103歳と花
家の前の道路を生駒山が見える東の方角に300mぐらい進むと東大阪市になって、私達が住む大阪市と東大阪市の境目あたりに、一軒の花屋さんがある。花屋さんというか苗屋さんみたいな感じ。40年ほど前からあって、たいそう繁盛していたが、夫婦の高齢化に伴い数十年前に閉店された。それが、コロナ頃から、再び店がオープンし、高齢のおっちゃんひとりで、細々と楽しげに店を開いている。
奥方が、うちの庭に黄色のパンジーをほんのちょっと植えようと、その花屋さんに行って、「この黄色のパンジーを頂戴…..」とおっちゃんに言う。おっちゃんが袋に花を詰める所作をしている様子を眺めながら、「ところで、お幾つになりはったのですか…..」と尋ねると、「103歳!」という。「えっ…..!」と大阪のおばちゃんとして、驚きを2倍ほど誇張して表現すると、「わし、まだまだ元気やねん、おかあちゃんは93歳で亡くなったけど…..」という。「ご飯も洗濯もひとりでやってはるのぉ」と聞くと、「花屋の前はうどん屋とお好み焼き屋やってたから自分でご飯作ってるでぇ!」「そうそう、おねえちゃん、今日作ったお好み焼き持って帰り!」という。それで。お好み焼きを入れ物にいれて手渡してくれたわ! と感激が二乗ぐらいになった高揚した満面の笑みで、私に語った。
この出来事を自分の中だけで留めておけないぐらい凄いエピソードだったので、すぐさま長男奥方に伝えて、お裾分けすると、「こんな有り難い縁起もの大切に食べなダメですね。」と云ったそうだ。その話を聞いて、ワタシ、丁寧に丁寧に咀嚼することにした。フツウに美味しいお好み焼きだが、お金で買えない価値ある食べ物だな。とおもうし、食べたあと、「生きる」という凄さまでが、味覚に加わっていた感じがした。「103歳でもお釣りをちゃんと計算して渡してくれはったわ!」と奥方が云う。
今日の日曜日の早朝、3ヶ月ぶりに自転車に乗ることにした。家から東に走り、あの花屋さんの前を、ありがとっ!と呟いて通過し、生駒山の山並み沿いにある十三峠に向かう。途中、司馬遼太郎記念館の前を通過すると菜の花の鉢植えが咲いていた。これを見て春の訪れを感じたいがために自転車に乗ったような気もする。心拍数が過剰に上がらないケイデンスでゆっくり漕いで十三峠の坂道を登る。それでも駐車場についたら、はぁはぁと呼吸して酸素を取り入れた。しんどかったら、そのまま帰るつもりだったが、案外元気が残っていた。お好み焼きのお陰なのか。で、フラワーロードから朝護孫子寺まで走って、久しぶりの参拝をする。本堂横の陳列の生け花にはピンクの桜が生けられてその壺が黄色だった。財布を置いて「なむぜにがめぜんじん」と唱えると、お金が貯まるという銭亀堂には、3人のマダムが財布を置いてお参りしていた。
信貴山ライドでの建築的楽しみがひとつあって、開運橋のトラス構造の赤橋を下から見ることで、それも片持ちのゲルバー橋になっているところが、いつみてもカッコエエと惚れ惚れする。のどか村から葡萄坂を下って帰宅した。43km走行也。あちらこちらで、桜が咲く前の黄色の花の季節になっていた。「春〜よ来い」だな。
上棟式の祝宴が2週続いた今週。大工の棟梁や材木屋さんを中心に、あれやこれやと古いピソードがいっぱいでて、盛りあがって、式が終わり、会社に戻ると、社員の多くが、3階の食事テーブルに集まって、社内メンバーによる上棟式だ!といって祝宴をしていた。現場上棟式組が持ち帰った御神酒も加わると、さらにボルテージがぐんぐん上がっていった。家のためお施主さんのため職人さんのために祝う上棟式の祝宴のエネルギーが、その家に宿ればエエなぁとおもう。そうそう、簡易に作る上棟式のテーブルに、ひとつ花が置かれた。殺風景な現場の光景に、「花を添える」とは、こういうコトを云うのだな。