「ゴールデンウィーク」と「まち」
ゴー ルデンウィーク前半。しまなみ海道に小学校の同級生と自転車で島々を巡る。29日はとびしま海道へ。信号がほとんどなく、左手に海と島々と橋を眺め、小さな岬を何十回も回り込み、向かい風に抵抗されながら、淡々と走る。島々を8の字を描いて一周ぐるっと回り、御手洗の町で、穴子飯を食べ、珈琲飲んで、ゆっくり過ごす。かつて、潮待ちをする船乗りが、待機しながら遊んだ港町は、伝統建築と洋風建築が入り交じり独特の文化があって魅力的。これで3回目で、洋風な板張りの外壁をブルーに塗った散髪屋さんの前で記念写真を撮るのが定番になってしまったが、それにしても「まち」の文化とういものが、何の影響で生み出され、衰退していくのか、いつも考えさせられる「まち」
30日は、日帰り参加の同級生二人と合流し、4人で、生口島からたたら大橋を渡って大三島の多々羅しまなみ公園へ。橋を戻って、生口島を自転車で巡る。耕三寺の拝観料が1400円で驚く。京都のお寺でもそんなにしない。門から見える五重塔が、本堂の前の正面にあって、建物と建物の余白が少なく、凝縮してお寺が建っていて、ちょっと異質な配置計画と、ちょっと派手な色彩。個人で建てたそうな。門だけくぐって暫く休憩し、ドルチェにアイス食べに向かう。相変わらず流行っていて凄いな。生口島から橋を渡って因島へ。大出たばこ店で因島お好み焼き「いんおこ」を食べる。お店に入って、座ったその時、テレビから、向島に逃げていた脱走犯が、広島で捕まりました!という報道が流れる。同級生4人と囲む鉄板の上のお好み焼きと事件報道。こんなシチュエーションが記憶に残るのだろう。それから、フェリーで弓削島に渡って、ゆめしま海道へ。とってもエエ天気で、のんびりした空気感が漂う島。時間の流れが違う感じ。大阪に帰りたくない気分やわ!と同級生が呟く。定年を控えて、それぞれが、それなりに、悩んでいる。自転車に乗りながら、流れていく景色。島々、海、港、集落、橋、人、青空、雲、太陽、景色の流れと共に、時折、人生を考えさせる、思考も一緒に流れる。そうそう、新名神が開通し、宝塚付近で、全く渋滞がなく、それが、なによりもの驚きだった。
5月3日の夕方。同居する長男家族と奥方とで一緒に、神戸港からサンフラワーのフェリーに乗って大分へ向かう。長男が、連休中に講習会を受講するらしく、長男の奥さんと孫二人は、ゴールデンウィークをどう過ごすかと迷っていた。私たち夫婦は、リフォーム中の家が、連休までには、完成予定で、引っ越しと片付けの予定だったが、他の現場で作業をする大工さんの予定が終わらず、当然ながら、うちの家は、後回しになり、連休の予定がまったく空白になってしまった。それで、長男抜きの長男家族とうちの夫婦とで、有田の陶器市に、食器を買う弾丸ツアーをしようという事になった。今まで二回、有田陶器市に行ったが、どれも良い想い出だった。5月2日に、インターネットでフェリーの予約サイトを調べると、大人3人と幼児2人が泊まれる4人部屋が一つ偶然空いていた。
九州にフェリーで行くのは初体験だったが、乗船してすぐに食堂に行くと、順番待ちの長蛇の行列で驚いた。30分近く並んでようやく着席する。意外と、この年になっても、バイキングになると、食べ過ぎてしまう、その心のありようが、情けなくもある。お風呂もいっぱいで、早々に寝る事にして、2歳の孫イッケイと、2段ベットの上で一緒に寝るが、すぐに女性二人の寝息はしてきたが、コウフンするイッケイは寝付くはずもなく、仕方ないので、探検と称して、フェリーのなかをウロウロする。デッキは風が強く、真っ暗で、鉄扉を開けた途端、お化け屋敷に連れ込まれるかの形相で、手をぐぃーっと引っ張って立ち止まて、怖い!と呟やいた、その姿が印象的だった。4人部屋の二段ベットの高さの寸法とか、ベットとベットの間隔とか、ステンレスの大きなRのついた窓とか、船のディテールはよくできているよな…..。
