ブリコラージュ
うちの会社の駐車場の道路を挟んだ前に、大林縫製さんという会社があって、その工場を見学する。私が幼稚園の時、いやきっと小学生の時だとおもう。通称、長細公園という水路を公園にしたところがあって、そこに接しているその大林縫製さんの工場の窓が開いていると、その窓の面格子の向に、いろいろな色の糸巻きがクルクル回っている光景があって、それが面白く、背伸びをして窓から覗いたものだった。その窓が写真の左の面格子付き窓で、50年以上たって、その内部を見学する機会に遭遇し、もはや糸巻きは回っていなかったけれど、窓の向こうに小学生の頃のワタシの姿を見たような気がした。
「ものづくりセッション」という3ヶ月に1回ほど開催される会合が土曜日の夕刻にあって、うちの加工場に、行政のタケダさんチョイスの方々が集まってくるのだけれど、今回のプレゼンテーターが、その大林縫製のオオバヤシさんだった。85年続く、もはや数少ない日本の縫製工場だそうで、等身大のハートフルな語りによって、その変遷を拝聴する。縫製工場として存続するために、その時代背景に即した、さまざまなチャレンジが繰り返えされてきた、その苦労を、参加者皆で共感し、組織が持続するためには、その時代に応じたなんらかの新しいチャレンジを続けて、変化していく必要があるのだ!とあらためて気付かされた。
そのあとが、ワタシ。「ものづくり」としての「マイルス」。というのをプレゼンすることになって、音楽をかけながら、長々と時間を使って資料の半分ほどを語ったのだけれど、ほとんどがジャズにもマイルスにも興味のない方々に、その時代背景に応じて、変化しながら、新しい音楽を創り続けたその姿を、マネージメントとブランディングとマーケティングとイノベーションというコトバを使って「ものづくり」の視点から「ワタシ感覚」を伝えてみたのだけれど、たぶん空回りしていたような気がする…..。ま、そのあと、加工BARで、皆で楽しく食べて飲んで、気分転換してもらえたのが、なによりもの救いだった。
日曜日。前日のワタシのプレゼンと懇親会の余韻を洗い流すために、朝風呂にいった。夕方、なぜか頭の中で、マイルスの音が鳴り出したので、「アガルタ」を聴くことにする。高校生の時に初めて買ったマイルスのレコードで、発売して1年ぐらいなので同時代性があったし、なによりもジャケットのカッコ良さに惹かれた。まったく音楽は理解出来なかったが、サビのマイルスの吹くメロディーだけはずっと記憶に残り続けた。そのメロディーがなぜか頭の中で鳴りだしたのだ。
20歳すぎて、オーソドックスなジャズを聴くようになって、アガルタは、ほとんど聴かなくなったが、CDになってから、ごくごくたまに聴くようになり、Apple Musicで聴けるようになってからの、ここ数年のほうが、よく聴く。レコード2枚組のA面B面に針を落とす作業より、一気に途切れる事無く連続的に1時間30分ほど聴けるのがエエし、現代的メディテーションのようなものだと感じる。まずカタルシスから入る空間性のあるメディテーティブな現代音楽として、より「今性」があるようにおもう。
そんなことより、このジャケットの製作者が横尾忠則で、はじめて「ブリコラージュ」という手法を知るきっかけだった。ワタシの記憶の片隅にこのジャケットのイメージが定着している。建築をやるようになって、26歳の結婚をきっかけに、自邸として空き家をリフォームさせてもらえる機会に恵まれ、その15年後に、その自邸と長屋を繋げてリフォームすることになった。学生の頃に知った、建築家フランク・O・ゲーリーの自邸が、ブリコラージュのような住宅で、建築でもブリコラージュをしてもエエのだと教えられたし、それとこのジャケットと音楽のブリコラージュ的世界感のようなイメージが重なって、その長屋をブリコラージュ的なリフォームをして住む事になった。いま、長男家族が、その家を、それなりに気にいって住んでくれているのが嬉しい。
↑ 木村家本舗というイベントをその自邸で開いた2010年の時の写真。