年頭所感と雪の関係性
木村工務店の初出は1月6日で、毎年、施工もさせて頂いている地元の氏神さまの清見原神社に参拝するのが慣わしで、社員だけでなく職人さんや協力会社の精親会のメンバーも参加し、拝礼と御神酒を頂戴する。その後、新年会をするのが伝統のようなものだったが、流石にコロナ禍なので、昨年と今年は中止することになった。
その新年会の席で、社長が年頭所感を話すのが伝統でもあって、私も社長を引き継いでから年頭所感を話すようになったが、2年も続くこのコロナ禍を経験することで、新年会という宴会よりも、社員と職人さんと協力会社の皆が一堂に会し、新年の賀詞交換をすることに意義があり、その会場で昨年の木村工務店に対するご協力への感謝の意を伝え今年の抱負を語ることに目的意識があるのだと、再認識させられたりして、そんなこんなで、神社参拝のあとは、木村工務店の加工場に集合し、精親会会長の材木屋さんの岡房商店の岡本会長と木村工務店社長の私が年頭所感を述べて、小一時間の賀詞交換会を終えた。
その年頭所感に何の話をするのかに、案外悩むのだ。年末に送付されてくる新建ハウジングという工務店の専門誌の「住宅産業大予測」というのが、ネタ元になることが大いにあるので、12月29日、30日、31日の三日間で読むのだけれど、年末のバタバタの合間なので、脳内への定着率が極めて低い。
今回の本の中で、ワタシ的に参考になったコトバが「社会関係資本」だった。「企業の受注の3割は社会関係資本=つながりからもたらされている」と書いてあって、人と人との関係、つながり、関係性、信用、信頼などを社会関係資本というらしい。ということは「まちのえんがわ」は「縁をつなぐ場」としての「社会関係資本」にあたるのだろう。本には「地元のいろんな場に出て行ってつながりをつくり貯金をしておく」なんていうコトバが書いてあったが、それぞれの地域にある会合は、そんな感覚なのだろうが、「まちのえんがわ」は貯金されない流動的な社会関係資本としての人と人の縁をつなぐ縁側であるようにおもった。
その年頭所感を考えるにあたって、1月1日、2日は、正月行事でバタバタし、年頭所感のプレッシャーが微妙に脳裏にはあるものの考える気力もなく過ぎていくし、お正月も3日目になると体を動かしたい衝動を抑えきれなくなり、スキーに行くコトが多い。そういえばかつて1月5日のゴルフコンペは木村工務店の伝統行事であり、祖父と親父がその段取りをし、4組ほどのコンペとして、会社関係を中心に地元地域の人など、つながりのある人が参加していた。それこそある種の社会関係資本だったのだろうが、私の代になってから、これは引き継がなくなり、ひとつの社会関係資本を失ったのかもしれない。
今まで思い起こせば、年頭所感は、ほとんどスキーで宿泊するホテルでの朝に考えていたのではないかとおもう。リフト待ちやリフトに乗っている時にふっと内容がよぎり思考する時もあるのだ。きっとワタシにとっては白い雪の世界が、脳内を真っ白にすると同時に、新鮮なコトバが湧いてくる瞬間でもあるのだとおもう。
そうそう今年は長男家族と合流し孫と一緒に滑れたのが、ちょっと嬉しかったのだ。