ギャラリー&コミュニティスペース

加工場で「(さちよの絵日記(サッチー展)」を開催した日曜日。

木村工務店のすぐご近所に在住し、大手N工芸でデザイナーとして活躍しながら、「まちのえんがわ」ワークショップをお手伝いしてくいれていたサッチーが、若くして亡くなって数年経過した。故郷の金沢ではイラスト展を開催したらしいが、大阪では開催する機会がなく、大阪に遊びに来られたサッチーのお母さんと会話をしているうちに、大阪のかつての同僚の方々や医療関係の方々のために木村工務店の加工場で開催しようということになった。

過去にはこの加工場で、木村家本舗というイベントとして写真展など幾度か開催した経験があったのだけれど、展示のための「壁」を作るのが大変だった。簡単に組み立て解体ができるギャラリースペースとしての「壁」を作れないものかと、日頃から模索していた。それで、このサッチー展の際、かつて健康だった頃のサッチーのものづくりに対するピュワーなエネルギーを浴びながら考えてみることにした。105角の柱と梁をホゾで組んで、展示用の壁をラワン合板で貼れば、壁は、なんとか成立しそうだったが、土台が105角だと転倒するので頬杖のような控え柱が随所に必要になり、そのためのスペースも必要になってくる。何かエエ方法がないものかと躊躇した状態が続いた。

兵庫県立美術館での石井修生誕100周年展覧会の会場に行くと、展示用の壁が、同じように柱材を使った考え方だったが、足元の土台として梁成240mmぐらいの梁材を横置きに使っていた。あっこれなら確かに安定するよね。とおもいそのアイデアを拝借することにした。材料は全てを国産の杉材を使うのがSDGs的にもコンセプチャルで、杉材の金額と在庫を調べる。杉柱材は金額的にも納期的にもまだフツウだったが、杉の梁材の金額は高く、入手も即納という在庫状況ではなかった。梁材の金額を調べると、杉、集成材、米松の順にコストが安い。それなら、杉より米松の方が比重も高く同じ大きさなら重たい方が安定するし、今回の土台に使用するには米松の方が圧倒的にコストパフォーマンスが高くしかも即納だった。適材適所が工務店的なのだ。

開催日の二日前からセノウ大工とヒラボシ大工に手加工をしてもらうことになった。ホゾなど木組みの技術を使う方が、組み立てや解体が容易で何度も繰り返すコトが出来る。シャチョウの無理な要求に、渋々ながらも、楽しんで加工をしてくれた大工と、組み立てを手伝ってくれた現場監督。夜遅く、ちょっとした上棟の祝宴を催すことになった。翌日その手加工で作った「壁」に、展示された作品が並び、お客さんが喜んでいる様子をみて、大工や現場監督の顔に笑みがこぼれ、ワタシはようやくほっとするのだった。

これをきっかけにして、土曜日日曜日の加工場でのワークショップ開催を、ギャラリー&コミュニケーションスペース&カレー&カフェ&バーに、少しシフトしていけたらとおもう。

花見がフツウにできる気分

3年ぶりに社員と職人とで花見をした金曜日。

木村工務店のイベントを全く経験したことがない社員が数名いて、コロナ禍の影響の大きさを改めて感じるのだけれど、コロナ禍を体験すると、確かに社内イベントなんて、必要なさそうにおもえてくる。組織というのは個々人の貢献と成果がなによりも大事なのは言わずもがな、なんだけど、でもやっぱり最終的には会社組織全体として成果を上げなければならず、そういういみでは、チームワークといのは、ないがしろに出来ない大切な要素だなとおもう。

WBCでは、選手皆で、鶴橋の明月館で焼肉を食べた集合写真がアップされていたが、一緒に食事をするっていうのは、個々人がチームを意識する楽しいイベントであると思うし、ちょっとした学びの場でもあるとおもう。先代が庭に植樹した枝垂れ桜は、ここ数年で木が大きくなりすぎて、この木のサイズにあった枝振りに一生懸命変化しようとしているようにみえる。なので花も小ぶりで、圧倒的な美しさを誇る桜。とは違う、しっとりとした桜な感じなのだ。その9分咲きの桜の下で、皆で焼肉を楽しんだが、誰も桜を眺めていなかったような気がする…..。ま、それでも、この枝垂れ桜の木が存在するお陰で、木村工務店の社員と職人が集えるのだから、とっても有り難い。

