「小説って建築に似てる」

寒い日が続く。日曜日だからアウトドアーでスキーでも。体も動かしたい。と土曜日の昼過ぎにおもったが、夜な夜なスキー板と靴と服を用意して、早く寝て、朝早く起きて、スキーの服に着替えて、車で雪道走って、天気だったらエエが雪降る道中とゲレンデやったらいまいちやし…..。なんて前日にそんな気分に囚われて、躊躇してしまうワタシがいて、それを歳のせいにしながら、無理せんとこ。と、用意を止めて、夜な夜なNetflixを視聴しながらシニアなメンタルを慰めているワタシがいた。

日曜日の朝起きて、とっても快晴な空を眺めて、やっぱり行けば良かったと後悔が勃発した途端に、気持ちを朝風呂に切り替えた。露天風呂の湯船から快晴の空を見上げていたら、やっぱり小さなチャレンジを繰り返さんと小さな喜びは味わうことでけへんよな。脳にだまされずに脳をだまさなアカンよな。なんて反省をしてみるワタシがいて。妙に面倒くさがる脳に囚われてしまったことにより、リアルないまとここにある目の前の現実は、雪のゲレンデではなく熱波のサウナになってしまった。なので、それを楽しむことにした。

そうそう、先日のこと。「サトシくんがいま直木賞とったでぇ!」と奥方からLINEが来た。反射的におもわず凄い!と呟いてしまったが、暫くしてテレビ会見が始まったらしい。夜にYouTubeでその会見を見て、ちょっと笑いちょっと心配しちょっと感心した。どんな気分ですか。という質問に、とりあえず早く終わって飲みにいきたいです。というコトバに、会ったときと同じ、率直な印象を語る若者の映像に微笑んだ。嘘をついたことがありますか。という質問に、母親のパンの話を語りだし、おいおいそんなこと言って大丈夫なんかいな。と老婆心でヒヤヒヤしたが、それより、「小説を書く行為自体が建築と似ているとおもっていて…..」という語りに感心した。

「地図と拳」で直木賞をとった作家「小川哲」さんは、うちの長男の友人で、うちの家といっても庭を隔てて繋がっている長男の家に泊まりにきて、顔を合わせ会話したのは小説家になって数年した時のこと。なんでもうちの長男と生年月日がまったく同じだという。生まれた時間だけが1時間ほど違うらしい。受賞直後にうちの家では、占いってどうなっているんやろ。同じ生年月日で、かたや直木賞作家。かたや大阪の小さな工務店。あっはは。と笑いながら祝福するのが、ひとつの作法だった。早速Amazonで弁当箱のような分厚いその本を購入した。読み切れるかどうか心配なのだが、ネット上にこんな記事が掲載されてあった。

そのそもそも僕は小説って建築に似てるよなと思っていたんです。家を建てて人をもてなすのと同じように、小説も空間を作るものである。僕が小説について考えていることは、建築について考えることに繋がっているかもしれないし、その建築というのは満洲という国家のメタファーでもあるので、建築という軸で通して書けるな、という感覚がありました。

――でも建築する際って、事前に綿密な設計図を書くものですよね。小川さんは小説を書く時、設計図、つまりプロットを立てずに書き始めるそうですが。

小川 そうですね。僕の場合、設計図を書くと、どこかで見たことのある建築になっちゃう気がしていて。適当に柱をポンポンと投げて、刺さったところから始めるんです。「うん、この刺さり方いいな」とか「この柱、要らないな」とか。そうやってある程度、その場の天気とか空気とか自分の調子とかに合わせていくと、だんだん全体像が見えてくる。そういう書き方のほうが、自分としては楽しいです。

ワタシ、このブログが長年続いているひとつの要因は、建築の設計図を書いている感覚と同じ気分になりたいために、ちょっと小説風に書こうとしているからだな。とあの会見を視聴し、この記事を読んでそうおもった。時として段落ごとに空間性を考えるような気分になるのがちょっと楽しい。書きたいことがある時は、ひとつのプランニングに基づいた新築のようにおもうし。日曜日の天気と気候と気分を書き出すことから、気分が増築されたり減築されたりし、その週の印象をブリコラージュ的にリノベーションしながら作る時が多いようにおもう。たまに読み返すと、ひどいプランニングで雑な仕事やな。とおもう時も多い。

まっ、建築空間に例えたら、直木賞作家とは雲泥の差なんですけど。というか、祝福をこめて。

「会食」

お正月からあっという間に3週間が過ぎた。10日戎には布施の戎神社にお参りし商売繁盛を祈願して笹を買うのがここ数年の事だが、コロナ禍になった影響か、天然の笹竹の販売がなくなり、一種類だけの模造の笹に札が付いているタイプしか販売されなくなった。種類を限定した販売戦略なのか。コロナ禍の対策のためにお客さまが声を発して注文するコトバを減らし行列と混雑と密集を避けるための措置だったのか。自転車の前のカゴに買った笹を乗せて、そんな事を考えながらペダルを漕いだ帰り道だった。15日には門松を撤去した。

