ちょっと送り火的気分。
冬が急速に迫っていると実感する晩秋。秋晴れなのにちょっと寒さを感じる朝だったので、布団の中に潜り込んでぐっすり寝てしまい、アウトドアーに出るタイミングを逃した。なので朝風呂朝サウナ朝コメダで過ごす。水風呂で体の周りに膜がはるような感覚を楽しむために高温のサウナに入っているようなものだが、塩サウナも好きで肌がスベスベになるのが嬉しい。サウナより低温でじわっと体温があがり肌の上に載っかっている塩が汗と共にじわっと滑り落ちていく感覚が好きだ。それに炭酸泉で体が気泡に包まれる感覚も好きだなぁ。
コメダでたっぷり珈琲と味噌カツサンドを好んで食べる。おっさん好みの喫茶店かとおもっていたら、最近お若いひとも多い。今日は、私たち夫婦の席の四方は若い人達ばかりで、ほとんど全員がipadかパソコンを持って寛いでいる姿がいかにも今風で印象的だった。そのうちのひとりの男子はipadにワイヤレスイヤホンでZOOM会議をしていた。自己紹介のところで、やたらに声が大きく、周りも聞き耳をたてるほどだったが、そのうち落ち着いたトーンになった。新聞を読む高齢者。雑誌を読むおばさん。あらゆる年代層を許容するところってエエよね。
今週、久しぶりに施工した「コトバノイエ」にお邪魔する。木村家本舗や「まちのえんがわ」ワークショップに参加してくれていた女性の訃報があって、その偲ぶ会のようなコトが身内で催されていた。本があるところ。本があるホーム。って少なくなってきたのでコトバノイエは稀少だとおもうし、オープンハウスでなくオープンホームっていうスタイルがカッコエエのだとおもう。そこに定期的に人が集まるのはカトウさん夫妻の持つカルチャーと人徳の由縁なのだろう。コトバノイエを設計した建築家のヤベさんやハヤシさんそれに建築家不動産のクヤマさんともお会いし、あれこれ近況を語り合う。家を出るタイミングを逃し夜な夜な車で訪問したので、帰りはへべれけに酔っ払っているヤベさんを送り、東京でNuiという有名なホステルを共同経営するオーナー女性を送る。そんな車の道中で一緒に交わす何気ない会話が心地良かったりする。
そういえば、知り合いの訃報が相次ぐここ二週間だった。そのお三方とも心筋梗塞のようなかたちであっという間に亡くなったらしい。そのうちのお二人は、建築家のハヤシさん設計で木村工務店で施工したノモトさんが、葬儀屋さんとして、適切な対応と葬儀を執り行ったときいた。こんな訃報な週に遭遇すると、ワタシとして、どんな「死」を迎えるかを考えてしまうが、そのためには「いま目覚めていまをリラックスしながら一生懸命生きる」なんていうどこかで聞いたことのある当たり前のコトバしか浮かばず具体的な行動など全く浮かんでこない週末だった。
そうそう生野区の「みんなの文化祭」が、廃校になった鶴橋中学校で開催されていた日曜日で、多くの知り合いが関わっているので、ちらっと激励に訪れる。高校や大学の文化祭的なノリの素朴なマルシェで、もう少しスタイリッシュなほうがワタシ好みだが、飲み食い買いもの以上に教室で催されている多種多様なワークショップに魅力を感じるイベントだった。生野区のこの地域は鶴橋中学校と御幸森小学校が廃校になり、大阪市内の限界集落的廃村的町内会なのだが、寂れているのかというと「コーリアンタウン」が全国から訪れる人がいて、不思議な活気に満ちあふれていたりする。
ただ、生野区は職住一体的零細企業的町で、次世代の仕事を担う若い子育て世代が住みたくなる住居のある街。になるように目を向けなかったコトで、小中学校が廃校になるイマの現状になってしまった。という分析を「空き家カフェ」の活動を通じて知って、確かにある大手ハウスメーカーの周辺分析には、1Kや2DKの賃貸住宅が多く、子育て世代が住む2LDK以上の賃貸が極端に少ない。という分析があるのにハウスメーカーには2LDKの商品がなく1DKを誘導するという矛盾で。若い子育て世代が住みたくなる街を目指すコトが、限界集落を乗り越える当たり前の共通概念かもしれない。と廃校でおこなわれていた「みんなの文化祭」を眺めながらおもった。
夜。アウトドアー薪ストーブの炎を眺めながら食事をしたが、今思えば、送り火的な気分もあったのだろうか。