会社として新たな一歩

4月2日は会社の創立記念日で、1949年昭和24年が法人として創立した日だという。いまおもえば、なぜその日が4月1日でなかったのか、祖父や親父から聞いておけば良かったと思う。敢えてちょっと「外す」というところが木村工務店の伝統的な体質のなかにあって、それがこの4月2日というチョイスに表現されているような気がしてきた。工務店としての創業は1937年昭和12年8月で今年で86年。

で、この4月2日前後に社員とともに職人さんを交えて、前社長の親父が植えた枝垂れ桜の下で、焼肉花見の宴をするのが伝統的な行事だが、今年もコロナ禍の規制に従って焼肉宴は中止した。ただ庭にテーブルとベンチを設置して社員がそれぞれの昼食を桜と共にし、夜は食事は止めて軽くビールを飲んで早々に解散することになった。派手でこぼれ落ちるような桜が4月1日的だとすると、うちの枝垂れ桜は4月2日的なしっとりとした2番手的桜だが、これで良しとして皆で愛しんでいる。

多くの社員が早々に解散したものの、酒好きの数名が残ってアウトドアー薪ストーブを囲んみながら、あーだこーだと話題がつきなかった。こういう素直に終わらない宴も、木村工務店を退職した歴代の社員の皆から引き継いでしまった伝統のようなものだが、感染者数のリバウンドが始まりつつあるなか、換気がある場所でのマスク会食なら良しとされるのかどうかと気遣いながらだった。もはや宴会は時代遅れのイベントになってきたが、オンラインだけでは生まれないちょっと深いつながりが発生するような気がするのだが、それもこれも幻想なのかもしれないと疑って確かめてみる時代でもある。

そうそう先週のブログに登場した東京の神田川沿いの桜を見るコトになったのは、宿泊したホテルの近くに丹下健三さんの東京カテドラル聖マリア大聖堂があって、朝の散歩がてらひとりでその建築を見学した時に通過したのが神田川だった。HPシェル構造を実際に目にするのは初体験。見慣れてきた安藤さんの仕上げの美しいコンクリート打ち放しとは違う、荒々しいコンクリート打ち放しがシェル構造としての独特の曲線美を持つ壁となり、その表情のある壁に天窓から柔らかな光りが降り注ぎ、静謐な気分にさせられた。唯一無二の建築のひとつだなと体験してあらためておもう。

それより意外だったのがアプローチ。広場から直接入る西洋的な教会でなく、まず教会の横のシルエットを視覚してから、その建物に沿って歩き、オベリスクのような鐘塔を通過して、奥にルルドが視覚化され、それを拝んでからぐるっと反転して教会の正面と対峙し、階段を登りながらその正面入り口から入る感じは、日本的のようだし、コルビジェのロンシャンの教会も階段こそないがそんな感じのアプローチだったし、ランドスケープ全体が良く出来ているのだと気付かされた。

唯一無二というのは大げさな表現だが、社員、職人、協力会社による、ものづくりのチームで、エエ建築が造れる小さな工務店として存在できるように、新たな一歩を踏み出したいとおもう。