今年になってさまざまな新年会が復活した。木村工務店の恒例の初出の新年会は3年間中止しているが、業界団体の新年会はちらほら復活し今年になって3つの会食に参加した。暫くぶりだとあらたまってスーツに着替えネクタイ締めるのが面倒くさいなっ!ておもうが、外に出向いて人と会って、いわゆる「会食」をするっていうのはそれはそれでやっぱり楽しいよなっ。とおもう。

そうそう昨年末には「ものづくりセッション」に参加する若い人達と2回ほどうちの家で会食をし楽しい時間を過ごした。年末のものづくりセッションの時にプレゼンしたワタシの話の解説のようなものを聞きたかったらしい。若い2人だったからか、奥方が、料理教室で習ったイタリアンをフルコース風にご馳走するわ!と張り切った。その噂がSNSに流れて、一週間後、やっぱりうちの家で今度はリゲッタのタカモト社長を交えた6人ほどで鍋を囲んだ。流石に奥方も6人にフルコース料理は絶対無理っ!てなって、小路の「活気寿し」のちゃんこ鍋をテイクアウトし、それにお造りなどをつぎ足して、深夜まで続く楽しい会食となった。

この土曜日。高校時代の同級生4人と奥方と私の6人が、うちの家で、会食を共にすることになった。同級生といってもそれぞれ仕事上でお世話になっているし、ちょっとしたお礼事も重なったので、奥方も親しくしている同級生で集まることになったが、さて食事をどうするか。だった。今回は奥方も一緒に食事と会話を楽しみたいというし、それに、グルメ王と少々の笑いをこめて揶揄されるヤツがおり、そのうえ魚が苦手なヤツまでいて、鍋が選択肢から外れると、おっさんのちょっとうるさい口に合う手料理なんて絶対無理っ!ていう。ま、確かに。

コロナ禍前に、あるお宅の竣工お祝いで、施主の方が「お届けリストランテ」を運営されている社長さんを交えて、そこの出張シェフを招いたランチでの会食があった。それがなかなか楽しく、美味しく、シェフの出張といっても特別に高い金額ではなく、手に届く価格だった。そんなこんなで、奥方が、そのお届けリストランテからチョイスしたフレンチのシェフを呼ぶことになった。

       

開始一時間程前に、若い男性シェフとウエイトレスの女性のお二人が車でやってきて準備が始まった。デザートまで含めたフルコースでパンとお酒だけを準備し、食器はシェフ持ちでカトラリーはうちの家のものを使った。どれもが美味しい料理だったが、なによりもうちの長男と同じ年齢の若いシェフが、一生懸命誠意をこめて料理をする姿勢に、おっさん全員で拍手を送った。おっさんのひとりは「グッドジョブ!」と感謝とこれからの応援のコトバを贈った。会社経営をする二人は名刺を交換していた。

食事を共にできるテーブルがあって、フツウのキッチンがあり、シェフを招いて会食をする。っていうライフスタイルが、富裕層で億ションや高級住宅の所有者だけのものでなく、フツウに誰もが利用できる時代になってきて、そんなニーズに応えながら美味しい料理を提供するシェフとして生きていこうとする若い料理人がいて、何よりもそういう仕組みを造ってイノベーションを提供しようという若い経営者もいて。ワタシ、そんなライフスタイルも楽しめる、新築やリフォームを提供していきたいものだなっ。とおもえた「会食」だった。

「空気感」

心斎橋筋商店街で木組みの店舗を施工中で、その店舗の構造設計を担当する下山さんの紹介で、構造材とその加工を紀州材を取り扱う山長商店さんに依頼する事になって、和歌山に訪問し、山と木材と大工さんに出会うことになった。

和歌山県田辺市にある山長商店本社から30分ほど車で移動した「山」に案内して頂き「主伐」といわれる伐採が終わったあとの「集材」の現場作業を見学する。谷間の両端の木と木の間に大規模なワイヤーが張ってあり、それはまるで巨大工場内の巨大なガータークレーンのような雰囲気であって、巨大リフトとして山の上で伐採された木材を吊って谷間に釣り降ろす豪快な作業を見守った。

その木材をプロセッサというガンダムのような巨大な機械が取り付いたキャタピラ車で、木を掴んで、枝払いと玉切りを一気に行う。木に生えている枝がバキバキバキと気分爽快に切り落とされる枝払い、4mと3mの定尺長さでギィーンギィーンと鋸の音とともに切り落とされる玉切りの作業にちょっとした興奮を味わった。

