2019年に名古屋のコスモホームさんの企画でヨーロッパ建築ツアーに参加したのはとっても楽しかった経験で、その時フランスで初めてコルビジェのサボア邸を見学できた。ツール・ド・フランスで持続的に放映される空撮によるフランスのまちの映像を眺め続けていると、三角屋根に縦長の窓が等間隔で繰り返される石造りの建物の集落がエエ雰囲気なのだが、それとともにワタシの脳裏ではパリ近郊のサボア邸で見たあの建築のフォルムがフラッシュバックする。ピロティと水平連続窓とフラットルーフの屋上庭園がある白いコンクリート建築。現代の日本人からすればフツウの住宅に見えるというのだけれど、1930年代のフランスで、いや今でも、コルビジェは革新的な建築家だったのだ。とそんな気分でフランスの空撮映像を楽しんでいる。

それはそうとツール・ド・フランスで日本人がステージ優勝する日はやってくるのだろうか。

定期講習

セミが大合唱する季節。そういえば、うちの庭では一週間前の土曜日の朝、一匹のセミが静かにソロ演奏を始めたのが夏を告げる一報だった。前日の金曜日に元総理が銃撃されて亡くなるという衝撃的な事件があった翌朝だったので、もの悲しいファンファーレのように聞こえるのが不思議な感覚だったが、でもなんというか、妙にエモーショナルになりすぎるのも良くないよねぇっていう一喝の鳴き声のようにもおもう。一週間たつと何十匹もの蟬でハーモニックでちょっとうるさく感じる合唱が庭に響いている。

家で過ごす海の記念日。振り返ると2013年の海の記念日から昨年2021年の海の記念日までの9年間連続で、しまなみ海道の生口島にある輪空という宿に泊まって、そこで出会った友人達と自転車で島々を巡るというのがルーティンになっていたが、今年は行けなかった。一ヶ月ちょっと前の日曜日に奈良で自転車に乗っていて、川沿いの自転車道車なんだけど、道路を横断する時に、車との交通事故にあって、左肩甲骨を損傷し、三角巾の生活を余儀なくされた。幸い右利きなので生活と仕事はなんとかフツウっぽくこなせたが、服を着替えたりするのは奥方の多大なるお世話になった。ほんの少しエモーショナルになる時もあったが、淡々と日々のルーティンを守って過ごすコトにした。いまはそれなりに回復基調で、リハビリが始まって、今日は朝から銭湯に通ってリハビリをしながらゆったりと過ごす日曜日となった。

そんなこんなの理由もあるので、先週は一級建築士の3年ごとの定期講習をオンラインで受講することにした。コロナ禍になって、オンラインによるセミナーや講習がフツウのコトになり定着してきたのが進化だなとおもう。郵送されてきたテキストを見ながらパソコン上で講義を視聴するのは気楽で良いし講義時間を小分けに視聴できるのも良いが、試験をどうするのかが、ちょっと不安だった。

事前にこんなスタイルでしますという説明もなく、いきなり定刻にzoomで入り、試験官の方のzoom画面上からの監視のもと、パソコン上に別画面を立ち上げ別サイトから試験用紙を開いて設問に一問ずつ答えていく。紙なら迷う問題は飛ばして後回しに簡単にできるが、パソコン画面上は次へ次への画面移動が基本なので、そういう融通が利かない。配布されたテキストを閲覧することが許されているので、あっちこっち本をめくるのだが、会社でリラックスしすぎているからなのか、歳のせいなのか、なかなか目的のページに辿り着かないワタシ。講習試験会場で一日缶詰で集中した方が良かったような気もする…..。

テキストのなかで最近の法規の改正や建築の動向などが解説されているのだけれど、そのなかで興味をひいたひとつは「木造」というのが、かなりクローズアップされて解説されているのが興味深かった。木造を扱う工務店の立ち位置としては、専門学校や大学で木造を教える授業がもっと増えれば良いのにとおもう。

