アサイラム
建国記念日の振替休日。コロナ禍があって、ワタシの新しいライフスタイルに加わったひとつに、ひとりスキーがある。一年に2,3回ほど行くようになって、それはそれなりに楽しい。今年は初めて。前日から雪が降って新雪を楽しみにしたが、カチカチのバーンの上に降り積もったちょっとした新雪という感じで、期待ほどでなく微妙だった。もはやカチカチのコブは滑りたくないので、雪が柔らかく、久しぶりにコブを滑ることにしたら、二日間ほど階段の上り下りで、筋肉はって、ブサイクな格好で階段を歩いていたとおもう。12時過ぎには滑り終えて、帰って、ビールでも飲みながら家でゆっくり楽しむのが、シニアスタイルのようにおもう。そうそう、今年、メガネでもいけるヘルメットを買ったが、思いのほか快適だった。
それで、家で本を読むとか音楽聴くとか映画視聴するとか、いろいろ楽しみ方があるが、最近NHK+とかNHKオンデマンドが気軽にパソコンで視聴できるようになって、ちょくちょく視聴する。「ワイルドライフ つながる小さな命たち 牧野富太郎と南方熊楠が見つめた日本の自然」なんていうのを何気に視聴した。
建築家の内藤廣さんが設計した牧野富太郎記念館はエエ建築だなとおもう。会社の研修旅行でも社員や協力会社の面々と一緒に見学した。牧野富太郎植物図鑑も原色の彩色したシリーズから知ったが、初版の白黒で解説付きを見たら、建築のスケッチをはるかに上回るカッコ良さだとおもった。牧野富太郎のフレーズで「綿密に見れば見るほど新事実」は好きなコトバで。建築を志すものにとっても、森羅万象をこういうハートで眺めたいものだなとおもうし「どうかみなさんも、植物に親しんでください。そして少しでも多くの知識を身につけてください。それが一生を通じ、どれほど人生を豊かにするかわかってもらえると思います。」なんて語られるとグッときて「親しんで少しでも多くの知識を身につける」なんていうのが、これからのシニアライフを豊かにするキーワードのようにさえ聞こえた。
シーラカンスアンドアソシエイツ設計の南方熊楠記念館には、訪問する機会を逃し続けている。「オガタマノキ、カラスノサンショウの大木、一、二丈のもの、自生のタラヨウ一丈余のものなどは、何の用もなきものゆえ、わずかに神社の森を asylum として今日まで生を聊(りょう)せしなり。」の asylum (アサイラム)というコトバにビビッと来た。アサイラムとは避難場所とか安全な場所とか聖域とかいう意味らしい。牧野富太郎と南方熊楠は同世代で5歳違いらしく、熊楠も「自然を綿密に見つめること..小さな菌糸が森とつながっていることを知る….」なんて語っていて、南方曼荼羅もカッコエエ図だなとおもう。
それはそれとして。「アサイラム」と聴いて、脳内で反応したのは、レコードレーベルのアサイラムのことだった。ジャクソンブラウン、イーグルス、JDサウザー、トムウェイツ、ネットドヒニーなどなど、20歳頃まで、それなりの数のアサイラムのレコードを買った。輸入盤でアサイラムのレコードなら間違いなさそうやから買っとこ。いまから振り返れば、そういう気分にさせられるのが「ブランド」だなとおもう。アサイラムが避難所や聖域だという意味なんて全く知らずに…..。何よりもレコード盤のラベルが、今も独特の「印象」として残っている
そうそう、後にジャズを聴くようになって、レコードレーベルとしての、ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどなど。時々、インパルス時代のコルトレーンのアルバムを聴きたいなぁ…とか。「インパルス!」のラベルもカッコ良かった。レコードレーベルで音楽を楽しむ楽しみ方も知るようになったが、「植物」には、そんな感じでは親しんでこなかった。あらためて、「植物と親んで、知識身につけて、人生が豊かになる」それっちょっと憧れるなぁ…..と、視聴した。