10年以上前に岐阜の山でハーベスタという機械で木を掴んで切り倒し枝払いと玉切りまで一気に行う作業を見学したが、和歌山の山は急峻なので、平地が少なく、機械で木を切り倒すことが出来ないという。それで、手作業で木を切り倒して山に倒れたままの木を谷ごとにワイヤーを張って集材する手法が使われているのだそうだ。山から木材を切り出し運搬する技術とコストは、集材と運搬のための道を切り開く技術とコストに依存していることが理解出来るのだった。

山のなかの平らな場所で谷を見下ろしお弁当を食べる。ここから望める山の全てが山長さんの森林だという。凄い規模だな。「スギ」と「ヒノキ」の木の違いのレクチャーを受ける。スギの木は谷沿いなど水分の多いところで土が深くまであるところに植え保水する。ヒノキは急な斜面などに植えるという。お弁当を食べたところから山を眺めると、谷沿いの水分が多そうでスギが植わっている場所は花粉が開花しているのか茶色く色づいているし、ヒノキが植わっている場所は急峻な斜面に緑色を発し、岩場のような一体には広葉樹がそのまま残っていた。伐採し植樹を繰り返すことによって、健全な山が維持管理され、活発な光合成によるCO2の吸収と固着が持続的に維持管理されるが、スギやヒノキの「木」が使われなくなると木が衰え山が衰退しCO2の吸収量も減少する。和歌山県の70%以上が森林でそのうちの60%が人工の植林だという。あらためて「国産材の木の家」を造っていきたいものだな。とおもえる山の見学だった。

そうそう、山長さんの植林された山を歩いて下る途中に、79歳になるという山師さんからさまざまな木のレクチャーをうけた。少しねじれた木の前で立ち止まり皆に語りかける。ねじれた木は製材し構造材になると、いつしか材料がねじれてくる。その木の種を採取し植樹するとそういうDNAが残ってねじれた木が増えてくるので、森林組合で良質のDNAを持った苗木を管理し販売し良質な森を維持管理することに努めているという。そんな現代的で科学的な話しに感心した。

一本の不思議な木の前で立ち止まり上を見上げて円形の枝の塊を眺めながら、山で出会う「カシャンボ」という妖怪の話が語られた。いたずら好きな山の精霊に山師の多くが出会っているという。あの円形の枝の塊を払うと山のたたりに会うかもしれない…..そんな話を聴きながら木漏れ日とともに山を下ると、気分がハイになるよね。

山長商店さんの本社に戻り、事務所の横に併設されてある工場で、山から集積され運搬された木が、木材として皮をはぎ乾燥し製材されて材木という木材製品にになる工程を見学する。いわゆる製材所が併設されてあるだけでなく、その横にはプレカット工場も併設されてあって、材木に「ホゾ」や「アリ」が機械加工され建て方を待つ構造材として山積みされてあった。山から製材を経てプレカット加工まで木が一貫生産され植樹をし山と森を育てる。そんな過程をひとつの会社で見学出来るのは素晴らしいコトだなとあらためておもう。

今回のメインテーマは、そのプレカット機械加工ではできない手加工をどのようにするか、その細部を大工さんと検討するために、意匠設計者と構造設計者と工務店と大工が顔を合わせ、リアルなミーティングをすることだった。木村工務店の大工は施工中の現場からオンライン参加になったが、それにしてもそれぞれの立場の人が一堂に会することによって生じてくる「空気感」のようなものによって細部が決まっていく。なんていう体験が面白いし楽しい。そんな週末の和歌山だった。

「考え方」

木村工務店1月6日の初出は、社員が会議室に集まって、それぞれ一人ずつ、お正月休暇を振り返り、一年の抱負を語りあったあと、協力会社も一緒に清見原神社に参拝する。御神酒を頂戴し加工場に戻って賀詞交換会をおこなう。

その場で私は2023年の年頭所感を語るのだが、年末のテレビ番組に、昨年亡くなられた京セラの稲盛さんのインタビュー番組があって、「人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力」について語られていた。経験値から発せられる温和な語り口によって、とっても惹きつけられた、そのコトバについてシェアーすることにした。ホームページにはこんなふうに解説されてある。

「人生や仕事の結果は、考え方と熱意と能力の3つの要素の掛け算で決まります。このうち能力と熱意は、それぞれ0点から100点まであり、これが積で掛かるので、能力を鼻にかけ努力を怠った人よりは、自分には普通の能力しかないと思って誰よりも努力した人の方が、はるかにすばらしい結果を残すことができます。これに考え方が掛かります。考え方とは生きる姿勢でありマイナス100点からプラス100点まであります。考え方次第で人生や仕事の結果は180度変わってくるのです。そこで能力や熱意とともに、人間としての正しい考え方をもつことが何よりも大切になるのです。」

