「学生」
秋祭りの季節。地元の清見原神社には4台の「地車」があって、コロナの間、自粛していた「地車」が復活し、街を練り歩く。岸和田や泉州の「地車」のように槍まわしのような派手なパフォーマンスはないが、通りから「地車」の囃子が聞こえて近づいてくると、家から通りに出て、勇ましい掛け声で地車を引く引き手とワクワクするリズム感の囃子で街の邪気を払いながら通り過ぎる「地車」を見守る。ご祝儀を渡すと、家の前で「地車」が停止し、皆で一緒に大阪締めをする。
が、最近、家から通りに出てくる人がめっきり減った。街の人は、地域との愛着が薄れ、もはや街を練り歩く「地車」に価値を感じなくなっているのだろう。祝儀を渡す価値やありがたさが消滅したのだとおもう。神社におわします神様を「地車」に乗せて街の邪気を払い幸をもたらす。家から通りに出て「地車」を見守ることで、荒ぶる神のエネルギーを受けて地車を勢いよく引く若者達の元気をもらい、囃子の音色で神々しい気分になって、大阪締めで祝う。そんな地車として、ポジショニングし、イノベーションをして欲しいな…なんておもった。
今週は多くの「学生」と出会った週だった。
火曜日のお昼から関西大学の建築学科の木造設計製図の授業に参加し30人ちょっとの学生と接した。ここ10年ちょっと続いている3ヶ月間ほどの秋のルーティン。授業に参加する学生が3人しかいない年もあったが、最近は木造の人気が高まってきたのだろう。人数が徐々に増えてきた。意匠設計の米谷さんと構造設計の下山さんと工務店の私。私の担当は、木造建築という「ものづくり」を伝えるポジション。男女3、4人のグループ設計だが、女子だけのチーム、男子だけのチーム、男女混合のチーム、とばらばらで、それぞれのチーム内のコミュニケーションの質が、それぞれのプレゼンに反映されるのが、面白いし、「ものづくり」のスキルのひとつとして、コミュニケーション能力は、大切の要素のひとつだとおもう。
木曜日の夕方から近畿大学の総合社会学部の環境まちづくり系専攻の田中先生が指導する10人ちょっとの学生のインターシップに参加した。木村工務店と繋がりがある持ち主の方が所有する、俊徳道にある空き家の文化住宅を活用するプロジェクトがあって、建築家の北村さんと企画が進むなか、田中先生にお声がけすると、俊徳道空き家活用プロジェクトとして、「文化住宅をインキュベーションハウスとして活用する」そのためのインターシップとして学生を募集することになった。昨年から授業が始まり、今年はフェーズ2として昨年とは別の学生とそのプロジェクトを進めている。
関大で建築学科の学生と接すると建築物というハードの部分に焦点があり、近大の環境まちづくり系の学生とは、建築物のなかのソフトの部分に焦点があって、まちとの新たな関係性を構築しながら、空き家の文化住宅を使って、ビジネスとして機能する新しい組織の仕組みを考えるのは、なかなか面白い作業だとおもうが、フェーズ1で、それなりのアイデアが出てきても、それを実現するというフェーズ2は、かなりハードな作業だなとおもう。まちとのコミュニケーションとメンバー内のコミュニケーション。そんなこともあって、授業後は学生3人と先生3人でお好み焼きを食べた。時として学生と食を共にするのはエエね。
金曜日の午前中、地元の東小路小学校2年生の生徒が「町たんけん」という授業で、「児童が地域に愛着を持ち、回りの人とのかかわりを大切にしようとする心を育成するために、お力添えをいただけましたら幸いです。」と書かれた案内文とともに、5班に分かれた沢山の小学生が木村工務店を見学に来られた。生憎、加工場では大工の作業をやっていなかったので、事務所を見学してもらい、設計の作業や図面や模型を見てもらって、「まちのえんがわ」に腰掛けながら、学生からの質問に、同じ小学2年生の子供を持つ専務が答えることになった。
「回りの人とのかかわりを大切にする心を育成する」って、奇しくも今週の沢山の学生と接したなかの、共通のテーマだったような気がする…そんな一週間だった。