今年2回目のお花見とアメリカ音楽文化

家のすぐ近くに、日本人の奥さんと家族をもつアメリカ人のキップさんが住んでいて、うちの長男家族と親しくしているのだけれど、彼のお父さんがアメリカから2週間ほど来日し、帰国前の今日の日曜日の夕刻を一緒に食事を共にして過ごそうよっ!ということになって、お互いの magos も交えて、うちの家で、お花見をした。これが今年、2回目のお花見だった。
午前中は雨が降るという天気予報だったのに、早朝には降ったようだが、想定外の晴れ。お花見で皆さんから綺麗ねぇっ!綺麗ねぇっ!と褒められて晴れ舞台の桜ちゃんたちにとっては、雨で散らなくて良かったようにおもう。うちの遅咲きの枝垂れ桜ちゃんは、ようやく9分咲きぐらいか。いつもは家でGameしてYouTubeばかり視聴しているmagos達は、桜の妖気なパワーに誘われて庭を走り回っている。やっぱりアウトドアーで元気な姿の子供達が発する「sound」は心地良いねぇっ。

そのキップさん父が、手土産としてレコードを1枚持参してくれた。そのレコードを聴こうと、庭の向こうの長男の家に向かう。最初の写真の桜の向こうに外壁がシルバーの建物があって、かつては、私たち家族の住まいで、戦前の長屋を改装したのが、25年ほど前のこと。8年ほど前に長男家族がここに住まうことになり、私たちはかつて祖父母と両親が住んでいた庭を隔てた向こうに建つ2階建て住宅を平屋に減築して、いまの住まいとしている。その長男家族が住む長屋をリフォームした2階が、古い梁を現し新しい補強柱を設置した上記写真のようなリビングになっているのだけれど、長男なりの住まい方として、その障子のある正面にJBLのスピーカーとDJブースを設置して、マレンコの椅子に座って聴く、音楽スタイルとして使っている。そこで、そのレコード「sound」を一緒に聴いて楽しもうということになった。

ワタシ、3分の1程度の会話が聴きとれる程度で、ほんの片言の英語しか話せない。時おり翻訳ソフトをお互いに駆使しながら、会話をするが、とってももどかしい音楽談議だった。キップスさんが日本語がとっても達者で、DJをしていることもあり、この2人の間を流暢につないでくれた。というか、あらためて感じたコトは、コトバが通じなくても、お互いが好きな音楽は、ヒトとヒトを繋いでくれるものだなっとおもう。全く違う環境と文化に育った、この空間に存在する4人が、共感し合う音楽を通じて「いまとここ」を居心地良く過ごせるというのは、「ヒトとヒトにつながりをつくる」という音楽が持つひとつの力だなっとおもった。

そのレコードを記念写真として2人で自撮り。日本人は、というか、ワタシは、アメリカの音楽文化に大きな影響を受けて、それを、ワタシなりに楽しみながら、ワタシなりのジャパニーズフィルターを通して、さまざまに解釈し、それが、ワタシのどこかに定着して、というか「記憶のこぶ」として、ワタシの文化のひとつになっていたのだなっ…..とあらためて感じさせられた、お花見だった。