ま、それはそれとして、今年は3年ぶりに「鶴橋と黑門」に年末の買い出しに出掛けた。コロナ前と同じとはいかないが、それでも外人を含めて多くの人で賑わっていた。中沢新一曰く「市場は都市のカマド」というように、人混みに揉まれ、年末の活気を味わうと、エネルギーが溢れてくる感じがするし、年末年始の食事を皆と一緒に食べることを楽しみにして、少々高い目の金額だと承知しながら、美味しい食材を買うのが、単純に楽しい。

それはそうと今年は自転車で買い出し出掛ける事にした。年末の大阪の町をブラブラするのが楽しい。驚いた事は帰り道に通過したコリアンタウンの人出が鶴橋や黑門以上の賑わいだったことで、もはや定着した感がある、恐るべし韓流ブームだな。

2023 年始。40年ぶりだとおもうが、志賀高原にスキーに出かけた。マゴたちも一緒なので、それはそれで楽しみだったが、こんな時に限って、順番に風邪になり、一緒に滑れたのは、最終日の2時間ほどだけだった。とってもコスパの悪いスキー旅行だったなぁっとおもわなくもないが、振り返ってみれば、それはそれでちょっとヘンなエピソードが抱負で思い出深い正月旅行となった。

まっ「考え方」が大事らしい。家づくりに関わる皆で、良い考え方を共有し良き方向を目指したいものだなとおもう。

2023への「変化」

2023年1月1日日曜日。新年あけましておめでとうございます。

木村工務店の2022年最後は12月28日の大掃除で締め括る。それは昔から続く伝統のようなもので、工務店にとって、年末に、事務所や加工場や倉庫を整理整頓し掃除するというのは、とっても大事な「仕事」のようにおもう。社員や職人さんが、おもいのほか一生懸命掃除をする姿に接すると、素直に感謝の念が湧いてくる。

午後3時頃には現場から大工さんが集まってきて、皆で一緒に飲食を共にし、年末の挨拶を交わして一年を終える。ついにやってきた感のお正月休みにウキウキしながら家路に急ぐものも多いが、2次会的に何人かの社員や大工さんが残って飲み会が深夜まで続くこともある。コロナ禍で2年間中止していたが、今年は数名が残って、深夜まで飲んでいたようだ。

年賀葉書を出さない会社や家も増えてきて、それはそれなりに世の中のひとつの「変化」として理解出来るし、そういう選択肢に違和感はないが、木村工務店ではこのまま暫くは年賀状を出す予定にしている。注連縄も必要性が薄らいできた感が強い。注連縄の代わりに今年から木村工務店の玄関前に門松を置く事にした。クリスマスのイルミネーションを点灯していた時期もあったが、会社前のエゴノ木の落葉時期がどんどん遅くなり、イルミネーションの設置が出来なくなって数年になる。そうであれば、この時期に町と会社を繋げるランドスケープデザインとして門松を置いてみることにした。木村工務店の社員にとっても2022年から2023年へ「変化」していこうとする心構えの象徴になれば嬉しい。

今年の年賀葉書の表紙を飾るのは心斎橋筋商店街で新築工事中の木造2階建て店舗の構造イメージ図で、施主が、100年になろうとする心斎橋筋が「変化」することを希望し、店舗内に木組みが現しになった、木を使うというSDGs的「変化」を希望されたことによって実現されようとしている。その想いを理解した3人の設計者と弊社との設計段階からのチームワークによって工事が進んでいる。

2023年の木村工務店は、いまという時代の「変化」にチューニングし、木村工務店自信も「変化」していこうと模索しています。本年も木村工務店と共にこのブログもご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

2022年の一年間の食事に感謝して。

2022年最後のブログになった日曜日。とっても寒い週だった。昨年末の最後のブログは、食事で一年を振り返ったが、それを読み直してみると、まっ、今年も、もう一度同じコトやってみようかなとおもえてきた。それで…..。

 

↑ 12月。大阪の百貨店で、マゴ二人M2と私Giジィーと妻Barばぁの、4人で食事をした。ハンバーグを美味しそうに完食する様子を見て、ワタシもこんな時があったなと想いだし、GとBとM2ママの、それぞれの両親や祖父母に感謝したい気分になった。

 


↑ 11月。京都のイタリアン。食べログ3.7はそれなりに美味しい。食事という「ものづくり」の視点で食べてしまいがちなワタシ。

 

↑ 10月。金沢で食べた鮨は、食べログ4.7らしい。緊張した気分で食べたくないなぁっとおもっていたら、リラックスして、楽しく食べる雰囲気づくりまで含めて、旨味と凄みを感じた。また行きたい!