工務店としては、BBQコンロとテーブルと椅子の配置とか、照明の配置とか、炭の起こし方とか、それなりに拘るし、どこで肉を買うかとか、お酒の段取りとか、後片付けをどういうスタイルでするのか、まで、ちょっとした木村工務店スタイルがあって、そういうのが伝承と学びの場にも繋がっているのだろう。イタリア人のエンツォ・マーリの本を参考にして、15年ほど前、大工に製作してもらった折りたたみテーブルがあって、そのテーブルをカウンターテーブルとして使いたかったので、高さをあえて900mmで製作した。今年は中締めで一端解散した後、桜の下のBARカウンターとしてそのテーブルが活躍した。そんなこんなで久しぶりに人と人が楽しく触れ合いコミュニケーションをする姿に接することができたのが、なによりも嬉しい出来事だった。

そうそう、自転車で花見をする、その1。春休みになって体力を持てあましているマゴ小学1年生と二人でそれぞれ自転車に乗って大阪城で花見をする。お堀の桜をバックに自撮りで二人の記念撮影をしていたら、インバウンドのアジア系の女性が、その様子を眺めてたのだろう自ら撮影をかってでてくれた。地元民が他国民の旅行者に記念写真を撮られるちょっとした可笑しさ。そして笑顔のサンキュゥーという発音がぎこちないワタシ。往復13.9km走って帰ったらマゴは鼻血がドバドバでたらしい。

その2。朝からロードバイクに乗って花見ライドをする。家から十三峠を越えフラワーロードを走って朝護孫子寺へ。竜田古道、亀の瀬から桜満開のJR堅上駅、柏原を抜け、そうそう石川河川敷のマルシェで珈琲飲んで、大和川沿い、瓜破、平野を抜けて帰宅。天気も良く、桜吹雪が舞い散るロードを駆け抜けるのがなんともいえない気分の、47.9km也。これぐらいなら、その後も楽しめて、ちょうどエエ感じ。

その3。奥方の電動ママチャリとワタシは小径自転車に乗って、日曜日午後3時すぎの大阪城の桜を見に行く。というか、人出を眺めに行く散輪。多くのインバウンド、西洋人が目立ち、あちらこちらにブルーシートがぎっしり敷き詰められ、老若男女多国籍な人々が笑顔で触れ合う光景がエエし、花見の時は人出を眺めるだけでウキウキした気分になる、14.9km走行也。

とにもかくにも、多国籍な人々と仲良く花見がフツウに出来る世の中であってほしいなとおもう。

WBC漬け。

桜が咲いて、花見な気分なのに、一日中しとしと雨降る日曜日。

久しぶりに、まちのえんがわワークショップを開催する。絵本作家の谷口さんと、大阪で唯一の手造りこんにゃく職人さんで、和凧の達人、87歳になる狹川さんとコラボし、和凧を製作するワークショップを開催した。一年前の5月に木工作家矢倉さんのお誘いで、、淀川で凧揚げをし、そこで知り合ったのが狹川さんで、ワタシ、狹川さんが製作するシンプルなその和凧に魅せられた。その時、空に揚がる凧の絵が、谷口さんのモダンな絵だったら面白いなぁっておもい、ある日、谷口さんに打診し、快諾を得て今日のワークショップに至る。

凧の背面は、和紙に細い竹をボンドで貼り付けて背骨とし、最後に糸を結んでいくのだけれど、凧の絵柄は、谷口さんデザインのサンタの絵を基本デザインにしながら、好き勝手に絵を書き足し色を付けていくことになった。ただ単に自由にデザインしてもエエよぉっていわれると、案外ムツカシイし、数人のグループでワークショップする効果も薄くなるので、ある規則や様式の中で自由にやる方が個性が出たりする。その最低限の規則(コード)や様式(モード)を提供するのが、ワークショップ主催者側の「仕事」のようにおもう。それぞれが製作した和凧「サンタコ」で、4月末に淀川で凧揚げ大会をする予定。

そうそうWBCのテレビに釘付けになった一週間だったよね!

化けもの先週の土曜日の夜、生野区のBARソケットに数枚のレコードを持参し、早い時間に音楽を聴きに行く。そのうちの1枚に、先頃亡くなったデビット・リンドレー(DL)のアルバムがあって、40年ぶりぐらいに、アルテックのスピーカーとマッキンのアンプで聴くと、20代だった当時より演奏を鮮明に感じとれて、とっても良かった。というのは、今週の月曜日に、以前このブログに書いた「会食」の時の高校時代の同級生が、ジャクソン・ブラウン(JB)のコンサートに誘ってくれた。そんなのが潜在意識のどこかにあって、かつてJBのギタリストであったDLを無性に聴きたかったのだとおもう。

