「商店街のモデル」
8月19日付けの産経新聞に、木村工務店で施工を担当した、心斎橋筋商店街に建つ木造建築の記事が掲載された。記事にあるように商店街は防火の基準が厳しく、木造を建築するには、とってもハードルが高い。最終的には「燃えしろ設計と100㎡以下の2階建て」という法規を守ることで、商店街から硝子越しに木組みが見える木造商店建築になった。
木造部分と基礎コンクリート部分を繋ぐための金物以外は、在来工法によるフツウの金物しか使用せず、大工の手加工による「木組み」を目指したのは、商店街のど真ん中で、狭小間口の木造建築を、足場なしで建て方するためには、金物工法による大断面木造より、部材は小さいが木と木でしっかり組み合わすことができる在来木造の方が、木村工務店の大工にとっては、伝統的に慣れ親しんでいたからで。それにもまして現代的な木造建築の「棟梁」は、いわゆる大工さんでなく、「木造の構造設計者」であるとおもう。今回は下山設計室の下山さんが、建て方まで考慮した木造の構造設計を請けてくれたお陰で、成立した、商店街の木造建築だった。
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林野庁のホームページにこんな図があって、工務店という「木」を使う立ち位置にいると「木を見て森を見ず」なんていうコトバがあるように、若い頃は山登りや沢登りなど森と川での遊びやアクティビティを通じて「森」に親しんだが「木」のことなど全く何も知らず、材木屋さんや大工さんや木造建築を通じて「木」のことを学んだ。
ある日。「木は森から採れる」なんていうコトバに出会うと、日本の森のほとんどは、植林された森であることを知り、森が人の手によって育てられていたことなど、全く理解していなかったことに気付く。森で育てられた木が、伐採され、製材されて木材になり、その木材を材木屋さんが工務店の加工場に運んで、大工さんが手加工し、木造住宅になって、住まい手が、森と繋がって暮らしていた。そういう「循環」が面白いコトに思えたのは、ここ30年ほどのコトだ。
心斎橋商店街をブラブラ歩きウロチョロするのは、今から40年以上前に20歳前後だった大阪の若者にとっては、オシャレな楽しみのひとつでありデートの場所でもあった。憧れの老舗もたくさんあった。それがバブルの崩壊とともにパチンコ屋さんやドラッグストアーなどが増え、どんどんフツウの商店街になって、歩かなくなった。「お洒落な商店街だとおもっていた心斎橋商店街が復活して欲しい」それが同い年でもある施主の岩橋さんと共感した想いであり、そのための現代的キーワードが「循環型社会」と「木組」だった。
夏休み休暇に、カヌーを漕ぎ、急勾配の山道を歩き、辿り着いた、西表島のピナイサーラの滝の滝口から眺めると、森があり、川があり、干潟があり、珊瑚礁の海がある美しい光景に出会う。川によって、森の栄養分が運ばれ、干潟の多様な生物を育て、珊瑚礁を育て、魚を育む。そんな光景でもあるとおもう。いまや手付かずの自然に出会える場所は少ない。あらためて森と川と海の原初的な循環を垣間見たおもい。で、冒頭の「商店街のモデル」というのは、「都市が人の関与によってバランスのとれた森を育むことができるのか」なんていう意味合いもあるとおもう。
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