花と昆虫

うち家の庭も夏から秋へ。とおもっていたが、また夏に戻ったんじゃない。とおもうぐらいの暑い日が続く。数日前、突然、2輪のピンクの花が咲いた。植えた覚えがない。秋を告げる使者だな。毎朝その娘の姿を楽しんでいたら、3日ほどで、姿が消えた。ちょっと寂しい。

庭のヤマボウシの実がなって、大量に落ちた。いつもなら実を食べにムクドリとかやってくるのに、今年は訪問者が少ない。暑いからなのか。ネットで調べるとヤマボウシの実は食べられるらしい。早速食べてみたら、意外に甘い。ジャムとか果実酒を作れるという、この連休にやってみようとおもう。

そういえば、この時期に庭で「アオスジアゲハ」がゆらゆら舞っていた。季節外れの訪問者だが、蝶々の舞いは好きだな…..。この夏、西表島の由布島に行くと「オオコマダラ」を繁殖させていた。羽根を広げると大きくて綺麗な姿と舞いだった。上がその写真。うちの庭の訪問者のひとり、小さくてカワイイ、シジミ蝶も好きだな。小さい頃はこの小路近辺にも空き地とか道端に雑草があって、シジミ蝶が舞って、よく眺めた。そうそう30年以上前にキャンピングカーで訪れた屋久島で、「ツバベニ」という蝶々の舞いを見た瞬間、同乗していた友人のセツが声を発し、車を駐めて降り、「志賀昆虫の折りたためる網」をさっと取り出して、それを受け取った長男タカノリが、まるで剣さばきのような見事な所作で蝶を捕獲した。蝶々を見ると、たまにその残像を想い出す。

今年の夏はうるさいぐらいの大合唱だったクマゼミも静かになった。庭の掃除をしているとたまにその抜け殻に出会う。もの悲しさも感じるが、それとは違うなぜか不思議な気分になる。

最近、NHKのオンデマンドで、「超進化論 生物多様性の驚異」を視聴した。太古、水から上陸した植物が、花を咲かせ、花粉とさまざまな花の色で、昆虫を誘う、らしい。昆虫は食料としてのムシを得るためや、花の密に立ち寄るために、羽根を進化させたという。トンボは直線的に飛ぶための羽根の形状らしい、きっと肉食だからだな。ハチは小さな羽根に進化し、密集した花の周りをホバークラフトするように飛べることを可能にしたという。カブトムシは甲で羽根を覆う。生息場所が森なので、固い甲で覆わないと哺乳類に食べられるからなのか。蝶の羽根の話はなかったが、トンボのように肉食でもないし、ハチのように近場の密を探すのでなく、広範囲を飛んで、食物を探す、そんな羽根なのかとおもう。

それで、昆虫は、完全変態をし、オトナとコドモが全く違う場所で生きることを可能にしたという。たまごから幼虫になり、さなぎになって、成虫となる。チョウとかハチとかカブトムシとか。そうそうセミは不完全変態らしい。この写真の抜け殻は幼虫が脱皮した殻で、チョウの「さなぎ」とは別ものという。そういうところに不思議さを感じていたのかもしれない。そんなことより、企業経営の立場で考えると、日経新聞にこんな記事があった。

変態は、究極の成功戦略だ。幼虫と成虫は異なるものを食べる。たとえばチョウは、幼虫の時にすべての発育変化を成し遂げるため、栄養豊富な葉を大量に食べるのに対し、成虫は花の蜜(本質的には砂糖水)を少し飲むだけでいい。

このように成長にしたがって異なる形態を持つ種は、「競合のない場を作り出したのです」と米アリゾナ州ツーソンにあるアリゾナ大学の昆虫学者ケイティー・プルディック氏は話す。親と子が資源を奪い合うことなく、双方のライフステージを独立して送ることができる。

羽根の進化や完全変態や不完全変態をしながら、生息場所に適応する。サナギとして籠もったり、脱皮したりして。たしかに企業も環境に応じて生息場所に適応したり、脱皮して生息場所を変えたりしながら成長し進化していく必要があるよな…..とおもう。「超進化論 生物多様性の驚異」の話は、地下の根に菌糸が関与し、その地下の菌糸ネットワークによって森が育まれている…..私達の祖先は微生物と手を組み進化してきた…..。という話が面白いし、ものづくりセッションに参加してくれている高見さんは、そういう地下のネットワークは、社会関係資本=ソーシャル・キャピタルのようだ。とネットで言っていた。ま、そんな花と昆虫の関係性が森と社会関係資本に繋がる話。