 


↑ 9月。黑門の老舗珈琲店に久しぶりに行って濃い珈琲を飲んだ。ここと千日前にある老舗珈琲店の珈琲を飲むときだけ、ミルクと角砂糖を入れる。ある種、イタリアで飲んだエスプレッソみたいなものだな。こんな店舗デザインって、もぉできないよね。

 

↑ 8月。新潟にて。お盆休暇の旅先で、それなりに美味しいもんを食べたけど、朝食のこういうプレートが今風な感じで印象に残った。

 

↑ 7月。大阪の自宅にて。猛暑の昼下がり、金沢からお見えになったサッチーのお母さんが、バックから出した妄想春パフェのスケッチを見た瞬間、実際に食べた気分になって、すぅっっとした。

 

↑ 6月。大阪の自宅にて。妹が弁当を持って立ち寄ってくれた。さまざまな弁当が買える時代だなぁ。とあらためておもう。

 

↑ 5月。ゴールデンウィーク自宅にて。カプート社の小麦粉を練ってピザ生地を作り、M2たちとピザを焼いて食べた。おもいのほか美味しいのだ。

 

↑ 4月。自宅庭にて。「まちのえんがわ」の摘み菜ワークショップで、家の周辺の摘み菜と持参して頂いた摘み菜で食べたクラッカーが想定外に美味しかった。

 



↑ 3月。東京渋谷にて。次男の卒業式の前日、フレンチ風ジビエ料理を食べた。ミュシュラン一つ星、食べログ4.25だという。好き嫌いは別にして、どれもが凝ってることは確か。複雑な味なのだ。

 

↑ 2月。自宅にて。なぜかチキンラーメンが食べたくなった。うちの家はインスタントを全く食べさせない母だったが、食べると、不思議に、高校生になって友達の家で初めて食べたその日のことが過るのだ。

 


↑ 1月。長野県のスキー場にて。長男家族と合流しホテルでモダン中華を食べた。町中華も好きだが、これはこれでとっても美味だった。

そんなこんなで、今年も一年間の食事に感謝すると共に、2022年が終わろうとしている。メリークリスマスと言うべき日だが、クリスマス感を感じない日本になってきたような気がする。うちの家のクリスマスツリーは床の間に鎮座するようになった。

木村工務店では2022年12月28日が大掃除で、2023年1月6日が初出、1月7日から通常営業です。皆さん良いお年をお過ごしください。

ニンテンドーとマキタ

M1グランプリ2022決勝とFIFAワールドカップカタール2022決勝がある日曜日。それにしても寒い!

M1のトップバッターに出てきたカベポスターがポケットモンスターというコトバを発した途端、昨日の土曜日のコトを思い出した。クリスマスと誕生日が重なる木村家の12月。マゴ2人を連れて奥方と4人で百貨店のおもちゃ売り場に行く。ポーネルンドでおもちゃを買うつもりなのは両親とGジィBァバァだけなんだろう。マゴ二人はポーネルンド売り場には見向きもせず隣にあるポケモン売り場に一目散に走り込んで興奮気味。海外のお客さんを含めて行列が出来る人気ぶりに驚いてアタフタしているGとB。

ポケモンメザスタというゲームがあるらしくそこに手を繋いで引っ張られていく。やったことあるのぉ。と聞くと、YouTubeで勉強してるから大丈夫だという。初めてらしいがゆーちゅーぶでイメトレしてたらしい。恐るべし今の子供達。友達からもらったというメダル数枚を置いて早く100円頂戴という。最近ほとんどカードやペイペイ支払になって現金の持ち合わせが少ないので財布に小銭があるかどうかアタフタ心配しながら探しだして100円渡す。対戦ゲームらしいがよぉーわからんのだ。とにかくエータイミングでゲームがまた100円を要求してくるのだ。あるぅと聞いてくる。あと3枚あるでぇと返す。早く入れてぇという。こんなのが何回も続き500円硬貨も両替し、あっっという間に何枚ものワタシの100円が吸い込まれていった。恐るべしニンテンドー。

そんなこと書きながらテレビを見ているうちにM1の優勝者が決まった。何度もM1を見ていると審査員の立場になって点数を付けてそれぞれの審査員の点数と比べてみたりするワタシがいて、フツウに笑って楽しめるだけでエエような気もするが、笑いに点数を付けるというのがムツカシイし、三択というのもムツカシイし、ファイナルはワタシは「さや香」でした。男性ブランコの音符運びのネタもワタシの印象に残ったが、笑いより審査というのを楽しむ傾向が増してきたように感じる。なんだかんだ言っても「笑い」とか「ユーモア」は生きるためにも大切な要素だと感じながら歳を積み重ねてきたような気がする。

