旅のルート。
夏旅でこんなルートを巡った。
夏休み休暇2ヶ月ほど前。奥方が新潟の三条にあるスノーピークが空いてたから押さえておいたよぉ!という。二人でキャンプをするのかとおもっていたら宿で寝て宿で食事し新しくできたサウナに入るのだという。ここ最近は奥方の方がすっかりサウナ通だ。息子達が高校生になるまでの夏休み休暇は、ほとんど宿泊はキャンプで、最後の一泊だけそこそこの宿をとるというのがひとつのパターンだったが、35年ぶりに夫婦二人だけの夏休みを過ごすことになって、正直、戸惑っているのはワタシだった。
4年前のGW。新潟から信濃川を遡り、火炎土器を巡る旅をしたが、その時は軽井沢で息子家族と合流し、大阪に戻った。20年前のキャンピングカーに乗っていた時は、新潟を通過し山形県の酒田まで北陸道を一気に走って宿泊し、青森の亀ヶ岡や三内丸山など巡って折り返し、乳糖温泉などに入りながら、当時東京で下宿していた息子宅でギュウギュウ詰めで寝て、大阪に辿り着いた。さて大阪からせっかく新潟まで行って、そのまま大阪方面に戻るのか、東北まで目指すのか、あれやこれやと迷ってみた。
ここ数年の1週間ほどの旅は、Google地図によるルートのシュミレーションとナビゲーションができること。インターネットにより宿の予約が取れること。その二つの恩恵にあずかることでワタシの旅が成立しているとおもう。
2015年の息子と二人のイタリア旅行では、iPhoneでGoogle地図を見ながらレンタカーで移動し、前日に次の日の宿をインターネット予約することで、ミラノからベネチア、フィレンツェ、ナポリ、ローマと建築巡礼できたが、それはまったく息子のパワーのお陰だった。夫婦二人でそんな感覚で日本を旅するのもエエが、アクシデントで大喧嘩に発展する可能性も大いにあって、歳も歳なので、まずはGoogle地図上でシュミュレーションをすることにした。
秋田から八戸のルート上に世界遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石、御所野遺跡、是川遺跡があって、この縄文街道ルートは土器以上に土偶と縄文ランドスケープを体験できる楽しみがある。八戸のまちを歩いてみたい衝動もあったので、移動距離は270kmほど、見学の時間を含んでも一日の旅程としてはほどよい感じだった。
これをメインルートとすると、さてどうやって大阪まで戻るのかに悩む。青森から大阪まで自走するのもたしかに車旅の達成感はあるが、奥方が喜ぶ姿をどうにも想像できなかった。そうそう青森から北海道に渡り苫小牧からフェリーで敦賀に行って大阪に戻るパターンがあることに気付く。お互い函館に行ったことがないので観光気分を満喫できそう。津軽海峡を渡る青森から函館は4時間ほどかかるらしいが、大間から函館は90分ほどだと知ると、脳裏には大間のマグロ丼がちらついて、大間 → 函館、苫小牧 → 敦賀のフェリーの予約状況をインターネットで確認し、その空き日の組み合わせから宿泊地と日程が決まった。
一日目は大阪から580km走行で新潟泊。二日目は新潟から秋田泊の移動は330km。三日目は秋田から八戸泊の270km。四日目は八戸から大間まで走って函館へのフェリーに乗船し北海道へ渡り函館泊の170km走行。五日目は函館から洞爺湖泊の220km。六日目は洞爺湖から苫小牧港への150km走行でフェリー宿泊。7日目の20時30分に敦賀港に到着し175kmの走行で大阪に帰り着く。総距離約1900kmの車旅。最終日として函館から白老町のウポポイに立ち寄って一気に苫小牧港まで行き日程を一日短縮しようとしたが、フェリーの空き状況でこんな旅程になった。
ちなみに旅の宿は奥方が全てネット予約したが、どんな建築でどんな内装の宿か、どんなお風呂でサウナがあるのかないのか、どんな夕食でどんな朝食か、奥方の好みとその日の予算で決まった。それなりのホテルもあり、シティーホテルやフェリーの部屋など、なぜかいわゆる温泉と温泉宿が選択肢に入らなかったが、フェリーの中にもサウナがあって、7日間のうちまる1日以外毎日のようにサウナに入った。
今回の旅の衝動を振り返ってみると、企業活動の興味としてスノーピークの本社とキャンプ場を見てみたかった。燕三条のカトラリーショップを巡ってみたい。秋田のまちを歩いてみたい。八戸の夜のまちを歩きカオスな朝市を体験したい。函館のまちを歩いてあの夜景をみたい。北海道・北東北縄文遺跡群の特に縄文土偶と縄文ランドスケープを実際に見て体験してみたい。アイヌのウポポイの建築とランドスケープを見学したい。大間岬と津軽海峡と大間マグロ丼へのほんのりとした憧憬。フツウの車でホテルを転々と旅をしまちを歩いてその土地の美味しいものを食べてみたい。そんなこんなの気分だったが、でもなんとなく「建築的なるものの何か」が旅の潜在的な興味だったようにおもう。
この夏のとっても不順な天候に翻弄されながらの車旅になったが、それぞれの「土地と建築と食べもの」の印象については、またいつか。