「ヒトはなぜ歌うのか」

ようやく、窓を開け放ち、心地良く過ごせる季節になって嬉しい。もう日本は、夏と冬だけになって、春と秋はなくなってしまうのか…..と心配していたが、秋の気配を感じる穏やかな日曜日。

先日の「生野区ヒートアッププロジェクト」で「お寺deジャズライブ」というのを聞く機会があって、無料のコンサートだったこともあるのだろうが、「大阪のおばちゃん」がいっぱいで、驚いたが、とってもリラックスした楽しいコンサートだった。なんだけど、なんで、こんなに「ヒトは音楽を聴くのだろう…..」というのがあって、ワタシも60歳を超えて、不思議に思春期に聴いた音楽が懐かしく感じられ、脳がそういう刺激を求めているようにも感じて、たまにそういう音楽がかかるミュージックバーに通ったりする。なんでなんだろう…..。そうそう、NHKのフロンティアのシリーズに、5月頃に放映された「ヒトはなぜ歌うのか」というのがあって、見逃していたので、この機会に視聴してみた。

音楽を聴くと、脳は「聴覚野」と快感物質をだす「報酬系」と「記憶」の領域をつなぐネットワークがうまれるらしい。よーわからん話だが、とにかく音楽を聴くと、その時間軸上に、リズムが存在し、その「ビート」が繰り返されると、脳の「予想機能」が働いて「ビート」を予想することで脳が快感を得て「報酬」を得るという。たまに予想のはずれたビートがあると「予想の複雑さ」を喜んで、より大きな「報酬」を感じるという。確かに、そういわれると、とくにJazzには「予想の複雑さ」を求めて、喜んでいるようにもおもう。

で、「記憶のこぶ」という興味深い脳の現象があるらしく、思春期に聞いた音楽がその人にとって特別な曲として記憶に焼き付くという現象で、脳の「報酬系」が最も活動するのが思春期だからだと考えられているらしい。認知症の人達が、そういう思春期の音楽を聞くことによって、「内側前頭前野」というヒトの脳で特に発達した部分が活性化されて、認知症の回復にもつながるという…..。なるほど。そういうコトで、そういう音楽を聴きたくなるのだな。少しずつ忍び寄る自分自身の認知症的な部分を音楽を聴くことで、脳を刺激しようとしているのかもしれない。

「ヒトはなぜ歌うのか」というのが、メインのお題で、アフリカに狩猟民族のバカ族という、いつも歌っている50人ほどの集団があって、皆で集まって歌うことを「ベ」というらしい。「ベ」するって、なんとなくカッコエエコトバだな。女性を中心に何人かで歌う様子をマルチ録音し、楽譜化すると、それが「完全4度のポリリズム」だったそうで、快感を得る音階と複雑なビートで「グルーヴ」感がうまれて、ビートの予想が複雑になり、脳が喜び、報酬系が活性化し、大量の報酬物質が体を動かす「運動野」まで働きかけるという。

ちなみに「完全4度のポリリズム」をChatGPTで調べると…..

「完全4度のポリリズムは、リズムやメロディにおいて、音程関係が完全4度(5つの音の間隔)で構成されている音の組み合わせを基に、異なる拍子を同時に伝える技法です

「ポリリズム」とは、複数の異なる拍子が同時に演奏される状況を許します。例えば、3拍子と4拍子が同時に演奏される場合があります。これに「完全4度」が絡むと、音楽的には特定の音の間完全に四度の関係を眺めながら、リズム的に異なる拍子が重なります。

具体例として、ド(C)とファ(F)という完全四度の関係にある音をベースに、3拍子でファのリズムを、4拍子でドのリズムをような複合的なリズムと音程構造を持ったものが考えられます。

現代音楽やジャズ、プログレッシブロックなどでこのような高度な音楽技法が使われることがありますが、完全4度のポリリズムは独特の響きと複雑なリズム感を繰り返します。

その歌うリーダーのアフリカ人女性へのインタビューが面白く、「一番大切なのは周りの歌をよく聞くことだ」という。テレビの解説では、「きっと彼女らは初めて習得するときから全体の中の一人として参加していて、他の人と違う歌を歌い続ける、ずらしたリズムは、むしろ他の人がやっていないことを自分がやるということで、より緻密で満たされるというあり方が、社会との生き方と繋がるものがある…..」とあった。

報酬系は食欲など生存に不可欠な物で活性化するそうで、報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽はヒトの生存に不可欠だということになり、ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」だったと思います。とあって、動物はグルーミングで「集団の絆」を確認しますが、ヒトはその代わりに「音楽」が生まれたのではないかという。集団が協力し合うためにとっても役立つ発明だったはずだとも。私たちは人とつながるために音楽を手にした。それは誰かとつながっていたいという潜在的なシグナルなのでは。ヒトはなぜ歌うのか「集団の絆」がその答えだとおもう…..と。なるほど。

開け放たれた窓の向こうから、そよ風とともに、清見原神社の秋祭りの地車の鐘と太鼓のリズムが聞こえてくる。「集団の絆」であり「潜在的に誰かと繋がっていたいというシグナル」のような、そんな地車の音色に感じてしまう日曜日の昼下がりだった。