道路にドラマ

サンシュウの黄色のカワイイ花が咲いて、春が近づく気配。そうそう会社前にある長屋のピンクの梅も咲いて、桜が待ち遠しくなってきた。イエローとピンクの季節がやってきたね。

この梅を見て、自転車を停める人もチラホラいてはる。長屋前の梅が咲く、会社前にあるこの道路は、古くから南北に一直線に通っていて、この道路から一本西にある南北に走る内環状線が、放出方面から新深江までで止まっていた頃は、この会社前の道路が南北を繋ぐ唯一の道路だった。なので、それなりの数の車が通っていたし、自転車で行き交う人が多かった。ポツポツと商店も多かったし、今でもこの道路の南の端には、あのノーベル製菓の本社が残っている。

木村工務店に就職した社員の多くは、朝、出勤してくると、この南北の道を自転車で行き交う人の多さに驚き、中国みたい…..と呟く。今でも巽の方面から万代百貨店がある布施方面に向けて自転車で走る人が多い。近くに私学があり高校生も行き交う。電動ママチャリに、幼児を前と後ろに載っけた、逞しい主婦や主夫も、数多く行き交う。ちなみに、うちの会社からその道路を5筋ほど北に行った交差点を西に行くと東野圭吾さんの実家跡がある。

最近はベトナム人らしき人が多く自転車で通りすぎるし、個性的な大阪のおっちゃん大阪のおばちゃんもチラホラ。昨日の土曜日の朝は、会社からその道路を横切ろうとすると、歌声が聞こえてきた。「悲〜しみに〜出会う度〜あ〜の人を〜想い出す〜そんな時〜側に居て〜肩〜を抱〜いて、ほ〜し〜い〜と〜」と中村雅俊の歌を、なぜか、おっちゃんが、感情をたっぷり込めて歌いながら歩いていた。そういう気分の出来事があったのだろうか。路上でブルースを口ずさむ黒人のようで、思わず立ち止まって、拍手を送りたい気分だった。

ちなみに、その道路の西側にある、うちの庭の南側には4階建てのマンションが建って、そのベランダが道路に面して、そこからうちの庭を覗かれ、丸見え状態になったのは40年ほど前の出来事だった。当時、祖父母が健在だったので、祖父母の寝室は南向きの縁側付きで、その縁側の向こうに南向きの庭があり、とっても快適そうだったが、ある日、その庭前の道路に面した2階建ての工場が移転し、その跡地に、くだんの4階建てマンションが建って、祖父母の寝室は丸見え状態になった。

それで、自分達の庭に、自分達で、目隠しを兼ねた、杉を植えることになった。その杉が徐々に成長し、目隠しとして効果を発揮するのに10年ほど掛かったとおもう。今では、かなりの目隠しになり、そのお陰で、木々に囲まれた庭になってきたし、さらにその目隠し効果を補足するために、常緑である竹を植えたのが、20年前のコト。そんな目隠し効果抜群の杉だが、最近は花粉が舞い散り、花粉症を引き起こす杉になって、うちのmagosもその花粉症で悩んでいる。世の中の因果関係というのは摩訶不思議複雑怪奇だなとおもう。

和泉市で新築した店舗付き住宅の上棟の宴があった水曜日。コロナ禍があってから、上棟の儀式はするが、宴は催さないことがほとんどになってきたが、今回は大工棟梁を主役にした宴を設けて頂いた。もう既に外壁下地のモイスを貼った空間なので、構造材だけが森のように林立する、昔ながらの上棟式の光景ではないが、それでも、木造住宅を施工している工務店としては、最も心躍るひと時でもある。

それはそれとして、その宴で、施主のご家族全員が、乗馬をするのだという話で盛りあがった。ある日、イベントとして、上棟式を催しているこの家の前の道路を、娘さんたちが乗馬したのだという。ご両親は車で後を追い、馬の糞の始末をして回ったのだそうだ…..。私、頭の中で、この壁のシートの向こうにある道路で起こった、そのドラマのような光景を想像したし、そういえば、私が小学生の頃は、うちの会社前のあの道路にも、一年に何度か、ロバのパン屋さんが、通過する日があって、「ロバのパン屋はチンコロリン、チンコロリンとやって来て、アンパンジャムパン…..」という歌が聞こえてくると、ワクワクしたし、屋台を引くそのロバの糞が落ちる光景に、あ然とした想い出が蘇った。

道路にドラマが宿っているな…..とおもう週だった。

追伸
今日の日曜日。YouTubeを視聴していると、お勧めに「マイルス・デイビス・カムバック・ジャパン・ツアー’81」が流れてきて、何気に視聴すると、「若いミュージシャンのエネルギーが、俺の想像力を駆り立ててくれる。彼らに自由を与えてやり、即興で作曲していく、音楽とはフィーリングとリズムで自由に描いていくドラマだ。」なんていうクレジットが出てきて、その「ドラマ」というコトバに影響されたブログだな。とおもう。