五月雨

中尊寺金色堂に行ったのは初めて。30年ほど前に、家族と車中泊をしながら東北旅行を企画した時に、その旅程に組み込もうと考えた時もあったが、私の中では、「夏草やつはものどもが夢の跡」という、寂しい俳句がこびりついていて、その当時は、もっとパワーを感じる場所を欲していたようにおもう。どちらかといえば「しづかさや岩にしみいる蝉の声」のような立石寺に行って、芭蕉が感じたような静寂を体験し、同じ「いまとここ」を共有してみたという気持ちの方が強かった。

それに「五月雨を集めて早し最上川」の俳句の印象も強く、私にとっては、五月雨は、最上川と結びついて、断続的な雨が降り続いた、ちょっとコワイぐらいの勢いがある最上川を見てみたいという気持ちも強かった。なので「五月雨」がしとしと降る「優しい雨」のイメージをすっかり忘れていた。

この6月2日と3日の二日間の第67回精親会総会と研修旅行「三陸震災遺構と平泉の旅」としての東北旅行は、ほとんどが大阪人で、その46名の半分以上が、東北に行くのが初めてなのに、この二日間が雨予報で、残念だなぁ…という気持ちが強かったが、一日目の三陸震災遺構と三陸鉄道の旅は、奇跡的に雨が降らず曇り空で、晴れ間と太陽は拝めずとも、この曇り空だけで満足度が高かった。2日の夜は、花巻温泉で、オーソドックスな宴会を催した。浴衣を着て、お膳が並べてあって、それぞれがお酒を注ぎに回る、昭和なスタイルは、いまや、こういうスタイルのコミュニケーションを体験する、ひとつの「体験イベント」のようなものだとおもう。

夜中にはそれなりの雨が降っていたらしいが、それなりのお酒を飲んで、全く気付かなかった。朝からは、どんよりした曇り空で、何時雨が降ってもおかしくない天候のなかで、バス移動をし、平泉の中尊寺に着いた時は、霧雨のように、しとしと雨が降って、傘をさして歩く天候。バスから降りる参加者には、微妙な空気感が漂っていたが、雨に濡れた石畳の階段越しに、金色堂の覆屋を眺めると、なんだかとっても「趣」を感じて、五月雨で良かったかも…..と、誰もが感じたとおもう。

五月雨さみだれふり残してや光堂」 この句碑の前に立ち、芭蕉が、この場所で俳句とした、その時の「印象」を、この五月雨のなかの金色堂を見学したことで、まるで「解った」ような気分にまでさせてくれた、そんな「五月雨」だった。

ちなみに「覆屋」に覆われた中の美しい「金色堂」を体験したあとに、もう一度石段越しの中尊寺金色堂の覆屋を眺めると、中の「光堂」の姿を想像できるようになって、この覆屋がなかった時は、美しかっただろうな…と想像するとともに、その盛衰の姿も想像できるようになった。現代的には、ガラスキューブの覆屋でもエエんとちゃぅ。なんていう建築的な想像もして、五月雨のなかを傘をさしながら中尊寺の坂道を下った。