3月20日月曜日フェスティバルホールのJBのコンサートにおっさん4人で行く。フェスはこけら落としのキース・ジャレットのコンサート以来だ。3階の最前列の席だったが、そこまでのアプローチが案外好きだな。エスカレーターの長さと角度と天井との取り合いとか、赤カーペットの大階段とか、ホールの細長い吹き抜けと照明器具とか、バーカウンターとか、わくわく感を演出しようとするデザインの努力を感じたりする。全く期待せず行ったのに、JB74歳のハリのある声量とオトナな音質に魅了されたし、プロフェッショナルな生演奏のライブ感にも魅了された。DLのスライドギターはもはや聴けないけれど、こんなレトロなエエサウンドを聴く機会って少ないしね。何よりも黒人女性二人のソウルフルなバックコーラスにハートフルになった。久しぶりに「Live!」という心地良さに浸れるコンサートだった。

お決まりだけれど、やっぱりそのお決まりを聴きたい、stayとtake ite asyで終演すると、皆で新地のちょっとオシャレな町中華で会食する。あーだこーだ。エエコンサートの後は、餃子もお酒も美味しいく感じるし、皆が笑顔なのが嬉しい。ミナミまでタクシーで戻って、市内組と堺・富田林組に別れて解散する。市内組二人で法善寺のバーで飲んだら夜中の2時を回っていた。タクシーがまったく捕まらないミナミの深夜を久しぶりにあじわう。「Go」もまったくダメだった。御堂筋で30分以上並んで二人で相乗りして帰宅。

そんなこんなで、3月21日祝日の朝は、なかなか目覚めなかった。テレビを付けた時は、既に日本はメキシコに3対0で負けていた。そのまま布団の中でドキドキしているうちに同点の3ランがでて、ホットしたので布団から起きるが、2点入れられ1点返して迎えた最終回。とーっくに奥方は起きているのに、心配で心配でテレビなんか見てられへんわ!といって片付けのような、そうでもないような、どーでもエエような動きを繰り返しながらゴソゴソしていた。サヨナラの場面はワタシの叫び声で、テレビの前に駆けつけて勝利を知るのだった。ワイドショーや夜の再放送や報道ステーションなどWBC漬けの一日になった。

3月22日は仕事だったが、WBCが気になる朝だった。ツイッターの「#WBC決勝」で情報を得ることにしてたら、アメリカにホームランを打たれた!というツイートが流れ、暫くして覚醒の一発!のようなツイートで同点になったと知るうちに、「Amazonプライム」でライブ映像が視聴できると知って、慌ててアクセスする。ちなみにAmazonプライムは、給湯器を大阪ガスのエネファームに替え、電気代金を大阪ガスで支払うように変えてから、その特典でプライム会員になっているはずなのだ。

午前11時頃から社内会議があって、応接室のモニターに、資料とともにAmazonプライムのライブ映像が映し出され、会議してるのか、WBC視聴しているのか、とっても微妙な状況だった。オオタニのトラウトへの6球目の鮮やかなスライダーを4人で視聴し4人でヤッターと叫んでしまったら、社内の皆は、何事が起こったのかといぶかしく思ったらしい。そんなWBCチームジャパンの優勝シーンだった。お昼からは勝利後のライブ映像を延々と眺めた。そういえば60歳ちょい前のある社員はメキシコ戦のサヨナラで勝利した瞬間、家中を走り回ったらしい。確かにシニアな世代でもそんな気分のWBCだった。

そんなこんなで、ワイドショーのWBCのインタビューや解説に聞き耳を立てる一週間になった。

イノベーション

しとしと雨降る土曜日の朝。庭を掃除していると、サンシュウの黄色い花に滴がついて、とってもエエ感じ。かなり手ぶれでピンボケしてますけど、気軽にiphoneの中に、その時の気分を収めておけるのが凄いな。イノベーションだな。とおもう。日曜日になって、青空が広がって、気が付けば草木から一斉に新緑が芽吹いて、桜にも蕾がついてきた。今年は皆で花見をするぞっ!っていう気分なのだ。

その庭に、サンダルが何個か置いてあって、それがなぜか、片方のサンダルがなくなるのだ。マゴ達が遊んで、どこかに放り出しているのでは…..と疑ってみたりもしたが、片方だけっていうのが、どうにも不思議だった。この地域にはイタチが沢山いて、ひょっとしてイタチが…..と疑ってみたが、そんな大きな食べられないものを口にくわえて運ぶはずもなく。サンダルを箱のなかに入れて保管するようになって以降、片方のサンダルが無くなる怪奇現象はなくなって、暫く忘れていた。で、このブログを書きながらなんとなくNHKのダーウィンが来たを視聴していると、全国で同じ現象が発生して、それを隠しカメラとGPSで突き止めると、なんとその犯人がイタチだったという。へぇー、凄い。調査のやり方が現代的で判りやすかったなぁ。

