七草粥
「七草粥」を食べる1月7日日曜日。
正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べ物で、あっさりと仕上げたおかゆは、少し濃い味のおせち料理が続いたあとで、とても新鮮な味わい。とインターネットに書かれてあった。確かに。普段よりちょっと上等な食材を買って食べた年末年始の夕食だったので、七草粥を口元に入れた瞬間、味、薄いなぁ…っとおもったが、胃は、今日の食事は優しそうやで…..と語っているコトバが、聞こえてきたような気がした。
いつの時代もどんな土地でも、年頭にあたって豊年を祈願し、「今年も家族みんなが元気で暮らせますように」と願いながらおかゆをいただくその気持ちに差はありません。ともインターネットにかかれてあって。先ほどのNHKのテレビには、能登地方の地震による被災者のために、旅館の料理長が七草粥を作り、それをとっても大切そうに、ありがたく、美味しく食べる年配の方々の映像が映し出されていた。なんで1月1日の夕刻にあんな地震を起こすのかっ。と多くの人が呟いているような気がする。
1月1日の朝は、座敷でお屠蘇をする。祖父の代から伝わる「儀式」のようなもので、家族が一緒に集まり、あらためて新年の挨拶を交わし、御神酒を頂戴し、一年の抱負のようなものを語り合い、お年玉を渡し、美味しくお節を頂戴する。そのための空間が家にあるのは、祖父が家族の住まいだった長屋の中に、この数寄屋風の座敷を、数寄屋大工と一緒に考えながら、入れ子のように長屋に埋め込んだ。父がその長屋を切り離して、新築として建て替えをする時に、中庭と応接室に接する座敷として、移築保存した。私はその家をリフォームする機会に恵まれ、中庭を残し、付属する応接間は撤去し玄関土間として減築し、新たに仏間をこの座敷の一部に移設して、再生した。その時代に応じた、家族を見守る空間として、代々伝われば、嬉しい。
1月1日の朝の木村家でのお屠蘇を終えると、氏神さまの清見原神社へ初詣にでかける。数ヶ月前から予約して、拝殿のなかで家族一緒に参拝するようになったのは、祖父祖母父母が亡くなってから新たに生まれた習慣で、「木村家」なんていうTraditionなコトを意識したからかもしれない。神主さんのお祓いをうけ、玉串を奉奠し、宮司さんによる神楽鈴が、頭の上を舞うと、頭の周りに纏わり付こうとしていた思考がヒラヒラ散って、スッキリした気分で一年が始まる…..ような気がする。一昨年は境内にある稲荷社を揚げ家し、補強と補修と洗いの工事をして、今年は周りの玉垣を撤去新設工事の予定になっている。そうそう全員でおみくじを引いて示し合うのが、木村家の初笑いのようなものだな。
1月1日夕方。南大阪にある奥方の実家に集まるのが慣わしになって久しい。15時過ぎ。15人の老若男女が居間に集まって、鍋を囲み、ビールで乾杯し、正月の宴が始まった。あーだこーだーと近況を語り合いながら傍らのテレビ画面に、明石家さんまとキムタクの映像が流れていた16時過ぎ。突然、緊急速報!緊急速報!という音声とフラッシュ。能登地方で震度7の地震が発生。とクレジットされた直後、報道画面に変わった。NHKに切り替えると、津波が襲ってきます急いで避難をしてください!!!という女性アナウンサーの絶叫が印象的だった。震度7の地域の古い民家はかなり倒壊しているやろなっ。なんていう、いまからおもえば無責任な言葉を発しながらも、宴は続いて、皆の笑い声が響いていた。
その緊急速報を眺めながら、Facebookの投稿欄に、上の清見原神社の写真と共に新年の挨拶文を投稿した。その時のいまとここを記憶として残しておきたかったのだとおもう。そうすると、木村工務店の建物の構造設計を担当し、清見原神社の構造設計も依頼した木構造研究所の田原さんから、すかさずこんなメッセージが送られてきた。
木村様、田原です。この写真は清美原神社への初詣ですね。(*^_^*)良い雰囲気で使われているのがよく分かりますね。それにしても先ほどの能登半島地震では少しびっくりしましたね。
震度7と言う事なので木造住宅等の倒壊した事例も多くなっているものと思いますので、可能ならば調査に行って見たいと思っています。
また、本年もどうぞ宜しくお願い致します。
「耐震性」というのは、日本というこの風土で、建物を維持管理するためには、とっても大切な要素だな。とあらためて思い知らされる出来事だとおもう。私達とおなじように1月1日の16時を過ごしていた能登地方の方々が、いらっしゃったはずだし、もし大阪でこの震度7の地震が起こっていたら、奥方の実家の家は旧耐震基準以前の建物で、耐震改修をしていないし、1階の居間の15人の命はどうなっていたのか…..と、いま、振り返ると、怖さが増す。ちなみに現行の耐震基準は…..
旧耐震基準では、数十年に一度発生するような震度5程度の中規模の地震には耐えられるものの、それ以上の大地震では倒壊する可能性がありました。一方、1981年に施行された新耐震基準では、震度5程度の中地震では軽微なひび割れ程度にとどまり損壊せず、数百年に一度の震度6強程度の大地震であっても倒壊・崩落して人が押しつぶされることなく、命を守れるだけの耐震性が備えられるようになりました
時として、神は荒ぶるし、神とは無慈悲だな。とおもう。人々が想い繋いでいる物語性のある時空間を容赦なく破壊する時があるし、過去を楽しく振り返ったり、未来に希望をもって語り合ったりしている人達に、地震や津波のコトを考慮してますか!忘れてませんか!と、いまとここの在り様に、気付きをもたらすかのように、荒ぶっているようにさえおもえてくる。
七草粥で心身をケアーして、見つめ直してみようかとおもう…..
木村工務店は1月9日火曜日から通常営業です。