隠岐の島とか。築地松とか。
隠岐の島に行ってみた。
その動機がなんだったのか…..そうそう、なぜか、今年は山陰を巡ろうとおもった。じゃぁ隠岐の島でも行ってみるか…..それに「Ento」というホテルにも興味があるし…..そんな感覚だった。海と島々を眺められるホテルはいろいろあるが、目の前をフェリーが行き交い、フェリーから覗かれるホテルは珍しい。島は、島前(ドウゼン)と島後(ドウゴ)に別れていて、そのホテルはカルデラ火山の外輪山にあたり、3島からなる、島前の中ノ島にあって…..。なんていう島の成り立ちや、島までどうやって行くか、島の中をどうやって移動するか、それを事前に理解するだけで、ちょっとした時間を費やした。
島流しとか。後鳥羽天皇とか。どことなく、もの悲しい気配が漂うのがエエような…..。おもいのほか多くの神社で祈願し、ジオパークとしてのランドスケープの奇岩に美意識が発動され、岩牡蠣があり、隠岐牛があり、隠岐誉れがあって、味しい食材を楽しんだ。なによりホテルにはTVがなく、海と島とフェリーを眺めて過ごす時間を楽しみ、焚き火と夜空の星々と夜光虫を眺める夜だった。
大阪を早朝に車で出て、境港近くの七類港から隠岐の島へ出港したが、デッキから港を見返すと、そうだ、これ、高松伸の建築だな。と気付いた。すっかり忘れていたが、建築雑誌でみた記憶が蘇ってきたし、不思議な造形美だなと、おもっていたが、こうやって、国賀海岸の奇岩と見比べると、似てなくもない…..。
隠岐の島からの帰りは、境港から松江で宿泊することにして、灼熱の日差しのなか、街歩きをしながら、松江城を見学したら、城のなかが暑いのなんのぉ、Tシャツの背中から汗が流れ落ちる感覚とともに、急階段を登って、天守閣に上がると、とっても心地良い風が吹き抜けて、ほっとひと息ついた。景色を眺め、観光客の涼む笑顔に共感した。
夜、ホテルすぐ近くの松江の老舗のバーらしい山小舎に立ち寄ると、カウンターで、地元の方々との会話に話が弾んで、出雲、松江、米子のそれぞれのメンタリティーの違いのようなものを教えてもらい、出雲の土地は大社に守られている。というメンタリティーを知った。「出雲」「大国主」「大物主」「ニギハヤヒ」「物部」「三輪山」「国譲り」そんなコトバがワタシの頭をよぎるし、「大和」以前の日本を「出雲」に感じ、刀剣の大量出土した弥生文化だけでなく、縄文にも想いを馳せてみた。
前回ブログの「MOKスクール」で、香川県の菅組の菅社長のプレゼンのなかに、バーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」から引用したランドスケープの写真があって、それが、出雲平野の宍道湖付近の「散居」の写真であることに気付いた。今回の旅で、松江から出西釜を経由して出雲大社に向かう道中に、通過する予定だった場所で、あらためてネットで調べてみると、家を暴風から守る風よけの松のことを「築地松(ついじまつ)」とよぶらしい。
こういうランドスケープを自転車でウロチョロできれば楽しそうだが…..と地図を眺めていると、田んぼに、ぽつんと立つ、チョコレート屋さんがあることを発見して、車から築地松を眺めながら、そこに向かい、チョコレートを買って、チョコレートドリンクをテイクアウトする、その待ち時間に、椅子に腰掛けて、田んぼと、築地松を眺めた。「田園」「散居」「築地松」「宍道湖」「山々」独特にエエ雰囲気だな…..。
テイクアウトのチョコレートドリンクを飲みながらドライブし、荒神谷遺跡に立ち寄り、大量に刀剣を「埋める」というメンタリティーのようなものに想いを巡らせ、ロマン街道を走って、「出西釜」に着いた。これが、2回目。日本を旅すると、有田や出西釜などなど、陶器を製作する土地に立ち寄り、陶器を眺め、買いたくなるメンタリティーが、数年に一度やってくる。おもいのほか価格がすることに、ちょっと躊躇しながら、出西ブルーの皿と白の皿をゲットする奥方。ワタシは珈琲カップをゲットした。
須佐神社から日御碕神社に立ち寄ってから出雲大社に行く予定だったが、前日のバーで、稲佐の浜から海岸線が通行止めで、日御碕神社には行けないですよ。と教えてもらっていたので、大社近くで、出雲蕎を食べる口になっていたのに、教えてもらった有名店は、どこもかしこも満員か売り切れで、出雲蕎麦は食べられなかった…..。そんなこんなの、2024夏休みだった。
木村工務店は、8月19日月曜日から通常営業です。