寒さが増して落ち葉の掃除も徐々に終わりに近づいてきたが、今年の落ち葉掃除に新しい道具を導入した。「マキタの送風機」で、木村工務店の植木屋さんの海平造園のウミヒラくんは、古くさ〜い植木屋さんの最近の道具の進化は、アルミの脚立とこの送風機だという。ウミヒラくんの奨めで使うことになった。プロは柄の短いヤツを付けているがアマチュアのワタシは腰を屈めるのが少なくてすむ柄の長いヤツ。掃除のやり方に変化がうまれる。箒を持つ前に、まず葉っぱを吹き飛ばすのだ。その作業が何となくゲーム感覚に近いとおもう。ニンテンドーのスプラトゥーンというゲームが流行っているらしくインクを塗って縄張り争いをするらしい。やったことはないが、そういう単純なゲームが面白そうにおもう。送風機を使って落ち葉を吹き飛ばしどこかの角に上手く寄せるゲームみたいで、葉っぱを吹き飛ばすのを邪魔する木の根っことか枝の集まったところなど障害と闘いながら楽しむ感覚なのだ。スプラトゥーンのような落ち葉飛ばし。

あっそうそう。布施のなにわ健康ランド湯ートピアのサウナに入ると熱波師がそのマキタの送付機を使って熱風を操っていた。最初はえっって驚いたが、タオルを優雅に振り回すタオルさばきのカッコ良さもあるが、これはこれで現代的でオモロイ。新しい漫才のようだな。ついでに会社事務所の掃除はマキタの掃除機にサイクロンのアタッチメントを取り付けて掃除している。大工のベッショくんが、数年前のある日シャチョウこれ付けた方が良いですよとサイクロンを奨めてくれてそれ以来使っている。木屑などは掃除しないので、事務所掃除ならこれはとっても便利。ゲームも掃除も熱波も革命的ではないものの微妙な進化があり、道具によって掃除もゲーム感覚になってきたように思うし、子供の学びを兼ねた遊び道具もとっても変化していることに気付かされた土曜日だった。

さてこれからFIFAワールドカップカタール2022決勝フランス対アルゼンチンが始まる。どんな試合になるのかちょっと楽しみだな。

自然と人間の関係性

「まちのえんがわ」で「カレーと珈琲とケーキと古本」を販売した日曜日。来年の3月からそういうお店として定期的にオープンしながら、町の縁側としてのコミュニケーションを誘発し、新たな繋がりが生まれることを願って準備段階の営業をやってみた。穏やかな気温だったので、顔見知りの方々や初めての方々と外で食事をし珈琲飲んでコミュニケーションをするのは楽しいことだなとあらためておもう。

そうそう加工場で「ものづくりセッション」が開催された土曜日。毎回、行政のタケダさんと共に司会進行のお手伝いをしているのだけれど、今回はワタシも発表者としてエントリーすることになった。↓タケダさんから拝借した写真。

自然と人間の関係性をデザインすることをランドスケープデザインというらしい。ランドスケープというコトバが景観や眺望や風景という漢字よりなんとなくカッコエエ響きに感じるのだけれど、そんなことよりワタシはどんなふうに「自然」と「人間」の「関係性」を体験し考えてきたのかと軽やかに自問自答してみることにし、それをプレゼンすることにした。理想的にはそういう経験や想像力をデザインにまで落とし込めるのがエエのだろうがそれはなかなかムツカシイコト。

前々回のブログに書いた京セラ美術館前の広場に行くとパリのポンピドーセンター前の広場での身体的感覚とその時一緒に同行した方々との共有体験としての想い出が蘇って楽しかったなぁと想い出に浸る。それと同時にイタリアのシエナのカンポ広場に世界各国の多くの観光客と一緒に長男と二人で何の目的もなくただただ座わった日のコトと、照りつける太陽の光とが一緒に蘇った。それらの3つの広場は入り口に向かってゆるやかに傾斜するデザインになっていた。この3つには緑はないけれど、建築に囲まれたオープンスペースという場を媒介にして、太陽光や風や匂いなどの自然と人間の五感や記憶やコミュニケーションなどの何かに働きかける魅力があって、自然と人間の関係性と、そういうことを如何にデザインするのかを考えさせられた…..。

なんていう話をしたが、40人ほどのうち建築関係の人はほとんどいないので、先週のブログに登場した石井修さんの一連の建築などは、まさに自然と人間の関係性をデザインする建築なのだろうが、そんな体験を語ることはなかった。それより今年の夏旅で縄文ランドスケープでの体験を通じて、オープンスペースや通路を共有するキャンプ的な感覚は、これからの家づくりとまち並に必要とされるのか、どんなことを共有するのがエエのか問いかけてみることにした。キャンプを通じてテントで体験する気密と断熱の話とか。サウナの水風呂を通じて人の体表面にできる衣を境膜というらしくそこに水流が加わると境膜は破壊され急激に冷たく感じるそんな温熱環境的な体験とか。ウチとソトがつながる縁側的な場所の話とか。そういう自然と人間の関係性による体験をプレゼンすることにした。