もうひとつは、「地球温暖化、生物多様性の減退、破棄物問題、大量生産・大量消費の従来型の社会システムから、持続可能な社会システムへの転換」「スクラップアンドビルド型から建物をきちんと維持管理し、長持ちさせ、愛着を持って使っていくストック型の社会への転換」「建替という選択肢でなく耐震改修や設備の更新など維持保全を前提にした対応」「建物・街並の歴史性の継承という観点」などが建築界に求められている。とあらためて明記されているのが目を引いたし、「空き家」なんていうコトバが重要なキーワードになっているのにも感じ入った。

「いいものを作って、きちんと手入れして、長く大切に使う」というテキストのコトバに接すると、工務店としての今までを、社員と一緒にもう一度見つめ直す機会だな。とおもえた定期講習だった。

 

週末の出来事とテレビとツイッター

金曜日。お昼前。安倍元総理が銃撃されたという一報が衝撃的すぎて、お昼一番の仕事を終えるとテレビの前に座りツイッターを眺めリアルタイムで事態を見守った。心肺停止という報道を聞いていても奇跡が起こるのではないかと願う気持ちがそうさせていたのだな。といま振り返るとそうおもう。それにしてもテレビよりツイッター上でのリアルタイムに流れてくる銃撃の動画や手製の銃の写真にリアリティのある報道性を感じ、その後にテレビ画面でその映像の解説を視聴して、なるほど。なんていうSNS的情報の時代性を感じさせる出来事であった。

7月1日からツール・ド・フランスが始まった。昨年JSPORTSのオンデマンド放映で視聴してから今年も夜な夜な「街を空撮で眺める魅力」に引き込まれリアルタイムで視聴しているが、流石に金曜日の夜はツールより報道番組だった。土曜日のお昼休み、パソコンで前日のツールのステージ放映を視聴する。その画面の向こうの庭でマゴ達がプール遊びに興じていた。テレビでは安倍さんの遺体が東京の自宅に帰ったという報道が流れている。午後3時過ぎからは木村工務店の加工場で2ヶ月に一度の「ものづくりセッション」が始まる。明日日曜日は選挙だ。「時」というのは容赦なく流れていくものだなぁ…..なんておもう。

今年のツールはデンマークスタートだった。コペンハーゲンの街や地方の街を空から眺めると、あらためて美しいなぁとおもう。東京五輪の自転車競技での日本の空撮も美しく感じたが、空撮そのものに魔力があるのだろうか。選手が自転車に乗ってコペンハーゲンの街を高速で走る空撮を眺めながら、2017年の8月に息子二人と一緒にベルリンとデンマークを旅した想い出が高速で蘇った。レンタルサイクルを借りて3人でコペンハーゲンの街をブラブラ巡った同じあの道路を自転車選手が高速で駆け抜けている。なんていうのが単純に楽しかったりする。

3人とも建築関係なので、旅の興味はどうしても建築と街になり、自転車にとってもフレンドリーなコペンハーゲンの街はレンタサイクルで街を眺めながら移動するには最高の街だった。空撮を視聴しながら想いだした光景は、自転車を橋の欄干に駐めて眺めたコペンハーゲンの夜景とクリスチャニアというコミューンを訪れた時に門の前に自転車を駐めた映像。デンマークという先進的でモダンな街とヒッピーな街が共存している姿に面白さを感じた。そんな街をロードバイクが超高速で駆け抜け多くのデンマーク人が沿道沿いで熱烈に応援する映像にデンマーク人のエネルギーを感じながら視聴した。

ちなみに3つ前の写真に写るプール遊びをしているマゴは、この旅の時、ベルリンの街で、日本のラーメン屋さんに入るために、行列に並んでいる間に出産が始まり、テーブルにラーメンが出てきた丁度その時に、無事出産の知らせが入った、その時の長男の子供で、こんなに大きく成長する間に、世の中は、ますます予測不能な経済になり、えっっっとおもうような出来事が頻発する世の中になって、「情報」の21世紀なんていうコトバにリアリティがますます増して、それとともに、それぞれ個人の「心」の問題がそこに深く関与しているコトを痛感させられる、この週末の出来事だった。

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