「卒業式」

Tokyoに行く。久しぶり。やっぱり大都会だな。

卒業式に出席するのだと奥方が申すのだが、もうとっくに大人になっている大学院生の次男の卒業式に父として出席するのはとっても照れがあって、任しておくわっ!と言い放ったところ、長男の時から一度も大学に行ってないし、このチャンスを逃したら、一生子供の通った学校を見ることないよねぇ!という。

長男も次男も偶然同じ大学に通うことになった。ちなみに長男貴徳は今、木村工務店の専務として工務店の仕事を一緒に携わっているが、この際少し経歴を紹介しておくと、高校を卒業し、私立W大学の文学部に通うことになったものの、いつ卒業するのか、大学が好きなのか、嫌いなのか、親としては学費を他の人より1.5倍ほどの期間払い続けていることに、えー加減にせぇやぁという言葉が噴出する、その直前に、大学に付属している建築の専門学校に通うわ!と言い出した。そぉか!それはエエなぁ!と、Wスクールというなんか語感がとっても良い言葉の口車に乗っかることになってしまった。なので、「入学」「卒業」というのがとっても曖昧な感覚だったので、長男が通う学校を見に行くことが一度もなかった。

次男は国立志向だったが、なんの因果か長男と同じW大学の建築学科に通うことになった。フツウに大学生活を送り、卒業し、同じ大学の都市計画系の大学院研究室に行くことになったが、その期間がコロナの期間ときっちり重なった。大学の卒業式も大学院の入学式もなくなって、やっぱり「入学」「卒業」というのが観念的で、劇場的ではなかった。で、入学から2年後のこの春もコロナの影響で親が出席できる卒業式はないかもしれないが、その日は私も奥方に連れられてTokyoに宿泊する予定になった。

案の定、コロナで親は式典に出席はできなくなったが、それでも奥方は絶対に行くっと強く言い張って、その勢いに乗っかるかたちで私も東京に宿泊することになった。卒業を喜ぶ袴姿の華やかな女子たちとスーツ姿のシュッとした男子たちが、溢れるように大隈講堂前の広場でスマホによる記念撮影をする姿が現代的でその歓喜の姿にぐぅっとくる雰囲気があった。次男が学校を案内してくれた。一緒に歩きながら奥方がボソっと、この柱一本分ぐらいの学費を長男分と次男分で払ったわっ!と大阪訛りで呟やいたのが印象的だった。その大隈講堂を背景にして、次男を挟んで私と奥方の記念写真を次男の同級生が撮影してくれて、ひとつの劇場的な卒業式として、親子の記憶に残ることになった。

卒業式当日土曜日の夜は、ブバイガワラという駅に降りたち、ハッスルという洋食屋で、建築家の秋山東一さんと木製サッシュ製造販売のアイランドプロファイルの石原社長さんと3人で飲むことになった。卒業式当日の夜は息子は友達と祝うという、ま、至極当たり前のことなので、その前日にジビエのフレンチを親子3人で食べた。なので昼からはフリーになった。奥方は、福島県に里帰りしていた長男嫁と孫たちと東京で待ち合わせをして食事をするわっと楽しそうだった。分倍河原と漢字で書くらしく濁点続きの不思議な発音の駅で待ち合わせしているっと皆に話すと、えっそんな都心から離れたレアーな駅まで行くのぉ!と不思議がられたが、建築の話やロシアウクライナの話で楽しい時間になった。帰りはグーグル地図のおかげでなんとか電車を乗り継いで、宿泊した銀座の無印ホテルにたどり着いたが、酔いで何度が寝過ごしそうになった。

今年はTokyoで満開の桜を見ることができた。学生を卒業する喜びと寂しさと社会人になる不安が入り混じった歓声がこだまする広場を体験できたのもよかったが、それは桜の雰囲気と見事にマッチすると改めて感じる週末になった。