木村家の85年ほどにわたる持続的に時間軸を重ねたリフォームによって生み出されたオープンスペースとしての庭。そのスペースをシエアーし皆で共有しようとした2010年から5年間にわたる木村家本舗という試みは、あるいみ自然と人間の関係性を考えてみるイベントでもあったようにおもうし、それが「まちのえんがわ」オープンにつながったわけで、その「まちのえんがわ」を通じて行政との関係性ができ「ものづくりセッション」の開催にも繋がって、それゆえに木村家と木村工務店の変遷をプレゼンする機会にもなった。

サッカーワールドカップを通じて、「組織的なプレス」に共感するところがあって、組織的に相手選手に「まとわりつく」ことによって相手を動きにくくする姿をみて、なぜかふとビックス粒子の「まとわりつく」という話を思い出した。動きにくさが物質に質量・重さを与えているという話しに、へぇーと感じた日のことが蘇ってくるとともに「まとわりつくもの」があり、それと共に歩むがゆえに、重さがあるがゆえに、「生きる」という感覚もあるのだなぁ。とおもえる歳を重ねてきたようにもおもうし、そういうものから「軽やか」になりたい気分の時や軽やかになる必要性に迫られる時もあって、そういう時に「自然」が解毒剤のようになりワタシに「まとわりつく何か」から軽やかにしてくれていたようにおもえた。

ワタシに「まとわりついている何か」を軽やかに考えて、ワタシのつぶやきのようなそのプレゼンに耳を傾けてくれた「ものづくりセッション」参加者の方々に Thanks!

ゲーゲンプレス

毎朝NHKラジオが目覚まし代わりで定時にスイッチオンになる。金曜日の早朝、枕元で、日本勝ちました!と興奮気味の声がアナウンスされる。えっっ!と思い喜びの感情より先に驚きの感情が渦巻いて事態を知ろうとテレビをつけるとワールドカップ日本代表がスペイン戦に勝利した瞬間だった。どんなふうに点数を入れられ、どんなふうに点数を取ったのか理解しないまま森保監督のインタビューに聞きいった。

午前中の仕事の合間にamebaTVの日本VSスペインのダイジェストを視聴して、お昼休みにamebaTV「見逃した試合をフルで楽しもう」で観戦する。本田圭介の解説がオモロイしサッカーが理解しやすくなってエエよね。それよりスタジオ出演した日向坂46の影山優佳というアイドルが「あなたのハートにゲーゲンプレス」と挨拶した。その後の本田圭佑とのやり取りも面白いのだが、「ゲーゲンプレス」って何っ!ておもう。

確かドイツの…..とおもいながらググると、「ハイプレスをする日本は、相手にボールを持たれた時に組織的に構えて高い位置で取りに行こうという全体の戦術があります。一方のドイツはゲーゲンプレス、これは「プレスに対抗するプレス」という意味で、取られた瞬間にボールを奪いに行く戦術です。奪われた瞬間にボールを奪い返すプレスです」なるほどそういう戦術なのか。「ハートにゲーゲンプレス」するとは「あなたのハートを奪いに行く積極的な動きを見せますよ」という表現らしい。ま、それはそれとして、ハイプレスもゲーゲンプレスも「組織的にプレスをかける」という部分に共感できるし、ビジネスの世界でも「お客さまのハートを奪う積極的で組織的なプレス(動き)」っていう表現が脳裏をかすめていった…..。

先週の土曜日。兵庫県立美術館で開催されていた石井修生誕100周年記念展に行く。石井修さん最後の建築になった「目神山22」の施工を担当させて頂いたご縁もあって、会場に入ると建築家の竹原さんがいらっしゃたので二言三言会話をし、石井修さんのビデオから流れるお声とぼくとつとした温和な語り口を懐かしみながら見入っていると、突然竹原さんのちょっとしたレクチャーが始まった。所員時代の想い出話などとっても興味深かったが「答えを云わず考えさせる」「粘り強い」「緑」「斜面地」「混構造」などのコトバが脳の片隅でまとわりついた。

とっても良く出来た回帰草庵の模型の向こうに回帰草庵のダイニングテーブルが置いてあって、あのテーブルに座って目神山22の家の請負契約を結んだ日のコトやその時の石井修さんの声と雰囲気を想いだした。あっそれと、緑の草が乗っていない竣工当時の草屋根の模型を見ていたら、石井修さんが亡くなられた後のある日、息子さんの石井良平さんのお誘いで何人かで回帰草庵の草屋根の上で、石井良平さん自ら串を刺し自らが焼いてくれるヤネメシという食事会があって、とっても気分良くヨパラッタ写真家のタダユウコさんが草屋根と屋根のない部分の間にはまり込んで大きな笑いが巻き起こったその日のコトを思い出した。どこに落ちたのだっけ。こんな屋根の構造だったのだな。と眺めた。