今週、WBCの日本対イタリア戦を2回の表頃から観戦する。案外ドキドキするよね。オオタニが、セーフティーバントをした瞬間は、おもわず、凄い!と叫んだ。まさか。だった。超特大のホームランバッターなのに、この緊張感のある場面でセーフティーバントを決める、大きな雄叫びで164キロを投げる投手でもあるわ、3塁に盗塁をする試合があったし、チャーミングな仕草と笑顔でベンチで鼓舞している姿にも出会う。スポーツ界の「イノベーション=新しい満足を提供する」だな。とおもう。スポーツ界だけでなく現代社会の「プロフェッショナル」としての新しい在り様にさえおもえてくる。

そうそう、イノベーションなんていうコトバのついでに。「ものづくりセッション」という、生野区を中心に、ものづくり企業が集まって、あーだこーだとプレゼンしながら、それぞれの組織の在り様を内省し、マーケティングとイノベーションを考えていこうとする、そんな集まりが継続的に開催されていて、そこでワタシもプレゼンする機会があった。その発表の最後に、次回は「ものづくりとしてのマイルス」っていうのをやります!と軽口をたたいてしまった。それで、ここ数ヶ月、音楽を聴きながら自分がどのように感じてきたか、時間がある時に、少しづつパワポに書き足してみた。

マイルス・ディビスはジャズ界のレジェンドといわれているらしいが、マイルスバンドのリズム・セクションと常に対峙しながら、職人どおしが、しのぎを削り合うような演奏スタイルで、それはまるで大工の棟梁のような存在にも感じていたが、常に変化を求め、ある時から「マーケティング」と「イノベーション」をより意識し、リズム・セクションをより組織化し、電子楽器を受け入れ、カリスマ社長のようになっていくマイルス(しらんけど)と、そんなふうに感じていた。そういう新しい音楽としての面白さと同時に伝統的なジャズから遠ざかっていく面白なさもジャズファンにはあって…..。オオタニって、そういうのを両方とも満足させようとする感覚なんだろうかね….。

それはそれとして、赤い囲みの部分のアルバムに、つい先日亡くなったウェイン・ショーターがサックスで参加していた。マーケティングとイノベーションを目指すマイルス(しらんけど)の、ものづくりの過程が楽しめる期間として、その時期の音楽を愛聴していたが、ワタシ、20代の若い頃は、全くウェイン・ショーターのコトが理解出来なかった。マイルス自叙伝という本で、「ウェイン・ショーターはアイデアの源泉だ」「バンドの知的な音楽的触媒だった」なんていうマイルス自身のコトバに出合い、それも働くようになってかなりの時間が経過し、組織なんていう存在を意識し経験するようになって、徐々に理解するようになった。

なによりも、二十歳頃からスティーリー・ダンのajaを愛聴していたにも関わらず、そのサックス奏者が、あのウェイン・ショーターだと知ったのは、ずーと後で、それが、あのマイルスの、あの時期に、マイルスとユニゾンとして吹けるウェインで、アイデアの源泉で知的な音楽的触媒としてのウェインだと、理解出来るようになるのに、かなりの時間がかかった。

イノベーションが起こるための組織には、アイデアの源泉になる存在とか、触媒的な役目を果たす存在とか、大事なコトだなぁ。なんて、ウェインの訃報を聞いて、あらためてそうおもった。

 

チャーミング

「梅は咲いたか桜はまだかいな」なんていう小唄の歌詞が、おもわず口のなかでもぐもぐし、頭の中を駆け巡ぐった。会社前のレトロな長屋と梅の雰囲気がエエ感じで、道行く人がおもわず足を止める姿に出くわすと、なんだか嬉しい。今年最後のひとりスキーに行くと、道中の里山のほとんどの雪が溶けて、ほんの一部に残っている雪と、芽吹き出す大地と木々、さらさら流れる小川の雰囲気が、とっても心地良い雰囲気だった。積雪のある時は小川の水が流れる姿をみることがなかったが、雪解けとともに「春の小川はさらさらゆくよ」って小学生の頃に歌った歌詞が、いま、この歳になって、ようやく理解出来るようになった。ここ数年、最後の春スキーが冬から春への切り替えになって、いつものように昼頃に終わり、大阪でスーパー銭湯に入って、スキーの板と靴は来年まで物置にしまうことになった。

