「まちづくり」と「ものづくり」

朝から雨降る日曜日。先週に引き続きスキーに行こうとおもっていたが、ほとんどのスキー場が雨予報だったので、やめた。長男とうちの社員の何人かはこの雨を気にせずスキーに出かけたらしい。確かに、雨で、アウトドアーの予定をとりやめるというのは、面白味に欠ける行為だなとおもうし、若い時は、台風でも、どんな天候であっても出掛けたものだが、歳を盾に言い訳に使っている歳なワタシを静かに見守り続けるいまのワタシ。みたいな構図になってしまった雨の日曜日。

毎月19日は生野の日で、今日は空き家カフェを開催する19日の日曜日。で、スキーに行くのが、空き家カフェに参加することになった。開催場所が決まっていない時は、木村工務店の3階会議室で行うのが通例で、本日は顔見知りのメンバー7人で、珈琲を飲みながら、あれやこれやと語り合っていると、2時間なんてあっという間に経過した。空き家カフェで、ここ数年間、司会を担当しているのだけれど、スキーを盾に、本日の司会担当を替わってもらおうという企ては未遂に終わってしまった。というか、そろそろ、いろいろな方々に司会と開催場所を持ち回ってもらうことが、空き家カフェ開催の持続性に繋がるような気がしてきているワタシ。

それはそれとして「空き家カフェ」というのは、空き家をキーワードにしながら、この町の歴史や情報などを物語るサロンのような場で、空き家問題の解決に至る前の情報収集と問題の整理整頓を手助けするカフェのように気軽な場だとおもう。ひとりひとりの住民が、ある場所に住むという行為が、その場所の街づくりを応援し参加し貢献するという意識を持ち育む必要性を感じてきて、そのためのサロンになってきているようにおもう。

その前日の夕方は「ものづくりセッション」が開催された土曜日だった。行政マンのダケダさんの、個人的に繋がりの強い人が招待されて「ものづくり」について語り合う場で、ワタシは場所の提供と司会進行を担当し、タケダさんとワタシが両輪となって「リズムセクション」として機能しながら、プレゼンターとコメンテーターと参加者が、「ものづくり」に関する想いや悩みや共感や違和感や事例を、なるべく自由な雰囲気で演奏するかのように、ある一定のリズムを刻もうとしている。

建築を生業とするワタシにとって、どんな椅子やどんなテーブルで、会場をセッティングすると、自由度のある良い雰囲気のコミュニケーションになるのか。という環境デザインは、大いに興味があるところで、大テーブルと椅子。会議室的テーブルと椅子。などなどいろいろ試してみたが、椅子の前にテーブルがあると、なんとなくその人の気持ちのオープンハート性が制御され、視聴者的意識が増すようにおもえて、ある時から、テーブルがなしで、椅子だけのセッティングに変更した。確かに、テーブルが無く椅子だけだと、会場での参加意識は高まるようにおもえて良かったが、資料が置けて学べる場、メモが取れ、パソコン等で検索できる場、珈琲を飲みながらリラックスできる場、などなどコミュニケーションの質を高めるための小さな机の必要性を感じるようになった。

椅子に付属する小さなテーブルを大工さんか家具屋さんに作ってもらおうとおもったが、収納性とコストを考慮すると、エエデザインが想像できなかった。そうこうしているうちにコロナ禍になり、リアルに人が集うコトよりオンラインで人が集える道具というか機器に予算を使うようになってしまい、椅子とテーブルなんて、どぉーでもよくなった。

で、コロナ明けが近づいてきたいま。やっぱり、リアルに人が集い、オープンハートに語り合い、資料と飲み物を置ける、そんなテーブル付き椅子が、コミュニケーションの質を高める道具のようにおもえてきて、ネットで探し購入しようという決断に至る。そのきっかけになったのが、先週に開催した木村工務店の初午祭で、社員と協力会社のコミュニケーションの円滑化とその質を助けるための道具としての机付き椅子だった。そしてそれを「ものづくりセッション」で流用することにした。

「まちづくり」と「ものづくり」の質を高めるためには、そのコミュニケーションの質を高めることが大切なコト。と感じた週末だった。