竹原さんのレクチャーで、石井修さんが書かれた「花と緑があれば 目神山の四季」という良い文章があるので是非写メを撮って読んでください。というサジェスチョンがあった。歳を重ねてようやく「花と緑」に親近感が湧くようになったワタシ。5月始まりで4月の桜で終わる構成がカッコエエ。随所に心地良い「プレス」がかかった心地良い展覧会だった。

一喜一憂

サッカーワールドカップ初戦ドイツとの前半戦でドイツのペナルティーキックが入ると、あ〜ぁとおもい居間の大画面のテレビをぷぃっと消して寝室の小さなテレビで寝ながら見ることに切り替えた。後半戦が始まるとなんとなく日本チームの雰囲気が変わって、いままで、ながら視聴していたのが徐々に乗り気味になってきた。同点のゴールが入るとグッと画面への集中力が増し、あの逆転ゴールが決まった瞬間布団をはねのけてヤッタァーと叫び声まで出た。ロスタイムは画面にとっても集中して緊張していたワタシ。

前回のブログに書いたヘッドライトのマイルストーンさんの上棟式があって、現場に行く道中の車の中で同乗していた工事部長のトミマスくんが「シャチョウ、祭日に京都の二年坂を歩いてませんでしたか!」と聞いてきた。「えっ!なんで知ってるのぉ!」と驚きを交えて聞き返すと、トミマスくんの息子さんの友達のSNSにシャチョウに似た人の写真が写っていたので、ムスコが「これぇ木村工務店のシャチョウさんと違う!」と写真を見せてきて、「ほんま似てるなぁ!」って話題になっていたのです。という。

確かにその日二年坂近くのイタリアンを予約していて奥方と食べに行く道中だった。本当は朝から京都に出掛けてそれも自転車でブラブラ紅葉散策しながらイタリアンを食べる予定だったのに、生憎、朝から雨模様だったので切り替えて朝風呂行ってお昼過ぎから電車で京都に向かい紅葉散策しながらイタリアンを食べる予定に変更した。初めて京阪電車のプレミアムシートに500円だして乗車したがこんなに快適だと知らなかった。京都からの帰りはいつも満員電車で立つことも多いのでこんな紅葉の時期に電車で京都に行くのは苦痛だったが、プレミアムシートなら電車で京都もありだな。そんなことよりSNSはコワイねぇ!

京都散策の道すがら。改修された京セラ美術館を見たが、既存の建物を残して地下を掘ったらしく、それがイタリアのカンポ広場のようであり、フランスのポンピドーセンター前広場のようでもあり、とっても良い雰囲気の広場ができてエエなぁ…..とおもった。最近、展示を見るためには予約が必要で、軽やかに美術を見て、軽やかに別の場所に移動して、なんて出来にくい。赤い鳥居を挟んで真向かいにある槇文彦さん設計の京都国立近代美術館が寂しげな雰囲気に感じられた。数十年前に開館してしばらくしてから訪れた時、建物内部の窓から眺める赤い鳥居がとってもドラマチックで印象的だったが、その背後にあったうらぶれたオールドなレンガ模様の建物が今や主役になって、若い人がいっぱいで、それが面白い出来事だとおもう。

紅葉の時に京都のお寺を訪れたことがない。というよりいままでいろいろな門前は何度も通過しているが、あまり内部に入ったことがない。雨が止んでいたので京セラ美術館から二年坂近くのイタリアンまで歩くコトにしたのは一日雨予報で観光客が少なかったからだとおもう。道中の高台寺の本堂は工事中で観光客がまばらだったので見学することにした。いや、それが、職業柄その「足場」が気になるのだ。お寺の本堂を改修する時に「素屋根」という足場で建物を覆うのだが、それがなかなか技術が必要でムツカシく、そういうのが気になるのだ。綺麗な足場組にワタシの心が惹かれて足場越しの紅葉の写真を何枚も撮っていたら奥方が何を撮ってるのぉ!へん!とツッコミが入った。

このブログを書きながらサッカーワールドカップ第二戦のコスタリカ戦を観戦する。ながら視聴しているワタシにもイヤなストレスかかる試合だった。前半からアノ選手とアノ選手を交代させろ!なんて好き勝手にほざいているワタシがいて、コスタリカに点を許すと、奥方はもぉ見るのんやめた!とテレビを消して呆れて去っていった。試合が終了すると、あ〜ぁ。負けたなぁ。しゃぁないわ!とブツクサ呟きながら戻ってきたが、選手も監督も頑張っているのにワタシも含めて視聴者とはこんなものなのだ。一喜一憂とはこんなことを云うのだな。

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