本頂戴記
ここ数年、本を買うきっかけを失っていて、なんとなく本と出会う機会が少なくなってきたひとつに、新聞を取ることを止めてみて、ネットのお陰で、全く不便を感じることかない世の中だが、なんとなく新聞の広告や書評を見て、それが本を買うきっかけになっていたなぁ…..とおもうわけで、そのものズバリの本を買わなくても、それが微妙な刺激となって、本を買っていたような気がするわけで、本を手に取るに至る刺激が少ないと、TSUTAYAの枚方や梅田に行っても、綺麗で美しく気持ち良い空間で、本を手に取るわりには、いまいち購入まで至らないことが多く、Amazonでポチりと購入することがほとんどになってきた昨今、自転車の走行履歴のように、本屋さんに入店すると、手に取った本履歴のようなものがIotの技術によって記録されて、家に帰ってから、それをあらためて眺めながら、Amazonで購入したいともおもったりする。
それに、3年ほど息子家族と同居していたので、お互いの居場所のようなものに気を使いながら生活していた感じで、本を読んだり音楽を聴いたりすることに、微妙な躊躇いがお互いにあって、同居の間は、本や音楽から遠ざかっていたが、ここ数ヶ月、庭を隔てた向かいのリフォームした家に移り住むと、不思議と、音楽と本と映画が、私の居場所というか、テリトリーのなかで、復活してきた。
なので、偶然か必然か、お盆前に、3人の方から、3冊の本を頂戴することになって、積極的に本を求める気質が喪失しているここ数年の「私」にとっては、とっても有り難い贈り物で、一冊目は、「まちのえんがわ」の本をコーディネートしてくれている、コトバノイエのカトウさん夫婦と一緒に、うちのイエで食事をする機会があり、その時に「人間のための街路 B・ルドフスキー著 平良敬一訳」を頂戴した。最近の「まちのえんがわ」の本棚のテーマは、「界隈」で、ま、そんなこともあって、まちと関わりを持つようになってくると、書店の本棚から手に取って眺めた程度だった本が、あらたな価値観が与えられて、「私」の手元にやってきたような感じがして。そうそう、その本に刺激を受けたからだろう、ネット上で、何かの書評を読んでいるときに、リンクで磯崎新の書評に飛び、そこのリンクにあった「資源のもどき 磯崎新著」をクリックすると、Amazonにとんで、買ってしまったりした。そんなのが、いまの本の買い方なのだろうな…..。
二冊目は、大阪市立デザイン研究所の生徒さん達が、「まちのえんがわ」と、うちの家の見学に来られた時があって、その先生が、自動車メーカーのMAZDAのデザインに関わっている女性で、数日後、一緒にお話しする機会があって、とっても印象に残る時間を過ごした。後日、「MAZDA DESIGN 日経デザイン廣川淳哉著」が送られてきた。帯には、「デザインがブランドとビジネスを強くする」と書かれてあって、工務店という立ち場として、イエのデザインをどうするか…..。カイシャをどうしていくか…..。と読みかえる切迫感に迫られるのが「私」の立ち位置でもある。
三冊目は、昨年、長男の同級生で、ベルリンに在住するユウトのアテンドで、息子二人とユウトのオトコ4人で遊んだベルリンの3日間は、良き想い出となったが、その時、機会があれば、紹介するよと言っていた、ベルリン在住の日本人の方の完成したばかりの著作を送ってくれた。「ベルリン・都市・未来 武邑光裕著」で、「ポストシリコンバレーの世界は、ベルリンの「ネオヒッピー」と「コモンズ」から始まる」とあった。名だたる建築家が建てた新しい建物のことでなく、シュプレー川沿い近くの古い建物を新しい用途にリノベーションした、そのまちの雰囲気と、人々が面白い、そのベルリンをみて、日本をどうおもうのか!とユウトが問うてきた。
こういう「ギフト」を通じて、新たな印象と刺激を受ける時代なのだろう。あらためて、本を頂戴した3人の方に感謝したい。