人流抑制と人数制限

コロナ、オミクロン株の猛威の影響が、あちらこちらで出てきて、家庭内の家族が発症すると、濃厚接触者になり、まずは自宅待機になるので、出勤できなくなったり、現場の作業に行けなくなったり、そんなのが現実的に発生している。「人流抑制より人数制限」らしいが、わかるようなわからないようないまいちピンとこず。「検査せず症状のみで診断する」とかは、もはや普通の風邪とちゃうのぉ!みたいな気分になる。いつ発症してもおかしくない状況がワタシの周辺にもあることは確かだ。家庭内でもマスクするのか。

なので、1月第三土曜日恒例の「お餅つき」は、お施っさんを含めたお客さんが大人数集まる楽しいイベントなのだが、流石に今年も開催しようとする気になれない。毎年2月初旬に実施していた、協力業者の職人さんが大人数集まって、会社の方針や現場での心構えなどを伝え、皆で飲んだり食べたりしつつ、コミュニケーションがスムーズにいく関係性をつくりながら、商売繁盛と安全祈願祭を願う「初午祭」もその「人数制限」にひっかかるイベントなので開催を中止にしようとおもう。

そういえば、1月10日前後の商売繁盛を願う「戎っさん」は、会社から歩いていける布施の戎っさんでお参りするのが毎年の事で、整然と一列に並びながらの参拝になって、鐘や太鼓のリズムに乗っかって、押し合いへし合いしながら押しくらまんじゅう的に活気をもらう楽しみは、遠い過去の出来事のような気がしてきた。そうそう、うちの奥方が「戎っさん」の鳥居、金色に塗られてたでぇ!なんか凄いわ。って言ってたので、どんな塗装になったのか楽しみにしていたら、銅板で鳥居が巻かれていた。金ちゃうで、銅やでぇ!と突っ込んでおいたが、笠木だけを銅板で巻くのはありそうだが、柱から鳥居全部を銅板で巻くのは、ちょっと下品のような気もするが、なんか大阪人的で、商売繁盛しそうな鳥居の感じもして、まっエエとしょ。みたいな感覚。

蛇足ながら、10日の日曜日の夕方は、ぎゅっと人が密集して参拝するスタイルから整然と一列に並ぶスタイルになったので、布施の商店街の中に長蛇の列があって、皆さんの根気強く整然と列をなしながら参拝する姿にため息がもれて、ちょっと躊躇して、それで商店街で人気のお寿司屋さんに並ぶことにした。翌日11日の朝のガラガラで空いている時に参拝したが、その直後、唐突に、寿司屋さんに並ぶより、戎っさんの参拝に根気強く並んでいる人に商売繁盛の神さんがやってくるのかも。なんていう気分が心のなかをすっっとかすめていった。

今週、高野山の壇上伽藍のある敷地の道路を隔てた前で、人力車の車庫件ゲストハウスを施工している、その現場を見に行くと、薄らと雪で覆われた高野山全体が、独特のビシッとした空気感のある世界だった。この時期は通常、日本人の観光客がほとんど居ず外国人の観光客がパラパラいる程度らしいが、コロナ禍の人流抑制の影響で、全く観光客が居ない感じだった。人気がない静けさと雪のピリッとした雰囲気が、ワタシの気を引き締めてくれて、このまま一日散歩したい気分になった。

人流抑制され人数制限されて、整然としてビシっとした世界を味わえるのも心地良いが、人流溢れ人数無制限で混沌とした世界が懐かしいなぁ。