戦いと配慮と空撮の文化
ツール・ド・フランス第20ステージを視聴していると、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂の空撮が写った。おもわず「うわーっ」と小声が漏れた。解説者は緊張感が連続するこの日のレースの話で盛りあがっていたが、あの白い礼拝堂の右横の芝生のマウンドから眺めたロンシャンの教会(下の写真)と、その海外研修旅行の想い出が猛烈なスピードでフラッシュバックした。
そのロンシャンの教会の映像より、空撮をこの角度から眺めると、レンゾ・ピアノが設計した受付と聖クララ修道院が風景に溶け込んで、あらためて素晴らしいとおもった。この上の写真の左手マウンドのさらに下方に、ほとんど丘に埋まったコンクリート建築があり、空撮映像ではファサードのガラスが望めるだけなのだが、コルビジェの建築をリスペクトし、このランドスケープに配慮した奥ゆかしさが、きっとエエのだな。同じレンゾ・ピアノのパリのポンピドーセンターは街並に際立った建築で、これと真逆だが、違う配慮を感じて好きだな。レンゾ・ピアノ設計の関西国際空港は飛行機の機内からエアポートを眺めた時、なるほどなとおもえた。
↓(レンゾ・ピアノ牛深ハイヤ大橋と内藤廣うしぶか海彩館)
天草に旅した時に見た、レンゾ・ピアノデザインによる牛深ハイヤ大橋は、橋桁の下部が曲面で覆われて、それが太陽の光と海から照り返す光で独特の輝きを放って、海上に一種独特の景観を作っていたのが、とっても印象的だった。それとその橋に絡むように作られた内藤廣のうしぶか海彩館が、このランドスケープとレンゾピアノに配慮する建築的苦悩のようなものを感じて面白くおもえた。
あのロンシャン礼拝堂の空撮映像が、さらーっと流れたあと、ツール・ド・フランスの緊張感のあるレースを眺めながら、ル・コルビジェとレンゾ・ピアノの建築で、実際この目で見たこんな映像やあんな映像がフラッシュバックしていたが、今年のツールは、連日のように繰り広げられるヴィンゲゴーとポガチャルという二人の若い青年の一騎打ちが面白く、「どうする家康」を視聴したあとにこのブログを書くと、侍の世界のメンタリーと配慮と戦いに似ているようにおもえてくる。このレースで引退をするフランス人のピノーが、力を振り絞りトップでヒルクライムする最後の雄姿に、とっても多くのファンが応援する胸熱くなる映像があって、その場面を作ることに配慮する選手達がいて、その場面が終わると、ピノーを抜き去り、最後は若い二人の一騎打ちが展開されゴールが争われるという、戦国時代の侍の配慮と決戦のように感じながら眺めた。
日本語解説のライブ放送で、毎回登場する日本人女性ライターの現地レポートがあって、そのなかに前日のフランスのレキップ紙の記事を紹介するくだりがある。その文章がちょっと過激で文学的な表現でオモシロイなとおもっていたら、そういう記事を書くことがフランスの「自転車文化」なのだと語っていた。赤穂浪士の敵討ちをとうとうと語る講談師のような感じなのか。そんな「戦いと配慮と空撮の文化」を楽しめたツール・ド・フランスの3週間だった。というか、これから、最終日のパリ・シャンゼリゼのラストランが始まる…….。