そうそう、先々週の2月最後の日曜日に、しまなみ海道の生口島の輪空というペンションのオーナーが、自転車で、今治から南港までフェリーで来て、うちの家まで自走でやって来た。なので、二人で大阪と奈良をサイクリングをする。家を出て、司馬遼太郎記念館から十三峠を越える。暗峠奈良街道の榁木峠を越え、薬師寺、唐招提寺へ。奈良町を通過し猿沢の池周辺で昼食。東大寺、転害門、奈良少年刑務所跡、平城京、大和郡山の城下町で珈琲飲んで、金魚を見て、法隆寺へ。大和川沿いから八尾空港を通って、長吉長原の真田幸村休息所跡を経て、生野区小路東のうちの家まで、94kmほど。ワタシ、今年はじめてロードバイクに乗って、それも3ヶ月ぶりぐらいなので、後半の法隆寺を通過してからはヘロヘロしてスピードが全く出ず、後から応援してもらいながらなんとか走りきった。

先々週の日曜日はとっても寒い奈良と大阪だったのに、今週になって一気に暖かくなった。毎年自転車で司馬遼太郎記念館前の鉢植の黄色い菜の花をみて、春がやってくる気分が盛りあがってくるが、今年の春に気分が盛りあがってくるのが、WBCの野球だな。オオタニとヌートバーの仕草がとってもチャーミングだ。マゴ達もオオタニオオタニと叫んでいる。幅広い年代の女性たちの会話に聞き耳をたてると、普段は野球をみないけど、今回は見ているらしい。面白いのは、オオタニの彼女になるのはプレッシャーがかかるけど、オオタニの母親にはなりたい!と何人かの女性から聞いた。老若男女に幅広い魅力を感じさせるのが凄い。近くの居酒屋に行くと、家で野球をみる人が増えて夜の飲食店の人出が減ってるわ!と笑顔だった。

「チャーミング」を辞書で引くと「魅力があるさま。人の心を引きつけるさま。魅惑的。」と書いてあった。オオタニも、ヌートバーも、春の梅も、春の里山の景色も、菜の花も、チャーミングなのだ。

女性力

春がやってきたような陽気の日曜日。住宅相談会の日曜日で、サヤカレー&kofukubook&bakeをオープンした日曜日。

住宅相談会の午前中のAさんご夫妻は、マンション住まいということなのですが、奥さんの想いが徐々に募り、新築の家に住みたくなって、土地探しをはじめているという。コロナ前に比べて、土地の値段が急上昇し、家の原価も超高止まりし、若い世代が新築住宅を建てるコトに躊躇せざるおえないムードが漂っている。タモリが発言した「新しい戦前」というコトバは面白いなとおもう。そんな独特のムードが漂う状況下で、奥さんのご両親が土地購入代金を助けてくれるらしい。確かに、そんなサポートというか、シェアがないと、若い世代が新築住宅を建てる気分になれないのが、今の実情だとおもう。

木村工務店の住宅相談会の土地探しでは、具体的な2、3の土地があれば、即興的に具体的なプランニングを想定しながら、あれやこれやとコミュニケーションするのは、それなりに楽しい打ち合わせなのだが、多くの土地探しの問題は、当事者のご本人自らが、候補を2、3に絞り込むまでの作業が、大変で、多大な時間を要し、なおかつ悩ましい。ということが大きな問題だと感じてきた。それで、そのご夫妻のライフスタイルを考慮した、土地の探し方をレクチャーし、自分で2、3の候補に絞れるようにサポートするのが、木村工務店流の住宅相談会なんだとおもう。

午後からのBさんは、相続で受け継いだ土地があり、そこに女性ひとり住まいの新築住宅を建てたいというご相談だった。弊社では女性ひとり住まいのリフォーム例がそこそこあって、どの方も自分の個性にあったライフスタイルを楽しんでいる様子が、ありありと伝わってきて、打ち合わせの第一歩に、自分自信で考えた間取りを持ってこられる方が多い。今回も間取りを楽しんで作られた様子がありありとうかがえるプランを持参してこられた。それをひとつの素材として受けいれて、私達は間取らず、あるひとつの建築のなかにその間取りをどううまくリミックスできるか、そんなのが問われているようにおもう。

住宅相談会の時間帯と並行して、「まちのえんがわ」では、女性二人による、サヤカレー&kofukubook&bakeをオープンした。6月ぐらいからは、毎週木曜日にkofukubook&bake。第一金曜土曜日曜日はサヤカレー&kofukubook&bakeという営業形態でオープン予定。女性二人がそれぞれの個性に応じたチャレンジをしていきたいという。これは大阪のおばちゃん的バイタリティーなのか。そうそう、ワタシ、大阪人男性は、知り合いでカレーを食べに来てくれたお客さん男子と縁側話をしていると、「商売どうでっか」「ぼちぼちでんな」みたいなニュアンスの会話を、現代的なコトバでやりとりするのが、やっぱり楽しいのだ。大阪のおっちゃんは古くさいままなのか。

