化学変化

いまいち寒くならない穏やかな秋晴れの日曜日。「まちのえんがわ」珈琲ワークショップがあった日曜日なのだが、唐突に、堺市立堺高校建築インテリア創造科の生徒さんが、先生と一緒に木村工務店の見学にお越しになった日曜日でもある。

先週、堺高校の女性の先生2名と男子生徒1名が「まちのえんがわ」と「木村工務店」への突然の訪問があって、その日の朝、運動がてら自転車に乗って、早々に「まちのえんがわ」に帰り着いたワタシが、そのお三人と偶然遭遇し、ピチピチのレーパンとピチピチのジャージにヘルメットにサングラス姿で自転車にまたがったままのワタシと立ち話をすることになり、なんとなく気恥ずかしい気分を内面に宿しながらあれやこれやと話しているうちに、今日日曜日のワークショップ前の午前中に生徒さんを引率して工務店見学にお越しになることになった。

お話しを聞くと「生野区ものづくり百景」と「御幸森小学校廃校跡地利用計画」などで、生野区に関わりができ、「まちのえんがわ」活動を通じてご縁を持つ事になった大阪市立デザイン教育研究所、通称デ研の卒業生で、リゲッタに就職したアカマツくんとその先生がオトモダチで、彼のご紹介で木村工務店を知って訪問されたという。「縁」と「繋がり」は摩訶不思議だといつもおもう。ワタシ、堺高校建築インテリア創造科の存在を知ったのはその自転車にまたがっている時が初めてで、高校生の時から建築に興味を抱いてそれを専攻する生徒さんに少々の興味を抱くことになった。

ワタシなぞ、工務店の長男として生まれ、初代創業者の祖父に可愛がられ、家の前の工務店に出入りする大工さんをはじめとするさまざな建築の職人さんと日常的に接し、当時協力会社の材木屋さんの社長さんなどからは木村工務店にお越しになるたびにお小遣いのようなポチ袋を頂戴してしまった身としては、高校生になってから大学生の後半に至るまで、この工務店の長男に生まれたという現実と、その環境下でそれなりに育てられたコトを、ポジティブに受け入れることができるようになるために、かなりの回り道とちょっと馬鹿みたいな犠牲を払ってしまった。ま、それは今にしておもえば数年間、ある種のウィルスに侵され、その後遺症が何年も続くようなものなんだろう…..。

それはそれとして、先生と生徒さんには、珈琲ワークショップのために用意した加工場の席に座ってもらいながら、そうそう秋山設計道場が木村工務店で開催された時に製作した「木村工務店とまちのえんがわと木村家」のパワポを流用して生徒さんに「工務店という存在」を説明し、会社を案内し、木村家を案内して、生徒の皆さんに感想を語ってもらい、工務店を体験するという会社訪問を終えた。大工になりたい男子生徒。設計を志したい女子生徒。現場監督になりたい女子生徒。将来を決めかねる男子女子生徒。それぞれが建築というものづくりを妄想しながら将来に向かって模索している素直な姿が初々しくて良かったが、何よりもリアルな建築を見学をする体験を通じて内面から発せられるそれぞれのリアルな心情にパッションがあって、その言葉を通じてある種のエネルギーを頂いたようなワタシが生徒さんに感謝したいような気分だった。

その説明時にワタシの口から何気なく出たコトバのひとつに、工務店の「工」という漢字にこめられた工事現場でのものづくりの職人的な意味あい。「務」といいう漢字にこめられた、設計業務や見積業務や事務業務など事務所作業的な意味合い。「店」という漢字にこめられた、建築を造るお客さんとして施主に対してのおもてなしを含めたサービス業的な意味合い。そんなのが工務店でもあるのだと、うちの社員と共有しようとしていたここ数日のコトバが生徒さんの前で発露したようなものだった。

午後の珈琲ワークショップを開催した喫茶ルプラのニシミネさんは、リフォーム工事をさせて頂いたお施主さんでもあるが、工事以前からワークショップを一緒に開催し、コロナ禍の間にアウトドアー珈琲焙煎機を製作するワークショップを開催しようと準備していたが、お互いに納得がいくような製品にならず、「ものづくりセッション」のメンバーとによるコラボレーションでの完成に託すコトになった。同じ豆で同じ挽き具合で同じ道具を使って珈琲を入れても、それぞれの個性と入れ方によって味が全く違う体験が面白く、以前より洗練されたワークショップのスタイルになって、参加者の皆さんと和気藹々と珈琲の味比べを楽しめた時間が心地良かった。

コロナ禍が落ち着き、ネット上の繋がりと違う、人と人のリアルな接触があると、お互いの身体に、ある種の化学変化のようなものが起こるような気がした、日曜日だった。