東京にて結婚式

東京六本木で結婚式があった土曜日。長男友人なのにどういう因果か、木村家家族全員が招待された。magosも一緒なのと婚礼用の服や靴など荷物が多いので、車で行くことにしたが、久しぶりに大阪と東京間を運転すると新東名高速道路がとっても快適だった。宴会場近くの六本木のホテルに宿泊する。9割がインバウンドのお客さんだな。

最上階に大浴場とサウナがあって、湯船の中に入って浴槽の縁にタオル置きその上にIPADを置いて中国語で相手男性と会話をするアジアンがいた。サウナの休憩室などで、若い子たちのたわいもない会話を延々と聞かされるつらさもあるが、浴槽のなかで延々と続く電話の会話もなかなかの強者だな。中国語が理解できないのが唯一の救いで、うわっすごっと心のなかで呟いていたが、注意するようなことでもなく、文化の違いなんだなっ。

先日の上棟式の祝宴で、大工仕事からでたコトバが話題になった。「いの一番」が、大工の棟梁の墨付けの最初を「い通りの1番」から始めるコトから来ている…なんていう話から、「気遣い」と「木使い」のコトバになり、「ろくでなし」というコトバは、大工さんは水平のことを「ろく」と呼んでいて、その水平がちゃんととれていないヤツを「ろくでなし」と呼ぶらしい……しらんけど。なんて続いた。国によって文化の成り立ちが、とっても違うのだとおもう。

長男友人の結婚式は、既に入籍をすませ、昨年暮に産まれたばかりの赤ちゃんも一緒で、結婚式独特の緊張感が全くない、気軽なパーティー感覚の現代的結婚式だった。最近多く見られる人前式で、司祭の役割は、2人の仲人がコスプレ姿で登壇した。終始、笑いがありヤジが飛ぶ会場で、私は、吉本新喜劇の舞台で演じる結婚式に、ある役割を担う演者として参加しているような感覚に陥った。新郎の私学中高の同級生たち、同期に入省した財務省の同期生たち、などなど50人以上の新郎の友人が参加する結婚式は珍しい。超真面目に、日本のため社会のためを願いながら働く若者たちだからこそ「結婚式」という「儀式」を茶化したかったのだろう。そんな全てを理解し受け止めることができる新婦と最近出会えたのが「縁」という奇跡だとおもう。

新郎のまるで親族のような立ち位置で参加した木村家家族全員だが、その縁が強く育まれたイベント事があった。彼らが、中学3年だったか高校1年だったか、とっても多感な学生だったその夏休みに、小さなハイエースのキャンピングカーに6人乗って、まず大阪から四万十川の源流地点に到着し、その水に触れ、そこから四万十川沿いにキャンプをしながら川を下った。焚き火をし、カヌーに乗り、ウナギを食べ、川で泳ぎ、温泉に入り、最終地点の土佐の海に辿り着いて、皆で海で泳いだ。その1週間ほどの旅がそれぞれの想い出に強く焼きついたのだろう。

旅のストーリーは、源流地点に触れ、上流部の急流にもまれ、中流部の早い流れを乗り切り、下流部の穏やかな川の流れに従いながら、大海原の海にそそぐ。そんな人生のような感覚をこの四万十川ツアーで一緒に体験し共有したかったのだとおもう。同乗者のひとりシンくんは、東京で有名受験塾の学園長になり、この祝宴の円卓の私の右横に座っていた。

その時の同乗者たちは、人生という川下りをしながら、ようやく海まで辿り着いた状況なのかもしれない。今、大海原で、もまれている状態なのだろう。漂う時もあれば、もがく時もあり、嵐もあれは、ドピーカンもある。目指す島を発見し、目標の島まで着いて、のんびりする時もある。島を目指したり、目指さなかったり。漂い続けるいま。きっと新郎は、多くの友人とのつながりに助けられ、海まで辿り着き、いま大海原で、もまれ、もがいている自分自身の姿を、素直なコトバで表現するのが照れ臭く「いちびり」の大阪人の結婚式として、徹頭徹尾、喜劇のオブラートで包み込んだ、感謝の表現にしたかったのだろう。