そんなこんなで「女性力」を感じた日曜日だった。

レッカーのオペレーター

久しぶりに木造の建て方の日に現場を見たワタシ。若い頃は、必ず建て方の現場には参加していた。木造の建て方ほどワクワクするものはない。なによりも大工さんをはじめ鳶として活躍する手伝いの職人さんなど、その働く姿がカッコエエ。そんな時のワタシの立ち位置は、ただただ安全無事を祈るだけなのだが、それとともに、加工された木が組み上がていく途中途中に、梁の上に登らせてもらい、体で、木が組みあがっていく感覚の体験を積み重ねるコトだった。木が組まれていくある段階で、ぐらぐらしていた木組みが固まり、しっかりする瞬間があって、それを自分の足元を通じて体で体験すると、木組みというシステムの魅力にはまるのだった。

写真の木組みの向こうに見えるのは心斎橋筋商店街のアーケードの鉄骨。その向こうにゼネコンの大きな現場の大きなクレーンが稼働している。こちらは、カニクレーンというとっても小さなクレーンで、おっちらこっちら手作業で建て方をしている。心斎橋商店街の狭小間口に木造建築を新築するということの現代性を象徴するかのような場面だった。

現代的な木造の建て方で、大工さんの技術が問われているのはそのとおりだが、それだけでなく、レッカーのオペレーターの腕がとっても大切なのだ。今回はレッカーのオペレーターとして、最も信頼のおけるナカムラさんを指名し、彼のスケジュールに合わせて建て方の日が決定された。当初はこの場所にはレッカーを入れるコトはできないという、レッカー屋さんの営業担当の判断だったので、カニクレーンを導入することになったが、作業効率がとっても悪かった。1日使ってみた午後3時過ぎ、ナカムラさんは、コンベックスで実際に立ち上がった柱の間隔を計測し、ぎりぎりだけどレッカーが入るかもしれない。と言いだした。急遽そのためのさまざまな手配をする現場監督。次の日、現場にレッカーを搬入するチャレンジをしてみると、見事ぎりぎりレッカーが納まることになった。それによって格段と作業効率と安全度がアップすることになった。↓(専務の写真を拝借)

レッカー搬入の安全性を担保しようとする営業判断に対して、それは現代的で社会情勢を鑑みても、安心安全は、しごく真っ当な判断だと思うが、現場で、その安全に対する判断を尊重しながらも、チャレンジしようとする職人さんが、いる。そういうレッカーのオペレーターの姿に直面し、そのことで現場の皆が、よりエネギッシュになる瞬間に出会えたことに、ワタシは密かな喜びを感じた。そんな今週の出来事だった。

「まちづくり」と「ものづくり」

朝から雨降る日曜日。先週に引き続きスキーに行こうとおもっていたが、ほとんどのスキー場が雨予報だったので、やめた。長男とうちの社員の何人かはこの雨を気にせずスキーに出かけたらしい。確かに、雨で、アウトドアーの予定をとりやめるというのは、面白味に欠ける行為だなとおもうし、若い時は、台風でも、どんな天候であっても出掛けたものだが、歳を盾に言い訳に使っている歳なワタシを静かに見守り続けるいまのワタシ。みたいな構図になってしまった雨の日曜日。

毎月19日は生野の日で、今日は空き家カフェを開催する19日の日曜日。で、スキーに行くのが、空き家カフェに参加することになった。開催場所が決まっていない時は、木村工務店の3階会議室で行うのが通例で、本日は顔見知りのメンバー7人で、珈琲を飲みながら、あれやこれやと語り合っていると、2時間なんてあっという間に経過した。空き家カフェで、ここ数年間、司会を担当しているのだけれど、スキーを盾に、本日の司会担当を替わってもらおうという企ては未遂に終わってしまった。というか、そろそろ、いろいろな方々に司会と開催場所を持ち回ってもらうことが、空き家カフェ開催の持続性に繋がるような気がしてきているワタシ。

それはそれとして「空き家カフェ」というのは、空き家をキーワードにしながら、この町の歴史や情報などを物語るサロンのような場で、空き家問題の解決に至る前の情報収集と問題の整理整頓を手助けするカフェのように気軽な場だとおもう。ひとりひとりの住民が、ある場所に住むという行為が、その場所の街づくりを応援し参加し貢献するという意識を持ち育む必要性を感じてきて、そのためのサロンになってきているようにおもう。

