自然と人間の関係性

「まちのえんがわ」で「カレーと珈琲とケーキと古本」を販売した日曜日。来年の3月からそういうお店として定期的にオープンしながら、町の縁側としてのコミュニケーションを誘発し、新たな繋がりが生まれることを願って準備段階の営業をやってみた。穏やかな気温だったので、顔見知りの方々や初めての方々と外で食事をし珈琲飲んでコミュニケーションをするのは楽しいことだなとあらためておもう。

そうそう加工場で「ものづくりセッション」が開催された土曜日。毎回、行政のタケダさんと共に司会進行のお手伝いをしているのだけれど、今回はワタシも発表者としてエントリーすることになった。↓タケダさんから拝借した写真。

自然と人間の関係性をデザインすることをランドスケープデザインというらしい。ランドスケープというコトバが景観や眺望や風景という漢字よりなんとなくカッコエエ響きに感じるのだけれど、そんなことよりワタシはどんなふうに「自然」と「人間」の「関係性」を体験し考えてきたのかと軽やかに自問自答してみることにし、それをプレゼンすることにした。理想的にはそういう経験や想像力をデザインにまで落とし込めるのがエエのだろうがそれはなかなかムツカシイコト。

前々回のブログに書いた京セラ美術館前の広場に行くとパリのポンピドーセンター前の広場での身体的感覚とその時一緒に同行した方々との共有体験としての想い出が蘇って楽しかったなぁと想い出に浸る。それと同時にイタリアのシエナのカンポ広場に世界各国の多くの観光客と一緒に長男と二人で何の目的もなくただただ座わった日のコトと、照りつける太陽の光とが一緒に蘇った。それらの3つの広場は入り口に向かってゆるやかに傾斜するデザインになっていた。この3つには緑はないけれど、建築に囲まれたオープンスペースという場を媒介にして、太陽光や風や匂いなどの自然と人間の五感や記憶やコミュニケーションなどの何かに働きかける魅力があって、自然と人間の関係性と、そういうことを如何にデザインするのかを考えさせられた…..。

なんていう話をしたが、40人ほどのうち建築関係の人はほとんどいないので、先週のブログに登場した石井修さんの一連の建築などは、まさに自然と人間の関係性をデザインする建築なのだろうが、そんな体験を語ることはなかった。それより今年の夏旅で縄文ランドスケープでの体験を通じて、オープンスペースや通路を共有するキャンプ的な感覚は、これからの家づくりとまち並に必要とされるのか、どんなことを共有するのがエエのか問いかけてみることにした。キャンプを通じてテントで体験する気密と断熱の話とか。サウナの水風呂を通じて人の体表面にできる衣を境膜というらしくそこに水流が加わると境膜は破壊され急激に冷たく感じるそんな温熱環境的な体験とか。ウチとソトがつながる縁側的な場所の話とか。そういう自然と人間の関係性による体験をプレゼンすることにした。

木村家の85年ほどにわたる持続的に時間軸を重ねたリフォームによって生み出されたオープンスペースとしての庭。そのスペースをシエアーし皆で共有しようとした2010年から5年間にわたる木村家本舗という試みは、あるいみ自然と人間の関係性を考えてみるイベントでもあったようにおもうし、それが「まちのえんがわ」オープンにつながったわけで、その「まちのえんがわ」を通じて行政との関係性ができ「ものづくりセッション」の開催にも繋がって、それゆえに木村家と木村工務店の変遷をプレゼンする機会にもなった。

サッカーワールドカップを通じて、「組織的なプレス」に共感するところがあって、組織的に相手選手に「まとわりつく」ことによって相手を動きにくくする姿をみて、なぜかふとビックス粒子の「まとわりつく」という話を思い出した。動きにくさが物質に質量・重さを与えているという話しに、へぇーと感じた日のことが蘇ってくるとともに「まとわりつくもの」があり、それと共に歩むがゆえに、重さがあるがゆえに、「生きる」という感覚もあるのだなぁ。とおもえる歳を重ねてきたようにもおもうし、そういうものから「軽やか」になりたい気分の時や軽やかになる必要性に迫られる時もあって、そういう時に「自然」が解毒剤のようになりワタシに「まとわりつく何か」から軽やかにしてくれていたようにおもえた。

ワタシに「まとわりついている何か」を軽やかに考えて、ワタシのつぶやきのようなそのプレゼンに耳を傾けてくれた「ものづくりセッション」参加者の方々に Thanks!