朝風呂に入り朝食のバイキングを食べて、大分港から車を出発したのが、午前6時30分頃だったので、有田には午前9時前に到着でき、渋滞も少なく、駐車場はまだ空いていた。有田駅近くの商工会議所の駐車場に駐めて、上有田まで、歩くことにしたが、晴天、5月の陽気、歩行者天国、何十万人もの人出、賑わいがあっても、道幅もあり、心斎橋より空いていてプレッシャーが少ないのがエエ感じ。集落の間から山も見え、電車も平行して走り、どちらかといえば、ヨーロッパの街歩きに近い感覚で、なんとなく好きだな。カートとかリュックとか、3度目なので、準備万端で、なんだかんだ買うが、途中、キリムの店をみつけ、アフガニスタンのキリムを3万5千円で手に入れる。というのは、新しく造ったデッキに、キリムを敷いて、ロースタイルで、ゴロッと寛ぐのが、最近のお気に入りのスタイルで、いろいろ物色している最中だった。なので、陶器に費やす予定のお金がキリムになってしまい、何点かの珈琲カップを諦めた。そうそう深川製磁の新作のコーヒーカップなどは、モダンだったりし、先日の歌舞伎のごとく、伝統ある組織の努力を垣間見た感じ。
夫婦二人ならそのまま大阪に帰るかもしれないが、幼児の孫二人がいるので、フェリーの予約後、博多のホテルイルパラッツオを予約した。とりかわ宝屋で、鳥の皮を食べ、屋台で豚骨ラーメンを食べる。ビルと川の狭間の道に屋台という建築が挿入される夜の博多のまちの雰囲気は確かにエエよな…..。そうそう、ホテルは、アルトロッシの設計らしい。レストランの天井の黒い仕上げが格好良かったが、それより、朝食が、おもいのほか美味しかったのに、意外な満足感があった。
5日の大阪への帰り道。下関の唐子市場でお昼でも食べて帰ろうかと相談してると、高速道路の降り口からビッシリ渋滞していた。それで、即興的に、広島で、原爆ドームに「参拝」し、お好み焼きでも食べて帰ろうということになり、渋滞の行列から逃れ、山陽道で広島に向う。広島の原爆ドームと平和記念公園周辺の雰囲気は、独特の空気感で素晴らしい。ちょっとベルリンを想い出した。丹下健三の平和記念資料館の本館が改装中で、あの素晴らしいピロティーに工事中のバリケードがあったのが、とっても残念だったので、話題の折り鶴タワーに向かう。カフェでアイスクリームと珈琲を飲み、休憩がてら、屋上展望台が、大人1700円もして、そんなお金出して、展望台上がるん!と、奥方も長男の奥さんも躊躇ったので、いや、もちろん、建築をやってなかったら、登ってないのかもしれないが、そこは、ちょっと、男気だして、俺、出すよぉ!っと、エエ格好してみた。
展望するのに、大人3人分5100円、幼児二人タダ。というのは、ビックリする価格だが、建築的には、体験をしてみる価値は充分にある「広場」だった。皆が、人工芝の上に寝っ転がり、寛いでいた。なんとなく、だれもが、幸せそうな雰囲気だったので、イタリアの広場を想い出した。広島のまち、川、原爆ドーム、平和記念資料館を俯瞰して見下ろす広場。戦争と平和のことを俯瞰する広場でもあるのだろう。デンマークの公園の地下で見た、設計の三分一さんのインスタレーションは、日本人として誇らしく思えるような素敵な空間だったが、この屋上展望台のひろしまの丘も素敵だなぁ…..。
大阪に帰る前に、折り鶴タワーのカフェで、しまなみ海道での定宿LINKの女将に連絡をとって、お兄さんが営むお好み焼き屋さん「もみじ」を紹介してもらう。パリパリの焦げがついた麺が香ばしい広島風のお好み焼き。大阪のお好み焼きに慣れ親しんでいるが、これはこれで、とっても美味しい。ひょんなことから福岡と広島のそれぞれのまちの、中州の文化と味を垣間見た一日になった。
それにしても、ブラタモリのごとく、それぞれの「まち」が持つ魅力と文化の、根源が、面白いのだろうな…..。