その前日の夕方は「ものづくりセッション」が開催された土曜日だった。行政マンのダケダさんの、個人的に繋がりの強い人が招待されて「ものづくり」について語り合う場で、ワタシは場所の提供と司会進行を担当し、タケダさんとワタシが両輪となって「リズムセクション」として機能しながら、プレゼンターとコメンテーターと参加者が、「ものづくり」に関する想いや悩みや共感や違和感や事例を、なるべく自由な雰囲気で演奏するかのように、ある一定のリズムを刻もうとしている。

建築を生業とするワタシにとって、どんな椅子やどんなテーブルで、会場をセッティングすると、自由度のある良い雰囲気のコミュニケーションになるのか。という環境デザインは、大いに興味があるところで、大テーブルと椅子。会議室的テーブルと椅子。などなどいろいろ試してみたが、椅子の前にテーブルがあると、なんとなくその人の気持ちのオープンハート性が制御され、視聴者的意識が増すようにおもえて、ある時から、テーブルがなしで、椅子だけのセッティングに変更した。確かに、テーブルが無く椅子だけだと、会場での参加意識は高まるようにおもえて良かったが、資料が置けて学べる場、メモが取れ、パソコン等で検索できる場、珈琲を飲みながらリラックスできる場、などなどコミュニケーションの質を高めるための小さな机の必要性を感じるようになった。

椅子に付属する小さなテーブルを大工さんか家具屋さんに作ってもらおうとおもったが、収納性とコストを考慮すると、エエデザインが想像できなかった。そうこうしているうちにコロナ禍になり、リアルに人が集うコトよりオンラインで人が集える道具というか機器に予算を使うようになってしまい、椅子とテーブルなんて、どぉーでもよくなった。

で、コロナ明けが近づいてきたいま。やっぱり、リアルに人が集い、オープンハートに語り合い、資料と飲み物を置ける、そんなテーブル付き椅子が、コミュニケーションの質を高める道具のようにおもえてきて、ネットで探し購入しようという決断に至る。そのきっかけになったのが、先週に開催した木村工務店の初午祭で、社員と協力会社のコミュニケーションの円滑化とその質を助けるための道具としての机付き椅子だった。そしてそれを「ものづくりセッション」で流用することにした。

「まちづくり」と「ものづくり」の質を高めるためには、そのコミュニケーションの質を高めることが大切なコト。と感じた週末だった。

侘助咲いて春へ

庭の侘助(わびすけ)が満開になると、どこからかムクドリのつがいが飛んできて、侘助の花びらをクチバシでつつく。そんな情景が、寒い冬から暖かい春に、季節が変わるお告げのようにおもっていたら、今日の日曜日は、ほんとうに春のような暖かい日和だった。

連休だったので、建国記念日の祭日の夕方にスキーの道具を用意して、翌日の日曜日の早朝から車でひとりスキーに行く。今年初めて。昨年5回ほど、ひとりスキーに行ってみると意外と快適だった。帰る時間を気ままに決定できるのが良いのかもしれない。スキー場に着いてスキー板の袋を開けると、なんとストックがなかった。えっっ!とおもう。お正月に泊まった奥志賀高原のホテルに忘れたのだな。マゴ達の世話に気をとられて自分のコト忘れたようだ。それに前日にスキーの袋もあけずワックスも掛けず、ま、歳とると、こんなもんなのだ。ストックだけ借りるために30分ほどレンタル場で並んだ。レンタル料500円也。メチャクチャ混んできたので、12時過ぎには滑るのを止めて、午後1時過ぎにはスキー場を出発していた。大阪に到着してからスーパー銭湯で体をほぐす。

建国記念日の前日10日の夕刻。木村工務店で初午祭を開催する。一年で一番運気が上がるとされる初午の日に、会社加工場に社員と職人さん、それに協力会社の精親会のメンバーも集まってもらい、皆一緒に、木村工務店のお稲荷さんに現場の安全と商売繁盛を祈願する。その後、直会(なおらい)として、屋台をだして社員がおもてなしをし、協力会社の職人さんと飲食を共にするのがメインなのだが、3年連続飲食は中止した。といっても、今年はテーブル付き椅子を購入し、飲み物と稲荷寿しを各自に配布して、安全のセミナーや会社の方針を聞いてもらいながらの直会とした。

