ものづくりの集落

朝から雨がパラパラ降る衆議院議員総選挙の日曜日。たまたま次男24歳が東京から大阪に帰省していたので一緒に選挙に行く。初めての投票だという。地元の小学校に訪れたのも久しぶりらしい。Z世代といわれているこういう若い世代のほとんどが投票すると政治はどのように変化していくのだろうか。とにかく一度皆で試してみようよ!とおもった。

先日、ある縁で福井で自転車に乗ることになった。昨年も、武生で、この建築の裏の道を通過し峠をヒルクライムした時、この建物の後ろ姿を眺めながらなんとなく気になっていた。家に帰ってガーミンで記録された地図を眺めながら、それが「ナイフヴィレッジ」だと知って調べてみると、左の円形の建築は毛綱毅曠(もづなきこう)という建築家だと知った。

ワタシ、20代後半の頃、家族と友人達と北海道のキャンプ旅を数度した時、屈斜路湖畔の弟子屈アイヌ民族資料館の前の芝生広場で2泊ほどキャンプし、湖畔のコタン温泉露天風呂に何度も入浴した楽しい想い出があって、そのテントの目の前でずっと眺めていたアイヌ民族資料館の建築家が毛綱毅曠だった。そんな懐かしさが動機付けのようになって、今年は、朝から、まず、この建物を見てから自転車に乗ろうよっということになった。勿論ナイフにも興味があるあるだった。

右の建物が商品展示と販売になっていて、左の建物が資料館でその奥に工場があって、ほんとうに職人さんが刃物を製作していた。土曜日の朝一番だったが、刃物を打つ音と研ぐ音が工場内に響き心地良いものづくりの波動を発散させていた。ちょっと見学して帰るつもりだったのに1時間以上滞在し、この工場で製作されるナイフの魅力と誘惑に負けて、私はステーキナイフを。同行のキタムラくんは折りたたみのカッコエエナイフを買うことになってしまった。

 

武生のこのナイフビレッジがある刃物の里の近くには、漆の里があり、和紙の里があり、眼鏡の里があって、田畑を隔て、それぞれが集落として点在していた。不思議で魅力的な里山だとおもう。眼鏡ミュージアムには立ち寄れなかったが、もともと農閑期の仕事として大阪から眼鏡フレームの技術を学んだ。と書かれてあって、生野区のうちの会社の裏にあるメガネの3Dの型を製作する山岡製作所のお爺さんがその技術を伝えたひとりだと聞かされていた。ちょっと驚いたのは、その眼鏡フレームの技術を取り入れようとした眼鏡の元祖の人の集落が、生野町というらしい。これは偶然なのか?!

 

地元の白崎サイクルのシラサキさんの予約で「山路」という越前そば屋さんで蕎麦を食べる。今まで食べた蕎麦で一番美味しいのではないかとおもわせる香りと味だった。それを穀物の香りというのだろうか。粘っこい腰があるのに歯応え良く切れる蕎麦という感覚だった。店主は和紙職人で、土曜日と日曜日だけ限定売り切れ御免で蕎麦を打っているという。食事中にマスクを入れるその職人さん手作りの和紙袋が付属していたのがカッコよかった。和紙職人と蕎麦職人という二刀流も今風だな。

漆の里からちょっとしたヒルクライムで峠を越えて一乗谷へ行く。朝倉氏の一乗谷遺跡に憧れを持ったのはNHK BSの「その時歴史は動いた」を視聴したからだろう。集住の場所を、どんな周辺環境下で、どんな規模で、どんなデザインの街並みとして造ったのかを体感してみたかった。原寸大復元模型の町並みを歩きながら、ものづくりの集落との関係性をボランティアの案内の方に聞くと、この一乗谷はたかだか500年前に造られた町で、ものづくりの里は1000年以上前から存在してますよ。ということだった。最盛期は1万人ぐらいだったらしいが、なんとなくコミューン的集落のようなムードが漂っていた。

都道府県幸福度ランキングでは福井県が一位で「教育」と「仕事」が一位を守り続けているらしい。自転車で集落を走っていても建物が豊かな感じがする。両親との同居世帯も多いらしい。都市だけに目を向ける時代じゃないよね。なんていう気分になった自転車旅だった。