「土偶」

昼から、しとしと雨降る日曜日。ちょっと寒い。ようやく秋を感じる季節になったが、今年、うちの庭の桜は、暑い日が続いた9月に、紅葉もせず落葉した。よっぽど暑かったのだろう。来年に花が咲くのかちょっと心配だ。そうそう朝から家族それぞれに用事があって、なぜか mago2 と二人だけで、その庭のテラスに出て、モーニングを食べた。二人でパンを食べながら mago2 が、「食べられないパンはな〜んだ」となぞなぞを問いかけてくる。で、ワタシ「アンパンマン!」と答えると、パン食べながら「それ人やし!」「食べられるし!」という…..。そんな、なんてことない日曜日の朝。写真は、先週の「まちのえんがわGallery&Bar」の「カクカクしかじか」で展示された、カクさん製作の組み立て式の椅子。余ったチークのフローリングをセノウ大工にキッチリとした大きさに切ってもらったアウトドアーテーブル。そしてもう葉っぱが散ってしまった桜の枝。

この連休、久しぶりに本を読むことにした。買って、本棚で、読んでいなかった本たち。「土偶を読む」はサントリー学芸賞やみうらじゅん賞をダブル受賞したベストセラーで、ワタシ、ちょっとした縄文土偶ファンなんだけど、敢えて読まないでいた。そしたら「土偶を読むを読む」というアンチな本が出て、Amazonで「土偶を読む図鑑」を含めた3冊を同時に買って、パラパラ目を通し、本棚で横たわっていた。

「土偶を読む」は従来の「土偶は女性や妊婦をかたどっている」とする通説に対して、土偶とは「植物の精霊をかたどったフィギュアである」という説を唱えた人類学者の竹倉さんの本で、土偶が「植物の人体化」だというのは、ま、食物としてのアンパンが人体化した「アンパンマン」と似た話なのかと読み進んでみると、ハート型土偶は「オニグルミ」を見た目の類似として制作され、合掌土偶中空土偶は「クリ」をモチーフとし、椎塚土偶は「ハマグリ」をかたどった土偶で、みみずく土偶は「イタボガキ」をかたどったフィギアで、縄文ビーナスは「トチノミ」の精霊の妊婦像だとし、結髪土偶は「イネ」の精霊像で、刺突文土偶は「ヒエ」をかたどったフィギアで、遮光器土偶は「サトイモ」の精霊像だという。

日本という国家の「大嘗祭」は天皇の即位儀礼と収穫儀礼の新嘗祭が融合したもので、「植物を成長させる精霊」という観念と「それを祭祀する儀礼」という「植物霊祭祀」の慣習と心性が古くからあって、縄文時代の「土偶」は、そういう「植物霊祭祀」の痕跡なのだという。なるほどな。とおもう。2021年4月初版。

それに対して「土偶を読むを読む」は、考古学の専門家からほとんど評価されていない「土偶を読む」を、さまざまな角度からその理由を明らかにした、縄文時代をテーマにした雑誌『縄文ZINE』の編集長を務める望月さんと研究者・専門家9名の著書で、土偶は植物の精霊をかたどったフィギアーであると、単純に信じないで欲しい…竹倉氏の自由な「発想」は批判されるものではないが、「検証」があまりに杜撰で、本書を読んでなぜ学問として認められないかを考えてもらえたら嬉しい。というような内容。へぇーそうなのか…..。2023年4月初版。

今まで土偶に感じてきた、なんとなくの「祈り」みたいな感覚が「土偶を読む」を読んだ後は、それは「食物」に対する感謝や祈りなのか…..とターゲットが絞られた感覚になるし「土偶を読むを読む」は、そういう感覚に陥る「認知バイアス」に警鐘を鳴らしている。さて、これからどんな議論になっていくのか、楽しみだな…。

「録音芸術のリズム&グルーブ」の表紙の写真は、ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオの写真で、建築家フランク・ロイド・ライトの弟子の建築家が設計した、天井高11mもある木造の垂木で板張り天井が印象的なスタジオ。壁は5面あるらしい。いつかこのブログのどこかにエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーのことを書いたのだけれど、2021年4月初版で、こんな本が出ていたことをSNSで知って、買ったばかり。「RVG」という刻印があるレコードや、「Rudy Van Gelder Edition」と書いてあるCDとかには、好きな名盤がいっぱい。独特の音の雰囲気があって、そういうスタジオは、居心地も良いのでは…なんていうのが建築的興味。関連するいろいろな音楽聴きながら、たまにこの本を開いて、あちらこちらランダムに読むのだとおもう。

ま、そんなこんなの10月の連休なのだ。