そうそう、建国記念日の朝、布施の商店街を自転車で通過すると、ひとっこひとり誰もいない瞬間に出くわした。おもわず自転車を止めて、iphoneのシャッターを押す。この床は、かつての心斎橋商店街で使われていた床を、ここに移設したらしい。エエデザインだなぁ。左側通行で、当時のほとんどの子供達は、母親に手を握ってもらたりしながら心斎橋商店街を歩くと、この床のデザインに沿って蛇行しながら歩いていたとおもう。懐かしい。いまこの床を歩くほとんどの人が、心斎橋筋商店街の床だったことに気付いていないとおもうし、蛇行して歩く姿もみない。

左右で行き交う人通りがいっぱいの商店街を歩く人たちに、楽しく歩いてもらおうと、その姿を想像したからこそ、このデザインで、そういう行動がうまれ、記憶にも残ったのだな。なんておもう。いまその心斎橋筋商店街で木造の店舗を施工中。春に向けて、それぞれの現場の安全に留意しながら、エエ建築を創造できますように…..と、皆で願う建国記念日前日の初午祭だった。

節分

マゴ二人がうちの家のリビングにやってきてテレビを見たいというので。エエよぉと言う。二人でリモコンを上手に操作してNetflixをチョイスしアニメを見だした。暫く時間がたって、二人のママがやってきて、豆撒きはやった?!と聞く。あわててアニメのテレビを止めて、弟が鬼のお面をかぶり、兄が豆を持って、オニワソト!といって、ちょっと気遣いながら豆を撒いた。前もって話し合いが出来ていた小芝居のような素早さ。このリビングの床に豆をまくぅ?とワタシが小さな声で呟いてしまったら、すごく気を使って、豆を床にパラパラっと置いた。

申し訳けないコトバを言ったなぁ。と心のなかでおもったが、黙っていた。そのまま弟は鬼の面を被って逃げ回る遊びを楽しそうに続け、お兄ちゃんは、何度か丁寧にパラパラと豆を撒くように床に置いて、間髪入れずにその豆を回収し、口にバクバクと入れながら、弟と豆を分け合い、美味しそうに食べた。えっ、その床の豆、食べるのぉ!と心の中で呟いた瞬間、なぜか、回転寿司の迷惑行為のテレビ映像がフラッシュバックした。マゴ達はほんの1、2分ほどの寸劇に満足し、テレビの世界に戻ってクスクス笑っている。そんな節分の日。

その豆撒きの時は、奥方は友達と外食に出かけていた。帰ってきて、恵方巻き食べたぁ?!と聞いてくる。なんとか食べ切れたわ!。ワタシの食事として、恵方巻きとサンマを食卓のテーブルに置いてくれていた。さっき3人で会食したら、3人とも旦那に、恵方巻きを置いて出掛けたという。みな、旦那は家で、ひとり恵方巻きを食べていたみたいやね。とそのワタシと他2人の旦那の姿を想像しながらクスクス笑う。さっきのマゴ二人のカワイイ姿が蘇り、ほか二人のオトコのカワイイ姿も想像しながら、あっはっはっと奥方に笑い返して、節分の邪気を払い福を呼び込むことにした。

土曜日。再び和歌山の山長商店さんに出向いて、心斎橋商店街で施工中の木組みの仮組み作業をおこない、建て方の方法を検討し合う。施主も設計者も構造設計者も現場監督も大工も皆で一緒にあーだこーだと検討し合う機会って久しぶりな感じがし、そうそうないので、ライブな、ものづくり感を味わうと、エネルギーの交流のようなものがあって、帰り際は、お互いに感謝し合って別れた。


会社で【住宅相談会】と「まちのえんがわ」で【 サヤカリー+kofukubook&bake 】を開催した、晴天で穏やかな気候の日曜日。知り合いの人が数人食べに来てくれて、とりとめのない会話をしながら過ごす日曜日も楽しいし、たいした宣伝もしていないのに、若いカップルが立ち寄ってくれたりするのは、カレーの魅力の不思議を感じる。

住宅相談会にお越しになった3組みの方々は、何れも自転車圏内で、リフォームの相談の方々だった。断熱の知識が豊富になって補助金の取得も含めて関心が高いことに驚いた。「既存住宅の断熱性能を早期に高めるために、断熱窓への改修による速攻性の高いリフォームを推進します。」「・既存住宅の早期の省エネ化による、エネルギー価格高騰への対応(冷暖房費負担の軽減)。 ・2030年度の家庭部門からのCO2排出量約7割削減(2013年度比)への貢献。・2050年ストック平均でZEH基準の水準の省エネルギー性能の確保への貢献。」なんていう政府が本腰をあげた住宅政策のコトバによる国民の影響って、あらためて凄いなぁっておもう。

毎月の第一日曜日に【住宅相談会】と【 サヤカリー+kofukubook&bake 】を開催するコトになりました。お気軽に遊びにお越し下さい。

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